家族の愛は空より高く/チ。二次創作現パロ【フポラ家族愛】 作:すう
同じ頃。
ポトツキは赤ペンを止めた。
机の上には答案用紙が積まれている。来週の模試に向けた課題である。
窓の外はすでに暗く、時計を見ると十八時を回っていた。
今頃ラファウは帰宅して、夕食を食べている頃だろうか。
嫌な予感がして、スマホを取り出す。
地図アプリを開く。
青い点が表示されていた。
ラファウの靴に密かに仕込んだGPS。
それは、自宅とはかけ離れた山中を移動していた。
「……フベルト」
すぐに通話ボタンを押す。
『どうしました』
「ラファウが帰っていない」
フベルトが押し黙る。
『GPSは』
「動いている」
『どこだ』
ポトツキは画面を見つめた。
「……山、だ」
その頃。
職場でノヴァクのスマホが震えた。
画面に表示された番号を見る。
保育園。
嫌な予感がした。
熱か、怪我か。
慌てて通話ボタンを押す。
「ノヴァクです」
『あの……ヨレンタちゃんのことで……』
担任の、若い女性の声が震えている。
ノヴァクの背筋が冷える。
「どうしました」
『その……お昼寝の時間の後、いなくなっていて……』
「なんですって」
ノヴァクの声が低くなった。
「園内は」
『全部探しました』
ノヴァクは通話を切ると、すぐに別のアプリを開いた。
地図にピンク色の点が表示される。
ヨレンタのぬいぐるみの中に入れたGPS。
その点は。
山へ向かって移動している。
ノヴァクの顔から表情が消える。
「……ヨレンタ」
トラックのエンジンが止まった。
荷台の中は耳が痛くなるほどの無音に包まれる。
ラファウはしばらく耳を澄ませていた。
外で足音が遠ざかっていく。
(今だ)
ヨレンタの手を握り、そっと立ち上がる。
暗闇の中、手探りで扉を探す。
木箱。
縄。
冷たい金属の壁。
だが、出口は見つからない。
そのとき。
外から声がした。
「荷物を降ろせ」
ラファウは息を潜める。
ヨレンタの口を軽く押さえる。
こそばかったのか、鼻をムズムズさせる。
「ふぁっ……」
(最悪だ)
ラファウは早口で囁いた。
「我慢」
ヨレンタが肩を震わせる。
「ふぁ……」
その瞬間。
ガン、と鈍い音がして、扉が開いた。
光が差し込む。
男の影が荷台に差し込む。
「……」
ヨレンタが顔をしかめる。
「へくちっ」
男と目が合った。
「……え?」
男の眉が動く。
「……子供?」
ラファウはヨレンタの手を握る。
「逃げるよ」
男の横をすり抜け、ヨレンタを抱えて荷台から飛び降りる。
「おい!!」
男の怒鳴り声が響く。
「ガキがいるぞ!」
砂利道に足を取られながら走る。
ヨレンタが抱っこできゃあきゃあ笑っている。
「わーい!」
「静かに!」
背後で怒号と共に足音が増える。
「捕まえろ!」
ラファウは森へ飛び込む。
枝が顔を叩き、頬を切る。
ヨレンタは楽しそうだ。
「ラファウ速ーい!」
「!」
ライトがラファウを照らし、思わず足が止まる。
「止まれ」
木の影から男が出てきた。
目を細め、見えた男の手元に釘付けになる。
拳銃。
ヨレンタが目を輝かせる。
ラファウは頭を抱えた。
(はい詰んだ)
男が銃を向け、ジリジリと距離を詰める。
「……僕たち、何も知りませんよ?」
ラファウはヨレンタを背にまわし、説得を試みる。
銃声。
ラファウの足元の土が弾けた。
「知られたからには、生かしちゃおけねえな」
額に硬い感触。
冷たい銃口。
男の目は迷いなく引き金を引く目だった。
ヨレンタの目が大きく見開かれる。
ふと、養父の顔が浮かぶ。
手を繋いで歩いた、いつかの記憶。
(怒るだろうな、養父さん)
ビー! ビー! ビー!
