ファラの聖戦 ~椿油和え~   作:AKI久

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いくつ杖を折ろうか ―グラン歴778年

朝日を受けながら、長い回廊を進む。

帝都はこの時期でもまだ肌寒い。

トラキアでは、傭兵稼業が本格的になり始める頃だ。

 

我が王国は解放軍に屈した。

今年は依頼をどれだけこなせるのだろうか。

ここからでは知ることが出来ない。

……あの時、セリス皇子達を討てていれば。

 

靴音を、二回だけ強く響かせる。

 

余計な感傷に浸っている場合ではない。

あの選択が最善だった。

 

それよりも、今日の訓練だ。

騎竜無しでの立ち回りにも慣れてきた。

 

今日のユリウスはどの種類の魔導書を使わされるのだろうか。

闇魔法を基本に、各系統の魔法を使うよう指導されている。

 

相対する私にとっては様々な魔法への対処法の鍛錬になる。

各魔法ごとに異なった立ち回りが要求され、試行錯誤の余地がある。

 

ユリウスは雑兵共とは違う。

魔導士でありながら、私の動きに対応してくる。

それどころか、槍の動きを学習し、自らも吸収しようとする。

追い詰めるほど爆発力が増す点も気骨があって良い。

父上を超えた、最高の訓練相手だ。

 

だが、だからこそ久しぶりに神器同士での戦いもしたい。

絶対的な闇の守護を天槍でどう崩すか。この私が挑まされてしまう。

極限まで張り詰めた緊張の中で、お互いの上限が押し広げられる感覚。

 

あの駆け引きが忘れられない。

瞬間ごとに自らが更新されていくのは、父上との稽古でも味わえなかった。

ユリウスとの神器を用いた訓練では、天槍が崩壊直前になっていたことにも気を回す余裕もない程に熱中してしまった。

 

時間を押しすぎて、ユリス……いやズィーベンに止められてしまったが。

 

幸いにも、修理費を帝国が持ってくれて助かった。

何度も危険な戦地へと赴かなければ賄いきれない所だった。

それでも、もう一度やりたいと思う自分がいる。

 

その後の授業で帝都における物品の価格を教えられて驚いた。

城の通路に当然のよう置かれた皿ですら、我が城のどんな物より高かった。

それ以来、城を歩く時は何にもぶつからないよう気を付けている。

 

屋外訓練場への扉を開けると、風が頬を撫で獣臭が微かに鼻に届く。

そこには天馬達と3つの人影だけがあった。

赤髪の少年の姿は見当たらない。

 

「アリオーン王子、おはようございます。

本日は我らバイスリッターのメング、ブレグ、メイベルとの訓練です。

倒せるのであれば、ユリウス様の元へお進みください」

 

離れた位置で三人は抜刀し、身体の前に剣を掲げた。

 

ユリウスは来ないのか。何のつもりだ?

問いただすためにも、手早く済ませてしまおう。

だが、ハンデはやらねばな。

 

壁に立てかけられた訓練用の槍を取り、穂先でペガサスを指す。

 

「人数が足りないな。

何より、それでは風に舞うことしか出来ない」

 

言葉を投げかけながら、訓練場の中央に進む。

そこなら空の何処からでも私を攻められる。

三方からなら、死角を突けるだろう。

 

この私だけが地上で戦う等、いつ以来か。

騎乗を許されぬ程幼かった時しか記憶にない。

 

「空を駆けるのは竜の特権ではないこと、思い知っていただきます‼」

 

言い放つなり、飛び上がった。

髪を揺らす風が弱い。良く鍛えられている。

 

バイスリッターの力量、見せてもらおう。

 

―――――

 

すれ違い様に、相手の剣ごと叩き落す。

これで全員だ。

 

やはり、天から一方的に責められるのは恐ろしいな。

その立場になって、改めて痛感した。

 

「中々歯ごたえがあった。

ブルーム王に鍛えられただけはある。彼には父上共々苦しめられた。

地槍を持つアルテナでも難儀するだろう」

 

地に堕ちたメングの首筋を穂先で軽く押す。

 

「……おほめ……頂き、感謝します」

 

顔を背け、私と目を合わせようとしない。

こちらから手を差し伸べる。

 

「皮肉ではない。純粋な賛辞だ。

見切る目を持っている。飛行兵にとっての最大の宝だ。

流石、風の勇者聖セティの血を継ぐだけはある」

 

手が掴まれる。

肩を痛めぬよう、ゆっくりと引き起こす。

 

