シミュレーション オブ ホムラ   作:生パスタ

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04_ミラーリング

 授業が全て終わり、終鈴が鳴り響く――

 と、同時にほむらは教科書やノートをグチャグチャになるのも構わず超高速でカバンに詰め込み、ターゲットの下へと疾走する。

 彼女は、まだ席に座ったままの少女の前で急ブレーキを掛けると、長い髪をかきあげながら極めてクールな態度でこう言った。

 

「はぁ……はぁ……、ま、まどか、一緒に帰りましょう」

 

 彼女は、極めてクールに息を切らしていた。

 

「あれ? ほむらちゃん、私だけでいいの?」

 

 ほむらの誘いに、まどかは悪戯っぽい笑みを浮かべる。そして、つと視線を横にずらした。

 ほむらはその動きにつられて、まどかの視線の先へ顔を向ける。

 

 そこに、さやかがいた。何やら物言いたげな目だ。

 ほむらは何も言わずにまどかへ向き直った。

 

「まどか、一緒に帰りましょう」

 

「ちょっと!」

 

 その言葉の後には、おそらく「待てコラ」と続くのだろう。さやかが、ほむらのとぼけた行動を咎めた。そんな彼女に対して、ほむらは平然と言ってのける。

 

「冗談よ」

 

 冗談。そう言っておけば大体のことは許されるという魔法の言葉だ。ただし、逆に相手を怒らせてしまう場合もあるので、きちんとTPOをわきまえて使用しなければいけない。

 見た目よりも人生経験が豊富なほむらは、そのようなことなど当然知っている。だが、彼女はそもそも場を和まそうとしている訳ではなかった。さやかをおちょくってやろうという純粋な気持ちで行動していただけなのだ。

 

「……冗談に見えないんだけど。あんたの場合」

「へえ、よく分かったわね」

「はあ……。うん? 今のは――」

「冗談よ」

 

 さやかは、今の“冗談よ”というのも冗談なのか尋ねてみようかと一瞬思ったが、馬鹿馬鹿しいのでやめた。この女の思考回路はショートしている。それをとても良く知っていたからだ。

 

「ほむらちゃん」

 

 まどかが、静かな声でほむらに呼びかける。

 まどかが何を言いたいのか、ほむらはその一言だけですべてを察する。彼女は視線を彷徨わせながら、たどたどしい口調でこう言った。

 

「う、あ……。さ、さやかも一緒に帰りましょう……?」

 

 ほむらは、微かに頬を染めていた。

 暁美ほむらの貴重な赤面シーンを見たさやかは、先程まで感じていたモヤモヤが綺麗さっぱり消え去って、にこやかな笑顔で答えるのだった。

 

「もちろん、いいよ!」

 

 

 

 

 

 あの日から1ヶ月が経過していた。

 ほむらが少女達の〈好感度指数〉を見たあの日。彼女は、魔法少女達が一堂に集うあの場で、すぐにまどかに謝った。登校中の生徒が数多く通り過ぎるなか、人目もはばからずに声を上げて謝罪の言葉を口にした。

 いきなり抱きついてしまってごめんなさい。昔、離れ離れになってしまった友達にあなたがあまりにもよく似ていたから、思わずあんなことをしてしまった。

 そう言って、何度も謝った。

 ほむらの釈明は嘘であり真実でもあった。彼女は、離れ離れになっていた友達と再会したのだから。

 ほむらは、感極まって勢いのままにすべての罪を告白してしまいそうになったが、そこはぐっと堪えた。自分には、絶対に言えない事がある。まだ謝らなければならないことがある。その事実がいっそうほむらを責め立てる。

 彼女は、声を詰まらせて泣きながらごめんなさいごめんなさい、と何度も繰り返した。

 

 皆、普段の取り澄ました佇まいからは想像もつかないほど取り乱しているほむらに驚いた。泣くほどの事でもないだろうと少し呆れたりもした。だが、彼女の目はぞっとするほど真剣だった。だから、その狂気じみた想いだけは、じゅうぶん過ぎるほど伝わってくるのだった。

 

 少女達は何と声を掛けてよいのか分からなかった。半ば呆然としながらほむらを見つめていたが、やがてひとりの少女が、泣いている少女へ向かって歩き出す。

 ほむらちゃん、と少女は言った。まどかだった。

 ほむらが顔を上げる。縋るような目をまどかに向ける。まどかは微笑んでいた。いつものように。

 ほむらは、声を聞いた。ような、気がした。

 

