ルノワール男爵の憂鬱   作:道造

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第十八話「口火を切る」

 

 沈黙が、枢機卿の執務室を覆い尽くしている。

 眼前には、文を持ってきた司祭が立っている。

 彼もこの内容はすでに読んでいる。

 調べた。

 用いる能力の限りを尽くして、自分の管理する司教区はおろか。

 それこそ文を他の枢機卿にも送り、魔力欠乏症なる迫害を我々の拳にて、この世から根絶するのだと。

 大言壮語を叩いて、誰もが賛意を示した。

 すでに教皇からも許可を得ている。

 それは格段に良い。

 誰もが聖職者として相応しい回答を示してくれたのだ。

 すでに流行病を根絶したルノワール男爵の来歴。

 腐って薬効が劣化せぬように溶かした砂糖で包んだ治療薬を、各国に配った過去の経緯もある。

 外国では鼻つまみ者だった、異端者や錬金術師を当司教区にまとめた経緯もある。

 過去のルノワール男爵に対する恩義も感謝も大変にあり、非協力的な者など誰一人としていなかった。

 私は聖職者が一丸となって問題の解決にあたった事を、誠に誇らしく思う。

 問題はだ。

 

「……これをルノワール男爵に教えろと?」

 

 ただ一つの問題はだ。

 魔力欠乏症なる問題に対して、治療法らしきものが同時に発見されてしまったことだ。

 今までその治療法が謎だった理由もわかる。

 わかるが、だ。

 これは修道院にとって、聖職者にとって、とんでもない醜聞である。

 男爵に対して、どうか事実は遠回りに教えて欲しいとの事だった。

 最初に治療された者についてはその名を決して明らかにせずに。

 どうか記録を消し去って欲しい。

 治療を受けた者は、すでに修道女から世俗に身を還俗していると、言い訳のように書かれていた。

 まあ、それは別にいいが。

 

「……」

 

 私は悩んでいる。

 別な枢機卿から送られてきた、修道院にとっては醜聞にも近い内容を。

 迫害を根絶――まではともかくだ、少なくとも半分は確実に今すぐ救うことができる。

 その解決策を、男爵に教えるか悩んでいる。

 

「少し考えさせてくれないか?」

 

 メリットとデメリットをだ。

 男爵にこの情報を開示することで得られる物と、失う物について。

 私はよく考えてから判断すると、目の前の司祭に告げた。

 

「枢機卿、お気持ちは分かりますが……」

 

 司祭はルノワール病院の、修道院としての役目の部分。

 聖職者が、信仰を深める修行の場とする本来の務めを果たすことの担当をしていたが。

 いつの間にやら、それだけではなくルノワール男爵の補佐役も務めている。

 

「私は男爵に真実を告げますぞ。虚偽を吐くことは信仰上、許されていないがゆえに」

 

 彼は男爵と信仰に忠実だった。

 それは私にとっては普段褒め称えるべきだったが、この状況では少し困った。

 私は引き留めた。

 

「待て、よく考えろ。聖職者としての醜聞云々はこの際良いが……」

 

 それは良いのだ。

 恥は私が掻けばよい。

 男爵の名誉を守るためならば、火に焼べられても首を吊られても何一つ怖くはなかった。

 贖罪主は私が信仰を守ろうとしたことを、全てご存じでいらっしゃるからだ。

 繰り返すが、問題はだ。

 

「大事なのは、メリットとデメリットだ!」

 

 それを考えよう。

 メリットは大きい。

 まずは教会が関与し、治療法をすでに発見しており、魔力欠乏症への問題を根絶に近づけることについて。

 とても大きなメリットだった。

 少し真実を明らかにすると、ははあ、聖職者の方々も、実は『世俗の行い』がお嫌いではないようでと。

 恥を掻くことは特段のデメリットではない。

 本当のデメリットはだ。

 

「その、シゼル嬢だったか? 名前に間違いは無いか?」

「はい、間違いは何一つ」

 

 司祭が答える。

 名前を間違えるのは大変な失礼だ。

 問題は、そのシゼル嬢が。

 

「その、なんだ。ルノワール男爵とは出会って二週間にも満たぬはずだな? 間違いないな?」

「はい、確かに」

「では、シゼル嬢が、男爵に懸想しているなどという事実はあるまいな?」

 

 私は問う。

 司祭は目を逸らした。

 何故だ。

 

「たった二週間の関係であろう?」

「はい、たった二週間の関係でありますな。シゼル嬢と男爵は。もちろん、男爵は彼女のことをなんとも思っていないでしょう。一人の患者として扱っております」

 

 ほっ、と溜め息を吐く。

 少しだけ安心したが、すぐさま言葉の槍を投げつけられる。

 

