死滅回游泳者:吉良吉影   作:同僚

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2018年11月12日 11:28

 

 

 私の術式の目覚めと、あの〈性質(サガ)〉の始まりは17歳の夏の日だった。

 

 男手一つで私を育ててきた親父がエジプトの出張先で購入したという〈弓と矢〉。

 親父が言うには、矢は宇宙から飛来した隕石を加工してつくられたものらしく、私からしてみれば随分と胡散臭い話だと思っていた。

 

 曰く、触れれば特別な力に目覚めるだの、人の才能を引き出すだの──近い将来、親父はセールスマンのカモにでもされるだろうと私は確信していた。実際、癌で死ぬ直前も随分と胡散臭そうな連中と関わっていたしな。

 もっとも、親父はそういう話を本気で信じている様子だったが。

 

 そして、当時の私は指先で何気なく矢尻をなぞった。

 親父の言っていることを信じたわけじゃあない。

 当時の私としては、オカルトのような非現実的な存在は信じるに値しないとさえ考えていた。

 ただ、あの頃は上手く言葉で表せない焦燥感に駆られていて、何かが変わるきっかけのようなものを、無意識に求めていたのかもしれない。

 

 だからこそ、深く考えることもなくそれをなぞったのだろう。

 その瞬間、手元がわずかに滑った。

 

 

 

 

 その日、私は親父から〈呪術〉を知り、初めて〈殺人〉という甘い蜜を堪能した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「〈████(キラークイーン)〉!………と、私はこいつを名付けて呼んでいる」

 

 私は蜚蠊の呪霊、黒沐死を見下ろしたまま、背後に立つそれへ僅かに顎を向けた。

 

 顎をガチガチと耳障りな音を立てているヤツを無視して、講義でもするように言葉を並べていく。

 

 

「そして、その能力はキラークイーン(コイツ)が触れたものを〈爆弾〉に変えることが出来る。それがなんであれ、だ。そして起爆の仕方、爆発規模、更に爆発する対象まで自由に調節出来る。その最大な弱点は爆弾にしたものを〈爆発〉させるまで他の爆弾は作れない」

 

 そこまで語ると、私はスーツの襟元を軽く整え、わずかに首を鳴らした。

 

 

「まあ、この〈術式の開示〉………といったか。己の手の内を敢えて〈晒す〉ことで術式の効果を底上げするそうだが……最もそれを君のちゃんと詰まっているかも怪しい脳みそで、今の説明が理解出来たかどうかは甚だ疑問だな」

 

 そう言って軽く視線を細めた、その時だった。

 黒沐死の背がぐにゃりと歪む。その黒い影のような体の中から、ぬるりと一本の得物が引き抜かれた。

 

 それはまるで鉈のように幅広い刃。

 しかし、その刃は普通の武器ではない。

 表面には、びっしりと白濁した粒のようなものが貼り付いていた。

 

 

 恐らくは無数の蜚蠊の卵が、粘ついた液と共に刃へこびりついている俗に言う〈呪物〉的なものだと私は即座に理解し、身構える。

 黒沐死もまたそれを片手で掴むと、不気味な関節音を鳴らしながら構えた。

 

 

「グギャ……チ……愚弄スル ナ」

 

 気色の悪い多眼が、ぎらりとこちらを睨みつける。

 そして、ヤツの体の影が、内側から膨らむように蠢いた。

 その裂け目のような隙間から、何かがぼろぼろと零れ落ちる。

 

 

 最初は数匹。

 だが、それは瞬く間に増え、地面へ広がった。

 

 黒光りする甲殻。

 絶えず擦れ合う脚の音。

 

 

 やはり、蜚蠊(ゴキブリ)だった。

 

 しかもただの虫ケラではない。

 その体表には薄くオーラのようなものがまとわりつき、動きは異様に統率が取れている。

 

