ファラの聖戦 ~椿油和え~   作:AKI久

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やっぱりナーガはろくでもない ―グラン歴777年

日差しの溢れる廊下を歩きながら、さっきの光景を思い出す。

 

黒龍で相手を転がし、痛めつけ、吹き飛ばす。

その繰り返しが、心底愉快だった。

 

最初は避けられてばかりだった。

途中で、魔法自体で視界を塞がないよう指示された。

言われた通りにロプトウスを放てば、面白いように当たるようになった。

母さまを指導していたのは嘘ではないようだ。

 

二発当てるたびにリカバーの杖を使わせられるのは面倒だったが、壊れたら遊べなくなる。

マンフロイが居れば奴に任せたというのに。

これも手入れの一つだと教えられた。最小の手間で、最大利益を得るためだと。

 

訓練後、身体中を揉みほぐされ、私は怪我を負っていないのにもかかわらず杖を使われた。

あれだけ食らっていたのに、平然と身の回りの世話をしてくる。

頑丈な玩具だ。ある程度は自ら動くから、面倒が少ない。

 

その際、昼食を取ったら皇子専用のサロンに来るよう言ってきた。

前言を翻す程気に食わないわけでもない。扉の前で足を止める。

本当に教育係として仕事をするのか。今までの者は、私の威圧で何もできなかった。

あいつには一体、何が出来るだろうか。

 

―――――

 

サロンには日光が降り注いでいる。

窓から入る光は目障りで、気に入らない。

 

この部屋は相変わらず静かだ。

私を恐れて誰も近寄ろうともしない。控える者も居ない。

響くのは、自分の足音だけ。

 

椅子に座るズィーベンの赤髪が光を受けて朱色を静かに広がっている。

机の上には、装飾された箱が置かれている。

 

「失格」

 

無礼なことを突然言ってきた。

 

「私はまだ何もしていない」

 

「……ここまでとは思わなかった。

マンフロイさん以外の世話役は何をしてたの」

 

不服そうにこちらを眺めている。

 

「そんなものは居なくなった。

私が神書を携えてからは、近寄りもしなくなった」

 

「まずは魔導書を置いて。直系の悪癖」

 

机上の装飾箱を開けてこちらに見せてくる。

中には何も入っておらず、ちょうど魔導書一冊分の空間しかない。

 

「裏切るつもりか? それとも臆したか?」

 

あれほど痛めつけられたんだ。

私に恐怖しているのだろう。まだ壊れていないだけ、評価してやる。

 

反して、ズィーベンの唇が弧を描く。

 

「また怖がらせちゃってごめんね。

気にしないで、怯えると継承者は神器に頼る。シグルド軍でも確認済み」

 

この私が、恐れる?

武器すら持たず、いいようにされた女如きに。

 

「そんなことはない‼」

 

「はっきり言って、無様。

アルヴィス様やディアドラ様にも似たようなことを言った」

 

ありえない。

私だけでなく、あの二人まで馬鹿にしている。

 

「父上はそんなことしない‼」

 

「あなた達は普通の人より強力な手札を持っている。

でも、それだけ。切り方を誤らないで。

言っていることは分かる?」

 

至近距離で決めてやる。

座ったままのズィーベンの背後にまわる。

こちらには一瞥もくれない。まるで全てを委ねているようだ。

 

「神様がついていなきゃ人と向き合うことも出来ない」

 

首筋を黒龍に噛み殺させてやる。

これなら耐えられない。確実に、ここで終わらせる。

 

「今だって無駄に魔力を高めた。

家族のことは言われたくないんだね」

 

その程度のブレは関係ない。

魔法を発動させるのに支障は無い。

 

「敵対するなら、そこを責める。

対面せずに毒殺でもすればいい。神器を食器にする人はいない」

 

父上にそんな隙など存在しない。

 

……違うな。

こいつにそんなことが出来る繋がりは無い。それを実現できるほどの裁量も与えない。

ただの虚勢でしかない。

 

