君を待つよ、ここでね
「ただいま……なんて、誰もいるわけないのにね」
カヤへの留守電を入れ、ミレニアムから立ち去った直後。
ワープゲートを用いて
ただでさえやつれている顔は目の下の隈でさらに不健康なものになり、椅子にもたれることで浮き出た背骨はもろに衝撃を受ける。
しかしそれを気にしないように大きく息を吐くと、左手を軽く開き、光を失った目でじっとその掌を見つめ始めた……まるで、自らの手にこびり付いた見えないはずのドス黒い血を、目に焼き付けるように。
「これで、ミレニアムの一件も終わったかぁ……結局、先生がいればどうにかなる一件だったな……まぁリオやアリスと関われただけ良しとしよっか、うん」
どこか皮肉げに引き攣った笑みを浮かべながらアンテノーラはここ1週間のことを回想する。
出会って、理解を得て、哀れまれて、嫌われて、困惑されて……特に先生に関してはシャーレに誘った後に敵対宣言をしてきたという逆転ぶりだ……まぁ、勧誘した生徒がアンテノーラだと気づいていない以上、先生に非はないのだが。
「とは言え、これでエデン条約までの障害は取り除いた……喜劇の本番まで、暫し息を整えるとす……」
アンテノーラがそう呟き、脳を休めるかのように目を瞑った瞬間。
彼女の瞼の裏には、アリウスに出戻った……やっと自らの裏切りに目を向けたあの日見た、虚無に包まれて荒廃した故郷が映っていた。
「……ッ⁉︎ガハッ、ゲホゲホッ……」
唐突に過った自らの罪のフラッシュバックに、アンテノーラは激しく動揺し……血混じりの激しい咳を漏らしながら涙を流す。
(……そりゃ、そうだよねぇ。私にはカスみたいな過去と目指すべき未来しかないんだ……立ち止まって、今に目を向けている暇はないか。
しかし、我ながらこんなにメンタルが弱いとはね……今日はスバルには会わないほうがいいかな、見透かされそうだ)
会いたかったんだけどなと思いつつ、ふと先ほどまで見ていた掌、そして腕全体に再度目を向ける。
白く、痩せすぎて関節が浮き上がっているように見える指に、これまた針金のように細い腕。
これだけ見れば憐れむ人もいるのだろうが……
「……こんなの、私の惰弱さが食べる欲求を削いだだけ……私の自業自得でしかない。
アリウスの皆は、食べたくても満足に食べられなかったというのに……ッ」
そう零すと同時に、アンテノーラは怒り……アリウスを取り巻く環境、そしてそこから助け出さなかった自らへの怒りからデスクを思い切り殴りつけてしまう。
近くにあった空の水筒は音を立てて倒れ、書類の山はばさりと崩れ、そして机の上に置いていた器具類のケースも一部倒れる。
そうして倒れたケースから一本のメスを取り出すと、無表情のまま、死んだ目でそれを自らの左手に振り下ろ———
「アンテノーラ⁉︎何をして……」
———そうとしたところでタイミング良く、或いは最悪のタイミングでスバルが部屋へと入ってきたのだった。
その日、その時間にスバルが来たのは本当に偶然で、一方では必然とも言えることだった。
1週間近く一切顔を合わせることができず、存在を感じられるのも2、3日に一度アジトに放り込まれていたアリウスへの支援物資だけ。
勿論それだけでも有難いのだが……やはりアリウス内の廃墟やこの
だからアンテノーラの帰還を待ち侘びて時折このアジトに来ていたわけだが……ようやく再開できたと思った矢先にスバルの目に入ったのは、自らの掌に躊躇なくメスを突き立てようとするアンテノーラの姿だった。
「お願いです、止めてください……!」
濁り切った目で自らの手を傷つけんとする友人の姿にスバルは一瞬パニックになるも、すぐに切り替えるとその手を取り押さえ……その瞬間、複数の違和感に気がついた。
(何ですか、この指の細さ……それに腕も前より細いし、首にも知らない傷が……)
見覚えのない傷や、かつて触れた時以上にやつれた体……だと言うのに、
そんな痛々しい姿に思わずスバルの目に薄らと涙が浮かび、取り押さえている腕に力が籠ったところでようやくアンテノーラは止められていることに気づいてか正気に戻った。
「あれ、なんで……え?」
