春の陽気に包まれる回廊を進む。
まだ雪に閉ざされているシレジアとは違う。
あとひと月はあそこに行きたくない。
やはり、王都は過ごしやすい。
若からの呼び出しだ。
おかげで昨日は、ベッドで寛げた。
今日は腰の調子も良い。
当主執務室に入ると、侍従が告げてくる。
「奥にてお待ちです。飲み物は無しとの事です」
短く済みそうだ。
アグストリアの統治状況か。
あるいは、イザーク利権の整理の内訳か。
戦況が伝えられるのだろうか。
なんにせよ、報告程度だ。
その後はユリスの顔でも見に行こう。
―――――
若の前には果実茶が置かれていた。
「私の分が見当たりませんが」
「今はユリスが滞在しているからな。
あいつに淹れさせた」
若は悪びれずにカップを傾ける。
「ほう、ならば私にもお願いしたい。
最近ユリスとも、ほとんど会えていません」
久しぶりにリーネの果実茶が飲みたくなってきた。
「安心しろ、直ぐに終わる。
その後で頼め」
―――――
若はカップをソーサーに置く。
「手短に済ませる。王子が退位なされる」
思わず眉を顰める。
未婚の王子が、政治から下りる。
イザークで何かあったか。
だが、誰が上に立つ。
言葉の意味を測る。
「……それだけでは分かりません。
肝心な事は、情報共有を徹底。
そうお教えしました」
「流石のお前でも分からないか。
私が王の実務を担う」
既に一門が肩代わりしている。
元暗黒教団の連中まで動員している。
クルト王子が出征され、アズムール王は御心細くなられている。
それを改めて宣言する。
つまり、王位簒奪か。
扉へ視線を向けた。
確かに閉まっている。
周囲を確かめ、口を開く。
「……王族を排するおつもりか」
「違う。姫に王位についていただく」
姫。
頭で言葉が繋がらない。
高齢の王には王子以外に子はいない。
あの若造にいるはずが無い。
どこか遠縁の娘を据えるつもりか。
「どなたにせよ、宮廷雀どもが認めません。
神器の王、ナーガを扱えぬ者なぞグランベル王足りえません」
若は肩を竦めた。
「王子の娘だ。直系だ。
何も問題あるまい」
ありえない。
あの男はシギュン様の後、女に近づこうとしなかった。
仮に、極秘裏に存在していたとしても、私が知らぬはずが無い。
思わず身を乗り出す。
「そんな話聞いたことがありません!!」
若が私を手で制す。
「貴様には知らせていなかっただけだ。
私も数年前に知らされた」
私に伝えない。
つまり、事情がある。
外部に赴く者が知るべきで無いこと。
「……説明していただけますね」
「良いだろう。
ここで貴様と話すといつも長くなるな。
短く済ませよう。飲み物は無しだ」
果実茶をすする若。
―――――
若はカップを揺らし、水面の果実を弄ぶ。
「姫は、母上が逃げた時についた女が産んだ」
……なに?
シギュン様の件を……ついに……。
まずは落ち着けることを主眼に置かねば。
「直系であることは確認済み。
王子が亡くなられる前には、王都に到着される」
謀殺か。
情報が足りない。
おどけた声を意識する。
「若、もしや錯乱なされましたか。
シギュン様がどのようになったのかは、我が家でも掴めていません。
それに王子が暗殺されるのであれば、近衛である我らが動かなくては」
「安心しろ。
私は狂気に染まっていない。
王族、いや、全ての人類を神の軛から解放する」
話が掴めない。
まずは心理的揺さぶりをかけ、主導権をとらなければ。
事実の確認からだ。
「……王子とシギュン様の事はご存じなのですね」
「ああ。4年程前、姉上に確認した。
イシュトー*1が産まれた後だ。
大事な時に心労をかけてはいない。
ユリスすら知っていたとは、驚いたよ」
……やはり、ご存じだったか。
だが、ユリスには誰が伝えた。
もしやアゼル様まで。
「そんな顔をするな。
私はお前たちには感謝している。
当主として一角になるまでに知れば、父上のようになっていたに違いない」
ヴィクトル様の名まで出すか。
声も震えていない。
本当に感謝しているようにしか見えない。
「きっかけは、王子の命令だ。
姫を探すように命じられたよ。
その探索で期せず、な」
賢しらな若造め!!
一門を破壊した挙句、その様なことまで!!
