家族の愛は空より高く/チ。二次創作現パロ【フポラ家族愛】 作:すう
パキ。
「ああ、失礼」
白い粉が散らばる。
割れたチョーク。
塾講師の仕事中、ポトツキは落としたチョークを屈んで拾う。
「では続きを――区分求積法とは何か? それは、無数の小さな積み重ねで、全体を近似する方法である」
滑らかに舌の上を説明が流れる。
学生たちの目は数式を解く手に注がれる。
学生の眼鏡が蛍光灯の光に反射して、いつかの記憶に重なった。
学長の、眼鏡の奥の冷たい目。
冷たい声。
白い粉。
白い蛍光灯。
白く小さな手が、腕を掴む。
「なんだ?」
学生のざわめきに意識が引き戻される。
「……猫だ」
「猫?」
そう言った瞬間、ポトツキの視界を白い塊が覆う。
「――!?」
教室に突如乱入した無法者は、白い猫だった。
ポトツキは引っ掻き傷を消毒してもらいながら、乱入者を見つめる。
昨日、フベルトが拾った猫によく似ている。しかし、首輪は見当たらなかった。
猫は瞬きもせず、ポトツキを見つめ返している。
「その子、お知り合いなんですか?」
消毒の手を止め、事務の女性が猫の様子を見て言った。
「まさかなぁ」
警察に届けると言っていたし、フベルトがついている。
問題はないはずだ。
しかし、ポトツキの手はスマホに伸びる。
「ポトツキ先生」
名前を呼ばれた。
眼鏡をかけた学生が、ポトツキを気遣いながら控え室に顔を出す。
眼鏡のレンズが蛍光灯を弾く。
「先ほどの問題で質問が……」
「ああ、すぐ行くよ」
朗らかに、笑って応える。
スマホは上着に仕舞われた。
愛娘の写真を眺め、缶コーヒーを啜る。
苦いだけの舌の上に、それだけで甘さが乗る。
もうすぐ四歳になる娘が、写真の中ではにかんだ笑みを浮かべる。正直、この子を守るために、この街の治安を守るのが使命だと思っている。
押し付けられた無茶な仕事にも耐えられる。
飲み終わった缶をゴミ箱に捨て、腰を伸ばす。
近くで起こった窃盗事件。その聞き込みの続きに取り掛かる。
金持ちの家を選び、根こそぎ持ち去る。素人の手口ではない。
とはいえ窓は破られ、目撃者もいる。アラが目立つ犯行だ。
こうして地道な聞き込みを続けていけばきっと突破口が見つかるはず。
その時、目の前を二人組が歩いて通り過ぎた。
歩幅の合わない、背の高い男と少年。
兄弟にしては年が離れているし、親子にしては年が近いような。というか似ていない。
ランドリーバスケットに入っているのは洗濯物ではなさそうだ。
目だけで追っていると、彼らの背後を男が歩く。帽子を目深に被り、スマホを見ているようだが、画面は暗い。
「……」
完全に通り過ぎたのを確認すると、自身もその後に続いた。
何者かに追われる二人組は、猫を運んでいるらしかった。
会話の途中で、猫はするりとどこかへ消えてしまい、追っていた連中は二人を置いて、猫の方を追いかけて行った。
ノヴァクの勘が、奴らを追えと囁く。
二人に別れを告げたノヴァクが、離れたところで振り返る。
少年は、猫が逃げた瞬間も、表情を崩さなかった。
空になったバスケットを抱えた少年と目が合う。
笑っている。
何かがノヴァクの脳を引っ掻く。
だが、確証がない。
フベルトが大通りに出た瞬間、白ワゴンが目の前を横切った。
そのまま角を曲がる。
ゆるく徐行しながら、何かを探すように進んでいく。
フベルトが同じ方向へ歩き出した。
「どこまで掴んでるんです?」
小走りで追いながら、ラファウは背中に問いかけた。
返事はない。
フベルトは歩幅を変え、ちらと背後を見下ろす。
「……手を抜いたゲームでいいのか」
風に紛れた低い声が届く。
ラファウは目を細める。
その時、ブレーキランプが再び赤く灯る。
道に猫が飛び出した。
白ワゴンが一瞬止まる。
赤茶の猫が、悠然と横切る。
白猫ではない。
ランプが消える。ワゴンは再び動き出した。
フベルトが猫の行く先を眺め、その視線をワゴンの運転席に向ける。
運転席の男の視線が、こちらを向く。
目が合った。
直後、高いエンジン音が響いた。
「徒歩だと追いつけませんね」
ラファウが踏み出しかける。
「待て」
襟首を掴まれ、物陰に引き込まれる。
視線の先。
さきほど声をかけてきた男が、路地から出てくる。
履き潰したスニーカーで、苛立たしげにゴミ袋を蹴った。
ワゴンはその男とは逆方向へ右折し、視界から消える。
「……」
スニーカーの男は、ワゴンを追わない。
一瞥すらくれず、再び路地へ戻る。
フベルトの視線が止まる。
正面。
黒服の男が、こちらへ向かって歩いてくる。
一定の歩幅。迷いがない。
「逃げるぞ」
「え」
「気付かれた」
石畳を蹴る。
同時に、黒服の足音も速くなる。
前方の通りに、白ワゴンが滑り出た。
挟まれた。
「……!」
横の路地から、黒い腕が伸びる。
ラファウの身体が、建物の陰へ引き込まれた。