「私に詫びさせてくれ。天馬などと侮っていた。

竜にはない小回りの良さと、そこから生じる連携には目を見張った。

おかげで背中に傷を負ってしまった」

 

剣を弾き、更に避けた先に別の刃が置かれていた。

そこまでは読めた。

 

しかし、更にその先まで誘導されているとは。

竜の巨体ではあそこまで踏み込めない。

厄介な連携だった。

 

後ろからブレグが声をかけてくる。

 

「大地の剣は魔法剣の中でも格別な物なんですけどね。

またズィーベン様に修理費で怒られてしまいます」

 

そう言いながら欠けた剣をこちらに振って見せつけてくる。

確かに修理をしなければ実戦には持ち込めないだろう。

 

「……訓練とは言え、撃墜方法を選ぶべきだった」

 

ああいうたぐいの魔法剣は金がかかる。

魔導を修めぬ者でも使えるため有用性は高い。

飛行兵の機動力と合わされば、恐ろしい遊撃兵と成り得る。

だが、トラキアには導入する経済的余裕はない。

 

「あはは~、王子も怖いんですね~」

 

末妹のメイベルが長女の服についた砂を払いながら、からかってくる。

 

そんなことはない。

……教育と財政を握られているだけだ。

 

「それより、負けは負けです。

皇子は私書斎でお待ちになっております。

ここの片付けはお任せください」

 

「了解した。

何か言われるようであれば、私の名前を出して良い」

 

ユリウスは何を企んでいる。

あいつが訓練を拒む理由は無い。

奴も楽しんでいた。

 

―――――

 

調度品が飾られている廊下には、私だけの足音が響く。

トラキアでは、客の動線にしか置いていなかった。

今思えば、質はここに並ぶものにすら劣る。

 

役に立たない装飾よりも、武器や竜に投資すべきと父上に進言したものだ。

 

帝都で礼法を学ぶにつれ、こういったものの重要性も理解できた。

分に合致するだけの富を見せねば、商談すらも始まらない。

所持金の多寡だけで、提供される商品が決まる訳ではないのだ。

……そんなことすら、トラキアで学ぶことは出来なかった。

 

扉の前に立ち、内側へ呼びかける。

 

「アリオーンだ。ユリウス皇子はおられるか」

 

―――――

 

部屋に入ると、ユリウスが椅子に座ったままこちらを見ている。

片手には漆黒の魔導書が握られている。

 

空気が重い。

呼吸がわずかに引っかかる。

 

「先ずは、一戦交えよう」

 

ユリウスは反対の手で、黒い駒を弄んでいる。

机の上には盤上遊戯が用意されている。

 

席につき、白い駒を取る。

 

「訓練をサボって遊びか。良いご身分だな」

 

「私以上の者など、この世には存在しない」

 

言い訳が返ってこない。

取り繕いながらも、素直に認める。それがお前の美点だろう。

……普段とは何かが違う。

 

―――――

 

お互い無言で駒を進める。

 

ルール上、黒が不利とは言え手ごたえが弱い。

 

数少ない私と渡り合える相手。

お前ならもっと上手く守れるはずだ。

それどころか、攻めにばかり意識が向かっている。

並行するのがお前だっただろう。こんな手を打つはずはない。

 

詰め切り、こちらの勝利を揺るぎない物とする。

 

「歯ごたえが無さ過ぎる。駒落ちでもしなければ楽しめない」

 

……熱くなりすぎた。

いくらユリウスが不甲斐なかったとはいえ、言い過ぎた。

私の方が年長なのだから気を配ってやるべきだった。

だが、ユリウス相手だとアルテナに対するように年長者として振舞えなくなってしまう。

 

「アリオーン王子は強い。それでこそだ」

 

ユリウスが駒を横に倒し、降参の意を示す。

 

「茶を用意しよう。

勝者への褒美として、湯を持ってきて私手ずから淹れてやろう」

 

ユリウスは渋々立ち上がり、廊下へと向かう。

 

そもそも、お前の魔力が強すぎて侍女はここには控えられない。

ズィーベンがいない時は、お前がやっているだろう。

イシュタル王女とのお茶会の練習などと言って、率先している癖に。

 

―――――

 

ユリウスは立ったまま茶をカップに注ぎ始める。

高所から淹れることで香りや味が良くなる。

そのような説もあるとユリスが言っていた。

 

個人的には、風味に差があるようには思えない。

それ以来、ユリウスは書庫から茶についての情報を探し、私相手に試している。

だが、相手を想い試行錯誤する様を見るのは嫌いではない。

武術と違い、実践が身体ではなく手帳に残るのも新鮮だった。

 

