固有名詞が少しだけあります。パラメータはないです。
はい。
予定通りゲームの世界にログインしたよ。この世界ではログアウトしてから三日経っているはず。本さんで確認すると間違ってなかったので一安心。
俺はベッドから起き上がると、軽く体を動かしてみる。ゲーム内でのストレッチに意味があるのか、と言われたらわからないんだけど。久々だからね、確認の意図を込めてるよ。
華奢な肢体にふわりと靡く黒髪。黒い宝石がついた左手のブレスレットと指輪を見ると戻ってきたなぁという感じがする。
またラナカちゃんとして過ごせるのが楽しみだね。
あ、前回貰ったバレッタもつけちゃおう。うん、可愛い。流石ラナカちゃん、俺の理想の美少女だ。
窓の外は結構明るい。
雑貨屋さんはもうオープンしちゃってるかな?
階下に行くと、机の上にエリュークさんからのメモがあった。ペーパーウェイトとしてなんかつるっとしてる銀色の物体が置かれている。果物っぽくて可愛い。
おお、エリュークさんって文字もおしゃれなんだ。素敵だね。メモって俺が貰っちゃってもいいのかな?一旦インベントリにしまっておこう。
メモに従って用意してもらっていた朝ごはんを食べる。うーん、エリュークさんのごはん美味しすぎる。現実でもエリュークさんのごはんが食べられたらいいのに。このゲームで作られるごはんを提供する食堂とか展開してくれないかなぁ。もしあったら通うんだけど。
それに、これまではエリュークさんとお話しながら一緒に食べてたから、ひとりの食卓は少しだけ寂しいね。
あ、美味しいごはんを食べながら自分で味気なくさせる思考をしてた。危ない危ない。
でも今日から三日間はまたエリュークさんとずっと一緒にいられるからね!ウキウキが止まらないよ。
身支度を整え、赤茶色のエプロンを着ける。バイトの時間だ!働くぞー!
小部屋から店舗カウンターに繋がっている扉を開けると、目の前には背がとにかく高い男性が聳え立つ。長い黒髪を今日はハーフアップにしている。お淑やかで可愛いね。
扉の開閉音に気付いたのかゆっくりと振り返ってくるエリュークさんに、俺は自然と満面の笑みになりながら声を掛ける。
「おはようございます、エリュークさん」
「おはよう、ございます。ラナカさん…………おかえり、なさい」
「はい、ただいま戻りました。えへへ、会えて嬉しいです!今日からまたよろしくお願いしますね」
前髪で表情が一切わからないいつものエリュークさんだ。表情はわからなくても雰囲気や声音で嬉しそうにしていることがわかるのが、こちらとしても嬉しくなる。
久々に聞く低くて穏やかで艶のある良い声が沁みるね。
エリュークさんは完全にこちらを向くと、俺の手をとって繋ぎ合わせた。黒いネイルをした大きな手のひらは、小さなラナカちゃんの手をすっぽり覆ってしまうくらい。エリュークさんの体温は低めなのか触られるとひんやりして、指先でささやかに指輪をなぞられると少しくすぐったい。
「会えて、嬉しい、です」
「えへへ、わたしもです」
にこにこし合っていると、ドアベルが軽やかに鳴った。あ、俺は見たことがないお客さんだ。見たところ住民っぽいね。
エリュークさんはそれを確認すると、最後にきゅっと力を込めてからゆっくりと俺の手を離した。どことなく仕草が名残惜しそう。
「今日も、よろしくお願いします、ね」
「はいっ、よろしくお願いします、がんばります!」
お客さんの迷惑にならないよう声は控えめに、それでも心からのやる気と元気を込めて俺はぐっと拳を握った。
カウンターの中は色々と物が置かれているけれど、エリュークさんがきちんと整頓しているのでふたり並んでもそこまで狭さを感じない。元々エリュークさんの背丈に合わせて大きめにスペースを取っているっていうのもあるかも。
エリュークさんから今いらしてる常連のお客さんのことを聞きながら、この後の仕事について説明を受ける。俺は前回に引き続きお会計を主にすることになっているよ。買取とか商品説明とかはまだ知識が追いついていないからね。早めに何を訊かれてもすらすら答えられるようにしておきたいところ。
