まだ肌寒い中、村の粗末な台に立つ。
建物の側には畑を起こす農具が立てかけられている。
村人たちの注目が集まったことを確認し、声を張る。
「グランベル帝国からの命令だ。事前通達の通り20人子供を出せ」
足元には、知っていただろうに騒めく群衆。
母達は我が子を抱き、我らから隠そうとしている。
……そちらの中で、誰を捧げるか決まっているだろうに。
「無駄な時間を使わせるな。
子供達はこれからクロノス城まで移送する。
夜闇の中を進めば、心細さが増すだろう。
貴殿等も、余計な恐怖は与えたくはあるまい」
手を上げて、騎士団に指示をする。
皆表情を消し、動き始める。
泣き出した子供の声が響き始める。
……相変わらず、嫌な仕事だ。
―――――
母との別れが済んだ者から、馬車の中に座らせていく。
椅子には、騎士団で使っていた衣類を敷いてある。
罪滅ぼしにはならないが、昔の災厄を乗り越えた物だ。
様々な花の刺繍もある。
無聊の慰めになれば良いが。
幌の隙間から手を出し、顔が見えずとも温もりを伝え合っている。
いずれこの子達は、お互いを殺し合うことになる。
処刑や屠殺よりも、質が悪い。
せめて、最後の親子の触れ合いが、生きる希望となることを願う。
蟲毒の先には、再会できる者がいる。
全てを失うわけではないと、覚えておいてほしい。
「いつまでやっているんだ‼」
邪教の司祭が、いつものように喚いている。
「たった20人に時間をかけ過ぎだ‼
時を要した分、追加で連れて行くぞ‼」
村人を脅し始めた。
手は懐の魔導書に伸び始めている。
私が出るしかないか。
騎士が、邪教老人の介護とはな。
以前であれば、焼き殺すのが仕事だっただろうに。
―――――
鷹揚な声を意識する。
「モリガン大司祭、どうかなされましたか」
村人との間に、ゆっくりと割り込んでいく。
「効率が悪すぎる‼
たったこれっぽっちの人数にいつまで時間をかけているのだ‼
より多くの異教の餓鬼を集めろ‼」
この規模の村でこれ以上集めるなど、頭は雲の中にあるらしい。
「命令書には、20人とあります」
「黙れ‼
大司教たる私の命だ‼
そんな紙切れなぞより優先されるに決まっている‼」
相当興奮しているな。
春が近づき、活発になってしまったか。
熊と同じだが、そちらの方が有益だな。訓練と肉になる。
「大司教のご要望、承りました」
命令を伝えるため、あえて発話の速度を落とす。
「従騎士、新たな命令書発行の要請だ。
手続きのため、各地を巡ってこい。
移送先のクロノス城のフリージ夫人、
マンフロイ教皇のミレトス城、
最後に皇帝閣下がおわすシアルフィ城だ」
寛容こそが上位者の振る舞い。
上に立っているつもりなら、そのくらい弁えろ。
武門の私であっても、意識をするというのに。
邪教は大司教ですら、この様だ。
「頭の固い奴め‼
今この場で実行しろというのが分からぬか‼」
邪教徒こそ、法によって守られている。
そのおかげで、貴様等は息が出来ていることを忘れているな。
「その権限をお持ちでしょうか。
前述の方々から独自裁量を許されているとは、耳にしていません」
失言をしろ。
不敬罪で、貴様を連行する。
罪人を守る命令は受けていない。
「……覚えていろ‼」
大股で我らから離れていく。
一台だけの豪奢な馬車へ、引っ込んでしまった。
巣穴から、出て来なければ良いものを。
―――――
邪教徒が去ったのを確認し、柔らかい声色で話しかける。
「貴殿等も、その農具を下ろせ。
我らロートリッターが、その程度の道具で倒せないとは分かっているだろう」
村民は小鎌や包丁を持ち出している。
皆が所持しているあたり、物品不足はないようだ。
「……なんであんたらは、戦おうとしないんだ。
あんたらは、正義の騎士団のはずだろ。
解放軍だって、こっちに近づいてきているって噂だ。
あんた達と力を合わせれば、こんなことする冷酷女にだって倒せるんだろ」
……子供狩りをする我らを、そう呼ぶか。
苦しかったはずの過去が、今では酷く眩しい。
「我らの剣は、皇帝閣下に捧げた。それだけだ」
