ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
「というわけで結婚しましょう、ルノワール男爵。私の全てをあげます」
一歩前に出て結婚を申し込む。
男爵がたじろいで後ろに下がる。
ならば、私が更に二歩を詰め寄る。
これはプロポーズなのだ。
真剣な告白をしている。
「別に本妻にして欲しいとまではいいません。男爵にとって、私に親族がもう事実上おらず紐付き娘でないことは、逆に都合がよろしいでしょう。それに見目も良い自覚があります。魔力にはまだ目覚めたばかりですが、これから努力します。ですから、私をお嫁さんに貰ってください。良い妻になるつもりです」
なれど。
「お断りする。二十歳も若い子供に手を出す気はないのでね」
けんもほろろ。
私のプロポーズを一蹴して、嘆息した。
何故断るのか、それが分からない。
「別に私の見目が嫌いというわけではないんですよね? エッチな気分にはなってくれるんですよね?」
「十二分に美少女だと思うし、正直に言えば性欲も湧く。木石じゃあるまいし。すでに添い寝の時にも口にはしたが」
では、いいではないか。
たとえ男爵に、どれだけ倒錯した性癖があってもお付き合いする覚悟でいるのだ。
メイド長みたいな変態だとしてもお付き合いしよう。
繰り返すが、メイド長ぐらいの変態レベルまでなら我慢するつもりなのだ。
それは十分な覚悟だろう?
それこそ墓の中までお付き合いする。
だが、その覚悟を男爵には分かって頂けないようだった。
「だが、十五の子供を騙しているようで気分が良くない。その言葉を真面目に受け取るわけにはいかないね。きっと将来は後悔する。十五歳の時なんて、自分がどれだけ世間知らずでいたかを理解しているから」
「……」
ルノワール男爵の十五歳の時と言えばだ。
知りうる限りでは、亡き両親の仇討ちをするために、一心不乱に流行病の治療法を探していた頃で。
それも今の少し疲れた様子ではなく、ほとんど無敵モードに近い時だったと聞いている。
なんなら、辺境伯を救うために初陣をしたのは、その一年前の十四歳だ。
「その頃は世間知らずだったんですか? 十分に成人としての責務と自覚を果たしていたのでは?」
「少なくとも浮かれてはいたね。そんな私のために付き合ってくれた人には感謝しかないから、過去を貶すようなことは口にしないが。私個人でいえば、そりゃ本当に世間知らずだったね。なんであんなに無茶をやっていたのだろうか」
貴方の世間知らずは、その無茶が世界を変えたがな。
井の中の蛙という言葉があるが、それは何も蛙が大海に通用しない証拠にはならない。
天井を知らないからこそ羽ばたけることもある。
男爵はあまりにも無謀すぎることに挑戦し、ついに流行病の治療法という結実に至ったのだから。
いくつかの外国などは、この功績に対して男爵に爵位を贈りたいと申し出たほどだ。
男爵は丁重に返事の手紙を返し、忠臣は二君に仕えないものだと断ってしまったらしいが。
ともあれ、そんな十五歳の情熱がやはり血迷った行動だとは思えない。
むしろ、より思慕は強まった。
私は男爵に境遇を救って貰ったし、病気を治して貰ったし、本気で恋をしている。
もう、嫁ぐにはあまりある理由だった。
「絶対に私は後悔しませんよ。なんなら王の目の前で誓約をしましょうか?」
「貴女の今の本気はわかっている。それは別に疑ってない。ただ、シゼル嬢とは出会って一ヶ月も経っていないのでね。きっと心変わりをするだろう。そしていつしか、後悔をするだろう」
恋愛期間の短さが心配なのだろうか。
いや、ただの言い訳にすぎない。
結局、男爵は逃げているのだ。
「一目惚れをして、僅か五日で心中をするカップルだって世の中にはいますよ。やってみますか」
私は言い募る。
脅迫に近い言葉も添えた。
だがやはり、男爵は首を振った。
「その……なんだ。ちょっと怖いことを言われたが。とにかく、私には君の覚悟を本気だと受け取れないのだ」
「どうして?」
私は、不思議を口にする。
どうして男爵はここまで頑なに、私の覚悟を否定するのだろうか。
枢機卿の後継者になってもよい。
それは今後の一つとして考えているだろうが、別に貴族社会のことが嫌いでもないのだろう。
その本音は分かっているつもりだ。
本当は誰か嫁を娶って、跡継ぎを作って、貴族社会に本格的に復帰するのもアリだと考えているはずだ。
だがしかし。
「私から見て、君が本当に子供に見えるから。あれだ、子供には無限の可能性がある。何もこんな、しょぼくれた三十五歳のオッサンにこだわらなくてもだ。よいだろうにと考えてしまう」
どうしても、男爵はどこか自分を卑屈に見ていた。
金壺眼の容姿、中肉中背の背丈、まあ見てくれが美麗とは言えないが。
それに対する引け目ではないだろう。
そうではないだろうが、何故だか知らないけれどだ。
「私の存在が、エミリアの、シゼル嬢の、そしてメイド長の将来に対する選択肢を狭めている気がして……」
あくまで、私たちに対して『男爵側が』相応しくないだろうと。
驚くことに、本気で大真面目にそう考えているのだ。
呆れた。
もう完全に手遅れになっている人が一人いるだろうに!
