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ユリウス
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イシュタル
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ユリア
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扉が開け放たれている。
人の出入りが絶えないのだろう。
大量の子供を管理しなくてはならなくなったせいだ。
入口の警備兵へ顔を明かし、掌を見せる。
衛兵の鎧がわずかに音を出すが、直ぐに無言で敬礼を返してくる。
私の立場と意図を読み取り、迷いなく対応している。
侵入口が開いたままであろうが、彼らが居れば問題にはならぬ。
ブルームと姉上の薫陶が行き届いている。
それにしても相も変わらず、身内には甘い。
精鋭はフリージに集めるべきだろうに。
気配を殺し入口から内側を伺えば、膨大な書類が長机に積まれている。
壁には各所の地図と細かな書き込み。
ここでは貴人、官僚、邪教徒、どの装いであろうと書類に向かい筆を止めどなく滑らせている。
観察はこの程度で十分だ。
あえて靴音を響かせ、部屋へ踏み入る。
筆音が一つ、また一つと消え、私の音だけになる。
手が止まりゆく中、私は中央の女性へと進んでいく。
柔らかな声を意識して呼びかける。
玉座でもないこの場では、形式ばった言葉は不要だ。
「イシュタル、久しいな。
根を詰めすぎてはいないか?」
一瞬固まり、イシュタルは椅子を鳴らして立ち上がった。
こちらへ向いて礼を取る。
らしくない、童子のように乱れたカーテシーだ。
「皇帝陛下⁉
どうしてこのような所へ⁉」
不意打ちに対する対応は、まだ改善の余地があるな。
だが、仕方がないだろう。
私が居城から離れ、前触れも無くミレトスに現れたのだから。
「この城に集めた子供達を解放しろ。
この仕事はお前とて本意ではあるまい」
「……しかし、その、ユリウス殿下のご命令が……」
視線を伏せ、言葉が濁される。
命令と良心、そのどちらにも背けない者の声色だ。
皇族への敬意は残っているようだ。
邪教への傾倒は見られない。姉上は上手く育てた。
解放軍と戦闘の後、姉上の下で再教育を受けたと聞いている。
やはり、フリージは暗黒教団に傾いてはいない。
娘の態度からもそう信じられる。
「これは私の勅令だ。
まさか雷神とも称される者が、グランベル皇帝の命令に逆らうつもりではあるまい」
これ程言えば、イシュタルも引き下がりやすいだろう。
わざわざ姪に対してこのような言い回しを使わねばならぬがな。
自らが敷いた秩序。
上に立つ者すら縛り、その鎖で全ての人間を守るためのものだった。
裁量を減らすことでクルト王子のような苦しみを減らすつもりだった。
だがその刃が、今は邪教に利用され我らに向けられている。
「いえ……そんな訳では……」
上意下達が崩れ始めている。
すなわち、律が壊れる予兆だ。
この娘すら、帝国の制度と邪教のどちらを優先すべきか判断を迷うようになってしまった。
「父上、勝手なことをされては困ります。
イシュタルは私の部下なのですよ」
背後から作ったような低い声が響く。
早足で私の横を通り、イシュタルとの間へと割り込んできた。
何とも青い独占欲だ。
ユリウスは以前よりも政が理解できなくなったようだ。
位とは、上位者が従ってこそ価値がある。そんなことすら忘れてしまったか。
邪神の書が神器と同質と考えれば、それがもたらす感覚に酔っているのもあり得る。
あるいは、教団に完全に取り込まれてしまったか。
なんにせよ、次期皇帝としては相応しくない振る舞いだ。
「ユリウス、貴様……」
視界の端に黒く汚らわしいローブが映りこむ。
今は周りに暗黒教徒が多い。
ここで叱責しては、余計に奴らからの私への妨害が増える。
ユリウスへの求心力も下げる意味もない。
ユリウスは腕を上げ、身体を大きく見せる。
どうしても、イシュタルへの私の視線を遮りたいらしい。
「父上はまだお分かりにならないようだ。
もうお年だからでしょう。そろそろ引退されては如何です?」
一拍置き、空気が張り詰める。
魔力が高められ、喉に圧迫感が生じる。
