熱を持った手をさすられる。
温かいし、柔らかい。
「私が言いすぎた。事情も分からないのにね。
ユリウス様、許してくれる?」
上目遣いで謝ってきた。
考えてみれば、フリージの大人はユリスが子供の頃から関わっていた人たちなんだ。
ユリスにとっては苦しいことなんだ。
怒っても、仕方がない。
「……うん、気にしない」
「じゃあ、最初から話してくれる?
何も知らないままじゃ、選べない」
―――――
一度、大きく呼吸をする。
「……気が付いたら、僕の周りからみんな居なくなったんだ。
母さまもユリアも……。
マンフロイが神書を持ってきた、7年前のあの日から」
箱を撫でる。
昔、この中にナーガが入っていたらしい。
母さまの扱いが雑だからって、ユリスが用意した箱。
今はユリスだけが、家族の名残を教えてくれる。
「父上は僕を遠ざけて、今ではシアルフィ城で政務をしている。
僕を置いて、王宮から出て行っちゃった……」
装飾に指をはわせる。
それでも、あの感覚はやってこない。
「神書を持っていると、寂しさも忘れられるんだ。
それどころか、何でも出来る気がしてくる」
こんな話には、ちょうどいいのに。
「僕がもっと強くなって世界を支配すれば、どんなことでも出来るようになる。
もう一度、みんなをここに集められる。
父上も、僕と一緒に正しい世界を作ってくれる」
僕とユリア。
光と闇を宿した僕達だからこそ、真の正義を成せる。
どれだけ苦しくても、耐えられる熱もファラ様から受け継いでいる。
そう、火継ぎで教わった。
「……想像以上」
このことを話したのはユリスが初めてかもしれない。
……誰も、聞こうとすらしてくれなかった。
「分かったことは、私のことをあんまり信じてもらえてなかったんだね」
少し俯きがちなユリス。
僕は、傷つけたいんじゃない。
「違う‼
その、聞かれなかったから……。
今度からはちゃんと相談するよ」
「私は古びたお人形。お好きにどうぞ」
また自分のことを物扱いする……。
生きていて、思い通りになんてならないくせに。
「ごめん……」
ユリスは一度ため息をつき、指を鳴らす。
「適切な相手に相談すること。信頼も維持できる。
アルヴィス様はそれが出来てなかった」
時々、父上を馬鹿にする。
こういう所は好きになれない。
「父上は皇帝だよ。そんなことない」
「シグルド様を討つ相談をされなかった。
おかげで、文字通り腕だけで挑む羽目になった」
左の長手袋を外し、素肌の左腕を見せつけてくる。
肘から縦に一筋切られたせいで、全体に縫い目がついている。
普段は見た目を気にして、長い手袋を着用している。
あまり見ていたくない。
顔を逸らしてしまう。
共有は大事。大切な人が死んでしまうかもしれない。
頬を挟まれ、正面を向かされる。
手の熱と、縫い目が顔に当たる。
「ユリウス様には、父親も教師もいる。
アルヴィス様には、居なかった」
「分かったよ。必ず相談する」
ユリスには、ずっと僕の側に居続けてほしい。
「じゃあ、正しい世界ってなに?」
片手で装飾箱が取り上げられた。
溝の感触が、肌に残る。
―――――
話す前に、相手のことを考える。
その方が早く確実に伝わる。
ユリスから教わった。
きっと、起きるまでのことは知らないはず。
「ロプト教団は不当な差別をされ続けてたんだって。
父上がそれを禁止して、今では大手振って歩けるようになった。
きっと、父上にもロプトの血が入っているから何とかしたかったんだね」
正義のために戦う、なんて誰にでも簡単に言える。
汚職官僚ですら、平然と口にする。
それを実現したからこそ、父上は皇帝なんだ。
背中が、くすぐったい。
ユリスは嚙みしめるように、目を瞑ってしまった。
「……そう」
「ユリスも、ロプトは嫌い?」
嫌われたくないな。
……こんな思いに父上は耐えてきたんだ。
「教団の所業を見て、忌避感はある」
「ロプトの血は分からない。
ファラ様の先祖は正義のためマイラ様も助けたと聞いている。
十三人目の聖戦士を助けることに異議はない」
父上もロプトの血を、聖騎士マイラの血と言ってた。
きっと、ヴェルトマーでは嫌われてなかったんだ。
