アイと喧嘩して1週間。会う機会はあるけど、ことごとく無視されている。完全に彼女を怒らせた。自分が悪いことはわかる。だけど謝罪の言葉が思いつかなかった。仕事にも身が入らず、やることすべてが空回っていた。
「お前大丈夫か?」
壱護さんにまでこう言われる始末。これ、本格的にまずいな。
「大丈夫です。少し疲れているだけで」
表面上は取り繕う。壱護さんは「気をつけろよ。」と言い、仕事に戻っていった。何とか誤魔化せたみたいだが、それも長くは続かないだろう。
レッスン場で一人で鏡を見る。そこにいたのはつまらなそうな顔をしている俺だ。何が足りないんだ?演技力の理解力?感情の乗せ方?それとも……楽しむこと?……違うな。すべてだ。すべてが等しく足りていない。
課題点はわかっている。それをどう修正するか。それをずっと考えているがわからない。ここまで考えて答えが出ないのは初めてかもしれない。
「……アイ」
考えると同時に浮かんでくるのはアイのことだ。嫌われてもいいとは思っていたが、それでもいざとなると心に来るものがあった。こんな時にすら彼女のことが思い浮かぶ。絶対に嫌われたよなぁ、と演技のこと、そっちのけで考えてしまう。
星野アイ。アイドルになるべくしてなったと言える逸材。彼女は、嘘をつき観客の理想を演じている。……演じている?
アイは、演じてる。嘘で塗り固められているが、そこにはしっかりと感情が乗っていた。「愛している」と言うために。それ自体におかしなことはない。……視野を広げろ。一つのことに囚われ過ぎるな。そもそも演じるって何だ?何をもって演じると言うことになるのか。
鏡に映る自分を見る。俺は、天城彼方だ。それと同時に神崎蒼空でもある。この名前、人物を知っているのはこの世界で俺だけ。だって神崎蒼空という人間は、別の世界で死んだのだから。なら……今ここにいるのは、天城彼方だけなのか?違う。両方とも俺だ。そうか……俺は、演じていたんだ。最初から、天城彼方という人間を。
彼の視野は広がり、答えを導き出そうとしていた。目先の演技ではなく、演じること自体の解釈を広げる。それにより彼なりの演じるに対しての解釈が広がっていく。
「……そうか。みんな演じているんだ」
この世界にいる人間、全人類は演じている自分という役を。そして、それぞれの人生という名の舞台で皆が主役として演じ生きている。そこに乗る感情はすべて本物だ。俺がアイに対して向けた嫉妬も、アイが俺に対して見せた怒りも、そのすべては「本物」だった。
「だけど……。」
解釈は大きく広がった。だが、それでも根本は解決していない。結局、俺という人間が感情を乗せられていないのだから。そして、ここで新たな考えがよぎる。
『天城彼方や神崎蒼空という存在が邪魔なのではないか?』
……と。考えすぎて空回り、感情が上手く乗らない。その結果が「誰にでもできる演技」だ。だから、演じる者の解釈や独自の視点、感情を残す。残しつつ、俺という存在を奥底に封じ込める。そうすれば、その解釈と視点、そして感情だけが残り、演じることができるかもしれない。言ってしまえば「究極の思い込み」だ。
「……見えてきた。俺なりの演技の核心。俺だけの形」
考えすぎて視野が狭くなっていた。しかし、視点を変え現在と過去の自分を振り返り視野を広げた結果、彼はたどり着いた。独自の答えと演技の解釈に。
「さぁ、始めようか……と言いたいところだけど」
台本を置いた。突破口を見出した。そのまま、すぐに実践に移るのがいいのだろうが、彼にはやるべきことがある。
「ちゃんと謝らないとな」
彼がまずすべきと考えたのは、星野アイとの仲直りだ。この結論に辿り着いたのは彼だけではなく、彼女のお陰でもある。それに、このまま拗れ、関係が消滅するのだけは彼としても避けたいところだ。
「ちゃんと向き合わないとな」
ようやく決心できたよ。俺はいろいろと考えすぎていたんだ。もっと単純でいいんだ。後のことなんて知らない。今は、ただアイ。君と話がしたい。そして、ちゃんと謝るんだ。
事務所を出て、彼は駆け出した。彼女がいるであろう寮に。
……最近、ずっと一人な気がするな。メンバーの子たちとは、最近、不仲だ。理由は大体わかっている。私が気に入らないからだ。
B小町は、アイが入ってから大きく変わった。現在は、アイを含めてメンバーは4人。アイ以外の他のメンバーは、もともと苺プロに所属していた中学生モデルたちだが、アイだけ立場が違った。つい最近まで芸能界とは無縁な生活をしていた。
芸能活動がない新人が、いきなり即センターに抜擢されたのだから、創設メンバーからすれば、こんなに腹が立つ話はないだろう。最初は仲良くしていたが、最近だとアイがいると現場が少しギスギスしている。
その上で、2週間前に彼と喧嘩をして、それ以降話していない。アイは、再び孤独になってしまった。
(……一人は、やだなぁ。)
星野アイという人間の世界が広がったのは、言わずがな天城彼方の影響だ。本来の世界線なら、今抱いている気持ちさえ嘘で塗り固めていただろう。アイドルとしてのアイは、ファンに見せる完璧で愛らしい姿。でも、本来のアイは、大雑把でおっちょこちょいな人間だ。
