一番星は消えない   作:ディバル

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006 帰り道

 

 

 

アイが泣き続けてしばらく経った。彼女は、ようやく落ち着いた。

 

「……天城くん、服びしょびしょじゃん」

 

確かに、彼の服はびしょびしょで服というか全身が濡れていた。雨の中、しばらく走っていたのだからこうなるのも必然だ。

 

「別にこれくらい何ともないよ。もう大丈夫なのか……アイ?」

 

「…………」

 

「アイ?」

 

一瞬だけ、彼女の表情が止まる。泣き腫らした目でこちらを見たまま、ほんの少しだけ眉を寄せた。泣いて感情を吐き出したのはよかった。だが、今の彼女が何を考えているか全くわからない。まぁ……大体いつも何を考えているかなんてわかりはしないのだが。

 

「……さっきから思ってたんだけど」

 

「天城くん、私のこと……“アイ”って呼んでるよね」

 

拭いきれていない涙を指で軽く擦りながら、少しだけ首を傾ける。

 

「今までずっと“星野さん”だったのに」

 

「………え?」

 

名前で呼んでいた?自分の発言を振り返る。………呼んでたわ。普通に。あの時は何というか必死だったから。いつもは星野さんと呼んでいた。だが、あの時は彼女を見つけた事で安堵感と同時に感情が昂っていた。多分、無意識で呼んでいたと思う。考え込んでいると……

 

「もしかして気付いてなかった?」

 

とアイから言葉が投げかけらる。

 

「気付いてなかったね………ごめんねいきなり名前で呼んで。今度からは気をつけるから星野さん」

 

彼が名前ではなく苗字で呼ぶと彼女は、頬を膨らませてこっちを見てきた。

 

「星野さん?」

 

頬を膨らせている。レアな表情だなぁ………とついつい思ってしまう。と言うかこれ拗ねている?何故だ?

 

「えー、今さら戻すの?」

 

「せっかく“アイ”って呼んでくれるようになったのに」

 

笑みが浮かび上がる。何処か茶化す様な口ぶりでそう言いってきた。さっきまで泣いていたのに今はいつもの調子を取り戻してきた。切り替えが早いと感心してしまう。俺ならまだは引きずっているのに。こう言う所も星野アイと言う人間がアイドルに向いていると言えるのだろう。

 

「天城くん、意外と大胆なんだね」

 

………天城くん。俺は、今だに苗字だ。あの時は、昂っていたから名前を呼んでしまった。彼女のこの感じから名前で呼ばれるのは嫌ではないのだろう。

 

「アイ……俺の事も名前で呼んでくれない?」

 

彼は、彼女の手を握りそう言う。突然握られた事に驚いていた。そして、その顔は困惑していた。

 

「え?」

 

彼女が発した言葉はこれだった。理解が出来ていない。完全に彼女の中で予想外の答えが返ってきたからだろう。

 

「これから俺は名前で呼ぶ。だから、俺の事も名前で呼んで欲しい。対等な友達としていたいから」

 

しっかりと彼女の目を見てそう伝える。俺だけ名前で呼び捨てだと壁を感じる。俺は、対等な友達でいた。これは、俺の勝手な提案だ。彼女が乗ってくるかわからない。それと一番は………推しに名前で呼ばれたい。

 

それっぽい理由をつけたが結局これだ。だって、今が絶好のチャンスだから。このまま流したら次いつ機会があるか。友達の呼び方はいつの間にか決まっている。苗字や名前、あだ名と人によって様々な呼び方をする。アイと知り合ってもう一年だ。そろそろ互いを名前で呼び合うには悪くない時期だろう。

 

「え、えっと……いきなりだね」

 

「天城くんって、ほんと変なとこで真面目だよね」

 

「……彼方、でいいの?」

 

彼女が彼の名前を呼んだ時、彼の心の中は歓喜で満たされていた。

 

(やばぁぁぁぁぁ……推しに名前で呼ばれた。めちゃくちゃ嬉しい。顔緩みそう。)

 

