「でかっ!!」
自宅のリビングに足を踏み入れたほむらの第一声がそれであった。
彼女が住む1DKの部屋は専有面積が40㎡とそれなりに広くて、リビングは12畳もある。その3.5m×5.3mの居間には、幅200cmの2人掛けのソファベッドと幅120cm×奥行き75cmのガラステーブルが置かれているのみ。ほかには何もない。カーペットすら敷いていない空虚で殺風景なリビングだ。
と、ほむらは記憶していたのだが、それは間違いだったようだ。何も知らずにノコノコと学校から帰ってきた暁美ほむらを出迎えたのは、そんないつもの見慣れた風景ではなかった。
彼女の居間は、劇的な以前以後を遂げていたのであった。
と言っても、単に以前はなかったはずのテレビやら何やらが設置されているだけなのだが、問題なのはそのテレビの大きさである。
フローリングに直置きされたそれの幅は、ソファよりも長く確実に2m以上はあり、高さもテレビ台の上に乗っていないにもかかわらず彼女の肩の辺りまであるのだった。
こんな突拍子もないことをしでかすのは、どちらの宇宙人様でいらっしゃるのか。ほむらは犯人の供述を聞いてみることにした。
「キュゥべえ!」
ほむらが怒りの焔を燃え立たせる。
直後、何の前触れもなく空気中から出現した白い小動物がソファーの上に着地する。そして、ご立腹の主人を意に介することなく、さらりと言ってのけた。
「何か用かな?」
「この巨大なテレビは何? あなたは私の家を映画館にするつもりなの?」
「やれやれ、一週間前に君が言ってたじゃないか。ゲームをするから必要なものを揃えろとね」
下らない事でいちいちうるさい小娘だ。なんてことをキュゥべえが思っているわけがない。だが、無感情な宇宙人もホムラフィルターを通して見れば、そのような悪の化身に映ってしまう。
悪魔は、不気味な笑みを浮かべながら静かに魔力を循環させ始めた。それに気付いたキュゥべえが迅速かつ冷静に対処する。
「ちょっと待って欲しい。僕はメーカー公式サイトに記載されている推奨動作環境に従って機材を取り揃えただけなんだ」
氷のような眼差しをキュゥべえに向けるほむら。彼女の膨大な魔力が徐々に落ち着きを取り戻しつつあるのを見て取ったキュゥべえは言葉を継いだ。
「〈キミガヨ〉のメーカー、……株式会社スピナーチという名前なんだけど、その会社のウェブサイトにゲームをプレイするにあたっての最適な環境が示されていたんだ。それについて今から説明するよ」
宇宙人曰く、〈キミガヨ〉のメーカー推奨動作環境および基本情報は下記の通りとのこと。
OS : Windows XP/Vista/7/8/10 32/64bit日本語版
CPU : AMD Six Core CPUまたはIntel Quad Core CPU
メモリ: システムメモリ8GB以上
HDD : 128GB以上の空き
GPU : VRAM4GB
画素数: 7680×4320
音源 : 11.2chサラウンド
「と、いうわけだからその動作環境を満たせるスペックを持つパーソナルコンピュータと超高精細映像 8K 120Hz 対応の100インチ(横幅221cm×縦幅124cm)液晶テレビ及び11.2chサラウンドスピーカーを用意させてもらったのさ」
そう言われて、ほむらは改めて室内を見渡した。床、壁、天井に10台以上のスピーカーが設置され、彼女をぐるりと取り囲んでいる。
(やっぱり映画館にするつもりじゃないの……?)