お会計といってもゲームなので、来訪者はもちろん住民も紙幣や金貨を持ち歩いているわけではない。チュートリアルで出してもらった冒険者カードが財布や口座の役割を果たしているんだって。
冒険者カードは冒険者ギルドが発行しているカードなんだけど、ギルドって国を超えてあらゆる場所に置かれている組織だしその元締めは
他にも色々便利な機能があるらしいけど、今のところエリュークさんの家に居候している俺にはそこまで関係のない話っぽい。
ちなみに、来訪者がクエストをクリアしてもらうお金は、本さんによって冒険者カードへ紐付けられているらしいよ。
「んー、おぉいエリュークさん、今ちょっといいか?前まで置いてあった金具が見当たんなくてよ」
「あ、はい。いらっしゃいませ。どれで、しょう」
お店の中をしばらく行ったり来たりしていたお客さんに呼ばれて、エリュークさんがカウンターから出て行く。
お客さんは結構背丈が小さめで棚の陰で見えなくなってしまうくらいなんだけど、響いた声は壮年の男性の声だった。小人族なのかな。
俺はその会話にこっそり耳をすましながら器具の使い方を確認しておく。本さんのメモにはいつも助けられてるなぁ。
ふむふむ、ここを立ち上げて…………読み込んで、カードを…………こう、と。うん、落ち着いてやれば難しいところもなかったよね。
商品を全部把握しているエリュークさんによってさくっと探し物は見つかったようで、お客さんがカウンターへとやって来る。エリュークさんも戻ってきて近くで俺の仕事を見守ってくれているっぽいね。ミスせずがんばるぞ!
俺はぱっと笑顔になると、はきはきと挨拶をした。
「いらっしゃいませ」
「おぉ、どうも」
お客さんはこちらを見上げると、毛量の多い眉の下で目をぱちぱちと瞬かせた。見知らぬバイトだから驚いているんだろうなぁ。どうも、新米バイトのラナカちゃんです。
商品を渡されるので先程確認したように器具を操作してお会計を済ませる。
カードだけでお釣りが出ないから簡単に終わった。俺は紙袋(用途を終えたらすぐホログラムになるらしい)に商品を包んで手渡し、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました」
「ありがとよ。ははぁ、嬢ちゃんがエリュークさんとこで新しく雇われたっていう子か」
「はいそうです。先日から働かせていただいています、ラナカといいます」
どうやら俺のことを知っていた様子。なんだろう、住民の間で噂にでもなっていたのだろうか。
でも俺特に何かをしたわけじゃないんだけどなぁ。不思議だ。
お客さんは深く頷くと、どんと自分の胸を叩いた。
「おう、俺ぁオグドだ。近くで家具作ってるからよ、何かあったら声掛けてくれや。エリュークさんとこの子だから安くしとくぜ」
「ええっ、ありがとうございます!」
からから笑うオグドさんに慌ててお礼をすると、エリュークさんが横から静かに声を掛けてきた。
「ラナカさん、何か欲しいもの、あります、か?」
「欲しいものですか、うぅん、ぱっと思いつかないです。…………あ、というかそもそもエリュークさんから借りているお部屋なのに家具を増やしても大丈夫でしょうか?」
「もちろん、いいです、よ?」
エリュークさんがゆっくりと頷くので俺ははにかみながらお礼を言った。俺の上司が優しすぎる。
興味深そうに俺らのやり取りを見ていたオグドさんは、小柄ながらムキムキと鍛えられあげた腕をあげて、ふむと顎髭を撫でた。
「なんだい、嬢ちゃんはエリュークさんとこに住んでんのか」
「あ、はい、そうなんです。わたしが来訪者だから配慮してくださって。えへへ、エリュークさんにはすごいお世話になっているんですよ」
「ほお、そりゃいいな。あれだったら2人で来るといいぜ。揃いの家具も作れるからよ」
「今度、伺い、ます」
「わ、エリュークさんと一緒に行きますね。オグドさんありがとうございます!」
お出かけ予定ができたよ。楽しみだなぁ。
エリュークさんは何か欲しいものがあるのかな。お値段次第だけど、お手頃なのがあったら俺がプレゼントとかどうだろう。喜んでくれるといいけど。