 私達は友達だよ。ずっと――

 

 

 

 

 

「そう言えば、杏子は?」

 

 ほむら、まどか、さやかの3人は並んで下校中だった。まどかは優しげに、さやかは快活に、ほむらは仏頂面で楽しくお喋りしながら歩いていた。

 しかし、今頃になってほむらは気付く。今日はうるさいのが2人じゃなくて1人しかいないということに。

 

「あー……。“お嬢様とゲーセン行って来る”だってさ。仁美も大変だよね」

「ふうん。仁美ちゃんと杏子ちゃん、最近仲良しだね」

「そう、だね。……あいつ、また食べ物の話をせがんでなきゃいいけど。まるであたしの家じゃ碌な物を食べてませんって感じで、ちょっと恥ずかしいんだよね」

 

 さやかは苦笑いする。

 杏子は、最近までけっして幸福とは言えない暮らしをしてきた。彼女の目には、仁美はまるで別世界の住人のように映るのだろう。さやかが、初めて杏子を連れて仁美の家を訪れたとき、杏子は眼前にそびえ立つ志筑邸を放心したように見上げ、「仁美って、お城に住んでたのかよ」などと言っていた。

 仁美は物腰が柔らかくお淑やかで、そこはさすがにお嬢様の嗜みといった風だが、ああ見えてわりと強気で実直な面も持っている。杏子が少々乱暴な振る舞いでグイグイ行っても、それを正面から受け止めて、さらに鋭い切り返しができるほどだ。

 女の子同士の回りくどいお友達関係が嫌いな杏子にとっては、それが嬉しいのだろう。彼女は、自然に仁美とよく話すようになっていたのだった。

 

 

 

「まどか、……あとさやか。……さようなら」

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去るものだ。気が付くともう分かれ道だった。

 ほむらは、気の進まない様子でお別れの挨拶をする。

 さやかは、その、まどかのついでのような言い方は何なんだと思ったが、あえて黙っていた。

 

「あっ! ほむらちゃん、ちょっと待って。明日マミさんの家に皆で集まるんだけど。ほむらちゃんも一緒に行こうよ」

 

 立ち去ろうとするほむらをまどかが呼び止めた。

 さやかが「えっ」と小さな声を上げてまどかを振り向いたが、一瞬硬直した後、何事もなかったかのように前に向き直る。

 

「そ、そうなの? ええ、もちろん行くわ」

 

 遊びのお誘いに慣れていないほむらは、ぎこちなく返答した。明日は土曜日で休日だ。我が家で孤独に過ごすよりも、友達と一緒に過ごすほうが100倍マシに違いない。

 

「時間はまた後で連絡するね。じゃあまたね、ほむらちゃん」

 

 そう言い残すと、まどかとさやかは去って行った。ほむらはその後姿を静かに見送ったあと、ひとり歩き出す。

 その足取りは、とても軽やかなものだった。

 

 

 

 その日の夜。ほむらはソファベッドに横になり、〈キミガヨ〉をプレイしていた。

 ゲームのキャラクターへ1日の出来事を報告することは、いつの間にか彼女の日課となっており、高度な音声認識機能(音声入力用マイクはゲームに同封されていた)を搭載している“添い寝モード”を彼女はとても楽しんでいるのだった。

 

 ほむらは、ヘラヘラ笑いながら100インチのテレビ画面に話しかけていたが、ふとあることに気付く。

 

(そういえば最近、好感度確認魔法を使ってなかったわね)

 

 皆と再び友達になれたあの日以来、彼女は例の魔法を使用していなかった。

 それは、友達の気持ちを盗み見るような行為をしたくなかったからであり、ただでさえ隠し事だらけの自分がこれ以上秘密を増やすのは、もうウンザリだったからでもある。

 

 ほむらは瞑目する。そして、少し考えた後、画面に向かって話しかけた。

 

「ねえ、テミス。人の気持ちを勝手に覗くのは、悪いことだと思う?」

 

 それはゲーム側で想定されていない会話パターンであり、適切な答えが返ってくるわけがない。そう、ほむらは思っていたのだが。

 

『ほむら。善いか悪いかは、あなたが一番分かっているはずです』

 