 やがてそれらは道路を埋め、堤防の斜面を這い上がり、まるで黒い濁流のようにこちらへ押し寄せてきた。

 

 一匹一匹の脅威は些細なものでも、この密度で迫られれば話は別だ。

 

 そんな光景を前に黒沐死は得物を構えたまま、喉の奥で濁った笑い声を漏らす。

 

 

「喰エ」

 

 その一言で、黒い群れが一斉に動いた。

 私は舌打ちすることもなく、その様子を観察する。

 

 

「成程、それが〈呪力〉か。その呪力を一匹一匹に〈付与〉させているのだな」

 

 そう呟きながら、身体を横へ流すように跳んだ。

 堤防の縁から身を投げ出すように移動し、迫る黒い波を紙一重でかわす。

 

 

 だが着地した先の舗装路にも、すでに無数の影が迫っていた。

 咄嗟に私は足元に転がっていた小石へ視線を落とし、つま先で軽く弾き上げる。

 

 

 石が宙に浮いた瞬間、背後のキラークイーンが静かにそれへ触れる。

 それだけで十分だ。

 

 

「やれ、キラークイーン!!」

 

 キラークイーンはいわば私の分身。直接的な指示をせずとも私の意図を理解し、実行に移すことが出来る。

 

 そんなヤツの腕が静かに振り抜かれた。

 弾かれた小石は鋭い軌道を描き、押し寄せる黒い群れの只中へと飛び込んでいく。

 

 

「──〈点火〉」

 

 

 キラークイーンの人差し指が、第一関節に備わった小さなスイッチを押し込んだ。

 

 直後、轟音が弾ける。

 石は爆ぜ、爆炎と衝撃が路面ごと蜚蠊の群れを巻き込んだ。

 

 押し寄せていた黒い奔流が、中心から抉り取られるように吹き飛ぶ。

 無数の甲殻が空中へ舞い上がり、焦げた破片が辺り一面へ散った。

 

 

 一方、私はその爆風を背に受けながら、すでに前へ踏み出していた。

 

 キラークイーンは私のすぐ背後を離れない。

 この能力を維持している関係上、様々な縛りを用いた結果。キラークイーンが動ける距離は私からおよそ二メートルほどしかないのだ。

 それ故、無数の蜚蠊に囲まれているヤツを手短に始末するには遠距離より近づくのが一番だ。

 

 私は爆煙を突っ切り、堤防の斜面を一気に駆け下りた。

 焼け焦げた蜚蠊の残骸を踏み越え、一直線に黒沐死へ距離を詰める。

 

 

 当然、それを見過ごすヤツではなく、多眼が一斉にこちらを捉え、その醜悪な頭部がぎり、とわずかに傾く。

 

 次の瞬間、鉈が唸りを上げて振り抜かれた。

 幅広の刃が空気を裂き、腐臭を帯びた風圧がこちらへ叩きつけられる。

 

 

 

 覚悟していたことではあるが、少し骨が折れるな……

 

 

 常に学校のマラソン大会で3()()をとりつづけてきた学生時代よりも体力が落ちている身だ。

 毎朝の通勤時間中のウォーキングと、毎晩寝る前のストレッチ以外の運動をしておくべきだったかもしれない──そんな考えが頭をよぎる。

 

 だが、所詮虫ケラが人の形を成しているだけなヤツの動きは単調だ。

 振り下ろされる得物の軌道に合わせるように、背後のキラークイーンが一歩前へ出た。

 

 

 次の瞬間、鈍い衝突音が響く。

 キラークイーンの腕が、振り抜かれた刃を正面から受け止めていた。卵に覆われた刃先が、強靭な腕に押し止められる。

 

 その一瞬が命取りになるとも知らずにノコノコと迎撃してくるとはなッ!