ユリウスは多少テーブルクロスを濡らしながらも、茶を注ぎ終わった。

私の前にカップが置かれる。

 

「それで、今日はどういった趣向だ。

次は私の毒への耐性でも試すつもりか」

 

ユリウスは私の問いに答えず、震える指で机上の箱へと手を伸ばす。

 

その箱には光竜ナーガを象った細工が施されている。

神器とは言え、たかが一冊の魔導書を納めるだけの容器。

そのためだけに、どれほどの費用がかかっているのだろうか。

グングニルも他の槍と変わらない布に包んでいる私には縁遠い。

 

ユリウスは箱を掴もうと指を動かしている。

だが、腕が進まず指は表面にも届いていない。

何度も空を掴んでいる。

 

常にその書箱を持ち歩いているのに、何が障害となっているというのか。

その箱でズィーベン……ユリスに叩かれすぎて苦手意識を抱いたか。

……それにしても、未だに呼び分けに慣れない。面倒な事この上ない。

 

「茶を淹れてくれた返礼だ。私が取ろう」

 

「私が取る。取らせてくれ」

 

代わりに手を伸ばそうとすると、制されてしまった。

……何をしているんだ。

 

「私の……僕がやらなきゃいけないんだ」

 

ユリウスは勢いよく箱を開き、投げるようにロプトウスの書を内部に入れる。

時間をかけて蓋を閉じた。

 

「大事な話がしたいんだ。その前に、喉を潤そう」

 

ユリウスがようやく席に着いた。

先ほどまでの重さが消えている。

 

―――――

 

カップを傾けながら、ユリウスの様子をうかがう。

 

少し気だるそうにしている。

だが、顔には達成感が浮かんでいる。

敗者が茶を淹れただけ。何故、誇らしげに出来る。

 

「今日の紅茶はどうかな?」

 

もう一度、口をつける。

色は出ている。どう答えてやるべきか。

 

「香りも味も弱い。酷い出来だよね。

最高級品を選んだけど、これじゃ台無しだ。

抽出時間が足りな過ぎるね」

 

「さっきの負けが響いたな。これからは勝者が淹れる権利を得ることにしよう」

 

「卓上遊戯も酷かったね。あれならユリスとも良い勝負になっちゃう」

 

後先を考えない打ち筋。

全てが上手くいけばという楽観と傲慢に溢れていた。

独り善がりな手ばかり。

 

応酬を好むユリウスらしくない。

 

「拙すぎて触れてはならないのかと思ったぞ。

話せないこともあるだろうが、愚痴なら聞いてやる」

 

「……やっぱり、そうなんだね」

 

ユリウスが一息にカップを呷る。

 

「僕の方こそ話させてほしい。君のおかげで気が付けたことなんだ」

 

―――――

 

ユリウスがソーサーの上にカップを置く。

小さな音がした。

 

「神書を持つと、どうも嚙み合わないんだ」

 

……その検証に私を付き合わせたか。

 

カップを持ち上げ、水面が相手に見えるよう傾ける。

 

「退屈な勝負の報酬は色付き水か。

傭兵契約だったら寝返ること間違い無しだな」

 

「ごめんね。

こんなことに付き合ってくれるのは、友達くらいだから」

 

……友人か。

ここに贅はあれど、人の熱は無い。

私とユリス、それと聞くところによればイシュタル王女しか近寄らないそうだ。

 

ここはトラキアとは真反対だ。

金は無く、頭数だけは多い。

だが、私を友と呼ぶ者は居なかった。

 

「ほら、イシュタルは……ね。わかるでしょ。

ユリスは解放軍がペルルーク城に来たから忙しくしてる上、継承者じゃないし」

 

「ならば、このことは内密にしておくべきだ。

敢えて口にするが、お前は何を言っているのか、分かっているのか?」

 

「神器を持つと特殊な感覚が生まれる。アリオーンはどう?」

 

天槍を握れば身体中が賦活され、意識が研ぎ澄まされる。

自らでは分からないが、言動に多少の変化はあるかもしれない。

だが、人格が変化することは有り得ない。

神器は武器であり、その加護は担い手を助けるに過ぎない。

 

「正直に答えよう。

その通りだが、ユリウスが思うほどの変化ではない。

気が大きくなるかもしれないが、それは制御出来る範囲だ。

ロプトウスを携える時間を伸ばし、慣れるしかないのではないか」

 