「ロプトウスの化身に従うことないだろ‼」
何度聞こうが、不快な罵倒だ。
だが、否定しても彼らの慰めにはならない。
彼らは、その御方が我らの主であることすら分からないのだから。
「……君がどう思うが、構わない。
だが、あの御方は何があろうと世界を見捨てたりしない。
いずれ邪教は滅び、正義だけが残る。
お互い辛いだろうが、今は辛抱の時だ。
我が名、そして炎騎士団の名誉に誓おう」
「だったら、どうして妹を連れて行くんだよ……。
嫁入りどころか、恋だってしたことねぇ……まだガキじゃねえか……」
……嫁入り、か。
「妹君は、移送の後帝都に向かう。
そこでは大陸最高峰の教育だって受けられる。
君はこの村、妹君は帝都で世界を変えていく。
少年、下を向いていてばかりでは、置いて行かれてしまうぞ」
花々に囲まれ、棺に入った姿が脳裏を過る。
アルヴィス様への救援が遅れ、赤と炭に染まったあの御方。
「そんな後悔は、味わない方が良い。私は今でも、あの光景を夢に見る」
……余計な事を話してしまった。
これ以上、邪教徒を待たせておいては五月蠅くなる。
すれ違いざまに、一度肩を叩く。
一瞬、彼が固まった。
その表情は見なくていい。
我ながら、なんて欺瞞だ。
口ばかりが上手くなっていく。
―――――
クロノス城への護送中、あの少年の言葉が頭から離れない。
一体、何をお考えになってアルヴィス様はこのようなことを為されるのか。
邪教に傾倒しているようにしか、思えない。
だが、あの御方が折れることはない。
共に疫災を、焼却した。
我ら古参の騎士は、側で駆け抜けた。
利益や備え、そういった目的があるはずだ。
厚顔無恥な王子すら、飲み込んだ。
であれば、邪教にも何かしらの活用方を見出されたのであろう。
政は戦と違い、長く続く。
武一辺倒の私には、難しい。
……各地の人口調整と食糧管理だろうか。
過剰な人口を調整し、食料に余裕のある場所へ子供を移送する。
昔よりも餓死者の数は減ったと、政務官から聞いている。
雪解けの街道巡視でも、年々死体を見かけることは減ってきている。
それで、筋は通る。
アルヴィス様のことだ、他にも目的が潜んでいるはず。
私はその一助とさえ成れれば良い。
背後から近づく蹄。
無駄に鎧が擦れる音を立てている。
練度が低いな。
剣の柄に手をかける。
「将軍、モリガンの呼びつけです」
若い騎士が、呼びかけてきた。
……騎士団の質も落ちたな。
いや、私の教導が足りないか。
精鋭はアルヴィス様の手元に送ったとはいえ、考えを改めねば。
訓練を厳しくするか。
「貴様、言葉遣いを整えろ」
「はい‼ ですが……」
全く同感だ。
責務を果たさず威張り散らす者に、敬意など払う気は起きない。
「貴様も騎士だ。
我らの振る舞いで主が判断される。
閣下を無礼者と呼ばれたいか」
「いいえ、違います」
「個人の感情は脇に置け。
戦場でも、それが生死を分ける。
私は馬車に向かう。ここでの警戒を任せた」
―――――
余計な装飾ばかりが付いた馬車へと馬を近づける。
御者へ一声かけた後、窓と並走する。
「モリガン大司教、リデールが参りました。
休憩地までまだ距離があります。何かございましたか」
窓越しに、返答が帰って来る。
「貴様はそのままでいい。馬の上に居ろ。
先ほどの件についてだ」
「わしを悪者に仕立て上げ人気取りとは、騎士ではなく政治家にでもなったつもりか」
やはり、小言か。
「忠義には嘘をつけぬだけです。
野蛮な武辺者ゆえ、芯を変えられぬのです」
皮肉の種類だけが増えた。
「ならばなぜ、わしの命令に背く」
「冗談はお止めください。本気にしてしまいます」
必要十分の警告はした。
相手に見えぬよう、左手で周囲に構えを指示する。
……音を立てるな。本当に、練度が低い。
「あなたの管轄はラドス城だけ。
皇帝閣下の親族でも、ましてファラ様の系譜でもない」
「ふん、ならば命令があれば従うのだな」
今回こそはと思ったのだがな。
村人も先ほどの騒動に居合わせていた。不敬の立証には十分だった。