 

 私はヤツの武器を弾き、黒沐死の懐へ滑り込みキラークイーンの腕が伸びる。黒沐死の胸元へ向けて、静かにその掌が触れた。

 

 

「───やったッ!勝ったッ!」

 

 私は確信する。

 これで〈終わり〉だ、と。この感触は確かに〈触れた〉。

 相手が呪霊とはいえ、この15年間味わい続けた人を殺める直前と同じ〈感覚〉ッ!

 あとはこの右手のスイッチさえ押せば───

 

 

 

 

 が。

 

 突如、武器を捨てた黒沐死は印を結び、口から呪詛のような耳障りな声が漏れる。

 

 

 

 

「”瞎”
”瞎”
”瞎”」

 

 

 

 その言葉と同時に、私の掌の下で黒い影が膨らみ、その前へ、黒い影がぬるりと割り込んだ。

 

虫の翅が生えた小人のようだが、何より目立つのは、その股にある巨大な二つの球体。恐らく式神だろうと推測したのだが、触れていたはずの黒沐死の目前にそれが出現していた。

 

 

 

「な──ッ!?いや、関係ないッ!キラークイーン!!"第一の爆弾"ッ!」

 

 

 動揺からのスイッチを押すまでの動作に僅かな遅れがあったが、それでもヤツの至近距離で爆発が弾けた。

 

 触れていた式神は、一瞬で爆炎に呑み込まれる。汚らしいの塊は内部から膨れ上がり、次の瞬間には跡形もなく吹き飛んだ。

 

 衝撃波が空気を裂き、堤防の斜面に爆風が叩きつけられる。

 

 

 

 だが、その爆煙の中で羽音が鳴った。

 

 黒沐死の背中が裂けるように開き、巨大な翅が広がる。爆発の余波に身体を煽られながらも、ヤツは反射的にそれを震わせたのだ。

 爆風に押し出される形で、黒沐死の身体が後方へ跳ね飛ぶ。

 

 焼け焦げた外殻を軋ませながら、堤防の上空を滑るように後退した。翼で空気を叩き、どうにか体勢を立て直す。

 そのまま黒沐死は私から距離を取るように地面へ着地した。

 

 

 

「……今…のを凌ぐとは。中々しぶといじゃあないか」

 

 口調はあくまで穏やかに。

 頭の中で思考を回し、私はゆっくりと姿勢を整える。

 爆煙の残滓が風に流れ、焦げた蜚蠊の匂いが辺りに漂っていた。

 

 

 ここで仕留め損ねたのは、痛いがしかし、しかしだ。状況は私が依然として有利であり、何一つとして焦る要素はない筈だ。

 そしてこの攻防の結果からヤツの取る行動は一つだけだろう。

 

 

 

 

 極力私から距離を取り、あの蜚蠊の大群での物量差に持ち込む。

 

 

 

 

 今の攻撃は決して無駄ではない。

 その証拠にヤツの背中の翅が、まだ小刻みに震えている。

 爆発の余波を受けた外殻はところどころ焦げ、動きも先程より僅かに鈍い。

 確実にヤツのダメージは深いのだ。

 

 そして、あの(くらい)と呼んでいた式神。

 アレに触れた当初は、触れた対象をすり替える能力とでも考えたが、それは違うだろう。

 

 もし完全に〈すり替え〉られるのなら、爆発そのものを避けることも出来たはずだ。

 だが実際には、爆風で黒沐死自身も吹き飛ばされていた。

 

 

 つまり、瞬間的な防御手段。

 本体を守るため至近距離に式神を〈割り込ませた〉だけであり、触れていた対象が式神へ変わったのは、その結果に過ぎないというわけだ。

 

 恐らく召喚するにしても、攻撃を一度捨て、掌印を結ぶ関係上連発できる類のものではない。

 

 そして、ヤツのあの鉈のような得物は、私の近くにある。やはり依然としてこの吉良吉影の優位性は揺るがないのだ。

 

 冷静に実に冷静に分析し終え、ゆっくりと息を吐く。

 視界の先では、黒沐死の周囲に無数の蜚蠊がざわざわと蠢き始めていた。

 