鋭い視線を私に注いでいる。
私に影響を及ぼすほどの魔力も備えている。
だが、足りない。竦ませる程の圧力を備えなければ、意味が無い。
「それとも、まだ私を追放しようとでも思っておられるのですか?」
ユリウスが邪書を構える。
不快な感覚が皮膚の表面を這いまわる。
無意識に指が懐の聖炎へと伸びかけ、手を止める。
周りは邪教徒とはいえ、無駄に消耗させる必要もあるまい。
解放軍との戦闘で使い物にならなくなっては意味が無い。
執務に励む者達、そしてイシュタルの神経をすり減らすべきではない。
彼らは制度に則り働いているだけだ。
「いいや、お前に抗するつもりはない。
分かっている。もう、何も言わぬ」
神器を掴む代わりに、周囲へ手のひらを見せる。
恐怖で机にしがみつく者達へ、ゆっくりと動かしていく。
意図を汲んだユリウスも、不承不承といった表情で魔力を収めた。
「ならばこんなところで徘徊しておられず、ご自分の持ち場へ戻られよ。
父上にはシアルフィ城の守備という大役がある筈だ‼」
私が素直に従うとは考えているようだ。
どちらにせよ、子供達を帝都へ送る途中にそこを経由する。
ユリウスらしくない浅慮だ。
近視眼的過ぎるように思える。
「ああ……」
……皇子は邪書の毒に酔い、反乱分子が跋扈している。
グランベルの未来は暗い。
だとしても、まだやれることはある。
ロプト帝国の再建だけは、防がねば。
「お久しぶりでございます。”正義”の当主様」
背後から、重く耳障りな声がした。
「ククク、皇帝とは名ばかり。
アルヴィス陛下も哀れなものですな」
―――――
ユリウスは私のことなど忘れたかのように、口を開き始める。
「マンフロイ、ユリアの様子はどうだ」
ユリアが見つかったのか‼
思わぬ吉報に、身構える。
……いや、それよりも聞きに徹するべきだ。
すり足で壁際に寄り、息を潜め気配を殺そうと努める。
「現在シアルフィ城に捕らえております。
記憶も全て思い出したようです」
マンフロイは愉快そうに続ける。
「8年前、双子の兄に殺されかけたこと。
そして、母親の術によって城外へと飛ばされたことも。
何とも、堪らない表情をなさっておりました……」
恍惚に浸る気色の悪い表情を私へと顔を向けてくる。
拳を握る。
「そうだ、私がディアドラを始末した。
あの女は自らの大人しく運命に従ったが、最後の力を振り絞り娘だけは逃したのだ」
あの時、ユリウスは邪書を所持した影響で正気を失い、その記憶を失っていた。
何処から、ユリウスの暴挙が漏れた。
なにより、ユリウスはディアドラには懐いていた。その様な呼び方をするはずがない。
どこか、違和感がある。
この少年は、本当に私の息子なのか。
だが、邪書を使えるのはユリウスだけだ。
どこか拭いきれない違和感がある。
「ユリアはナーガ神の力を受け継いでいる。
殺さねばならん。手遅れにならぬうちにな」
「ユリウス様⁉ 妹君なのですよ‼」
イシュタルも承知していない。
ユリウスの近くにいた彼女にとっても、妹の殺害は思いがけないようだ。
企みは暗黒教団内で完結している可能性が高い。
だが、ユリウスにとって、ユリアは半身。
何をするにも常にお互いが支え合っていた。
在りし日のアゼルとユリスのように。
あるいは、交渉の定石。一度強硬な態度を見せ譲歩を引き出す。
天敵への強気な対策を提示し、邪教徒の支持を引き付けるつもりか。
だが、これまでを鑑みると今のユリウスには腹芸は出来そうにない。
「しかし、聖書は帝都バーハラに封印されているはず。
ズィーベンの案内で封印櫃を確認いたしました。
ヘイムの直系にしか解けない封印により、中の書は目にしていません。
ですが、内部に所蔵されていることは音で確かめました。
白蛇がユリアに宿るとは思えませぬが……」
……有り得ない。
聖櫃の在り処は地下深く、ヘイムとファラの直系、そして限られた側近しか知らぬ。
ディアドラの周りに侍っていた者は全て覚えている。
知らぬ名だが、どうして安置所へたどり着けた。
「何度も言わせるな‼
ナーガの化身、ヘイム王家の血は我が世界から消し去らねばならぬのだ‼」
自身も聖ヘイムの末裔であることを誇りとしていた。
この者が、以前のユリウスとは思えない。
自らの罪業を知ってしまい、衝動的になっているのか。