それにしては、ユリスの顔が歪んでいる。
「なんで、そんなに複雑そうなの?」
「……子供に聞かせる話か迷っている」
また子供扱い。
嫌だけど、嫌いじゃない。
「父上のこと?」
ようやく目を開けてくれた。
「そう。それに私の後悔。
年下には、出来る女に見られたい」
軽い言葉のはずなのに、瞳が揺れている。
「僕に教えられない?」
一拍置いて、話し始めた。
「……私の力不足のせい。
アルヴィス様は、少なくとも私が死ぬまで隠し通していた。
ユリウス様の想定より、その事実は重い」
ロプトの血を持つ者の親族も火刑。
昔はそうだったらしい。
「教団とロプトの血は今でも嫌われているみたい。
差別を禁止しても、嫌がらせをされ続けているって聞いた」
父上が制度を敷いた。
そして、それが守られるように世界のほとんどを帝国の影響下に置いた。
それでも足りない。
だったら、それを上回る力が必要だ。
「私たちは何回も暗黒教団を炙った。
当時はそれが社会を安定させる手段の一つだった。
気分は良くない。だけど、必要なことだった」
肩が跳ねる。
「ユリスもしたの?」
ユリスは闇魔法だって、マンフロイから習っていたんだ。
そんなこと、するはずがない。
「私の初陣もそう。
その直後から、ヴェルトマーに暗黒教団上がりの人員が増えた。
入り込むために、マンフロイさんが生贄にしたんだろうね」
まるで、マンフロイが悪役みたいじゃないか。
あいつは教団員のために必死に働いているのに。
僕にも闇魔法や教団の秘儀を教えてくれている。
「……何も悪いことをしていないのに、随分残酷だね。
ユリスだって、子供狩りのことは言えないじゃないか‼」
「否定はしない。
だからこそ、アルヴィス様は立ち向かったんだと思う」
父上は、やっぱりすごい。
「今では、王宮でだって教団員が働いてるよ。
元々能力はあったのに、偏見だけで虐げられていただけなんだ。
僕は二度とそんなことが起きない世界にしたい」
「あなたに聞いている。他人の動機を持ちださないで」
言葉が、詰まる。
……嘘じゃない。
だけど、見透かされているみたいだ。
―――――
「僕は……これは正しいと思う」
ユリスの手が、装飾箱を机に押さえつけている。
僕の手が牽制された。
「統治するだけなら、従来の方法でもよかった。
あなたは、それなのに暗黒教団の方法を選んだ。
少数が多数に合わせる。それが道理」
「それにイシュタル様に親子を引き裂かせようとしている。あのフリージ家に。
先々代の当主は、自分を殺した娘に愛してると残した。
私が代理で伝えたから覚えている」
ユリスの瞳が恐ろしい。
いつもとは違い細く光っている。
猛禽のように、絶対に僕を逃がさないつもりだ。
「……絶対的な君主が上に立つ。父上もそうやってた」
民から反乱の芽を摘み取れる。
子供を手元で養育すれば、未来の危険も排除できる。
諸侯の力を削いで、貴族も逆らえなくなる。
父上は逆賊シグルド軍を倒して誰よりも権力を手にした。
僕も同じことをすればいい。
少し手順が違うだけだ。
「あなたにはロプトウスと暗黒の力がある。アルヴィス様は神器だけ」
「何が言いたいんだ‼」
ユリスだって、父上に付き従っていた。
「当たり前の話だよ。劣った者は置いて行かれる」
……僕のことを言っていたのか。
「馬鹿にするな‼」
「神器を道具として使う者と、依存する者。
どっちも老人の掌で踊らされている」
「そんなことない‼
マンフロイは僕の配下だ‼」
「数年前までロプト教団の儀式無しでも、グランベル帝国が成り立っていたと聞いている。
どうしてそちらを選んだの?」
……そんなの、決まっている。
「子供狩りのことか。
お互いを憎み合い殺し合い、優れた者のみを新たな帝国の臣民とする。
残った家族の嘆きが僕の力になる。
これ以上の統治と実益に叶う方法はない」
ユリスは左手の指を二本立てた。
「損失が大きすぎる」
一つを折る。
「将来の労働人口が減る。国庫は民がいてこそ潤うもの。
負の感情を集めたいなら、戦争でもすればいい」
腕の縫い跡に、目が吸い寄せられる。
「拷問と公開処刑でも可。