それじゃあな、と出口に歩いて行ったオグドさんは途中で振り返ると何かを思い出したのかエリュークさんを呼び寄せた。
俺にはよく声が聞こえなかったが、そのまま二人で話したあと満足したように去っていった。
ドアベルが鳴って、お店はまた魔道具の緩やかな音楽が流れるだけになる。
うーん、オグドさんも良い人だった。どんな家具を作ってるんだろうなぁ。シックなのかおしゃれなのか、もしかしたら可愛い系もあるかも?今の部屋にないものといえばランプだから、そこら辺を見ようかな。
扉前からエリュークさんが戻ってきていたので、俺はスペースを開けながら彼を見上げた。
エリュークさんがいるだけで俺はにこにこだが、何だか少しだけ落ち込んでいるような。オグドさんとの会話で落ち込むことでもあったんだろうか。
「おかえりなさい、エリュークさん」
「はい。…………ラナカさん。あの、先程は、予定を勝手に、決めてしまい、申し訳ない、です」
「?? あっ、オグドさんのところへのおでかけの話ですか?えへへ、勝手だなんて思ってないですよ!エリュークさんと一緒に行ける方が絶対楽しいですから。いつ行きましょうか?」
なんだ、そんなことか!ああよかった。エリュークさんがしょんぼりしてると悲しいよ。
俺に遠慮なんてしなくていいのになぁ。どんなことでも一緒なら楽しいって確信してるからね。
俺はエリュークさんの手をぎゅっと握って、全くもって嫌な気持ちになっていないことを伝えた。
「…………それでしたら、明後日に。オレも、ラナカさんと一緒の方が、嬉しい、です」
「お揃いですね、わたしたちの気持ち」
「ふふ、そうです、ね」
久々のエリュークさんの笑みだ。
前髪の下で微かに見える口元が柔らかく弧を描き、雰囲気が一気に華やかになる。密やかに零される笑い声は耳が溶けそうなほど優しい。
うーん、この破壊力。俺はこの笑顔を見るためだけに生まれてきたのかもしれない。
俺がほのぼのしていると、エリュークさんも元気になったようだった。
その後はまだ教わってない商品の説明を受けたり、エリュークさんが自作している商品の作り方を軽く教わったり、新たにやって来たお客さんの対応をしたりした。
お昼時になるとお店を少しだけ閉めて一緒にお昼ご飯を食べる。二人で協力してささっと仕上げ、対面で座って食事をする。俺はなんだか楽しくて、作っている時も食べている今も、自分でも声が弾んでいるのがわかった。
当然エリュークさんにも伝わっていたようで、口の中のものを飲み込んだあとにゆるりと首を傾けていた。額の上の結晶のような角が光を反射してきらきらと光る。
「なんだか、楽しそう、ですね?」
「えへへ、わかっちゃいますか」
「わかります、よ。見て、います、から」
「…………朝ごはんのときはエリュークさんがいなくて寂しかったんですけど、今は一緒にご飯が食べられて嬉しいなって思いまして。うぅん、言葉にすると、ちょっと子供っぽくて恥ずかしいですね」
「そんなこと、ないです。可愛い、です、よ」
「もう、んふ、照れちゃいますよ」
「ラナカさんは、照れるのも、可愛い、です」
本気で照れちゃう。エリュークさんは相変わらず褒め上手なんだから。ラナカちゃんが可愛いのは当然なんだけど、嬉しがっているのは俺なわけで、そこを突かれるとちょっと弱くなってしまう。
俺が無言でごはんを頬張っていると、エリュークさんがこちらに視線を合わせた気がした。見えないけれど、見詰められている気配がある。
俺は目を瞬かせ、一欠片も聞き逃さないように耳をそばだてた。
「それに、オレも、嬉しい、です。ラナカさんと、一緒に、いられて」
「えへへ、エリュークさんも可愛いですね」
「そう、ですか?」
「そうですよ」
確信を持って頷く。エリュークさんは可愛いぞ!高い長身と低い良い声と穏やかなぬいぐるみみたいな雰囲気のギャップがとんでもなく可愛い。俺の人生の中で1、2を争うくらいには可愛い。ちなみに争ってるのはラナカちゃんね。
やっぱり俺たちは可愛いコンビかもしれないな!