「イシュタルもそう言うだろうね。

以前にユリスへ僕の仕事や勉強を減らすよう進言してくれたみたい」

 

普通、こういった話は同じ神器を持つ親子同士でするものだ。

皇帝の聖炎とは違うが、感覚的なものは変わらないだろう。

客観的な意見も多ければ、ユリウスも納得しやすいだろう。

 

「惚気のつもりか。

だが、私以外の継承者もそう考えるのだろう。

疲れが溜まっていたせいで、それが噴出してしまっただけだ。

解放軍の侵攻に伴い、気疲れしていたに違いない」

 

帝都まで奴らが攻め上がれる筈はない。

トラキアを阻み続けた自由都市群の守りに加え、皇帝までいる。

 

仮に乗り越えられたとしても、私やイシュタル王女、それにドズルのブリアンや天馬三姉妹もいる。

加えて、あの邪書の守りは破れまい。

何があろうとユリウスが倒されることはない。

だが、まだ少年だ。不安にはなってしまうのだろう。

 

「一つだけ例外があるんだって。

その神器を持つと超人的な思考と行動を取るようになったらしい。

魔法で焼いた相手に対して肉は食べたくないと発言したんだって。

……正直聞いた時は、引いちゃった」

 

「ユリスが言うには、使い手を倫理を無くした歯車にする悪魔の本」

 

奴が知る神器。

ファラフレイムか。

 

……確かに、皇帝の行動を裏付けられる。

絶対の規範を作り従わせた後、邪教の受け入れを行った。

今も解放軍を踏みつぶさずに放置している。

 

「母さまがナーガを握った後、そうなったって聞いてる。

甘えたがりな怠け者だったのに、突然王族の自覚を持って振舞うようになったらしい。

母さまがあまりナーガを持とうとしなかったのは、そんな理由があったからだと思う」

 

ディアドラ皇妃。

私も一度だけお会いしたことがある。優しそうな女性としか覚えていない。

今では、その放蕩のせいで大陸が揺るがされているがな。

 

「至上の神器と呼ばれるだけあって、その様な効用が無いとは言い切れないが……」

 

言い訳だな。

 

「聞いた話だから実際どうなのかは分からない。

だけど、その聖書が倒そうとした存在、ロプトウスにも同じ効果がある可能性は否定できないよね」

 

「そこまで主張するということは、悪影響が出ているのか」

 

知的遊戯や茶が下手になったところで、皇帝になる者には影響が無いだろう。

 

「それが大事な話。

アイスブレイクは、僕には難しいや。

もっと、アリオーンを笑顔にするつもりだったんだけどな」

 

ユリウスは茶器を盆に載せ、部屋の脇に置き始めた。

代わりに、微かに果実と香草が香る水を注いで差し出してくる。

 

「今度は零さなかったな。

配合も間違っていないだろうな?」

 

―――――

 

水を口に含む。

柑橘とハーブで清涼感が強化されている。

疲れた頭には、紅茶よりこちらの方が好みだ。

 

「話が逸れないうちに、お願いがある。

もしも、僕が暗黒教団に呑まれるようなことがあったら、止めてほしい」

 

確かに、突然切り込む訳にはいかない話題だ。

私はナプキンを筒状に丸め、ユリウスの喉元に突き付ける。

 

「ならば今すぐ首を刎ねよう。

天槍は修理中だ。ただの数打ちで申し訳ない」

 

「……たしかに。

いや、違くて。僕が教団の傀儡でしかなくなったらってこと」

 

手を振って弁明をし始めた。

 

……邪書の影響とやらは、否定しきれないな。

先程とは全く違う反応だ。

 

だとしても、私の殺意は受け入れるか。

 

「現状は把握できているようで何より。

無駄に格好つけようとするからだ。それで、何が伝えたいんだ」

 

ユリウスがグラスに口をつける。

大きく息を吸い、涼やかさを体に取り込んでいる。

 

「僕は差別のない世界を実現したい。

それには世界に光と闇の両方が必要だと思ってる」

 

私の目を見つめて語り始めた。

赤い瞳が、揺らぎのない視線を送っている。

逃げるつもりも、私を逃がすつもりもないようだ。

 

「ひと昔前は光が闇を排斥し、今に繋がった。

それより前のロプト帝国はその反対。

この繰り返しなんて馬鹿みたいじゃないか」

 

それがどうしたと言うのだ。

過去よりも、今が重要だ。

 

「子供狩りがその終止符を打つとでも?」

 

「違う。

でも、その糧にする」

 