いつまでも訪れない痛みと衝撃にアンテノーラが困惑したかのように死んだ目をギョロリと動かしたところで……ようやく自分の横で泣き、傷つかないでくれとしがみつく
「……それで?申し開きはありますか、アンテノーラ?」
「いや、その、急に自己嫌悪が酷くなってつい……すみませんでした……」
アンテノーラが正気に戻ってから数分後。
互いに心の整理がつき冷静になったところで、一向に自らを大事にしようとしないアンテノーラに怒りと悲しさを抱き……結果として、アンテノーラが床で正座しながらスバルに一体どういうことだと詰められる構図となった。
悪党が女子高生の前で正座して謝るという一見するとギャグみたいな情景だが……正確にはその悪党も同郷の存在なのだが……ともかく、その場の2人にとっては至って真剣な状況だった。
「自己嫌悪……一体、どうしてそこまで……いや、そもそも何で私が知らない古傷があったり、1週間じゃありえないほどやつれたりしてるんですか……?」
「それは……その……」
「説明してください。話せない、話したくない部分があるのは分かっています……でも、大切な友人がボロボロになっていくのを……何も知らないまま見ていくのは、嫌なんです」
「……そっかぁ……そりゃ、そうだよね」
その言葉にさまざまな感情が浮かんだのか、強い葛藤の表情を浮かべ……諦めたように溜め息を吐いたアンテノーラは、本当に話せない内容……自らの過去の中でも故郷がアリウスだとわかる部分、そして計画の一部と動機を除いた話を語り始めた。
計画の為に自らの身体すら素材にして、人としての尊厳を捨て、何にでも化けれる
過去への罪悪感から食事が喉をほとんど通らないこと。
そして、瀉血と称して自らに傷をつけていたこと。
そんなことをこの1週間にミレニアムで起きた出来事を交えながらアンテノーラは語り続けた。
時折自分への嘲笑や自虐を織り交ぜてしまい、その度にスバルの表情が曇っていくのを理解しながらも……それでも、自らを嘲ることだけは止められなかった。
「……以上が、ここ1週間での私の動向……及び、私こと
アンテノーラが語り終わったのを聞いたスバルは沈痛な面持ちを浮かべながらも、そっとアンテノーラの以上に細い腕を手に取った。
「じゃあ……これまで私が見せてたアンテノーラの姿は、偽物だったと言うことですか?そう言えば、前に触れたとき冷たかったのも……」
「有体に言えば、ね。
と言っても、スバルの前で見せてた姿は飽くまで『まともに生きてた場合の私』を想像して成ったものだったから、大きく変わってたのは体型と隠してた傷跡……そして、このヘイローくらいだね。
体が冷たかったのは……まだ、
そう言いながらアンテノーラは自らのヘイローを指差す。
本来キヴォトス出身の生徒であるスバルにはそのヘイローの形がわかるはずがないのだが……なぜか、それがヒビ割れているのを感覚で感じ取っていた。
「でも、何でそこまでしてマダムを……少なくとも、前にあなたが言っていた『マダムが組織で迷惑をかけている』と言う言葉だけが理由ではないのでしょう……?」
「それ、は……」
アンテノーラは口籠る。
何せ下手に過去をペラペラと言ってしまえば自分の過去、目的……特に
しかし。
(ダメだなぁ、何も言わないままでいることを感情が許してくれそうにないや……まぁ、うまくやれば過去を誤魔化せる機会でもありはするけど……結局は絆されてやんの、悪党のくせに。)
そう思ってしまったアンテノーラは軽く頭を掻きむしり、そのまま一瞬苦々しげな表情を浮かべた後口を開き始めた。
「……ただ、個人的に恨みがあるだけだよ」
「恨み、ですか……?」
「そ。……私は昔、アリウスと全く同じ目に遭わされた自治区で生きていたから」
(……アリウスと全く同じ、なのは当たり前なんだけどね。何せアリウスそのものが私の故郷なんだし)
内心そんな事を思いながらも、アンテノーラはゆっくりとスバルに背を向ける。
それは誤魔化しを表情から悟られないようにするためか……或いは、これ以上自分の弱いところを見せてしまい、『悪党』と思われなくなるのを防ぐためか。
「虚無、悲哀、禍罪……そんな負の感情で満ちてしまった故郷から、私は逃げ出しちゃったんだよね……みんなを、残して」
「……」
「もし私が残っていたら?