「次はどんな情報をくれるの?」

 

気に食わないが、魔力を沈める。

 

ズィーベンが前を向いたまま装飾箱を片手で掲げ、こちらに見せつけてくる。

私はこいつの正面へと足を進める。

 

「よく出来ました。賢い子。

神器は依存物質。授業中は禁止。

この箱の中にいれて。それも難しいのなら机に置くだけでもいい。

無理強いをするほど私は強引じゃない」

 

微笑みを浮かべながらも、こちらを測る瞳が癇に障る。

 

「その程度、造作もない」

 

箱を取り上げ、ロプトウスを収めようとする。

 

手が思うように動かない。

こんな奴の言うことを聞く必要はない。

 

だが、軽んじられたままでは居られない。

 

身体に感覚が戻る。

胸の内から何かが抜けていったようで、落ち着かない。

 

蓋を閉じる音だけが、やけに響く。

ここは、静かすぎる。

 

こんなもの、無い方が楽なのに。

 

―――――

 

「今日は髪の簡単な手入れを教える」

 

僕が席につくなり、言ってきた。

 

「それくらい知っている」

 

そんな当たり前のことは必要ない。

さっきのように戦闘で実用性のあることの方が知りたい。

 

「簡単に情勢を確認した結果、必要と判断した」

 

イザークで解放軍が挙兵した。

その調子で反乱分子をまとめさせる。

そして、最後は僕達で仕留め、誰が頂点かをはっきりさせる。

 

本当に状況を把握したのなら、的外れだ。

 

「戦場で化粧でもする気か」

 

「間違いではない。

基本技術であり、貴族にとって戦場でも必要なこと」

 

如何にも、女らしい。

表面ばかりに金をかけ、その奥底を磨こうともしない愚か者。

 

「貴様は実戦に行ったことがないな。

大方使い走りとしてしか仕事をしたことがないんだろう」

 

「敵を倒すだけなら雑兵でも出来る。私たちはその先を行く必要がある」

 

「汚い大将を想像してみて。

激戦の後なら似合う。でも、普段からそんな人について行きたい?

そんな将を見て、敵はどう思う?」

 

マンフロイのような敵将か。

強いて言うなら、不気味ではある。だけど、恐ろしくはない。

 

「余裕が残っていない。攻めるべきだ」

 

「そう捉えるのが常道。

見た目は武器。私はこれで聖剣と相打ちに持ち込んだ」

 

ありえない。論理が飛躍している。

 

「嘘だ。貴様なんかに出来るわけがない」

 

魔法への耐久力は認める。

だけど、魔術殺しのティルフィングには意味がない。

 

「勘違いしないで。神器は道具の一つ。

次、無駄に魔力を高めたら鉄拳制裁」

 

無意識で圧を発してしまっていたか。

 

「どうやって逆賊シグルドを倒したというんだ。答えて見ろ」

 

長手袋で覆われた左腕を持ち上げて、口が開かれる。

 

「左手ごと相手を燃やしてお腹に聖剣を封印した」

 

……?

 

どういうことだ?

 

片手を犠牲にする意味はなんだ。燃料にはならない。

それに封印ってなんだ。ティルフィングに刺されて無事なわけない。

……いや、死んでいたな。でも意味が分からない。

 

「真偽はアルヴィス様に聞いて。

しつこいようだけど、聞き方だけは配慮してあげて。思うところはあっても、責めたいわけじゃない。

それに、ユリウス様に親を抉らせる気はない。敵でもないのに親子仲を割くような真似をする必要もない」

 

あの夜に見た左腕と背中には確かな傷が残されていた。

常識から外れているが、否定しきるほどの材料もない。

 

「……本当に?」

 

父上は、逆賊シグルドの話をしたがらない。

悪人ではあっても大陸の西側を制覇した強者。

それを打倒したんだから、もっと誇っていいはずなのに言葉を濁されてばかりだった。

 

ズィーベンが命を賭して、協力して倒したのか。

それなら話したくない気持ちも理解できる。

僕は気が付かないうちに、父上を責めてしまっていたんだ。

 

