ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
貧民の生まれだった。
貧しい荒野を耕しても、畑から得られる収穫は乏しいもので。
ひとたび雪が積もれば、その年の収穫は絶望的だった。
領地の誰が悪いというわけではない。
領主様でもない、それに使える騎士でもない、兵士でもなければ民でもない。
繰り返すが、誰が悪いと言うことではないと、今でも思っているし。
事実そうであった。
ただただ土地が悪かったのだ。
特産物はなく、いくら努力しても成果が上がらない貧しい土地だった。
それなのに徴税は重く、収穫の多くが王都に奪われてしまう。
だから、だからだ。
「国を捨てよう」
そう最初に口にしたのは領主様だった。
騎士も、兵も、民も、俺の父も母も、皆が従った。
もう、うんざりだった。
我々の努力にこの土地は応えてくれぬし、また王都も地方の貧しさなど理解してくれぬ。
準備は周到だった。
徴税官が来る直前に、多くの家で密かに荷造りが始まった。
家財を捨て、畑を捨て、家を捨て。
領主様も財産の殆どを、領民全ての食料へと引き換えにして。
我々の逃亡が始まった。
南へ。
ただただ、暖かい南の別な国へ。
そうすれば食い扶持もあるだろうさと。
それだけが我らの望みであったが、領主様は配慮の行き届いた御方だった。
すでに先触れを亡命先に送り、我々の保護をお願いしていたらしい。
「ヴィルマイア王国は本当に、我々のような亡命者を受け入れてくれるのでしょうか」
「流行病での人口数が回復しておらず、人が足りぬと聞いた。何か仕事はあろう。この私が忠誠を誓い、残り少ない財産を払うことでなんとか……爵位はさすがに与えて貰えぬだろうが。それでも付いてくるつもりか? 私はもう貴殿らの忠誠に代価を支払えぬ」
「犬馬の労は惜しみません。たとえ平民身分の傭兵に落ちぶれようとも、貴方は我々の主君です。なに、戦場を駆ければ爵位など容易く取り戻せましょう」
自分たちが亡命する王国名を知ったのは、旅の途中。
せめて子供には屋根のある寝床をと、騎士達が少ない幌馬車を我々に譲ってくれてだ。
寝ぼけ眼に聞いた、領主様と騎士達の会話だった。
そのときは何のことだかわからなかったが。
領主様と騎士達が、改めて主従の誓いを交わしていたのだ。
男の誓いであった。
俺は――十歳の、ただの貧民の立場でありながら。
それに憧れを抱いた。
そしてそのまま超実力主義にして、誰でも才あれば立身出世の機会が得られるヴィルマイア王国へと放り込まれたのだ。
「――」
「おい、エルポトロ。眠っていたのか?」
「うん、夢を見ていた」
いい夢だった。
貧しい頃を思い出すのは苦痛であったが、皆でヴィルマイア王国へ亡命する旅路。
あれだけは悪くないと思っているのだ。
食べるものは肉も混じらぬ貧しい粥であったが、新しい土地に対する希望だけはあった。
どうしてか、あの領主様と騎士達が報われぬなど有り得ぬと思っていた。
いや、実際に領主様も騎士達も報われているのだ。
椅子から立ち上がり、プロモーターであるヘルマンに声をかける。
鏡を見た。
二十五歳の成人男性の面が映っている。
笑顔であった。
自分でも、なかなかの色男だと思っている。
「いい夢だったようだな」
「うん。小さな頃の夢だったよ。本当に小さな……」
さて、父と母はどうしているだろうか?
王都にはいない。
今も開拓地にいるからだ。
今頃は弟たちと一緒に畑でも耕している時間だろうか?
「この王国に亡命した時の話さ」
当時のヴィルマイア王国、『賢王』ルートヴィヒ様は我々を受け入れてくださった。
さすがに全員を王都にそのまま受け入れるわけにはいかないが。
東方の開拓地ならば空きがある。
開拓費用を出そう、初期資金を用意しよう、領主には我が国の爵位を用意しようと。
まさに大盤振る舞いで、俺たちに豊かな新しい土地を与えてくださった。
人手不足がゆえ、そして国家予算の膨大さから与えられた寛大であった。
それだけではない。
「まさか、貧民の小せがれ風情がな。騎士にな」
実力のある者には立身出世の機会を。
それがヴィルマイア王国の国是であった。
これについては国家の誇りである『ルノワール男爵』という賢者の存在が大きい。
男爵がスポンサーになって、色々な商売をやって。
優秀なものがいれば引き上げているのだ。
金儲けもすれば、ボランティア活動もする。
特に娯楽方面では、隊商が慈善興行をどんな田舎町でもすることが多かった。
何の興業だって?
