女が笑顔のまま近寄ってくる。
月明りに照らされた瓦礫の上をゆっくりと下り、私に近寄って来る。
もう一撃放てば終わらせられるはず。
今度は全力で撃ってやる。
息を目一杯吸い込む。塵で咳込んでしまった。
「痛いところはない?
大丈夫、椿油は傷にも効く」
乱れた懐を探っている。
何も無いことを確認すると、悲しい顔に変わった。
だが、それでも歩みは止めない。
私の魔力で空気が重くなっているはずなのに。
「……髪油とか持ってない? 塗れば傷が化膿しづらくなる」
この魔力が分からないのか⁉
もう撃てるんだぞ‼
「本当にアルヴィス様の子供?」
「何が言いたい‼」
父上と比べて馬鹿にしているんだな‼
舐めるな‼
貴様はボロボロじゃないか‼
私はまだまだ出来るんだぞ‼
「挨拶は返すもの。返せないなら、適した返事はすること」
そんなの後でいいだろ‼
近づいてくるな‼
「魔力の使い方が下手。雑兵を散らすのにしか使えない。
コツがあるんだよ。
マナーと合わせて教えてあげる」
もう一度、笑顔になる女。
「構えたままでいいから、怖がらないで」
「貴様なんか怖くない‼」
「なら寂しい?
どちらにせよ、まずは立とう」
女は怒号を意に介さず、目の前に屈んできた。
縫い目だらけの左手が、私に差し出された。
不細工な腕に気が付いたようで、右手と入れ替える。
「ごめんなさい。
こんなになってるとは思っていなかった。
こっちなら、怖くないでしょう?」
……。
こいつは一切魔力を高めていない。
武器だって持ってない。こっちには神書がある。
座ったままだと、いざという時に動けない。
差し出された手は、暖かった。
引き上げられる力に従って、立ち上がろうとする。
「お前はズィーベンだ。そして皇子に仕えろ」
暗闇から重く響く声がした。
―――――
地下室の天井には大穴が空き、並んでいた棺は跡形もない。
瓦礫の上に私のマントを敷いて、月光の中に座らされる。
「さっきのことは私にも非がある。申し訳ない。
でも、状況が分からない中のことだったのも考慮すべき」
ロプトウスを強く抱く。
今度は殴られても、離さない。
「お前はバーハラで死んだ。*1
それから17年の時を経て、我が教団の秘術と皇子の暗黒力により蘇ったのだ」
これが本当に死体だったのか。
きっと、イザークの剣士だ。こんな異常者はヴェルトマーに居るはずない。
「37……。
冗談でも行かず後家って言えない歳だ……」
「お前の戯れに付き合うつもりはない」
話を煙に巻くつもりだったのか。
だけど、マンフロイに任せておけばどうでもなる。
「死体のお前を復元するのは骨が折れたぞ。
腕はお前自身のものだが、抉れた背中はお前の姉アイーダから取ってきた」
そんなことをしていたのか。
……母さまやユリアには、嫌だな。
女は背中をさすっている。
「暗黒力? のせいかな。
前よりも肉親への情が少なくなった気がする。
ということは、聖痕は削れたの?」
立ち上がってユリスの背中をのぞき込んでみる。
継ぎ目を境に背中の質感が他よりも悪そうだ。
立った私についていた埃を女が払ってくる。
……こんなことをする者は、私の周りに居なくなってしまった。
マンフロイは気にせず続ける。
「血に宿る力は残っている。
忌々しい印なぞどうでもよい。些事にこだわる阿呆共とは違う」
女は私の衣服の皺を丁寧に伸ばしている。
生地を張る音と一緒に塵が飛んでいく。
「道具が一つ減っちゃった。便利だったんだけど」
二人に挟まれたままで、なんだか居心地が悪い。
お互いに自分のしたいことを優先していて、噛み合っていないような気がする。
「本来魔将は命令に従うのみの肉人形になるはず。心当たりはあるか」
「検証はどれくらいしたの? 歩留まりは?」
その場から飛びのく。
服に引っ張られ、女がよろめいた。
マンフロイの言葉を当たり前のように受け入れている。
聖痕の有無の重要性すら軽く見ている。
この女も、暗黒教団員か。
「……貴様は父上に仕えていたんだろう。なぜその様なことを聞く」
女はふらついたことを誤魔化すように、はにかんだ。
「ヴェルトマーは後ろ暗いこともやる。
効率的な拷問法に、火刑の効果的なやり方。その歳なら学んでるでしょう?」
父上はそんなことをしない。
こいつは蘇生のせいでおかしくなっている。それか嘘つきなんだ。
ロプトウスを抱え直す。
「皇子はグランベル帝国を継ぐお方。その様な事よりも学ぶべきことがある」
マンフロイも否定しない。
まさか、そんな……。
「火継ぎは?」
私をじっと見つめる視線に、たじろいでしまう。
「それなら済ませている。お題目を教えられた」
ユリアと一緒に教わった。
母さまも横にいて、ファラの系譜とその心について学んだ。
でも、ヒルダは保身のために子供狩りに精を出している。
それのどこが、一灯だ。
「誰を燃やした?