あるいは、ズィーベンなる者が何かを吹き込んだか。
可能性は低いが、ここまで全てが演技なのか。
先程から評価が定められない。
外的要因から真意を推測するしかない。
「了解致しました。
では、部下に命じて殺させましょう」
マンフロイは直ちにユリアを亡き者にするつもりはないようだ。
直接手を下そうとしないのが何よりの証拠。
だが、何故だ。筋が合わない。
聖書の継承者が無くなれば、邪神の天敵はこの世から消え去る。
加えて、ユリアは唯一グランベル皇帝としてユリウスの対抗馬に成り得る。
マンフロイにとって躊躇う理由が思いつかない。
邪教にとって、ユリアは一早く処分すべき危険分子の筈。
ナーガさえ無ければ、少女など如何様にも出来る。
「そんなことよりも、セリスの方が問題でございます。
奴らは十二分に世界を乱しました。
帝国外の教団の総力をあげ、あの小僧の首を殿下の御前に差し出しましょう」
……やはり、奴らの伸張は教団の手引きがあった。
道理で、私の命が届かない訳だ。
今回もスワンチカを持つブリアンを呼び寄せられなかった。
事ここに至れば、奴らは用済みか。
世を乱し、神へ縋る者を増やそうとでもしていたのか。
いや、だとしてもエッダ教を信奉する者が大半だ。これは違う。
……グランベルの私物化だ。
母屋が腐れば、寄生虫も弱まる。
だが、これまでに失われた将兵や貴人の数に対し、暗黒教団の損耗は少なすぎる。
乗っ取るために、外患を用いたな。
「セリスか。
私に対抗し、光の皇子と呼ばれているそうだな。
ディアドラの子としてグランベルの継承権を持っている。
如何にも衆愚が好みそうな話だ」
「あの小僧だけは殺さねばなりません。
生かしておけば大きな災いとなります」
これまでの進軍を思えば、脅威ではある。
だが、奴の神器は私の手の内にある。
確かにティルフィングに対し、私やイシュタルは相性が悪い。
魔法に対する優位を持っているのだから、ロプトウスにも同じことが言える。
だとしても、問題にはならぬ。
仮にセリスがシグルド並の使い手だとしても、私は昔より腕を磨いている。
加えて、後進への指導も欠かしていない。
ユリウスとイシュタルには、シグルドとの戦訓を叩きこんである。
「奴は所詮バルドの力しか受け継いでいないのだろう。
さほど心配することもあるまいが、まあいい。お前の好きにしろ」
「はっ、有難く存じます」
暗黒教団は解放軍の打倒に何処まで力を尽くすのか。
それ次第では、シアルフィ城を国境線とし私自ら防人となろう。
「そんなことよりイシュタル、一つ遊びをしないか?」
「ユリウス様……」
ユリウスが再び邪書を構え、イシュタルへと振り向いた。
背筋を悍ましい感覚が伝う。
邪書から黒い靄が立ち上がる。
ユリウスの瞳が黒く変色し、蛇のような形状に変わる。
これは、何だ。
「お前と二人で競争をするんだ。
反逆者の一人をどちらが先に血祭りにあげられるか腕試しだ。
ただの雑魚ではつまらない、指揮官級だぞ。
それが終わったら帝都に帰ろう」
イシュタルの様子を伺う。
明るい表情に似つかわしくない、虚ろな瞳を浮かべている。
ユリウスの瞳は元の赤い、人間のものに戻っている。
「はい、分かりました‼
そういうことなら喜んで‼」
何が起きている。
目の前の業務を放り出す、そんな無責任な娘では無かった筈。
―――――
姉上から一通の手紙が届いた。
いつも通り一輪の花が添えられて、微かな柑橘の香りを誤魔化している。
解放軍は一週間も経たない内にクロノス、及びラドス城を制圧してしまった。
噂では、子供が集められているミレトスを解放すべく強行軍を執ったとされている。
手紙によれば、リデールの奮戦により姉上は無事クロノス城を脱出出来たようだ。
本領のフリージ城でゲルプリッターを整えている。
万が一私が抜かれた後、帝都を守るための算段を立てているそうだ。
加えて、既にアグストリアの鎮圧に向かっていたユングヴィと連携の算段を立て始めている。
ユリウスや私が機能していない現状、フリージが事実上の盟主だな。
諸侯を纏め、決戦に備えるとのことだ。
空になった封筒の角を、爪で軽くはたく。
机上に傾けると、灰が落ちる。
……随分と、懐かしい合図だ。
何処かに我らの間者が潜んでいる。だが、私は把握していない。
つまり、独自に動ける者。
