カチンコの音が強く響き、カメラが回り始める。ずしりとした空気が辺りを満たし、一年の時を全て濃縮したかのような、重くて強い時間が流れてゆく。
人生そのものを問われるかのような長い瞬間。私の名前は有馬かな。小さい頃は天才と呼ばれていた。でも、今はネットで「オワコン子役」と呼ばれている。
旬が過ぎて終わってしまった私だけど、地道にこの業界にしがみついて掴んだ待望の主役級。何が何でも良い作品にしたい。そのためなら藁にも縋る。
分かってるよ。これが結構なクソ作品だって分かってる。基礎もできていない演技。既に4話まで公開済みで、視聴者の殆どが落胆し、失敗作の烙印を押している。
でも、まだ手遅れじゃない。このシーンは原作屈指の名シーン。ヒーローとストーカーの対決。愛を知らない少女が、初めて誰かに守られて涙を流す。漫画でここを読む時はいつも泣くし、何度も読み返すほど大好きなシーン。
ここで相方と呼吸を合わせて上手くフォローし、最高の演技ができれば………きっとまだ。
「オマエノカンゴエソウナコトダ」
…………
「バカナノ?」
呼吸を合わせて………
「ヒトリニサセネーヨ!」
無理だよこんなの!!フォローしきれない!
なんで監督達はこんな演技でOKだと思うの?ここってもっと緊迫感があって………怖くて。おどろおどろしいシーンじゃないの!?
演技ってそんなにどうでもいい?ここはもっと!
そう思っていると足音が響いた。思わず視線を向けると、アクアがゆっくりとこっちへ歩いてくる。
静かな現場に聞こえるのは、雨でできた水たまりを踏む音。ぴしゃり、ぴしゃりと水を鳴らしながら、あいつはまっすぐこちらへ近づいてきた。
「雨で足音がマイクになっちゃってます。止めますか?」
「いや………んー………イカシで。感じ出てる」
「この女はお前が思ってるような人間じゃあない…………」
あれ?
「お前みたいなチャラついた男と絶対に相容れない。そいつは、俺と同種の人間なんだよ」
さっきはあまり上手くないって思ってたのに。
「日の当たる場所に居れば干からびる」
リハの時よりも感じが出ている。
「暗い所がお似合いなんだ」
でも、何これ。思わず息が詰まった。どこかで見たことがあるような……そんな嫌な感覚が胸をよぎる。
(この感じ……何?)
背筋をぞわりと撫でるような、不快な既視感。気持ち悪いのに、目を離せない。そんな矛盾した感覚だけが、はっきりと残っていた。
回想
「アクア………君は本気で演技をやった事が無いでしょ?」
それは、撮影の少し前。父さんに演技を見せた時、最初に返ってきた言葉だった。……今でも、妙に引っかかっている。
(本気、か)
何をもって“本気”と言うのかは分からない。ただ、あの時の父さんの目だけは、冗談でも軽口でもなかった。
「……」
返事はしなかった。できなかった、という方が近い。
「アクアの演技は悪くはないよ。でも、抑えている………いや、他の人に合わせているって感じかな?」
一瞬、言葉が出なかった。抑えている。合わせている。どちらも否定はできない。
(そう見えるのか)
自分では“そうしているつもり”はなかった。ただ、そう見えるなら………それが事実なのだろう。
「……別に、意識してやってるわけじゃない」
それだけ返して、視線を外した。
「………アクア、演技って面白いよ。俺の考えを押し付けるつもりはないけどね………でもね、アクアはもっと欲張っていいと思う。昔から俺やアイに遠慮している部分はあったし」
言葉の意味を、すぐには飲み込めなかった。欲張る。遠慮してる。………そんなつもりはない。そう言い切れれば簡単だった。でも、即座に否定できない自分がいる。
「……別に、遠慮してるつもりはない」
そう返す声は、思っていたより少しだけ硬かった。
「もっと欲張れ。本気を出してみろ………そうすれば見えてくる景色も変わる」