「我が主のものであれば」
歪んだ笑みが窓の向こうに浮かんでいる。
今度は何をやらかすつもりだ。
―――――
大理石の床張りに足音が反響する中、配下を整列させる。
わざわざ、全体を呼び出しての命令伝達。
先日の意趣返しが、遂に来るか。
我らを長いこと待たせ、後から来たモリガン大司教がゆっくりと玉座風の椅子に座る。
本物とは違い、軋む音を立てている。
付き添いの邪教徒が普段よりも多い。
手下に在りもしない威厳でも見せつけるつもりか。
たっぷりと時間をかけ、ようやく口を開いた。
「リデール、クロノス城のヒルダ様から出撃の命令だ」
数十年ぶりに、ヒルダ様の指揮下。
雷旗の元とは思いもしなかったがな。
「それはありがたい。
武人らしい仕事は、久しぶりだ」
解放軍が来たか。
トラキア戦は先日終わったばかりと聞いている。
先んじて攻め入りでもするのだろう。
大司教は汚らしい笑みを浮かべ、玉座からこちらを見下してくる。
「それは残念だったな」
「逃げ出した餓鬼の討伐だそうだ。
一人も残さず、脱走者を狩ってこい」
「な、なんだと……」
ヒルダ様⁉
何故その様な命を下したのですか‼
貴女は……そこまで引き入れるおつもりなのですか。
背後で、騒めく気配が広がる。
拳を握りしめる。
「貴様は帝国の武人なのだろう。命令には従うしかあるまい」
……当たり前だ。
貴様なぞに言われるまでもない。
分を弁えぬ邪教徒如きが、軍人の矜持を口にするな。
「それとも、皇帝を裏切るのか?
炎騎士団団長まで登りつめた貴様が」
垂らした片手を一度小さく振り、配下を静粛に戻す。
宣誓とは、厳粛であるべきだ。
軽い息を吐き、口の動きを確認する。
無音を確認し、決まり切った答えを返す。
「アルヴィス皇帝だけは裏切れない」
「ふっ……軍人とは愚かなものよ」
邪教徒が気色の悪い表情で、こちらを舐めるように見つめる。
嘲笑を上げ、周囲にも笑うよう命じる。
汚らわしい黒色の群れが、耳障りな音を立てている。
切り裂くように、手を叩く音が一度する。
玉座の横から、響いていた。
そこには黒一式に身を包む小柄な人影。
顔は邪教らしい格好のせいで見えない。
上席の悪趣味に耐えられなくなったとでもいうつもりか。
「つまらない。その上、へたくそ。
教皇からこんな端の城を任されるのも納得」
「何を仰る‼」
大司教が振り返り、叱責する。
……何が目的だ。いや、そもそも何者だ。
この小物が、一応の敬語を使っている。
つまり、教団でも上位の者。
「重要なのは変化量。
落とすなら、もっと高く持ち上げるべき。
その程度ではグラスだって割れない」
「貴様の同席を許してやったのは私だぞ‼
マンフロイ様の書状に配慮してやったのだ‼」
邪教の頂点の関係者か。
声からして若い女。血縁者か情婦。
弱みとして利用できるかもしれない。
「顔を立てただけ。
左遷されてるとは言え、大司教。敬意は払う」
「何様のつもりだ‼」
「口のきき方は直した方がいい。
こういう教育含めて、自由裁量を任されたんだろうけど」
控えていた他の邪教徒達は魔導書を取り出し始めた。
私も後ろ手を小さく振り、配下に構えを取らせる。
音も最小限だ。反省が活きたな。
「貴様こそ礼儀を知らぬ‼ いい加減名乗れ‼」
「魔将ズィーベン」
突如、沈黙が降りる。
魔将。
歴史にしか残らぬ称号。
唾をまき散らしていた小物が、反論もしない。
玉座から立ち上がり、その場所を譲る意思を身体で表す。
側付きの邪教徒達は、魔導書を仕舞い頭を垂れ始める。
一切の迷い無く、服従の姿勢を見せている。
まるで、神か教主に対する振る舞いだ。
「ユリウス様唯一の直臣にして、ロートリッターを継ぐ者」
当然のように、無防備な歩調でこちらへ歩み寄って来る。
その道を遮るどころか、邪教徒達は顔を伏せたまま追従する。
私の目の前に立ち、人差し指を突き付けて来た。
「騎士、黙って個室へ案内しなさい。
死へと笑顔で向かわせてあげる」
女は指を下に向けた。
跪いて服従しろとでもほざくつもりか。
「最近叙任でもされたのでしょうか?