「ラファウ!」
フベルトが踏み込む。
だが黒服が一歩、前に出る。
無駄のない動きで、進路を塞ぐ。
路地の奥に、ラファウの姿はもうない。
黒服の目が、感情のないままフベルトを射抜く。
「……君、なんで追われてるの?」
ラファウを物陰に引き摺り込んだ男は、すでに地に伏している。
ノヴァクは背広の埃を払った。眠たげな目が、ラファウを射抜く。
「多分、これのせいかと」
袖を捲る。
赤いバングルに、白い真珠が光る。
「……そういうのは警察に言ってもらわなきゃ困るよ」
「今、言いましたよ」
一瞬、押し黙る。
ノヴァクは腕輪を見る。
次にラファウの顔を見る。
息は上がっているのに、目は穏やかだ。
「模造品です。博物館の展示品の。価値はありません」
「……価値があるかどうかは、君が決めることじゃない」
青い目を細め、返事の代わりに口角を上げる。
背後で足音が近づいてくる。
複数。
ノヴァクは舌打ちし、ラファウの肩を掴んだ。
「走れるな」
「はい」
後ろを振り返らない。
ノヴァクはその横顔を見た。
(こいつ)
追われている顔ではない。
黒服たちは、深追いしなかった。
フベルトの進路を塞いだまま一定の距離を保つ。
全員が同じイヤーピースを着けている。
次の瞬間、全員が同時に退いた。
舌打ちを一つ。
狙いはラファウの方か。
追おうと踏み出した瞬間、ポケットが震えた。
着信。
知らない番号。
「はい」
『今、ノヴァクさんと一緒にいます。問題ありません』
背後で物音。怒号。足音。
「……騒がしいな」
『少し。では、僕は忙しいので』
通話が切れる。
――捕まってはいない。
間を置かず、再び振動。
今度はポトツキだ。
「はい」
『今どこにいる?』
ラファウを追いかけながら、手短に現状を伝える。
腕輪のこと。
追われていること。
先ほど囲まれたこと。
「ラファウは警察関係者と一緒だ。今のところはな」
要点だけを伝える。
電話の奥で、呻き声がする。
『……警察と、一緒なんだな?』
「はい」
長い沈黙のあと、絞り出す声。
『猫は塾にいる』
一瞬、足が止まる。
「わかりました。保護をお願いします」
『私もそちらへ向かう』
フベルトの返事を待たずに通話が切れる。
すぐに位置情報を共有する。
白ワゴンは既に消えていた。
だが、奴らの目的さえ掴めれば追跡は不可能ではない。
ラファウは、既に次の一手を打っている。
盤面に役者は揃った。
フベルトは走り出す。
壮大な追いかけっこが――始まる。
ラファウは走りながら、借りていたスマホを差し出した。
「ありがとうございます」
ノヴァクは受け取り、画面を確認する。
「……ずいぶん言葉が足りないな」
「充分です。兄弟子は読み取りますから」
眉間に皺が寄る。
「応援要請は出した。警察署に向かう。君の安全を確保する」
走りながら、背後を振り返る。
四人。
そのうち一人は、あのスニーカーの男だ。
「そんなの、つまらな――」
ラファウは口元を押さえ、言葉を飲み込む。
「……いえ。大切な命がかかっています。すぐに助けないと」
「なに?」
「今ごろ、不安でないているかもしれません」
ラファウの目から笑みが消えた。
その一言はノヴァクに強く響いた。
脳裏に幼い娘の顔が浮かぶ。
夜中目を覚まし、暗闇が怖いと泣く小さな背中。
「……なら、そっちが優先だな」
「はい」
ラファウは頷く。
「その子の居場所は」
「分かりません。……でも、彼らのアジトに糸口があるはずです」
なんてことだ。
狭い部屋。見知らぬ男たちに囲まれ、声を上げられずに震える小さな背中。
そんな想像がよぎる。
ノヴァクは立ち止まり、上着のポケットに手を入れる。
振り返ると同時に、叫ぶ。
「警察だ!」
足音が乱れる。
ノヴァクはラファウの襟を掴み、路地脇へ押しやる。
次の瞬間、一人目の腕を取る。
関節が外れかけ、男が崩れる。
二人目の顎を打つ。
鈍い音。
三人目が突進してくる。
体勢をずらし、背負い投げ。
着地の衝撃で埃が舞う。
背後。
スニーカーの男が迫る。
ラファウが足を払う。
男が前のめりに倒れたところを、ノヴァクが押さえ込む。
腕を取り、固定。
「……つよ」
合間に、ラファウが呟く。
「アジトはどこだ」
返事はない。
狭い路地に響く、骨が軋む音。
「言え」
「……そ、倉庫。旧港の」
ノヴァクは片手で無線を入れる。
遠くでサイレンが鳴る。
赤色灯が、壁を赤く染めた。
倉庫の扉が破られた。
中にいた男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
制圧はものの数分。
床に伏せさせられ、次々と連行されていく。
押収品が並べられた。
宝石箱。絵画。腕時計。
被害届と照合されていく品々。
その中に、真珠の装飾具を見つけて、ラファウが目を見開く。
(あたり!)
