汝、
汝、
「ノルン……それが、ボタンの本当の名前なんですか?」
少し気取ったアンテノーラの語り始めに、聞き手のうちの1人であるアリスは興味深そうに身を乗り出しながら尋ねる。
初めて会った時はボタン、先ほど名乗った名前はアンテノーラ、そして過去話の初めに出てきた名前はノルン……アリスでなくとも、その質問に行き着くのは当たり前の話だろう。
無言で聞いていたリオも気になるのか目をアンテノーラに向け……しかして当のアンテノーラは、少し困ったような表情で首を傾げていた。
「本当の名前……間違ってはいないんだけど、その名前が私だと言うのには、違和感があるかな」
「……どう言うこと?ノルンという名前が自分のものであることを否定しない以上、それがあなたの名前でしかないはずよ」
「まぁ、そうだけども。私の感覚をわかりやすく説明するなら…… そうだね、アリス。きみは、自分を『天童アリス』って認識してるよね?」
「はい。私はゲーム開発部の天童アリスです!」
「うんうん、きっと後ろから『天童アリスさん、お呼びですよ』なんて言われたらすぐに反応するだろうね。
だったら……
「それは……難しい、です。今のアリスはその名前と、アリスを完全に結びつけれてはいません。少し考える時間があれば反応できるかもしれないですが……」
「……成る程。貴女にとって、『ノルン』と言う名前は、『天童アリス』と言う意識における『AL-1S』への認識に近いのね」
「
「ボタンはそんなに昔の自分が嫌いなんですか?」
「そりゃね。もしあの頃の私が目の前にいたらこの場で首を刎ねてやりたいくらいさ」
「な……」
あまりにも過激な物言いに思わず絶句するリオとアリスだったが、それに対しアンテノーラは平然と笑っていた。過去の自分は殺されて当然の存在、それがまるで世界の常識であるように言う目の前の少女に、2人はこれから語られる内容が如何に陰惨なものかを想像させられた。
「さてさて話を戻して。私がノルンなんて呼ばれていた頃、もうちょっと正確に言うなら私がまだガキだった頃だね。当時私が過ごしていた場所は戦場みたいな場所でね……」
毎日が辛いけど、それを楽しむ術はある。
ここまで整った言葉ではなかったけど、かつての私……ノルンはそんなふうに考えていた。
顔も知らない両親によって産み落とされ、物心ついた頃にはその2人は居なくなっていて。
結果として私はストリート・チルドレンとして、拾ったものや貰ったもの……そして時折、盗んだものでのその日暮らしを続けていた。
それを辛いものではあるとずっと思っていたけれど。
様々な術を尽くして生きていく人生に、心底からの不満は抱いていなかった。
時折顔を合わせる同年代の子と遊んだり、ご飯やガラクタを拾いに行ったり……そう言った瞬間は、間違い無く楽しかった。
さて、そんな当時だけど私にはちょっとした特技があった。
時折流れ着いてくるガラクタのような壊れた機械を、動くところまで修理する事が得意だったんだよね。
と言っても、ミレニアム生がするような理論だった修理なんかじゃ無く……ただ、ここを弄ったら動きそう、壊れそうと言うのがなんと無く分かると言うか視えるというか、それだけの修理だった。
後に
とにかく、そんな訳で当時の私は小さなレコーダーや壊れかけのラジコン、フィルムギリギリの使い捨てカメラなんかを修理してはそれで遊んだり、修理の交換条件でご飯を食べてたりしてた。
あの故郷は間違いなく戦地で、間違い無く生きるのに適した場所では無かったけど……それでも、私にとっては大好きな故郷だし、一緒に生きていた友人たちは大切な仲間だったんだよ。
……ここまで聞いても、私がこうなる理由が見えないって?当然さ、まだ話はプロローグも良いところなんだから。まさか、治安や環境が良くない地で過ごしたことだけが私の根源だとでも思った?