帝国内外の軍事情報は網羅しております。私の上司が増えたとは耳にしませんな」
女は大仰に腕を広げ、芝居がかった動作で注目を集める。
これから儀式でも始めるかのようだ。
「信徒たち、覚えておきなさい。
これが異教徒での遊び方。将軍のこんな表情すら、容易く引き出せる」
ともかく、何かしらの顔を作ってやった方が面倒は少なそうだ。
緩やかに、されど躊躇いなく女はフードを脱ぐ。
その動作に従って赤髪が広がる。
忘れられぬ顔だった。
かつて、忠義に身を焦がした御方。
その時まで、誰にもその熱量を気付かせなかった埋火。
「異教徒から神の贄に相応しい想いを集める。それがあなたたちに出来る善行。
子供狩り程度で妥協するなんて、背信にして怠惰。精一杯励みなさい」
手を叩く音だけが、耳に入る。
後ろに控えていたはずの騎士に肩を揺さぶられるまで、その音だけが私の中で反響していた。
―――――
無言のまま、個室へ先導する。
魔将など、学園の歴史科目で触れた程度。
300年前にグラン共和国を崩壊させ、ロプト帝国建国の立役者となった十二の将軍。
奴らの宗教にとって偉人には違いないだろう。
恐らく、それをなぞる役職。武官、それも最上位か。
だが、所詮は軍人。
あくまでも奴等は宗教集団。通常それが大司教を優越する筈はない。
その証拠に、邪教の将軍などこれまで聞いたこともない。
なにより、あの司教は私にすら上位者として振舞う身の程知らず。
それが役職を耳にした途端、恭順した。
……分からない。
奴らなりの理論が働いているに違いない。
歩いていても、一向に考えがまとまらない。
排除するにしても、外へ漏れぬ場所が必要だ。
騎士団員しか使わぬ小部屋へとたどり着く。
……私は騎士。
例え、どの様な顔だろうが、刃を鈍らせるわけにはいかない。
―――――
室内に入り、手で席を勧める。
ズィーベンを名乗る者が、立ったまま左手を頬に当てた。
……ヴェルトマー流の暗号か。
まるで、あの方のようなことをする。
部屋の外に待機させた護衛に、周辺確認を指示する。
その間、女性は壁に手を当て覗き穴が無いかを探っている。
こちらに無警戒な背中を晒しながら、部屋中を確認している。
昔の役割分担を思い起こさせる。
「将軍、準備が完了しました」
外から声が聞こえて来た。
返事として、一度扉を叩く。
足音が少し遠ざかり、止まる。
再度聞き耳を立て確認し、鍔に手をかけ口を開く。
「今度はどんないたずらのおつもりですか。
お聞かせ願えますね?」
返し次第で斬る。
女性は椅子に座り、対面を指さされる。
そのまま机を数度指先で叩く。
「力だけの者だと身の程を弁えて。
将軍止まりでは、話せることも限られる」
……まるで学園でのやり取りだな。
暗号と過去まで暴かれてしまっている。
有り得ないが、あの御方なら棺から飛び出し乱れた髪を整えてくれる。
そう、夢想したこともあった。
だが、死人が蘇る筈はない。
二つ並んだ墓標が、それを我らに示し続けている。
―――――
机を挟み、対面して座る。
この距離なら詠唱よりも早く斬り捨てられる。
暗器であっても、私に届く前に処理できる。
「頑張ったんだね。帝国最強の騎士だなんて。
繕い物くらいは出来るようになったんでしょう?」
ロートリッターの面目のため内密にして頂いた筈。
そのような些事、アルヴィス様がご存じとは思えない。
あの御方の報告書にも記載されていなかった。
「針など持たなくて良い程の給金を頂いています。
おかげで、刺し傷や赤い染料を用意する必要が無くなりました」
「変わらず苦手を放置。
ということは、魔法の一つも覚えてないんだね」
つい、視線をそらしてしまう。
指先に、わずかに力が入る。
