世界の全ては、彼女の脳内で完結している。
「ま、ままま……まどまどどど、か? い、一緒に帰りましょう……?」
少女の声は震えていた。少女の潤んだ目には、期待と不安が入り混じっている。
「ご、ごめんね、ほむらちゃん……。今日もさやかちゃん達と一緒だから……」
声を掛けられたもう一人の少女が、幾分戸惑った様子を見せる。そして、申し訳なさそうに答えた。
「……あ、そ、そうなの? じゃあ、また明日……」
少女は、暁美ほむらは、持てる力の全てで作り笑いを浮かべ、そう言った。もう、これ以上の言葉が見つからない。案山子のように突っ立っている彼女に対して、鹿目まどかは「ほむらちゃん、またね」と短く挨拶すると、足早に教室の外へと向かった。
未練たらたらのほむらがまどかを目で追うと、彼女を厳しい表情で睨み付けている美樹さやかと視線がぶつかった。その隣には、苦笑しながら事の成り行きを見守っている佐倉杏子もいる。
さやかは、遅れて合流してきたまどかに少し強めに何事かを伝えている。彼女は最後にほむらを一瞥すると、まどか達二人に声を掛け、一緒に教室をあとにした。
そして、ほむらは今日もひとり取り残された。そう、いつもの如く、またしても。
彼女は力なく席に座り直す。彼女の視線の先には何もない。彼女の瞳には、後悔の念が渦巻いている。
彼女は思った。
(どうしてこうなった……)
ホントにどうしてそうなったのか。ほむらは過去を顧みる。
なんやかんやあって、ほむらの手により〈円環の理〉はシステム部分と人格部分である鹿目まどかに引き裂かれた。その後、まあ色々なんやかんやあって、ほむらは、悲願であったまどかとの学校生活を送ることができるようになった。
そこまでは彼女の思惑通り。その時はまだ、最愛の人と一緒に過ごす明るい未来を夢見て心躍らせていた。
だが、彼女はひとつ大きな過ちを犯してしまった。
(やっぱりアレのせいなの? あの、思わずまどかを抱きしめてしまった初日から、ずっと微妙に避けられている気がするわ)
アメリカから日本に帰ってきたばかりのまどかにとっては、あの日が初めての登校だった。まどかは新しい環境での生活に対して不安な気持ちがあったに違いない。クラスメイトと仲良くやっていけるだろうか、友達を作れるだろうか、そんなことを考えていたのかもしれない。
その、不安げな気持ちを抱く彼女を、いきなり抱きしめた挙句セカイ系電波台詞を耳元で囁くという離れ技をやってのけた人物がいる。名を、暁美ほむらといった。
そういうわけで、鹿目まどかの、暁美ほむらに対する第一印象はあまり良いとは言えなかった。ていうか、ぶっちゃけ悪かった。
(でも、それだけじゃないはず。あのさやかとかいう魚類が、私の誹謗中傷か何かをまどかに吹き込んでいるに違いないわ。そうよ、むしろそれが原因じゃないの……?)
ほむらは、自分勝手な思い込みで被害妄想を膨らませて、まどかとの仲が上手くいかない原因をさやかのせいだと断じる。心に余裕のない彼女は、近頃そんなネガティブな思考ばかりを巡らせている。とても不健全な生き様だった。
ほむらは、人のまばらな放課後の教室で、ああでもないこうでもないと無意味な自問自答を繰り返すのだった。
「いやあ、マジで鹿目さんにそっくりなんだよう! エヘッ」
“鹿目さん”その言葉が、ほむらを思考の循環から現世に引き戻す。
誰かがまどかの噂話でもしているのだろうか。少し気になった彼女は、声のした方へチラリと目を向ける。冴えない風貌の男子生徒二人が、教室の隅で声を潜めて何事かを話していた。
ほむらは、そのヒョロメガネとニキビデブにはこれっぽっちも興味はなかったが、まどかのことに関係があるとなれば話は別である。彼女は、ブサ男共の会話に聞き耳を立てた。
「キ、〈キミガヨ〉ってギャルゲーだったっけ。あ、あれって、もう発売してたの? スーッ」
