TS女神の体が万能薬なので気持ちよく配ってたらなぜか周りが全員泣いてる   作:なほやん

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第十七話 「最後の味」

 

「魔王退治の後ってさ、やっぱり宴会よね!」

 

「……まだ倒していませんが」

 

「メニュー考えとかないと! リーゼが焼いた肉と、フィオのスープと、デザートに私の指の——」

 

「指は出しません」

 

 ルーシェが笑った。昨日より少しだけ、明るすぎる笑い方だった。

 リーゼもフィオも気づいていた。気づいていて、何も言わなかった。

 

 北東の山が近づくにつれて、空気が重くなっていく。

 

「ルーシェ様。ここから先は、私の後ろを」

 

 リーゼの声が変わっていた。

 

「……うん」

 

 ルーシェが素直に従った。珍しいことだった。

 

 

  ◇

 

 

 山の入口から、もうおかしかった。

 

 木が枯れていた。幹が黒ずんでいる。葉が一枚もない。苔すら生えない。地面が黒い。踏むと、土が粉になって崩れた。

 

 空気が重い。息を吸うたびに、肺の奥に砂鉄を撒かれたような違和感がある。

 リーゼが先頭を歩いた。剣を抜いたまま。一歩ごとに周囲を確認している。フィオが二番目。店主にもらった地図に、自分の記録を重ねていた。地面の色、立ち枯れの密度、瘴気の濃さ。全部を書き足していく。

 ルーシェは三番目を歩いている。瘴気の中でも体は平気だった。

 

「ねえ、この瘴気って料理に使えないかしら」

 

「使えません」

 

「なんかこう……燻製みたいに?」

 

「使えません。毒です」

 

「もったいないわねぇ」

 

 ルーシェの声だけが軽かった。

 

 次の瞬間、藪が裂けた。

 

 黒い影が三つ、飛び出した。

 狼だった。——いや、狼だったものだ。毛皮がまばらに剥げている。肋骨が浮いている。口の端から黒い涎が糸を引いていた。目だけがぎらぎらと赤い。

 

「下がって」

 

 リーゼが一歩、前に出た。

 

 一閃。

 

 一匹目の首が飛んだ。

 二匹目が横から噛みつこうとして、空中で胴を断たれた。三匹目が飛び上がった。リーゼの剣が下から跳ね上がって、腹を裂いた。

 

「リーゼかっこいい!」

 

 ルーシェが拍手した。

 

「喜んでいる場合ではありません」

 

 リーゼの目は笑っていなかった。剣についた黒い血を払い、まだ周囲を睨んでいる。

 

 フィオが狼の死骸の傍に膝をついた。黒い血が地面に落ちている。草は生えていない。土だけが、さらに黒く染まっていく。

 地図の端に印を書き込んだ。

 

「瘴気に長く晒された個体です。外周でこれなら、中心部はもっと濃い」

 

「つまり、近いのね」

 

 ルーシェが明るく言った。

 

「……そうです」

 

 フィオは地図から目を離さなかった。

 

 日が傾いた頃、鹿の魔物が一頭、岩陰から現れた。

 痩せていた。だが角だけは異様に立派だった。首筋から黒い靄が漏れている。

 

 リーゼが踏み込んだ。一閃。二閃。

 鹿は崩れ落ちた。

 

「……今日はこれを使います」

 

「え?」

 

 ルーシェが首を傾げた。

 

「今日は私がやります」

 

 リーゼが剣を逆手に持ち替えた。フィオが黙って水と布を差し出した。

 

「リーゼ、捌けるの?」

 

「やります」

 

 短かった。

 

 首筋に刃を入れた。皮を裂く。筋に沿って刃を進める。

 

「そこじゃないわ」

 

 ルーシェがひょいと覗き込んだ。

 

「前脚の付け根から入れて。骨に当てないで、筋を剥がすみたいに」

 

「……詳しいですね」

 

「まあ、ちょっと」

 

 リーゼが言われた通りに刃を動かした。肉がするりと外れた。

 

 岩壁の窪みで野営した。

 風が防げた。焚き火を起こした。リーゼが捌いた肉を、フィオが薬草と一緒に鍋へ入れた。煮える。脂の匂いが立つ。少しだけ、まともな旅みたいだった。

 

 フィオは地図を広げた。今日通った尾根、瘴気の濃度、魔物の出現位置。店主の地図に、自分の線が増えていく。

 洞窟は近い。たぶん明日には着く。

 

 リーゼが椀を差し出した。

 

 ルーシェが肉を一口、噛んだ。

 ゆっくり噛んで、飲み込んだ。

 

「温かいわ」

 

 笑った。無理に、明るく。

 

 焚き火の音だけがしている。フィオが薬湯を淹れた。いつもの苦い薬草。三年間、朝と夜、ずっと淹れ続けてきたものだった。

 

 最後の砦だった。

 

「ありがとう、フィオ」

 

 ルーシェが両手で椀を持った。ふうふうと冷ます。昨日までと同じ動作だった。指の置き方も、覗き込む角度も、何も変わらない。

 

 一口、飲んだ。

 

「…………」

 

 もう一口。

 

 ルーシェの睫毛が、一度だけ揺れた。

 

「……フィオ」

 

「はい」

 

「今日のお茶、薬草入ってる?」

 

 フィオの手が止まった。

 地図の端を押さえていた指が、動かなくなった。

 

「……入れました」

 

「そう」

 

 ルーシェが椀の中を覗き込んだ。茶色い液体に、薬草の繊維が沈んでいる。目では分かる。匂いも分かる。舌だけが——何も言わない。

 

「苦いって、言いたいんだけど」

 

 小さく笑った。

 

「もう……分からないの」

 

 焚き火がぱちりと弾けた。

 

 フィオの椀が、手から落ちた。

 中身が地面に広がる。黒い土に染み込んでいく。じわじわと。

 

「フィオ?」

 

「…………っ」

 

 声が出なかった。

 

 三年間、毎日淹れてきた。甘さが消えた日も。酸味が消えた日も。塩味が消えた日も。旨味が消えた日も。辛みが消えた昨日も。

 

 苦さだけは、届いていた。

 最後まで届くと思っていた。

 

 それが、消えた。

 

 フィオの膝が折れた。地面に手をついた。爪の間に黒い土が入った。

 

「フィオ、泣かないで——」

 

「泣いてません……!」

 

 泣いていた。声を上げて。顔を歪めて。

 

 リーゼは目を閉じた。肩が震えていた。

 

 ルーシェがしゃがんだ。フィオの前に。

 

「ねえ、フィオ」

 

「…………」

 

「味は分からなくても、ちゃんと温かいわ」

 

 ルーシェが言った。無理に、明るい声で。

 

 フィオが顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃのまま。

 

「……はい」

 

 フィオが絞り出した。

 

 それしか言えなかった。

 

「だから、進みましょう。魔王のところまで」

 

 ルーシェの声も、震えていた。

 

 

  ◇

 

 

 夜明け前に出た。

 

 空はまだ暗い。山の稜線だけが青い。冷たい霧が地面を這っている。

 リーゼが先頭を歩いた。昨日より無言だった。フィオが地図を畳んだ。もう記録することは少ない。線は、ほとんど一点に収束していた。

 

 瘴気が濃くなる。

 立ち枯れた木の向こうに、黒い岩肌が見えた。

 

 山に空いた、傷口みたいな穴があった。

 

 洞窟だった。

 

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