家を離れるべきでなかった。
若とアイーダが成長し、任せてしまった。
重石が抜けた途端、恥知らずめが。
「魔力を高めるな。貴様らしくない」
喉が焼けつく。
身体が背もたれに押し付けられ、自由が利かない。
若の魔力か。
神器。
いや、先ほどまでは何も感じなかった。
これ程までに、魔道を極められた。
「落ち着いたな。続けるぞ」
圧が消えていく。
空気が肺に戻ってくる。
この私が、ただの魔力で気圧された。
もう若に、正面切っては勝てないのですね。
だが、それだけでは決まらない。
「シギュン様を奪った王子への復讐ですか。
それなら早く言ってくださいよ。
今から王を燃やしてまいります」
「許さぬ。
我らは近衛、王を守る一族だ」
王子だけが対象。
立ち回り次第で家は潰れない。
姫がいるのであれば、国体は維持できる。
問題は、若がどこまで耐えられるか。
それに、若はあの者を兄のように慕われていた。
衝動で動かれて、後悔に沈まれては不味い。
「ならば、王子を殺す道理が通らない。
一体何を考えておられるのか」
「王子が壊れてしまう前に、終わらせる。
私が新王の実務を担い、完全なる法治国家を実現させる」
つまり、事実上の王権奪取狙い。
王子への愛憎でそこまで至ったか。
止めねば、家が潰れる。
「若が次の王子になるだけです。
重責に押しつぶされますよ。それに皆が巻き込まれる。
そこまでせずとも良いではないですか。
若は幼い頃から苦労なされた。
嫁でも探して、これまで通り過ごしましょう」
若の瞳が冷たくなる。
「貴様には、一門としての自覚が無いな。
残念だよ、心から」
その発言は許さない。
「何をおっしゃる。
私が貴方に伝えた!!」
「ならば、なぜ世界へ目を向けない」
「筋が掴めません。
王子を討つことは、炎の紋章とは関係ない。
ただの復讐だ。
そんなもので、我らの信念を汚すな!!」
「勘違いするな。
私は王子を休ませることが目的ではない。
王子ですら、この世界の犠牲者の一人だ。
その先に目指すものがある」
何を言い出すんだ。
口ぶりから、王子へは恩讐を抱いているようだ。
だが、殺して救うとは、一体。
若はカップを傾け、口を湿らせる。
「神器と聖血、それらが世を支配している。
そのせいで持つ者も持たざる者も苦しむ」
「貴様には直系の苦しみが分かるだろう。
父上を見ているのだからな」
ヴィクトル様……。
あのお方は、凡人だった。
なのに、この家に産まれてしまった。
だから王子を殺せなかった。
狂い、脅迫観念に襲われながらも、
直系のせいで当主から降りられなかった。
それに、目の前の若もだ。
7歳にして当主など、尋常じゃない。
我らと若造の支援だけで、勤めたのが異常なのだ。
この方もついに……。
早く世継ぎを作っていただかなければ。
「王子も、他の当主たちもそうだ。
皆、望まぬ役目を押し付けられている。
真面目な者程苦しむ」
戦友にして政友を思い浮かべる。
彼は、力不足の王を今でも支え続けている。
イザークにありながら、宰相として国家を回す。
それよりも家族と共に過ごしたがっていた。
私にもその気持ちが分かる。
「自らの苦しみを他人に投影しているだけです」
「そう捉えるか。まあいい。
聖痕持ちもそうだ。
姉上の事は貴様の方が詳しいだろう。
私が産まれる前も知っているのだからな」
ヒルダ様は、先代の長女として誕生された。
聖痕が浮かび上がった当初は問題なかった。
だが、しばらくすると風向きが変わった。
天賦の才に加え、長女としての信念を持ち、万事を修められた。
学園に入る前ですら、炎魔法以外は先代を上回っておられた。
先代はその非凡さと黒髪から自らの子で無いとお考えになった。
それが伝播し、多く囲っていた愛人たちからも馬鹿にされていた。
それでも、先代を補い、家のために尽くしていた。
「私が産まれた後、
そして当主になった後のことも思い出せ。
常に辛苦に苛まれていた」
逆風は強くなった。
若が生まれて間もない頃に、直系であることが判明したからだ。
先代にとって、ヒルダ様は不要となった。
自分より仕事が出来、
愛人やシギュン様の扱いに口を出す娘を疎んでいた。
実務の観点から、私達の反対で残っていただいたが、申し訳ないことをした。
それからは、内向きの仕事と若の教育に押し込められた。
極めつけは、先代の死後だ。
後目争いを起こさないための振る舞いを強制させてしまった。
仲睦まじいアルヴィス様へ姉として接することすら奪われた。
ブルーム様との婚姻を先延ばしにしてまで家に尽くした。
彼女が居なければ、今のヴェルトマーは無い。
「我が家で言えば、ユリスもだ。
それに、ユングヴィの次期当主もそうだ。
聖痕持ちも血に縛られている」
胸が痛む。
だが、ヴェルトマーを支えるのが我らの使命だ。
「ユリスは、我が子です。
覚悟が出来ている」
あの子には、大したことを教えてやれなかった。
だが、ヒルダ様とリーネから教育を受けている。
その程度の労苦なぞ、当然だ。
