神木輝が彼を兄さんと呼んだ理由。それは、天城彼方に撫でられた瞬間に彼の脳内に溢れ出した………
『存在しない記憶』
「待ってよ……兄さん」
ランドセルを背負い、通学路を歩く2人。日が暮れて、今から帰るところだ。
「輝……こっちだよ」
手を差し出し、笑いかける彼の姿。煇にとってそれは、眩しかった。
「……あ」
追いかけていると足を躓いて転んでしまう。膝から少しだけ血が溢れ出す。転んだことで膝を擦りむいてしまった。
「転んじゃったか……ほら、絆創膏だ……お兄ちゃんが貼ってやるから」
ハンカチを濡らして擦りむいたところを拭き、その後に絆創膏を貼る。
「ほら、これでもう痛くないよ」
頭を撫でながら笑顔を浮かべる彼の姿。
「ほら……行こう、輝」
処置をし終えた後に彼の手を取り、一緒に歩く。夕焼けが2人を照らしていた。
「ありがとう……兄さん」
「どうした、輝……そんな顔して」
放課後、教室で1人で座っていた煇に、兄である彼方が声をかけてくる。煇の顔は暗い。
「その……僕、虐められていて」
「へぇ……虐めてきた奴の名前、教えてくれない?」
悪魔のような笑みを浮かべながら聞いてくる。笑ってはいるが、わかりやすくキレていた。
「兄さん……やり過ぎるからダメだよ」
「関係ない……俺の弟をやったんだ。それなりの覚悟はしてるってことだろう」
笑顔のまま拳を握っており、完全にやる気である。
「ダメだよ……兄さん」
そんな兄の姿を見て何とか宥める輝。……ここで記憶は途切れる。
そして、現在に。
「輝よ……何故、俺を兄さんと呼ぶのかな?」
いきなり兄さんと呼ばれて、驚きを隠しきれていない。確かに前に呼んでいいとは言ったが、その時は遠慮していた。今は、何故か唐突に呼んできた。前と今の違いはなんだ?
「え?兄さんは兄さんでしょ……昔みたいに助けてくれてありがとう」
……こいつは何を言っているんだ?昔?俺達、会ってそんなに経ってないぞ。いつの話をしてるんだ?
「それは、勘違いだ」
「勘違いじゃないよ。昔、虐められていた僕を助けてくれたでしょ?でも……あの時の兄さんを止めるのは大変だったよ」
……わからん。何を言ってるんだ、こいつ……いやマジで。話が噛み合わない。どんな思い違いをしたんだ……。
突然の神木輝の変化。それは、彼のせいである。前から兄みたいだと思っていた輝。その思いが日に日に大きくなっていった。彼の家に招かれた時に食べたご飯。姫川愛梨が明かした真実の時に優しく迎え入れ、話を聞いてくれた。そして、今回の彼女との直接対決で守ってくれた。
これらの要素が組み合わさり、本来存在しない記憶が生まれ、天城彼方を兄として完全に認知してしまった。……簡単に言うなら『天城彼方』という存在に脳を焼かれた。本来ならそこの役目は星野アイだったが、この世界線ではそれが置き換わったのだ。そうした結果……自らを彼の弟と思い込む神木輝の誕生に繋がった。
「それに、前に言っていたよね。兄さんって呼んでも良いって」
言ったけどさぁ……。というか輝、前よりグイグイくる子になってないか?愛梨さんの呪縛から解けたとはいえ、吹っ切れ過ぎなのでは?