ユリウスにヴェルトマーの掌握を一切させないため、信のおける者は側に置いている。
……ヴァルターか。
解放軍のトラキア侵攻に伴い、奴とは一切連絡が取れなくなった。
灯が消えた可能性も含めていたが、暗躍もあり得る。
だから、リデールは戦力を温存したのか。
解放軍との衝突前、突然奴に預けた騎士団の大半ををここに送ってきた。
私の下へ兵力を集中するつもりかと思ったが、帝都への経由地として寄ったようだ。
その一人に遺言のような手紙を持たせていた。
曰く、いけ火のため我が熱を捧げる。
……ようやく、点が繋がった。
身動きが取れない私では届かない部分で、それぞれが動いている。
各々の切り口から、ロプト帝国再建を頓挫させようと足掻いている。
ならば、私もその下準備に参加しよう。
姉上の真意がどの様なものか確認するために、暖炉に火を入れる。
この地方では、冬でも雪が降らずそれ程使用することは無かった。
まだ灰受けや薪が残っている。
自ら火起こしをするのは、いつ以来か。
ユリアとユリウスに暖炉の使い方を教えた時が最後か。
部屋の中が温まり、春先の装いでは汗が浮く。
手早く終わらせてしまおう。
火先に当たらないように手紙をかざす。
焦げとは違う、香ばしい匂いが部屋に立ち込める。
温まった紙面には、姉上らしい短い言葉が浮かび上がってきた。
好きにしろ。あたしは利益に従う。
姉上は帝国の維持を担う気だ。
フリージが盤石で、姉上が外戚として権威を振るうのであれば私が居なくとも安泰だろう。
グランベル帝国として、暗黒の再来を食い止めるつもりだ。
……それでいて、私に自由を許してくれている。
ならばこそ、冠の重さを用いて未来を量ってやろう。
―――――
人払いを済ませた私室に、シグルドの遺臣を呼び出す。
奴の元配下で人品に信頼が置ける。解放軍も無下にはすまい。
老いた聖職者が深々と頭を下げ、私の言葉を待っている。
「パルマーク司祭、子供達を連れてこの城から逃げろ」
「えっ⁉
陛下、一体何故ですか。
貴方が御命じされれば、解放することも出来るでしょう」
勢いよく顔を上げ、こちらを訝しげに見つめてくる。
後先考えず自らの道を進み続けた男の家臣が、手続きを遵守するとはな。
私の治世も、捨てたものではない。
「まもなくバーハラからユリウスの配下が来る。
そうなれば手遅れだ、早く逃げろ」
「は、はい。
必ず子供達だけは逃がしてみせます」
「これをお前に預けておく」
剣を包む布を少しだけはだける。
柄に据えられた真紅の竜石を見せる。
明かりを受け、血のように深い赤を放っている。
パルマークが息を飲む。
彼は膝を折り、視線が宝玉へと落ちる。
「こ、これは……。陛下、まさか……」
「かつてお前はシグルドの側近だったな。
ならばこれが何を意味するか分かるだろう」
包み直し、老人に抱かせる。
彼は宝物のように抱き、決して離すまいとしている。
「支度をせよ。
教団からの追討も考えられる。
子供達の準備はこちらで行う」
司祭が再度頭を下げる。
しばらく微動だにせず、姿勢を保ち続けていた。
身体を起こし、再び軽く頭を下げた。
身を翻し、早足で部屋から出て行った。
私も、然るべき手を打とう。
扉の外に控えさせていたフェリペに娘を連れてくるように命じる。
―――――
8年の月日を経て、母の面影を残しながらも独自の美しさが花開いた。
ディアドラと同じ神秘的な長髪。
……思わず、触れてしまった。
零れ落ちるような滑らかさ。
ディアドラとは違う、一切のうねりが無い直毛。
クルト王子を思い出す。
あのお方の血も、確かに継がれている。
血色も悪くない。
何処かに厳しく監禁されていたわけではなさそうだ。
身を寄せて来る娘から手を離し、為すべきことを始める。
「ユリア、お前には済まないことをした。
私を恨んでいるだろうな。許さなくて良い」
ユリアは私の手を包み込み、瞳を見つめてくる。
「そんな‼
わたしはおとうさまを恨んだことは一度だってありません‼」
「私には力不足だった。
マンフロイに利用されているとも知らず、気が付いた時にはもはや私の手に負えぬ様になっていた」
……酷なことでも、伝えねばならない。
私の罪、そして聖ヘイムの末裔としての使命を。
「ユリウスは暗黒神ロプトウスの生まれ変わりだ。
我が最愛の妻を殺し、そして……お前まで……」
