TS女神の体が万能薬なので気持ちよく配ってたらなぜか周りが全員泣いてる   作:なほやん

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第十九話 「こぼさないで 涙」

 

 思えば取り柄のない前世だった。

 エンコをツめて、ヤクをサバいて、モツをトバして。

 誰からも感謝されなかった。漫画だけが裏切らなかった。

 

「何のために生まれて 何をして生きるのか」

 

 口ずさんでいた。膝の上のリーゼの髪に、指を通しながら。銀色の血で濡れた髪を、梳くように。

 

「答えられないなんて そんなのは 嫌だ!」

 

「お姉ちゃん……? 何を歌ってるの……?」

 

 この世界に来て驚いた。

 感謝されるのだ。人を救えるのだ。前世のスキルが役に立つのだ。

 

 「ありがとう」と言われた。「女神様」と泣かれた。

 生きていて良いと、初めて言われた気がした。

 

 自分を食べる人たちに抵抗はなかった。デクだって悠仁だってデンジだってやっている。

 

 そうだ。私はそんなヒーローたちに憧れていたんだ。

 原点は間違いない。あの、顔を分け与えるヒーローだ。

 

「そうだ 嬉しいんだ 生きる 喜び」

 

 リーゼの胸から、銀色の血が染み出し続けている。

 心臓の鼓動が、一拍ごとに弱くなっていく。

 

「たとえ 胸の傷が痛んでも」

 

 でも——

 

 体を配ることだけがヒーローじゃなかった。

 この世界で出会った人たちが、いつの間にか特別になっていた。

 

「忘れないで 夢を」

 

 フィオの顔を見た。

 

 三年間毎日お茶を淹れてくれた手が、蝕み病の斑紋に覆われて、それでも鞄を握りしめている。

 

「こぼさないで 涙」

 

 リーゼの顔を見た。

 

 何度泣かないでと言っても、泣きながら私を守ってくれたリーゼが、微笑んでいる。

 

 ——だから 君は 行くんだ 微笑んで

 

 目の前が、ぼやけた。

 

 薬草の味はない。苦味のせいではない。口の中は何の味もしない。

 なのに目が熱い。

 

 この二人を、失いたくない。それだけだった。

 

 銀色の雫が、ルーシェの目から零れた。

 頬を伝った。顎の先まで滑った。光を帯びていた。

 一滴。二滴。止まらなかった。拭えなかった。両手がリーゼの頭を支えているから。だから拭わないまま、顔中を涙が這った。鼻の脇を伝って、唇の端を濡らして、顎から落ちた。

 

 リーゼの胸の傷口に、涙が落ちた。

 

 ——光が広がった。

 

 銀色の光が、傷口の縁から滲み出した。水たまりに石を投げた時の波紋みたいに、ゆっくりと広がっていく。

 裂けた肉が寄り合った。銀色の血が止まった。穴の底から新しい膜が張り始めた。

 

 リーゼが目を開けた。

 

「……ルーシェ、様……」

 

 ルーシェが泣きながらフィオの元に這っていった。膝が洞穴の土を擦った。涙をフィオの腕に落とした。黒い斑紋が——端から薄れていく。墨が水に流されるように、消えていく。

 

 フィオが目を開けた。ルーシェの顔を見た。——泣いていた。この人が泣いている。三年間、指を切っても笑って、髪を切っても笑って、心臓を抉り出しても笑っていたこの人が。

 

「ルーシェ様……泣いて……」

 

「泣いてないわ……っ」

 

 泣いていた。顔中がぐしゃぐしゃだった。銀色の涙が止まらなかった。

 

「なんで! なんでお姉ちゃんが泣いてるの!」

 

 ラトニアが叫んだ。

 

「そいつらのために!? お姉ちゃんは私のものなのに! 私のための食べものなのに!」

 

 ルーシェが涙を拭わないまま、立ち上がった。

 

「リーゼ、フィオ。いい作戦があるわ」

 

 そうだ。

 