そんな訳ないじゃん。
あれは、本当に唐突なことだった。
故郷の地で起きていた戦闘が、急激に激しくなった。
私が当時根城にしてた地区はもう大変なことになってね……ただでさえボロボロだった建物は崩れるし、あっちこっちで火の手が上がって、なのにそれに対極的に周りの声は小さくなって……
それで、気づいたんだ。
ここにい続けると、私は死ぬ……もしくは、それを超えるような碌でもない目に遭うって。
機械を修理してる時に感じていた……と言うよりはぼんやりと
あれは……生存本能が私の神秘を一時的に強化していたのかな?火事場の馬鹿力みたいに。ま、どーでも良いけど。
兎も角、当時の私はその感覚に従って、その場から逃げ出した。
どこに逃げれば良いのか、それも分からないまま……ただ、私の神秘が見せる幻覚に従って、危険だと思う場所を避けて彷徨い続けてた。
やっとの思いで危険地帯から逃げ出した時……そこには
それで、確か私は聞いたんだ。『あなたは誰?これはどうなってるの?』ってね。
彼の返答はこうだった……『私はただの呼ばれただけの一研究者。今、私を呼び出した同僚がこの地の争いを鎮め、治めようとしているところです』ってね。
それを聞いて私は一瞬安堵したんだ。
やっとこの地に安息が訪れる。この争いを鎮めてくれるような統治者が来たなら、もう安心だってね。
しかしそれと同時に、私の中の何かが恐ろしいほどの警告を発したんだよね。
『ここから逃げろ、今すぐに』って。
私は、正直逡巡はした。
仮にこの感覚が正しいのなら、私だけが逃げる形になるんじゃないかって。
そもそもこの警告が正しいのかすら分からないのに、逃げる意味なんてあるのかって。
目の前の男は胡散臭く見えるが嘘はついていないようにも思える……なら、留まるべきだって。
だけど、私は心臓を押し潰すような己の中からの警告に、抗えなかった。
その男の言葉を聞いてなお、彼が出てきたであろう遺跡へと足を向ける私に、彼は無理に力で止めようとはせず……確か、『その道は、二度と出られないであろう迷宮への一本道ですよ』だっけ?って言ってきたんだ。
それでも私はその甘言を振り切り、遺跡へと飛び込み……そして、彼が言った意味を理解した。
同じような光景が続くだけの道。
正しい道もわからなければ、そもそもいつ角を曲ったかすら思い出せないような変わり映えのない光景。
成る程、これは確かに迷宮なのかもしれない、逃げ出した
だけど。
だけど……私は、奇跡的に……否、
普通に抜け出すなら、それこそ賽子を100個投げて全て6の目を出すような運が必要だったんだと思う。
あの感覚……機械を直すときの、戦火を逃げ惑ったときの、逃げ出すべきだと警告を感じたときの、あの
さすが神秘、私如きに宿るものでも奇跡を起こすものなんだね。
まぁ、その後この神秘を殺したいくらいに恨むんだけど。
さてさて、故郷を逃げ出し完全に天涯孤独の身になった私は、逃げ出した先の自治区にあった孤児院で数年を過ごしながらも、神秘の研究について興味を持ちはじめた。
なんでそんなことに興味を持ったかは、
まぁ兎も角、そんな道楽に興味を持った私は、孤児院を早々に出て拠点を持ち、1人で実験し続けたんだ。
いろんな実験記録を残し、その中には有用なもの、無益なもの沢山あったけど……その間の人生をそれに捧げるくらいは、没頭していたんだ。
………………いや。
没頭なんて、完全には出来てなかったんだろうね。
ずっと、ずっと、頭の片隅に逃げ出した故郷のことが過っていて……でも、目を向けるのが怖かったのかな……結局逃げ出し続けていた。
いっそのこと忘れてさえいれば、自らの責任になんて気づかずにすんだのに……中途半端な悪党だよ、私は。
そして、ツケを払う時が来た。
きっかけは、あの黒い男だった。
彼もまた、神秘の研究者で……私が今いる組織、『ゲマトリア』に誘われたんだ。
まぁ、私としては断る理由もなかったんだけど……そこで私は、一計を案じたんだ。
