ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
「何もかも私が悪かった……」
ルノワール坊ちゃまは燃え尽きておられる。
両手で頭を抱え、何かに懊悩するように。
それを執事長として、心配して横で見守る。
「アレだろ、結局は私が曖昧な態度を取ったのが悪かった。エミリアの好意を決して受け止められないというなら断固として断るべきであり、枢機卿を倒せば結婚してやるだなんて間違っても口にするべきじゃなかったんだよ」
ぐったりとしている。
坊ちゃまは急に病院に連れ込まれた暗殺者、またオットー・ブラントという名の亡命者の様子を見た後に治療し、そして全ての事情を聞いたわけだが。
アホかなコイツら、という渋い顔をした後に。
いやいや、全部自分が悪いな。
変な条件付けた私が悪いんだ。
なんもかんも私が悪い。
そう口にして、拗ねるのではなく、後悔と反省を抱えて坊ちゃまは心が折れた。
坊ちゃまはたまに内省的になる傾向がある。
自己批判を行うのだ。
「いや、その……別に何もかもがお父様のせいじゃないですよ?」
「うん、違うな。ごめんよ」
てっきり怒られると思っていたのか、エミリアお嬢様と先王様は気まずそうにしている。
執事長の立場から見ても、あなたたち二人はちょっと反省した方が良いと思うよ。
少なくとも坊ちゃまは可哀想だ。
「もう変な条件付けないし、そんな危険なことするぐらいならば、本日この場でしかと責任を取るからやめてくれないか? これから教皇になられる、枢機卿に迷惑かけるのもアレだし」
折れた。
くっきりと、ここで坊ちゃまの気概は折れた。
嫁に貰うから、そういうことはやめてくれと。
気概こそ折れたが、その代わりに男として責任を最後までとるという覚悟を口にした。
いや、まあ坊ちゃまならそういうだろうな。
エミリアお嬢様が大事だったからこそ、自分のようなオッサンの嫁に貰うより幸せな道があるだろうと考えて拒んでいたわけで。
そんな暗殺者と命のやりとりとかするワケ分からんことになるぐらいならば、自分で幸せにするよと。
枢機卿と対峙する条件を取り下げて、改めて嫁に貰う宣言を口にするが。
「……そういわれても」
「なあ、ちょっと無理だぞ」
エミリアお嬢様と先王様が顔を合わせ、困ったように口にする。
何が無理か。
馬鹿なことやってないで今すぐ変な事を辞めろや。
傍から見てそうは思ったが、所詮は執事長に過ぎない私が先王様にそんな口を叩くわけにはいかん。
黙って、坊ちゃまの胃痛を和らげるべく薬草茶を入れる。
「何が無理か? まだ譲歩が必要なの?」
何度も言うが、ぐったりとしている。
そんな中年男性特有の気怠さを見せたまま、坊ちゃまは尋ねる。
「いや、そういうわけではなくて。お父様がたまに口にする『卵が先かニワトリが先か』理論ですわ」
「ルノワールよ。お前の嫁になるならば、結局は修行を付けねばならぬわけだ。エミリアにはルノワール男爵家の嫁にふさわしい女になってもらわねば」
その言葉を受け、さすがに申し訳なくなったのか。
意気消沈こそしているが、二人は言い訳のような、それでいて二人なりの理由を口にした。
まるで恩師に叱られている、やらかした弟子のような姿であったが。
「相応しいも何も、どうしてそこで暴力が必要になるんです? 私は別に妻に強さを求めてはいません」
本当に不思議そうに、坊ちゃまが眉を顰める。
それはそう。
私も横で頷いた。
「あのですね、確かにルノワール男爵家は規模が大きくなりました。なってしまいました。私一人ではもはや手に負えないほど大規模な商売を執り行っております。ですが、オズヴァルド子爵に手助けを頼んだように、他に手がないわけではないのです」
坊ちゃまも無策ではない。
少なくとも商売に関しては、人員を増やそうと努力もされている。
