ルノワール男爵の憂鬱   作:道造

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第二十九話「次の教皇は?」

 

「負けていられるものか! なんとしても貴族社会の邪悪な企みなど打破してやるわ!!」

 

 執務室にて、声を張り上げた。

 あのような世俗の豚共に、ルノワール男爵の積み上げてきた功績を台無しにされるわけにはいかん!

 私は対抗心を燃やしたが。

 

「別によろしいではないですか。その、正直跡継ぎがいなければ困るのです。血を分けた後継者がいなければ、病院の運用も、男爵家の商売も立ち行かなくなりますので。それに、そこまで枢機卿にとって困った事態ですか? よくよくお考えください」

 

 司祭が私を諫めるように、これはこれでよかったのだと。

 おそらく本気で口にしてはいるのだ。

 その意見を全く聞かないわけではない。

 

「貴族の聖職兼任など珍しくもありません。有力貴族の次男や三男が、家領の確保や教皇庁への影響力を狙って枢機卿になることなど本当に珍しくもない。そもそもジョバンニ枢機卿自体が、とある選帝侯家の次男坊ではありませんか。枢機卿がその気になれば、そしてルノワール男爵の今までの貢献を考えればです。貞潔を失っても、大司教との兼任は可能なのでは……。その子供に枢機卿の座を、更に引き継ぐことも。ここは貴族社会と和解をですね」

「そのように小さなスケールの話をしているのではない!」

 

 私の単なる後継者としてならば、それでもよかった。

 それでも構いはしなかった。

 だが現状は異なる。

 

「というと?」

 

 何も分かっておらぬ司祭に告げる。

 

「確かに貞潔は大事だ。だが同時に童貞でなければ枢機卿にはなってはならぬという教義だってどこにもない。子供は跡継ぎとして認知しつつだ。独身制のもとに、子供は作りつつも妻帯はせぬという建前さえ維持してくれるならば問題は無い。卑劣なやり口ではあるが……」

「では、その話をすぐヴィルヘルム王と話して和解をすべきでは。先王ルートヴィヒよりは話の通じる相手でしょう。子供は作ればよいし財産の相続も良いが、妻帯だけはさせてくれるなと」

 

 全く以て何もわかっておらぬ。

 私は呆れた。

 だが確かに司祭には詳細を何も説明していない。

 溜め息を吐き、私はスケールの違う話をする。

 ルノワール男爵が辿り着く予定だった地位の話だ。

 

「すでに私の後継者云々だけの問題ではない。私の司教区を彼に、男爵に引き継いで貰う。それだけでは済まぬのだ」

「というと」

「教皇が辞任されるつもりであることは知っているな?」

 

 私は一応の確認をする。

 今の教皇はすでに高齢である。

 常々に身体の節々が痛み、自分は役割を終えたと口にしている有様だ。

 

「はい、それはしかと。この様子では、下手すれば辞任よりも亡くなられる方が早いかと。混乱を避けるためには、近いうちに辞任されるほうがよろしいかと思いますが……」

「そうなれば、次の教皇は誰だ? それだけの知名度と貢献のある者は、教皇選挙に確実に勝ち抜ける候補は何処に? 司祭はどう考える?」

「はて、私にはそれは――」

 

 司祭はひとまず首を捻り、有力候補を幾つか並べようとしたが。

 すぐに私の意図に気付き、目を見開いた。

 

「まさか――」

「そのまさかだ。現教皇は、そして帝国中の各枢機卿はこの際、ルノワール男爵を正式に聖職者として受け入れようとお考えなのだ。知っての通り、彼は流行病の根絶に貢献した。多くの人々に幸福を与えた。そして人品卑しからず貞潔であることは誰もが知っている」

 

 つまりだ。

 もうほぼ本決まりだったのだ。

 来年にも内定は決まっていた。

 確かに男爵は正式な聖職者ではないが、表向きにはルノワール病院の司祭と同様の扱いになっている。

 

「次の教皇はルノワール男爵ならば別によいではないかと、誰もが内心で考えている。少なくとも三分の二程度の票を集めるぐらいならば簡単であろう。慣例を大事にし、野心は抱かず、そして個人としての人徳は申し分ない。誰も現状維持には困らない。他の何処に候補がいるというのだ。彼が次の教皇になればよいなと考えているのは、身辺が清潔な聖職者であればあるほど珍しくない」

 

 もう、聖職者界隈ではそういうことになってしまっているのだ。

 今更ルノワール男爵に足抜けをされると困る!

