ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
一週間が過ぎた。
色々な修行をしたが、とりあえず何の成果もない。
魔力はゼロのままである。
「ふむ、まあわかってはいたが、予想通りの結果を得られた。ゼロからイチにすることは何事も難しいようですな」
だがルノワール男爵は特に失望した様子を見せず、むしろ結果に満足さえしているようであった。
カルテらしき紙を木板に貼り付けており、何やらペンで書き込んでいる。
「要するにだ、筋繊維に負荷を与え破壊することで、筋肉を鍛えられる。壊れた筋肉は超回復を起こし、より強靱になって蘇る。人体の神秘というやつですな。これを魔力という物に置き換えるとすれば、そもそも筋繊維が無い以上は負荷をかけることも鍛えることもできない。当たり前ですな」
当然の結論である。
そう言いたげに、ルノワール男爵はその結論をカルテに書き留めた。
「というわけで、シゼル嬢には魔力を鍛えることに再現性がないことが明らかになった。これからの話が大事なのですが」
「はい」
素直に頷く。
ここまではわかっていたことだ。
重要なのは、以前に伺ったように、ここから先の話で。
「すでに王様には報告した。これにて世間にシゼル嬢の――病名? とすべきかはわからないが。仮定で名付けるならば『魔力欠乏症』を治療することが公になるわけだ。貴女はこれから少し有名人となってしまい、申し訳ない気もするが――」
「覚悟の上です。最初の患者になれることを誇らしく思います」
命を救ってもらった恩人に、これから治療までしてもらうのだ。
文句は言えないし、自分が少し患者になることで有名になるぐらいは甘受すべきだろう。
素直にそう思えた。
もし治療が成功すれば、本当に歴史書に名を残すことになるだろう。
それはそれとして。
「質問があります」
挙手をする。
ぴし、と礼儀正しく手を挙げた。
「どうぞ」
「結局、魔力とはなんなんでしょう? 体内エネルギーであるという説明は以前に受けました。では、筋肉のように筋繊維が何処かにあると?」
「ふむ、そこはなんとも。私は以前に犯罪者の検体を何体か解剖し、教材として医学書を書いたことがありますが。何一つ特別な構造は見つかりませんでしたな」
てんでお手上げ、といいたげに男爵は両手をひっくり返して見せた。
「別に魔力を生み出すための筋繊維やら、脳の特別な肥大やらは発見できませんでしたな。解剖する限りでは魔力が強い人間も、弱い人間も、全く人体構造に差異がありません」
「では、どこから魔力が」
「きっと、私より頭の良い人間がいつかはっきりした真実を見つけるとは思いますが。私が推測するに――体力でも精神力でも無くて、血統の良さが魔力の強さを受け継ぐことが現実に明確である以上は。おそらく血液ですな。これが魔力の源で、そこに特別な要素がある」
血液。
私の体内にもドクドクと巡っているものだ。
だが、私に魔力は無い。
「血の繋がった父も母も、魔力が弱いわけではありませんでしたが――」
「これは与太話なので適当に聞いておいて欲しいんですがね。子の顔は親に似ます。また能力も引き継がれることが多い。ありとあらゆる生命体には機械と同じく、設計図というものが存在します。これを仮に遺伝子と呼びましょう。血を繋いでいく重大な設計図です」
「はい」
やけに具体的な与太話だな。
遺伝は母から教えてもらったので知っている。
そもそもルノワール男爵が作物の品種改良にあたる際に、錬金術師と相談の上で提唱した理論だからだ。
「その遺伝子という設計図は品種改良によって、たとえば植物であれば病気に強くなったり弱くなったり。実る穂の量が増えたり、糖度が上がったり。まあ私は錬金術師のような専門家ではありませんが、理屈としては承知しています。その遺伝情報には、血液の決定という物も含まれておりまして。上級貴族と平民とでは文字通りに血液の成分そのものが異なるのではないかと、そう推測しています」
「その――いわゆる青い血(ブルーブラッド)というやつですか? 貴族には特別な高貴の血が流れていると?」
「王や公爵や辺境伯といった上級貴族は、性格が性格ですので。その呼び方は洒落臭くて嫌がるでしょうが。事実上、生命体として平民より超越しているのは事実ですな」
まあ、嫌いだろうな。
むしろ青い血どころか、平民と何も変わらん赤い血潮が我らには流れているとか口にしてしまう性格だろう。
全員が全員して、そういう価値観で生きている。
なんでウチの国の上級貴族は私のクズな父親と違い、妙に善良なのだろうか。
少し血の気は多い蛮族風味だけれど、まあ茶目っ気だろう。
「さて、まあ推測から結論を導き出すとして。やはり遺伝で何らかの構造異常が生じて、シゼル嬢には魔力が無い。あくまで仮定ですがね。そうすれば納得がいく」
「なるほど」
理解した。
となると、これは――本当に残念だけれども。
「治療するのは無理なのでは?」
私はそう結論を出してしまう。
遺伝を治すなんて方法を聞いたことはない。
仮にあるとすれば、遺伝と遺伝の交雑で、子供に期待するしかないし。
その子供に魔力が無い可能性を恐れて、私は嫁にいけないのであって。
これではもう袋小路である。
どこにも脱出口はないではないか。
「まさか!」
だが、ルノワール男爵は笑い飛ばした。
大した問題でもないと言いたげに。
「ならば遺伝子を治療すれば良いだけのことです。解決策は見事に見つかりましたな」
あっけらかんと、対症療法は見つかったと。
そう言いたげに、まるで小さな女の子を揶揄うような笑みであった。
「その、私は専門家ではありませんが、難しいのでは? 私を構成する設計図を書き直せ、と言われているようなものでしょう?」
大分困難が予想されると思うのだが。
いくら名のあるルノワール男爵でも無理難題ではなかろうか。
「確かに難しいでしょうな。これから数年がかりで治療法を見つけなければならないかもしれません。ですが、諦めるにはまだ早い。治療は始まったばかりです」
男爵がカルテを閉じた。
そして、私の目を真っ直ぐに見つめて胸を張る。
「魔力の遺伝子の働きを修正・補完する治療法はまだ発見できませんが、ウチの研究所の錬金術師たちなどは深く興味を示していましてね。良い機会だ、農業の品種改良における新発見にも繋がるかもしれないと、多額の予算投入の準備もすでにできています」
私は素直に感心した。
男爵は、患者に対しては常にこうやって自信満々なのだろう。
それは絶対の自信が、背景にあるからではない。
きっと――
「私に任せなさい。なあに、今頃過去の症例を枢機卿が探しているところなので、案外治療法の発見は早いかもしれませんよ? もうすでに治療法があった、なんてオチかもしれませんね」
患者を励ますために。
ただそのために、不敵な笑みを浮かべ続けるのだ。
嗚呼、素敵な人だなあと。
「わかりました。全てお任せします」
私は不覚にも、男爵に男性としての頼もしさを感じてしまった。
心のときめきという奴だ。
これはメイド長やエミリア嬢が惚れるのも無理はない。
今の私に恋などできるわけないのにな。
私は必死に、自分の心臓の音が鳴り止むように祈った。
そして。
この時、治療法がこれから一週間後にはすぐさま発見されるとは。
まさかの男爵や私とて、思いもしなかったのであるが。
さて、問題は本当にそこからだった。
ここからその治療法の発見されたことに対する騒動と比べて。
この時を思い起こせば、本当にまだ平穏だったと言わざるを得なかった。