さすがに負担は減らしていくつもりであるのだ。
「……足らんなあ」
先王様が呟いた。
それだけじゃダメなんだよ、という表情で。
「何が足りないと? エミリアは私の教育を受けています。公爵家の淑女教育も最近受けました。そのうち男爵家全体の差配も出来るようになるでしょう。秘伝のライトニング・プラズマも受け継ぎました。それでも足りないと?」
そのつぶやきに対し、疲れた表情で坊ちゃまが応じて言い募る。
だが、エミリアお嬢様は反論した。
「足りませんわ、お父様。命を狙われたことも二度や三度じゃないでしょうに。拐われそうになったことなんて、十回二十回じゃ足りません。その、護衛だけなら探すよ、と言えばそうですし、それもちゃんとやりましょう。ですが、安全面だけでなくですね」
もう死にそうなぐらいにぐったりしている坊ちゃまに、お嬢様は少しだけ言葉を選んで。
「『あの』ルノワール男爵の妻になるのならば、せめて枢機卿を一度地面に転ばせるぐらいの女でなければ。そういう世間的評価もあるんですよ」
「舐められては困ると?」
「舐められては困ります」
蛮族じゃないんだからさ、と誰に対してでもなく愚痴を吐きすてて。
坊ちゃまは両手で顔を覆っている。
だがしかし、まあそこまで説明を受ければ、執事長である私も二人の言い分はわかるのだ。
「お父様はあまりにも偉大すぎましたわ。今の私ではダメですの」
坊ちゃまは、ルノワール男爵は多数の縁談を断ってきた。
それこそ、このまま枢機卿になるのではと世間に疑われるほどに。
それを考えれば『最低でも私の娘以上の器量を。そうでなければいけ好かない』と他の貴族などは考えるわけで。
立ち位置としては、仮に坊ちゃまがこのまま世間に『これよりエミリアを妻とする』と宣言したところで足りないだろう。
それこそ公爵家との養子縁組や、王家が認めているという事実があっても。
それだけでもまだ足らぬ。
「シゼル嬢や、ロクサーヌは――いや、言いたいことはわかるさ」
他の二人は違う。
シゼル嬢は別に本妻になる気などないし、経緯が経緯だ。
責任取って坊ちゃまが引き取ったと言えば美談でしかない。
メイド長のロクサーヌに至っては、そもそも縁組さえ本当は望んでおらず、惚れた男との子供さえ出来ればそれでいい。
二人とも多くは望んでいないのだ。
「そこまでせねばなりませんか?」
坊ちゃまは苦悩の表情で、本当に疲れた様子でそう口にする。
「そこまでせねばならんな。申し訳ないが」
先王様は腕組みをしたまま、そう告げた。
卵が先かニワトリが先が、と表現されたが。
ルノワール男爵家の家を取り仕切る立場には、それだけの格が求められる。
だから、仮にエミリアお嬢様ではなく他の女性を坊ちゃまが娶ることになったところで。
やっぱり公爵家との養子縁組はされたし。
先王様はその女性を弟子として鍛えることになっただろう。
「……お前に事前に説明はすべきだったと思うよ? うん」
先王様は、本当に申し訳なさそうに、顔を背けて呟く。
それはそう。
「結婚する気はなかったのに、諦めていたのに。いざ結婚しようと考えたらこんな面倒臭い話になるか? 世の中おかしくない?」
坊ちゃまは貴族社会の理不尽を飲み込めず、私に言葉を向けた。
執事長としては言葉を選ぶ必要がある。
説明は事前にあるべきだったと思うが、それなりに先王様とエミリアお嬢様の言い分もわかるのだ。
「その、坊ちゃまが考えているよりも、貴族社会は過酷でして。嫉妬や欲望が渦巻いており、坊ちゃまの妻になるという事実は重たいのです」
こう答えるしかなかった。
坊ちゃまは多分欲しい言葉が返ってこなかったことを嘆いて、目を手で覆い。
「ふざけんなよヴィルマイア王国」
大きく愚痴を吐いた。
「坊ちゃま、先王様の眼前です」
私は仕方なくも、注意せざるをえなかった。
先王様は怒られる立場なのは分かっていて、文句は何も言わなかった。