……だから、当てつけなんだ。

本当に、趣味が悪い。

 

「私は王の使者を拝命させて頂いていた。襲われるのが日常。

人質か、金品か、胎盤か、どれを求めても当たりが一つは引ける。

それを跳ね除け続ければ、これくらい出来るようになる」

 

父上が統べるまでは世界は荒れていたんだな。

矯正して、維持するのは大変だったんだろう。だから忙しいんだ。

 

「私のお父様なら、もっと上手くやる。神器がないだけで侮るのは愚か」

 

本当に聖痕持ちが継承者を倒せるなら、甘く見ない方が良さそうだ。

僕やイシュタルなら大丈夫だけど、ブリアンはどうか分からない。

グランベルのために尽くしてくれている者は守りたい。

 

「見た目次第で、グランベル帝国皇子も侮られる。むしろ、反乱を芽吹かせる肥料にもなる。

……それにしても違和感がすごい。帝国だなんて」

 

僕には王国の方が変に聞こえるけど。

 

「そんなもの、従者に任せればいい」

 

ズィーベンは指を立てて規則的に横に振っている。

 

「アルヴィス様と同じこと言ってる。

戦場にそんな人を連れていける? 守れる保証は?」

 

その指を僕の額に突きつけてきた。

 

「教育係すら離れていったユリウス様」

 

「……命令すればいい。皇子に逆らう者はいない」

 

僕の返答に対して、小突いてきた。

 

「これは戦場に限ったことじゃない。

同じ苦労を分かち合った者はより深い繋がりを得る。

髪だってそう。女性相手でも共感できる」

 

僕の目をのぞき込んでくる。

こちらへと顔を近づけ、声を潜めて続けてきた。

 

「つまり、髪の手入れが出来ればモテる」

 

……‼

 

「ひけらかすのは駄目。ウザイだけだから。

さり気なく相手の努力を認めて褒める。これが効く」

 

イシュタルに喜んでもらえる。

 

言われてみれば、手入れも大変なのかもしれない。

マメなイシュタルのことだから、自分で全部やってるのかも。

……あんなに長いのになぁ。

 

微笑を浮かべて問いかけてくる。

 

「誰か良く思われたい相手はいない?

その人にも命令だけで側にいてもらうの?」

 

……それは、嫌だ。

イシュタルには自分の意思で僕のことを好きでいて欲しい。

誰かに命じられて側にいるなんて、配下と変わらない。

 

「早速体験してみよう。

記憶喪失だったディアドラ様にも教えた実績がある。

その後私で練習してみて」

 

母さまもこいつから習ったんだ。

なら、父上からも認められてたんだ。

だったら、任せてもよさそう。

 

―――――

 

一緒に鏡台の前に移る。

こんなもの、ここには置いていなかったはずなのに。

 

ズィーベンは道具箱から一回り大きい櫛を取り出した。

目が粗いものから使っていく。

大まかに髪をとかしていく。下から段々と上にあがっていく。

 

髪が擦れる音だけが響く。

 

「音を立てられるのがディアドラ様の好み。

特に右耳周辺でやられると、頭を預けてきた」

 

そうなんだ。

そういえば、母さまに子供の頃やった時にくすぐったそうにしていた気がする。

 

確かに心地いい。

 

「次は目の細かいの」

 

僕に一度見せつけてくる。

さっきよりは小さくて、歯と歯の間が狭い。

 

また下から上に進んでいく。

先ほどよりもスムーズにとかされていく。

音も小さくなった。

 

「アルヴィス様はこの時に撫でられるのが好き」

 

櫛とは違う感触がする。

 

頭を撫でられるのは、いつ以来だろう。

母さまが居なくなってからは、されていない気がする。

 

神書が無くても、あまり胸が締め付けられない。

 

「案外、アルヴィス様は誰かに触れられたいからサボってたのかも」

 

「そんなことない」

 

また父上を馬鹿にしてくる。

 