私は内向きの仕事の師匠にして、乳兄弟のお母さん」
笑顔で、世間話をするような調子。
書を強く抱きしめて、確かめる。
「……どういうことだ」
そんな大切な人を殺して、なんで笑っていられるんだ。
火継ぎは、ファラの系譜としての心と炎魔法を継承する儀式。
そんな悍ましいものではない。
ユリスは私ではなく、老人の方を向く。
「マンフロイさん、この人は本当にアルヴィス様の子供?」
また疑った。
この赤髪こそが父上との繋がりを証明している。
ファラの一門らしい私の見た目で分かるはず。
「そうだ。お前こそ誤魔化そうとしているな」
助かった。
これもこいつの策略か。
魔力を再び練り直す。
「確かに内輪の話だった。そう思われても仕方ないね。
部外者のマンフロイさんは驚いたよね。
でも、ヴェルトマーではままあること」
そんなこと、聞いたことがない。
「大切な人を焼くことで、炎は大きくなる。
その人が永遠の燃料になってくれるからね」
女が月を見上げている。
私からは表情が見えない。
「私は8歳の時にやった。
まだ魔法を使えなかったから松明で」
左手を規則正しく動かしている。
「疑うなら、アルヴィス様に聞いてみるといい」
……。
私は、そんなの教わってない。
こちらに悲し気な笑みを向けてくる。
「アルヴィス様にとって母親のような方だったから、聞き方だけは間違えないで」
口元に指を立てている。
「息子にそんなこと聞かれたくないでしょ。
ユリウス様は駄目。マンフロイ師匠からお願い」
狂人なのに父上には配慮をしている。
……私にはこいつが分からない。
貴族のように見た目に気を使い、皇帝への敬意を抱いている。
だけど、教団員と同等か、それ以上の狂気を孕んでいる。
「多分だけど、ロートリッターはまだアルヴィス様に忠誠を誓っているでしょ。
それは絶対に消えない薪を作っているから」
死んでいたはずなのに、騎士団のことを言い当てた。
伝統のことといい、本当にヴェルトマーのことを理解しているようだ。
私が教わっていないことも、知っているかもしれない。
「それで、私に何をさせたいの?
ズィーベンだっけ、変なあだ名まで勝手につけてるけど。
ユリスっていう男っぽい名前にも愛着はある」
私の前で、トンボ取りのように指をくるくる回し始めた。
―――――
「もはや、そのような名前ではない。ズィーベンと名乗れ。
お前は皇子の魔法訓練のお相手を務めろ。他の者ではすぐに壊れる」
今日は帰る。
だが、明日全てを聞き出してからこいつを壊す。
指を三本立てる女。
「三つ質問。まずはどっちが私の主?」
「勿論私だ。私の力で蘇っているんだぞ」
「その通りでございます。
皇子が暗黒力の供給を止めれば、お前はもう一度死ぬ。
二度目の蘇生は不可能だ。冥府へ帰らぬよう、存分に励めよ」
そうなのか。
だったら、主導権は私にある。命綱を握っているなら、何でも言うことを聞かせられる。
いきなり壊してしまうのは、もったいないかもしれない。
「次の質問。
私の権限と情報制限はどこまで?
17年過ぎているなら、情勢把握が必要」
「最低限だ。お前を自由には出来ない」
確かに、こいつは危険だ。
何をするか分からないなら、羽を捥げばいい。
これなら、私を裏切ることも、ヴェルトマーへと逃げることも出来ない。
女はため息をつき、最後に残った指を折る。
「最後の質問。
私の主は何を目指すの?」
そんなの決まっている。
マンフロイが答えるより先に、口を開く。
「世界を支配する」
そうすれば、母上たちを見つけて、父上とも昔のように過ごせる。
イシュタルもヒルダの変化に苦しまなくなる。
私が頑張れば、みんなが幸せになれるんだ。
「先に宣言する。
私を最大限活用するなら使い方が違う
殺すならこの場にして。無駄に時間や思考を割くべきじゃない」
私の内側まで検分するかのような視線。
ロプトウスを掻き抱く。
「それよりも、名前をいい加減教えるべき。
アルヴィス様の息子を名乗るなら、相応しい態度を見せて。
赤眼赤髪如きで証明できる程、炎門は軽くない」
背筋を伸ばし、片手だけで神書を握る。
私と同じ紅玉の瞳に向かって、名乗りを上げる。
「ユリウスだ」
―――――
「私はユリウス様のお母さん、ディアドラ王女殿下の筆頭近侍兼教育係を務めた」
女は、くすっと微笑む。
「先走った。
確認だけど、ディアドラ王女殿下が母親であってる?」
「その通りだ。
だが、貴様の顔など見たことはない」
「当たり前。
ティルフィングと相打ちになってあなたの両親を守った。
その時に背中ごとファラフレイムで焼き殺されたんだと思う」
感触の違いを確かめるように背を撫でている。
「率直に言うけど、あなたたちは王城に上がるのに相応しくない」
「それがどうした。私が法だ」
女は咀嚼するように沈黙。
少し間を置き、温度の無い赤が私を嘲る。