ちなみに、ほむらは映画館に行ったことなどない。
「……テレビが大きな理由を聞いてないわよ。第一、こんな日本の住宅事情にそぐわないサイズのモニターをゲームメーカーが購入者に対して買えなんて言うわけないでしょう?」
「まあ、確かにサウンド環境や画面サイズに関しては必須要件ではなかったよ。でも、ウェブサイトには確かに“可能であれば100インチ以上の大画面ディスプレイでプレイすることを推奨します”と書かれていたんだ。よく分からないけど、このゲームは“添い寝モード”というものを搭載しているらしくて、ベッドに寝そべった状態のキャラクターと擬似的会話を楽しむことができるらしい。その際に画面横幅が2m以上あれば全キャラが等身大の1/1スケールで表示できるという――」
「もういいわ」
ほむらはキュゥべえを遮った。考えてみれば、別にテレビやスピーカーが増えたからといって困るものでもないのだ。元々、一人暮らしにとっては広すぎるリビングを持て余していたくらいなのだから。
それに、いくら説明されたところで、もうやっちゃたものはどうしようもない。
寛大なる支配者暁美ほむらは、愚かなる下僕インキュベーターに許しを与えることにした。
「それで? どうやってゲームをすればいいの?」
ほむらのパソコン歴は、『技術』の授業で2、3回程行われたパソコン実習だけである。つまり、悪魔はコンピュータに疎かった。
「まずは電源ボタンを押すんだ――いや、それはBDドライブのイジェクトボタンだから違うよ。いや、それも違う。それも――ほむら、もういいよ僕が押すから」
押せそうなところを手当たり次第にグリグリしているほむらを見るに見かねたのだろうか、キュゥべえは素早い身のこなしでソファから飛び降りると、テレビの横に置かれているデスクトップパソコンの前に移動する。そして、小さな前足で器用に電源ボタンをポチっと押した。パソコンの電源が入ってファンの回転音が聞こえ始める。
キュゥべえがチラリとほむらの様子を見ると、彼女は微かに頬を赤らめていた。
「……なるほど、そうなの。なるほどね……。うん、なるほど……」
などとボソボソ呟いているほむらに対してキュゥべえがこう言った。
「OSの初期設定は必要ないよ。あと、ゲームソフトは机の上に置いてあるんだけど……、自信がないのならインストールは僕がやろうか?」
「必要ないわ。なぜ人間様が四足の獣如きの手を借りなけらばならないの」
ほむらはそう言って、妙に格調高い雰囲気の幾何学模様が描かれているパッケージを手に取り、パカッという小気味いい音を立てて開封する。そして、ディスクの縁に指を引っ掛けて、力任せに捻じ曲げ始める。無理矢理な力を受けてディスクは大きくしなっていた。
勢いよく外れたディスクを床に落としてしまい、ほむらは慌てて拾っていたが、幸いにして破壊は免れたようだった。
「よし……! あとはこれを……」
「君が最初に電源ボタンと間違えて押していたイジェクトボタンを押せばいいよ」
「……言われなくても分かっていたわ」
「ふうん……」
紆余曲折を経て、ようやくのことでBDドライブにゲームディスクをセットしたほむらは、それなりの満足感と共にソファーに向かい、静かに腰を下ろした。
インストーラーが起動したのだろう、テレビ画面には〈キミガヨ〉のセットアップメニューが表示されている。
ほむらは、マウスというもので色々操作出来ることくらいは知っていたので、テーブルの上に置かれているワイヤレスレーザーマウスを掴もうとした。だが、ガラステーブルの高さは彼女のひざ程度であったため、ソファーに座ったままマウスやキーボードを操作しようとすると非常に前かがみとなってしまう。
彼女はしばらくの間、お尻を突き出すようなマヌケな前傾姿勢で頑張っていたが、あきらめて床に座ることにした。
「それで、この“インストール”を……」
ほむらはインストールボタンの上でカーソルを彷徨わせながら、隣でお座りしているキュゥべえにチラチラと視線を送る。そんな彼女を白い小動物はガン無視していた。
「この“インストール”を――」
「押せばいいじゃないか」
繰り返すほむら。
返答する宇宙人の口調は、若干投げやり気味に聞こえた。
「もちろん知っていたわ」
そう言ってほむらは左クリックする。その後彼女は、適当にOK、OKと押しながら作業を進めていたが、実はその頭の中で何らかの思考が渦巻いていたらしい。ふいに声を震わせながらこう言った。
「あなた、私の事馬鹿にしてるでしょう……? パソコンを知らないのがそんなに悪いの?」
「してないよ」
「嘘よ」
「僕は“嘘を吐かない”」
キュゥべえは迷いなく言い切った。
その強い口調に若干押されたほむらは、黙って視線を画面に戻す。
ゲームデータのコピーが始まっていた。今のところ上手くいっているようだ。少しほっとした彼女は、進行度1%という表示を目にして眉をひそめた。そして、進行度ゲージのすぐそばに書かれている“残り2時間48分”という文字に気が付いた。
(え……? 2時間? 2分の間違いではないの?)