「ですがまあ、男爵は人の心に入り込むのが得意な御方。それは枢機卿が誰よりもご存じでしょう。自分が自害しようとしたのを、ナイフで貫かれるのも恐れずに掌を犠牲にして、止めに入り。自分への病に対する迫害の様子など見せず、理解を示し、君を迫害から守ろう、君の病を癒やそうと口にする彼に好意を持たずにいろと言うのは」

 

 無理があるのではないかと。

 そう司祭は残酷な現実を口にした。

 

「……」

 

 十五歳の乙女は惚れっぽい。

 年頃の娘だ、仕方ない。

 そうでなくても、相手があのルノワール男爵だ。

 私は溜め息を吐いた。

 

「つまりだ。真実を明らかにした場合に、患者が望む治療法について。セラピーについて、ルノワール男爵による集中治療を求める可能性が高い」

「まあそうでしょうな。かかりつけの医師ですし。相手がルノワール男爵なら、シゼル嬢に上手いことやりやがってとは口にする輩こそいても、侮蔑をする者などは一人とておらぬでしょう」

 

 司祭も溜め息を吐いた。

 お互いに、溜め息など吐いている場合では無い。

 私は怒号を上げた。

 

「ならば、問題ではないか! この治療法を男爵に伝えるわけにはいかん!」

「枢機卿、そう言われましても、もう遅いのです」

「何が遅い!」

 

 この他の枢機卿から送られてきた文など燃やしてしまえばよろしい。

 その悪意ある判断に手を染めないわけでもない。

 少し時間はかかるだろうが、男爵ならば別な治療法をしかと発見するだろう。

 その頃、シゼル嬢は結婚適齢期を過ぎているだろうが、かえって好都合だった。

 

「すでに王が、こちらに向かってきていると報告が来ました。前触れは先ほど突然に」 

「筋肉脳みその世俗王ルートヴィヒ! その落とし子の、啓蒙主義かぶれめが! 碌な事をしない!!」

 

 馬の蹄の音。

 それが表から聞こえ、複数のブーツの音が玄関に響いている。

 雄叫びのような挨拶。

 

「ジョバンニ枢機卿! おいでなのは知っているぞ! 治療法が見つかったそうではないか! いやあ、めでたしめでたしであるな!!」

 

 ご機嫌の声であった。

 ズカズカと、遠慮の無いブーツの音が響き、私室のドアが開かれる。

 そこには、超ご機嫌な現王ヴィルヘルムの姿があった。

 

「何もめでたくはない! 何の話だかな!!」

 

 私は知らぬ素振りを少しだけ試すが。

 

「全てだ。全てを聞いたぞ。聖職者とはいえ、口が軽い者はおるものよ! 銀貨三十枚で、贖罪主を裏切るような聖職者など、探せば何処にでもおるものだなあ! 実に愉快よ!!」

 

 ゲラゲラゲラと、品のない笑いを現王が行う。

 私は激怒した!

 殺してやろう、この啓蒙主義かぶれめが!!

 

「表に出ろ! この下郎が!!」

「ほう、拳闘か。父のリベンジを子が果たすのも面白いが、すまんがルノワール男爵に真実を告げる方が、もっと面白かろう。我が師がどのような決断を下すか、今から楽しみだな」

 

 そういって、さっさと踵を返そうとする。

 この卑怯者め!

 世俗の豚めが!!

 

「待て!」

「その言い方は相応しくないな。もっと丁寧に言いたまえ」

 

 豚は言い直しを求めた。

 私は畜生、と漏らしそうになりながらも。

 信仰の深さゆえに、なんとかそれを堪えた。

 

「プリーズ(どうかお願いします)。現王ヴィルヘルム。真実を解き明かしたのは、私たち聖職者であるがゆえに、私たちが男爵に全てを告げます」

 

 屈辱だ。

 とんでもない屈辱である。

 

「良かろう」

 

 ぱあん、と景気よく現王ヴィルヘルムが手を大きく叩いた。

 十五歳の餓鬼風情が、事実上の師にあたる存在がルノワール男爵だからといって浮かれよって!!

 自分も男爵と同じく、万能だと勘違いしている啓蒙思想かぶれめが!

 

「では、さっさと行け。いやあ、ルノワール男爵が、我が師が、どんな判断を下すのか実に楽しみだよ」

 

 愉快だ。

 まさに愉悦ぞと言いたげに、現王は口にした。

 私は不満や屈辱を吐き出す前に。

 

「司祭、馬車の準備を」

 

 現王に全てを明らかにされる前に。

 デメリットを覚悟で、私は男爵に全てを告げることにした。

 少なくとも、魔力欠乏症として修道院に入った修道女が。

 どうやって症状を回復し、還俗し、とある貴族家に妻として迎え入れられたか。

 その全てを。

 明らかにするのは、誠に屈辱であった。

 今はどうかルノワール男爵が正しい判断をしてくれることを、祈るしかなかった。

 

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