ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
オットー・ブラントの事はブラントと呼ぼう。
惚れた男――夫以外の他の男をファーストネームで呼ぶのは、とてもはしたない行為だ。
私の夫は、我が義父は嫉妬などしてくれないだろう。
可愛げのあるあの人を、ルノワール男爵はその辺りの作法になど執着してくれないのは分かった上でだ。
まるで何処かが惚けているのだ。
惚けているのはどちらの方か。
義娘エミリアか、それとも義父ルノワールか、どちらかまではわからないが。
「いーち」
義父の、愛する男の名を唱えるように、数を数えた。
放つ準備を供えたのはライトニング・プラズマ。
公爵家夫人から学んだ、必殺技である。
いや。
本来は『絶招』と言うらしい。
意味は同じである。
ただ違うのは、これが東洋でいわゆる武侠。
そういった輩が目指した『究極の一手』を意味する。
公爵家に招かれた東洋の武侠が、最期に公爵家に伝えた技だった。
この技を受け継げる者のみが一族を引き継ぐ権利があると、公爵家は当主継承の条件としている。
男であろうが女であろうが関係無い。
もし引き継ぐ者がいなければ、その時点で公爵家を畳む。
力なき者には、公爵家を受け継ぐ価値がないというわけだ。
所詮は外部の人間である私、エミリアに伝授を許したのはもしもの時。
公爵家が断絶の危機に陥った際に、ルノワール男爵家から後継者を迎えるため。
そういった計算があると思われた。
「にーい」
力なき者と言えば。
先王様は痛い敗北経験がある。
死に物狂いで、ヴィルマイア王国を今まで守り続けてきた。
飢えから、東方の敵から、病魔以外から、ルノワール男爵家に手を伸ばす魔の手から。
それこそ必死、死に物狂いで自国を守り抜いてきた自負があった。
しかし初めて敗れた。
相手はジョバンニ枢機卿である。
「さーん」
悔いているのだろう。
膝をついてはいけなかったのだ。
王は、王だけは誰に対しても膝をついてはいけない。
負けてはいけない。
それが宗教家であっても、たとえドラゴンであっても、仮に神であったとしても。
背後には無数の守るべき民が存在する。
引かぬ、媚びぬ、省みぬ。
一々後ろを向いていては、その背後にいる者達を守れないから。
王者の基本である。
それを先王にして師父は何処までも理解していた。
あってはならないことだった。
今でも、王が膝を地面につける光景を目にした公爵さえも、その事実を内部に秘している。
秘する理由?
王が舐められることは、それを庇護下に置く無力な民の死を意味する。
故に、師父はこう考えている。
自分は老いぼれた。
自分より強く、その技術を継いだ女をルノワールの側に置かねばと。
そうでなければルノワール男爵家を仕切る女になれない。
全くの同意である。
「しい」
私のライトニング・プラズマは単体攻撃のみではない。
望めば空間丸ごとを制圧するのだ。
稲妻が迸り、前方空間を支配する。
強烈な稲妻は囮であったブラントを避け、四つ叉に分かれて暗殺者を襲った。
二人に命中して無力化。
他の二人は躱した。
おそらくブラントが自分と同等、そして自分より強者と呼んだ二人。
よろしい、残敵二名である。
我が絶招には、溜めの必要はあるが放った後の余韻は必要ない。
「こんにちは、暗殺者の皆さん。ご機嫌は如何かしら?」
挑発の言葉を吐いて、駆け込む。
距離はそう長くない。
半ば宙を浮くような形で、全身を前方に移した。
「ルノワール男爵家のエミリア?」
「邪魔立てする気か!?」
暗殺者が警戒した。
服装は何処にでも見られる平凡な物だが、色は焦げ茶である。
夜の闇に浸透する色だった。
「その方、オットー・ブラントはすでにヴィルマイア王国の家臣ですの。諦めた方がよろしくてよ?」
一応、交渉らしきものを口走る。
虚偽である。
逃がす気などサラサラない。
「笑止。我が国の汚点を掴まれたまま、逃がすわけにはいかんのだ」
「その命を奪ってでも、ブラントを引き渡していただく」
「そういうと思っておりましたわ」
暗殺者の二人が、短剣をこちらに投げる。
両手の二指でその二つを受け止め、逆に投げ返した。
さて、ここからだ。
敵の二人が同時に襲いかかってくる。
多対一は初めてではない。
先日の熊退治でも数体相手はやってのけたし、師父からの修行でも多対一の経験はある。
しかし、それらとは訳が違う。
相手は多対一を前提として訓練を受けた暗殺者である。
「よろしい」
とてもよろしい。
このエミリアが成長するためには、このような鉄火場が必要であった。
極限状態でこそ玉石は磨かれ、綺麗な宝玉となる。
敵は私の直前で二手に分かれ、また同じタイミングで私に挑んできた。
左右からの強襲である。
それに対して――私は一方的な蹂躙を望んだ。
左手に貯めたプラズマを、地面に叩きつける。
磁場が形成され、超高温のエネルギーが左の遮蔽物と化した。
右の暗殺者に注意を向ける。
「さようなら」
サブミッション。
迫った暗殺者に対して間髪入れずに組み付き、相手を地面へ引き倒した。
相手の腕を容赦なくへし折る。
暗殺者がたまらず絶叫した。
容赦はせず、もう片方の腕もへし折る。
肉体から肉体へ直接、その感覚が響いてきた。
相手の顎を強烈に蹴飛ばして、意識を消失させる。