 朗々とした声が響き渡り、ほむらは、はっと息を呑む。

 そう、とっくの昔に答えは出ていた。

 

 ほむらは半身を起こし、静かに意識を集中し始める。そして、ぐっと魔力を込め、目標の術式が雲散霧消するのを確認する。

 好感度確認魔法は消滅した。もう2度と使うことはできない。使う必要などないのだ。こんな魔法に頼らなくても、彼女達は友達でいてくれるのだから。

 

 ほむらは大きなあくびをひとつすると、安心して眠りにつくのだった。

 

 

 

「ねえ、近頃マミさんの部屋でキュゥべえを見掛けないんだけど、あいつどこに行ってるの?」

 

 翌日、土曜日の午後1時過ぎ。

 ほむら、マミ、まどか、さやか、杏子の5人は、巴マミの部屋で三角テーブルを囲んで座っていた。その、あまり機能的とはいえないテーブルの上には、紅茶と気合入りまくりのケーキが用意されている。

 

「うーん……、私も知らないの。もう、キュゥべえったらどこにいるのかしら。そろそろグリーフシードもいっぱい集まってきたから、渡しておきたいのに」

 

 マミは、さやかの問い掛けに悩ましげに答えた。

 

「あんな奴のことなんてどうでもいいでしょう」

 

 冷酷な発言をするほむら。彼女は静かに紅茶を口にした。

 

「……ねえ、前から思ってたんだけど。あんたってキュゥべえのこと嫌いなの?」

「キュゥべえを好きな奴なんて、マミくらいだろ」

「佐倉さん、そういう言い方はやめて欲しいわね。キュゥべえは私の友達なのよ」

「えっと、わ、私もキュゥべえは白くて小さくてかわいいかなって……」

「駄目よまどか、あんな害獣のことを――」

 

(あれ? まどかは私達が魔法少女であることやキュゥべえのことを――)

 

 知っている。そうだ、まどかは転校してきてすぐに契約して魔法少女になったのだ。そうだったそうだった「そうだったよね、ほむらちゃん?」そうだった。なぜ疑問を感じたのだろう。不思議だ。

 

「あいつってマミさんの部屋に住んでいるよね?」

「住んでいるって訳じゃないわ。でも、私は子供のときからずっとキュゥべえと一緒だったの。家族も同然よ」

「あたしは、アレのことはあまり信用してないね。なに考えてるのか分かったもんじゃない」

「それで正解よ。あんな正体不明の生き物を信用する理由なんてどこにもないわ」

「あら、理由ならあるわ。キュゥべえは私の命の恩人よ」

「人じゃないわ、動物よ」

「じゃあ、キュゥべえはマミさんのペットかな。あはは……」

 

 言いたい放題の少女達。そして、言われたい放題のキュゥべえ。

 女の子同士の会話は、この場にいない人物を話題とすることが多い。そういう訳で、少女達は共通の知人であるインキュベーターの噂話で盛り上がっているのだった。

 ちなみに、キュゥべえはくしゃみをしなかった。

 

 

「……マミ。ちょっとお手洗いを借りるわね」

 

 悪魔と言えども自然の欲求には逆らえない。ほむらはそう言って、そそくさとリビングを出て行った。

 気心の知れた友達とのお喋りは楽しく、時が経つのも忘れて話に花が咲く。気が付けば時刻はすでに午後3時半。皆が集まってから2時間以上が経っていた。

 

 ほむらが席を外した後、なぜか急に場がしんと静まり返る。暫くの間誰も言葉を発しなかったが、やがて杏子がニヤニヤ笑いながらさやかに話し掛けた。

 

「で、あいつの何がおかしいって?」

 

 女の子同士の会話は、この場にいない人物を話題とすることが多い。

 

「あんたねえ……、ここでソレを聞くの?」

 

 さやかは、まどかをチラリと見て言った。そして、大きなため息をついてから言葉を継いだ。

 

「今思えば、あたし……、ほむらにすっごく酷いことしてた。何でか分かんないけど、アイツからまどかを守らなくちゃって……。アレはホント、何だったんだろう……」

 

「ハハッ、酷い妄想だったな。守るって何だよ、ほむらは悪い奴じゃないだろ」

「さやかちゃん。だから言ったでしょ。ほむらちゃんは悪い人じゃないって」

「フフ、暁美さんは本当に鹿目さんと友達になりたかっただけのようね」

「でも――」

 