 

 

 暫くの沈黙のうち、黒沐死の背の翅が一度震える。

 次の瞬間、ヤツの身体が大きく後方へ跳んだ。

 

 そして同時に、地面を覆う黒い群れが再び動き出した。

 

 まるで地面そのものが生物になったかのように、蜚蠊が溢れ出してくる。先ほどの爆発でかなり吹き飛ばしたはずだが、それでも数は減った様子がない。

 

 

 私はそんな押し寄せる黒い奔流を前にしても、焦る様子を見せることなく黒沐死にだけ視線を向ける。

 

 あの蜚蠊の大群は〈脅威〉ではあっても、〈決定打〉にはなり得ない。

 

 キラークイーンの性質上、密集した標的ほど当然だが爆発の効率は高くなる。先程の小石一つで、あれだけの群れを吹き飛ばせたくらいにはな。

 

 つまり、他の遠距離手段を用いてこないこの物量戦は決定的な殺しの〈手段〉ではなく、時間稼ぎか、あるいは〈牽制〉。

 

 私の動きを縛り、注意を群れへ向けさせるための〈布石〉!

 となれば、ヤツは必ずもう一度、接近してくる。

 

 あの鉈の一撃か、あるいは別の手段かは分からないが、私へ距離を詰める瞬間は必ず訪れる。

 

 その時が貴様の最後だッ!

 

 

 

「グッ、ア モウ我慢 デキナイ」

 

 

 

 だがこの時、吉良吉影にとって、一つ想定外だったのは、"それ"がすぐに訪れたということだった。

 

 黒沐死はこのS結界(コロニー)において、最大の天敵ともいえるドルゥヴ・ラクダワラの結界内での生存を条件に数日間の休眠をしていた。

 

 無限の食欲を持ち、単為生殖を行う黒沐死。その覚醒直後の飢餓状態は、理性では吉良吉影とその術式〈キラークイーン〉の危険性を訴えつつも、今ここで喰らい尽くすことを決めさせた!

 

 

 

 

 一瞬にして地面を覆っていた蜚蠊の群れが、不自然に盛り上がる。

 数百、否数千の個体が互いに押し上げ合い、まるで黒い波のように膨れ上がり、その一部が弾けた。

 

 数百匹の蜚蠊が空中へ跳び、私へ向かって飛びかかる。

 

 

「無駄だッ!」

 

 舌打ちと同時に、キラークイーンが私の前方で凄まじいラッシュを振るった。空中の蜚蠊が尽く弾き飛ばされ、甲殻が乾いた音を立てて地面へ散る。

 

 だが、それで終わりではない。

 

 右から。

 左から。

 足元から。

 

 間を置いて、次々と群れが弾ける。

 

 単なる突撃ではない。

私の視界を削り、キラークイーンの動きを縛るための嫌がらせのような攻撃。

 

 

 そしてその合間に、ヤツは動いた

 黒沐死の巨体が、ぐらりと揺れる。

 

 

「…………いや、違う…ヤツは地面に立っていない。蜚蠊の群れ、その〈上〉だ!」

 

 

 黒沐死の指揮の下、無数の個体が互いに押し上げ合い、黒い足場を作り出している。

 その上へ黒沐死が乗り、脚の下で何匹もの蜚蠊が潰れた。

 

 だが群れはすぐに形を変え、また別の塊が持ち上がる。

 そしてヤツは、その上を滑るように前進し始めた。

 

 蜚蠊の群れが波のように盛り上がる。

 そのうねりに乗るようにして、黒沐死の身体が前へ運ばれていく。

 背の翅が、ばさりと震えたと思えば短く跳び上がり、次の蜚蠊の塊へと着地する。

 さらにもう一度、跳躍。

 蜚蠊の背を踏み換えながら、一直線にこちらへ迫ってくる黒沐死。

 