「……外れか」
外れである。
こちらは弱い方だった。
オットー・ブラントが自分と同じ実力と評した方である。
このようにか弱い暗殺者が、容易く無力化できるわけはない。
皮膚の焦げた匂いがした。
左側の遮蔽物と化したプラズマに灼かれたのであろう。
左に視線を向ける。
瞬時に躱しきれず、両袖が焼けた暗殺者が少し離れた位置に立っている。
「……」
私はかかってらっしゃいとばかりに、右手で静かに手招きした。
両手にはプラズマを貯めている。
相手は逃げられない。
師父が、すでに暗殺者の背後に立っている。
熟練の暗殺者にも、それは気付いている。
なれば――正面突破だ。
このクラスの暗殺者なれば、気配で実力ぐらいは分かるであろう。
このエミリアを倒した方が、逃げるのは容易い。
「……」
暗殺者が、一つだけ息を吐く。
とんとん、と足先で地面を叩いた。
覚悟を決めたのだ。
殺しの覚悟だ。
このエミリアを殺める覚悟だ。
「参る」
駆けた。
一直線に、こちらへと。
目標は私の首。
攻撃手段は手刀。
このエミリアの『首を刎ねる』ためだ。
落首拳。
師父からの知識として、暗殺者が好むその技は知っていた。
決意を持って、果敢に暗殺者は挑んできた。
「よろしくてよ」
師父曰く、これに対する明確な対策、こちらの最適解はない。
暗殺者が覚悟を決めたその一撃は、たとえ相手の心臓を貫いても動く。
この技の使い手の命を奪ったところで、その技を止める手段にはならない。
要するに、暗殺者側にとっては相討ちも覚悟の一撃であった。
応えよう。
私も決意を持って応えよう。
ただし、暗殺者のように殺意を込めてではない。
死を以てなお任務に義理立てせんとする、暗殺者に対する敬意を込めてであった。
交錯した。
暗殺者は私の首を狙って、手刀を差し出す。
私はそれを――あえて受け止めた。
首でも、顎でもない。
超反応だった。
雷撃の速さまで、両手の速度を高めたのだ。
合掌捻り。
相手の手首を絡め取るように掴み、地面へと叩きつける。
暗殺者は首から落ちた。
手加減はしなかった。
あと少しでも手抜きをすれば、少しでも暗殺者の技量が上であったなら、この首が落ちていたであろう。
私は残心を解かない。
「見事!」
師父の言葉が飛んだ。
こちらに歩み寄り、暗殺者の様子を見る。
首は折れていない。
意識を消失しているだけだ。
「殺さなかったのか?」
師父が、眉を顰めた。
殺して欲しかったのだろう。
たとえ私がこの手を殺人で汚し、義父ルノワールが怒り狂うことになったとしても。
せいぜい、師父が腹を切って詫びれば良い。
そのように考えていたはずだ。
「このエミリアが目指すところは――公爵家にライトニング・プラズマを伝授した武侠と同じところ。つまり活人拳ですの」
目指す理由は、センチメンタルなものである。
戦乱の時代である。
人を殺した手で赤子を抱けるかとか。
また殺人を犯した身で、惚れた男に抱かれていいものかとか。
そのようなことは考えない。
だが、憧れというものがあった。
ライトニング・プラズマを産み出した、この『絶招』を公爵家に伝授した武侠は誰一人として殺したことがないと聞く。
そもそも技自体が殺人を目的とした物ではなく、敵対者の完全無力化を目的とした物である。
他に術はあったであろう。
殺すだけの技ならば、より簡単である。
なれど、武侠が究極の一手として選んだのはこの技である。
「師父、この技を、ライトニングプラズマを受け継ぐ者として。意図して人を殺したとあっては、もう誰に対しても顔向け出来ませんわ。世界が私を非難するのでなく、私が世界に羞恥を感じて顔向けできないのです」
「そうか」
人を殺した感覚を覚えさせる。
それは師父としては優しさでもあるのだろう。
なれど、それだけは出来ないのだ。
「公爵家と同じか」
少し、寂しそうに師父はそう口にした。
公爵家と同じだ。
師父もおおよそは理解していただろうに。
私は公爵家の養女も同様の扱いであるからして。
「それはそれで構わぬ。道は険しいがな」
全てを察して、師父は押し黙った。
私が倒した暗殺者を検分し、持っていたロープで拘束する。
「さて、オットー・ブラントよ。この暗殺者達に恨みはあるか?」
「いえ。ありません」
囮になっていたブラントが、そう口にして首を振った。
「私の命を狙ったのは任務がゆえでありましょう。それを恨む気は毛頭ありません」
うん、良い答えだ。
私は納得して首肯する。
「では、全て連れて行こう。殺しはせん。それで良いなエミリア」
「そうして頂ければ。素直に全てを吐いていただくことを祈っておりますわ」
とりあえずは、ブラントと暗殺者全員をルノワール病院に運ばねばならぬ。
全員致命傷ではないが、放っておけば悪化して死ぬほどの怪我ではある。
「それはそれとして、師父よ。私もちゃんと庇いはしますが、このエミリアを危険に晒したこと。多分お父様はお怒りになるかと」
「それはお前を弟子にしたときから覚悟してるから問題ない。擁護不要」
危険を承知で、鍛えられることを師父に望んだのだ。
お父様は横から口を出す道理はあまりないのだが。
それはそれとして、不機嫌にはなるであろう。
私はめったに怒らないお父様の怒りが怖くて、なんなら――暗殺者にこの首を狙われた事よりも怖くて、大きな溜め息を吐いた。