TS女神の体が万能薬なので気持ちよく配ってたらなぜか周りが全員泣いてる 作:なほやん
ルーシェは今日も笑っていた。聖堂の長机に小瓶を並べながら、配送ルートの改善案を神官たちに説明している。
「南方ルートの第三中継地点、ここを変更するわ。山越えより川沿いの方が——」
声が弾んでいる。頬が紅潮している。
フィオは聖堂の隅で、湯を沸かしていた。
鞄から薬草を取り出した。いつもの薬草。暗闇の中で最初に好きになった、苦い葉。三年間、毎日淹れてきた。
薬草を入れた。湯を注いだ。
砂糖を、たっぷり入れた。いつもよりもずっと多く。
「ルーシェ様。お茶をどうぞ」
「あら、ありがとう」
ルーシェが受け取った。一口、飲んだ。
「おいしい」
にっこり。いつもと同じ顔だった。
「ルーシェ様」
「なあに?」
「……砂糖を、入れ忘れました」
ルーシェがきょとんとした。もう一口飲んだ。
「あら。やっぱり、だから苦いのね」
フィオの手が、震えた。
「ごめんなさい。嘘です。砂糖はたっぷり入れました」
ルーシェが——笑った。
静かな笑いだった。
「……ああ、ばれちゃったか」
フィオの手が、止まった。
ルーシェが椀を見つめた。銀色の目が、少しだけ揺れた。
「ちょっと前まではまだ分かったの。フィオのお茶も甘いって、ちゃんと思った。砂糖の味、分かった」
「…………」
「でも……だんだん。最近は、全然。砂糖を入れてくれてるのは分かってた。でも、味が——」
ルーシェが苦笑した。
「焦ったわ、最初は。味が変だなって思った時。ノリ介の気持ちがわかったわ」
「ノリ介……?」
「ん、なんでもない。——心配させたくなかったの。フィオが毎日入れてくれてるのに、分からないなんて——言えないでしょう?」
フィオの目から、涙が溢れた。
「ごめんね、フィオ」
謝った。笑っていた。なぜか、謝ったのはルーシェの方だった。
「……じゃあ」
フィオの声が、震えている。止められない。
「じゃあ、あの『おいしい』は——なんだったんですか。ずっと、嘘を——」
「嘘じゃないわ」
ルーシェが首を振った。
「甘くなくても、おいしいわよ。フィオが淹れてくれたから」
何でもないことのように言った。
フィオは、崩れた。膝から。床に。椀を抱えたまま。
「フィオのお茶の味だけは、忘れないから」
「忘れないから」は、「まだ消えてないから」でしかない。
いつか消える。
フィオは声を上げて泣いた。椀を抱えたまま、声を上げて。
「あら……フィオ、どうしたの。泣かないで。——ほら、もう一杯淹れてあげよう——」
「私が……淹れるんです……!」
泣きながら叫んだ。
「ルーシェ様のお茶は、私が淹れるんです……! ずっと……!」
ルーシェがきょとんとした。——いつもの顔だった。
「……うん。お願いね」
◇
フィオが目を拭いた。赤い目で、ルーシェを見た。
「教会に背いてでも。私は、ルーシェ様を選びます」
「え? 教会って、ここ? 背くって何を?」
「全部です」
「全部……? フィオ、大げさよ。打ち合わせが終わったら帰る——」
「帰れません」
フィオの声が変わった。
「ルーシェ様がここにいる限り、終わりません」
聖堂が、静まった。
「——え?」
「瓶を足せば感謝される。感謝されれば、もっと足す。このまま終わりません」
ルーシェが神官たちを見た。全員が、真っ直ぐにこちらを見ていた。感謝の目だった。
「……そうかな?」
「女神様のお力で救われる命が、まだ何万とございます」
年かさの神官が言った。目が潤んでいた。
「私どもは女神様のご意志の通り、お手伝いしているだけです」
ルーシェは——笑わなかった。
「……そうね。そうよね。私が言い出したんだもの。みんなが助かるなら——」
「だめです」
フィオが立ち上がった。
「女神様の意志には逆らうなと教わりました。でも、ルーシェ様の意志を曲げてでも、ルーシェ様を守りたいんです!」
「……私は平気よ?」
「平気だから、だめなんです……!」
フィオの声が、震えていた。
「甘いのがわからないまま自分を配り続けるなんて——」
「甘いのは関係ない——」
「関係あります……!」
フィオが一歩、踏み出した。
「みんなが甘いって泣いて喜ぶあの味を、自分だけわからないまま配り続けてる。それは、おかしいんです」
「…………」
「それはもう、優しさじゃない」
涙が乾いていない。でも、フィオの声はもう震えていなかった。
「……フィオ」
ルーシェが何か言おうとした。
——その時、聖堂の扉が吹き飛んだ。
◇
白い粉塵の中に、影が立っていた。
リーゼだ。
右手に剣。左手に——気絶した門番の襟首。
門番を床に放り出した。石畳に鈍い音が響いた。
「ルーシェ様を——返しなさい」
低かった。騎士の声ではなかった。
「リーゼ……!」
「……七日、です」
「え?」
「七日間、帰ってこなかった。使いも来なくなった。取り次いでもらえなかった。——打ち合わせが、七日?」
「それは……つい……夢中になっちゃって……」
「……っ!」
リーゼの目が、フィオを捉えた。
フィオは——泣いていた。目が赤かった。椀を持ったまま、床に座り込んでいた。
「なんで、フィオが泣いてるの」
「……ルーシェ様、もう、甘さを感じられないんです」
リーゼの目が、見開かれた。
ずっと隣で見ていた。
爪の飴を食べて「味はともかく食感は」と言ったのも。
一人だけ「甘い」と言わなかったのも。
「……本当に?」
「本当、です」
リーゼが笑った。
声は出なかった。肩が震えていた。いつも泣いていたリーゼが、笑っていた。
——殺す覚悟で来た。教会の全員を斬る覚悟で来た。この人の笑顔につけ込んで、体を搾り取っているのだろうと。
違った。
敵はいなかった。
ルーシェを傷つけているのは、ルーシェ自身だった。
剣を振り上げた。
神官たちが身を引いた。フィオが息を呑んだ。
でも、振り下ろす先が、なかった。
からん。
石畳に金属が転がる音がした。
「一緒に、連れて帰ります」
「ええ」
リーゼとフィオ。二人の目が合った。
「ちょっと、二人とも。何の話? 私は別に——」
「帰ります」
「帰りますよ」
声が重なった。
ルーシェが、言葉を失った。
「……二人がそこまで言うなら」
ルーシェが折れた。
初めてだった。