ドラマの撮影が終わり、打ち上げが始まっていた。打ち上げの会場は、撮影が終わった解放感でざわついていた。
テーブルの上には料理が並び、スタッフやキャストの笑い声があちこちで交差している。
そんな中、少し離れた場所で天城彼方はグラスを片手に立っていた。
いつもの現場とは違う、少し緩んだ空気。
「……天城さん」
静かな声が後ろからかかる。振り返ると、黒川あかねが立っていた。打ち上げの喧騒の中でも、そこだけ少し空気が違うように感じるほど落ち着いている。
「お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ様」
短いやり取り。だが、どちらもすぐにはその場を離れなかった。あかねは少しだけ視線を落とし、それからゆっくり彼方を見る。
「……今回の作品、本当に勉強になりました」
「そう?」
「はい。……特に、最後のシーン」
一瞬、間が空く。言葉を選んでいるのがわかる静かな沈黙。
「天城さんって……やっぱり、変わってますね」
「よく言われる」
軽く笑って返す彼方に、あかねも小さく息を吐くように微笑む。
「それにしてもすごいな、最近の若い子は。私なんてすぐに追いつかれそうだ」
あかねは一瞬だけ言葉を止めた。グラスを持つ彼方の横顔を見て、ほんの少しだけ視線を落とす。
「……追いつく、なんて」
小さく息を吐くように笑う。
「そんな簡単な話じゃないですよ」
少し間を置いて、ゆっくりと続ける。
「天城さんって、比べる対象として見える人じゃないです」
その言葉には、妙な冷静さと確信が混ざっていた。
「同じ場所にいるようで……ずっと違う場所で芝居してる感じがするから」
あかねはそこでようやく彼方を見る。まっすぐではなく、確かめるような目だった。
「だから、追いつくとかじゃなくて…………知りたいって思う方が、正しい気がします」
そう言ったあと、少しだけ自分の言葉に気づいたように目を伏せる。
「変な言い方ですけど」
小さく笑って、グラスを握り直した。
知りたいか……それは欲とも言える。俺もここまで言われるような役者になったということか……。最初につまずいていた自分に今の俺を見たら、きっと驚くだろう。
「いろいろあったからね、私も。今の子達は才が溢れている。これからの世代が楽しみだよ」
あかねは彼方の言葉を聞いて、ほんの一瞬だけ表情を止めた。それから、小さく息を吐くように笑う。
「……やっぱり」
グラスを持つ指に、わずかに力が入る。
「天城さんって、そういう言い方しますよね」
「そういう言い方?」
彼方の返しに、あかねは少しだけ視線を上げる。今度は“確かめる目”ではなく、“見抜いた目”だった。
「いつも、少しだけ距離を置いた言い方」
静かな声。
「ちゃんと中に入って話してるのに、どこか一歩引いてるというか……役の中みたいな話し方になる時があるんです」
一拍置いて、少しだけ言い直す。
「今みたいに」
空気がほんの少しだけ変わる。あかねは悪意なく、ただ事実として続ける。
「天城さんって、普段から“演じてる”みたいですね」
言い切ってから、ほんの少しだけ目を細める。
「……違ったらすみません。でも、そう見える時があります」
それは責める言葉じゃない。ただ、ずっと観察してきた人間だからこそ出る違和感だった。あかねはグラスを軽く揺らしながら、最後に小さく付け足す。
「さっきの言葉も、ちょっとだけ“台詞っぽい”って思いました」
そう言ってから、少しだけ困ったように笑う。
「変なこと言ってますね、私」
見抜かれた。何年も誰一人見破れなかった、表の皆がよく見る天城彼方という存在を。彼女は、少しの期間でほぼ完璧に。
「ふふ……あははははは」
「……え、今のって、笑うところだったんですか?」
突然、俺が笑い出したことに対して困惑する彼女。急に笑い出したのだ、その反応はとても正しい。何年も演じ続けて馴染み、違和感がなくなっていた。でも、それを見抜いたのだ。笑わずにはいられない。
「凄いな……黒川さん。完璧に見抜いたね、俺を」
もう一人称を偽る必要はない……少なくとも彼女の前では。
「……見抜いた、というより」
あかねは少しだけ言葉を選ぶように間を置いてから、彼方を見つめる。
「ずっと違和感があっただけです」
グラスを持つ手が、わずかに緩む。
「天城さんって、ちゃんとそこにいるのに……どこか“そこにいない感じ”がする時があって」
