前回の放送を終えてから、現場の空気は少しずつ変わっていた。初回は全員が互いの距離を測っているようなところがあったけれど、何度か顔を合わせたことで、撮影前から自然と会話が生まれるようになっている。
「アクたん、おはよー!」
「おはよう」
MEMちょが笑う。そのやり取りを見ていた黒川あかねが、こちらへ近づいてきた。
「おはよー、アクアくん!」
「……おはよう、黒川さん」
「今日も一緒に頑張ろうね♪」
明るい声。柔らかな笑顔。そして、ほんの少しだけ首を傾ける。前回よりも、さらに自然になっている。
「ねえねえ、MEMちょ!今日って何するのかな?」
「さあ? スタッフさん、今日も自由にやっていいって言ってたよ」
「じゃあ、いっぱいお話ししよ!」
「いいねー!」
黒川とMEMちょが楽しそうに盛り上がる。
……朝から元気だな。俺は二人の会話を聞きながら、少し離れたところで黙っている。
こういう時、俺は何を話せばいいのかよく分からない。別に会話が嫌いなわけじゃない。ただ、自分から話題を探してまで輪の中に入ろうとは思わない。
なのに、二人はそんな俺の事情なんてお構いなしらしい。
「アクアくんも混ざろうよ!」
「俺も?」
「うん!」
黒川が当然のように頷く。
「三人で話そ?」
……逃げ道を塞がれた。
「おっ、アクたんモテモテじゃん!」
MEMちょがニヤッと笑う。
「やめてくれ」
「えー?いいじゃん♪」
黒川までMEMちょに合わせて笑う。……この二人、妙に息が合ってるな。
俺が何を言っても、すぐに二人で拾ってくる。こっちは静かにしていたいだけなのに、気づけば会話の中心に引っ張り出されている。
こうして二人に囲まれていると、最初の頃より居心地が悪くないことには気づいていた。
それが、この番組に慣れてきたからなのか。それとも、この二人といることに慣れてきたからなのか。……まあ、どっちでもいいか。
二人の視線が同時に俺へ向く。……なんだ、この状況。黒川はその場の空気を明るくしながら、相手がどう反応するのかを見ている。
「じゃあさ、アクアくん!」
「何?」
「今日、何か話題とかない?」
「……特にない」
「えー!つまんない!」
黒川が頬を膨らませる。その表情に、MEMちょが思わず笑った。
「アクたん、その返しはどうなの?」
「………雑に話題を振るな」
「なんかもっとこう、面白いこと言ってよ!」
「無茶言うな」
カメラが回っていることを意識させない距離感。相手に圧をかけることなく、ほんの少しだけ近づく。
……こういうところも、アイに似ている。
「今日もみんなで楽しく撮影しようね♪」
「おー!あかねちゃん、いいこと言うじゃん!」
MEMちょが笑いながら頷く。
「ね?アクアくんも!」
「……まあ、そうだな」
黒川の表情がぱっと明るくなる。……やっぱり意識している。ただ明るく振る舞っているだけなら、ここまで細かく相手の反応を拾ったりはしない。
俺がどう返すのかを見て、その返答に合わせて表情を変えている。相手が欲しがっている反応を察して、それを自然に返す。
「じゃあ、今日はアクアくんにもいっぱい喋ってもらおうかな」
「それは勘弁してくれ」
「えー?」
黒川が少しだけ不満そうな顔をする。その表情すら、どこか見覚えがある。けれど、記憶の中の『アイ』と重ねてしまうのは、少し嫌だった。
目の前にいるのは、黒川あかねという、一人の役者だ。
「アクたん、逃げるなー!」
MEMちょが笑う。
「別に逃げてない」
「じゃあ、ちゃんと喋ってよ!」
「善処する」
「ふふっ。じゃあ、無理にとは言わないけど……ちょっとくらい期待してるね♪」
黒川が嬉しそうに笑う。その笑顔を見ていると、妙な感覚になる。
確かに似ているでも、以前とは少し違って見えた。最初はただ仕草を真似ているように感じていた。
今は違う。黒川は『アイ』表面だけじゃなく、人との接し方そのものを理解しようとしている。
笑顔を作るタイミング。声の柔らかさ。相手との距離。そして、相手がどう反応するかを見て、次の行動を選ぶ。……そこまで観察しているのか。
