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イシュタル
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闇に焦がされたズィーベンが大地に倒れている。
這いつくばったまま、顔だけ上げて口を開く。
「……良い不意打ち。かなり痛かった。
あと2発は耐えられないね」
ズィーベンがのろのろと立ち上がり、首から下げた指輪を見せつけてくる。
そんな使い古されたような装飾品で何を示そうとしているのだ。
青髪がズィーベンに駆け寄ろうとする。
「セリス皇子殿下も驚いたよね。許してくれると嬉しい」
それを言葉で制し、身体の各所を動かし戦闘に耐えうるかを確かめている。
そしてズィーベンが青髪の背後、遠くの反逆者共に向かって大きく手を振り始めた。
青髪が足を止め、同じように手を上げて奴の仲間へと無事を伝え始めた。
ズィーベンは身体についた土埃を払い、咳払いをして喉の調子を確かめている。
破れた左の長手袋を外し、醜い縫合跡を晒した。
「少し錯乱しちゃっただけ。
先走りだなんて、双方の格を下げるだけ。
記録に残さないでくれると嬉しいかな。
それと御二人は少しだけ距離を離そうか」
青髪が視線をこちらに向けたまま離れていく。
私の視界にイシュタルの背が入る。
そんなことより、イシュタルだ。
「ズィーベン‼ 貴様‼」
「勘違いしないで。
まだ話は終わっていない。時間も早すぎる。
アリオーン様もユリア様を連れてきていないでしょう?」
ユリアが、生きている‼
アリオーンが見つけてくれたのか‼
だからこんなに時間がかかっていたんだ。
この八年間、一体何処に攫われていたんだ。
それよりも、ようやく会える。どんな風に成長したんだろう。
「マンフロイめ、ぬかったな‼」
口から思ってもいない言葉が零れ落ちた。
嬉しいはずなのに、あの白い魔導書への殺意が湧き上がる。
―――――
「そんなにいきり立たないの。
ヴェルトマーもフリージ程じゃないにせよ、情はある。
アハトを魔将のままにするつもりはない」
どの口が言う‼
救いもせずに魔将にしたんだろう‼
「貴様がイシュタルの意思を奪った‼」
これだけ私が叫んでも、一切こちらを見ようともしない。
命令を待つことしか出来なくなっている。
普段のイシュタルなら直ぐに何かしらの反応を返すはずだ。
「だったら、蘇らせればいいでしょう」
「違う‼
肉人形は要らない‼ お前もそう言った‼」
イシュタルの叔母を魔将にしなかった。
止めたのはユリスじゃないか。
だったら、分かるだろう‼
「魔将以外に蘇生方法があるとすれば、どう?」
……ユリスは何か策を用意していたんだ。
カッとなって攻撃しちゃった。
謝らないと。ユリスだって、イシュタルのことは大切にしていた。
有り得ない。
我ですら生死の摂理には干渉できない。
神ですら及ばない範疇へどう手を伸ばす。
ズィーベンはこちらを見たまま大声で青髪へ呼びかける。
「セリス皇子殿下、約束を覚えている?」
離れた位置から返事がする。
「……うん。
聖杖バルキリーをとある一人に使うって約束した。
だけど……言っていたのは……」
そんな奇跡が有り得るのか‼
肩の力が抜けて、息が漏れる。
いつの間にか僕の周りは薄暗くなっていた。
……だったら何も問題ない。
イシュタルが無事に帰って来るなら、それで構わない。
「聖杖については、エッダ家から聞き出したよ。
私は拷問の経験が少ないから、別の騎士にもさせて裏は取った。
勿論、暗黒教団に対抗するためと言って別口からも確認済み」
青髪へ目をやる。
さっきよりもかなり距離が開いている。既に柄に手をかけている。
魔導書を構え、瘴気による黒龍の守りを展開する。
悠長に遊んでいる場合ではない。
「ならば、此度の失態は許してやる。
エッダの直系以外は絶やす。お前も働け」
「いいけど、それは誰の命令?」
赤い瞳がこちらを見定めている。
答えるまで動かないつもりだ。
―――――
一々面倒な奴だ。
「当然私だ。他に誰がいる」
私は促すべく大げさに魔導書を青髪へ向けて構える。
それでもズィーベンはこちらを見つめ続けている。
「アリオーン様はユリア皇女殿下を助けにヴェルトマー城を攻めたよ。
マンフロイさんも片付いているだろうね。
教団の温存のつもりで城に集結したんだろうけど、無駄だったね。
おかげで、ユリア様は聖書と一緒に運ばれて来るだろうね」
アリオーンが……そんな訳無い。
あいつが私を裏切る理由が無い。
だって……アリオーンだぞ‼
邪書を強く抱きしめる。
周りに漂う黒い靄が更に濃くなる。
「マンフロイに命じてナーガの継承者は殺させた‼」
「あの人がそんなことするわけないでしょ。
ロプト帝国の復活をもくろんでいるんだよ?」
奴は神の忠実な下僕だ。
私に闇の魔術を教えたのは奴だ。
ズィーベンが口端を吊り上げて笑う。
「私はてっきり御承知かと。
だから、イシュタル様を捨て駒にしたんでしょ。
あの状態で出撃許可なんて、死刑宣告と同じでしょう?
その事実から目を背けたくて関係ない地域を攻めたんでしょう?
自分の手を汚さずに、成果だけは手に入れて見せたんでしょう?」
「イシュタルの願いを叶えただけだ‼」
私達四人で集まり、どう動くかを話し合った。
イシュタルの仇討ちと安全を考慮した策を貴様が練った。
ズィーベンが指を立てる。
「ロプトの血は薄れている。濃縮させなきゃね。
あなたもそうやって生まれてきた。教えたでしょう?」
「だからどうした‼」
指を振り、私とイシュタルを交互に指し示している。
「そもそも、マンフロイさんがイシュタル様との婚姻を許すはずなんてないでしょ。
最初から皇子のお相手は、妹のユリア皇女殿下で決まっていた。
交配相手は多い程良いから何人居てもいいけど、相手が悪かった」
なんで……?
