学校が終わり、着替えてから簡単に変装を施す。そのまま、天城さんが指定した店へ向かった。
店の前に立ち、改めて周囲を見渡す。
……ここだ。
この店は知っている。芸能関係者の間ではかなり有名な店で、個室も多く、周囲の目を気にせず話ができることで知られている。
天城さんがここを選んだのも、きっと私が人目を気にせず相談できるようにするためなんだろう。
そう考えると、少しだけ緊張が和らいだ。……でも、ちゃんと話せるかな。
今日、天城さんに相談したいことは、私一人ではどうすればいいのか分からないことだった。
「黒川さん………待たせてごめんね」
声のした方へ視線を向ける。そこに立っていたのは、見覚えのない人物だった
「……あの、天城さん……ですか?」
思わず確認するように尋ねる。
姿も、声色も、私が知っている天城さんとはまるで違っている。けれど、私自身も多少なりとも変装している。それを考えれば、ここで私に声をかけてくる人物は一人しかいない。
……やっぱり、この人が天城さんだ。
「……すみません。少し驚いてしまって」
芸能人なら変装すること自体は珍しくない。でも、ここまで印象を変えられるものなのだろうか。
「その……本当に天城さんですよね?」
「ごめんね………この姿だと、わからなかったよね。とりあえず中に入ってから話そうか」
そう言って、天城さんはそのまま店の中へ入っていく。私も少し遅れて、その後を追った。
店員さんに案内され、通されたのは落ち着いた雰囲気の個室だった。
周囲の視線を気にせず話せるように、あえて個室を選んでくれたのだろう。そう考えると、天城さんの気遣いがありがたかった。
「さて………先ずは驚かせて悪かったね。外に出る時は変装を施しているからね………この業界はスキャンダルが付きものだ。それを、回避する為に徹底的にしていてる」
今の天城さんは、いつもの金髪ではなく黒髪に染めたような姿をしていた。眼鏡をかけ、清潔感のある服装に身を包んでいる。
声色まで変えているせいか、私も一瞬では本人だと気づけなかった。
……ここまで印象を変えられるなんて。改めて、芸能人が人目を避けるために施す変装の巧妙さに感心してしまう。
「……すごいですね。声まで変えているなんて。私、最初は本当に誰だか分かりませんでした」
少し考えるように眼鏡の奥を見つめる。
「でも……これなら、外で天城さんだと気づかれる可能性もかなり低そうですね」
「外に出る時は、出来る限り違う変装をするようにしているよ」
「……そこまで徹底しているんですね」
思わず感心してしまう。変装そのものよりも、そこまでして自分の身を守ろうとする意識の方が印象に残った。
芸能人は、ただ目立てばいいわけじゃない。注目されることには、それ相応のリスクも付いてくる。
「天城さんって、やっぱり凄いんですね。長くこの業界にいる人は、こういうところまで考えているんだ……」
そう呟きながら、改めて目の前の人物を見る。
姿は全く違うのに、こうして話していると不思議と本人だと分かる。声や表情の癖、言葉の選び方。そういう細かな部分に、その人らしさが出るのかもしれない。
「さて………とりあえず、好きな物を頼んでいいよ。食べながら聞こうか……せっかく来たんだし」
そう言いながら、天城さんは近くに置かれていたタブレットを私に手渡してきた。
「えっ……私、相談するために来たんですよ? 食事までご馳走になるのは……」
思わず遠慮してしまう。
「……でも、お言葉に甘えてもいいんでしょうか」
そう言いながらタブレットを受け取る。相談するだけでも緊張していたのに、こうして自然に食事を勧められると、少しだけ肩の力が抜ける。
「気にしなくていいよ。せっかく、後輩が頼ってきて俺は今嬉しいんから。それに、嫌な言い方になるかもだけど稼いでいるからね。存分に甘えもらって構わないよ」
「……ふふっ。ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせてもらいます」
そう言って、タブレットに視線を落とす。
それにしても、さらっと「稼いでいるから」と言えるのは、嫌味に聞こえそうな言葉なのに、不思議と嫌な感じがしない。
むしろ、私が変に遠慮しないように、わざとそう言ってくれているのかもしれない。
「……じゃあ、本当に遠慮しませんね」
少しだけ冗談めかしてそう言ってから、メニューに視線を戻す。いくつか料理を選んで注文すると、天城さんも続けて自分の分を注文した。
それから数十分ほどして、頼んでいた料理が運ばれてくる。料理がテーブルに並べられると、改めて個室の静かな空気を意識した。
食事をしながら話すと言われたけれど、今日ここへ来た本当の目的は食事じゃない。私は箸を手に取りながら、これから切り出すべき言葉を頭の中で何度も整理していた。
「さて………本題に入ろうか。相談したい事は何かな?」
「……はい」
箸を置き、少しだけ姿勢を正す。
こうして改めて聞かれると、何から話せばいいのか迷ってしまう。頭の中では何度も整理していたはずなのに、いざ本人を前にすると上手く言葉が出てこない。
「実は……今度出演する『今ガチ』のことで相談があって」
天城さんは急かすことなく、黙ってこちらを見ている。そのことに少しだけ安心して、私は続けた。
「恋愛リアリティーショーって……出演者同士の恋愛を見せる番組ですよね」
自分でも分かりきったことを口にしている気がする。でも、今の私にはそこから整理する必要があった。
「私は、そういう番組に出るのが初めてで……どう振る舞えばいいのか、分からないんです」
ドラマなら簡単だ。台本があって、役があって、その人物ならどう動くのかを考えればいい。
けれど、今回は違う。