「もう好きにしてくれ……」
彼方は諦めた。自分が言ったことがこんな結果となって返ってきたのだから。
「うん……これからもよろしく、兄さん」
満面の笑みを浮かべながら彼の隣を歩く煇。そんな2人を夕日が照らしていた。
後日談。というより今回の結末。あれから、愛梨さんは逮捕された。それと同時に事件が明るみになり、彼女が所属していた事務所は責任問題を問われた。それと同時に彼女が出演していたCMやスポンサー企業は、この件で頭を悩ませ、彼女に多額の賠償金を支払うよう命じられた。
それだけではなく、上原さんに俺がアサインした弁護士は裁判を起こした。民事では片付けられない内容であり、刑事事件として立件され、彼女には懲役2年6ヶ月の実刑判決が下り、上原さんに対する慰謝料と養育費も請求された。これで、表の世界での姫川愛梨という人間は完全に終わった。
輝も同席したみたいだが、ただひたすらに絶望していたとのこと。そして、結末を受け入れていた。それが、反省なのか完全に空っぽになったのかは、わからない。結局………姫川愛梨は、どこまでも被害者であり加害者だった。
「そう言う人間だったんだろうな……彼女は」
輝に関しては、あの後、両親としっかりと話をしたみたいだ。前々から2人は煇は1人で大丈夫だと思っていたようだ。不自由をさせないために仕事を続けてお金を貯めていた。今回の件で、自分達の間違いに気づいたみたいで、2人は部署の移動届を出したそうだ。両親は決して無関心ではなかった。ただ、不器用なだけだった。
こうして、親と子は初めてちゃんと向き合えた。これからは、夕食も一緒に取ると約束をした。
そして、一番の問題は大輝君についてだ。上原さんは引き取るのを拒否した。当然だろう。子供に罪はないとはいえ、彼にとって大輝君の存在は無視できない。そして、煇に関しても、まだ彼は中学生だ。施設に預けられることになった。その施設は、俺がいた場所であり、俺が月に数回、顔を出すことにした。せめて寂しくないように、俺が一緒に彼と過ごそう。
間接的に、俺はこの子の父親と母親を奪った。これくらいして当然だろう。こうして、今回の事件は幕を閉じた。当初の予定通り、2人を生かして輝の心を壊さないようにすることに成功した。全てが終わった後に、変装の衣装と使ったガラケーを処分。これで本当に今回の件は終わりだ。
結果として多くの人を巻き込んだ。1人を救うために、その他大勢を巻き込んだ。でも、ブレてはいけない。今回の件でアイの生存率は高まった。でも、まだどんなことがあるかわからない。ドーム公演までは気を抜いてはいけない。
「後……5年か」
アイがドーム公演をするのは20歳の時だ。そして、俺たちの年齢は15歳。5年なんてあっという間だ。時の流れは早過ぎる。アイの生存を考えるのはいいが……。
「告白の返事……どうしようかな」
そろそろ期限の1ヶ月に迫っていた。俺は、まだ答えを出せずにいた。俺は、アイを異性として好きなのか?……今までは推しとしてしか見てこなかった。でも、アイはこんな俺のことを好きだと言ってくれた。
それが、とても嬉しかった。それと同時に、俺なんかでいいのか?と思ってしまう。俺は、これからの人生を君の隣で歩く資格があるのだろうか?今回、俺がしてきたことは、救うためとはいえ、汚い手段を使った。自分を偽り、人の感情を煽ったり逆撫でしたりと、様々なことをした。そして、それに対して殆ど何も思ってない。罪悪感というのがそこまで湧いていないのだ。結局の所、俺にとって関係のない人物の話だから。
「普通じゃあないな……」
こんな俺が隣にいて良いのだろうか?……頭の中がまとまらない。もう少し自分に自信を持てていたら、ポジティブだったら、こんなに悩んでいなかったかもしれない。俺という人間を俺が一番知っている。
自信がなくネガティブで自分勝手な……俺は、そんな人間だ。
「はぁ……わからないな」
悩んでばかりだ。アイと過ごして少しは柔軟な考え方ができていたと思っていたが、根本は変わってない。
意識してないと言えば、嘘になる。あの日から、ずっと……。この数日間、いろいろと暗躍していた時ですら、彼女のことが頭に浮かんでいた。多分、いや……俺はアイが好きだ……異性として。もしかしたら、途中から気づいていたのだろう。でも、その気持ちに蓋をしていたのかもしれない。自覚した後だと、そう感じてしまう。
「はぁ……どうしよう」
あの夜の出来事が頭から離れない。思い出すだけで体温が上がってくる。どう返すのが正解なんだろう?こういう時に、前世の友に相談したい。あいつら俺より恋愛経験あったからなぁ……。俺だって女性とお付き合いをしたことはある。でも……20代以降だもんな……。前世ではこの頃、好きな人できなかったのに。
「心臓がうるさい」
何度も絶え間なく鼓動する心臓に手を当てながら頭を抱える。結局……答えは出なかった。自分でもヘタレだなと思うのだった。
裏話
はい……作者のディバルです。本作の神木輝は、このような形に落とし込みました。最初は他の案を考えていましたが、唐突に「存在しない記憶」がよぎり、この回を書き上げました。自分を弟と思い込む……別ベクトルでヤバい奴になりましたね。それと感想欄で、「早くお兄ちゃんと呼べ」的なことを言っている方がいまして。ちょうどその時にこの回を書いていたので、見た時は思わず笑ってしまいました。それと、この展開を予測していた人も何人かいて、「エスパーかよ」と思いましたね。元ネタは呪術廻戦です。他にも別の回で元ネタがあるものがいくつかあるので、探してみると面白いかもしれません。以上……裏話でした。
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