と彼の内側は何とか理性を保とうとしていた。彼にとって星野アイは、2番目の推しだ。【推しの子】の中では1番だが他作品と比べても2番目だ。1番の推しからの呼び方は名前ではないので実質的に名前で呼んで欲しい推し第1位。それが叶ったのだから彼がこうなるのは仕方がないのかも知れない。

 

「うん……今回は間違わなかったね」

 

彼は何とか理性を保ちながら笑顔で答えた。

 

「じゃあ帰ろうか」

 

手を握ったまま立ち上がる。外はすっかり暗くなっていた。ここから施設までそう時間はかからない。いろいろな場所に探しに行ったが近場にいたので助かった。

 

「暗いから手を繋いだままでいいかな?はぐれたら危ないから」

 

アイも立ち上がり彼女はいつもの様な太陽みたいな笑顔で……

 

「……彼方ってさ。ほんと、変な人だよね」

 

「でも……今日はそれでいいや」

 

そう呟いた。瞳の黒かった星は白星に変わっていた。

 

帰りながら思う。俺ってそんなに変かな?と……友達として見られているのは間違いなのだけど。それよりも変なイメージの方が付いてないか?俺ってそんなに変じゃあ……………自分の行動や発言を思い返す。よくよく考えたら俺って変だな……普通に。でも、いいか別に。彼女の目からどう映っても覚えられている事には間違いはない。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

今日は、初めての事だらけだった。頭を撫でられたり手を握ったりそして、名前で呼ばれたり。本当にいろいろな事があった。

 

彼女は彼に視線を向ける。

 

(やっぱり変な人。)

 

アイはそう思っていた。彼女からしたらいきなり自分の世界に足を踏み込んできて彼女が欲しかった言葉を投げかけてくれた存在。何故、そこまで自分の為にしてくれるのかアイにその理由がわからなかった。そして、何より彼の言葉には良くも悪くもほとんど嘘がない。

 

母親の彼氏から好かれ母親から暴力を振るわれた。彼女のルックスは同年代の子とは比べ物にならない程、綺麗で美しかった。しかし、それ故に母親からの嫉妬を買った。日常的に暴力を振るわれた。だから、彼女は自分を守る為の仮面を被った。それを何年も続けた事で彼女は、人の嘘が大体見抜ける様になっていた。

 

今のアイにとって嘘とは自分を守る為の鎧だ。そんな時に現れたのが天城彼方と言う存在。本来なら存在する筈のなかったイレギュラー。彼の言葉には嘘がない。だから、惹かれた。

 

過ごす内に彼女も自分を偽らなくいい。この人にならとそう思い始めた時だった。母親の出所を知った。原因は、施設の職員達の話を聞いたからだ。あれだけ暴力を振るわれたのに彼女は期待した。子にとって親は神様みたいな存在だ。それと同時に「呪い」でもある。愛情を注いでくれるなら違うが、問題は愛されなかった時だ。子供は頼るべき存在は親、以外には余りいない。学校の先生も余程じゃあないと力を貸してくれない。

 

アイの場合は愛された事がないが、一度愛を知った子ならばどうだろうか?愛された記憶が脳裏によぎり親を切り捨てられない。もう一度愛されるかも知れないと思うからだ。だが、それでもアイは期待した。直接、親に捨てられたわけじゃあないからだ。母親は、窃盗で捕まりその結果が施設送りだ。

 

故に期待した。迎えにきてもう一度暮らせるのではないかと、そうしたらまた愛してくれるのではないか。だが、現実は残酷だった。何日、何週間、何ヶ月と母親は迎えにきてくれなかった。

 

アイの期待は砕かれた。だから、期待するのをやめようとそうすれば楽だと。しかし、彼はそうさせてくれなかった。彼は、慰めではなくただ一言だけ言った。

 

『辛かったね』

 

とそれは、アイの仮面を打ち砕いた。

 

「ねぇ……彼方」

 

アイの中で、天城彼方と言う存在が大きくなってゆく。彼女は自身の気持ちにまだ気付いていない。けれども、今はそんな事はどうでもいいのだ。

 

「また……明日も一緒に帰ろうね」

 

(1人で抱え込まなくてもいいんだね。)

 

彼女が思ったのはこれだった。夜道の中、2人が手を繋いで歩く。帰るべき家に向かって。

 

 

 

 

 

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