互いの額をぶつけ合う轟音が響く。その一撃に天城彼方は、今世での人生や魂を全て込めた。
「……っ、まだ……見たかったのに……」
彼が放った最後の一撃は効いた。全てを乗せた一撃………ニノは仰向けになって倒れ、再び意識を失った。
「ドロドロの執念なら、こっちの方が年期が入ってるんだよ」
意識を失ったニノを見下ろしながら、そう告げた。
「なんとか勝ちは拾ったけど……今度起きてきたら、もう無理だな」
近くにある木を背もたれにして座り込む。片方の太ももから血が流れ続け、もう片方にはナイフが刺さったままだ。止血はしたが、最後の渾身の頭突きでまた傷が開いた。このままいけば出血死だ。
「意識を強く持て……」
ブルブルと震える手でポケットからスマホを取り出す。
「救急車と警察……」
番号を入れようとした時、手からスマホが滑り落ちた。手の届かない場所まで離れてしまい、もうその場から動けない。
「……これ、ダメかもな」
意識を何とか繋いでいるが、いつまでもつか……。
……にしても、思い返してみると随分と泥臭い戦いをした。まさかレンガで殴られるとは……ヘルメットを被ってくるべきだったな。
死ぬのかな……このまま。
今世最大の目標は果たした。アイを生存させた……だけど……彼女の「幸せ」はどうなんだろうな……。「アイドルとしての幸せ」「母親としての幸せ」、それを両方手にした。でも、俺がいなくなったら、多分悲しむだろうな……あの子は優しい。
それに、アクアとルビーの成長も見届けたい。
「……死にたくないなぁ」
覚悟はしていた。でも最近……死んでも守る、その信念がブレてきた。その原因は分かっている。アイ、アクア、ルビー達だ。
父親になった。前世で経験しなかった、自分の家族を持つという幸せを知った。大変だけど、満たされていた。誰だってそうだ。どんな形であれ、その幸せを自ら手放そうとは思わないだろう。
迷いが出てきた。俺は1人で動くのではなく、他人の力を借りてアイを救うべきだったんじゃないかと。でも結局、俺は1人で動くことを選んだ。犠牲になるのは自分だけでいいと、そんな選択を。
そして、いざとなったら死にたくないと……。
……情けないな、本当に。
本当の俺は、こんなに強くないのに。見栄を張って、自分を偽り、強く見せた。全てはアイの為に。けれど、これも全て自己満足。自分のエゴを押し付けていただけに過ぎない。
「……でも、精一杯やったんだ。悔いは……ないとは言い切れないな」
彼が目を閉じようとした時だった。
「彼方ぁっ!!」
声が彼の耳に届く。それは、今一番聞きたかった声。
なんとか視線を向けると、アイと壱護が現場に駆けつけた。
2人が駆けつける少し前。
「彼方……っ……彼方ぁ……!」
息を切らしながら、アイは夜道を必死に走る。涙で前が滲み、何度も足がもつれそうになる。
その時…………遠くから聞き慣れた声が響いた。
「……アイ!?」
「っ……社長……!?」
暗闇の向こうから、同じように息を切らした壱護が走ってくる。急いで出ていく彼方に、ただならぬ出来事だと感じ取った壱護は、彼を追いかけていた。
「お前、何があった!?」
「彼方が……っ! ニノに……!」
「……は?」
壱護の表情が一瞬で凍りつく。
「血が……いっぱい……っ! 彼方が、私を逃がして……!」
震える声でそう言った瞬間、壱護はアイの肩を掴んだ。
「場所は!?」
「公園の奥……っ!」
「案内しろ!!」
二人は走る。
少し遠くから、何かをぶつけ合ったような鈍い音が聞こえた。
「っ……今の音!」
「急げ!!」
その音は、彼が最後に放った渾身の一撃だった。
暗がりで見えづらい中、この音は場所を知らせる救難信号の役目を果たす。音のした方向へ進む2人。
そこには、頭から血を流し、片方の太ももから血が溢れ、もう片方にはナイフが刺さったままの彼方の姿があった。その近くには、額から血を流して倒れているニノ。………現場は悲惨そのものだった。