そんなはず、ありえない。今まで誰も何も言ってこなかった。
小言が多いヒルダでさえ、応援してくれていた。
イシュタルが欲しがっている物や近況を手紙で教えてくれていた。
「だから、次代でも血を薄める訳にいかない。
ユリウス様とイシュタル様御二人の祖父はヴィクトル様。
ファラ様の血でロプトが追いやられたら困っちゃう。
それこそ、ファラの聖痕が出なかったイシュタル様みたいにね。
ロプトの血が発現しない可能性なんて、マンフロイさんが許す理由が無い」
マンフロイ‼
あいつも僕を裏切った‼
やっぱりロプトウスにしか興味が無かったのか‼
破れんばかりにロプトウスを握りしめる。
書から漏れる瘴気が辺りを包む。
目障りな陽の光も陰り始めた。
「神の命令だ‼ ズィーベン、何とかしろ‼」
ズィーベンは指振りを止め、書箱の中から魔導書を取り出す。
丁寧に中身を取り出し、純白の覆いを解き、こちらへ見せつけてくる。
赤い竜石が目に入るなり、胸が苦しくなる。
背筋を伸ばして立っていられない。
これまで何度も見てきた。
父上にねだって、何度も触らせてもらった。
重かったから、ユリアと一緒に運んで中身を何度も読み込んだ。
一緒に魔力を籠めようとして、母さまに何回も引きはがされた。
僕達には使えないけど、それでもその心は受け継いでいると父上は慰めてくれた。
イシュトーと、使えもしない神器を発動させようとして叱られた経験を笑いあった。
視界がぼやけても、あの赤だけは見間違えるはずがない。
あの本が、目の前にある。
なんで……ファラフレイムをユリスが持ってるんだ‼
逆賊が父上から奪ったんだぞ‼
……もしかして。
父上は僕を……最後まで認めてくれなかったんだ……。
でも、ユリスは、僕の……。
「ユリスまで……置いて行くの……」
何も言葉が返ってこない。
微笑んでいるだけだ。
髪も撫でてくれない。
わざと魔力を高めても、叩きに来てくれない。
呼吸が荒くなる。
胸を押さえ、意識して息を大きく吸い込む。
闇が口からも入り、心が凪いでいく。
「貴様は我が眷属だ。
イシュタルを駒にし、尊厳を踏みにじった。
今更、聖戦士を名乗れると思っているのか」
「聖マイラの末裔の騎士はどう?
聖戦士よりユニーク。末裔は何人もいるけど、それなら私だけだね。
まあ、私は聖戦士の末裔でもあるから兼役だけど」
忌々しい名前を出すな‼
我が血を継ぎながら反逆した愚か者など口に出すな‼
「貴様も我と同じだ。
数多の命を奪い、人心を弄んだ。
誰もお前を許さない。解放軍にも寝返れまい」
「それがどうしたの。
戦場に居て命のやり取りを論じるなんて新兵未満。
私は一度たりとも邪神の味方になんてなり下がったつもりはない。
当然でしょ。聖痕は抉れたけど、ファラ様の血が流れているからね」
未だにズィーベンが微笑んでいる。
神を出し抜けたとでも思っているのか。
だが、貴様がこの場にいる時点で我が掌中にある。
「我が消えれば、貴様も死ぬ。
魔将は暗黒力の供給が無くなれば終わりだ。
我が慈悲を取り上げれば、数刻もせず元の糞袋へと戻る。
今すぐ終わらせてやる。貴様の全ては徒労だった」
赤い瞳が、不遜にも我を睨みつけている。
「本一冊を焼くのに一刻も必要ない。
覚悟が足りないよ、ロプトウス。火を継いでいないからだね。
命のやり取りをするのに、当事者意識が無さ過ぎる」
ズィーベンは聖炎の入っていた箱を丁寧にしまっていく。
「火は血を超えて受け継がれていく。
自分の命一つで相手を一人殺せるなら、いつかはこっちが勝つ」
何を言うかと思えば、この期に及んで精神論か。
竜族の血を少量しか受け継げなかった傍系如きが、神を害せるとでも本気で思っているのか。
「元教団員もロートリッターには居るんだ。
あんな駄目皇帝に仕えていたのに、今も人々からの信頼と騎士の忠誠は残ってる。
おかげで帝国東も簡単に取り戻せた」
有象無象が集まった所で価値がない。
ナーガの継承者を亡き者にすれば、この世界から我を脅かしうる存在など無くなる。
「ねえ、あなたの信者はあとどれくらい残っているの?
独りぼっちの神様なんて、諧謔がきいているね。それか御伽噺。
ヴェルトマーの書庫に泉の女神さまがある。そっちは女の子に人気だよ」
魔力を我が依り代に収束させる。
駄目だ‼
イシュタルが蘇ってない‼
今ユリスを倒したら、イシュタルまで死んじゃう‼
聖炎をズィーベンが優しく撫でる。
「勉強になったよ。現実がお話しに及ばないことなんてあるんだね。
いきなり十二神を真似するのは無理だろうから、絵本から始めるといいんじゃない。
そうすれば、世界の敵からお話しの悪役に格上げだね」
ズィーベンが一度指を鳴らす。
「寛容な私でも、不敬を許してあげるのはここまで。
私とあなたの主はユリウス様。身の程を弁えなさい。
私に命令できるだなんて、道具如きがつけあがらないで」
ズィーベンが、使えもしない聖炎をこちらへ向け始めた。