 

 それはまるで海の波に乗り、崩れる寸前のうねりの上を滑り続けるサーファーのように、足場が崩れても次の波へ移り、流れそのものを推進力にして進んでくる。

 

 

 

「昆虫なりに知識を絞り出したのだろうが、幾ら撹乱したところで、タイマン勝負は私の方が有利なことに変わりはないのだよ」

 

 キラークイーンに迎撃の構えを指示し観察する中、蜚蠊の波の頂で、黒沐死の巨体が身を沈める。

 次の瞬間、その喉奥からあの不快な声が吐き出された。

 

 

 

 

「”瞎”
”瞎”
”瞎”」

 

 

 

 影がぬるりと膨らむ。

 黒い流れの上、黒沐死の前方へ三つの存在が割り込むように現れた。

虫の翅を持つ小人めいた異形、あの式神だ。

 

 三体は群れの勢いに押し出されるようにして、一斉にこちらへ飛び込んでくる。

 虫の翅を震わせながら、あの股にぶら下げた汚らしいあれが蜚蠊の群れに押し出される形で距離を詰めてくる様は、見ているだけで不快感を覚える光景だった。

 

 

 

「何度やっても同じことだ」

 

 私は足元でうねる黒い波へ視線を落とし、その中から一匹の蜚蠊をキラークイーンの指先で無造作に摘み上げた。

 

 

 脳裏を過ぎるのは、15年も昔の学生時代、体育の授業で何度かやらされた遠投の感覚。

 

 それを再現するようにキラークイーンが肩を引き、軸足に体重を乗せ、腰をゆっくりと捻る。背骨の回転がそのまま肩へ伝わり、肩から肘へ、肘から手首へと流れるように力が移っていく。

 

 到底人間の腕では出せないほど滑らかな軌道で、筋肉の代わりに精密な機構のような動きが連動する。

 

 そして、腰の捻りを解放、遂に腕が振り抜かれた。

 指先が弾け、摘まれていた蜚蠊が、一直線に射出される。それは、まるでプロの投手がマウンドから放つ剛速球のようだった。

 

 黒い弾丸が空気を裂き、迫り来る三体の式神の目前へと飛び込んだ。

 

 

 刹那、蜚蠊の体が空中で膨らみ、次の瞬間には爆炎が弾ける。

 爆風が正面から叩きつけられ、翅を震わせて迫っていた式神たちが衝撃に呑まれて吹き飛んだ。

 

 焦げた殻と肉片が空中に散り、黒い雨のように地面へ降り注ぐ。

 だが、終わらない。

 

 蜚蠊の波の上を滑るように進む黒沐死の巨体が、またもや掌印の構えを見せる。

 その仕草を視界の端で捉えた瞬間、私はわずかに目を細めながら、胸の内で静かに思考を巡らせた。

 

 

 あの式神、能力は依然として不明。

 触れた対象を守るための割り込みか、あるいは別の術理か。

 いずれにせよ、黒沐死より先にこちらへ到達するのなら〈始末〉するしかない。

 

 

 

 だが同時に、それこそがヤツの狙いであることも、理解している。

 

 

 つまりこれは、牽制でも、奇襲でもない。〈作業〉を強要している。得体の知れないものを次々と差し向け、無視できない状況を作り、迎撃させる。そして、その隙を突いて、間を距離を詰める。実に単純で、確実なやり方だ。

 

 

 

「鉄ッ! 鉄ッ! 血ヲッ! 邪魔ヲスル ナァッ!!!」

 

 もう何度も見た光景だが、黒沐死の影が膨らみ、翅を持つ異形が、群れに押し出されるようにしてこちらへ滑り込んでくる。

私はその光景を見据えながら、ゆっくりと肩を竦め、小さく息を吐いた。

 

 

 

「その程度の小細工で、思考を縛れると考えるのは、少々己を買いかぶりが過ぎるんじゃあないか?」

 