ユリウスがナプキンを握り、大きな皺を作る。

グラスなら割れていたな。

 

「昔の僕がその決断をした。してしまった。

流されてしてしまったとしても、弁解はしない」

 

赤い瞳は強い光を宿している。

 

「だからこそ、未来に繋げる責任がある。

敗北だとしても、無意味に終わらせることだけは駄目だ。

僕が成功しようが、失敗しようが、投げ出すわけにはいかない」

 

「想いを語るだけなら誰でもできる」

 

今一度、喉を潤している。

強くグラスが机に置かれ、音が出る。

 

「解放軍との戦いの後、夏の降臨祭をもって子供狩りを終わりにする」

 

「教団も戦で弱体化するはず。

もし戦場に赴かず力を温存したとしても、帝国の窮境に立とうとしない者を誰も認めない。僕が認めない」

 

「教団はお前の支持基盤だろう。

お前は戦後に差配するだけの権力を保持出来るのか」

 

「内緒だけど、ユリスがヴェルトマー当主になる。

僕個人に忠誠を誓ってくれている」

 

……どういうことだ。

後で話を聞くとしよう。だが、穴を指摘してやるべきだ。

 

「大前提として、あの女が裏切ることは無いのか。

奴が歳に見合わない知識と場数を踏んでいることは認める。

だからこそ、自らの利益を追及しかねない」

 

「へへ、やっぱりね。計画は安泰だ」

 

ユリウスは誇らし気に口元を緩めている。

 

「何が可笑しい」

 

「安心できた。アリオーンがそう言ってくれたからね」

 

「また私を謀ったのか。悪癖だぞ」

 

今日は試されてばかりだ。

いい加減、気に食わなくなってきた。

主導権をどこか取ってやる。

 

「ごめんって。

裏切りそうと思われる権力者には、僕の潜在的な敵対者が集まるでしょ。

ユリスは僕が背かない限り、そんなことは実現しない。

つまり、炙り出す囮ってこと」

 

「あの女に寝首を掻かれるぞ。妄信は止めておけ」

 

ユリスとお前の関係は見てきた。師弟であり、姉弟。

だが、地位は人を容易に変えてしまう。

トラキアでは、何度も目の当たりにした。

 

「アリオーンは一心同体の騎竜を疑うの?」

 

「だとしても、信頼と依存は違う。

共に墜落はしない。それが竜騎兵の主従だ」

 

「僕達はただの主従じゃないからね。

お互いに命を握りあっているんだ。なんて言えばいいかな?」

 

……やはりここはトラキアとは違う。私は付いて行けそうにない。

 

「一妻を貫くべきだ。後継者問題や外戚のこともある」

 

「……?

……イシュタルが……お嫁さんになって欲しいよ」

 

なぜ照れる。

……本気で言っているらしい。

 

いや、これは枝葉だ。

 

口に水を含み、建て直す。

 

「ともかく、教団から実権を奪い取ろうとしていることは理解した。

私に何を望む」

 

「僕の考えを知っておいてほしい。

味方になって欲しいけど、それはアリオーンに任せる。

強制するなんて臣下への扱いになっちゃう。友達相手には出来ないよ」

 

親しいからこそつけ入るべきだろうに。

 

「僕は神書を持っていると、どうしても傲慢になってしまう。

普段よりも大胆、というより雑になってしまうみたいだ。

アリオーンとのやり取りも証拠の一つだね」

 

伝聞と一例だけ。

受け入れるには足りない。

 

「ユリスがこの箱を使って僕に神書を持たせたがらない説明にもなる。

反対に、マンフロイは常に持ち歩くように言ってくるんだ。

このことからも、何かしらの影響が出ることが推測できる」

 

ユリウスの保護者達には私達には分からない何かが見えているようだ。

恐らく、箱に入れて運ぶというのが折衷案だったのだろう。

 

「所持している時は先に言え。ハンデをつける。

次からは色水は出さないでくれ」

 

「やっぱり無い時の方がいいよね。

アリオーンのおかげで自信がついたよ。

思い込みかもしれないって、確信を持ち切れなかったんだ」

 

「僕は神書を持つと判断力が弱まってしまう。

弱点なら、それを認めて、対策を取ればいい」

 

そこまで列挙されれば、私も否定しない。

だが、どうする。

 

「皇帝が一人きりなんて、滑稽でしょ?