ラファウの持つ腕輪によく似た意匠。
淡い光沢。
アコヤ真珠。
やはり模造品だ。
小さくガッツポーズ。
「……僕の勝ちかも」
「子どもは?」
ノヴァクの声が鋭く響く。
ラファウは瞬きをする。
「子どもなんて、言いました?」
空気がピシリと止まる。
「泣いているかもしれない、と」
「はい。鳴いているかも」
あっさり。
ノヴァクの口が、ぽかんと開く。
「……いませんね。猫」
「猫!?」
叫んだ時、ノヴァクのスマホが振動を告げた。
一方。
ポトツキと合流したフベルトは、白いワゴンを追っていた。
向かった先は博物館近くの貸し倉庫。
外には置き去りにされた白ワゴン。
フベルトが割り出した場所である。
人目につかず、搬入もしやすい。
絶好の場所と言える。
「フベルト、私には何が何だか」
何も説明されていないポトツキは、ただ困惑の目で弟子を見る。
「ここが本丸です」
扉は施錠されていない。
中へ。
床に運搬用の緩衝材と紐の端が散らばっていた。
棚の上には、あの白い猫が着けていたのと似た意匠の装飾具が並べられている。
一つを手に取る。
ただし、どれも作りかけであったり、形が歪であったりした。
「……遅かったか。本物は持ち出された後か」
フベルトの目が細くなる。
「ラファウは、あの子はどこに」
ポトツキが不安気にあたりを見渡す。どこにもあの柔らかな金色がいない。
フベルトはスマホを取り出し、履歴から通話ボタンを押す。
「すぐ来てくれ。文化財の不正複製の証拠をおさえた。国外搬出の可能性が高い」
『……了解。君の弟弟子はこっちにいるよ』
目だけでポトツキを見る。
「承知した」
それだけ言って通知を切る。
「ラファウは」
「……あいつは、盤面を読み違えた」
遠くからサイレンが響き始めた。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
ラファウは不機嫌そうに頬を膨らませたまま、目の前に置かれた腕輪を睨みつけている。
猫を巡る事件から三日。
三日だけは、ラファウは勝利の余韻に浸っていた。
「絶対僕が勝ったと思ったのに」
「まだまだだな」
「張り合うんじゃない」
ポトツキが大きなため息をついて、弟子達の頭を軽くはたく。
その様子を、半笑いで見つめるのが、ノヴァクだった。
彼は先日の「二つの窃盗事件」の詳細説明と事情聴取のためにポトツキの家を訪れていた。
「――つまり、犯行グループは二つあったと」
ポトツキは話を聞きながら、コーヒーをノヴァクの前に置き、自分も席に着く。
コーヒーを受け取りながら言う。
フベルトは角砂糖を落とす。
「はい。展示品を盗み出し、偽物とすり替えを行っていたグループ――今回逮捕に至りませんでしたが――と、家宅侵入して金品の窃盗を繰り返していた犯行グループです」
「たまたま盗んだのが、展示品の模造品だったと。そんな話があるんですね」
「本物と偽物をすり替え、誰にも気づかなかった事件が、模造品の盗難で戻せなくなり、事件が発覚したと。……神様はちゃんと見ているのかもしれないね」
「ま、本物は通報のおかげで、初動が早かったんで税関で没収出来たのが不幸中の幸いでしたね」
ポトツキはフベルトを見る。
ラファウは口を突き出してそれを眺める。
「で、あの猫は何者なんです。なぜ腕輪を持っていたんです?」
「それがね、あの猫、博物館に住み着いてる名物猫だったらしくて」
館長さん、と呼ばれ親しまれているらしい。
「犯行を知らせるために、うちに来たのかも知れないな」
「フベルトさんが水をかけちゃったからでしょう」
「……いや、似合うから見せびらかしたかったと言っていた」
「誰が」
「猫が」
「猫と会話できるんですか? この人」
フベルトは角砂糖を追加した。
「それで、ラファウ君さあ」
ノヴァクがやけに馴れ馴れしくラファウに話しかける。
ラファウは方眉を上げる。
「あの時、私を利用したね」
「してませんよ。僕は事実を述べただけで」
「同じことだよ」
声が低くなる。
フベルトもポトツキも、口を挟まない。
「次は……容赦しないから」
ラファウは初めて、言葉を選ぶ。
ほんの少し震えた手を、握りしめた。
「……肝に銘じます」
おしまい