「そうか。押しつぶされないといいな。
血を持たぬ者もそうだ。
征服したヴェルダン、アグストリアでは不正が絶えない。
貴様のように、聖痕を持たぬ聖戦士に連なる者が横暴を働いている。
それを受けるのは、平民だ。
抑えるものが必要だとは思わないか」
「……それは、官僚不足のせいです。
占領地が増えたから、仕方ありません」
「土地が減れば満足か。
だが、今の戦争は未来の王国経済を支えるためのものだ。
貴様も理解できるだろう」
若もイザーク戦の意義を理解されている。
経済にも配慮していたか。
「……何がしたいのですか。
我らには血と神器がある。それは変えられない」
理想論者は現実を見ない。
だが、若は実態に取り組まなくてはならない。
「遍く全てを従える律を作る。
神から脱却し、人間の作る仕組みが統治する。
だが、それだけでは貴族と民は従わない。
現世の長が服従すれば、誰も逆らわない。
血に纏わる属人的な今を変える。
神器をただの道具に下ろす」
意思は固いようだな。
ならば、現実を突きつける。
思いだけなら、折る。
「それで実権剥奪ですか。
家として何も利益がありません」
「それがどうした。
我らは炎を抱く者。
ただの貴族や商人なぞではない。
貴様と姉上から引き継いだ、ファイアーエムブレム」
家是を出されると弱い。
それだけは、我らが否定してはならぬ。
「王子を殺すことが正義ですか。
随分と御冗談が上手くなりましたね。
クルトにいさまに甘えられなくなりますよ」
あの者への思いは捨てきれないでしょう。
恩讐は振り切れない。
「そうだ。
暗闇を切り開き、照らしだすのが我らだ。
ファラより以前から続く、我らの系譜」
若は空になった果実茶を眺める。
少しの悲しみを顔に浮かべ、私に向き直る。
「私はクルト兄さまを殺す。
そして、我らの痛みを未来から滅却する」
心理攻撃は効果が薄いか。
「現実的ではありません。
殺害は出来ても、そこまでです。
各家が専横を許さない」
ヴェルトマーは中立だ。
旗色を決めず、必要な時だけ出し抜く。
そんなことは、どこも許しはしない。
「ドズルとフリージは提携済みだ。
それに、ユングヴィの次期当主も私が面倒を見ている」
王家を除く六家の過半数を取っていたか。
王子派の家まで取り込んでいる。
政治も抜かりない。
残弾はあと一つ。
「ヒルダ様のご子息、
あなたの甥と姪も巻き込むおつもりか」
ヒルダ様を大切に思っているなら、
子供たちも説得材料になるはず。
「安心しろ、姉上は最初から味方だ。
その未来を暖めるためだ。
決して我ら姉弟のようにはさせない」
「姉上、いいな。
今なら家中でもそう呼べる」
手が浮かばない。
「……私は……」
若は、大きくなられた。
いつまでも小さな頃のままだと勘違いしていたのかもしれない。
当主としての全てを備えている。
もう、教えることは残っていないのだな。
「貴様に無理を強いるつもりはない。
長い間良く尽くしてくれた」
……最後のご奉公だな。
「効果的にお使いください」
「殺すなら、もっと上手くやる。
純粋な謝意からだ。
貴様をどうこうすることはない。
ただ、情勢が安定するまではユリスの縁談は待ってくれ」
良い返しだ。
本当に何もない。
私は、若の知らない部分を補うことにしよう。
「いつになったら、落ち着くんでしょうかね。
死ぬ前には、娘の花嫁姿を見せてくださいよ」
「私はファラの末裔探しを担当しましょう。外回りには慣れてます。
先代は様々な所に愛人がいましたからな。
若は家中で粛清した者しか知らないでしょう」
若が笑う。
この部屋で見たことがない表情だ。
「全く、父上は仕方ないな。
話を聞かせてくれ。まだお前が必要だ。
飲み物を持ってこさせよう」
若が立ち上がり、扉に向かって歩いていく。
不思議な解放感に包まれていた。
これまで、長かった。
娘たちにも寂しい思いをさせてしまった。
アムネリスにも長いこと挨拶出来てない。
これからは、家族のことも考えよう。
ユリスも暫くは嫁がない。
それまでは、父親らしいことをしよう。
外からこの密談部屋にまで届く音がする。
若は足を止めた。
私は懐から魔導書を取り出し、若へ手渡す。
若の前に立ち、携行ナイフを構える。
扉が叩かれる。
というよりは蹴られているのか。
若と視線を合わせる。
「誰だ。会談中だ」
「ユリス様です!!
よくわかりません!!」
侍従の返答が聞こえた。
彼らしくない、要領がつかめない返事。
私がやらなくてはならないことは、残っているらしい。
「若、空けますよ」
扉を開く。
向こうから若を見えぬような位置取りを意識する。
そこには、両肩に人の胴体を渡して運ぶユリスが居た。
片腕は、担がれた人物から垂れ下がった銀髪に覆われている。
手と足がユリスの上着で縛られている。
「緊急。解除済み。
空から降ってきた。
リカバーちょうだい」
……分からん。
数年後に分かるが直系ではない。
おかあさんといっしょだね。
大胆な登場はヒロインの特権。