ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
ずっと同じ部屋にいたことを、幼心に覚えている。
断片的な記憶というやつだ。
屋敷の一番暗い一室に閉じ込められていた。
まるで牢獄のような。
血が繋がっているだけの母親は、見たくもないとばかりに私を一室に閉じ込めた。
授乳するための乳母と、平民出自で幼い頃から奉公として雇われていたメイド見習い。
その二人だけが、私の世話を懸命にしてくれていた。
それが変わったのは四歳の時で、実母の嫁入りが決まった際に。
私を他の貴族に売り飛ばそうとした。
要するに、邪魔だからと完全に捨てることにしたのだ。
それを聞きつけて横入りし、私を引き取ったのが先王様で、これについては心から感謝している。
明確な恩義である。
もし売り飛ばされたときの将来など、碌な物ではないとわかりきっていたからだ。
十六歳の今となっては、想像するだけで怖気が走る。
運命の日が訪れたのは、私があの暗い一室から解き放たれたのは。
「というわけで、この子をお前に預ける。これは勅命である」
「はあ、私は構いませんが。なんか可愛い女の子に限って、この手の話が私に来ません?」
「気のせいだ」
御父様と出会った、あの日だ。
玉座の間にて、私のために付いてきてくれたメイド見習い。
そのメイドスカートに隠れて、私は自分を引き取る相手の様子をうかがっていた。
目が少しくぼんでいて、丸い。
金壺眼というものらしく、私の引き取り相手は少しだけ怖い顔だった。
ルノワール男爵。
当時23歳の、これから自分を育ててくれることとなる相手に私は恐怖を感じていた。
まあ、すぐに薄れたのだが。
何せ――優しかった。
「それなりに働いているので、大した事はできんよ。すまんな」
父はたしか、初見でそう口にしていたはずだが。
いつものことだ。
父は基本的には言動不一致の信頼できない語り手であるからして。
基本的な私に対する教育は、彼が雇ってきた教師であり、執事長であり。
ルノワール御父様を熱烈に信望する修道者や修道女、はては錬金術師まで訪れて。
実験って楽しいよねと口にしながら、時にはルノワール男爵本人まで参加して色々な事を学んだ。
素直に楽しかったな。
それは私以外に引き取られてきた子供達も同じだったのだろう。
すぐに、皆が男爵に懐いた。
愛を知らない子供たちだったから。
忙しい中でなんとか暇を作って、面会に訪れて普段やっていることをよく聞いてくれ。
自分はセンスがないからと、欲しいお土産を尋ねて、週に一度はそれを持ってやってくる。
何一つ不自由ない生活を与えてくれて、自分には子供がいないからと。
時に身体を抱き上げて、愛しいあの金壺眼で見つめてくれるのだ。
幸せにおなり、エミリアと。
あれだ、男爵は――御父様は知らないが。
望まれるなら、御父様の妻にだってなってもよい子だって沢山いたのだ。
ただ、まあ御父様の邪魔になるだろうなと。
それに、自分がふさわしいとまで言う度胸持ちは私を除いていなかった。
ルノワール男爵家の妻には相応の才能が求められる。
『あのルノワール』の妻としてふさわしい振るまい、格式、知性。
そして何より、母体としての優秀さだ。
ルノワールが愛により女を自ら見初めるならば良い。
それならば良いが、周囲が女を無理に押しつけるようなら、それは相応の女でなければと。
そんな雰囲気が貴族社会にあった。
子供時代は、あっという間の楽しい時間であったと思う。
周囲もそれに応じて時が経過した。
私と一緒に手を繋いで、ルノワール男爵家に来たメイド見習い、私の義母とも言うべき存在は。
一生懸命働いて、三代目のメイド長となって。
何度も周囲に縁談を持ちかけられながらも、その全て断っていた。
惚れてしまったのだ。
御父様に惚れてしまい、比較対象が御父様になってしまったのだ。
あれでは一生結婚ができない。
本人も御父様は難攻不落だと、最初から諦めてはいたのだろう。
身分の違いだってある。
それでも、惚れた男の側にいられるならまあいいかと。
献身という名の愛情を持ち、働いていた。
よくないな。
うん、すごくよくない。
御父様もよろしくない、それに気付いてやって、妻としてはともかく愛人でもなんでもいいから。
週に一度も褥を共にするお情けの一つもやるというのが、男の甲斐性ではないかな。
私はずっとそんなことを考えていた。
やがて、十四歳の時を迎えた。
世間で言う成人で、結婚はまだともかくとして、婚約相手は見つけなければならない。
社交界デビューであった。
御父様は公爵家に頼んで、無理して嫌いな社交界にも参加して。
必死に、私たち子供の婚約相手を探してくれた。
まあ、すぐに見つかったのだけれど。
そもそもルノワール男爵が一生懸命に育てた私たちを、妻として望むという男性は多かった。
私も、先公爵様が用意してくれた婚約候補と話をした。
人格者であった。
それは認めよう。
御父様との縁故や、財産目当てでは決してなかった。
それだけで性格の良さは保証されていたし、それに本人の才能もあった。
子爵家の家督をすでに継いでおり、結婚相手としては決して悪くなかったと思う。
ただ。
手が――そうだ、あの手だ。
ダンスのため、お互いに手を繋いだ瞬間に、私の総身に凄まじい嫌悪が私を襲ったのだ。
いくら人格者だからといって、じゃあ御父様と比べて目の前の男がそれに勝るか?