「ラトニア、ちょっとだけ待ってなさい。とってもおいしいものを食べさせてあげる」

 

 見ていてくれ。ファリン、マキマさん。

 

 

  ◇

 

 

「リーゼと!」

 

「フィオの!」

 

「「昼食ばんざい!!」」

 

 二人の笑顔は引きつっていた。それでも声を張った。洞穴の壁に反響した。

 

 包丁の音が鳴り始めた。

 

 とん、とん、とん。リズミカルな音が洞穴に響く。フィオが何かを刻んでいる。石の上に薄く広げて、山刀で丁寧に叩いている。細い筋を断ち、繊維をほぐし、香りの強い葉と一緒に細かく合わせていく。

 

 リーゼが火を起こした。傷口がまだ痛む。腕を上げるたびに胸の傷が引き攣れる。それでも薪を組んで、火打ち石を打った。火が安定すると、刃先で削いだ薄い肉を炙って鍋に落とし、骨の髄まで削って中へ掻き入れた。

 

 湯気が立ち上った。何かを煮ている匂いがした。肉の匂い。薬草の匂い。焦げる寸前で止めた脂の匂い。全部が一つの鍋に溶けていく。

 

 フィオが灰を避け、リーゼが鍋を傾けた。上澄みだけを椀に注ぐ。最後に、刻んだものをひとつまみ、そっと落とした。

 

 湯気が立つ。琥珀色の澄んだ汁。具が底に沈んでいる。

 

 ラトニアの前に、器が置かれた。

 

「……なにこれ」

 

「さあ、私の料理をお食べ」

 

 ルーシェが言った。泣いた後の声だった。少し掠れていた。

 

 ラトニアが匙を持った。恐る恐る、汁を掬った。口に運んだ。

 

 一口、啜った。

 

「…………」

 

 匙が止まった。

 

 ラトニアの銀色の目が、見開かれた。

 

 もう一口。もう一口。匙を置く暇がなかった。

 

「……おいしい」

 

 口の中で、汁が温かかった。舌の上を滑って、喉の奥に落ちていく。胃に届いた時、体の芯が灯った。

 

「おいしい。本当においしい!」

 

 匙が止まらなかった。器を傾けた。最後の一滴まで啜った。

 

「やっぱり! お姉ちゃんはおいしいね!」

 

 ルーシェは一歩だけ、ラトニアに近づいた。

 

「違うわ。これは、私じゃない」

 

「……えっ? だって、私の料理って……!」

 

「私の料理とは言ったけど、私の体とは言っていないわ」

 

 静かな声だった。

 

「あなたは知らないのよ、ラトニア」

 

 ルーシェがしゃがんだ。ラトニアの頭を撫でた。小さな頭を、同じ手で。

 

「真心の込められた料理を。私以外にも、おいしいものはたくさんあるの」

 

「そんな……」

 

「知らなかったのよ。私も自分の体を配ることしか知らなかった。でもね」

 

 フィオとリーゼを見た。二人とも泣いていた。包丁を握ったまま。薪を持ったまま。

 

「この二人が教えてくれた」

 

 ラトニアの銀色の目に、涙が浮かんだ。唇が震えた。小さな手が、空になった器を抱きしめた。

 

「もっと……食べていい……?」

 

「いくらでも」

 

 ラトニアが器を抱えて、食べ続けた。頬が汁で濡れた。涙と汁が混じって、顎から落ちた。

 

 ——ラトニアの目から、銀が褪せていった。虹彩の縁から、じわりと。元の黒い瞳が戻ってくる。一口ごとに、少しずつ。

 

 洞穴の瘴気が、薄れていった。黒い靄が引いていく。壁の苔が、うっすらと緑を取り戻し始めた。

 

 光が——入口の方から差し込んできた。

 

 フィオが小さな椀に薬湯を注いだ。いつもの苦い薬草。三年間淹れ続けてきたのと同じものを。ラトニアの前に置いた。

 

「にが……」

 

「砂糖、入れますか」

 

 ラトニアが、こくりと頷いた。

 

 

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