「あの時、おかあさまは最後の力を振り絞って私をワープで逃がしてくれました。
そのショックで記憶を失い、レヴィン様に助けられて……。
でも、ユリウスにいさまがおかあさまを……」
まだ理解は及ばないか。
兄弟での殺し合いを、次世代にも強いなければならない。
ナーガを握れば、自然とそうなってしまう。
母の遺品が、骨肉の争いの引き金となってしまう。
……私に感傷に浸る余裕はない。
「色々と話をしたいが、もう時間は無い。
お前もパルマーク司祭と共に逃げなさい。ここにいては危険だ」
手を繋いだまま、入口へとユリアを導く。
扉を開けると、黒いローブに身を包む老人とそれより小さな人影が道を阻む。
「そうはいきませぬな。
ユリア皇女にはわしと共にヴェルトマーにおいでいただく。
もし皇帝閣下がユリウス殿下に背けば、皇女には死んでいただく」
手を離し、一歩前に出で、ユリアへの視線を遮る。
―――――
右手を大きく動かし、マンフロイを糾弾する。
「ユリアを人質とするつもりか。貴様は私を何だと思っている」
左手を僅かに振って、フェリペに合図をする。
後ろ歩きで、音もなくこの場を離れていく。
これで子供達と聖剣だけは逃せる。
「お前はロプトウス様の下僕に過ぎぬ。
これ以上の苦痛を味わいたくなければ、黙って命令に従え」
遂に、私をも処分するか。
貴様等が崇めるロプトウスの血を引くというのに。
解放軍への寝返りを断つ心積もりか。
邪教は人質をもって、確実に私を消そうとしている。
そもそもセリスが父親の仇を受け入れることなど無いだろうに。
「おとうさま‼ わたしのことなんて気にしないで‼
セリス様はお優しい方です‼」
ユリアが私の背中を飛び出し、邪教の側へと進み出た。
「親が苦しむ姿は見たくないか。如何にも女らしい軟弱さだ。
せっかくだ、お前の世話役と顔合わせをさせてやろう。
ズィーベン、顔を見せてやれ」
これが、邪教の伏せ札。
死に往く者に隠す必要もない、といったところか。
「はぁ……。
いい加減、根回しくらい覚えて。
サプライズ大好き老人とは知ってるけど、せめて私には伝えるべき。
いつか痛い目見せるよ?」
若い女の声だ。
加えて、マンフロイに対し砕けた口ぶり。
……もしや、我らとは別のロプトの血脈。
そうであれば、無礼な態度も許容されうる。
ユリウスと番わせる腹か。
「お前も昔の主に言いたいことがあるだろう。
許してやる。好きなだけ恨みをぶつけるがいい」
またも嫌らしい笑みを浮かべている。
これが何者であろうと、構わない。
大方、バーハラ王家から寝返った者だろう。
「こうなると老人は頑固でいけない。
同じ演目を何度もねだる。頭が凝り固まって新しいものを受け入れられない。
いい加減、伝統芸能の域」
心底飽きた声音で素気無く告げる。
顔をユリアに向け、左の指先だけをこちらに向け振っている。
「ユリア様、これから気に食わないことを聞くだろうけど理由がある。
決して、逆恨みだったり、八つ当たりではない。
私は権力に弄ばれているだけ」
縦に1回、横に2回。
視線を誘導するように繰り返し指を動かしている。
マンフロイは焦れたように、女を促す。
「どうした、早く白日の下に晒せ。
今更心変わりをしたわけでもあるまい?」
もう一度、ため息をつく女。
指振りを止め、フードへ手をかける。
ゆっくりとめくっていく。
赤髪赤眼。
「久しぶりだね。
早速だけど、死後の段取りを済ませる。
私はあなたの跡目を継ぐから忙しい。感動の再会なんて暇はない」
―――――
「解放軍との決戦の時は、私が公平な立場で見届ける。
亡くなったらファラフレイムは私が貰う。正当性が必要。
あなたが勝ったら、政務で顔を合わせる機会も増える」
腕が引かれる。
そちらを見れば、ユリアが袖を掴んでいた。
「ズィーベンよ、つまらん。つまらんぞ」
マンフロイは、身体を揺らしながら不愉快さを余すことなく伝えている。
「これまでの積み重ねが台無しではないか。
庇い立てするにしても、上手くやれ。
もっと我らが神を、そして私を興じさせろ」
死者の顔を用いて何が楽しい。
懐へと手を伸ばす。
聖炎に触れると、感情が引きはがされる。
自らを俯瞰するような感覚になる。好悪よりも、見定めるべきだ。
「私はユリア様のお世話もしなきゃならないんでしょ。
そちらを優先するのが筋。初対面で父親を貶す相手を信じられる?