違う。
いや、能力の差なんて言い訳にすぎない。
私は御父様が好きなのだ。
御父様に手を繋いで欲しいのだ。
あの四歳の時に、閉じ込められていた社交も知らなければ、挨拶もおぼつかない四歳の子供の前に跪いて。
私の家に来て頂けますか、お嬢様と、丁寧に挨拶をしてくれた。
私は脳裏に、あの時の記憶がよぎった。
感情がはち切れたのだ。
電撃が総身に走った。
これは比喩表現では無くて、私と手を繋いでいた婚約候補もスパークして倒れた。
パーティーで騒ぎになり、父が必死に涙目で謝っていたのを覚えているが。
まあ、それはいいだろう。
あの婚約候補は、すでに他の女の子と婚約をし、近々結婚も予定しているのだから。
私の振る舞いについても説明し、まあルノワール男爵と比較されたら仕方ないさ、とあっさり納得してくれた。
御父様には劣るが確かに良い男だったので、まあ私と一緒に育った別な女の子は幸せになれるだろう。
だから、とにかくよいのだ。
問題はここからだ。
「どうすれば御父様の妻になれる?」
難関だった。
努力はした。
体当たりの告白である。
最初はてんで御父様は相手にしてくれず、苦笑するばかりであった。
子供の頃はそういう間違った恋愛観を抱くものだ、初心期だしなと。
しかと十四歳の成人した私のことを、本気だと何一つ受け止めてくれなかった。
私は今すぐにでも御父様と褥を共にしたいのにだ!
仕方ない。
こうなれば実力行使だ。
私は御父様のベッドに潜り込んだり、キャミソール一枚で迫ったりした。
御父様は苦笑いするだけであり、こう言い捨てた。
嫌われたくないと。
自分の妻なんて、絶対に苦労をするにきまっている。
そして、いつしか愛した娘であったエミリアは、私の事を嫌いになるだろうと。
それはとてもとても恐ろしいことだよと。
とても臆病な本音を告白した。
お馬鹿さんだった。
私の敬愛する父親は、とんでもないお馬鹿さんだった。
そんなの百も承知で挑んでいるのだ。
私は、御父様が私の事を愛していると言ってくれれば、きっと天にも昇る気持ちになれる。
だから、一人の女の子として愛して貰いたいのだ。
何か、私の事を全て理解して貰うための。
総身に至るような、一瞬、だけど閃光のようなスパーク。
強烈な一撃が必要だった。
だから、御父様の元後見人としてたまに家にやってくる、先公爵夫妻にお願いをした。
「御父様に相応しい女になりたいのです。だから、それに値する教育を与えてください」
と。
要するに、ルノワール男爵の妻として相応しくあれば、誰にも文句は言わせない。
御父様の懸念なんて、反論なんて価値なきものになる。
先公爵夫人はこう仰った。
「なれば、我が公爵家の教育を貴女にたたき込みましょう。誰にも笑わせないくらいの。覚悟はよろしくて?」
私は頷いた。
それから厳しい教育の二年間が始まった。
元々学んでいた礼儀作法や家内のまとめ役としての在り方をより厳しく、そしてそれ以上にだ。
私の持っていた電撃魔法の素質を生かすための、厳しい訓練が始まった。
「ライトニングプラズマ。これこそが私が旦那を捕まえた秘術です」
訓練はとても厳しい物ではあったが、最後には公爵家に伝わる秘術すら教えて貰った。
これで御父様を仕留めるのだ。
責任感の強い人だ、褥を共にしてしまえばゴチャゴチャ言わないだろうと。
それは誰もが知っていたから。
だが。
それはそれとして、本音で私を好きになって欲しいのも事実。
はて、御父様が本当に私を受け入れてくれるにはどうしたらよいのだろうか?
ずっと悩んでおり、尋ね、そして回答は出た。
「枢機卿さえ倒せれば夢は全て叶うのね」
右ストレートを、サンドバッグに打ち込んだ。
結局はあの聖職者の存在がネックなのだ。
真っ正面からいって、ストレートでぶっ飛ばす。
大変に険しい道だ。
非常に困難である。
だが、その困難を乗り越えてこそ公に覚悟が示せるものではないか。
「チャンスはあるわ」
公爵家の秘術であるライトニングプラズマ。
これで動きを止め、ノックダウンを奪う。
教皇聖下がお決めになった素手同士での決闘裁判における新ルール。
これによればテンカウントで起き上がれなければ負けとなる。
それは私にとって有利だった。
純粋な実力差では負けていようが、そのルールならば私にも勝ち目がある。
「お父様、見ていてくださいまし。エミリアはきっとやりとげますわ」
そうしたら、義母であるメイド長も交ぜて貰おう。
私に対して優しくしてくれたことに、しかるべき報酬がなければ嘘だった。
あの小石ちゃんも見目が良いから、交ぜてあげてもいいな。
ルノワール男爵家の大規模な経営を支えるには、血族が多い方がよい。
「やる気がぐんぐん湧いてきましたことよ!!」
私は体中に電撃を走らせて、またサンドバッグに拳を打ち込んだ。
愛という名の稲妻が、また私の身体から迸った。