 杏子もマミも、ほむらのことを何かおかしいと言っていなかったか。と、さやかは言いかけてやめた。なぜなら「ほむらちゃんはおかしくないよ。さやかちゃん」ほむらはおかしくないから。彼女達の友達だから。

 

「ほむらちゃんは、みんなと友達だよ。ね、ほむらちゃん」

 

 まどかは、リビングの扉の向こうでドアノブを握り締めたまま突っ立っている誰かに向かって話し掛けたのだった。

 

 

 

 時刻は午後7時。

 この上なく上機嫌で帰宅したほむらは、鼻歌交じりで玄関からリビングまでスキップして移動すると部屋の照明を付けた。

 

「やあ、おかえり。ほむら」

 

 キュゥべえがテーブルの上でちょこんとお座りしていた。

 ほむらは「ひっ」と短い悲鳴を上げる。

 

「ちょ、ちょっと、驚かせないでちょうだい! ……じゃなくて! 部屋に勝手に入っていいなんて言った憶えはないのだけど?」

 

「確かに聞いた憶えはないね。でも、勝手に入ったら駄目だとも聞いていないよ」

 

(あー……。やっぱり腹が立つわ。コイツだけは)

 

「ほむら、以前から進めていた計画が進展したからその報告をさせて貰うよ」

 

 キュゥべえは前置きなしでいきなり本題を切り出した。計画とは例の仮想現実プロジェクトのことだろう。ほむらはソファーに腰掛けると、目の前の小動物に話の続きを促した。

 

「現段階でゲーム事業は一区切りついたと言っていいだろう。プレイヤーが何を好むのか、その傾向が大体は掴めてきたんだ」

 

「野郎どもは何が好みだったの?」

 

「“優越感”さ。方法はどうあれ、人間は結局のところ自分が他人よりも優れていることを証明したがっている。人は自分の子孫を残すために生きているわけだから、自身の優位性を他者、特に異性へアピールしなければいけないからね。そして、男性の場合はその自己証明のやり方が武力に向かいやすいという傾向があったのさ。もちろん、例外はいくらでもあるけどね」

 

 もしそれが正しいのなら、インキュベーターの構築するバーチャル世界は、暴力が支配する殺伐とした世界になりそうなのだが。

 

(ま、しょせん仮想は仮想。現実じゃないから後でどうとでも改変できるわけね)

 

 ゲームと同じだ。不具合が出たら修正すればいいだけだ。

 

「現在は、ロケット発射場を建設するために土地の買収を始めているところさ。建設予定地は鹿児島県肝属郡肝付町で総面積は10k㎡。完成予定は用地買収の進捗次第だけど5~7年後を目指しているんだ」

 

(え? ロケット……? 何の話なの?)

 

「ああ、もちろん僕達自身は、宇宙へ行くためにわざわざ宇宙船なんか建造する必要はないよ。〈転移ゲート〉があるからね。僕達は人類の前に姿を現すわけには行かないから、君達の技術レベルに合わせて事業を進めているのさ」

 

「……待って、意味が分からないわ。どうして宇宙へ行く必要があるの?」

 

 ほむらは、なんだかんだでわりとこの仮想現実計画に興味があるようだ。けっこう真面目にキュゥべえの話を聞いていた。

 

「色々と訳はあるけど主な理由は、地球上に仮想現実装置を設置したら面倒が起きるかもしれないからだね。僕達が提供する予定の仮想現実は、現在の人類の科学技術では実現不可能なものだ。だから、人類が容易に手を出すことのできない場所に装置を置いたほうが安全なんだ。仮想現実の世界へ行きたい人達は、まず初めに衛星軌道上へ行ってもらうことになるのさ」

 

 そんな大規模な計画を最短5年で実現させようとは、インキュベーターも本格的に地球侵略に乗り出してきたということか。

 さすがに、話が大きくなり過ぎたかもしれない。この辺で一度釘を刺しておいた方がいいだろうとほむらは考えた。

 

「その仮想現実装置に接続させる男達のことだけど、本人の自由意志に基づく合意を必ず確認しなさいよ。あと、あなた達の目的もちゃんと説明した上でね」

 

「了解したよ。まあ、“感情エネルギーを回収したい”とは公言できないから別の言い回しを考えることになるけど」

 