努力さえすれば出来ると考える。
聖血を持つ者特有の傲慢だ。
凡人なりに、ここまで這い上がったのですよ。
「そちらこそ、見た目すら変わっていないのは、どんな手品ですか」
「灰になれなかっただけ。
それ以上、あなたは聞く必要が無い」
背中は炭になっていましたよ。
なんて諧謔で返す気にはなれない。
私の位は上がったのですがね。
軍人としてはこれ以上無い程に。
それでも昔のまま、私には教えていただけないのですね。
「そうですか……」
言葉を続けられない。
そうするべきではない。
唇を撫でる。
だが、それで良いのだ。
私の道はとっくに決めている。
アルヴィス様、そして聖ファラの系譜を支えるだけ。取って代わるのではない。
求めに応じて斬れる、ただ一振りの剣であれば良い。
だとしても、何とも、大きく重い。
腹の中に飲み込むには、労力がいる。
一度、頬を叩く。
熱を以て意識を身体に戻す。
将には相応しくないと控えていたのだがな。
「アゼル様もお元気ですか?
お二人のお墓が御用意されてますよ。花でも備えに行かれてはどうです。
自分の墓参りなんて、話の種にはなるでしょう」
帝城に拵えられた、碑銘すら無いユリス様の墓。
ディアドラ様がいつでも参ることが出来るよう、私的な庭園の中にあるそうだ。
私には、参ることすら出来ない。目にすることも不可能だ。
それどころか、ユリス様のご家族ですらいくつもの手続きを経なければならない。
ヘイムの末裔は、聖ファラの系譜を踏みにじることを当然と考える。
挺身すら自らの人徳によるものと独占し、その忠義を称え広めようとはしない。
今ではアルヴィス様しか、墓標であることを知らぬのだろう。
父娘共に、破廉恥だ。
一度、鼻から息を吸い込む。
内側に溜まった熱は、冷やすに限る。
ユリス様は俯かれてしまっていた。
流石に、悪趣味が過ぎたか。邪教の相手をし過ぎたせいだな。
「なんでも色とりどりの紫陽花が植えられているそうです。
我らの赤だけでなく、バーハラ王家の白色も出せるからとのことです」
派手さはなく、皇族らしくある必要が無い空間。
御家族でそこに集まることもあるとアルヴィス様から聞いている。
そんな柔らかな場所に、後からアゼル様の御遺体をユリス様の横に眠らせたそうだ。
皇帝であっても、皇帝だからこそ、逆賊に加担した者を故郷で眠らせることは許されない。
もはや、本領すらアルヴィス様に安らぎを与えられぬ。
拳を握る。
指に食い込みを感じる。
視線をやれば、魔防の指輪が目に入った。
そうだ。
ユリス様はお帰りになった。
ということは、アゼル様も。
「……やっぱり、アゼルは死んだんだね」
その一声で、我に返る。
ご存じでない。
一体、どういうことだ。
連理の片割れの生死を確認されていない。
そんなことが、ある筈がない。
……監禁、あるいは身動きが取れない状況にあったか。
いや、今はそれより優先せねばならないことがある。
耽っている場合ではない。
「アルヴィス様の御下命ですか。
だからこそ、騎士団を継ぐなどと仰ったのですね」
「違う」
俯いていた顔を上げ、赤い瞳がこちらを見つめる。
「であれば、ロートリッターの簒奪など許されません。
聖痕があるとはいえ、厳罰では済みません」
戯れだとしても、厳禁だ。
なまじ神血が顕在しているからこそ、貴女は口に出してはならない。
「私は、ファラ様よりも前から続く使命を果たしに来た」
血統を持ち出した。
つまり、虚偽はない。
聖ファラ様より前。
私には、一体どのような使命か分からない。
恐らく、聖血を持つ者にしか伝えられぬのだろう。
従者が知るべきでも、知る必要もないのだろう。
だとしても、私は手を伸ばさずにはいられない。
