日に日に暑さが増す。
魔導書を扱うのが億劫になる季節が近づいている。
それでもこの部屋は、どこか涼やかに感じられた。
「参りました、王子*1」
「来てくれてありがとう、アルヴィス」
窓からの光が王子を照らしている。
以前より、執務量が増えている。
アズムール王の代理として辣腕を振るっておられるからだ。
だが、老練な諸侯は御しきれない。
目には疲労の色が垣間見えるが、
その奥には変わらず叡智をたたえている。
こちらへ向かいながら、王子が仰る。
「君の弟たちの噂は聞いているよ。
何でも継承者三人を倒したとか。
冗談かと思ったよ。
私たちもうかうかしていられないね」
またあいつのせいだ。
アゼルはその様な事をしない。
「……私も驚きました。
誤報であってほしかったです」
学園の情報は、王家と我が家に共有される。
どの家がどの程度の次期主力を持つか、それを自ら明らかにさせる。
名軍師スサール卿*2の絵図面だ。
おかげで、版図が縮小した現在でも大陸最高の国家として存立している。
リデールも学園を通わせている。
奴には情報と勧誘を任せた。
そして、ロートリッターの誇示も。
ユリスには高位女性貴族の性格を報告するよう指示している。
彼女たちは奥に入るが、その個人の影響は必ず現れる。
現に、ヒルダがそうだ。
女を軽視すべきでない。
アゼルには、させない。
訓練の妨げになってしまっては、通わせる意味がない。
「今日はあまり会話を楽しめないんだ。
アルヴィス以外は下がってほしい」
声音に陰りは無い。
背筋が凍る一言だ。
―――――
侍従たちが退室し、二人きりになった。
応接用のソファで向き合う。
「言い出しづらい話だ。
その前に言い訳をさせてくれないか」
所在なさげな表情をなさっている。
それほどのことなのか。
「我が一門は、正しきお方に仕えるのみ。
王子のご命令であれば何なりと」
安心していただきたくて、強く言い切る。
「そこまで固くなられては、気が引けてしまうね。
その、恥ずかしい話だから」
「実は、私の後継のことなんだ」
話していただきやすいよう、少しだけ茶化す。
「ついに奥方を迎えられるのですか。
クルト様は皆を焦らしましたね」
「はは、そうではないんだ。
アルヴィス、君は神器を使ったことがあるね。
どういった感触だった」
筋が掴めない。
よほどの内容なのだろうか。
「力が湧き上がるようでした」
あれを持つだけで魔力が自然に高まる。
空気が張り詰め、騎士たちですら怯えるほどに。
「このことも話すから私たちだけになったんだよ。
正直に答えてくれ、
それだけじゃないだろう?」
王子と目が合う。
この視線には嘘をつけない。
「……自らを操るような心地がいたしました」
「私もあの感覚は好きではない。
自分が神器になり、操られているかのようだ。
これは口外できないだろう?」
その通りだ。私もそう感じた。
権威の裏付けを厭うようでは、当主としての資格を疑われる。
「多くの継承者にも話を聞いた。
武器を用いる者は皆、それをありがたがっていたよ。
身体は熱く、頭が冷える武人としての理想だと」
あれをそう捉えることが出来るのか。
確かに戦場の狂気に飲まれず、理性を保てる。
「レプトールにも聞いた*3。
感覚が同じだが、特にそのことへ思うことはないそうだ」
「私は神の意志であり、戒めだと受け取っている。
我ら聖戦士が神器を持てば、一人でも戦を終わらせられる。
だが、それはならないと我らに課されたんだ」
王子はあの忌まわしい感覚すら、理解しようとされる。
私はただ遠ざけようとしただけだった。
微笑を浮かべ、続けられる。
先ほどよりも声が明るい。
「アルヴィス、私は君が同じように思っていてくれて嬉しい。
どうにも諸侯は、力に訴える強欲な所があるからね。
内緒にしてくれるね?」
どの公国も領地を拡大したがっている。
南には土壌と交易がある。まだ抑えが効く。
だが、斧と雷は戦うことすら出来ずに領土を売り渡した屈辱を忘れていない。
「勿論です」
口外することはない。
王子と共有できることが増えた。
「ふふ、やっぱりアルヴィスと話すのは楽しい。
このことを父上に告げた時は、ひどく叱られた。
それが無くとも戒めろと」
「話がそれてしまったね。
アルヴィスとの会話では、いつもこうなってしまう」
―――――
緩やかな空気が流れる。
だが、長くは続けられない。
王子が姿勢を正した。