彼女はふと我に返った。
自分は今、一体何をしているのだろう。バカみたいなゲームをするために、バカみたいに大きなテレビの前で、バカみたいにフローリングの上に正座して、バカみたいに2時間以上も待ちぼうけするつもりなのだろうか。
ほむらは1%のままピクリとも動かない棒グラフのメモリを眺めながら、急激に気持ちが萎えていくのだった。
「そういえば、このテレビやらパソコンやらはいくら位したの?」
約30分後。突然、思い出したかのようにほむらが尋ねた。
ゲームのインストール完了までやることがなくなったほむらは、ソファーに寝そべって“対人関係療法に基づく人とのつき合い方”というタイトルの本を読んでいた。
彼女は、暇つぶしにテレビ番組でも見ようかとリモコンのボタンを色々押してみたのだが、どのチャンネルに合わせても映像が映らないため、キュゥべえに尋ねたところ「アンテナケーブルはゲームをするのに不要だから用意しなかったよ」と、言われて何となく腑に落ちない思いで読書をしていたのだった。
「購入したのはゲームソフトだけで、税抜価格で16,800円だったよ。初回限定版という24,800円のバージョンもあったけど、特典の“全キャラ描き下ろし抱き枕カバー”は抱き枕を所持していない君には必要ないものだろうと判断して通常版を選ばせてもらったんだ」
その判断は正しいに違いない。
「インターネットへの接続は、僕達の対地球用独自回線を使用してプロバイダを介する必要はないから無料として、テレビ、パソコン、スピーカーについてはパーツから内蔵システムまで、全て僕達インキュベーターが作った物だ。買うよりも作る方が手っ取り早いからね。ちなみに、一般的な手段で購入すると合計金額は2500万円以上となるだろう」
「たかっ!!」
驚きのお値段を聞いたほむらの第一声がそれであった。
「音響・映像機器製作で消費したエネルギーは後で君の魔力を吸引させて貰うとして、ゲームソフト16,800円については収入源を持たない学生の君に費用を請求する予定は、……今のところないよ」
16,800円は大金だ。このままだと宇宙人に借りを作ってしまう。
ほむらが、毎月100円の100回払いで手を打たないかと素晴らしい話を持ちかけようとしたとき、キュゥべえが話を続けた。
「それについては、例の計画を発案させてもらったことを対価として受け取っておくよ。これでチャラだ」
“例の計画”とは、マイノリティな趣味を持つ男性達を宇宙人の実験材料にする計画のことに違いない。前にその話をしてから今日で一週間が経過しているわけだが、何か進展はあったのだろうか。
ほむらはそれについて一応確認しようと口を開きかけたが、再びキュゥべえが話を続けた。
「計画はまだ準備段階さ。現在は僕達が開発したゲームを日本国内すべてのダウンロードサイトに登録して、男性達がどのような仮想世界を好むのかマーケティング調査をしている最中なんだ」
そんなことは初耳である。
「あなた達、ゲームなんて作ってたの? たった一週間しか経ってないのに、ゲーム作りというのは思ったより簡単なものなのかしら」
「一週間じゃないよ。例の計画立案から1時間でゲーム開発からダウンロードサイトへの登録まで完了していたからね。ちなみに現時点での総ダウンロード数は、……ちょうど今2万を突破したようだ。中々の人気作品といえるだろうね」
キュゥべえが言うには、彼らの作ったゲームは〈妖精収集家〉というタイトルのオープンワールドゲームとのことだ。このゲームは異星を舞台にしており、その星に生息している〈妖精〉と呼ばれる生命体(言うまでもなく美少女)を捕獲して、他のプレイヤーと戦わせたり、交換したりするといったことが基本的なゲームの流れとなるらしい。
既存の人気ゲームを真似て作ったということだが、ほむらは2万人もの人々が、たとえゲームとはいえ女の子を嬉々として収集しているのかと思うとやるせない気持ちになった。ましてやそれは宇宙人の作ったゲームなのだ。そこはかとなく今後の展開が不安になった。