「……お聞かせ願えますね」
正義に関することではあるはず。
その一助となれるのであれば、今度こそ我が命の使いどころ。
「駄目」
にべもなく断じられた。
それ程までに秘匿すべき事項なのか。
「私はスペア。
アゼルが居た頃と変わらない」
ならば、貴女はその様な汚らわしい格好ではなく、朱色に身を包むべきだ。
その方がヒルダ様もお喜びになる。邪教に傾倒されていようが、それだけは確かだ。
以前のように明るい怒号が響くだろう。
「アルヴィス様が、そしてユリウス様が失敗した時の保険」
我らが敗北するなど有り得ない。
「アルヴィス様まで刃を通すとお思いか‼」
「本人がそれを望んでいる節がある」
「そんなことはあり得ません‼」
あの御方が、その様なはずはない。
邪神と蔑まれようが皇帝として立ち続けている。
「だったら、さっさと解放軍を倒せばいい。
教団の思惑なんて踏みつぶせる程度には、ファラフレイムは強火」
あの威力は、私も知っている。
疫病で、アグストリア鎮圧で、シレジアの制圧で聖炎を目の当たりにした。
余波ですら耐えがたい暴風を巻き起こす。
「一度焼かれた私はそう判断する。節穴」
相も変わらず、手厳しい。
ご自分の瀕死すら材料にして舌鋒を研ぐ。
武人とは違う戦法だ。
「……ええ、軍事的には仰る通りです。
ですが、あの御方にはお考えがあるのでしょう」
「あるとしたら、第三者の目がある自由都市で自ら解放軍を討ち、壊滅させたと証明するくらいだろうね。非効率極まりない。
公開処刑で代用できる上、政治基盤にダメージを与える愚策」
仮に下策を選ばれてしまったのだとしても、アルヴィス様はそこで足を止めるはずはない。
「我らには考えの及びもつかない絵図面を引かれているのでしょう」
「リデールさんから民を苦しめるだけの政策を選ぶと判断される程度には、アルヴィス様は耄碌したんだ」
主に対しても、お変わりありませんね。
以前であれば諫めたでしょう。
ですが、そのお言葉も貴女の忠義が発露したものなのでしょう。
「まあ実情は、暗黒教団がアルヴィス様含め厄介者たちを処分しようとしているだけ」
「……そこはご説明していただけますか?」
これだけは、何としても聞きださなくては。
―――――
「ここミレトス地方には、要人が集まり過ぎてる」
言われてみれば、その通りだ。
「アルヴィス様にヒルダ様。
それに最強の騎士なんて呼ばれる人もいる。
天槍とトラキアの盾は蛙。地元でないと実力は発揮できない」
彼らの采配は卓越している。
私よりも上であることは認めなければならない。アルヴィス様以外で並ぶ者はない。
だからこそ、我ら三人の内の一人でも居るのであれば、侵攻する愚をトラキアは犯さない。
そこへの警戒としても、二人いれば十分以上だ。
「あなたは防衛よりも遊撃として活用すべき。
その称号はお飾りだね」
純軍事的に考えれば、身軽な私をアグストリアへ派遣し、そちらの反乱を鎮圧すべきだ。
あるいは、解放軍が占領したイザークやレンスターを再征服でもいい。
それなら解放軍の後方に打撃を与えられる。
解放軍本隊の居ない場所など、鎧袖一触で終わらせられる。
「邪魔者を解放軍に討たせる。
そうなれば、戦後暗黒教団を妨害する者は居なくなる」
……邪教の掌で踊らされていたか。
奥歯を噛みしめる。
胸を駆けまわる衝動を、呼気と共に吐き出す。
「遺臣は解放軍討伐に命を賭け、それらは小勢力へと落ちぶれる。
一方、権力は一点に集まる」
雷は騎士団すら身内で固めている。
それ故の結束力と練度。
ただでさえ、当主とその長男が討たれた。
引き下がれるはずがない。
我らは炎の紋章に依る。
聖ファラの血が続く限り、決して火は消えない。