これならヴェルトマーにノウハウがある。
子供より老人の方が多く知り合いがいて、未来に影を落とさない。
その方が手っ取り早い。悪趣味だけどね」
残った指を突きつけてきた。
指先から視線を逸らせない。
「私は闇魔法を知っていても、教団の儀式は知らない。
多少は内政のことは分かっても、マンフロイさんの企みは知らない。
ユリウス様は、切り分けられている?」
ユリスが光を模した装飾箱を持ち上げる。
こちらに表面を見せつけている。
「あなたが使いこなす。使われるんじゃない」
「当たり前だ‼」
ユリスが愉快気に語り始めた。
「神器は精神に影響を与える。高揚感や安心感と聞いている。
シグルド軍の継承者は、突けば面白いほど頼りきりになっていた。
アルヴィス様はその感覚を恐ろしく思っていたけどね」
僕と同じように逆賊を弄んだのか。
それに、父上まで。
「ロプトウスは神器じゃない。
神が宿った魔導書だ。格が違う」
「そっちの方が影響が大きそうだね。心当たりは?」
箱に手を伸ばす。
指先が、空を掴む。
ユリスは箱を机の下に隠してしまった。
「いつだって僕の味方をしてくれる‼
身体だって、自然に動いてくれる‼」
神書だけは、僕に寄り添い続けてくれる。
どこにも、いかない。
「おかげで、あなたの周りには私とマンフロイさんしかいない。
家族を奪い去り、侍女たちも近寄らない。
これのどこがあなたの味方なの?」
「イシュタルだっている‼」
ロプトウスのせいじゃない。
僕が、魔力を制御しきれないせいだ。
そのせいで、みんな離れていったんだ。
僕と同じイシュタルは側に居れる。
「その人をこれから孤独にさせ、傷つける。
依存させ、操り人形にする妙手。そういう手腕は学んでいたんだね」
「そんなんじゃない‼」
「そうだね。
イシュタル様は継承者。支えてくれる神書はないもんね」
「……僕が、いる……」
「それを命じるのはあなた。自作自演」
喉が、締め付けられる。
指先まで冷たくなって、頭が回らない。
「そんな風に……言わないでよ……」
神書がほしい。
「私は、ユリウス様を責めているわけじゃない。
気が付いてほしかった。あなたの選択と、その責任について」
「……」
「君臨する者は、選ぶ責務を持つ。
そして、その先の未来を背負わなければならない。
どれだけ非道と罵られようが、決めなければならない時もある」
「分からなくても、考えを止めることは許されない。
あなたがユリウス皇帝として在りたいのであれば」
ユリスが箱を持ち上げて、軽く振る。
軽い音が、中から聞こえる。
「神書の代理人なら、忘れていい。
マンフロイさんとロプトウスの人形として過ごせばいい。
私とおんなじだね」
手を伸ばしたい。
「あなたは、どうして皇帝になりたいの?」
でも、向き合ってくれる人からは逃げちゃだめだ。
僕は人形じゃない。
―――――
一度、深呼吸をする。
「……僕は、前みたいにみんなで過ごしたい。
母さまも父上も、ユリアも一緒に暮らしたい。
それには絶対的な力が必要なんだ。マンフロイが言っていた」
ユリスが箱を机に置く。
僕からも簡単に手が届く。
誰の手も乗っていない。
「探すだけなら今でも出来る。
それに皇帝にだって不可能はある。
帝国継承の引換券なんて、どこに匿われていてもおかしくない」
そんなの、分かってる。
「だから、暗黒の力が必要なんだ。
きっと、母さま達はどこかに攫われている。
それが強まれば、人間には出来ないことも実現できる。
ナーガの直系を見つけ出すことだって、訳ないって言ってた‼」
「ユリウス様、寂しいんだ」
手をこすり合わせる。
神書ほど落ち着かない。
「……うん」
「覚えておいて。
探し出せても、過去には戻れない。
そこまでの屍への責任を果たさなければならない。
あなたの覚悟を問う前に、昔話をしてもいい?」
「聞かせて。必要なことなんでしょ」
きっと、知らない方が幸せなことだ。
―――――
ユリスが咳ばらいをし、喉の調子を確かめている。
「あくまで、私の知る範囲。
3歳からの付き合いでも、信じて貰えなかった者の視点。
子供に聞かせるべきではない、禁忌の話」
声を段々と低く、ひそめるユリス。