まあ、実際には会うのは二回目だけどね」
……焼いてしまえば、ユリアも巻き込まれる。
それどころか、子供達にも被害が及ぶかもしれぬ。
聖炎は威力があり過ぎる。
「それがどうした。それ以上に重要な聖務だ。
素直に貴様の思いをぶつけてやれ」
ユリスは再びため息をつく。
「どうでもいい」
一切の熱が無い。老人すら固まった。
「敬愛するクルト王子みたいだね、とでも言えばいいの?
子供の前だよ。最低限の節度は守るべき」
「分かってるよ。でも、率直な気持ち。
たかが男一人を傷つけた所で、大した利益は得られない。
それどころか、損しか生まない」
ユリス以外は、誰も動けない。
「確かに不意打ちでゴミのように殺されたのは、心がかき乱された。身体もだけどね。
お陰様で、子供を産む機能が無くなったし」
腹部をさすり、軽く叩いてぽんと音を立てる。
「建設的な女、ユリス。
昔のことにかかずらって、今を蔑ろにするほど愚かじゃない。
それより仕事が立て込んでいる」
「おとうさまを貶さないで‼」
「はぁ……。
これじゃあ私が悪役。
被害者であり、私が居なければあなたは産まれることも無かったのにね」
咳払いをし、続ける。
「指南役の最初の講義として、説明してあげる。
ユリア様、心情的には分かるけど逆恨みは止めてね。
その怒りは全てあなたの父親が原因なんだから」
一度手を叩き、ユリアに向けて三本指を立てる。
「この人は当主・親・将来性、どの観点からも評価出来ない」
「準側近の家臣に策を伝えず、無駄死にさせた。
当時最高級の外交札を切らず腐らせた。何がしたいか分からない。
家長としての手腕に疑い様は無い」
指を一つ折る。
あの時は、信の置ける者がディアドラに必要だった。
味方が私とアズムール王だけでは、ディアドラに対する負担が大きすぎた。
だから、変わらずお前をディアドラの護衛として王城に連れて行った。
他家との橋渡しよりも優先度の高い用途があったと、お前も分かっていただろう。
「子供の教育役すら決められていない
ユリウス様、そして今ユリア様の教育をマンフロイさんから私が任せられた。
ヴィクトル様の真似?」
……ユリウスも世話になっているのか。
「付け加えるなら、ユリア様を見つけたのも私。
どうせ、ユリア様に帝国を継承させようとして兄を放任してたんでしょう。
昔のユングヴィみたいだね」
更に指を折る。
……見抜かれている。
加えて、私や暗黒教団すら発見できなかったユリアを探し出した。
能力は落ちてはいない。それどころか、教団からある程度の権限を与えられているに違いない。
官位が無かった昔よりも厄介だ。
「皇帝権力の移譲が進んでいる今、ただの隠居爺。
神器を複数所持する解放軍相手に、防衛戦で勝てるとは思えない」
「投資先としては最低だね。
城が傷ついて修繕費が嵩むから、野戦をしてくれた方が嬉しい」
最後の一本をユリアへと突きつけてきた。
「ここまでで、反論はある?」
「おとうさまを、そんな……」
「消えゆく燠火を注視する価値はない。
ただ放っておけば熱は失われる。教材としての価値は、残っていたね」
「そんなものよりも私は休日が欲しい。
趣味に費やす時間なんて、何時から貰ってないんだろうね。
どうせなら、アゼルの墓参りに行きたい。どこ?