「きっと、息子の前では格好つけたいだけ。

不器用で、寂しがりで、良い格好しい。

アルヴィス様が10歳の頃から知っているのが、私」

 

魔力を高めたせいで、軽く叩かれた。

全く痛くない。

 

「その頃は、あなたみたいに魔力をすぐに高めて威圧してた。

段々改善していったけど、そういう人」

 

父上にもそんな時期があったんだ。

いつか、そんなことをしなくてもいいようになるのかな。

 

「ファラの人間は大抵素直になれない。

みんなひねくれてるから、逆に分かりあえた。

知ってる限り、私の乳兄弟だけが例外。あなたの叔父さんね」

 

僕の叔父さん。

どんな人なんだろう。

 

「アゼルって名前。聞いたことない?」

 

「無いと思う。どんな人だったの?」

 

ゆっくりと髪がとかされる。

 

「……優しくて真っすぐな子。

他人の良い所ばかり見る、一緒にいると楽しい子」

 

「会えないの?」

 

「蘇ったばかりだよ?

私に自由はない。多分無理。

それに、あの弟馬鹿。なのに聞いたことがないなら……」

 

櫛が止まった。

父上が話してくれなかったと言うことは、ズィーベンと同じようなことがあったんだろう。

賊軍にいたイチイバルの継承者あたりと相打ちになってしまったのかもしれない。

 

「……ズィーベンの恋人?」

 

イシュタルが居なくなる。

そんなこと、考えたくもない。

 

「違う。

そんな切れるようなものじゃない。

半身。あなたにとってのロプトウス」

 

鏡越しに目が合う。

肩が跳ね、とっさに装飾箱へと手を伸ばす。

 

燃やし尽くすような赤だ。

 

「……そう、なんだ」

 

こちらに気付いたズィーベンが一度目を瞑る。

再び開くと元に戻っていた。

 

「アゼルにとっては違ったみたい。

素直にならないとこうなるかも。反面教師にしてね」

 

ロプトウスが無くなる。

その時、僕には何が残るんだろう。

 

頭を軽く撫でてくる。

 

「さあ、最後に髪油。

椿油がお勧め。ヴェルトマーではみんなに使った。

ロートリッター含め、みんなお世話になってる。ユリウス様はどうする?」

 

「僕もそれにする」

 

「感謝すべき。それのおかげで、ユリウス様が産まれた」

 

訳の分からないことを言いながら道具箱から香油瓶を取り出し、振っている。

 

もしかして、父上は身だしなみが雑だったのかな?

母さまも父上のお手入れをしているって言ってたし。

僕も少しは気にしようかな。

 

―――――

 

鏡台の前を入れ替わり、注意されながら髪をとかす。

他人の髪を触るのも久しぶりだ。

 

ユリアを思い出す。

母さまからお互いにやって慣れるよう言われた。

 

……二人とも、どこかに行ってしまった。

見せる相手も居なくなったから、わざわざやろうとも思わなくなってしまった。

 

「さっきのが基本。次はお茶会の基礎確認」

 

次の段取りか。

もう少しだけ、やりたかった。

 

「そんなの分かってる。必要ない」

 

……でも、聞いておいた方がいいのかな。

父上たちのことも、もっと知りたいし。

 

鏡にニヤニヤした顔が映る。

 

「仲人ユリスは誤魔化されない。好きな人、いるでしょ」

 

「……」

 

突然振り返り、頭を叩かれる。痛くはない。

 

「髪が崩れる。魔力を高めないで」

 

「貴様が叩いたせいだ‼ それにズィーベンだ‼」

 

「本気で言ってるの」

 

冷たい瞳で僕を見ている。

 

……僕にも非がある。

 

「魔力はごめん。癖なんだ……」

 

「痛くなければ覚えない。内向きのことを仕込んだ人の台詞。

私は針を刺したりしない。痛くなかったでしょ。

でも、慣れるまでは殴っていく」

 