「敵を用いて更なる敵を討つ。兵法の上策」
つまり、邪教は我らを疲弊させようとしている。
だからこそ、ヒルダ様の連絡も邪教徒経由だったのか。
緊密な連絡を妨害し、連携をさせないつもりか。
いくら練度が高かろうが、それだけでは神器相手に勝ち目がない。
万全であれば、複数の神器相手でもやりようはあるというのに。
「……理解はできました。
だからこそ、ユリス様がロートリッターを引き抜くのですね」
ユリス様の私兵とし、大司教の命を受け付けなくする。
邪教の思惑を砕くべく動かれるか。
称号といい、ユリス様は獅子身中の虫として活動なされている。
マンフロイへの意趣返しには、丁度いい。
「私はズィーベン。それは別人。
宮廷に咲く可憐すぎる一輪の花。
アルヴィス様の死後、遺児として社交界に出る女性の名前」
……相変わらず、訳の分からないことを仰る。
命だけでなく、自らの名すら道具とされる御心積もりだ。
何を成そうが、名誉が貴女のものとはならなくなってしまう。
得られて当然のものまで捧げる、私では思いも付かなかった献身。
その御心と道を共にさせて頂きたい。
邪教の前で口を開かぬよう命じられたことからして、名前は秘匿すべきだ。
ユリス様がズィーベンとは、決して知られてはならぬのだろう。
アゼル様の件から、ユリス様は現状を把握しきれていないご様子。
少しでも味方となりうる人物とつなぐべきだ。
フェリペ卿でも良いが、やはりあの御方が最適だろう。
「失礼いたしました。
その御方は、アルヴィス様の片腕と称されたヴァルター様にはお会いなされたのでしょうか?
トラキアで先代様の遺児を探しておられると伺っています」
「戦後が落ち着くまでは無理。
不思議なことにあの御方は、亡き愛娘に瓜二つ。恐らく、遠縁のせい。
墓暴きなんてする物じゃない」
声に震えはない。
既に、肉親のことはご存じの用だ。
それでも、父親にはお会いになられないか。
当時のヴァルター様の憔悴具合は、見ていられなかった。
しばらく前に、自らトラキアに隠居されてからもアイーダ様を失われていた。
コーエン家から跡継ぎが消え去ってしまった。
「本題に戻す」
ユリス様が、机を一度叩く。
「リデールさんには、死んでもらう」
私も殉じます。貴女と同じように。
―――――
身体の内から、熱が湧き上がる。
「私も武人です。ご命令に従いましょう」
「……こんなことは、言うものじゃないね」
そういえば、学園での演習でも捨て駒は好まれていなかったな。
薪は消費されてこそ、価値が生まれる。
燃料を惜しませる程、我らは困窮していない。
騎士として、誉れある最後を飾れそうではないか。
どの肩書よりも、素晴らしい。
「私を笑顔にしてくれると仰ったではないですか」
ユリス様が、一度伸びをなされる。
そして、深呼吸。
呼吸の音だけが、何度も聞こえる。
「現状、捨て駒に出来るのはあなただけ。
ヒルダ様は戦力、そして親教団派として欠けてほしくない。
私では雷の地盤を受け継げない。
最低でもイシュタル様への移譲の時間が欲しい」
母のように慕っていた方を守りたいか。
貴婦人を守る。正に、王道。
「これでも、昔はヒルダ様の元で鍛えられていたのです。
彼女がまだ姫様と呼ばれていた頃ですが」
私に指揮のイロハを教えて下さった。
名門の出でもない私にまで、目をかけて下さった。
働きを認め、アルヴィス様の従騎士に推薦していただいた。
喜びで踊り出したときは、ファイアーで正された。
「何というか、違和感がすごい。ヒルダ様が、姫様……」
貴女にとっては、思いもよらなかったのでしょう。
遠い目をされている。
「我らが姫、そして我が師を救うだけですか?