 

「その、もしルノワール男爵が貴族社会に戻れば?」

「当然ながら、最有力の教皇候補がいなくなったのだ。何が起きるのかは私にも読めない。教皇とならば枢機卿の任免権を自由に行使できる。貴族社会に対しても密接な関係と影響力を持っている。まあルノワール男爵がやるならば別に良いが、彼がその手を上げぬならばだ。隠していた野心を燃やす貴族の聖職兼任者が、さきほど司祭が述べていた貴族の次男坊や三男坊だって何をするか分かった物ではない」

 

 司祭が額から汗をたらした。

 なにぶん想像の余地もつかない話だったのかもしれないが。

 

「ハッキリ言おう。教皇権争いで戦争や抗争の一つや二つが起きても何の不思議でもないのだ」

「馬鹿な! 聖職者同士でそのような!!」

「司祭も先ほど、私の事を選帝侯家の次男坊と口にしたばかりであろうが! 貴族社会のしがらみから完全になど逃げ切れぬのだ! わかれ!!」

 

 とはいえ、私はちゃんと貞潔を守った。

 綺麗な聖職者という立場に、誇りがあったからだ。

 別にルノワール男爵にそれを強制するつもりはない。

 子供を作るのも別によい。

 妻帯者を名乗らずに、財産と貴族の役目の相続に止めて、私の跡を継いでもらうのはかねてからの念願であるが。

 なれど、なれどだ。

 それよりも大事なのは。

 

「教皇になって貰わねば困る! 誰が困るって、それは私ではないのだ。聖職者界隈と、戦争に巻き込まれる無関係の人達が困る! 話のスケールが全然違うのだ!!」

 

 どうしよう。

 本当にどうしよう。

 私は珍しく狼狽えた。

 なんだかんだ、世の中は私の都合の良い風に向かうと思っていた。

 だって男爵だって三十五歳じゃないか、さすがにもう跡を継いでくれるだろうと。

 そう考えてもおかしくないだろう?

 

「ど、どうしましょう」

 

 ようやく状況を把握した司祭が狼狽えるが。

 どうしようもない、状況は最悪だ。

 確かに、ルノワール男爵にとっては、いや、この王国の貴族社会にとってはだ。

 そんなの聞いてないし、私たちには何の関係もないからと。

 そう強弁して知らない振りをしてしまえることかもしれないが。

 

「……」

「……」

 

 私たち聖職者はそれだと凄く困るのだ。

 司祭はぽつり、と呟いた。

 

「……邪魔をしますか?」

「というと? 先に言っておくが、毒と短剣は無しだ」

 

 それだけは有り得ぬ。

 卑劣なやり方に手を染めたことはないし、これからもそのつもりはない。

 大体、そのような企みがバレれば、ルノワール男爵は心底私を軽蔑するだろう。

 それはある意味で自分の信仰を捨てるかのような恐ろしさだった。

 

「そんなことはしません。その、なんですか。邪魔をすることを含めて、二つ方策があります」

「というと?」

「一つは次の教皇候補を見つけることです。それこそルノワール男爵には及ばないでしょうが、知名度や実績が確かにあり、紛争や戦争が起きないような立候補者を後ろから盛り立てれば――まだ間に合うかと。何、ジョバンニ枢機卿やルノワール男爵には流行病の治療法を発見した事に対する、発言力というものがございます。本当に相応しい人物を見つけることさえできればなんとか」

 

 言いたいことはわかるが。

 それを今から探せというのか?

 本当に間に合うのか? それで?

 すでに聖職者界隈はルノワール教皇で確定してしまっていたのだが?

 

「それは今から試みるとしよう。二つ目は? 大体わかってはいるが」

「シゼル嬢や、エミリア嬢。彼女たちの方から断れば問題はないのでは?」

「無理だろ。確かに年齢差はあるが、本当に恋をすれば年の差なんて無意味だろう」

 

 それは無理だって普通にわかるよ。

 女の情念を甘く見てはならぬ。

 私は奇跡的願望に取りすがらないタイプの聖職者である。

 

「……では前者ですな。一応は後者も頑張ってみてください」

「やるけど。一応はやるけど」

 

 何かの間違いで、シゼル嬢やエミリア嬢が断ってくれないものか。

 一応は試してみるか?

 いや、それも、世俗の豚共のような行為をするのは躊躇いがあった。

 今頃、あのヴィルヘルムなる自分が賢しいと勘違いしている十五歳の現王は私が何か邪魔をするものと考えているだろうが。

 私にもプライドがある。

 毒と短剣など使わぬ。

 やるならば、公然と衆目の目がある中で思い切りたたき伏せる。

 あの小生意気な面をぶちのめしてやる。

 それでこそ教会の権威も保たれるというものである。

 

「……ルノワール男爵に、この話をすればだ。彼はなんというだろうか?」

 

 さすがに、教皇が内定しているといえば彼の事だ。

 責任を感じて、何があっても貞潔を守ることを選んだのかもしれない。

 それを考えると。

 

「……」

 

 この事態は良いのか悪いのか。

 彼を十歳の頃から知っている、内心では父親代わりを自負している私としてはなんとも言えなかった。

 彼が女を愛し、跡継ぎを作ること。

 産めよ増やせよ地に満ちよ。

 その選択を選んだことに、全てが不愉快というわけでもない。

 そんな複雑な心境があった。

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