それにドラちゃんも撫でたい。猫だしもう亡くなっちゃった?」
顔だけをこちらに向けてくる。
記憶と変わりが全く無い、昔のままだ。
一つの引き笑いだけが響く。
―――――
耳障りな音が収まるまで、しばらくかかった。
「貴様は遠慮が無いな。
それでいい。むしろ、わしの想像以上だ」
老人は満足げに手を叩く。
「仕事だけの男が無能に堕ちるとは、傑作だ。
愛する者を息子に殺され、分家に全てを簒奪される。
仮にも皇帝を、猫畜生以下とまでこき下ろせる者は居まい」
「ヴェルトマーでは燃えカスに価値は無い。
使えなくなったこの人の育ての親を私は燃やした。
だから私の一家だって、蛮地に追いやったんでしょう?」
ヴァルターのことは把握しているか。
「そんなことより、早くお墓の場所を教えて。
口を開けないくらい耄碌したの?
それとも弟のことすらどうでも良くなったの?」
「……帝城の内庭だ。
色とりどりの紫陽花で彩られた石彫刻が墓石代わりだ。
ディアドラが手をかけて設えた。
お前も……そこに眠っていた」
「そう。
後で燃やしておく。余談は置いて、仕事の話」
「何故アゼルが眠る地を荒らす‼」
「ユリア様、聞いての通り。
そこは私が埋葬されていた場所。燃え尽きた者は、何も与えられない。
ナーガとファラの直系を守ろうが、青い花の肥料として消費される。
記念碑なり、歌劇なりが用意される功労者も、ヴェルトマーではこんなもの。
帝国への反逆者と合葬。死後に罪人と同居なんて、相応しいと思う?」
……。
言い訳はすまい。
「わたしには分かりません‼
貴女のことなんて信じられません‼」
ユリスは首元をまさぐり始めた。
「嫌われようが理解させるのが私。
臣下だって、この決まりは理解している。
この指輪だって、騎士団長の物だった」
ユリアへと、首から吊るされた指輪を見せつけている。
鈍い光を返している。
「そんな……。
セリス様達と戦う人から奪ったのですか‼」
「死ぬ人が持っている価値は無い。
だから、私が有効活用してあげている。
未婚の当主が、男から指輪を受け取ったのは内緒ね。
真偽や筋道はどうあれ、面倒なスキャンダル」
いけ火はこいつだ。
……灰ではなく、土を被せたのだがな。
どういったカラクリかは知らぬ。
だが、再び点火したことだけは確かだ。
こちらの駒数が増えただけだ。
ユリスがこちらへ向き直る。
「私はあなたの隠し子。
姉さまとの間に出来たとして、ユリウス様の姉を名乗る。
ユリス、ユリウス、ユリアの三姉弟。
ロートリッターに伝えておいて」
気に食わない笑い声が、我らの会話を遮る。
「クククっ、確かに皇女の前では話せないな。
むしろ姉妹の引き合わせとして最適だったかな」
「神器同士のぶつかり合いの前、私は解放軍への使者として赴く。
最終的に騙し討つためにも、友好的な帝国貴族として見届ける」
「ただし、どちらに対しても助力は一切するつもりはない。
また燃やさないでくれればいい。
私からの伝達事項は以上。親子のお別れを続ければいい」
「貴女はおとうさまを恨んでいるのですか‼」
「ファラフレイムは取り上げていないでしょ。
燃え殻に対して格別の温情だと思うけど?」
私に時間を残してくれている。
ならば、為すべきことを進める。
クルト王子が、母上を、娘を守るために作り上げた宝飾を差し出す。
「……いいんだ……。
ユリア、私にはお前を守る力が無い……。
だから、このサークレットを受け取れ」
「これはお前の母の形見。そして、お前を守る最後の鍵。
ディアドラが片時も離さず身に着けていた。
お前のお爺様が用意した由緒ある逸品だ。
ユリスも覚えているだろう」
こいつなら、これで伝わる。
お前はしつこい奴だ。いつまでも恨みを忘れない。
「エスプリでも効かせたつもり?