「だからあ、スゲー前から言ってただろう、神ゲーが来るってさあ。昨日発売だったんだよう。それでさあ、テミスっていうキャラがマジでマジで鹿目さんにそっくりなんだよう! エヘッ」
「マ、マジ!? いまからお前ん家行くから、み、見せてよ スーッ」
「エヘッエヘヘッ」
そんなことを楽しげにしゃべりながら、男子生徒達は教室を去っていった。
ほむらは困惑した。今のは一体何だったのか。彼女は、彼らの会話の半分以上が理解できなかった。ゲームの話をしていたということだけはおぼろげに分かったが、それとまどかがどう結びつくのかが分からない。
だが、このまま教室で頭を悩ませていても時間の無駄だ。そう思ったほむらは、何となくスッキリしない気持ちのまま下校することにした。そして、その帰路の途中でいつものコンビニに寄って、500円オーバーの割とグレードの高いパスタを購入すると、そのまま真っ直ぐに帰宅した。
時刻は午後4時30分。ただいまの挨拶をする相手は当然いない。ほむらは無言のまま部屋内に入った。彼女はキッチンに向かい、先程購入したパスタを冷蔵庫に入れると、2リットルペットボトルのミネラルウォーターをコップに注ぐ、そして、リビングに向かった。
ほむらは、ソファーに腰を下ろして水を一口飲むと、大きく息を吐いた。
(一日が終わってしまった)
今日もまた、何の進展もなく無為な時間を過ごしてしまった。いつになったらまどかと仲良くなれるのか。あるいは、仲良くなどできないのかもしれない。自分のしでかしたことを考えれば、まどかと再び友達になりたいなど、おこがましい願いなのかもしれない。
しかし、それでもほむらは、そのささやかなを願望を諦める事ができなかった。
(……そういえば、あの話は結局なんだったのかしら)
ほむらは、クラスメイトのキモメンが、まどかに関わるよく分からない話をしていたことをふと思い出す。今の時刻、特にやることもなく暇な彼女は、その件について調べてみることにした。
分からないことを調べようとした場合、通常その選択肢としては、誰か詳しそうな人に聞いたり、インターネットで調べたりといった事が挙げられる。しかし、ほむらはどちらの手段も選ぶことができない。
まず、彼女には親しい友人がいないため、誰かに聞くことなどできない。次に、彼女はパソコンやスマートフォンといったインターネット利用端末を所持していない時代遅れの化石のような人物である。
そんなわけで、調べる前に調べ方から調べなければならない有り様のほむらは、調査開始から10秒でミッションを断念した。
だが、そんなことはまったく問題ない。
(よく考えたら、私は生きているインターネットを所有してるじゃない)
この世の支配者たる彼女は、非常に便利な道具を所持している。クソ生意気なところが玉に瑕だが、使いようによっては重宝する存在だ。そう、奴の名は――
「キュゥべえ」
突如、時空が歪曲し、テーブルの上にキュートな白い小動物が出現する。地球外生命体インキュベーターが、悪魔の召集に応じてその姿を現した。
「何か用かい?」
キュゥべえは、つぶらな真紅の瞳をほむらに向け、言葉を発する。
その言葉は平坦だった。
ほむらは僅かに疑問を感じる。キュゥべえは今、何か用かと聞いたわけだが、何の用かなんてとっくに知っているのではないか。宇宙人が地球上の出来事をどの程度把握しているかなど知る由もないが、少なくとも自分の動向は監視されていてもおかしくはないはずなのだ。
相変わらず何を考えているのかさっぱりな奴だ、とほむらは思った。
「えっと……。多分ゲームか何かだと思うのだけど、確か〈キミガヨ〉? とか言ってたわね。それについて調べなさい」
「〈キミガヨ〉ね……、少し待って欲しい…………。それで? とりあえず大体のことは分かったけど、君は何を知りたいんだい?」
調査開始から10秒でミッションコンプリートである。なかなかに迅速な仕事ぶりだ。だが、ほむらは部下の功績を評価しない上司だった。彼女は、宇宙人に対して礼を言ったり、褒めたりすることはない、手下を使い捨ての道具だと考えているのだ。