突然、背後で警報音が鳴り響いた。
「……な、なんだ?」
男の眉が動く。
森の奥から複数の足音。
枝が折れる音。
ライトが地面を転がり、視界を奪う。
男の体が横から弾き飛ばされた。
「また君か!!」
「パパぁ!」
ヨレンタがラファウの背中から飛び出した。
音源はヨレンタの持つウサギのぬいぐるみだった。
「ラファウ!」
黒髪と、豊かな口髭。
ノヴァクの背後から響いた声に、張り詰めていた糸が切れる。
「とう、さ」
ポトツキは拍手に包まれている。
数学会の発表を終え、壇上から降りたポトツキの手を握る、分厚く乾いた手。
「今回の論文も素晴らしかった。是非、私の右腕としてこれからも精進してくれたまえ」
「はい、光栄です。学長」
学長の娘が花束を抱えて駆け寄る。
先日、婚約を交わしたばかりだった。
ポトツキの未来は決まったも同然だ。
地位も。
名誉も。
少し離れたところで、背の高い男が衆目に混じって拍手を送る。目が合うと、にこ、と似合わない笑みを浮かべた。
野心に燃えた若いポトツキの前に広がるのは、高みから見下ろす景色のはずだった。
「は……今、なんと」
眼鏡の縁が冷たく蛍光灯の光を照らし返す。
学長が面倒そうに首を傾げたた。
「だから、今度の君の論文を私の名で出す」
ポトツキは黙る。
「安心しろ。悪い話じゃない」
学長は肩をすくめた。
「私の名が出れば、君ものし上がれるぞ」
ポトツキの中に、空洞が広がる。
これが。
これが、国一と呼ばれた男の正体か。
青年時代、この男の数式に惚れみ、それ以来目標としてきた。
しかしその論文も、奪われた誰かのものだったのだ。
「――ません」
「ん?」
「できません。……あれは、私と弟子のフベルトで完成させたもの。渡しません」
「そうか」
学長は書類を机に置いた。
眼鏡の、冷たい光。
「なら、君に居場所はない。
代わりはいくらでもいるからな」
サイレンの音が聞こえる。
遠のいていた意識が浮上する。
温かいコートの感触と、心臓の音。ほんのわずかなコロンの香り。
目を開ける。
ポトツキが腕の中のラファウを見ている。
ラファウは視線を逸らした。
「……すみません」
ポトツキは何も言わない。
「僕、またやっちゃいました」
「みたいだな」
低い声。
ラファウは肩をすくめる。
「養父さんが拾ってくれたのに……」
言葉を探す。
「後悔、してるでしょう」
「違う」
短い返答。
ポトツキの声に感情が滲むのを感じ、ラファウが顔を上げる。
ポトツキの目はラファウを見ていたが、もっとずっと遠くを見ている気がした。
「お前と初めて会った日のことだ」
「……え?」
「その日は、私がすべてを失った日だった」
振り翳されたナイフから逃げたあの日のことを、ラファウはもうあまり覚えていない。
選んだのか、偶々目の前の男の腕を掴んだのかすら定かではない。
ただ、その腕の主がラファウの親になってくれたことに、感謝を忘れた日は無い。
「何もかもこぼれ落ちた私の腕を、細い小さな手が掴んだ。
あの日、あの手がなければ。私はきっと、私自身まで失っていた」
その手は。
いつの間にか、こんなに大きくなった。自分よりも小さな手を守れるくらいに。
「だから、拾ったんじゃない」
ラファウの腕を優しく握りしめる。
「お前が私を救ってくれたんだよ」
ラファウは口を開く。
何か言おうとして――結局、何も言えなかった。
代わりに、ポトツキのコートを少しだけ強く握った。
赤い点滅。
救急や警察が来て現場は慌ただしい。
ノヴァクはヨレンタを抱えて指示を出す。
いつもとは違う父の姿に、ヨレンタは目を白黒させている。
「……ヨレンタ」
ひと段落したところで、ヨレンタを降ろした。屈んで目線を合わせる。
「……保育園から脱走するなんて。しかも危ない目に遭ってるなんて……パパは生きた心地がしないよ」
「……ごめんなさい」
「なぜこんなことを?」
「さぷらいずしたかったの」
「これ以上ないほど驚いたよ、ほんと」
ヨレンタがポケットから出したものを手のひらに並べる。
虫の羽。
黒い石。
ドングリ。
リボン。
そして。
鈍く光る、銃弾。
「パパの好きなもの集めたの」
「……うん」
ノヴァクが目を覆って声を震わせる。
「ありがとう」
その中の一つを摘み上げる。
「でも、これだけは没収」
「えー」
遠目でそのやりとりを眺め、ラファウが笑う。
肩にかけてもらったコートは重く、温かい。
そして思う。
(……僕は。
養父さんの好きなものを、
どれくらい知っているだろう?)