だからこそ、アリオーンを頼りたいんだ」

 

……卑怯だ。

選択肢は用意されている。

だが、選ばせようとはしていない。

 

―――――

 

「僕が解放軍に負けた時でも一つだけ問題が残るんだ。

何だと思う? 多分アリオーンでも当てられないと思うよ」

 

安い挑発だ。

 

ヴェルトマー次期当主が決定されているということは、アルヴィス皇帝にも話が通っている。

グランベルの諸侯は解放軍によって力を既に削がれている。

勝利した暁には、論功行賞といった様々な懸念材料が多すぎる。候補が絞れない。

 

……切り口を変えるべきか。

反対に、ユリウスが負ければ既存の体制は崩れ去る。

そちらから考えるべきだ。

 

「無理そうだね。

僕の妹、ナーガの継承者ユリアのことだよ」

 

「推理すら成り立たないお粗末な問だ。

ユリア皇女は行方知れずになっていたはずだ。見つかったのか?」

 

「解放軍に居るみたい。聖ヘイムの直系とは知られてないらしいよ。

どうしてそこにいるかは分からないけど、生きていてくれて良かった。

ユリアが母さまの居場所も知ってたらいいな」

 

……理解が追い付かない。

突いても意味はないだろう。

ただユリウスの親族の生存を喜ぶべきだ。

だが、お前にとっては次期皇帝になる障害だろうに。

 

もし、私があのまま戦っていれば、ナーガの直系と矛を交えたのかもしれなかった。

負けるつもりはないが、危険すぎる。殺してしまっていれば政治的にも危なかった。

 

「セリス皇子の権威付けというわけでもないのか。

あの理想主義の男でも利用しない手はないだろう。

別の思惑を持つ者が解放軍に潜み、隠している可能性があるな」

 

……あるとすれば、解放軍が帝国や邪教に本気で潰されないためか。

だとしても、何故。

 

聖戦士の末裔達も聖ヘイムの血脈と聖書が解放軍にあれば、帝国から離反するだろう。

行動に移さずとも、支援はする。

特に北トラキアの解放はより素早く終わった筈だ。

……父上も解放軍に売り込みをかけたかもしれない。

 

「ユリスに確認してもらった限りでは、帝国も教団も隠蔽していたわけではないみたい。

次の自由都市戦でユリアを教団が攫ってくるつもりみたい」

 

ズィーベンを名乗り邪教に探りを入れたか。

想像以上に二つの名前は便利だ。

あいつの忙しさを思えば、真似しようとは思えないがな。

 

「それ程の重要人物を拐せるのか?

いや、知られていないからこそか」

 

肉親は傍にいるべきだ。

それに、万一皇女が露見した際のリスクは計り知れない。

解放軍が力をつけた今ではグランベル諸侯も翻って崩壊しかねない。

 

「そこは重要じゃないんだ。

僕がロプトウスの影響を受けてユリアを害さないかが保証できない」

 

仮に神器の長と邪書が所持者に影響を与えるとすれば、無いとも言い切れまい。

だが、そこまで影響を受けるものなのだろうか。

 

「勿論、僕はそんなことをするつもりはない。

父上の本領のヴェルトマー城でユリスに面倒を見てもらおうと思ってる。

それなら帝都での政争にも巻き込まれない。

邪神の化身の生まれ故郷を監視するとでも名分をつければいい。

……父上に汚名を押し付けてはしまうけど」

 

口ぶりからして妹を嫌っているわけではなさそうだ。

……兄妹で殺し合い等すべきではない。義理でもあれ程苦しい。

 

その点については、助力を惜しむつもりはない。

アルテナもズィーベンに一度は救われた。恩には報いるべきだ。

出来ることも大してないだろうがな。

 

「つまり、敗北した時は私に任せたいということか。随分後ろ向きだな」

 

「全てが上手くいくなんて、無責任が過ぎるよ」

 

「僕達が帝都で一緒に過ごした期間は何か月もない。

それでも、アリオーンと共に訓練をして人となりが分かった気がするんだ」

 

「その程度で理解されるほど浅い人間のつもりはないがな」

 

「アリオーンは信念を捨てない。

斜に構えているように振舞うけど、熱が奥底で渦巻いている。

だから、トラキアを取り戻した後のことを考え、僕と研鑽している」

 

「過剰に持ち上げて何が言いたい」

 

「アリオーンだから、ユリアをお願いしたい。

別に娶れとか言いたいわけじゃないんだ。

ただ、生かしてほしい。出来れば、幸せになる手助けはしてあげてほしいけどね」

 

「ユリア皇女はナーガを使えるだろう。お前がどうなろうが立場は保証される」

 