プロレスさ。
俺の本業だ。
「おっと、もう騎士気取りか? エルポトロ」
「トーナメントのベスト16に入れば、誰だって騎士身分は貰えると言ったのはプロモーターのアンタだろう? まさか騙したわけじゃないだろうな」
「それは本当さ。ただ、気が早いってだけでね。まだ勝負は残ってるんだぜ」
プロモーターが笑ってバンバンと、俺の背中を叩く。
思えば、地方巡業中だった彼とは十年の付き合いだ。
俺が十五の時だった。
ようやく開拓が終わり、豊穣な畑を作り上げることが出来て。
弟や妹も生まれ、俺も農民として生きていく覚悟を固めていたのだが。
そんな開拓地に、隊商とともに慈善興行のプロレス団体がやってきた。
小さな、レスラーが六人しかいないプロレスだったが。
それが俺を魅了した。
中でも俺を魅了したのが、エルポトロというプロレスラーだった。
仮組みのリングで空中殺法を行い、純白のマントを靡かせて華麗なハイキックを繰り出す。
俺はその姿に興奮し、喝采を上げた。
そうして願ったのだ。
俺もあのようなプロレスラーになりたいと。
父と母には反対されたが、領主様は笑って王都に送り出してくれた。
このヴィルマイア王国では誰もが能力に応じて、夢見ることを許されている、と。
疲れたら戻っておいでという言葉と共に、俺は王都に上がり、そして――
「おい、エルポトロ。そろそろ出番だぜ。ルーカスって騎士の三男坊が負けたらしい」
いつしか、エルポトロのリングネームを引き継ぎ、二代目エルポトロとしてリングに立つようになっていた。
先代エルポトロはどうした?
今のプロモーターであるヘルマンがそうさ。
「わかっている。勝とうが負けようが、泣こうが笑おうが良い試合を! いつものように」
「今回に限っては勝負に『ストーリー』が無い。遠慮することは無い、立ち向かう敵はぶちのめしてやれ!!」
入場門の東口を出る前に。
俺はマスクを被り、マスクマンとして正体を明かすのは引退の時だと心がけて。
堂々と、相手を打ち破るべく登場した。
『観客を熱狂させる鋼鉄の肉体! プロレスの底力を見せてほしい、エルポトロ!!』
ぐっと握りこぶしを上げるだけで、観衆が沸いた。
俺は王都でもそこそこ有名なプロレスラーなのだ。
このまま騎士身分を手に入れて、故郷へ錦を飾ろう。
そして領主様や騎士達にこう言うのだ、貴方たちとは違う形だが、俺もまた騎士になれたと。
男になれたと。
ついでに昔の俺たちのような開拓地を練り歩いて、娯楽を提供して回るのだ。
――全ての感謝を。
貧民の俺たちに開拓地をくれたこと。
プロレスという道を俺に与えてくれたこと。
それが誰かは知っている。
俺は四角い闘技場の特等席にいる、その賓客にアピールしようと顔を向けて。
「プロモーター」
「うむ」
少しだけ首を捻って、プロモーターに尋ねることにした。
「我が国の偉大な少年王と、同じく偉大なる枢機卿猊下が滅茶苦茶険悪な空気を振りまいているような? あとスポンサーであるルノワール男爵様、滅茶苦茶困ってない?」
「……」
プロモーターと共に賓客を見る。
仲が悪いとは聞いていたが、王と枢機卿は恐ろしく険悪なムードであった。
唯一、我らプロレス団体のスポンサーであるルノワール男爵が愛想良く手を振ってくれたが。
それはとても小さくて。
なんだか、助けてくれとでも言いたげな顔つきであった。
「どうしよう?」
「どうしようもこうしようもない。俺たちが見せるのは試合だ」
ばん、とプロモーターが俺の背を叩いた。
「試合で魅せるだけさ。賓客達が、喧嘩する暇もないほど魅了させてやれ」
「わかった」
ただただ観客を魅了すること。
それこそがプロレスの醍醐味であった。