「メイド長はもう二十五歳なんですよ! 今更将来うんぬんを口にしてどうするんですか!!」
「分かっているつもりだ。その、分かってはいるんだ! 本当に! だが、正妻もいないのに平民出自の彼女を囲うわけにも行かなくて……メイド長を何度も説得したが、彼女も頑として譲らず、そのままだ」
ああいえば、こういう。
ああ、もう。
「今すぐ、エミリアさんと私と、メイド長をお嫁さんにしてください! ここで逃げるのは男らしくないですよ! それとも三人がかりで襲いましょうか!?」
私は迫る。
ぐい、と覚えたての魔力を込めた手で、男爵の腰に両手を回した。
しがみついて離さない。
私一人だけでは男爵に敵わないだろうが、ここでエミリアさんを呼んでもよいのだ。
「……男らしくないか。まあ確かにそうだ。仰ることはごもっとも。特にメイド長に対しては、まあ後悔している。まさか、ここまで粘り強いとは……」
はあ、と溜め息をつく。
そして、男爵は観念したように、こう口にした。
「一年だけ待てるかね?」
「はい?」
どういう意味だろうか。
私は首を捻り、その真意を掴もうとして。
これでは説明不足だろうと、男爵はそのまま続けた。
「その、君は閉塞的な家庭に今までいた。だが、これからは自由だ。少なくとも、自由恋愛を楽しめる立場なんだ。一年かけて、自分の惚れた男を捜してみたまえ」
「だから、もう目の前に――」
男らしくないですよ!!
この言葉は男爵に効果的だと、薄々気付いている。
だから、更に同じ言葉を続けて口にしようとしたが。
「一年後、君が私の事を本気で好きだと言ってくれるのならばだ。私も観念しよう。君を正式に妻にしよう」
掌を返した。
男爵は滅茶苦茶男らしい回答をした。
「私でよければ、まあそれなりの旦那になってみせるつもりだ。後悔させないように努力しよう」
「あの、その――エミリアさんは?」
私は、それこそ自分の恋が成就することは嬉しいが。
それはそれとして、自分のことを小石ちゃんと呼んでくれる彼女のことが気になった。
正妻になるとすれば、公爵家と縁がある彼女の方が相応しいだろう。
序列は弁えているつもりなのだ。
「まあ、自分の義娘が何処まで本気なのかわからんだろう?」
「本気で好きなんだと思いますが……やはり、枢機卿に一当てさせるつもりで?」
「枢機卿には誠に申し訳ないが」
おそらく、男爵の本音は勝つか負けるかの問題ではなく、彼女がどこまで本気かを見定めたいだけなのだろう。
「分かりました。委細承知しました。私は一年待ちます。エミリアさんは枢機卿に挑みます。メイド長は?」
「彼女が良いと言ってくれれば、まあ貴族の正妻を作った後にだが、男の責任は取るつもりだ」
男の責任。
非常に良い言葉だ。
とてもとても良い言葉だと思うな。
「わかりました。メイド長、責任をとるらしいですよ」
廊下の影から見えていた半身をひょっこりと出して。
「あの、本当に? 誓ってくださいますか?」
誠に疑わしい、という目でメイド長が男爵を見た。
「男の、淑女に対する約束だ。待たせてすまない」
男爵がぺこりと頭を下げて、詫びた。
メイド長が、窓に駆け寄って。
「執事長! 今すぐ来てください! 男爵との婚姻誓約の、公証人になってくださいまし!!」
すぐさまに公証人を求めた。
言質を得た瞬間、逃げ道を塞いだのである。
あれだ、メイド長。
男爵がここまで男らしいことを言っているのに――うん、まあ、それでも長いこと待ったのだろうからいいかと。
私は男爵に抱きついたまま笑って、執事長が公証人としてドタバタ走ってくる音を聞いた。