叩いた部分を撫でてくる。

少し椅子から腰を浮かしてまで腕を伸ばしている。

 

「……頑張る。

それはそうとしても、僕の魔将なんだから名前を間違えないで」

 

一度もズィーベンとは名乗ってくれない。

まだ慣れていないんだろうけど、間違うのは仕方ない。

だけど、それを指摘しても訂正すらしようとしない。

 

「あなたが私に何を求めているかで変わる。

てっきり、マンフロイさんの出来ない部分全てを任せられてるのかと思った」

 

「そうだと思う。あいつは魔法以外あんまり教えてくれないし」

 

最近はそれすら滅多にしてくれない。

 

「私は闇魔法も使える。マンフロイさんから習った。

つまり、戦闘要員兼傅役兼侍従兼サンドバック。ディアドラ様の時よりは楽だね」

 

だからあの時マンフロイを師匠って呼んでたんだ。

 

「……多くない?

それに、母さまの時はもっと忙しかったの?」

 

「おかげで死ぬほど働く羽目になった。実際死んだ」

 

どういう顔をすればいいんだろう。

笑うのも違う気がする。

 

ズィーベンが真面目な顔になる。

 

「つまり、敵からすれば狙い目。排除すれば空白が生まれる」

 

この王宮に暗殺者が入るとでも思っているのか。

 

「そんなのは無理だ。僕だっている」

 

離れた場所にある装飾箱に手を伸ばす。

側頭部を叩かれた。痛くないけど、いい音だ。

 

いつの間にか、箱へと足を進めていた。

 

「危険は少ないに越したことはない。

ズィーベンは戦うときだけ名乗る。それ以外はユリス」

 

そんなに僕の配下になるのが嫌なのかな。

 

「……ズィーベンの方がいい。そっちは僕の名前と被ってるし」

 

「ユリウス様の側近が二人いるように見せかけられる。

人を従えられると思われれば、人望も増す。

あなたもロプトウスの力以外で従えられるようになったと扱われる」

 

「……そんなのもう出来ている」

 

「周りに誰もいない。目の前は死体だよ」

 

「そんなことない‼」

 

マンフロイだって……いる。

 

両手で頬を挟まれ、顔を逸らせない。

 

「誰だって、最初は家族やお人形から慣れていく。

私は死んでいるし聖痕も抉れたけど、はとこのつもり」

 

笑顔に変わり、頬を揉み解される。

 

「人が増えれば、面倒も増える。失敗だって取り返しがつかないこともある。

でも、上に立つ気があるのなら身に着けよう」

 

「……うん。分かった」

 

「じゃあ、お茶会の話に移ろう。誘いたい人のことを教えて?」

 

―――――

 

鏡台からテーブルに移る。対面して座る。

 

「イシュタルっていうんだ。

フリージの娘で、長い銀髪が綺麗なんだ。

僕と一緒で生まれつき魔力が高くて困っていたんだ。

でも、僕達なら一緒に居ても怖くない」

 

出来るだけ分かりやすくイシュタルについて教えてあげた。

ズィーベンは手をおでこに当てて呟き始めた。

 

「……想像外。

そう、選んだんだ。この場合、私はどうなるんだろう?」

 

両手で顔を覆ってしまった。口元しか見えない。

 

「何言ってるの? 会ったことないでしょ」

 

「……生前に、抱き上げたり、顔をみたり、服を繕ったり」

 

「なんだ、知り合いなら説明しなくて良かったのに」

 

「……いや、その、赤ちゃんの頃。

757年の秋に産まれたでしょ。誕生祝いに会いに行った」

 

死ぬ前に顔を合わせたんだ。

それなら実質会ったことがないじゃないか。

 

さっきからずっと低い声。

なんだか、迷っているみたい。

 

「私は二十歳。今では同い年。

死んでた期間は数えないで。目を突く」

 

「僕はそんなの気にしない」

 

「……そうだね。これは私の感傷。

イシュトー様とイシュタル様はヒルダ様みたいな思いをしない。喜ぶべき」

 