 私は視線をそちらへ向けたまま、足元でうねる黒い群れへと指先を差し込んだ。

 

 次の瞬間、キラークイーンから再度黒い弾丸が一直線に飛ぶ。

 だが、今度は式神の目前でそれが膨張した。

 

 爆炎が一気に膨れ上がり、衝撃波が堤防の斜面へ叩きつけられる。

 三体の式神はその爆風の正面に巻き込まれ、翅を引き裂かれながら空中で弾き飛ばされ、黒煙と焦げた破片の中へ消えた。

 

 そして爆発の余波は、式神だけでは終わらない。

 

 足元で蠢いていた蜚蠊の群れそのものが巻き込まれ、何百という個体が一斉に吹き飛び、黒い殻が空中へ舞い上がる。

 

 

 煙、焦げた殻、黒い破片。

 それらが入り混じり、視界を覆う濃い煙幕のように膨れ上がった。

 

 

 煙が渦を巻き、焦げた殻がぱらぱらと地面へ落ちる。その中で、私は一歩踏み出した。靴底が地面に触れるたび、甲殻が砕ける乾いた音が鳴る。

パキ、パキ、と短い破裂音のような感触。

 

 そして、その僅かな音を感じ取ったのだろう。煙の中で、黒い群れがざわりと揺れた。

 

 煙の中でも朧気に映る蜚蠊の波の上を滑る影が、進路を変える。

 

 煙の向こうで巨体がしなる。

 群れの上を滑る足場が持ち上がり、押し出されるようにしてヤツの身体が前へ運ばれる。

 

 もう既に黒沐死は腕を前へ振り下ろしていた。

 一見そこには何もないように見えるが、そこには煙幕の中を迷わず突き進む私の姿があった。

 

 

「聴コエテイ ルゾ────ッ!?」

 

 だが、ヤツにとって予想外だったのは既に〈キラークイーン〉の拳が眼前に迫っていたことだろう。

 

 振り下ろしかけていた腕が途中で軌道を失い、黒沐死の巨体が蜚蠊の波の上で大きくのけ反るようにして滑り、そのまま横へ逃れるように跳ねた瞬間、煙の中から伸びた白い拳がわずかに遅れて空を切り裂き、その背後の煙を弾き飛ばしながら通り過ぎる。

 

 

 しかし、その一撃は終わりではない。キラークイーンの拳が引かれるより先に、次の腕がすでに前へ出ている。

 白い腕が煙を裂き、続けざまに突き出される。

 

 黒沐死の巨体が蜚蠊の群れの上で滑るように移動し、頭を振り、肩をねじり、脚を踏み替え、辛うじてその拳を避けるが、避けた瞬間にはもう次の拳が迫っており、わずかな遅れがあればそのまま触れてしまう距離で白い拳が何度も何度も通り抜け、煙の層がその度に裂けては渦を巻き、再び崩れていく。

 

 私はその光景を静かに見据えながら、煙の流れを目で追っていた。

 

 

 例え、呪霊であれも動けば空気は動く。それが巨体であればなおさらだ。爆発の余熱で揺らいだ煙の層は、そこを何かが通れば必ず歪み、薄くなり、流れが変わる。その歪みの速度、広がり方、渦の巻き方。それだけで、移動速度も、進行方向すらも読み取れる。

 

 

「ナ 何故ッ 我々ノ邪魔ヲ スルッ!」

 

 まるで煙そのものを打ち払うかのように白い拳が嵐のように振るわれ、その度に煙幕が裂け、黒沐死の巨体が波の上で左右へ振られるように揺れる。

 

 

 "キラークイーン(ヤツ)に触れられたら終わる"。

 

 その事実を、黒沐死は既に骨身に沁みて理解していた。その恐怖が、ヤツの選択肢を回避だけに縛り付けていた。

 