「それでは、本題に入るよ。
私の、恐らく娘がどこかにいる」
王子にお相手がいたとは聞いたことが無い。
それに、推測なのはなぜだ。
「一体どういうことなのでしょうか」
「神器にはもう一つ効用がある。
同血直系同士の感応、とでもしよう。
わかるだろう?」
「初耳です。面目ない」
神器について教える者はいなかった。
ファラフレイムを手に取れば、使い方が自然と分かってしまう。
他に使い手もいない、誰かに尋ねるなど思いもつかなかった。
「……なら、私から伝えよう。
まだ兄としてふるまえそうだ」
微笑を浮かべる王子。
教わることが無くなろうが、受けた恩は忘れません。
「自らの神器を使用できる者同士に生じる現象のことだ。
お互いの生存を感じられるんだ。
流石に場所までは分からないよ」
そのようなものがあるとは思えない。
「リング卿*4のことは知ってるね。
海賊に攫われた娘を10年近くたった今でも探している。
それは、この感覚に裏付けられている」
本来なら家中をまとめるため、直系でなくとも別の子を後継者指名する。
だが、いまだその席は空白のまま。
「ユングヴィ家臣団から後妻を娶るよう促されていると聞いています」
「それでも、独り身でいる。
私たちのような継承者であれば、感覚的に理解できる。
だが、聖痕を持つ程度の者には分からない。
だから、私たちはリング卿へ何も言わないんだよ」
それほど感応なるものは強力なのだろうか。
「それが奥様を迎えない理由ですか」
「……そうなんだ。
少し、長くなるよ。
君にこんな話をすべきではないと理解している。
だが、グランベル王国のために聞いてくれ」
王子が深呼吸をする。
私は再び姿勢を正す。
「彼女は私の初恋だったんだ。
お互いに心を通じ合わせた」
思い出すように語り出された。
「彼女の身分が問題だったんだ。
お互い決して結ばれることはない、そう分かっていた」
「だが、運命が私たちを引き裂いたんだ。
彼女は突然どこかへ行ってしまった」
……そのような女の末路など、限られている。
「……お辛かったでしょう。月並みな言葉しか出ません」
「それから数か月後、突然感応があったんだ」
「悲しいけど……彼女が生きているとは思えない」
「だけど、娘の気配は今もある。13歳のはずだ。
どうしても、幻覚と切り捨てられない」
アゼルとそれほど変わらない。
「それに、この状態で妻を迎えてしまえば、その人と娘が不幸になる」
基本的に同じ神器の担い手は、世代に一人しか生まれない。
つまり、王子の奥方が直系を産める可能性は極めて低い。
そうなれば、その方への圧力は想像の及ばないものになる。
ヒルダの母もそれで憔悴し、亡くなったと聞いている。
王子は迎える女性にまで心を配っている。
父上とは違う。
やはり、誠実でお優しい方だ。
「勿論、いつまでも探し続けるわけにはいかない。
あと5年だけ待ってもらえるよう父には言ってある」
現実的な視座も捨てていない。
アズムール王にはそれが少し欠けていらっしゃる。
この方こそ、我らが仰ぎ見るべきお方。
「これまで私の信頼の置けるものに任せていた。
だが、時間が無い」
「アルヴィス、お願いだ。
私に力を貸してほしい」
このような王子は初めて見る。
我らを照らす光が、私に頼んでくる。
「無論です。兄を助けるのは弟の仕事でしょう」
今だけは、こう呼びかけても許されるでしょう。
「……本当に不甲斐ない限りだ。
ありがとう、アルヴィス」
その言葉に、息がつまった。
この方に、諦める選択をしてほしくない。
全身全霊をもって、手を尽くそう。
王子は明るい声で、言葉を紡いだ。
「なら私も伴侶探しを先延ばしにして問題ないね。
釣書を捨ててもよさそうだ。
実のところ、学園にいる女性たちから決めるよう、せっつかれてるんだ」
適正年齢かつ聖痕を持つ未婚女性は少ない。
加えて、学園なら王配として外に出せる最低水準を満たす者しかいない。
「ユングヴィの公女ですか」
「その子もだね。
フリージは選べない。
朱鷹の娘も候補さ」
「……⁉」
あいつだけは駄目だ。
「言っただろう。
私たちもうかうかしてられないって」
―――――
信頼の置ける家臣たちへ内内に伝えた。
アイーダはヴェルトマー周辺と、ダーナを通じたレンスター方面*5の情報収集。
ヴァルターにも任せたかったが、手元にいない。
イザークに戦の予兆があるからだ。
手が足りない。
時間に余裕があるわけでもない。