「ソレはまどかと何か関係があるの?」
「ずいぶん漠然とした質問だね、結論から言うと直接的な関係は一切ないよ。まあ、強いて言うなら、そのゲームに登場するあるキャラクターの容姿と性格付けが、まどかと似ていることくらいさ」
ほむらはゲームというものをあまり知らない。〈前の世界〉で、杏子に会う際にゲームセンターを訪れたことがあるが、その時も遠目に見る程度で実際に機械に触れたことはなかった。だから、彼女にとっては、ゲームに登場する人物に性格という概念が存在することがまず驚きなのだった。
「よく分からないわ。ゲームのキャラクターというのは、要するに“絵”なわけでしょう? それがまどかと似ているの?」
「うーん……。実は僕自身も人類、特に日本のサブカルチャーについては理解できない部分が多いんだ。娯楽というのは人類の感情と密接に関わっているからね。感情を持たない僕達にとって、それは人類の不可思議な行いのひとつなのさ」
“うーん”などとわざとらしい声を上げてみせるキュゥべえに、ほむらは若干ムカついた。
それはそうとして、宇宙人が言うことには、どうやら人類とインキュベーターは異文化交流を果たせていないらしい。
(今回に限ってはコイツの言う通りね。アニメだとかゲームだとか、まさに“人類の不可思議な行いのひとつ”だわ)
「そう、じゃあ――」
もういい、お前は用済みだからどこへなりと消えうせろ、そう言おうとしてほむらは思いとどまる。
(これも一応はまどかに関わること。もうちょっと詳しく知っておくべきね)
彼女の脳裏に浮かんだのは、そんなストーカー的発想だった。
「――そのゲームの概要について、簡潔に分かりやすく説明しなさい」
ほむらは、キュゥべえに対して説明を要請する。そして、ミネラルウォーターを一気に飲み干した。
「分かったよ。……〈君と通った魔法学園〉、通称〈キミガヨ〉はパソコンで動作するコンピュータゲーム、ようするにパソコンゲームだ。ゲームジャンルは恋愛ゲーム、なかでも恋愛アドベンチャーゲームに分類される。ただ、メーカー公式サイトの基本情報には、なぜか“ファンタジー系青春ラブコメアドベンチャー”と記載されているんだ。何だかよく分からないね」
「“恋愛ゲーム”……? 何なのそれは?」
なにやらとてもいかがわしい響きがする。
ほむらは、それがどのようなものかは何となく想像がついてしまったので、恐る恐る尋ねた。
「簡単に言えば、登場するキャラクターとの擬似的な恋愛に興じるゲームさ。とりあえず今は〈キミガヨ〉というゲームについてだけ説明するよ。ゲームのプレイヤーは主人公視点でストーリーを追っていく。そして、たまに出現する選択肢で何を選んだかによってストーリーが分岐して、男女交際を行う相手が変化する、というとても単純なシステムだね」
ゲームのキャラクターと恋愛する。
それが意味するところを、ほむらは理解できない。それは彼女にとってまったく未知の世界。胸中に、言い知れない感情が渦巻き始める。
「ほむら、より正確な情報については言葉で伝えることが難しい。だから、メーカーが公開している販売促進用デモムービー、要は宣伝用に作品の内容をまとめた映像なわけだけど、それを君が視聴すれば手っ取り早いと思うんだ」
「……え? ええ、分かったわ。それを見せなさい」
「じゃあ、映像を思念伝達するよ」
キュゥべえは、戸惑い気味のほむらに対してそう言った。直後、彼女の脳内に軽快なBGMとともに映像がダイレクト出力される。
強制的に頭の中へ送り込まれるお花畑満載の映像を見せられた彼女は、全身を硬直させ、歯を食いしばりながら必死に耐え忍ぶことしかできなかった。
やがて、永遠とも思えた2分30秒の悪夢が過ぎ去り、とてつもない疲労が蓄積されたほむらは脱力してソファーにもたれかかる。
体中から血の気が引いていた。
(キモイキモイキモイキモイ! 何なの今のは!?)