いつもふざけている時の調子だ。
瞳も恐ろしくはない。
「前置きはいいよ。どうせ父上のことでしょ」
「雰囲気づくり。出来る女感を出したかった」
僕のことを気遣ってくれている。
いい加減、分かってきた。これがヴェルトマー流なんだ。
「そんなことしなくても、ちゃんと聞くよ」
指を鳴らし、そのまま突きつけてくる。
赤い瞳が、鋭くなった。
もう少し優しいままでいて欲しい。
「お遊びはここまで。
兄を見捨て、最愛の弟を殺し、息子に追いやられた男の話」
信じがたいことを言ってきた。
「本当に父上の話?」
「私から見た事実と、伝聞に基づいた話。
クルト王子、あなたのお爺様のことはどれくらい聞いたことがある?」
「優しくて責任感の強い人。
父上が盤上遊戯を教わったって言っていた」
その人の話になると、父上はいつも寂しそうだ。
それでも、僕達に伝えたがっていた。
顎を撫でる癖みたいな、余計なことまで教えてくる。
「そのお方は、ディアドラ様の父親でありアルヴィス様一家を崩壊させた張本人。
弟のような子供を大人に仕立て上げ、自分の尻拭いをさせた」
……意味が分からない。
そんな人を父上が慕うわけがない。
きっと、まだおふざけの時間なんだ。
「作り話は止めてよ。真面目な話なんでしょ?」
少し声が震えてしまった。
それでも、正面の赤目は揺らがない。
「アルヴィス様の母、シギュン様と密通しディアドラ様を授かった。
アルヴィス様の父、ヴィクトル様は関係を知って狂死した。
その直後にシギュン様は姿をくらました」
「それでもクルト様は、アルヴィス様と関わり続けた。
事実を伏せたまま、ディアドラ様の捜索をさせた」
「私たちも隠していたから、アルヴィス様だけは知らなかった」
「そんな……」
喉の奥が、乾く。
続く言葉が出ない。
ただの外道じゃないか‼
そんな人を父上が許す訳ない‼
聖ヘイムの末裔が、そんなことしない‼
ユリスが軽く手を振っている。
「まあ、その一件で隠していたことが知られてしまった。
私たちは、本気で暗殺を考えてたよ。
誘拐して何人か子供を作らせた後、処分するつもりだった。
アルヴィス様にばれて、抑えるよう言われてしまったけどね」
……ユリスは、王すら道具のように見なしている。
こんなのだから、神書に対してもあんな扱いなのか。
「ここ、笑う所だよ」
なんて、笑顔で付け加えてくる。
どこに愉快な要素があるんだ。
血が通っていない冷徹な判断だ。
でも、父上への愛情からの計画でもある。
なんだか、ちぐはぐな感じがする。
「彼はイザーク遠征の折、当主の誰かに殺された。ここの真実は知らない。
でも、アルヴィス様が把握していなかったとは思えない。
推測だけど、その時点でディアドラ様の存在を知っていたんだろうね。
でないと、政治的空白が生まれてしまう」
「父上は……見殺しにしたの?」
箱に手を伸ばしたくなる。
両手を握りしめ、我慢する。
「恐らくね。私には断言出来ない。
だけど、アルヴィス様とディアドラ様の間に産まれたのがあなた。
推測だけど、教団の手引きがあったんだろうね」
ユリスがマンフロイのことを好いていないのは何となく分かる。
マンフロイへの言葉は、他の者よりも丁寧だ。
だけど、師匠と呼ぶくせに、暖かさが無い気がしている。
それでも、こじつけが過ぎる。
「二人は関係ないよね。そんなのに騙されないよ。
ユリスが、二人が初めて手をつないだ所までも教えてくれたでしょ。
他にも初めての逢引だってそうだ。それなのに、教団が関われるはずが無い」
「ディアドラ様は記憶を失い、空から降ってきた。
魔将になって知ったけど、解放軍頭目セリスの母であるんだってね。
バーハラでシグルド様と再会した時も、何かを思い出しそうだった。
アルヴィス様にとっても、誤算だったのかもね」
母さまと逆賊シグルドの間に生まれたセリス。
聖ヘイムの血を継いでいるだけで、担ぎだされた兄上。
会ったことすらないけれど、少しかわいそうとも思う。
「……それは……たまたまだよ。
記憶を失う前の夫と会ったから、動揺したに違いないよ」
「ユリウス様がロプトウスの直系になったのも?