――数日後。
「フベルトさん、またマリーさんに捕まってます」
窓から外を覗きながらラファウが言った。
「フベルトはあれで聞き上手だからな」
ポトツキがフライパンを振る。ホットケーキが宙に舞う。
「相性が悪すぎる」
ひと足先に席に着いたラファウが目を見開く。
テーブルの上には三枚の皿。
ラファウの皿には固焼き。
フベルトには半熟。
ポトツキは両面焼き。
今まで当たり前すぎて気づかなかった。
(養父さんって)
「ん?」
コーヒーを淹れていたポトツキが振り向く。
「いえ、なんでも」
そのとき玄関が開いた。
「……また捕まった」
フベルトが帰ってくる。
紙袋を掲げていた。
「アップルパイを頂いた」
甘い香りが部屋に広がる。
「後で庭の野菜を持って行きなさい。先に朝食だ」
三人が席に着く。
しばらく静かに食べていたが、突然フベルトが口を開いた。
「ラファウ」
「はい」
フベルトは目を細めた。
「GPSを探すな」
ラファウの手が止まる。
「……バレました?」
「鞄を裏返した跡があった」
「だって、靴だけじゃなかったんですよ」
ラファウは口を尖らせる。
「カバンにも入ってました」
「探したのか」
「探すでしょ。信用無いなぁ」
「無いだろう」
「すいませんでした」
ポトツキがにこりと笑う。
「ちなみに」
テーブルの上で腕を組む。
「GPSはその二つだけではない」
「……」
ラファウがゆっくり顔を上げる。
「過保護を通り過ぎて、ちょっと怖いです」
ポトツキはコーヒーを一口飲む。
その時、電話が鳴った。
昼過ぎ。
「先日はどうも」
ヨレンタを抱いたノヴァクが立っていた。
「急なお電話すみません。娘がお世話になったお礼をと思いまして」
持参した手土産を渡す。
「……どうもご丁寧に」
ラファウは頭を下げて受け取った。
「ラファウ!」
ヨレンタが身を乗り出す。
「助けてくれて、ありがとう!」
「……僕、何にもできなかったよ」
「ううん。ラファウかっこよかったよ」
りんご色のほっぺを満面の笑みで満たす。
「はい、これ。ラファウにあげる」
「僕に?」
ポケットを探り、取り出したものを差し出した。
青みがかった丸い石。
「くれるの?」
「うん! ヨレンタの宝物。ラファウのこと大好きだから、あげるね」
ヨレンタは胸を張る。
「おっと。パパの顔が怖い」
ノヴァクが目を見開いてラファウを見ている。
(宝物、か)
ラファウは手の中の石を見る。
それから、目の前の光景を見た。
キッチンではポトツキがコーヒーを淹れている。ラファウの目線に気づいて、微笑んだ。
フベルトが熱心にアップルパイを切っている。
ヨレンタはまだ満面の笑みでこちらを見ている。
ラファウは頭を掻いた。
「いやあ」
苦笑する。
少し肩をすくめた。
「ポケットの中には、入りきらないな」
おしまい