「かもね。

でも、僕の双子の妹だ。

聖痕は出ていないけど、ロプトの血を継いでいることが誰にでもわかる」

 

確かに現体制が崩壊すれば、暗黒教団狩りは盛んになるだろう。

 

「聖ヘイムの血を絶やす方が問題だろう」

 

「セリス皇子がいる。

彼の血脈からいずれナーガの継承者が出るかもしれない。

ロプトの血が混じらない彼の方が民衆受けが良い。

何より、ぽっと出の姫より光の皇子が好かれるでしょ」

 

どう見られるかも把握できているようだ。それでこそだ。

 

「トラキアは貧しい土地だ。

それに私が王座に返り咲けるとは確定していない」

 

「迫害され続けるよりはきっといい。

それにユリアは7年間も帝都から離れていたんだ。平民の暮らしにだって慣れているはずさ。傭兵暮らしでも光魔法と杖は役に立つよね」

 

皇女ではなく、一人の女に身をやつすことも認めるか。

ならば、無下には出来ない。

 

グラスを傾け、口を湿らす。

ナプキンを整え机に置く。

赤い瞳に向かい、宣誓する。

 

「竜騎士ダインと空に誓い、承ろう。

我が友の妹を、ただ一人の少女として受け入れよう」

 

「代わりに私の妹も頼みたい」

 

「……ああ、アルテナ王女のことだよね」

 

「あいつは解放軍に参加している。

だが、もしも助命する機会があれば助けてやってくれ。

無論、手心を加えろというのではない。

あいつも武人。戦いの中で果てることは覚悟している」

 

ユリウスが水を嚥下し、姿勢を正す。

 

「ユリウスの名において、了承した。

僕にとっては、名前は血よりも重いんだ。

三つも先祖の名前を読み上げるなんて長いしね」

 

変わり者め。

 

どちらからともなく、口が弧を描く。

 

「お互い妹が心配だね」

 

「どちらも勝手に側から出て行ってしまったからな」

 

ユリウスが薄く笑みを浮かべる。

 

「もう一つだけお願いがあるんだ。

見返りは何も出せそうにないけど、聞くだけ聞いてほしい」

 

―――――

 

「解放軍が自由都市に入ったら、僕は神書を常に携えることになる。

そのせいで、僕が完全に暗黒教団に傾倒するようであれば、別人と思って欲しい」

 

ロプトウスの書は言動だけでなく思考にも影響があるのか。

なまじ強力な魔導書であるだけ、使わない選択肢は無い。

だが、今は正気のはずだ。

 

「……既に言っただろう。

客観的に見てお前は邪教に傾いている。

あるいは、傀儡にされているようにしか見えない」

 

何度も言う必要はないだろう。

それはお前も認めた。

 

「僕こそがロプトウスの化身と呼ばれるに相応しい。

世間では父上がそう呼ばれているけど、僕が邪竜の写し身だ。

だとしても、聖戦士のつもりだ」

 

矛盾する言葉を、躊躇いなく並べていく。

 

理性も知性も損なわれていない。

先程までの会話が証明している。

だが、致命的な歪みがある。精神に大きな影響があるようだ。

 

「邪竜が聖戦士など、殺されて然るべき発言だ」

 

ロプトウスの影響よりも質が悪い。

そんな狂気は今まで見せたことが無かっただろう。

 

「聖騎士マイラを知っているでしょ。

ロプト皇帝の実弟でありながらも、暗黒帝国に立ち向かった偉人。

聖戦士達はその庇護によって生まれた、云わば僕達の父とも呼ぶべき存在。

父上や僕達双子にはその血が流れている」

 

邪神の血脈は絶えた。そう世間で扱われていた。

アルヴィス皇帝が邪教の祭典を開くまでは。

そして、目の前のユリウスが揺るがぬ証拠だ。

 

「ユリスから聞いたんだ。それだけじゃない。

バーハラ家とエッダ教の極秘資料では、聖戦の後もマイラの血脈だけは保護すると定められていた。

結局の所、父上の代まで迫害されてしまっていたけどね」

 

「それがどうした。

思想の次は歴史の講義か」

 

「僕は正義のために動いている。

父上が、そして聖騎士がそうしたように」

 

「僕はロプトウスと暗黒教団を利用する。

次期皇帝、そして神器を束ねる者としてそれらすら支配する。

僕こそが主人であり、使われるつもりはない」

 

「だけど、神書を持ち続ければそうあり続けられる保証はない。

いつの間にか一人称が変わっていたみたいに、浸食されていく可能性が高い」

 