父さんの手が頬を包み込み、視線を強制的に向けさせる。逸らそうとしたはずの視線が、なぜか外れない。……逃げられない、か。それはただの圧力じゃない。役者としての天城彼方の“目”だった。
「なんてね………でも、一回くらい本気でやってみたらどうかな?それくらいはいいでしょ」
頬から手が離れ、父さんは笑った。さっきまでの空気が嘘みたいに、いつもの父さんの顔に戻っている。家で見ていた、あのままの表情だ。
「……」
すぐには返事ができなかった。さっきの圧と、この軽さが同じ人物から出ていることが、どうにも噛み合わない。
「……一回だけだ」
小さく息を吐いて、視線を父さんから外す。
「本気でやるのは、一回だけ」
その言葉を言った後に、父さんは今日一番の笑みを浮かべて………
「うん………頑張れアクア」
そう言いながら笑った。
回想終了
俺には母さんや父さんみたいな才能はない。母さんのように視線を釘付けにするオーラがない。父さんのように演技が上手い訳じゃない。だから、使えるものは全部使う。
小道具、カメラ、照明、役者………全部を使う。そして、父さんから教わった事…………
『本気で演じろ』
とてもシンプルな教えだった。だから、本気で全てを使って演じきる。まずは……そのために。
「お前、そばで顔見るとブスだな」
メルトの耳元でそう囁く。本気で演じるには舞台が整っていない。今ここで本気を出せば、確実に浮く。温度が合わない。
「パソコンで加工しないとこんなもんか」
だから、煽る。顔で売れている奴だ。だから、それに関して煽り、挑発する。そうすれば…………感情が引きずり出される。作られた芝居じゃない、“本物”が出る。………演技は、そこからだ。
「…………は?なんつったオメェ!!」
怒りという本物の感情が湧き出る。ほら……これだ。さっきの棒読みの演技より、よっぽど“使える”。
現場の空気が一気に変わる。鳴島メルトの棒読みだった演技に、初めて本物の感情が乗ったのだから。
「聞こえなかったか!?そんな女守る価値無いって言ったんだ!」
「この子は………俺の大事な友達だ!!」
ここは、原作の名シーン。演出意図、構図、テンポ、全部に意味がある。昔から作者の気持ちを考えろって問題は得意だった。名作を正しく見れば及第点は取れる。
ほら………場を作ったぞ。だから、互いに本気でやろう……有馬かな。
このシーンの見せ場はヒロインの涙。………『光』。そこの一点が輝くように、俺が『闇』を演出する。
「諦めて流されろよ!!」
ナイフを抜く。それを振り上げる。怖く……キモく……。メルトの拳が当たる。わざと後ろに飛び、尻餅をつく。
「お前なんて誰にも必要とされてない」
もっと………キモく、不気味に演じきれ!!
「身の程、わきまえて生きろよ。夢見てんじゃねぇよ」
そろそろ、俺の役の幕は閉じる。
「この先もろくな事ない。お前の人生は真っ暗闇だ」
仕上げだ。有馬かなが上手く泣いてくれれば………
「それでも……光はあるから」
そういや、得意技だったな。
俺のシーンの撮影が終わった。本気でやれたかどうかは、分からない。ただ……今までのどれよりも、手応えだけは残っていた。
(……これでいい)
正解かどうかなんて、そもそも基準が曖昧だ。それでも、少なくとも“何も残らない演技”じゃなかった。
アクアの演技に既視感があった。アレは………私が嫌いな天城彼方の演技。本家と比べたら天と地ほどの差がある。なのに……同じ“匂い”だけがする。
……なんで今のが、あの人に似て見えたのよ。でも、嫌な気分ではなかった。不快感は確かにあった。でも………それ以上に。
「かなちゃん。最後のシーンもういける?」
「あっ、はい」
ラストシーン。それは主人公に恋に落ちた乙女の顔。
有馬かなが何を思ったのか。それは、彼女自身もまだよく分かっていなかった。
6章「掴んだ未来」は102話まで続きます。それ以降は7章「次代の星々」を開始します。
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