不利な情報で構いません。その方が腕の振るい甲斐があるというもの」
「確認は出来ていないけど、雷騎士団は配備されていない」
ヒルダ様はこの戦の裏を把握されているか。
自らも捨て石とし、ゲルプリッターを本領に温存。
イシュタル様に精鋭を残すおつもりか。
「背後からの雷に注意を割かずに済みます」
ならば、殿として脱走は成功させて見せる。
炎血のために命を使う、誇れる散れ様だ。
「騎士団員をこちらに分けてほしい。
戦後勢力を保つには、実動力が不可欠」
少数での戦いになるな。
だからこそ、軍略の見せどころ。
”帝国最強”などとあだ名される実力を見せねば。
鬣犬王やトラキアの盾には及ばずとも、それらに準ずると自負している。
世界各地で鍛えた手腕を振るう機会だ。
「まだ見ぬ聖ファラの末裔には、存分にお渡ししましょう。
私では、アルヴィス様のお手元にいる人員には口が出せません。
老いぼれと揺らいでいる者だけを連れていきます」
「それしかないのですか。
私は年を取って渋面ばかり作らされるようになりました。
魔将とも有ろう御方が、その程度で打ち止めなのですか」
「解放軍を打倒、いや直系の首を一つ取れれば双方の戦略に多大な影響が出る。
アルヴィス様の遠回しな自殺も止められるかもしれない」
「最高ですね。
騎士の道に沿った理想的な戦場です。誰にも譲りたくありません。
子供狩りなどというつまらぬ仕事とは大違いです」
「……そう」
「その通りなのです。
シグルド軍との戦いも、不意打ちのようなものでした。
シアルフィの騎士達は精強、ですがあれでは勝って当然」
そんな戦いですら、私は仲間を、アルヴィス様のお心を守れなかった。
なにより、貴女を死なせてしまった。
「バーハラの尊き御方にお伝えください。
我らは炎の紋章を支える者。
貴女の心が燃える限り、我らは薪となります。
どうか、悲しまないで。笑ってください」
「……また、置いて行かれるんだね。その方は。
大丈夫、何百年先でも、必ず誰かに託す。
その方は子供を産めないけど、どこかに繋げてみせる」
……あれ程腹を抉られたのだ。道理だろう。
言葉の綾かもしれぬが、私とは違う視座に立っておられる。
使命を達成されるまで、いつまででも潜み続けるおつもりなのだろう。
まるで暗殺者だ。
ならば、武人の出る幕ではないのだろう。
だが、その戦場には立てずとも、今度こそ助けになりたい。
左手から、指輪を外す。
「これをお届けください。
バリアリング、魔法への耐性を授ける逸品です」
貴女の初陣で、私に下賜されたものです。
覚えていらっしゃるでしょうか。
天幕でアルヴィス様が貴女に授けた途端、脇に控えていた私に与えてくれました。
弱い者に与えた方が損害が少なくなる。
そうおっしゃられましたね。
あの頃は、目の前の少女にすら劣る魔防と、聖血がないことを呪ったものです。
そして、それ程までに頼りが無いと見なされたことに憤慨しました。
指輪を机上に置き、ユリス様の方へ押し出す。
「最近は邪教徒が増えました。魔法への備えが必要でしょう」
武人には手入れなど出来るはずもありません。
今では当時の輝きは失われてしまいました。
ですが、潜む貴女には丁度良い。
そう思えば騎士達と同じく、貴女のために鍛えられたとも言えるでしょう。
「あなたはこれから戦地に赴く。
少しでも足掻くには、持っていた方がいい」
指輪が押し戻される。
今だけは、学園の時のように振る舞っても許されるでしょう。
「妻の一人も娶れなかった男です。
最後くらい、それらしいことをしても罪にはならないでしょう。
その御方も血を残せないのであれば、問題にはならない筈」
一度、深呼吸。
赤い瞳に向けて、言い放つ。
「我が命は、その御方のために」
「死兵の相手なんて、馬鹿らしい」
そう言って、受け取ってはいただけた。
指には、はめていただけなかったが。
私達には、丁度良い。
主従にしては軽すぎる。
だが、こうして戯れることが許されている。
後のことはユリス様に任せれば、どうとでもしてくださる。
ただ一灯となり、活路を照らすのみ。
私の果ては、そこにある。
久しぶりの再会を書きました。学園以来の登場ですね。
リデールをどう見るかは、かなり分かれる気がしています。