当時の私には、故郷に戻る術がない……と言うよりは、再度あの運命を引き寄せられるのか、私には分からなかったんだ。
だから故郷に戻らなかった訳だけど……いや、これも言い訳かな。
まぁそれで、私は彼に言ったんだ。
『私を仲間にしたいなら、あの地に戻らせてくれ』ってね。
彼はその言葉でようやく私が当時の少女だったって気づいたみたいで。随分と驚きながらも、要求通り私を故郷へと連れて行ってくれたんだ。
……ええ。
かつての戦火は無くなり……代わりに、目に光を宿さず、
「……それは」
「それって……」
アンテノーラの語る過去話……その中途において、リオとアリスは堪えきれずに声を上げてしまった。
「それって、それは……どうしたんだい?」
「状況証拠にしか過ぎないけれど……その、貴女の故郷を治めた存在が何かをしたのよね?」
「アリスもそう思いました……その人が、悪い人だったんですか?」
2人からの問いかけに、アンテノーラは寂しそうな表情を浮かべながら笑う。
「ああ。私の故郷を自らの領地の様に治めた
「そんな……」
泣きそうな表情で声を漏らすアリスを見て、アンテノーラはその頭を優しく撫でる。それはまるで、かつて自らが目にした光景を言葉だけとはいえ共有でき、そしてそれに泣いてくれたことを喜んでいるかのように。
「私は怒りと絶望を覚えたよ。私の故郷を地獄に変えたその女に……
そして、彼女たちを救えたはずなのに救わなかった、私自身に」
「……まさか、貴女が自分を嫌っているのは……」
「ああ。私にはかつての故郷の惨状を誰かに伝え、あの子たちを助けられるチャンスがあった。たとえ失敗したとしても、手を尽くすことはできたはずだ。
なのになんだ私は?
自らのちっぽけな怯えと薄っぺらい自己保身の結果、かつての友人や仲間を地獄に叩き落としているじゃないか……⁉︎」
ギリギリと鳴る歯、血が滲むほど握り込まれている手のひら、そして怒りと悲しみを同時に表すような涙……リオ、そしてアリスは目の前の少女が、ついに本当の感情を曝け出していることを理解し……悲しげな表情で俯くことしかできなかった。
「当時の私も同じ考えに行き着いて、絶望した。心が壊れ、体にもすぐに影響があるくらいに。私たちゲマトリアは、その時私に起きた現象を”反転”なんて呼んでいるけど……まぁ、覚えなくて良いよ」
「それで……ノルンは、どう、なったんですか?」
「そのまま自分の存在価値すら見失う……何のために生きていたんだ、なんて思考に取り憑かれ、完全に壊れる、
「……ところ?」
「ああ。どうやら私にも、まだ少しだけ考えることはできていたみたいでね……私は、これまでの自分の存在価値を全否定する代わりに、これからの自分に生きる理由を与えたんだ。これを為さずして、死ねないって言う理由……」
そして、アンテノーラは遂にずっと伏せていた言葉……彼女が、最も大切に思っているその名前を、口にした。
「……
「……さて、盛り上がりを迎えたところでここからは駆け足で語ろうか。時間も無限じゃないからね」
アンテノーラの全身全霊の想いが籠った宣言……全てをかつての故郷に捧げると言う、半ば狂気に満ち溢れた言葉に閉口する中、当の本人は後はおまけと言わんばかりに口調を早くし始めた。
「その後、その黒い男……今では、黒服って言われている男に話を聞いてね。私の故郷を地獄に変えた女、ベアトリーチェは彼と同じ組織に属していること。その一方で、組織内でも自己中心的に振る舞って迷惑ばかりかけていることを聞いて……私は一つ、提案をしたんだ」
「提案?」
「そ。一度だけゲマトリアに仇なすことを許すなら、ゲマトリアに所属することを飲み……私の過去の研究データも、全てくれてやるって。で、結果として私はゲマトリアの一員に加わり。そして神秘を研究する傍ら、ベアトリーチェを弑する機会を伺い、そして故郷へと報いる最高のタイミングを探している、って訳」
「……なら、あの変身能力も、その神秘というものの研究で手にしたんですか?」
「ああ、そのことについて言ってなかったっけ」