「彼方ぁっ!!」
「……っ、いた!!」
「やだ……彼方っ!!」
「彼方!!」
私を逃がしてくれた時より、もっと血が出てる……。足にはナイフが刺さったままで……。そんな彼方の姿が、本当に……今にもいなくなっちゃいそうに見えて。
「……アイ。怪我は……突き飛ばしたからな、あの時」
「……そんなの、どうでもいいよ……っ」
アイの声は震えていた。涙が止まらない。
目の前の彼方は、頭から血を流し、足にはナイフが刺さったまま。それなのに、自分の心配ばかりしている。
どうして、彼方はいつもそうなんだろう。自分がこんなになってまで、私を守ろうとする。怖かった。今にも消えてしまいそうで……もう二度と笑ってくれない気がして。
「私は……彼方が無事じゃないと嫌なの……っ……!」
彼方は……こんな時なのに、まだ笑ってた。
絶対痛いはずなのに。こんなに血だらけで、ボロボロなのに……どうしてそんな顔できるの……?
「なら……生きないとな……。まだ、伝えたい事……あるんだ」
「……っ、だから喋らないでよ……!」
ボロボロの状態になりながらも、彼の視線はずっとアイに釘付けだった。
先程までは諦めたような顔だったのに、今は生きようと必死になって意識を繋いでいる。
「お願いだから……もう無理しないで……っ……!」
背後で社長が必死に電話してる声が聞こえる。きっと、救急車を呼んでくれてるんだと思う。私は震える手で彼方の手を握った。
……冷たい。
さっきまでちゃんと温かかったはずなのに、どんどん体温がなくなっていくみたいで……怖かった。
「伝えたい事なら……後で聞くから……! ちゃんと聞くからぁ……!」
彼方は、アイの手を弱々しく握った。
「だから……だから死なないでよ……彼方……っ……!」
大粒の涙を流すアイを見て、彼は最後の力を振り絞って――
「絶対死なない……。だけど、これだけは言いたい」
今日一番の、とびっきりの笑顔で………
「愛している」
愛の言葉を彼女に伝えた。自分からは言えないでいた、その言葉をやっと今言ったのだ。
「……やっと言えた」
満足そうにしている。こんな命の危機だというのに……。
「……っ、ばか……」
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、アイは笑おうとして………でも上手く笑えなかった。
「そんなの……今、言うことじゃないでしょ……っ……!」
彼方の手を強く握る。離したら、本当にどこかへ行ってしまいそうで。
「……私も、愛してるから……!だから絶対、いなくならないでよぉ……っ……!」
アイのその言葉を聞いて、プツリと電池が切れたかのように彼は意識を手放した。
それと同時にサイレンの音が響く。救急車と警察が到着した。
「脈が弱い! 急げ!!」
救急隊員達が慌ただしく動く中、彼方は担架に乗せられていく。アイはその手を最後まで離せなかった。
「ご家族の方、離れてください!」
そう言われても、簡単に離せるわけがなく、隊員がアイと彼方を引き離す。
「彼方……っ……!」
震える声で名前を呼ぶ。返事はない。さっきまで握り返してくれていた手も、もう動いていない。
その時………視界の端で、別の担架が運ばれていくのが見えた。額から血を流したニノ。その周囲には警察官達が集まっている。
「確保しろ!」
「凶器も回収!」
騒がしい声が飛び交う。でも、アイにはもうどうでもよかった。
彼方が生きてくれるなら、それ以外、何もいらない。
「お願い……お願いだから……助かってよ……彼方……っ……」
天城彼方は、確かに星野アイという1人の人間の運命を変えた。しかし、その代償は重かった。
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