やむを得まい。
元暗黒教団員を使う。
奴らはこの2年、大した問題を起こしていない。
邪教由来の技術も提供している。
そして、命すら懸けて我が一門への協力を惜しまない。
あの時のマンフロイの言に誤りはなかった。今のところは。
だが、信頼しきるわけではない。
神器を携え、待つ。
―――――
壁際の燭台が、跪く老人を微かに照らしている。
皺の多い口元しかうかがえない。
「ナーガの継承者ですか、3人と記憶しております」
なぜ、その人数を答える。
神器を握りしめる。
心中を悟らせぬよう、声を作る。
「なぜだ。王と王子しかいない」
「暗黒教団においてもナーガの継承者は特別なのです」
当然の如く答える。
理由になっていない。
「それがどうした」
「教団の歴史が関わっています。
ご説明させていただけませんか?」
外道には興味がない。
だが、悪を知らねば善を守れない。
「結論からだ」
マンフロイは語り始めた。
「ナーガに連なる存在がどの程度いるか判別する魔道具がありました。
十三年ほど前だったでしょうか、反応が増え大きな話題になりました」
姫が誕生された時期と相違ない。
だが、邪教の輩が王宮へ入り込むことはあり得ない。
やはり、暗黒教団は危険だ。
弁明を続ける老人。
「暗黒神ロプトウスは、卑劣な手を用いた竜神ナーガに敗北したと伝わっています。
敗走しここユグドラル大陸へ流れてきたと。
そのため、ナーガへの対策を作り出すのも暗黒教団の役目でした」
私の知る歴史とは違う。
教義の正当化か。
「そこまで。
貴様は3人いると考えるわけか」
「あくまで推測になります。
道具が正しいのか判断が付きませんので」
相変わらず得体の知れない集団だ。
「現在、極秘で3人目を探している。
貴様等の情報を出せ」
「諸国を回っていた者に話を聞きます」
数年前の情報しか集められないか。
手掛かりが無いよりは良い。
「他には」
「探させていただきます」
「わしらは各地を転々としていました。
その時の伝手を使いましょう」
また迫害されると理解しながらも申し出た。
紋章への忠義は表面程度はありそうだ。
マンフロイはくぐもった声で申し出た。
「……ご不快になられるでしょうが、
お耳に入れたいことがあります」
「必要事項だけだ」
跪いたまま背筋を伸ばし、こちらへ顔を向ける。
「聖戦士へこれを伝えるのは分を弁えぬと理解しております。
だからこそ、わしのようなものにしか出来ぬと信じております。
汚れた者だけが出来る正義だと」
随分と大仰な前口上だ。
「グランベル王国以外では、
聖戦士は必ずしも歓迎されるわけではありません」
詭弁だ。
やはり邪教に染まっている。
魔力は抑え、魔導書を構える。
「末裔たちは民衆を虐げます。
善なる者を名乗りながらも、その口で圧政を敷きます。
民は矛盾に怒りを抱きながらも敬います。
聖血に歯が立つはずがありませんから」
ドズルやフリージはしきりに拡張を申し出ている。
王子に近いシアルフィですら、戦の算段を立てている。
既存の富では満足できないのか。
声が熱を帯びる。
「だから、わしらも隠れ潜んでいました。
貴方様たちが、この世にも正義が残っていると示されるまで」
立ち上がり、私へ正対する。
「わしたち、いや普通の民にとって、法が正しく運用される事が理想なのです。
領主の壺が割れたから徴収、
隣の姫が欲しいから徴兵、
そんなことは沢山です‼」
叫び、訴えるマンフロイ。
ヘイムの聖血は、そのような暴虐を許さない。
「話を逸らすな」
魔力を高め、黙らせる。
崩れ落ち、声から熱が失われた。
「……申し訳ありません。思い出してしまいました。
わしが言いたかったのは、
そのお方はどこかに隠れ潜んでいるということです」
「アグストリアとヴェルダンだ。
他国では我らの身動きが取れない」
聖ヘイムの血が見つかれば王国が盤石になる。
万一の時、我が血に流れるロプトを確実に抑えられる。
そして、王子の幸福へと繋がる。
マンフロイが囁くように問う。
「見つかった暁には……いかがなさいますか」
「無論、保護し王族へ復帰していただく。
手荒な真似は、断じて許さぬ」
マンフロイの声が、一段沈む。
「その……御当主様はそれでよろしいのですか?」
「躊躇う理由など、無い。
我らは正道をなす者だ。
貴様もそう心得よ」
老人の口元が緩む。
轡を並べることを許された歓喜だろう。
姫を見つけ出す。
それが、我らの責務だ。