一度視線を落として、小さく息を吐く。
「それが今、たまたまはっきりしただけです」
そして、ほんの少しだけ困ったように笑う。
「……でも、笑う理由はまだ分かりません」
「単純だよ。凄いと思ったんだよ。素の俺を見抜いたのが黒川さん、君が初めてだ。それが面白くて、同時に凄いと感じたんだ」
あかねは一瞬だけ目を瞬かせて、それから小さく息を吸う。
「……初めて、ですか」
グラスを持つ手がほんの少しだけ止まる。
「それは……光栄なのか、困るべきなのか、ちょっと分からないですね」
困ったように笑ってから、視線を彼方に戻す。
「でも……嬉しい、の方が近いです」
一拍置いて、静かに続ける。
「凄いって言ってもらえるのは、やっぱり……ちゃんと見てもらえてるってことなので」
芸能界は、自分自身を商売道具にして、見られ続ける世界だ。真正面から偽らない者もいる。だがそれは、時に致命的な隙にもなる。ある程度は演じることも必要になる。
そんな中で「見てもらう」ということ自体が、すでに簡単なことではない。様々な才能が集まるその場所で、誰かの目に留まり続けるというのは、それだけで難しいことなのだから。
「本当にこれからの君達の成長が楽しみだ」
あかねは一瞬だけ言葉を失ったように彼方を見つめ、それから小さく息を整える。
「……そういう言い方、ずるいです」
困ったように笑いながらも、その目はまっすぐだった。
「まるで、もう私たちのこと“同じ舞台にいる人間”として見てるみたいで」
彼にとって関わる人間は、年齢や立場に関係なく、すべて同じ位置にいる存在だった。そこに優劣はなく、自分より年下であろうと年上であろうと、演技という一点においては等しく並び立つ“同じ舞台の役者”として見ている。
「そう言われると……負けたくないって思っちゃうじゃないですか」
そう言ったあと、少しだけ自分の言葉に気づいたように、軽く目を瞬かせる。
「……変ですね、私」
小さく笑って、グラスを握り直した。そんなあかねに対し、彼は笑みを浮かべ、自分の考えを彼女に伝える。
「変じゃないさ。負けたくないという対抗心は、時に糧となり自分を成長させてくれる。黒川さんにもいるんじゃないか、負けたくない相手が」
あかねは少しだけ視線を落として、グラスの縁を指でなぞる。
「……いますよ」
静かにそう言ってから、ほんの少し間を置く彼女。
その目は役者の目だった。
「でもそれって、競ってるっていうより……見てるだけで悔しくなる、みたいな感じです」
「追いつきたいとかじゃなくて……気づいたら、ずっと目で追ってる感じなんです」
少しだけ言葉を切って、付け足すように。
「そういうの、あるんですね」
「あぁ……いるね。俺にもそういう相手がいるよ」
あかねはその言葉に、ほんの少しだけ目を瞬かせる。
「……そうなんですか」
静かに、確かめるような声。
それ以上は踏み込まず、ただ一度だけ視線を落とす。
「天城さんでも……そういう人、いるんですね」
小さく息を吐いて、どこか納得したように微笑む。
「なんか、少し意外です」
そう言いながらも、その表情には妙な安心と、ほんのわずかな距離感の縮まりが混ざっていた。
「じゃあ……やっぱり同じなんですね」
小さく呟くように言って、グラスをそっと持ち直す。
「それと、これ……俺の連絡先。一応、この業界には長くいるからね。何かあれば相談に乗るよ。不要なら悪いけど処分してくれない?」
そう言いながら連絡先を書いたメモ用紙を彼女に手渡す。完全な善意ではないが……頼れる大人がいるという事実は、少しだけ心に余裕を持たせてくれる。
あかねは差し出されたメモを一瞬だけ見つめて、それからゆっくり受け取る。
「……いいんですか?」
小さくそう聞いてから、指先でそっと紙の端を整える。
「こんな簡単に渡しちゃって……」
少し困ったように笑うけれど、拒む様子はない。
「でも……ありがとうございます」
一拍置いて、視線を上げる。
「相談するようなことがあったら、その時はちゃんと頼らせてもらいます」
そう言って、ほんの少しだけ頭を下げる。その仕草は丁寧で、でもどこか以前より距離が近い。
「……処分はしませんよ」
小さく付け足すようにそう言って、メモをそっとポケットへしまった。
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