私を家に閉じ込め、死へと引きずり込んだ証。
上手い返しだよ、子育ての代わりに自分を磨いたんだね」
汚らわしい笑い声が再び生じる。
「まだこの男にも反骨心が残っていたとはな。
だとしても、自らの家臣だったものをいびる程度か。
全く落ちぶれてしまったものだな、アルヴィス皇帝」
口角をつり上げ、私へ不躾な視線を送って来る。
「マンフロイさんは私に感謝すべき。
それがあれば、バーハラのナーガの封印を解ける。
最後の賭けのつもりだったんだね。
私が居なければ、切り札を隠し通せた。
むしろ、私を利用して聖書へとユリア様を導かせようとしたのかな」
マンフロイを謀る気だ。
ディアドラのサークレットは、ヴェルトマーにある隠し部屋の鍵。
真に限られた者しか知らぬ、宝物庫。
クルト王子の贈り物をその鍵に設定した。
お前が聖炎に巻かれながら挑みかかって来たのは、あの時だけだった。
家臣団と、お前自身の怒りの区切り。
それを忘れられるはずはない。
老人は肩を振るわせながら、身体を抱いている。
「良くやったズィーベン‼
白蛇の息の根は止まったも同然だ‼」
勢いよくユリスの肩を掴み、喝采を上げている。
ユリスは意に介さず、わずかに声を張る。
「バーハラ王家が所有者の命を守るために作った装飾品。
傷を癒し、活路を見出す祝福を授けるサークレット。
ナーガの継承者が帝都の聖櫃にかざせば封印が解ける。
この秘密を知ってしまったから、私は王城から一歩も出られなくなった。
昔、マンフロイさんに闇魔法を教われなくなった時期があったでしょう?」
あの封は聖ヘイムの直系が居れば解ける。
ディアドラが愛用していたオーラを私が入れた。
お前なら、棺の装飾から推理できるはず。
「良いぞ‼ 良いぞズィーベン‼
お前に褒美をやろう‼
何が良い‼ なんでもやろう‼」
「神への献身を讃える歌が良いか。未来永劫語り継がれるだろう‼
それとも、役職が良いか。新造したズィーベンだけのものを用意してやろう‼」
老人は天を仰ぎ、幸福に浸っている。
ユリアは顔を強張らせ、私の背中へと戻ってきた。
「ワープをお願い。
エッダやドズルとの会談が帝都である。
あなたに引っ張り出されたから他の仕事も止まってる。
ユリウス様だって心配。
高ぶってアリオーン様と神器で打ち合ってないか見に行かないと」
……トラキアの王子がいる。
あの者の息子が邪教に飲み込まれるとは思えない。
教団とは別の指示系統の戦力を確保しているな。
リデールが引き上げた騎士団と併せれば、一国と並ぶ。
邪神さえどうにかすれば、十分勝ち目はある。
それで反旗を翻すつもりだな。
ファラの女は炉心。
これで私も後事に縛られず、動ける。
シグルドの息子が世界を担えるか、試してやろう。
不足であれば、シグルドと同じように利用する。
ユリスがマンフロイに近づき、額に向け手刀を落とす。
その動きで、老人の視線は定まった。
「そっちこそ、して欲しいことはある?」
老人は周囲へと目を向け、背筋を正す。
咳ばらいで切り替えている。
「ユリウス様には皇女が生きていることは伏せろ。
殺そうとなされている。お前なら、分かるだろう」
「説得すればいいの? それとも伏せればいいの?
今のユリウス様なら丸め込める」
やはり、ユリウスは正常ではないようだ。
「口を噤んでおけば良い。夏の大祭の後にお伝えする」
「これ以上業務が増えなくて結構。
マンフロイさんがヴェルトマーでユリア様の身柄を隠しておいて。
解放軍が片が付くまでは、そっちに行けそうにない。
ミレトスが健在なら、教団本部のそこが良かった」
こいつは、ナーガの真の在り処を確信している。
ならば保険として、私も誰かを経由し解放軍へ伝えるべきだな。
ユリスの足元に黒い魔法陣が現れる。
重い光が放たれ始める。
「ユリア様、私のことが気に食わないでしょ。
怒りの矛先にしてもいいけど、私の授業はちゃんと聞いてね。
あなたのお母さんの話もしてあげる」
言い切った途端、黒に飲み込まれ消えた。
ユリスにとって嫌いな人の名前が出てきました。
補助線が薄すぎないか心配でした。
唐突に見えたのであれば、私の表現力不足です。