私には、シギュン様がロプトの血を引いていたとしか思えない。
同じ聖痕を持つ二人の間の子は継承者になる。だから、禁忌と呼ばれる。
作為が無い方がおかしい」
背筋を冷や汗が伝う。
僕が、仕組まれて作られた。
まるで、家畜みたいに。
そんな……はずはない。
マンフロイは僕のことを気にかけてくれている。
「これならシグルド軍を葬ったことにも、理屈付けできる。
アルヴィス様に権力を集中し、母屋を乗っ取る。
マンフロイさんの賞賛されるべき手腕。
それも、露見することなくやり遂げて見せた。
私より調略の腕は上なのに、ユリウス様には教えていないんだね」
……変数を減らす。それが管理の肝でございます。
マンフロイの言葉が頭をよぎる。
「……あいつは忙しいんだよ」
「ディアドラ様とユリア様の失踪にも噛んでいそうだよね。
本当に行方不明になったのか、二人のナーガ継承者を消したのか」
「……違うよ」
あいつは……色々なことを教えてくれた。
ユリスだって、僕にくれた。
「そうだね。
ロプトの血を広め、濃くしたいなら消すべきじゃない。
産む機械にすべき」
僕の頬に手が添えられる。
「でも、同時期にロプトウスを手に入れたのも偶然かな?」
赤目から逃げられない。僕は目をつぶる。
それでも目蓋の裏に残る赤が消えない。
あの日、二人はどこかに行ってしまったらしい。
僕はよく覚えていないけど、父上がそう言っていた。
頬にあった感触が離れていく。
「まあ、今は重要じゃない。
グランベル帝国初代皇帝は、こんなもの。
17年も会ってないから、今が幸せかは知らない」
「……父上は、今でも政務をされている」
僕とは滅多に会ってくれなくなった。
それでも、帝国を回し続けている。
僕の決定だって多少の抵抗をしても、通してくれている。
「アルヴィス様はそういう人。7歳から当主をやっていた。
村々を焼き、母替わりの女性が亡くなった時ですら仕事を出来る人。
クルト様が亡くなった時も、国葬の段取りをしていた」
「どれだけ辛かろうが、折れることが出来ない。
だから、皇帝なんてやっていられる」
「……ユリスは父上が嫌いなんだね」
片腕を切り落とされても、その命をかけて守ったくせに。
目を開く。
ユリスの顔は、優しいものだった。
「言いたいことは山ほどある。
駄目な所も嫌な所もいくらでも挙げられる。
流石に、息子に伝えるのは憚られる」
だったら、そんな風に言わないでよ。
「何が言いたいの」
「せかされちゃった。
じゃあ、アゼルの下りはカット」
「つまり、皇帝になるということはこういうこと。
思い通りになんていかない。義務だけが増える」
「ユリウス様は、それでも皇帝になりたい?」
―――――
口を開く前に、考えを整理する。
軽く答えてはいけない。そうしたら、二度と戻れない気がする。
もし、ユリスの言う通りだとしたら、皇帝になる方が損だ。
何も楽しそうなことはない。
大切な人だって、父上のように見捨てなきゃいけなくなる。
命を賭けてくれる程の忠臣からもこき下ろされる。
「それでも、僕は皇帝になりたい」
口から零れて、初めて気が付いた。
自分でも止められない。
「ユリア達に会いたいだけじゃない、父上に憧れたんだ」
聞いてきた声が一つ一つ、記憶が思い起こされていく。
「教団員が言っていた。