うっかりうっかり、と舌を出しながら言う仕種に、普通ならあざといだの可愛いだのの感想が出るのだろうが……ここまで傷つきながらも生きようとしているアンテノーラの背景を知った今、もはやそれすら自分の傷を見せないための振る舞いにしか見えなくなっていた。
「と言っても理論立てて答えてもややこしくなるだけだし……
まぁ端的にいうなら、
ま、自らのテクスチャを弄った代価として名前と一部の記憶を捨てたけど」
だから故郷から逃げてからゲマトリアに入るまでの間のことは割と覚えてないんだよね、とまるで笑い話を口にするように語ったが……対して、それを聞いてしまった2人の表情は曇る一方でしかなかった。その様子にどこか不満を感じたのか、アンテノーラは頬を膨らませながらリオへと向き直る。
「アリスはともかく……リオ、君はそんな表情をしないでよ。君だって合理に特化した思考をするなら分かるでしょ?ミレニアムを守るための最適手段が私がしたのと同じ
「……ええ、分かるわ。私はミレニアムを守るための合理的な術としてなら自分を捨てるでしょうし、貴女は逆に感情的な思考から実際に自らを捨てて故郷を救う力を手にした。そこに考え方の違いさえあれど、結果は違わないでしょうね」
「でしょ?」
「だからこそ。それを選ばざるを得ないところまで貴女が追い込まれてしまったことそのものを嘆いているの。私だって合理を優先しているだけであって感情がない訳じゃない、貴女の人生に何も感じない訳じゃないのよ」
「アリスも……アリスに勇者の道をもう一度見せてくれたノルンが、こんなにいろんなものを背負って、自分を捨てているのを見るのは……悲しいです」
リオとアリスからの憐憫の言葉……それをアンテノーラは珍しくしっかりと受け止め、優しい笑顔を浮かべながら頷く。
「ありがとう。君たちも今、ミレニアムの、キヴォトスの未来を背負って苦しんでいるというのに……私みたいな碌でなしの過去を悲しんでくれるなんて、本当に優しいんだね」
だけど、とアンテノーラは口にし、同時に浮かべていた笑顔はそのままに、目つきを真面目なものへと変える。
「そんな優しい君たちだからこそ、私みたいにはなってほしくないんだ。
たとえ背負いきれない責任だったとしても、どうか向き合うことだけは……忘れてほしくないんだ。
友と一緒に背負うのも良い、助けを求めるのだって良い……だけど、選択を、思考の機会を捨てて全てを台無しにだけは……してほしくないんだ」
そんなことを語るアンテノーラの様子は……まるでこれからのキヴォトスの未来を2人に託すかのように、落ち着いて静かなものであったのだった。
Tips:ノルン、或いはノルン*テラー……アリウスに生まれ、アリウスから逃げ出し、アリウスを救わなかった『裏切り者』。常に罪悪感に苛まれ、自死への衝動に駆られながらも、アリウスに報いるという一心で立っている。
運命にまつわる神秘を持っており、無自覚にそれを用いることで機械を修理したり、正しい道を見つけてきた模様。なお、無貌のロキへと自らの定義を変えた現在その神秘を用いることはできない。
「阿呆らしい。運命に手をかけるより、自らの手で運命のプロットを作り出せばいいと思わない?」
なお、ノルンとしての定義は完全には消えていない模様。
というわけで、アンテノーラの過去回でした~
いろんな伏線が回収された一方、まだ残っている伏線や今話で改めて生まれた疑問などもたくさんあると思いますが、ぜひとも続きを楽しみにしてください~。
お気に入りや感想、評価等いただけると作者のやる気がZラッシュしますのでよろしくお願いします〜
考察等もお待ちしております~
以前アンケートで決定した分岐世界のアンテノーラに関する短編ですが
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今描いてるパヴァーヌ2章後に書いて
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エデン条約編が完結した後に書いて