「……本当に、よく見てるな」
「え?」
「いや、なんでもない」
「ふふっ、変なの」
黒川が笑う。また、その笑顔。俺はそれを見ながら、改めて思った。
黒川あかねは、アイをただ真似ているんじゃない。アイという存在を理解しようとしている。
そして、その理解を自分の演技へ落とし込んでいる。……一体、どこまで近づくつもりなんだろう。そんな疑問を胸の奥に残したまま、俺はカメラの方へ視線を戻した。
「先輩、仕事無いの慣れてるでしょ? 普段何して過ごしてたの?」
「顎にジャブ入れて脳揺らすぞコラ」
パパはドラマ、ママは雑誌の撮影、そしてお兄ちゃんは収録。家族みんながそれぞれ仕事に追われている中で………なぜか私だけが暇だった。
「……なんで私だけ何もないの!?」
しかも、暇だからって家でゴロゴロしているわけじゃない。ちゃんと学校にも行ってるし、アイドルとしての練習だってしてる。
それなのに、家族の予定表を見れば私のところだけ綺麗に空白。……なんか悔しい。
「私だって仕事したーい!」
「持ち曲も無ければユニット名とまだ未定、今の私等に何が出来るってのよ」
「ユニット名がまだなのは先輩がゴネるからじゃん!!」
契約までしたんだから、もうアイドルとして動き始めてもいいはずなのに。なのに、ユニット名に関しては、先輩がゴネてるせいだ。私たちのアイドル生活はまだスタート地点で足踏みしている。
「名前付けたら、もうマジでしょ………私まだアイドル名乗る踏ん切りついてないっていうか………」
「実績があれば踏ん切りが付くのかしら? じゃあ実績を作りましょうか」
先輩がまだ駄々を捏ねていると、ミヤコさんがカメラを持ってきた。
「……え?ミヤコさん、何するの?」
いきなりカメラなんて持ってきて、一体何を始めるつもりなんだろう。
もしかして……これもアイドル活動の一環!?
私は少しだけ期待しながら、ミヤコさんの方を見た。
「今のアイドルのカルチャーの中心はネット!草の根するにもここが一番コスパが良い。貴女達はまずは、ネットで名前を売る所から始めましょう」
「ユーチューバーって事!?」
「そう、ユーチューブで固定客を作ってライブに人を呼べば効率がいいでしょ?」
なるほど……!
たしかに、いきなりライブをやっても、私たちのことを知らない人ばかりじゃ人は集まらない。だったら、まずはネットで私たちのことを知ってもらえばいいんだ。
今まで何もできなかった私たちにも、ようやくアイドルとしての仕事が始まる。
「……それ、やりたい!」
「社長……ネットを甘く見過ぎじゃないですか?」
私がやる気満々になったところに、先輩が横から水を差してくる。……むぅ、また先輩だ。せっかく「やっとアイドルの仕事が始まる!」ってワクワクしてたのに。
「こんな顔だけの女ネットに晒しても登録者いいとこ数千人とかですよ」
「ちょっと!誰が顔だけの女よ!!」
思わず食いついてしまう。いきなりそんなこと言われたら反論したくなる。……でも、数千人って、それでも結構すごくない?
いやいや、今はそこじゃない。
「私のファン入れても一万人いくかどうか……リアルイベントに動員出来るのその内の一%とかなんですから結構厳しいと思いますけど」
「素人が仕掛けたらそうでしょうけど………苺プロは、ネットに強い事務所よ……ノウハウはあるわ」
『ネットに強い事務所』その言葉を聞いて、私は思わず嬉しくなる。やっぱり、やれるんだ。
先輩はまだ「アイドルを名乗る踏ん切りがつかない」なんて言ってるけど、私の中ではもうとっくに決まっている。
私たちはアイドルだ。契約だってした。練習だってしてる。あとは、みんなに知ってもらうだけ。
「丁度さっき協力してくれる人捕まえてきた所だから彼に色々と教わると良いわ………じゃ後はお願い」
ミヤコさんがそう言いドアの方に視線を向けた。
「オマカセ!!」
そこから入ってきたのは、覆面を被った筋肉ムキムキの男………ぴえヨンだった。
「へ………変質者だ!!」
先輩が叫び声を上げた。もしかして知らないのかな?