彼女は、男の醜い欲望が濃縮されて悪臭を放っている映像に対して凄まじい嫌悪感を覚えた。
そのムービーは、この作品の舞台である異世界へ、日本に住むごく普通の男子学生である主人公が迷い込んでしまった、という設定から説明が始まっていた。だが、まあそこまでは問題ない。ごくたまに小説を読んだりするほむらにとっても、主人公が別の世界へ赴くという筋書きは割と見慣れたものだった。
しかし、映像が登場キャラクター紹介に移ると事態が一変する。
キャラクター紹介では、そのキャラの簡易紹介文及び担当声優名が表示されて、女の子達が次々とお披露目されていくわけだが、どうしたことか全員ひとりの例外もなく人間ではなかったのだ。
攻略対象キャラ12人の内訳は以下のとおり。天使、悪魔、獣人、エルフ、フェアリィ、マーメイド、ハーピー、ドライアド、スライム、ゴーレム、ゾンビ、スケルトンである。ちなみに、みんな顔だけは可愛らしい美少女だが、身体的特徴はその種族の特性を色濃く残していた。特におぞましいのがスケルトンで、このキャラは、頭部は普通の女の子で体が真っ白な骨だけ(といっても一応、綺麗なアクセサリーを肋骨やら大腿骨に装着している)という開発者が何を狙っているのかまったく分からない造形なのだった。
ほむらは、人間の業の深さに戦慄する。
ゲームというだけでも現実ではない仮想だというのに、その仮想の中でさらに人間ではない妖精や人魚といった仮想の存在を生み出し、それに対して歪んだ欲望をぶつけるというのか。
ここまで来ると、もうほむらが理解できる範疇を超えていた。
彼女は、このようなことを知ってしまったこと、このようなことにちょっとでも関わり合いになってしまったことを激しく後悔する。純真無垢な心を持つ女子中学生には刺激が強すぎる。たとえ、主観時間で100歳を越えていたとしても、暁美ほむらはピュアな悪魔系女子なのだから。
そして、ほむらは決心する。
「……こ、こんな気色の悪い文化は、今すぐ消滅させるべきね。大体こんなゲームは男共の犯罪を助長するだけで、百害あって一利なしの不要なもの。……そうよ、ついでにこういう不快なモノを好む男達も一緒に消滅させればいいわ。そんな奴らが地球上からいなくなったとしても誰も悲しまないし、むしろみんな喜ぶに決まってる――」
彼女は、怖気を震うように己の心情を早口でまくし立てる。そして、害虫駆除のために宇宙の法則を改変しようと魔力を収束させ始めた。
「ほむら、ちょっと待って欲しい」
世の男性達の儚き夢が無常にも消え去ろうとしたとき、ほむらに向かってどこからともなく“待った”の声が掛かる。
世界中の変態紳士諸君を救ったメシア。意外、それはキュゥべえだった。
「何よ? 私は今、社会不適合者を抹消する作業で忙しいのだけど?」
「たった今、僕達の中枢が感情エネルギー収集に関する新たな計画を立ち上げた。君が今、存在を消し去ろうとした特殊嗜好を持つ男性達を対象とする新プロジェクトさ」
その新プロジェクトとやらが、このタイミングで始まったのはおそらく偶然ではないはずだ。先程からのキュゥべえとの応酬の中で、何かが宇宙人の琴線に触れたということなのだろう。
(コイツのことだから、ろくでもない計画に決まっているわ。っていうか、私に支配されて使いっぱしりをしているくせに、感情エネルギーの収集だけは言われなくても真面目にこなしているのよね……。コイツにとって、エネルギー集めは本能みたいなものなのかしら)
沈黙を保ったままのほむらに対して、キュゥべえが話を続ける。
「犯罪予備軍の抹消を実行する前に、僕達の計画を試行させて欲しいんだ」
「……まずはどんな計画なのか聞かせなさい。話はそれからよ」
「現段階で詳細な部分までは決まってないね。でも、最終的には、生殺与奪の権利を僕達に移譲することに了承した男性達に対して、できる限りの延命処置を施しながら仮想現実〈バーチャルリアリティ〉の世界で生きてもらって、彼らが想起する感情エネルギーを収集し続けることを目標としているんだ」
それは、宇宙人による地球侵略ではないのか。ほむらは一瞬そう思ったが、すぐに考え直した。
「まあいいでしょう。その計画の実行を許可するわ。非生産的で世の中の役に立たない連中は、宇宙人に引き渡して人体実験の材料にした方がまだマシというものよ」
ほむらは廃棄物を処理することにした。
「ありがとう。ほむら、この計画は最終段階へ至るまでに少しばかり時間が必要となる。一応、何か進展があるたびに君へ状況を報告することにするよ」
地球侵略を企む宇宙人は、報・連・相を欠かさない優秀な社畜だった。黙って事を進めて後でご主人様の逆鱗に触れてしまおうものなら、キツイお仕置きが待っていることを身をもって知っているのだ。
かつて、宇宙の全てを傘下に収めた地球外生命体インキュベーターも、今は悪魔のペットに成り下がり、雌伏の時を過ごしているのだった。
「それじゃあ、そろそろマミのところに帰らせて貰おうかな」
本来の飼い主であるほむらを差し置いて、他の女のところへ行こうなどとはペット失格である。だが、そんなことはどうでもいい。
「待ちなさい」
ほむらは白い小動物を呼び止める。彼女に制止されたキュゥべえは、可愛らしい仕草で小首を傾げて振り向いた。
「まだ何かあるのかい?」
「やっぱり気が変わったわ。あの〈キミガヨ〉とかいう気持ち悪いゲームをするから、必要なものを全部取り揃えなさい」