「本気で支配する気、ある?」
「力だけで一瞬従わせるのならそのままでいい。
グランベル王国を統治するなら不足。山賊と同類。
反乱とか起きてない?」
イザークには解放軍を名乗る賊が出ている。
それに触発され、各地で暴動が起きているらしい。
でも、そんな下賤な者とは違う。これもマンフロイの策略の一部。
「その職につく前は、王の使者と内政補佐もしていた。
だからこそ、見ただけで分かることもある」
私たちの全身を眺める女。
距離を詰め、私の襟を直し、髪から塵を払ってくる。
手のひらでマンフロイの方へと視線を促してくる。
「マンフロイさんは暗躍と暗黒教団の管理は出来るんだろうね。
でも、統治や宮廷政治のことは知らないでしょ。
軽んじているんじゃない、事実を述べただけ」
平静な声でマンフロイを挑発し始めた。
「だから、そんな恰好で、そんな振る舞い。
私の時代でもそう見なされる。つまり、今では古典か芸人」
装飾が全く無い暗い色のローブ。
葬儀でも着ないだろう重苦しい格好は王宮で浮いている。
常にいるわけではないこともあり、居る時は特に目立つ。
「ユリウス様だって、汚い格好のだらしない人には近づきたくないでしょ。
正直、まだ若いからお目こぼしされてるだけだと思う。
何より、モテない。女受け最悪。
王配には、まともな人を選びたいでしょう?」
私にはイシュタルがいる。
そんな問題は起こるはずがない。
でも、隣に立つ私のせいで恥をかかせたくない。
他人の目がある中、マンフロイが横にいる時の気持ちは味合わせたくない。
「人を縛り付けるのは、力だけじゃない。
振る舞いだけでも相手に立場を教え込ませられる。
毎回ロプトウスはナンセンス。不経済」
癪だが、正論だ。
毎回私が出向く手間が減る方がいいに決まっている。
「的から逃れようとしているな。
お前は元々皇子の訓練相手とアルヴィスへの当て擦りの道具だ。
それ以外の利用価値は無い」
沈み込むような声で、気づかされる。
こいつは役目から逃げようとしていたのか。
だが、そういう方面に長けた人材が必要でもある。
それに私やイシュタルに萎縮しない人間で、教師を出来る者は居ない。
能力がある者は、皆それに見合った仕事で手が空いていない。
……父上は、皇帝の業務で忙しい。
「それくらい並行できないの?
思っていたより老化したんだね。全く見た目は変わらないのに。
昔の師匠は、技術開発と私へ闇魔法の伝授、それに暗躍をしていたでしょ。
私はナーガの標的と、お人形さんの代理も出来た」
嘘だ。
あの光竜は人間用ではない。
だけど、本当なら有用だ。使い捨てにするには惜しい。
逆賊のティルフィングと父上のファラフレイムを受けられる人材は貴重だ。
「お前が我らに従う理由がない。意思が残っている時点で余計な変数だ」
そこまで慎重にならなくてもいいのに。
「命を握られている。死んでるけどね。
それに、私の家は炎の紋章に纏わる家」
その言葉に、肩が跳ねる。
昔は何度も耳にした言葉だ。
だけど、いつの間にか聞くことが無くなってしまった。
「ならば、正義を成すべく埋伏の毒になるか」
ため息をつく女。
「門外漢は、皆勘違いする。
炎の紋章を抱く者は正義を追及する。
纏わる者は、例え何があろうとそれを支える。
私には聖痕があったけど、ヴェルトマーじゃない」
一瞬、女の表情が揺れた。
「アルヴィス様とディアドラ様を守った。それ以上の証明が必要?」
母さまを守ってくれたのなら、信じたい。
父上のことを知り、私がその背に近づく足がかりに出来るかもしれない。
「それで、どうするの?」
手を広げ、無抵抗を示している。
「だったら試してやる。
明日、訓練場で的として使ってやる。
生き残れたのであれば、お前の言う活用法にも付き合ってやろう。
対価に、お前のほら話を聞いてやる」
原作で”バーハラの悲劇”と呼ばれる。原作前半のラスト。
ご都合主義的ですよね。
原作では、死者蘇生が出来る杖があったり。
蘇って当たり前のように各地を放浪する存在がいたり。
死後、娘の身体を乗っ取って息子へメッセージを送ったり。
突然岬で亡くなった夫と共に息子の前へ姿を見せたり。
そんな奇跡を起こせる人間が居れば、不可能ではないかもしれませんね。
原作2部の補足があった方がいいですか?
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前書きで
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あとがきで
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脚注で
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要らない