ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
滅茶苦茶に痛い。
さすがに令嬢の命と引き換えにはできないから、まあ頑張ったけれど。
掌を刃物で貫かれると、そりゃあもう痛いよ。
大人でも泣き叫ぶよ。
というか、もうこんな傷は戦場でギリギリ許されて、咆吼と共にアドレナリンで強引に誤魔化す類いの痛みではないか?
平時だと熟練の騎士でも泣き喚くぞ、こんなの。
「落ち着いたか?」
だが、そうやって本当に泣き叫ぶわけにはいかんのだ。
騒ぎを止めようとして動いたのに、これ以上騒動を大きくしては本末転倒である。
理性が働いた。
そして怒りも同時に発動した。
なんだテメエ、誰がこの現状を引き起こしたよ?
シゼル令嬢か?
辺境伯か?
公爵か?
全部違うね、この名も知らんオッサンが悪いね。
なんでか表舞台で平然と自分の娘を罵って、パーティーを台無しにした阿呆が悪いね。
私はシゼル令嬢の父親に尋ねてやった。
「いらんのだな?」
「は?」
男は突然のシゼル令嬢の自殺行動、そして私がそれを止めた展開に呆気を取られ。
「おい、ボンクラ。耳が聞こえているか? いらんと確かに言ったよな。彼女のことをいらんと確かに言ったよな。確認したいのはそれだけだ」
懐剣の刺さったままの手。
あえて引き抜かぬ。
威嚇である。
この掌を刃と化して、間抜けの首元に近づけてやる。
指を伸ばし、馬鹿な父親の襟首を掴んでやる。
「このルノワールが聞いているのだ。速やかに答えよ」
「ルノワール! あのルノワール!?」
目を白黒とさせた。
私の名前は、この引きこもり男爵の名前は有名だ。
主に、この金壺眼であり、容姿整わぬ凶相についてであろうが。
「い、いえ、ルノワール男爵。私はそのような――違うのです」
何か言い訳をしようとしているが。
まあ、どうでもいい。
何と答えようが、返事が何であろうが、どうでもよい。
最初から無視するつもりでいるのだから。
「いらぬならもらうぞ」
「は?」
「こちらで貰い受けると言った。二の言は不要。本日この場にて、お前はこの令嬢を捨てた。誰が拾おうが文句はあるまい」
事態の解決をする。
それには、とりあえず問題を解決するしかあるまい。
この男は娘を捨てた。
娘は自害しようとした。
解決策は?
まあ、とりあえずウチで引き取って、問題解決策は王様に委ねるというのが一番である。
あとでこんな阿呆な貴族がいましたよって報告して、全て任せる。
私にはそれ以上のことは出来ないよ。
どうなっても、シゼル嬢には悪くないようにするがね。
吹き出る血液が、掌を突き出る刃の先が、男の襟首に当たっている。
それは十分な威嚇効果をもたらしたようだ。
「いいな?」
それだけ告げて、突き放す。
押しのけた身体はぺしゃりと尻餅をつき、シゼル嬢の父親とやらは視線をウロチョロとさせている。
周囲には貴族から蔑視の視線があった。
その中で、私はさっさと退出をすることに決めた。
これ以上は付き合い切れない。
お暇を頂こう。
「シゼル嬢、大変失礼ながら。御身を抱きかかえる名誉を頂けますでしょうか」
貴族としての作法。
ありとあらゆる騎士が儀礼として行う、まるでオマージュのように膝を曲げて。
血みどろの掌を彼女に捧げる。
「はい?」
はい? ではない。
いや、いきなりの展開で訳が分からないのだろうが。
ここは頷いたことにしておこう。
はいと確かに言ったではないかと。
紳士としての振る舞いではないが、ここは問題解決が優先される。
「失礼」
私は掌から剣を抜き取る。
血が吹き出た。
蝶紋章が、私の血液で汚れている。
おそらくはシゼル嬢にとって大事な懐剣であろうと推察し、投げ捨てるような真似はせぬ。
ハンカチを取り出し、懐剣の血を拭う。
「鞘にお戻しを」
私はシゼル嬢に懐剣を返した。
彼女はそれを素直に受け取り、鞘に収める。
それでよい。
懐剣を大事そうに両手で握りしめた彼女を、抱きかかえる。
「え?」
彼女は困惑するが。
まあ知ったことではない。
「許可はとりました」
そう強弁する。
困惑する彼女のドレスを血で汚すことになるが、仕方あるまい。
文句を言うなら代わりを買ってやればよいだろう。
幸い、当家は金にだけは困っていないのだから。
「当家の屋敷までご案内します。皆様、これにてルノワール家は退出させて頂く。今宵は誠に良いパーティーでありましたな! ホストの公爵様も、ゲストである辺境伯殿も、名誉が確かに保たれたことでありましょう。これからもご壮健であれ!」
適当に。
本当にテキトーでしかない祝福の言葉を述べる。
別にそんなことを言わんでもいいだろうが、そうやって締めくくらなければ問題は解決しない。
なんとなく良い感じで終わらせる必要があった。
私はシゼル嬢を抱えたまま、玉座の間を退出する。
拍手が起きた。
二人の手からだった。
何を拍手しているのだ、辺境伯と公爵。
おい、ハゲとヒゲ。
禿鷲辺境伯に美髭公。
そんなに私が滑稽で愉快か。
道化を演じてやった私に対する嘲笑の意味か。
いつだって損するのは下の者なのだ、畜生。
私は溜め息を吐きながら、シゼル嬢を抱きかかえたまま宮廷の間を立ち去る。
また拍手。
今度はルーカス君の両手からであった。
あの、貫かれた手が痛いから手伝ってくれない? という。
そういった泣き言を許さぬという拍手であった。
何故だか瞳を少年のようにピカピカさせながら、まるで尊敬するかのような目で私を見ていた。
段々と腹が立ってきた。
なんで私がこのような真似を!
「あの、ルノワール様?」
シゼル嬢の戸惑うような声。
すまないが、君に発言権はない。
自害を試みたのだ。
おそらくは父親へのささやかな復讐の意味を込めて。
それは理解しているが。
「今宵だけは、君の命は私の掌の中だ。すまないが、そうさせてくれ」
こちらだって立場というものがある。
ルノワール男爵としての立場だ。
なんか良い感じで今宵は終わらせて貰わねば困る。
復讐?
代わりにやっておいてやるし、今後もどうにかしてやるから。
とりあえずは大人しくしておくれ。
そういった意味を告げる。
「……はい」
返事は、ほのかに戸惑いが混じっているが。
よし、説得は成功した。
私は玉座から出口に繋がる赤い絨毯を一歩一歩踏みしめていく。
掌からは血が伝っている。
さっさと治さねば。
幸い、我がルノワール家は薬学には優れている。
どうにか後遺症もなく治せるだろう。
そんな、自分の傷について計算しながら。
「さっさと帰りましょう」
私は何故だが、辺境伯や公爵、ルーカス君だけでなく。
その場にいた貴族の殆どから万雷の拍手を背後に受けて。
そのまま馬車で、屋敷へと帰還することにした。