「2万って、かなり多いように感じるのだけど? それに、そんなにあなたのゲームが売れたのなら1本100円だったとしても200万円じゃないの? 16,800円なんてはした金だったのね」
彼女は、ご主人様への上納金として売上げの50%を寄越せと言うべきか少し迷った。
「金儲けが目的じゃないから無料のゲームだよ、今はまだね。あと、ダウンロード数については、やはり宣伝効果があったということなんだろうね。映像技術だけは人類のゲームを遥かに凌駕しているから、広報活動さえ上手くいけば人々の注目を集めることは難しくないということさ」
「そう……」
ほむらはそう言いながら立ち上がり、キッチンへ行ってミネラルウォーターをコップに注いで引き返し、ソファーに再び座ると、水を一口飲んでから尋ねた。
「宣伝というのはどうやったの?」
(……さっきから質問ばかりしてるわね。まあ、これでも暇つぶしにはなるのかしら)
ほむらが宣伝と聞いて思い浮かべるのは、テレビコマーシャルとスーパーのチラシである。まさかとは思うが、ついにインキュベーターが人類の前に堂々とその存在を明かし、ゲームソフトのCM活動を行ったとでも言うのだろうか。
「視聴者のコメントを付加できる機能を持つ動画共有サイトにゲーム実況動画を投稿したのさ。宣伝にもなるし、コメントの内容を解析すれば市場調査もできる。まさに一石二鳥というやつだね」
「なるほど、で、ゲーム実況動画というのは何?」
(本当にさっきから質問しまくりだわ。でもコイツが意味不明なことばかり言うのが悪いのよ)
「まず、動画共有サイトというのは簡単に言えば動画を投稿できるウェブサイトのことだ。そのサービスを提供している会社のサイトに、僕達の作ったゲームをプレイする様子を収めた動画を投稿すれば、それを同じサイトを見ているユーザーが視聴することができるという仕組みなんだ。ゲーム実況動画というのは、ゲームをプレイする映像にそのプレイヤーの音声を被せて収録してある動画のことさ」
キュゥべえはいつの間にか、ほむらよりも日本のサブカルチャーについて詳しくなっていた。彼女は、なぜゲームやら動画投稿やらの説明を宇宙人から聞かされているのだろう、という疑問を抱かずにはいられなかった。
「ゲーム関連の動画は人気のジャンルだからね。中でもゲーム実況はそのゲームの面白さを伝えるという点においてはそれなりの効果が望めるんだ」
「どこの誰があなたのゲームをプレイしているのよ? まさか“僕達の作ったゲームを実況してください”とか何とか言って誰かに頼んでいるの?」
「始めはそれも考えたよ。人気のあるゲーム実況者に〈妖精収集家〉のゲームプレイを依頼するという案だ」
「“人気のあるゲーム実況者”……? 待ちなさい。さっきからそのゲーム実況、というかゲームの動画をインターネットに投稿するという行為に疑問を感じているのだけど、それは著作権侵害でしょう? 犯罪だわ」
空気を読めないほむらが無粋なつっこみを入れた。
神への叛逆者たる悪魔が、今更日本の法律など気にする必要はあるのだろうか。
「それはまったく問題ないよ。ゲームの権利者の許可なしで動画を投稿すると著作権法違反になるけど、今回については権利者である僕達インキュベーターが自ら動画を投稿するわけだからね。それに、著作権侵害は親告罪だ。被害者である著作権者の告訴がなければ起訴することはできない。世に存在するゲームプレイ動画の殆どは、権利者が様々な思惑で黙認しているんだ。当然、〈妖精収集家〉を無断で配信するような人達が現れても僕達が訴えることはない。ゲームの認知度が上がって、いい宣伝になるだろうからね」
しかし、違法であることは確かで犯罪であることに変わりはない。ほむらはそう言おうとしたが、キュゥべえが言葉を継いだ。
「ちなみに、マンガやアニメやゲームの作品を基にした二次創作物、例えば小説なんかをインターネット上に公開する行為も著作権侵害になる。立派な犯罪だよ」