「台本のあるドラマなら、役としてどう動けばいいのか考えられます。でも……今回は私自身として出演することになる」
そこが一番の問題だった。自分を演じるなんて、考えたこともなかった。
「どこまでが自分で、どこからが番組として求められているものなのか……その境界が、まだよく分からなくて」
言葉にしてみると、余計に難しく感じる。
視聴者に楽しんでもらいたい。番組にも必要とされたい。けれど、そのために自分を作りすぎてしまえば、それは本当に「私」と呼べるのだろうか。
「……それに」
少しだけ視線を落とす。
「変なことを言ってしまったら、誰かを傷つけるかもしれない。逆に、何もできなかったら番組をつまらなくしてしまうかもしれない」
考えれば考えるほど、正解が分からなくなる。
「だから……どうすればいいのか、天城さんに聞いてみたくて」
少し迷ってから、顔を上げる。
「こういう時、天城さんなら……どうしますか?」
「なるほどね…………確かに、台本があれば楽だね。その通り演じていれば問題はない。でも、そういうリアルを求めてくる物は違う………そもそもの正解がない」
「……正解が、ない」
思わず、その言葉を繰り返していた。言われてみれば、その通りだ。ドラマなら台本に書かれた答えを探せばいい。でも今回は、そもそも何が正解なのかすら決まっていない。
「……だから、難しいんですね」
自分の中で抱えていたものが、少しだけ整理された気がした。
「私、どうすれば正解なのかを探そうとしていたんだと思います。でも……最初から正解なんて用意されていないなら、探しても見つからないですよね」
そう呟きながら、少し考える。
「だったら……自分で考えて、自分で決めるしかないのかな」
「難しく考えすぎなくていい…………役を作ったらどう?」
一瞬、意外な言葉に聞こえた。
「役を……作る?」
恋愛リアリティーショーなのに、役を演じる。普通なら矛盾しているように思える。けれど、天城さんの言葉には何か意図があるように感じた。私は少し考えてから、その意味を尋ねる。
「……それって、どういう意味ですか?」
「役と言うよりキャラ付けだね。素の自分で出て叩かれた時のダメージが大きい。黒川さんは演技が得意。無理に苦手分野をするのではなく得意分野で勝負するといい」
その言葉を聞いて、少し考え込む。確かに、私は演技ならできる。役を与えられれば、その人物が何を考えて、どう動くのかを分析して形にできる。
でも、今回は「自分自身」として出演することにこだわりすぎていたのかもしれない。
「……キャラ付け、ですか」
天城さんの言葉を頭の中でもう一度反芻する。
「確かに……素の私をそのまま出すより、その方が自分を守ることにもなるんですね」
少しだけ納得しながら、続く言葉を待つ。
「そして、無理に結果を残そうとしない。逆に空回ったらしたら元も子もないから」
「……結果を、求めすぎない」
その言葉に、少しだけ胸に引っかかるものがあった。
私はいつも、何かをするなら完璧にやらなければいけないと思ってしまう。せっかく出演するのだから、番組に貢献しなければ。視聴者に評価されなければ。そんなことばかり考えていた。
でも、それで空回りしてしまえば、かえって周囲に迷惑をかけてしまう。
「……そうですね。私、少し力が入りすぎていたのかもしれません」
そう認めると、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
「キャラ付けのアドバイスをするならスター性があり周りの視線を奪ってしまうようなそんな役を組み立てるといいかもね。まぁ………俺の意見だから聞き流してもいい」
「……周りの視線を奪ってしまうような役、ですか」
思わず、その言葉を頭の中で反芻する。
スター性……。私にそんなものがあるのかは分からない。でも、天城さんは長年この業界で、数え切れないほどの人を見てきた。その人が私にそう言うのなら、何か理由があるのかもしれない。
「……いえ。聞き流したりなんてしません」
少しだけ背筋を伸ばす。
「せっかく天城さんが私のために考えてくれたことですから。ちゃんと参考にさせてもらいます」
そう言いながら、頭の中ではもう「どんな人物なら番組の中で目立てるのか」を考え始めていた。
……役を作る。それなら、私にもできるかもしれない。
「こんな感じかな………少しは役に立てたかい?」
「はい。すごく参考になりました」
素直にそう答える。相談する前は、何をどうすればいいのか分からなくて、ずっと頭の中で考え続けていた。でも、天城さんに話を聞いてもらったことで、少しだけ道筋が見えた気がする。
「……来てよかったです。ありがとうございます、天城さん」
相談が終わった後は、少し気持ちが楽になったこともあって、ゆっくりと食事を楽しんだ。どの料理も、とても美味しかった。
そして会計は、最後まで天城さんが出してくれた。相談に乗ってもらった上に、食事までご馳走してもらった。……今日は、随分と甘えてしまった気がする。
「またね………黒川さん。番組、上手く行くこと願っているよ」
「……はい。ありがとうございます」
深く頭を下げてから、顔を上げる。
来る前は、何をどうすればいいのか分からなくて、不安ばかりが膨らんでいた。でも今は、不思議と少しだけ楽しみになっている。
「私……ちゃんと頑張ってみます。今日教えてもらったこと、忘れないようにしますね」
そう言って、もう一度だけ頭を下げる。
「それじゃあ……また」
店を出ると、夜の空気が頬を撫でた。
……大丈夫。まだ正解は分からない。でも、自分なりにやってみよう。
そう思いながら、次の仕事の『今ガチ』のことを考えつつ、帰路についた。
皆様の感想や評価が作者のやる気に繋がっています。よければ評価と感想をお願いします。