食べ終わったら午後営業だ。
業務内容自体は午前とそこまで変わらず穏やかに時間が進む。
ふふん。今日の俺は陳列棚の日用品コーナーを覚えたぞ。一番売れる頻度が高いから早めに把握しちゃいたいって思っていたのが功を奏したね。
エリュークさんから在庫補充を頼まれたものを丁寧に並べながらふと外を見ると、まだ日は沈んでいないはずなのにあたりが一気に暗くなっていた。
ちらりと硝子窓から窺うと、空は灰色に濁った曇天模様。雨でも降るのだろうか。
ゲームの世界といえど気候は一定ではなく、環境は刻々と移り変わっていくらしい。
「あ、空暗くなってきちゃいましたね」
カウンターで細工物を作っていたエリュークさんに声を掛けると、彼は作業を一度止めて俺の近くに寄ってきた。
いつものように背が屈められるので、こちらも背伸びして顔を近付ける。
「あれは、灰の雨、ですね。今は、まだ降って、いませんが」
「灰の雨、ですか?」
「はい。魔物を活性化させる、自然現象、です。戦闘を生業にする、冒険者にとっては、危険もあり、恵みもある、のですが…………」
「ふむふむ」
「街中では、あまり、歓迎されません、ね。んん、そう、ですね。店は一旦、閉めましょうか」
「はぁい、わかりました」
よくわかってないけど、エリュークさんが閉めるべきだと思うならそうするべきだろう。
ただ自分でもちょっと考えてみる。
魔物が活性化するってことは、えーと、街の人はしばらく外に出なくなるだろうし、冒険者ギルドの方は回復薬とかが必要になるだろう。雑貨屋さんは幅広く商品を扱っているけど、来るお客さんは大体いつも決まったものを買いに来る。それが灰の雨によって崩れる、ってことかな。
俺は閉店作業を進めながら頭の片隅で思考を遊ばせた。あ、本さんが灰の雨の情報をくれてる。へえ、ランダムで訪れる戦闘ボーナスタイム、らしい。いつもより魔物が強く数が増える分、経験値や落ちる魔瘴石、その他ドロップアイテム?というのが良くなるんだって。
まあ戦闘をあんまりしない俺には直接的な関わりは薄そうかなぁ。
2回目ともなれば(本さんのメモもあるし)慣れたもの。作業はさっさか進んだ。
早めに他の作業を終えたエリュークさんは倉庫から魔法薬の在庫をいくつか引っ張り出してインベントリに詰めている。やっぱり卸しに行くのかな?
「エリュークさん、こっちは終わりましたよ」
「ありがとう、ございます。オレは、これから、冒険者ギルドに、行きます。ラナカさんも、一緒に、行きます、か?」
「はい、もちろんです!エリュークさんのそばにいさせてください」
「嬉しい、です。では、一応、こちらを」
エリュークさんによって俺の髪が優しく持ち上げられ、ほんの少し首筋にそわりとした感触がしたものの、無事に小さなネックレスが掛けられた。
ちょっと距離が近くてびっくりした!エリュークさんの髪の毛サラサラすぎる。良い匂いもした。
ネックレスの造形はというと、指輪やバレッタと同じ銀で作られたチェーンと台座に黒い宝石が嵌っている。この黒い宝石はいつものやつっぽい。エリュークさんから渡されるアクセサリーは全部素敵だなぁ。
「お守り、です」
「えへへ、ありがとうございます。でもお守りが必要ってことは危ないことが起きるんですか?」
「いえ。街中、ですので。ただ、オレが、ラナカさんを、守りたいだけ、です」
「もう、エリュークさんにはいつも守られていますね。…………でも、わたし、エリュークさんの近くが一番安心できるので嬉しいです」
「そ、うですか」
「そうです」
にこにこし合ってると、エリュークさんはハッとしたように俺から上体を起こして距離を取った。
「すみま、せん。では、行きましょう」
「はい!」
道すがら説明されたけど、エリュークさんは魔法薬師の資格を持っており、灰の雨のような非常事態(といっても最低でも月に一度の頻度で起こるらしいけど)では追加納入をしなければならないらしい。冒険者ギルドが手当をつけた割増価格になるので稼ぎ時ではあるとのこと。
大抵は普段からストックしてある余剰分だけで済むけれど、浸食する灰の雨の場合は増産する必要があるんだとか。浸食する灰の雨っていうのは、通常よりもバージョンアップした灰の雨のことだそう。
街中はすっかり静まり返っていて、お店もほとんど閉まっているみたい。まあ確かに大部分の来訪者や住民冒険者がしばらくいなくなっちゃうからね。
灰の雨自体は今日中に終わるから、その後にまたお店を開くのだとか。冒険者たちは稼いでくるからお財布も緩みやすくなるんだろうなぁ。
到着した冒険者ギルドは兎角人と喧騒に満ちていた。傍目からするとみちみちに詰まっていそうなのに、それでも滞りなくグループが出来ていたり新たに出発するチームがあったりしている。ゲーム的な処理でもされているのかな?