要は、素の自分を出せるのは彼しかいない。彼の前では、自分に正直になれるから。しかし、彼の瞳には彼女が映ってなかった。それが、とてもショックだったのだ。
(……このままならさ、やめよっかなぁ。なんか、意味わかんなくなってきたし。)
アイがアイドルになった理由は、2つあった。1つは、嘘でも「愛している」と言い続ければ、愛を知らない自分でも人を愛せるようになりたいと願ったため。もう1つは、彼にその姿を見てほしかったから。嘘つきな自分がいつか、本物の「愛している」と言えるようになった姿を見てもらい、後押ししてくれた彼の期待に応えられるようにしたかったからだ。
でも、そんな彼とも今は喧嘩状態。彼が話しかけようとしても、アイはそれを突っぱねた。彼女も、彼にどんな顔をして会えばいいかわからなかった。
彼女も彼同様の悩みで話さないでいた。そんな時だった。扉からノック音が鳴り響く。
「んー……誰だろ?」
アイは、そのまま扉を開く。そこにいたのは、彼だった。
「…………」
彼女は、無言で扉を閉めようとする。しかし、彼は足を引っ掛けてそれを阻止する。
「待ってくれ。話がある」
危なかった。出てくれたのはいいけど、扉を閉められるところだった。何とか足を入れて阻止したけど。というかアイさん、声をかけたりして確認とかしないの?君。いや……今回はよかったけど、あまりにも不用心じゃない?
「……話って何?手短にしてよ。今、あんまり長く話す気分じゃないし」
怒ってるなぁ。……全部俺が悪いけど。
「まずは、謝らせてくれ。ごめん。言い訳になるけど、あの時は余裕がなかった。アイに当たるような真似をして」
先ずは謝罪から始めた。しかし、アイはどこか納得いってなさそうな顔をしながらジーッとこちらを見ている。
「それで終わり?」
しばらく黙っていたアイが言った言葉はこれだった。
「“余裕なかったから”って言えば、全部なかったことになるの?」
今の言葉だけではアイは動かない。
「……ねぇ彼方、それで私が納得すると思ってる?」
まあ……そんな反応にはなるよな。
言葉の一つ一つが正論である。彼女が怒っている理由の本質はそこじゃない。自分を頼ってくれなかったこと。アイ自身を見てなかったこと。
「思ってないよ。……俺は、一人で全て抱え込むことが最善だと思っていた」
アイを幸せにするために、余計な心配や不安を彼女に抱え込ませたくなかった。だってそれは、彼女が幸せになっていくのに邪魔なものだと思っていたから。でも、それは違った。アイは、それでも一緒に背負いたかったんだよな?
「……それ、彼方が勝手に決めてるだけじゃん。私がどうしたいか、ちゃんと聞いた?」
本音が溢れ出す。
「一人で抱え込むのが優しさってさ……なんか違うよ。……私だって、一緒にいたかったのに」
その通りだ。俺は、自分で勝手に決めてそれが一番最善だと思い込んでいた。アイの気持ちを聞かず、彼女を知ったような気でいた。あまりにも身勝手で傲慢。
「だから、これからは一人で抱え込まないよ。俺もアイと一緒にいたい」
空気が少しだけ軽くなる。でも、まだ終わりではない。
「じゃあさ……なんでそんなに必死なのか、教えてよ」
そう質問してきた。この質問は二度目だ。そして、喧嘩の原因にもなった問いだ。彼は、今度はしっかりと彼女の目を見ながら……。
「今は言えない。でも、目的を果たしたらちゃんと言う……俺の口から。だから、待っていてくれないか?」
曖昧な答えではなく、今回はちゃんと言った。前は目すら見れずに返答したが、今は自分の言葉で不器用ながらも伝えた。今、彼が言える精一杯の言葉で。
「……ほんと、ずるいよね。そういう言い方。でもさ……前よりは、ちゃんとこっち見てる」
アイの視線が、ようやく柔らかくなった。
「……いいよ。待つ。その代わり……もう一人で抱え込まないでよ」
そして、いつものような太陽みたいな笑顔が向けられた。
「あぁ……約束するよ」
そう言いながら彼は、小指を差し出す。彼女は、その様子を見て首を傾げてこちらを見る。
「なにそれ……子どもっぽい……でも、そういうの嫌いじゃないけど」
こちらの意図を察したのか、アイも小指を出して、互いの小指を絡めてくる。
「「指切りげんまん、嘘ついたら針千本呑ます、指切った......」」
それは子どもなら一度はやったことがある約束の仕方。とても子どもっぽいが、今の彼らにはぴったりかもしれない。
「約束、破ったら許さないからね?」
「あぁ……ちゃんと守るよ」
2人は笑い合っていた。ついさっきまで喧嘩していたのに、今ではすっかり元通りだ。いや……元通りではなく、前よりも絆が深まっていた。
(……もうちょっと、頑張ってみよっかな。)
彼の笑顔を見てアイは、心の内でそう思うのであった。
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