背筋を伸ばして歩けるようになったって」
擦り切れたローブ以外の服も着れるようになったと伝えてきた。
僕には、よく分からない。それでも、本当に嬉しかったことが伝わってきた。
「官僚が言っていた。
窮屈な世の中になったって誰もが不平を漏らしている。
でも、それすらできなかったのが王国だったって」
それも民衆の息抜きの一つだそうだ。
あまりにも当たり前で、よく分からない。
完璧ではないけど、世界は良くなったんだと思う。
「騎士が言っていた。
血筋じゃなく、個人の能力で判断されるようになったって」
そのせいで、教団員が多くなったって文句ばかり。
だけど、騎士達の奮起する一因だと知っている。
「……きっと、僕には父上みたいに帝国を作り上げることはできない。分かってるよ」
胸をかきむしりたくなる。
自分の口から出たせいで、聞かないふりもできない。
小さい頃から当主なんて勤めてない。
実務だって、ほとんどやったこともない。
側近なんてユリスしかいない。
こんな僕じゃ、おこがましいのかもしれない。
「でも、ロプトウスの力も合わせれば不可能じゃない。
闇だって、世界のために存在している。それだけは、僕が証明する」
僕は帝国を安定させることが役目。
そして、父上の理想、誰も差別されない世界を実現する。
神書を携える僕にしかできない。
「玉座は人を摩耗させる。あなたの曾祖父はそうなった」
「僕は聖ヘイムの末裔にして、聖騎士マイラの子孫。ファラの系譜でもある。
世界を変えた父上の息子なんだ。やり切って見せる」
僕の中にも、こんな想いがあったんだ。
確かに父上から火継ぎはされていた。
そんな実感が勇気をくれる。
「私は自分だけの紋章を投げ捨てた。あなたの両親を守るためにね」
温かさを奪い去る声。
金縛りにあったように、身体が動かせない。魔力でもない。
ただ、視線が僕を縫いつけている。
「その前で、口に出す意味は理解できているの」
赤いのに、冷たい。
―――――
「支柱が無ければ、崩れ去る。
私は最後まで朧げにしか見つけられなかった。
だから、いつの間にか目を背け、捨ててしまえた」
後悔が滲む声。
だけど、縛り付ける眼光は鋭さを増す。
「作り上げられた人は今でも生き残っている。
アルヴィス様にヒルダ様、それにお父様。
私は誰にも会えていないけどね」
ここで、言わなきゃ。
ユリスは僕と向き合ってくれている。
逃げたくない。
「僕は、大切な人達が幸せになれる未来を作りたい」
これが目指す場所。
ようやく、言葉になった。
ユリスは温度の無い声で問いただしてくる。
「ユリウス様、殉じられる?
その先にあなたが居ないことだってあり得る。
イシュタル様が笑って他の誰かと結ばれ子孫に囲まれる、そんな未来のために」
ラインハルトの顔がよぎる。
嘘は付きたくない。拳を固く握る。
「……嫌だ」
腹心にしては、イシュタルとの距離が近すぎる気がする。
あの二人が、似た顔の子供たちに囲まれている光景を想像してしまう。
「本当に嫌だ。
だけど、どうしても必要なら、する。
ユリスにだってできたんだ。僕にもできる」
僕はイシュタルに、世界の人々に苦しい選択を強いる。
それなのに、自分だけ逃げるなんて出来ない。
そんな臆病者は皇帝に相応しくない。
ユリスは一切揺れずに続ける。
「ユリウス様、誰の意思で動くの?