全く嬉しそうじゃない。

 

ズィーベンの腕に雫が伝う。

手袋の上で日差しを受けて輝いている。

テーブルに落ちるまで、何も考えられなかった。

 

テーブルクロスに水分が広がっていく。

分からないけど、このままじゃいけない。何とかしないと。

 

「な、泣かなくたっていいだろ。

大丈夫、誰も年齢なんて気にしないよ。

僕がいつか立派な旦那さんを見つけてあげるから。

ねえ、ユリスって呼ぶからさ、泣き止んでよ」

 

―――――

 

しばらくすると、手を開いてハンカチで拭きだした。

 

人間って本当に声を立てずに泣けるんだ。

知らなかった。

 

ユリアと喧嘩した時は、お互い大声で泣いた。

蟲毒*1の中は、いつも

子供たちの泣き声と叫び声が混ざっていた。

 

「申し訳ない。

死んだせいか涙もろくなった。

決して歳のせいじゃない。マンフロイさんのせい」

 

「僕は二度と年齢のことを言わないよ。約束する」

 

絶対に言わない。

ズィーベン、いやユリスを泣かせたいわけじゃない。

 

「ユリウス様、女性に対してそれは当たり前」

 

「うん……。でも泣くとは思ってなかった」

 

「それもないこともないけど、そうじゃない。

私の献身は、無駄じゃなかった。ヒルダ様も、戦い続けていた。

それが、堪らなかった」

 

「ユリスとイシュタルは関係ないでしょ」

 

「直接はね。

でも、あの時シグルド様を止めたからユリウス様がいる。

その相手が、ヒルダ様の娘。あの小さな赤ちゃん」

 

手を両手で包むように握ってくる。少し濡れている。

そのまま、僕の目を真っすぐに見つめてくる。

残った涙で紅玉が輝いている。

 

「産まれてきてくれて、ありがとう。

まだあなた自身のことは知らない。

それでも、ありがとう」

 

マンフロイは、こんなことを言わない。

それどころか僕のことをこんな風に思ってくれる人は残っていないのかもしれない。

 

きっと、ユリスは敵じゃない。

僕の側にいてほしい。

 

*1
原作十章で言及あり。

子供たちを互いに殺し合わせ、生き残った者を帝国領民とする。




原作における二部(子世代)になったため、これまで作中で触れた人物の一部を簡単な家系図にしました。
本作は血縁が物語や政治に大きくかかわるため、ご参考までに。

【コーエン家】

コーエン ─ アムネリス
     ├─ アイーダ
     └─ ユリス(ファラ傍系)

※コーエンの母とヴィクトルの父は兄妹

【ヴェルトマー家】

ヴィクトル(ファラ直系)
├─ ヒルダ(ファラ傍系)
├─ アルヴィス(ファラ直系・ロプト傍系)(母:シギュン)
└─ アゼル(ファラ傍系)(母:リーネ)

【フリージ家】

レプトール(トード直系)
├─ ブルーム(トード直系) ─ ヒルダ(ファラ傍系)
│             ├─ イシュトー(トード傍系)
│             └─ イシュタル(トード直系)
├─ ティルテュ(トード傍系)
└─ エスニャ(トード傍系)

【グランベル王家+α】

アズムール(ヘイム直系)
└─ クルト(ヘイム直系) ─ シギュン(ロプト傍系)
             └─ ディアドラ(ヘイム直系・ロプト傍系)

シギュン(ロプト傍系)
├─ アルヴィス(父:ヴィクトル)
└─ ディアドラ(父:クルト)

※アルヴィスとディアドラは異父兄妹

ディアドラ ─ シグルド(バルド直系)
      └─ セリス(バルド直系・ヘイム傍系)

ディアドラ ─ アルヴィス
      ├─ ユリウス(ロプト直系・ファラ傍系)
      └─ ユリア(ヘイム直系・ファラ傍系)

表示ズレがあったら申し訳ありません。

原作2部の補足があった方がいいですか?

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