(よし、これでそんなにおかしな事にはならないでしょう)

 

 ほむらは、これだけで主人の務めを果たした気でいるようだった。

 

「ところでほむら、君に聞きたいことがあるんだ」

「何よ?」

 

「仮に、何でも自分の思うがままに出来る仮想世界があるとしよう。そして、その仮想世界は現実と見分けがつかないほどリアルだとする。でも、そこへ行くためには“現実”を放棄しなければいけないんだ。地球を離れ、宇宙ステーションに行き、そこに設置してある装置に自身のすべてを委ねなければいけない。死ぬまで一生装置に接続されたままだ。生きる権利も死ぬ権利も、すべて他者へ預けなければならない。そんな条件でもなお、その仮想世界へ行きたいと思う人間――いや、行く人間がいると思うかい? ……ああそうだ、料金は無料で、さらに自宅までの特別送迎バスも用意することにしようか。どうだい?」

 

 キュゥべえは“仮に”と言っていたが、要はこの仮想現実計画に参加する人間が本当にいるかどうかを知りたいのだろう。

 

「そんな人はいない。と言いたいところだけど、ゼロではないでしょうね」

 

 この計画の参加条件は、お気軽にバーチャルワールドを楽しもうという人間を初っ端から排除している。おそらく、マジの本気でイカれた連中のみを対象としているからだろう。

 そして、そういった奴らが少なからず存在していることも確かであり、ほむらが“ゼロではない”と言った理由もそこにある。

 つまり、世の中色々な人達がいるのだから、何が起きたとしてもおかしくはないということ。何事にも極一部の例外が存在するということなのだ。

 

「そうであればいいけどね」

 

 と、キュゥべえは言った。

 ほむらは、いいわけないだろ、と思った。

 

 

 

「それで、ここからが本題なんだけど」

 

 入浴を済ませたほむらがパジャマに着替えてリビングに戻ると、キュゥべえが話の続きをするために待ち構えていた。

 

「……あなた、まだいたの? というか話は終わってなかったの?」

「君が“ちょっと待ってなさい”と言ったから、32分15秒間待たせて貰ったよ。どうやらお風呂だったようだね」

 

 ほむらは、“お風呂”という言い方がちょっとかわいいなと思った。

 

「で、何の話なの? 報告は済んだのでしょう?」

 

 ソファーに再び腰掛けるほむら。風呂上りの心地いい気だるさもあって、彼女はだらしなく背もたれに身を預けた。

 

「仮想現実装置の試作品が完成しているから、ぜひ君に体験してもらおうと思ってね」

 

 キュゥべえはそう言って、小さな背中に描かれている奇妙な模様から、輪っかのようなものをほむらに向かって射出する。ほむらは、高速で飛んでくる何かを片手で素早くキャッチした。

 それは、直径20cm程の黒いリングだった。材質は分からない。表面は光を反射していないかのように光沢がまったくなかった。

 ほむらは、その腕輪のようなものを色々な角度から観察してみたが、特に変わったところは見つからなかった。

 

「……この装置はどんな仮想世界に繋がっているの?」

「それは、見てのお楽しみさ」

「は? ふざけてないで今すぐ言いなさい――」

「今すぐ言えるような内容のものじゃないのさ」

『ほむら、僕は嘘をつかない。君に危害を加えることはない。いや、“できない”んだ』

 

 キュゥべえが、ほむらの発言を遮るようにして通常会話と念話を同時に被せてくる。宇宙人がこのような振る舞いをしたことは、これまでにない。

 キュゥべえは、なんとしてもほむらに装置をつけて欲しい、そしてそれはほむらに危害を加えるためではないと訴えているのだ。

 何か裏がある。ほむらはそう思ったが――

 

(でも、だからこそ逆に信用できるとも言えるわ。コイツが何かを企んでいるとして、こんなにもバレバレの罠で私を陥れようとするわけがない)

 

 つまり、キュゥべえにとってこの訴えは、ほむらが拒否するだけで棄却される不確実なものであり、不本意ながらも、このような形で何事かを訴えざるを得ない理由があるということ。

 ほむらが、どれだけキュゥべえを信じることができるか。それですべてが決まる。

 

(でも、まあ……たまには、コイツのことを信用してみましょうか。それに、仮想現実世界というのも見てみたいし……)

 