「知らないの?小中学生に超大人気の、覆面筋トレ系ユーチューバー!!ぴえヨンだよ………ご存じない!?」
「覆面筋トレ系ってジャンルがまず初耳!!」
……やっぱり知らなかったんだ。まさか、ぴえヨンを知らないなんて。小中学生の間ではかなり有名なのに! でも、こうして実際に会ってみると、画面越しで見るより迫力がすごい。
「こんな感じのが子供には人気なのね………世の中ってイビツよね」
「ぴえヨンになんて口を…………ぴえヨンさんビシっと言ってやってください!!」
「所詮ネットってインパクト勝負って言うか………テレビの企画を流用したキャラビジネスって言うか………」
「ボク年収一億ダヨ」
「舐めたクチ利いてスイマセンでした」
ぴえヨンの一言で、先輩の態度が一瞬で変わった。……あまりにも早い。
さっきまで散々ネットの世界を疑っていたのに、現実的な数字を突きつけられた途端にこれだ。思わず呆れてしまうけど……同時に、ちょっとだけ納得もする。
「イイカイ?……登録者を稼ぐにはいくつかのテクニックがあるヨ! ナンだと思う?」
「毎日投稿!」
「元々の知名度?」
「うんうん……そうだね」
どっちも大事そうだけど、ぴえヨンさんの反応を見る限り、どうやら正解ではないらしい。ネットで名前を売るって、思っていたよりずっと奥が深い。
「デモ君達には毎日投稿する根気も知名度も無いヨネ?」
「辛辣ぅ〜」
辛辣だけど事実でもあるんだよねこれ。私たちはまだ本格的にアイドル活動を始めたばかりで、そもそも知名度だってほとんどない。
毎日動画を投稿するにしても、何を撮るか考えて、企画して、編集して……そんなの簡単にできることじゃない。
「ところが手っ取り早く登録者を増やす裏テクがあるんだ!」
「そう言うの待ってました先生!」
「おしえて、おしえて!」
裏技を教えてもらい、早速実践という流れになった。裏技はコラボ。
ぴえヨンのチャンネルで私たちを紹介してもらうことで、まずは私たちの存在を知ってもらうらしい。そして、企画が始まったんだけど……。
「ぴえヨンブートダンス、一時間ついて来れたら素顔出してヨシ!!」
今、私達は、ぴえヨンの被り物をして苺プロのロゴが入ったシャツを着て踊ってます。筋トレユーチューバーを名乗るだけあって、結構キツい!!
最初は、寝起きドッキリをやるって話だった。私もさっき知ったんだけど、どうやら前日のうちに通達されていたらしい。
私たちにとっては、これが初めてのアイドルとしてのお仕事。だからこそ、ちゃんとやりたかった。その結果が………これである。
まさか初仕事で、ぴえヨンの被り物をしてブートダンスを踊ることになるなんて……でも。
「きっつ!!きっつ……死んじゃう!!あははははは!!」
思っていたのとは全然違う。でも、そんな気持ちとは裏腹に、私は思わず笑い声を上げていた。
一時間後。
なんとか最後まで踊り切った私たちは………もう、完全に虫の息だった。
「はいお見事!着ぐるみ取って自己紹介どうぞ!」
ぴえヨンから取っていいと許可が出た。私は、被り物を取る。
「苺プロ所属………星野ルビー……自称アイドルです」
「はいそっちも!」
「有馬かな!自称アイドルです。こんにちは!!」
先輩も自己紹介をする。もうやけクソだ。
「いや……凄い、凄い。ホントは編集して一時間やった事にしようと思ったけどマジでガチったね」
息を整えながらぴえヨンの話を聞く。
「視聴者には伝わらん事だけどさ、やっぱ現場の人間は見てるワケで僕は君等好きよ?」
画面の向こうの人には、私たちがどれだけ頑張ったかなんて伝わらないかもしれない。
それでも、実際に一緒に踊ったぴえヨンさんには見てもらえていた。初めてのお仕事で、ちゃんと頑張ったんだって思える。
「あっ……大事な事聞き忘れてた。二人のユニット名とかあるの?」
「もうルビーが好きに決めていいわよ」
「いいの?」
私の中ではずっと前から決めていたユニット名。それは………
「私達の名前は『B小町』!」
「えっ……それ大丈夫なの?」
こうして、私たちのユニット名が決まった。まだ持ち曲もない。大きなステージに立ったこともない。でも………これで、やっと名前ができた。
「……ここからだ」
私は胸の奥が少し熱くなるのを感じた。何もないところから始まる。だからこそ、これから私たちで作っていけばいい。
私たちの、ゼロから始めるアイドル活動が。
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