もし私が助けを呼べば?……そんな妄想も意味はない、我が身可愛さに逃げ出した罪は大輪を咲かせてしまった。
だからまぁ、せめて元凶だけでもってね。赦しになるわけないし、赦される気もないけど」
「それで、良いんですか?」
「
たとえ赦されない罪を抱えていたとしても、罪の天秤を均衡にすり努力はしないと申し訳が立たないからね」
カカと小さく笑いながらスバルの切実な質問に答えたが……スバルには、その答えが乾いた笑いなんかじゃなく、もっと重い感情の末に生まれたものだと掴んでいた腕の震えから理解した。
(……きっと、自分のことを許せないんでしょうね……だから、彼女の故郷と同じ有り様のアリウスにも手を伸ばして……)
アンテノーラの誘導によって若干思考を読み違えてはいるものの、アンテノーラと言う少女が抱えている感情そのものに触れることができてしまったスバル。
どうすれば良いのかと一瞬逡巡した後、背を向けているアンテノーラを再度向き合う姿勢にさせ……そして、包み込むように抱きしめた。
「……え?」
「あなたが抱えている罪……そして裏切りへの罪悪感は、少なくとも聞いた範囲では理解しました。でも私は、それに赦すだったり赦さないだったりといった、そう言うことをどうこう言うつもりはないです。きっとその資格は私にはないでしょうから」
(違う……裁く権利は、本来君たちにもある……ただ、万が一にも赦されたくないだけで……)
「だけどせめて……私といる、この瞬間もだけでも心を休めてください。」
「……!でも、私、は……」
「苦しんでいる親友の姿は見たくない……これは、我儘でしょうか?」
「……勝てないなぁ、ホントに……ゴメン、少しだけ、このまま……」
その言葉と同時に力を抜いてスバルに抱き寄せられるままになり……その内に、その呼吸は小さく、規則的なものへと変わっていった。
「……お疲れ様です、本当に」
完全に寝入ってしまったアンテノーラを姫抱きにしつつ、スバルは近くにあった元手術台であろうベッドへとアンテノーラを運ぶ。
あまりの軽さに一瞬硬直しつつも取り落とさないように優しく抱え、ベッドにそっと寝かしたところでふと、スバルの心中に悪戯心が湧いてきた。
「……これくらい、良いですよね?」
その言葉と同時に自らもベッドに腰掛け、アンテノーラの頭を起こさないように持ち上げ……そして自らの太ももの上に乗せると、昔後輩たちにしたのを思い出しながら、アンテノーラの白い髪の毛を梳り始めた。
時折くすぐったそうに無意識に体を動かすのを見て微笑ましく思っていると、腕が当たったのかベッドの端に置かれていた資料がかさりと音を立てたのに気がつく。
落とさないようにとその資料に手を伸ばして手元に寄せるとそこには、小難しい言葉が大量に印字されている中に4文字だけ、手書きの筆記体で書かれている文字があることにスバルは気がついた。
「”
資料をそばに置くと、スバルは目の前の少女に目を向けながらそう呟いた。
資料について無知なスバルからしても明らかに脈絡がない言葉で、しかも後から書き足すような内容……
「……いえ、これ以上考えるのは止めておきましょう。たとえ私が想像した通りだとしても、それは……アンテノーラ本人の口から聞きたいですから」
そう言ってスバルは資料をベッドの片隅に置きながら、アンテノーラの唇を優しく撫ぜる。
栄養も摂らず、碌に手入れしていないのか乾いてしまっている唇だったが……改めて目を向けてしまったことで、スバルの目にはどうにも魅力的に映ってしまった。
そしてその意味も、スバルは理解できてしまっていた。
(……まさかアリウスで、こんな感情を抱くとは思ってなかったですが……)
「……心配させた罰、ですから。後は……アリウス流の
聞こえているはずがないのに言い訳をしながらも、僅かに太ももの上からずらし……そして上半身を前方に倒して、顔をアンテノーラのすぐそばまで近づけ。
そして、互いの顔の間の距離を一瞬だけゼロにし……離れた頃には、互いの唇は僅かに熱を持っていた。
「……これ、は……アンテノーラには言えません、ね……」
自らの行為に顔を真っ赤に染め上げ、スバルは思わず両手で隠すように顔を抑える。
故に、気づかなかった。
以前トリニティに向かう際に手を引かれた時と同じように……白いロングヘアの内側でアンテノーラの耳が、スバルの顔と同じように真っ赤に染まっていることは。
Tips:ノルンが”無貌のロキ”という
構成要素として”ノルン”がまだ消えていない故に”無貌のロキ”の構成に影響が出ている。
と言うわけで原作パヴァーヌ2章、及び当作0章『
……はい、癖に従って書きました。後悔はしていません。
次話以降ですが、EX回を2〜3回挟んで遂にエデン条約編に入ります。
EX回の内訳は掲示板回、アンテノーラ紹介回のバージョンアップ、短編集の中から2つ、もしくは全部といった形です。
今回が投稿早めだったこともあってもしかしたら次投稿が週一守れず来週の土日になるかもしれませんが……それ以降はずれ込まないようにするのでお待ちいただけると幸いです。
今回がかなり糖度高め回だったのでエデン条約編に入ってからのシリアスの落差が大きいかもしれませんが……当作はシリアスと百合を行き来する予定なので、百合回もまた待ちいただけると嬉しいです!
後、まだほとんどストーリーに出てきていないあの名前もエデン条約編以降はよく見ることになります……是非ともお待ちください!
お気に入りや感想、評価等いただけると作者のやる気が禁断機動しますのでよろしくお願いします〜
考察等もお待ちしております~
一番読みたいのはどれ?
-
短編集
-
掲示板回
-
アンテノーラの紹介 バージョンアップ版