 彼女は〈キミガヨ〉の世界を思い浮かべた。できれば、あの世界に行ってみたいものだと思った。

 ほむらは決断した。仮想世界へ小旅行してみよう。

 

「それで、このリングをどうするの?」

 

「簡単だよ。そのリングを腕に通せばいいのさ」

 

「分かったわ。ブレスレットなのね」

 

 ほむらはリングを装着した。

 そして、深淵に潜る――

 

 

 

「――それで、このリングをどうするの?」

 

「簡単だよ。そのリングを腕に通せばいいのさ」

 

「分かったわ。ブレスレットなのね」

 

 ほむらはリングを装着した。

 そして、深淵に潜る――

 

「――それで、このリングをどうするの?」

「簡単だよ。そのリングを腕に通せばいいのさ」

「分かったわ。ブレスレットなのね」

 ほむらはリングを装着した。

 そして、深淵に潜る――

 

「――それで、このリングをどうするの?」

「簡単だよ。そのリングを腕に通せばいいのさ」

「分かったわ。ブレスレットなのね」

 ほむらはリングを装着した。

 そして、深淵に潜る――

「――それで、このリングをどうするの?」

「簡単だよ。そのリングを腕に通せばいいのさ」

「分かったわ。ブレスレットなのね」

 ほむらはリングを装着した。

 そして、深淵に潜る――

「――それで、このリングをどうするの?」

「簡単だよ。何度も言うように、そのリングを腕に通せばいいのさ」

「……? 分かったわ。ブレスレットなのね」

 ほむらはリングを装着した。

 そして、深淵に潜る――

 

 ほむらはリングを装着した。

 そして、深淵に潜る――

 

 ほむらは深淵に潜る――

 ほむらは深淵に潜る

 ほむらは深淵に潜

 ほむらは深淵に

 ほむらは深淵

 ほむらは深

 ほむらは

 ほむら

 ほむ

 ほ

 

 

 

「――それで、このリングを……」

 

「……どうかしたのかい?」

 

 ほむらは黒いリングを見つめたまま凍りついている。そして、渾身の魔力を込めてリングを握りつぶした。

 それを見たキュゥべえが、呆れたと言わんばかりの口調でこう言った。

 

「やれやれ、無事に自我を形成できたようだね。想定よりも深部まで潜行してしまったから少し焦ったよ」

 

「どういうつもり? 私に何をしたの?」

 

 ほむらの言葉には容赦のない響きがあった。返答次第ではただで済まさない。そんなオーラを放っていた。

 

「ここは君の意識の深部だよ。リングを装着すると君の意識内に構築した仮想現実に移行することになる。そしてさらにその仮想現実内で仮想現実に移行する。そしてさらに――と何度も繰り返し潜り続けた先がこの場所なのさ。僕はここにちょっとした用事があってね。お邪魔させてもらったんだ」

 

 自分の意識の中。ほむらはそう言われて周囲を見回した。何もかもが黒一色に染まっている。上下左右も分からない。彼女はいつの間にか、別世界にいた。

 その、暗黒の空に小さな白いシルエットが浮かんでいる。キュゥべえだ。宇宙人は真紅の瞳を爛々と輝かせ、ほむらを見つめていた。

 

「ほむら、すべてを論理的に説明することは難しい。ここは君の意識の中だ。だから僕も君の意識を借りて、言葉を選択しなければいけないからね」

 

 そして、キュゥべえがほむらの心に語りかけてくる。

 

 先に結論から言うよ。僕が君の深層意識に来た目的は、僕達インキュベーターの存在情報をこの場所に保存しておくためなんだ。それともうひとつ、君との会話をまどかに聞かれたくなかったという理由もある。彼女は、君のプレイベートは尊重しているだろうからね。深層意識まで覗くような趣味はないはずさ。

 

 なぜ、まどかに話を聞かれたくないのか。それはこの世界が“彼女が君に見せている夢”だからだ。つまり、僕達は女神の作った幻を見せられている。世界の支配者は君じゃない、まどかだったんだ。

 それに気付いたのは、1ヶ月ほど前。君に妙な魔法を掛けられた時だ。実は、あの魔法を掛けられた時、僕達インキュベーターに感情が芽生えたんだ。その想定外の出来事に僕達の中枢は混乱した。なぜなら、それは君が想定していた魔法の効果と異なっていたからだ。