来訪者たちがやんややんや、俺にはわからない専門用語で会話し合っている。その端を通り抜けるように一時的に開設されていた魔法薬受付にエリュークさんが納入。ミッションコンプリートである。
受付の人は慣れた手つきで書類手続きを終えたあと、こちら、というよりエリュークさんを見上げて首を傾げた。
鱗人族なのだろう、頬や手の甲などに青く輝く鱗をつけたおっとりしたお姉さんだ。美人さんである。素敵だね。
「あらぁ、エリュークさん、今日は門外に行かないのねぇ。いつもは来訪者さんたちに引けを取らないほど狩りまくっていたじゃない?」
「いや、今日は、行かないです」
「そーお?あぁ、なるほどぉ、可愛いお嬢さんがいるわねぇ」
「門外は危ない、ので」
「んふふふ、守っているのねぇ」
おっとり受付さんはねっとりした笑みをこちらに向けてきた。なんだかほんのり背筋に悪寒が走るような、獲物を見つけたような瞳だ。
俺がぴっと背筋を跳ねさせたのに気付いたエリュークさんは柔らかにその間に入ると大きな体で視界を遮ってくれた。うう、優しい。俺は甘えるように背面部分の布を控えめに握る。
ていうか待って。
エリュークさんはめちゃめちゃ強いから灰の雨はボーナスタイム側の人だったってこと?
え、俺がいるせいで我慢させてたりしない?
確認のためにエリュークさんに声を掛ける前に、受付のお姉さんが俺に向かって声を掛けてきた。出鼻をくじかれてしまった。
「はぁい、お嬢さん。こんにちは」
「こ、こんにちは」
「んふふ、そぉんなに怖がらなくってもいいのよぉ。あたしはリーシャ。お嬢さんのお名前聞いてもいいかしら?」
「ラナカといいます。初めまして…………」
流石に顔を隠したままはよくないかなぁと思ってエリュークさんの陰から出る。でもちょっと怖いので背中は掴んだまま。あ、手を繋ぎますか、確かにその方が安心するよね!流石エリュークさん。ほっと息を吐いた。
リーシャさんは俺を素早く観察するとにんまりと目を細めた。俺がエリュークさんと手を繋いだ方がもっと、なんか、喜んでない……?何?
更にエリュークさんに近寄ると、そっと体で隠された。防御姿勢である。俺も困惑しているしエリュークさんも困惑しているぞ!
さっき付けてもらったネックレスもほんのり熱を持っている気がするし。え、お守りが発動する事態なの?
そんなことは露知らずと言わんばかりにリーシャさんがぐいっと身を乗り出した。ひい。
「あらあらぁ、ラナカちゃん。とってもとっても可愛いわねぇ。もしよかったらお姉さんと一緒に良いことしない?大丈夫、とっても素敵なことよ、痛くもないし気持ちいいから、ね?騙されたと思ってちょっとだけ、ちょっとだけでいいの」
「発情するのをやめなさい」
捲し立てるリーシャさんの頭を誰かが叩いて強制的に言葉を止めさせた。
そこにいたのは金髪に長い耳を持つ素敵なお姉さん、メリダさんだ。チュートリアルの頃からずっと優しくて頼りになる人なんだよね。
ただ発言をちょっと聞き直させてほしいんだけど。
発情って何!?リーシャさん発情してたの!?良いことってそういうこと……?
