TS女神の体が万能薬なので気持ちよく配ってたらなぜか周りが全員泣いてる   作:なほやん

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第十四話 「言えたじゃない」

 

「ぐえー!!」

 

 女神の声とは思えない叫びが、山頂に響いた。

 

 ルーシェが月光茸を丸齧りしていた。

 

「し、痺れる……舌が……! 花椒(ホアジャオ)……? いえ、麻辣(マーラー)……?」

 

「何語ですか!?」

 

「毒かー!」

 

「だからこれ、毒ですって!!」

 

 リーゼが叫んだ。フィオが走り寄った。

 

「だ、大丈夫……再生するから……ただ舌が……ふぁー……」

 

 ルーシェが口を開けた。舌が紫色になっている。涎が止まらない。目が据わっている。

 

 ——だが体は平気だった。再生が毒を中和していく。

 

「……毒は抜けつつあるみたいですね」

 

 フィオが鍋を差し出した。いつの間にか焚き火にかけてあった。湯気が立っている。薬草の匂いが、山の冷たい空気に混じった。

 

「え? いつの間に」

 

 リーゼが目を丸くした。ルーシェが目を丸くした。

 

「月光茸の毒抜き用スープです」

 

「先に言ってよ!!」

 

「先に齧らないでください」

 

 フィオが三つの椀にスープを注いだ。月光茸の薄切りが浮いている。琥珀色の澄んだ汁。薬草の苦味と茸の香りが、湯気と一緒に立ち上っている。

 

 三人で口をつけた。

 

 ——リーゼの目が、見開かれた。

 

 旨味が、来た。

 

 汁が唇に触れた瞬間、舌の上に膜が張った。噛んでもいない。啜っただけだ。なのに口の中が味で埋まった。

 濃くて、深くて、重ねても重ねても底が見えない。出汁の旨味とは違う。肉の旨味とも違う。菌が時間をかけて作り出した、静かな爆発だった。

 舌の根元から喉の奥まで、じわりと熱い波が降りていく。飲み込んだ後も消えない。舌が覚えている。もう一口、とねだっている。

 

「……っ」

 

 リーゼは椀を握りしめた。手が震えていた。これが——命を賭けてでも食べたいと言わせる味か。

 

 フィオも黙って啜っていた。薄切りの茸を匙で掬った。半透明だった。光を透かしている。舌の上に乗せた。転がした。噛んだ。繊維がほどけて、汁が溢れた。

 茸自体に味が残っている。毒が抜けてなお、旨味だけが繊維に染み込んでいた。椀を傾けて、最後の一滴まで啜った。唇を拭わなかった。余韻を消したくなかった。

 

「……んー」

 

 ルーシェが首を傾げた。

 

「あっさりね」

 

 椀の中を覗き込んだ。もう一口啜った。

 

イボテン酸(・・・・・)グアニル酸(・・・・・)か——こんなもの?」

 

「イボ……? グア……?」

 

「んー。もっとこう、ガツンと来ると思ったのに」

 

 リーゼの匙が止まった。フィオの目が伏せられた。

 

 あの濃厚な味を「あっさり」と言った。甘みの次は酸味が消え、今度は旨味が。

 

 リーゼとフィオが顔を見合わせた。——何も言わなかった。もう、慣れてしまった。慣れたくなかった。

 

「まあいいわ。スープはおいしかったわよ、フィオ」

 

「……ありがとうございます」

 

 フィオの声は震えていなかった。震えないように、椀を両手で握っていた。指先が白くなるほど、強く。

 

 

  ◇

 

 

 夜。焚き火を囲んでいた。

 

 山の上は冷える。空気が薄い。星が近い。松明の代わりに焚き火が三人の顔を照らしている。虫の音が鳴っている。時折、遠くで獣が吠えた。

 

「ねえ、リーゼ」

 

「はい、ルーシェ様」

 

「リーゼってやっぱり強いのね」

 

「……何を」

 

「あんな重い包丁で、あんなに早くて」

 

「包丁ではありません……」

 

 リーゼは焚き火を見ていた。炎が揺れている。薪がぱちぱちと弾ける。火の粉が舞い上がって、星に混じって消えた。

 

「……私からも、聞いておきたいことがあります」

 

「フィオ?」

 

「リーゼ様。前から思っていましたが……なぜ、そこまで強いのですか」

 

 焚き火の炎が揺れた。虫の音が一瞬止まった。

 

 リーゼが息を吸った。長く。深く。

 

「お話しなければならないことが、あります」

 

 フィオが顔を上げた。リーゼを見た。リーゼの拳が膝の上で白くなっている。

 

「私は——かつて、勇者と呼ばれていました」

 

 焚き火の炎が揺れた。

 

「魔王と戦い、敗れ、心臓を貫かれました。あの日——ルーシェ様に救っていただいた日です」

 