 黒沐死はその不安定な群れの上を滑りながら、巨体とは思えぬ速度で身体をねじり続け、首を振り、肩を沈め、ぎりぎりのところで拳の嵐を避け続けている。

 

 だが、その動きに先程までの余裕はない。

 

 翅が小刻みに震え、複眼がせわしなく動き、脚の踏み替えが僅かに乱れる。

 

 回避。

 

 回避。

 

 回避。

 

 ただそれだけを繰り返す黒沐死の動きは、次第に大きくなり、荒くなり、煙の中に生じる渦も先程よりはっきりと濃く現れ始めていた。

 

 

 

 

 

 黒沐死は焦っていた。

 

 人がゴキブリを忌み嫌う負の想いから特級呪霊として産まれ堕ち、捕食者としてこれまで数多くの人間を喰らってきたが、ここに来て、己が餌として見ていた人間に対して命の危機を感じたことがなかったのである。

 

 横にも後ろにも行けず、ただその場での回避を求められる状況だったが!ここに来て黒沐死は活路を見出したッ!

 

 

 

「ガッ コレデ喰 ウッ!私ハッ! 血ノ味ガ好 キダッ!」

 

 

 

 ここであえて前に出た黒沐死。その視界には、己の得物である〈爛生刀〉!まだコレには吉良(ヤツ)にも見せてない己の()をぶち込むという最後の切り札が残っている!これさえあれば目の前で余裕こいているこの人間を貪り尽くせる!

 

 存在をかけた決死の飛び込みは、〈キラークイーン〉のラッシュを完全に回避し、その手が爛生刀に届く!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「〈キラークイーン〉は、すでにその得物に触れている」

 

 

 柄を握った黒沐死の腕が、ぴたりと止まった。

 ほんの一瞬。ほんの、刹那の沈黙だった。

 

 だが次の瞬間、黒沐死の胸部が、内側から膨らんだ。

 まるで体内に何か巨大な空気袋でも押し込まれたかのように、甲殻の内側が不自然に盛り上がる。

 

 

 

「ギ─────」

 

 その疑問を理解へ変える暇はヤツにはなかった。ただ、内部から押し広げられた破壊が一瞬で全身へ広がる。

 甲殻の継ぎ目という継ぎ目から白い閃光が吹き出し、その瞬間にはすでに構造そのものが崩壊していた。

 

 爆発は外へ広がる前に、すべてを内側から粉砕するように広がり、黒沐死という存在を構成していた質量を、細かな破片へと変換する。

 

 

 

「5点が追加されました」

 

 

 やがて煙の中に浮かんでいた巨体は、跡形もなく消えていた。

 

 ただ、爆ぜた空気の余波だけが煙をゆっくりと押し広げていく。

 煙の流れが落ち着き、それに呼応するようにキラークイーンの姿が消える。

 

 足元で蜚蠊の群れがざわめきながら散っていく。

 私はその中心に残された得物を一瞥し、軽く首を傾けた。

 

 

「……言っただろう?」

 

 

「爆弾になるのは一瞬だ、と」

 

 

 

 

 ゴキブリ特級呪霊〈黒沐死〉死亡

 

 

 

◀◁◀◁◀To Be Continued…







吉良吉影

突如、父が呪詛師であることを17の夏にカミングアウトされ以降、自身も術式を用いた連続殺人を行う呪詛師として暗躍している。
式神扱いのキラークイーンに対して、様々な縛りを用いることで残穢さえも全く残らず、今日に至るまで生きてきた。


ジョジョ4部での最初の犯行は、スタンドに覚醒しておらず、凶器はナイフだけだったが、この世界線だと術式に覚醒した状態で犯行に及んでおり、とある一家全員を殺害している。近所の人たちからは突然理由もなく失踪した奇妙な一家として認知されている。


黒沐死

領域なしでS結界の四天王を張っていた呪霊。思ったより耐えた。書いてていつ死ぬんだと思っていた。
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