「まあ、その程度ならファン同士の交流ということで権利者も大目に見てくれるでしょう」
ほむらは瞬時に考えを改めた。こういったことには寛容の精神を持つべきだろう。実に自分に都合のいい考え方だ。
「そうだといいけどね。と、まあそんなわけで〈妖精収集家〉実況プレイ動画は開発者、もちろん人工音声だけの架空の人間だけど、開発者のひとりが自らの作品をアピールするというコンセプトで作成しているのさ。人工音声には、人類に好まれる波長の声を使用しているから“いい声だ”という内容のコメントがたくさん付いたよ」
声だけの存在に対して“いい声だ”とは、おかしいのかおかしくないのかすら良く分からない。
「今後はプレイヤーの意見や要望を集めて、最終目標である仮想世界の構築に役立てるつもりなんだ」
どうやら地球侵略計画は順調のようだ。ほむらは、部下の報告を受けた重役の如くゆっくりと威厳たっぷりに頷いてみせた。
「ほむら、インストールが終わったみたいだよ」
学校帰りにコンビニで買った税込460円の明太子クリームパスタを食べているほむらに、キュゥべえから声が掛かる。彼女が画面を見ると“ゲームを起動する”ボタンが早く押せとばかりに点滅していた。
3時間弱もの準備期間を経て、ようやくゲームがプレイできるようになったようだ。ほむらは口をモグモグさせながら、多少うんざりしつつも起動ボタンをクリックした。
ゲームが起動して、メーカーのロゴが表示される。そして、画面が切り替わって幾何学模様を背景にしたタイトル画面が表示されるとともに、荘厳な音楽が11方向から鳴り響いた。
ほむらはまるで音のシャワーを浴びているかのような感覚を覚える。そして、なぜか少し緊張しながらとりあえず“START”ボタンを押すのだった。
ゲームが始まった。
ほむらは初めの内、主人公のお気楽な性格やヒロイン達の化物じみた容姿に対して心の中で突っ込みを入れたり、隣に座っているキュゥべえに意見を求めたりと斜に構えたプレイをしていた。
だが物語が進行するにつれて次第に口数も少なくなり、ほむらは全編フルアニメーションで展開されるストーリーを静かに追い続けた。彼女は、いつの間にか一定間隔で左クリックしてテキスト送りするだけのマシーンと化していた。
真剣な様子でゲームをプレイするほむらを見たキュゥべえは、空気を読んで部屋を去ることにした。キュゥべえが空間転移する直前、ほむらの方へ目を向けると、彼女は表情を奇妙に歪ませた笑みを浮かべていたのだった。
正直なところ、ほむらは、女の子である自分が女の子を恋愛の対象にした男性向けゲームをプレイするということに若干の不安を感じていたが、それは杞憂だった。視点人物の性別など、まったく問題にならないくらいに〈キミガヨ〉というゲームはキャラクターやシナリオが作りこまれていたからである。
12人の女の子キャラクター達にはそれぞれ膨大な量の会話イベントが用意されており、一本筋の通った尊敬すべき人物であると同時に、妙に人間臭い欠点などを兼ね備えた本当に一個の人格を持った存在として描写されている。ほむらは、そんな彼女達と友達になれたことに、ゲームの登場人物であり架空の存在だということも忘れて本気で喜んでいた。
ほむらは、テミスという名前の天使の女の子ばかり優遇するような選択肢を選んでいた。彼女は噂に聞いていた通り雰囲気がまどかにそっくりであり、弓矢を得意としているという点においても、ほむらに運命じみた何かを感じさせていた。さらに言うと、彼女は超絶に可愛かった。
ほむらはテミスの言動に一喜一憂し、彼女が笑えば自分も笑い、彼女が悲しめば自分も悲しんだ。
物語は進み、序章が終了した時点でプレイ開始から6時間が経過していた。プレイ当初はキャラクターのボイスをキャンセルしてテキスト送りしていたのだが、途中から音声を全て聴くようになっていたのでかなりの時間を要したのだった。