 リーゼの拳が白くなった。膝の上で震えている。爪が掌に食い込んでいる。

 

「……ずっと言えませんでした。言えば、この旅が変わる。三人で歩く、この日々が終わる。——それが、怖かった」

 

 声が震えていた。焚き火の光が、濡れた目を照らしていた。

 

「臆病な勇者です。お笑いください」

 

 焚き火がぱちりと弾けた。大きな火の粉が宙に舞って、ゆっくりと消えた。

 

 ルーシェは——笑わなかった。

 

「言えたじゃない」

 

 静かに言った。焚き火を見つめた。銀色の目に炎が映っている。

 

「……怒らないのですか」

 

「怒らないわよ。言えたんだから、リーゼは臆病じゃないわ」

 

 リーゼが顔を歪めた。歪めて、笑おうとした。笑えなかった。唇が震えた。顎が震えた。涙が止まらなかった。

 

「……私も。聞けて、よかったです」

 

 フィオがそう言って薬湯を三つ、淹れた。手元だけを見ていた。リーゼの涙を見ないように。

 

 焚き火がぱちりと弾けた。

 

「ねえ。リーゼが正直に話してくれたから、私も一つ」

 

 ルーシェが焚き火を見つめた。膝を抱えている。

 

「私ね、体を切ると、気持ちいいの」

 

 虫の音が止まった。風も止まった。

 

「またそんな嘘を……!」

 

「本当よ。嘘でも強がりでもないの。髪を切ると、ぞくぞくする。血を出すと、もっと。最近は——味がしなくなった分、余計に」

 

 何でもないことのように言った。焚き火を見たまま。

 

「あの顔は……痛みでは……」

 

 リーゼの声が、途切れた。

 

 フィオの手が、薬湯の椀の上で止まっていた。

 あの夜。ルーシェ様が「気持ちよかった」と言った。自分が泣いて、部屋を出た。嘘だと思った。痛いに決まっていると。

 

 ——女神様の言葉を疑うな。教会の教えは正しかった。

 嘘をついていたのは自分の方だった。信じたくなかっただけだ。

 

「……だから、あんなに切って——」

 

「うん。ごめんね」

 

「謝らないでください……!」

 

 救われなかった。真実を知っても。

 

 痛みに耐えている健気な女神ではなかった。

 快感に溺れながら体を配り続け、味を失っていく。——それが、真実だった。

 

 リーゼは拳を握ったまま、焚き火を睨んだ。

 痛みに耐えているなら庇えたかもしれない。だがこの人は、自分から切りにいく。

 

 笑って、喜んで、なくなるまで。

 

「でも、それ以上に……『ありがとう』って言ってもらえるのが好きなの」

 

 ルーシェが呟いた。

 

 焚き火がぱちりと弾けた。

 

「だから……ルーシェ様は切るんですね。味が消えても、髪が白くなっても」

 

 フィオが椀を置いた。

 

「うん」

 

 ルーシェは否定しなかった。

 

「それじゃあ……このまま治療の旅を続けるだけじゃ、だめです。病そのものを減らさないと」

 

 リーゼが自分に言い聞かせるように言った。

 

「……蝕み病の根は魔王だという説があります」

 

 フィオがポツリと言った。

 

「それが正しければ。魔王を倒すことで、ルーシェ様がお体を傷つけずに済むようになるかもしれない」

 

「そしたら……」

 

 ルーシェが言い淀んだ。

 

「その後でも、みんなは私に『ありがとう』って、言ってくれるのかな」

 

「当たり前です!」

 

 リーゼが叫んだ。

 

「言います! 私は、ルーシェ様がいるだけで嬉しいです!」

 

「私もです。救われたのは、命だけじゃない」

 

 フィオの声も、負けずと大きかった。

 

「二人とも……本当にありがとう」

 

 ルーシェの声が、暖かかった。

 

「——よし」

 

 ルーシェが立ち上がった。

 

「じゃあ一緒に魔王を倒しに行きましょ」

 

「はい!?」

 

「だって、そうすれば一緒の旅、続けられるでしょ?」

 

 当たり前のことを言うように。ルーシェは言った。

 

「そんな……それで……いいのですか……」

 

「もちろん」

 

 ルーシェがにっこり笑った。

 

「魔王退治と、おいしいもの探し。これからの私たちの目的は二つ! もちろん魔王を倒したら宴会ね」

 

「宴会!?」

 

「デザートに私の指のチョコがけを——」

 

「それはもう禁止です!!」

 

 リーゼがまた叫ぶ。でも今度は笑っていた。

 

 フィオの口の端も緩んでいた。

 

 ルーシェが薬湯を一口飲んだ。

 

「にが。——うん、おいしい」

 

 まだ、苦い。まだ、分かる。

 

 まだ。

 







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