ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
「打撃か関節技か。フィスト(拳)とツイスト(関節)のどちらが強いか。それは格闘技において一つのテーマだ。互いにそのルールを専門とする格闘技者では、学んできた技術に対する誇りがある。おそらく、この議論は一生をかけても終わらぬだろうが」
城内の中庭にて、私と彼の人影がある。
彼はかつて王様だった、先王とも呼ばれる男。
名をルートヴィヒと言った。
私のトレーニングパートナーである。
「君はどう思う? エミリア」
「強い者が強いと思います。拳も関節も勝利に至るための手段にすぎません」
私は滑るように答えた。
考えるまでもない。
「どちらが高尚で花拳繍腿であるかなど、語る必要はありません。両方を学び、使える技術はなんでも使って良いと考えます。勝つためなのですから。私たちは精神修練のために修行しているわけではありません。ただ強くなるために鍛えているのです」
「うむ。よく理解している」
師父は満足げに頷いた。
私は言葉を続ける。
「東洋のカラテと言われる武術。先王様が使われる拳闘の技術。それがいわゆるストライキング(打撃)における技術体系であっても。東洋のジュージツと言われる技術。先王様が使われるレスリングの技術。グラップリング(投げ・組み技)の技術体系であっても――何ら変わりありません!」
私は張り裂けるように叫んだ。
「環境・ルール・場所、そのときその場に応じて。その者の使う技が何であったとしても、関係もない。最終的に立っている者こそが強い。勝てばよいのです。何を使おうが」
「そうだ、答えはそのようにシンプルだ。最後まで膝を折らず、その場に立っている者の勝利だ。どんな手を使おうが勝てばいい! 歯で頸動脈を噛もうが、目玉を突こうが。それが戦場ではすべてだ! 何でも使って良いのだ!!」
先王ルートヴィヒは答えた。
悔しそうに、舌打ちをしながら。
「そして、私は勝てなかったのだよ。あの老いぼれに。ジョバンニ枢機卿に素手(ステゴロ)で勝てず、また教皇への手回しによるルール変更により、リベンジの可能性すらも奪われた。剣を使えねば、あの枢機卿に勝つ可能性はない。ありとあらゆる手段を巧みに使って、負けたのは私の方なのだ」
歯噛み。
奥歯がぎりぎりとなる音が聞こえそうになるぐらい、歯を噛んで。
その顔で私を見つめた。
「勝たなければ。全て、勝てなければ無意味なのだ。結果だけが勝負の世界では求められるし、そうでなければならん。それだけが貴族の掟だ」
おそらく先王様にとっては。
いや、我が師父にとっては、それはかつてない屈辱であったのだろう。
王国を賭けての闘いではない。
立場や地位、そして民の尊厳をかけての闘いでは無かった。
なれど男のプライドを賭けての闘いではあったのだから。
「だから――勝て、エミリア。あの憎き枢機卿を打ち倒すのだ。そしてルノワールを勝ち取れ」
「わかりましたわ! どんなえげつない手を使っても勝ちますわ!!」
ふんす、と鼻息を荒くして、私は拳をサンドバッグに打ち込む。
打撃音。
私の右腕には、今日も稲妻が唸っている。
電撃魔法だ。
私には生まれついて、電撃魔法の素質があった。
おそらくは縁を切った母方では無く、父方の血と思われた。
どうでもよい。
顔も知らぬ父など心底どうでもよい。
大事なのは、血の繋がらぬ父のことだ。
必ずや、あの人を私のものにするのだ。
「して、師父。どうやって枢機卿に闘いを挑むべきですの?」
私は尋ねた。
まずはそこから始めなければならなかった。
問答無用で襲いかかっても良いが、それでは御父様は私が枢機卿に勝ち得たと認めてくれぬだろう。
場所を整えねばならぬ。
古式ゆかしい、果たし状でも書くかと考えるが。
「時期尚早。機ではない」
「というと?」
「エミリア。お前には実戦経験が足りておらぬ。私とのスパーリングだけでは、とても枢機卿には届かぬであろう。応用力や機転というものは、実戦を積み重ねなければ身につけられぬ」
確かに。
実戦経験の不足は否めず、その勘所が私には足りておらぬ。
「なれば?」
「うむ、おそらく先公爵夫人から教えを受けたエミリアであれば理解していようが。来月、トーナメントがある。それに乗り込むのだ」
ヴィルマイア王国最強トーナメント。
王国設立時から300年続く、年に一度開催される由緒あるトーナメントである。
勝ちぬけば賞金と名誉、平民出自が活躍すれば軍への雇用勧誘まである。
要するに民のガス抜きと、優秀な人間に対する雇用機会であった。
「確か、先公爵夫人も優勝したことがあるとか?」
「うむ。その経歴により、出自の身分こそ低かったがメッテルニヒ家に嫁入りすることが認められた。魔力の強さは貴族にとって血統同様に重い。誰も反対はしなかった」
先公爵夫人は、トーナメントに優勝することで愛を勝ち取った。
ならば、私もそれに倣おう。
私の目標は更に高いところ、枢機卿との拳闘による勝利にあるが。
「わかりましたわ。師父の弟子として、見事に初参加からの優勝をして見せますわ」
「それでこそ、我が弟子だ」
満足げに師父が頷く。
「それでは、スパーリングの時間だ。今日こそは有効打を与えてみせろ」
「承知しましたわ!」
師父とのスパー。
長年の戦場経験と、拳闘の技術から未だに有効打を与えたことはない。
だが、今日こそは。
師父に勝てなければ、また枢機卿に勝てる可能性もないのだから。
「やる気がグングン湧いてきましたことよ!」
私には適性があった。
拳闘において、類いまれない素質があった。
おそらくそれは顔も知らぬ、血統上の父親の影響であったのだろうが。
私には血の繋がらぬ義父ルノワールの存在以外、まさにどうでもよいことであった。
欲しいものは、我が父からの誠の愛。
ただそれだけだ。
足音がした。
スパーリングの開始を告げる、師父の足音だ。
私は渾身の力で放たれる右ストレートを捌きながらに。
「……」
ただ黙ったまま、腹部を押さえる先公爵ジョゼフ・フォン・メッテルニヒ様の姿が見えた。
また胃潰瘍がぶり返したのかしら?
御父様に診察して貰った方がよろしくてよ?
私はそんな一瞬の雑念をかき消して、スパーリングに集中することにした。