ルノワール男爵の憂鬱   作:道造

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第十話「土は土に、灰は灰に、根菜は砂糖に」

 

 ルノワール坊ちゃまは燃え尽きておられる。

 あまりにも生き急ぎがすぎたゆえに。

 十歳に親の仇討ちを志し、成し遂げた者はこの世に探せばいるだろう。

 なれど、その仇が流行病であり、死を避けられぬ病を薬さえあれば治療できるものに変えたように。

 たった十年の内に医者として仇を取った者など、この世の何処にいるだろうか。

 これはドラゴンを倒した騎士などよりも、よほどに偉大なる功績である。

 ルノワール坊ちゃまを十歳の頃から見守ってきた家人として、誠に誇らしく思う。

 

「ルノワール坊ちゃま、お疲れ様です。砂糖はいくつお入れに?」

 

 書類仕事が終わったのを見計らって、熱い紅茶を用意する。

 

「二つでよい」

 

 いつもの会話。

 もちろん二十五年もの長きに渡って仕えた主だ。

 必要とする角砂糖の数など、聞かずとも理解しているが。

 

「砂糖も随分と安くなりましたね。もちろん坊ちゃまのおかげですが」

 

 世間話をすることが、何よりの坊ちゃまの癒やしになる。

 それを理解しているがゆえの会話であり。

 こんな些細なやりとりこそが、今の坊ちゃまには必要なのだ。

 

「枢機卿と先王の協力無しには大前提として成立しなかったがな。現在のビートの栽培はどうなっているのだろうか?」

「そりゃあもう、あの根菜から砂糖が摂れるかもしれないと坊ちゃまが言い出してから、栽培は盛んになりましたとも」

「知りたいのはこの質に至った過程だな。一体どうやってビートの品種改良に成功したのだろうか? 二十五年前など、自分が実験してみたら茶色い砂糖の塊が少しばかり出来ただけであった。錬金術師達は本当に凄いな。確かに実験器具も研究場所も資金も、全て用意したとはいえ……」

 

 本当に不思議そうに皿に添えた角砂糖を一つ摘まみ上げ、茶に放り込んだ。

 いや、凄いのは坊ちゃまですよ。

 発展よりも最初の一歩の方が、褒められるべきではないか。

 そう言いたいところだが、堪える。

 当主を賞賛しても、何も良いことはないと今までの経験で知っている。

 本人はそれをマトモに受け止めないし、謙遜というか本気で大した事ではないと思っているのだ。

 

「もう私はいらないよなあ。隠居しても良いよなあ」

 

 まただ。

 相も変わらず、そんなことを平気で口にする。

 ぐるぐるとスプーンで掻き混ぜながらに無茶苦茶を言う。

 そんなわけがないだろうに。

 仕方なく、当然のことのように否定しておく。

 

「坊ちゃまがいなければ、そもそも彼ら錬金術師のスポンサーがいなくなるわけですが」

「そうだなあ、修道院でも異端扱いされてた人間まで引っ張ってきたわけだしなあ」

 

 その通りである。

 修道院で世のため人のために、研究してきただけの修道士。

 これは良い、坊ちゃまと同様に、素直に賞賛されてしかるに値する聖職者である。

 問題は異端どもだ。

 教会は腐敗したとその権威を平気で否定し、聖書のみが正しいとする危険思想の異端宗教家どもや、法や秩序を、既存ギルドの権益を邪魔することで石を投げられて逃げてきた錬金術師を研究者として迎えることなど。

 枢機卿が坊ちゃまのために、それこそ何でもする覚悟がなければ不可能であった。

 あんな連中を国外からも集める行為に、どれだけ先公爵の胃がすり減ったことやら。

 今代の『首刎ね公爵』ならば、即座に殺しているし、隙あらばこれからも殺すだろう。

 ルノワール坊ちゃまがいなくなったら最後、間違いなく『奴らは唯一のよりどころを失った。これにて手切れだ』と見做して、即座にあの恐ろしいギロチンで処刑するだろう。

 そこのところを坊ちゃまは多分、理解しているくせに理解していない振りをしている。

 怖い物を見つけたら両手で目を覆って、いないいないなのです、と口にする奇矯なところが、ルノワール坊ちゃまには存在した。

 本人は隠しているようだが、さすがに二十五年も付き合っていれば理解する。

 

「先公爵様はともかく、美髭公は不満かな?」

 