時刻は午前0時過ぎ。明日、厳密には今日も学校があるのでこれ以上の夜更かしはまずい。ほむらは、非常に続きが気になったが丁度切りのいいところまで来たので、今日はもう就寝することにした。
だが、ソファベッドに横になったほむらは、興奮のあまり中々寝付けなかった。彼女はあのときなぜあんなことを言ったのか、彼はなぜあんなことをしたのか、彼らはこの後どうなってしまうのか。そんなことが頭の中をぐるぐると延々回り続ける。
ほむらの意識は完全に空想の世界へ飛んでいた。それでも、6時間ぶっ通しで物語に熱中していたためその疲労度は大きく、気が付くと彼女は深い眠りへと落ちていたのだった。
翌日、授業が終了して、ほむらは珍しくまどかに声を掛けずに自宅へ直帰した。これまでずっと断られ続けているのに、今日に限ってOKが貰える訳がない。自身の行いを客観視できるようになったほむらがまずやるべきことは何か。
それは、2次元のお友達に会いに行くこと。画面の中の彼女達はとてもいい子で、しかもほむらを拒むことはないのだ。
彼女はせかせかと早歩きで部屋に入ると、兎にも角にもゲームを起動した。ほむらは再び異世界へと舞い戻る。安息の地へと帰還した。
マウスのクリック音を煩わしく思った彼女は、ワイヤレスキーボードをソファーの上に置いてエンターキーを静かに押しながらテキストを読み進める。今日は金曜日。土日は休日なのでゲームをプレイする時間はたっぷりある。
ほむらは、夢中になって物語を進めた。
そして、時は過ぎ去り日曜日の午後6時。総プレイ時間30時間を掛けて、ほむらはようやくゲームをクリアするに至った。
スタッフロールが流れ、エンディングテーマが流れ始める。それはとても透明な歌声で、これまでの様々な出来事を静かに語りかけてくるような歌だった。ほむらはゲーム中に起きた色々なことを思い出す。涙を流さずに入られなかった。
エンディングが終わり、タイトル画面に戻ってもほむらは泣き続けていた。それからしばらくして、少し落ち着きを取り戻した彼女は、夕飯として買っておいた税込430円のペペロンチーノを食べ始める。だが、心ここにあらずで目の焦点が合っていなかった。頭の中は未だにゲームの世界に囚われているのだった。
ほむらには僅かに後悔していることがあった。それは、物語の最序盤でテミスという女の子以外に冷たい態度をとってしまったこと。ゲームを終わらせて、12人全員が素晴らしい人物であると理解している今では、絶対に選ばないであろう選択肢を躊躇いなく選んでしまっていたこと。それが彼女の心に引っ掛かっていた。
そんなことを考え始めて、いても立ってもいられなくなったほむらは、再び“START”ボタンを押すのだった。
ほむらは既読スキップ機能を駆使しながら最初から選択肢を選び直した。すると、初回では見なかった未知のイベントが色々起こり、彼女は、やはりやり直して正解だったと喜んだ。
そして、序章が終了して第一章が始まったのだが、それはほむらが知っている初回プレイ時の第一章とは話の根幹が異なっていた。初回はテミスというキャラがメインの戦記物だったのが、今回はヤミーというゾンビの女の子が主軸となる伝奇ホラーとなっていた。
ほむらは「うそ……!?」などとリアルに大声を上げて驚くと同時に大喜びする。まだゲームが終わっていなかったことを知り、狂喜乱舞する。
ほむらはここで、もしかしてと思い至り、パッケージに挟まっていた分厚い小冊子を取り出して内容を確認する。そこには概ね彼女の想像通りのことが書いてあった。エンディングは各キャラひとつずつの12個用意されているのだという。ストーリーの分岐条件は、序章が終了した時点で最も好感度が高いキャラの個別ルートへ移行するというもの。
今まで気付かなかったが、メニュー画面からいつでも全キャラの現在の好感度を確認できたらしい。ほむらは、こんなことなら最初から冊子を読んでおけばよかったと一瞬思ったが、過ぎたことはしょうがない。