俺が目を白黒させている間に、受付同士気心が知れているのか二人はぽんぽん会話を交わしていた。
「もう、痛ぁい。何するのよぅ、メリダ」
「何するのはこちらの台詞ですよ。仕事中に何してるんです、あなた」
「健気で可愛い守ってあげたい子がいたら愛でなきゃ世界の損失じゃない」
「聞いた私が馬鹿でしたね。はぁ、ラナカさん、申し訳ございません。我がギルドの恥部をお見せしてしまいました。エリュークも突っ立ってないでさっさとラナカさんを連れていったらいかがですか」
切っ掛けを掴んだエリュークさんが優しく俺の体を反転させ、出口の方へ向けた。
「ラナカさん、行きま、しょう」
「え、えぇと、メリダさんありがとうございます。また会いましょう。リーシャさんも、では…………」
「んふふ、またねぇ、ラナカちゃん」
「ラナカさん、お気を付けてお帰りくださいね。リーシャ、あなたは仕事をしなさい」
「してるわよぉ、余裕があったから趣味を兼ねて────」
周囲に会話が聞こえていたのか、微妙にざわざわしている来訪者たちの間を抜けて冒険者ギルドをあとにする。
な、何?今のなんだったんだろうね。
ぽつぽつと降り出している灰の雨を、エリュークさんが出してくれた傘に一緒に入りながら歩いていく。
大きめの傘とはいえ、身長差もあって離れると濡れてしまうので出来るだけ距離を狭くしてくっついている。手は繋いだままだ。
「あの、エリュークさんはリーシャさんと顔見知りだったんですか?」
「顔見知り、という、ほどでは、ないです。時折、受付を担当している、くらいで…………、あんな人、とは」
「なんというか、あの、強烈な人でしたね。わたしの何が琴線に触れたんでしょう?」
「ラナカさんは、可愛い、ので」
確かにラナカちゃんは可愛いけど、なんかそれだけじゃなかった気がするというか、俺がエリュークさんに守られれば守られているほどあの人は興奮していたような。
どういう性癖?俺は大抵の美人さんは好きだけど、リーシャさんはわけわかんなくて怖かったよ。
「…………うぅん、一旦置いておきましょうか」
「そう、ですね」
「あ、そういえば」
「どうしまし、た?」
「いえ、リーシャさんが言ってたことなんですが、エリュークさんは今までの灰の雨は外で戦闘をしていたんですよね?…………その、今回は行かなくてもいいんでしょうか。もしわたしがご迷惑になっていたらと思って」
「迷惑なんて、思って、ません。オレが、ラナカさんと、居たいん、です」
はっきり断言される。
俺の胸は一気にぽかぽか暖まった。嬉しい。そうだよね、俺がエリュークさんと一緒にいたいと思うのと同じようにエリュークさんも俺といたいんだよね。仲良し!
思わず表情筋がふにゃふにゃになるのもやむなしというもの。
「えへへ、わたしもエリュークさんと一緒にいたいです。なので、灰の雨のときも戦闘ができるくらいまでは成長したいと思います!」
「手伝い、ます。また、一緒に練習、しましょう、ね」
「はい。甘えちゃいます」
「ラナカさんなら、いくらでも」
甘やかされている!エリュークさんはいつも優しい。
サーッと静かに降る雨を弾いて、傘の中は隔離された空間だった。
俺たちは他愛ない会話をしながら帰路についた。
夜ご飯を食べてお風呂からあがると、エリュークさんから一冊の本を手渡された。厚めのハードカバーに表紙は花の絵。
「あ、これって植生図鑑ですよね」
「はい。確認し終えた、ので、どうぞ」
「えへへ、ありがとうございます。しっかり覚えます」
「わからない、ことが、あったら、聞いてください、ね」
「助かります」
大事にインベントリにしまい込む。
そのまま寝ようかな、と思ったけど、お風呂に入る時に外したネックレスのことを思い出した。お守りだし付けて寝ちゃおうかな。ゲームだから寝てるときの違和感もないもんね。
「エリュークさん、お手間でなければこちらを付けていただけませんか」
「いくらでも、やります、よ?」
「やったぁ、ありがとうございます」
髪をかきあげてうなじを出すようにしてエリュークさんの前に立つ。そっと手のひらが近付いてくる気配がして、ネックレスが俺の首を通してチャリ、と付けられた。
指輪とブレスレット、ネックレスはどれも同じ種類の黒い宝石が使われている。黒の中で紫が瞬くような、星が煌めいているような、見ていて全く飽きることのない宝石。綺麗なんだよ、本当に。
「やっぱり、エリュークさんからいただくアクセサリーは全部素敵ですね」
「似合って、います、よ」
「えへへ、嬉しいです」
俺と優しく手を繋いでくれる、黒いネイルをした大きな手のひら。柔らかく指を絡めて、胸の前まで持ち上げる。
ぎゅー、と力を込めた。
「おやすみなさい、エリュークさん」
「はい。おやすみなさい、ラナカさん」
また明日もエリュークさんと一緒なら最良の一日になるだろうね。
この上なく幸福な気持ちになりながら俺は眠りについた。
続きは未定です。