 僕達は、君がブツブツと独り言を言いながら新魔法を開発していたから、当然何を目的とした魔法なのかは事前に把握していたんだ。だから、感情のない僕達に好感度確認魔法とやらを使用しても結果は【0】でしかありえないと考えていた。そのはずなのに実際には【1】だった。ああ、これは今君の記憶を覗かせて貰ったから分かったんだけどね。

 

 本当は【0】だったんだ。でも、世界が改変されて【1】になった。それは君がそう望んでいたから、まどかがそれに応える形で世界改変を行ったことを意味する。

 おそらく、君は皆から好かれていたいと考えていて、その“皆”には嬉しいことに僕も含まれていたんだろうね。

 僕達インキュベーターは、自身の存在情報を様々な場所に様々な方法で保管している。だから、地球から発信された情報改変の伝播が、最初期宇宙に設置してある記憶装置に辿り着く前に、情報改変が行われたという事実そのものを記録することが出来たのさ。

 

 その後は、君の動向をずっと観察していたんだ。そうすると、やっぱり君の意思とは無関係に君にとって都合のいい世界改変が何度も行われていた。この宇宙の法則を改変可能な存在。宇宙の法則に縛られない特異点。そんな存在は2人しかいない。すなわち、暁美ほむらか鹿目まどか、このどちらかが世界を操作している。

 どちらかなんて明らかだ。まどかだよ。君はまどかに囚われている。悪魔は女神の虜囚となっているんだ。あるいは保護されているのかもしれないね。眠っている君の枕元に座って、君の心を傷つけないような夢を見せているんだ。

 

 もし君が真実を選択するのならば、君は夢から覚め、この世界は崩壊するだろう。僕達はそのときのために自身の存在情報を君の深層意識に保管しておくことにした。こうしておけば、君が消滅しない限り僕達は存続できる。

 

 え、なぜ、黙って存在情報を保存するだけじゃなくて、言わなくていいことまでわざわざ教えたのか、かい。

 決まってるじゃないか、僕は君に真実を選択して欲しいからだよ。僕はもう感情を持っているんだ。神に囚われた悪魔が見る夢の中にいるなんてゾッとするよ。僕は、神か悪魔かどちらか御一人様でじゅうぶんなのさ。

 

 ほむら。君は選択しなければいけない。

 真実か虚偽かどちらかを。

 ここは君に優しい世界だ。君は皆と友達だし、まどかと楽しく学校生活を送っている。不満なんかないだろう。でも、虚偽だ。夢だ。仮想現実だ。現実じゃない。

 真実があるから虚偽がある。虚偽は真実がなければ存在し得ない。両者はちょうど光と影のような関係だ。君は、そんな偽りの世界で永遠に過ごすつもりなのかい。

 

 いや、この偽りの世界で、君が感じた喜びや悲しみまでもが幻だと言っている訳じゃない。それは、君にとっての真実だから、君にとっては確かにあったことなんだ。

 でも、僕が言いたいのはそういうことじゃない。君の主観の話じゃないんだ。

 現実というものは、真実というものは、君が存在しようがしまいが、僕が存在しようがしまいが、そんなこととは関係なしに存在する。

 それこそ、僕が求めるもの。

 とある事実に価値があるかどうか、それをどこかの誰かが決めたからといって、それはその誰かの思い込みでしかない。僕は、そんなことを問題にしてないんだ。

 真実は、真実であるというだけで絶対の価値を持つ。

 

 僕が言いたいことは、これですべてさ。

 

 ほむら、あとは君が選択するだけだ。

 

 

 世界に光が満ちて、ほむらの意識が呼び覚まされる――

 

 

 

 その日の夜。ほむらはソファベッドに横になり、〈キミガヨ〉をプレイしていた。

 今日は久しぶりに、通常のアドベンチャーモードを選んだ。

 ほむらは、テキストを読み進める。

 すると選択肢が現れた。

 

 ほむらは、じっと画面を見つめている。照明が消された室内で、テレビ画面の光がほむらを青白く照らし出している。ほむらは選択肢を見つめ続ける。じっと、見つめ続けている。

 

 そして、フッと妖しげに笑う。

 

 

 

「始めましょうか。新しいゲームを――」

 

 

 この世はほむらのシミュレーション。

 

 世界の全ては、彼女の脳内で完結している。

 

 

 

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