 美髭公。

 胃痛持ちの先公爵ではなく、ギロチン大好き現公爵への愛称。

 公爵に手紙で送る際に坊ちゃまが一度用いたところ、大変に気に入られて本人すら『美髭公より』と周囲への手紙に用いるようになり、もはや国家内では市民にすら通り名として扱われているが。

 いや、そんなに可愛い人ではないよ、あのヒゲ自慢の人。

 そもそもあのヒゲだって、周囲に舐められないよう生やし始めたというのが現実だ。

 ルノワール坊ちゃまが早逝しようものなら、その日を境に大粛正の嵐が吹きあれる事だろう。

 公爵家からルノワール男爵家に執事長として出向し、そのまま二十五年の歳月が過ぎた私には分かっているのだ。

 信頼の問題だ。

 ルノワール男爵がいるから信用しているだけであって、異端の錬金術師など何の信頼も置けぬと常々思っている。

 あの人にとっては、ルノワール坊ちゃまこそが最後の良心でストッパーなのだ。

 坊ちゃまが消えた瞬間に大爆発する、導火線に火が付いた爆弾のようなもの。

 あれだ、若い頃から坊ちゃまと接していたのが良くなかった。

 良い意味でも、悪い意味でも思想に影響を受けた。

 酷い潔癖症で、ルノワール坊ちゃまの国家や弱者への献身と比べて、法や秩序すら守れぬ馬鹿共が如何に世に多いことかと心底嘆いている。

 公爵様は坊ちゃまよりも若い二十五歳、これから世間の感覚と帳尻を合わせ、落ち着いていくとは思うのだが。

 

「久しぶりに会いたいところだが」

「さて、坊ちゃまも公爵様もお忙しい立場。なかなか難しいところではありますが」

 

 本当に忙しい。

 あまりにも忙しすぎて、とうとうルノワール坊ちゃまは燃え尽きてしまわれた。

 土は土に、灰は灰に。

 とはいえ、当家の坊ちゃまは特別、たとえ燃え尽きたところで仕事はちゃんとこなす。

 根菜を砂糖に変えるような、そこいらの魔法ではなく『本当の魔法』を平気で操る御方。

 責任感の非常に強い御仁なのだ。

 燃え尽きて灰になったところで、大地を潤す糧となるだろう。

 時々、ふと思うのだ。

 ウチの坊ちゃまはこの先、どうすればよいのだろう、と。

 お嫁さんが来ないことが本意ではないことなど、よく知っている。

 とはいえ、生半可な女ではルノワール男爵家の妻など務まらぬであろう。

 純粋な嫉妬、知性や振る舞いへの要求、『あのルノワール』にふさわしい女でなければ嫁になど許されないと。

 周囲からそういう目で見られてしまうことになった。

 これはもうどうしようもないのだ。

 女などよりも、むしろ男連中から、その要求は強い。

 そういう悪い意味で男連中に好かれるところが、坊ちゃまにはあった。 

 

「……」

「どうした」

「いえ、なんでもありません」

 

 王様に娘はいない。

 もしいれば、臣籍降嫁という形ではなくて、坊ちゃまを王族の一人として迎え入れる。

 先王や、現王ならば、それさえ平気で許したであろうが、残念ながらいない。

 先公爵にもいない。

 いれば当の昔に嫁いできているだろうし、公爵様など義兄弟になれることを万歳三唱で喜んだはずだ。

 辺境伯?

 言うまでもなく、いない。

 一度、臣下から養女を迎えて強引に嫁がせようとする計画こそ存在したようだが。

 坊ちゃまからの不興を買えば、実家が潰れる事を恐れて誰も養子になど出そうとしなかった。

 もう外国しかないではなかろうか。

 この国内からは駄目だ、もう駄目だ。

 何処からも嫁を娶る方法などない。

 或いは――と思う手段が思い当たらないでもないが。

 その場合は、女性側の方から強引に、坊ちゃまを押し倒さなければならぬだろう。

 

「我が執事長よ」

「はい、坊ちゃま」

 

 紅茶を啜りながらに、坊ちゃまがぽつりと呟いた。

 

「茶が美味い。腕を上げたな」

「有り難うございます」

 

 とりあえず、美味しい紅茶を入れるぐらいのこと。

 それが執事長として、ルノワール男爵家の者としての、できる限りの献身であった。

 

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