そのような変化もあったのか。

今だけ僕と称している。それが素か。

 

「道を踏み外せば、ユリスに終わらせてもらうことになっている」

 

「……お前‼ 死ぬつもりか‼」

 

急に立ち上がったせいで、椅子が倒れてしまった。

音がやけに大きく響く。

 

素早く椅子を元に戻し、浅く腰を掛ける。

 

「不可能だ。

あの守りを突破できるはずはない。

天槍の威力ですら攻略しきれなかったんだぞ。

それこそ神器の長以外には不可能だろう」

 

それとも、私にお前を……殺す手伝いをしろというつもりか‼

 

「僕もどうやるかは分からない。

知る必要もない。知ってはいけない。

ユリスは必ず僕を殺す。そしてユリスも死ぬ」

 

当然のこととして受け入れている。

奴はお前にとっての姉のような存在ではなかったのか。

何年も前に生き別れた妹にすら、手を尽くしていたではないか。

 

「そこは重要じゃ無いんだ。間違えなければいい。

それに、命を賭けるなんてファラの系譜にとっては当たり前だから」

 

……家の価値観に口は出せない。

 

後始末を織り込む、お前らしい差し手だ。

だが、遊戯ではない。それなのに、どうして平然と口に出来る。

 

「その後の世界を考える余裕がないことが問題なんだよ。

善後策も用意しないなんて、ただの博打でしかない。

支配者にはあってはならない資質だ。窮地以外では許されない」

 

尻拭いでも、させるつもりか。

そんなものを請け負わせるな。

 

「私はトラキアの王子だ。グランベルなぞ知らん」

 

「だからだよ。

大陸で唯一グランベル帝国外の国。そこなら騒乱の影響が少ない」

 

「何より、アリオーンは見定める目と頭を持っている。

僕が飲み込まれていないか判断できる」

 

「出来る筈がない。

今日だって種明かしされるまで分からなかった」

 

「今日の僕に疑問を持ったでしょ。

イシュタルにも出来ないことだよ。

神書の影響を受けないユリス以外だと、アリオーンが初めてだったんだ」

 

この期に及んで、私を判断基準とするつもりか。

 

「だとしても、お前と敵対する意味が無い」

 

「吞み込まれてしまった僕は、君の友達じゃない。

そうである資格が無い。譲る気もない。

一緒に歩んできたのは、君と僕だ」

 

……だとしても。

 

「アリオーンが利用できるなら、敵対しなくてもいいよ。

だけど、闇だけが支配する世界にだけはしないで欲しい。

誰に認められないとしても、僕は火を継いだ聖戦士なんだ。

燃え尽きたとしても、何かを残さなきゃ」

 

お前が最も価値のある駒だ。獲られてしまえば終わり。

それなのに、その先をばかり見るな。

今の盤面を見ろ。

 

「……だったら邪書など捨ててしまえ」

 

妄言を実行するくらいなら、逃げてしまえばいい。

目的のために分かり切った死地に赴くなぞ、父上だけで良い。

お前なら、優秀な魔導士として傭兵で食い扶持を稼げる。

私の元に妹と共に来ればいい。

 

「聖騎士はそんな楽な道を選ばなかった。

失敗しても、数百年後の土壌になれれば成功さ。マイラのようにね。

第一、これまでの責任があるからね」

 

責任、か。

 

口に出すだけなら容易い。

行動と、意思を持ってこそ価値が生まれる。

 

……渡された冠を捨てる。それは戴く以上に重かった。

 

私は父上から民を託された。

お前は、世界を担うつもりなのだな。

 

「私にも背負う物がある。約束は出来ない」

 

トラキアの民が飢えないのであれば、邪教の犬にでもなろう。

 

「ありがとう。僕と向き合ってくれて嬉しいよ。

そんな風に誠実だから、信じられるんだよ」

 

共に歩むことは許されている。

だが、背に刃を突き立てても、約定は満たされる。

 

それがお前なりの優しさか。

どちらを選ぼうが、私はお前の友でいられる。

 

私は逃げることも出来る。

だが、お前は私を信じているのだな。

 

だからこそ、私にお前を疑わせ続けるつもりか。

縛り付けるために情を利用されてしまった。

 

聖騎士を名乗り、皇帝を継ぐのであれば、自らの正気を証明し続けてみせろ。

邪神を御するというのなら、私も空の支配者として応じる。




ロプトウスを持っていなければ正気のように聞こえますね。
誰がそれを保証するのでしょうか?
誘導なんて、それが無くても出来る人もいるでしょうに。
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