それよりも今、一番問題なのは時間がいくら合っても足りないということだ。ひとつの個別ルートだけで24時間掛かったわけだから、残り11人分のストーリーを全てプレイし終わるころには、単純計算で実に264時間が経過することになる。一日6時間プレイしても44日掛かってしまう。さすがにそれは色々とまずい。どうするべきか。
ほむらは少し悩んだ末、悩む必要などないことに気が付いた。
(こんな時こそ魔法の出番よ)
欲深き悪魔は、私利私欲のために魔法を使うことに躊躇いはない。
ほむらは魔力を集中させ、自ら張った時間操作の結界に自らを閉じ込めて、外界の時間を停止させる。ほむらの部屋は、〈精神と時の部屋〉となった。これで、如何なる存在も彼女のゲームプレイを邪魔することはできない。
準備万端整って、ほむらは心置きなく仮想世界に身を投じるのだった。
さらに時は過ぎ、ほむらの主観時間で30日後、総プレイ時間300時間を持って、彼女は〈キミガヨ〉の全ルートをクリアした。
結論から言えば〈君と通った魔法学園〉というゲームは、面白かった。
以上である。このゲームの魅力を伝えるのに、無粋な言葉は必要ないのだ。などという宗教じみたことを、ほむらは大真面目に考えていた。
その後、ほむらは“添い寝モード”などのおまけモードで遊びながら一週間ほどぐずぐずと結界内に居座り続けていた。彼女は今ゲームにドハマリしていて、日常生活がゲームに支配されている状態にある。それは、ある意味で幸せなときを過ごしているとも言えるのだった。
だが、しかし――
(……アレ? 私は今、一体何をしているの?)
聡明なる暁美ほむらは真実に気付いてしまった。
所詮ゲームはゲームであり現実ではないという揺るぎなき真実に気が付いてしまった。
ほむらがあれほど血道を上げたテミスという人物は仮想の存在であり、結局はどこかのキャラクターデザイナーのおっさんが描いた単なる絵であり、もちろん人格など存在していない。
彼女はそれを、先程まで本当に実在している人物のように錯覚していたのだが、なぜか急に熱が冷め始めたのだった。冷静になって考えてみると、そこまで熱狂することでもない。
確かにストーリーはとてつもなく面白い。ほむらがこれまでに見たことのある創作物のなかでも群を抜いていた。だが、それに囚われて魔法を使って時間を停止させた挙句、私生活をメチャクチャにしてしまったのは愚かな行為としか思えない。
彼女は過去の自分を振り返る。何だか少し、虚しさを覚えた。
人心地がついたほむらは、とてつもない疲労を感じたので今日はもう眠ることにした。今はまだ頭の整理がついていない。考えるのが億劫だった。
ほむらは静かにまぶたを閉じ、夢の世界へと誘われた。
翌朝、シャワーを浴びて身も心もスッキリした彼女の心はとても落ち着いていた。ソファーに身を預けてゆったりとくつろぎながら、今までのこと、そしてこれからのことに思いを馳せる。
(そもそも、私がこのゲームをプレイしようと思ったのは、まどかに関係しているかどうかを確かめるという理由だった)
途中からその目的は忘却の彼方となってしまったが。
(結局、テミスとまどかは超絶かわいいという共通点以外何の関係もなかったわけだけど。この素晴らしいゲームをプレイしたことは単なる時間の無駄だったのかしら)
ゲームはほむらに至福の時間を与えてくれた。ゲームをプレイしているとき、彼女の心は確かに異世界にあり、女の子達とは固い友情で結ばれていた。皆と仲良くなれた。
(そうよ、“好感度”が上がれば仲良くなれたのよ)
“好感度”さえ上がれば友達になれる。だが、それはゲームの世界の話。現実の話ではない。そのはずだが――
(いえ、現実も一緒よ。“好感度”は目に見えないだけで確かに存在している。……そうよ、そうだわ! “好感度”よ! “好感度”なんだわ!!)
ほむらは口元を微かに歪めて、笑う。
「――さあ、ゲームの始まりよ」