ロプト教の傀儡のままでも達成できる。想い人だって用意してくれる」
そんなの決まっている。
誰かの掌中だとしても、関係ない。
「僕だ」
他の誰にも、渡さない。
「光と闇の両方を継ぐ僕だから、決められる。
邪神ロプトウスを持つ僕だって、聖戦士なんだ」
なんて欺瞞なんだろう。
成敗する対象が、聖戦士を名乗るだなんて。
だからこそ、僕が証明する。闇は悪じゃない。
「ユリウス様、願いが叶わなかったらどうするの?
家族が見つかっても、愛想をつかされているかもしれない。
あなたがするのはそういう行為」
必要とはいえ、人々の家族を引き裂き続けてきた。
今になってその重さが胸を締め付ける。
母さまやユリアは、絶対に許してくれない。
神書が無いと、こんなにも辛いんだ。
この痛みから守ってくれてたんだ。
「……分からない。
だけど、一緒に居られないとしても、生きていてほしい。
ユリスの言うような機械じゃなく、笑っていてほしい」
「これで最後。あなたは誓える?」
装飾箱が、僕の目の前に置かれる。
「約束する。
僕は自分の意思で世界と戦う」
一度、息を吸う。
箱を手に取る。
手の中で箱が震え、小さな音が止まらない。
それでも、ユリスにつき返す。
「その先が暗くたって、ロプトウスは暗黒だ。僕よりは周りの方が明るい」
ユリスが箱を開け、神書を突きつけてくる。
「何に誓う」
手を伸ばしたら、終わりだ。
分かっているのに、視線が離せない。
ユリスに答えなきゃいけないのに、口が動かない。
机の下で、手を組む。
思いっきりつねる。
この熱が、僕を戻してくれた。
「この名前に。
僕が選んだんだ、これ以外にない」
妹と、目の前の女性と似た響きの名前。
父上と母さまからの贈り物。
誰にも譲れない。
一生離れない僕だけのもの。
だから、裏切れない。
「言葉を一つでも違えたら、私が終わらせる。
途中で捨てることは許さない」
耳の奥へ、やけに重く響く。
魔導書からユリスへ視線を引き戻せた。
そこには、燃え盛る炎を集めたような瞳があった。
ユリスは、やる。
絶対に、どんな手だって使う。
聖剣相手にだってやったんだ。
……そんな決意をさせてしまった。
「ごめんね。付き合わせちゃって」
ユリスも僕と一緒に歩んでくれる。
苦痛を共にする相手がいる。
こんなにも心苦しいのに、安心もできる。
「あなたが供給を止めれば、私は死ぬ。何も変わりがない。
二回とも夫でもない男との心中は勘弁してほしい。
今度こそ、優しくて可愛い旦那様と寝台で眠りたい」
やっとユリスの声に温度が戻った。
「……うん、そうだね。僕もイシュタルに見送られたい」
これから洗脳し、家族を切り捨てさせるのに。
不可能だとしても、空想くらいは許してくれるよね。
「ユリウス様、私は例え何があってもあなたの想いを守り続けると誓う。
それが今の、私だけの紋章」
軽い言葉が、何よりも重い。
僕はこれから想いを背負って進まなきゃならない。
「口うるさいし、虐めるけどあなたのためになることしかしない」
「優しくしてよ。さっきも怖かった」
物品を品定めするような目。
あるいは、どうするか観察し、判決を考えているようだった。
僕には、向けたことの無い視線だった。
まるで、本当に人形扱いされているみたいだった。
「これがヴェルトマー。
ぬるい教え方なんて習わなかった。
燃やしてこそ、炎は大きくなる。灰になるまで燃焼し、その後にも何かを残す」
厳しくなりそうだ。
それでも、僕も認められた気がして嬉しい。
「ユリスは死んでズィーベンになったもんね。有言実行だ」
「他人にいじられるのは複雑……」
ちょっと言い過ぎだったかも。
顔がしょぼしょぼになっちゃった。
歳とこれだけは止めておこう。
今回はかなり情報量が多くなりましたが、大丈夫でしょうか?
原作を遊んだ方でも忘れがちな部分もあるので心配です。
本作でも士官学校~原作開始で説明しましたが、話が空いたので少し不安です。
必要そうであれば、整理や補足をこのあとがきに加えようと思います。