ルノワール男爵の憂鬱   作:道造

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第五話「それ私の仕事か?」

 おててが痛い痛いなのです。

 冗談だ。

 三十五歳の金壺眼のオッサンがそんなことを実際に口にしていたら、気持ち悪いこと仕方がない。

 そもそも傷なんて、家に帰ればすぐ治せた。

 ルノワール男爵家が家職として代々引き継いできたのは、医者であるからして。

 まあ、魔法のある世界の医者といっても、別に手をかざせばスピリチュアルなエネルギーが集結して傷を治してくれるとか。

 そこまで便利な物ではない。

 ポーションだ。

 言い換えれば薬液であり、療法のために化学的な目的を持って調合された液体である。

 当家は代々、それを秘術として受け継いできた。

 当然ながら、当家のポーションは引く手あまたである。

 戦場で、病院で、工事現場で、日常で。

 怪我なんて誰でもするのだから、一家に数本は備えておくべき物である。

 当然だが食うに困ることはないし、それこそ新薬を開発できる医者にも至れば、貴族にすら成れる。

 要するにだ、当家は元々は平民の出ではあったのだが。

 都で商売を広げるうちに王家に認められ、二代前からコツコツと爵位を積み上げてきた。

 お爺様が騎士爵、お父様が準男爵、そして三代目の私でようやく男爵だ。

 領地こそ持たぬが、医者を家職として扶持を得て、法衣として仕える貴族なのである。

 まあ――なんだ。

 そのコツコツ信頼を積み上げたルノワール男爵家が、私の代で消えそうなことはだ。

 本当に申し訳なく思っている。

 きっと執事長やメイド長は、ノミでも交尾するのに、なんで御当主は交尾しないのですかと。

 直接言われたことは全くないが、そう考えているに違いない。

 そんな疑惑を密かに抱いている。

 

「それでなんだ、どうして欲しいのだ」

 

 王が笑みを浮かべている。

 ここはパーティーから翌日の玉座の間であった。

 パーティー会場はおそらく夜勤の執事やメイドが一生懸命に片付けて、玉座が置かれている。

 王妃の席はない。

 まだ妃がいないからだ。

 ともあれ、玉座にはまだ若き十五歳の王が座り、ワクテカ、とばかりに顔を綻ばせている。

 喜んでんじゃねえよ、なんだ、えーと。

 罵倒が全く思い浮かばない。

 馬鹿でもないし阿呆でもないし、どちらかといえば我が王は英知に溢れている。

 辺境伯は単純である、ハゲだ。

 公爵も単純である、ヒゲだ。

 残念ながら、この十五歳の若き英明な王に対して、罵倒の言葉は一切思い浮かばなかった。

 まだ十五歳だから、多分童貞に違いない。

 そう私が決めた。

 これからは内心で童貞王と呼ぼう。

 お前も童貞ではないかって?

 ……勘の良いガキは嫌いだよ。

 

「別に、そのシゼル嬢の家など大した家でもない。お前と同じ男爵――いや、ルノワール家と比較すると失礼以前に、無理があるか。ともあれ、お前がむかつくからという理由で、あのオッサンを殺してくれと口にすれば、三時間以内に銀の皿にでも首を載せて、届けてやれるが?」

「感情論で物事を判断するのは良くないと考えております」

「ふむ、堅いな。冗談だ、冗談。もう少し、ルノワールには柔らかく対応してほしいものだ。私はお前には本当に心を開いているのだから」

 

 童貞王がそう口にする。

 まあ、心を開いているというのはそうだろう。

 

「忌み子として生まれてきたのに、マトモに王として今扱われているのは――お前が貴族として、その家職の役目を果たしてくれたからだ」

「そもそも忌み子という世間の認識が間違っておるのです。治せる以上、欠片も問題ありません。たまにあることです」

「また難しいことを言う。治る以上は、何も問題がないか。ルノワール家の家職には色々と謎が多い。まあ、お前がそういうならそうだと納得してやるが」

 

 ふむ、と王が首を傾げた。

 忌み子として産まれたというが。

 要するに、まあ症状は口唇口蓋裂だった。

 より細かく言えば口唇裂だ。

 唇が割れ、鼻まで割れ目が繋がった状態で生まれてきたのだが。

 別になんか呪われたりとか、前世の罪を背負って醜く生まれたとか、そんなんではない。

 

「私が田舎の農家の三男坊に産まれれば、きっと産婆に首を絞められて殺されていたであろうな」

「……」

 

 ケラケラと、若き王が笑う。

 自分の手で、自分の首を絞めるジェスチャーをしながら。

 まあ、実際そうだろうが。

 暗い話をすれば、そういうことはある。

 少なくとも貴族や市民に生まれれば、ルノワール家にさえ頼めればどうとでもなるという認識が、今ではちゃんと世間にあるのだがね。

 まあ、手を伸ばすのにも限度って物がある。

 医術は仁術と口にしたところで、医療倫理を口に出来るのは、それは国家そのものが豊かになってこそだった。

 何処までやっても余裕など産まれぬ。

 旧約聖書に存在する巨大怪獣、リヴァイアサン(絶対的な平和と安全を確立する国家権力)が現れるまで無理だ。

 私はとうに諦めた。

 

「さて、話を戻そう。私は父と母から愛を受けて産まれた。産婆は首を絞めること能わず。母などはどうしても諦められぬとルノワール家に泣きついて、なんとかならないかと必死にお願いをした。そうしてお前はそれに見事応えた」

「大した事はしておりませんが」

「思えば、あの時に我が子にかけられた呪いを解いたとでも適当な事を口にして、陞爵するべきであったと父は嘆いておったが」

 

 別に呪いでもなんでもないから、そんなことされても困る。

 どちらかと言えば、口唇口蓋裂を呪いだのなんだの言われる方が私にとっては不快であった。

 だから、こう王妃に口にしたのだ。

 

「この子は忌み子でもなんでもありません。人として与えられるべき両親の愛を得て、こうして医者を家職とする私の元に運ばれた赤子に過ぎません。治療はしましょう。ですが、褒美はお褒めの言葉一つで結構です。すでに王家からは規定の扶持を得ておりますので」

 

 と。

 だから、陞爵はないし。

 王妃などは自分の愛用している鏡でも、宝石でも、指輪でも、何でも好きな物を持って行け、なんなら全部でもいいぞと口にしたが。

 本当にお褒めの言葉一つしか頂戴していないのだ。

 他は全て断った。

 後で同じ症状を治療する際の価格設定が、正直面倒臭かったという本音を隠して。

 だがまあ、先王夫妻はそれを本当に感謝してくれたようで。

 

「今でも母はたまに、私が産まれた時のことを思い出して、泣きながら突然抱きしめてくることがあるぞ」

「良いことなのでは?」

「もう十五になるのだ。照れくさいわ、馬鹿者め」

 

 そう童貞王が笑う。

 私は十歳の時に両親を亡くしている。

 まあ人生二回目であるが、本当によくしてくれた両親であった。

 産んでくれたことに感謝しかない。

 その立場からすれば、喜ばしいことだと思うのだが。

 

「なんだ。ともあれ、私からしても、子に魔力がないからと。『石ころ』などと呼ばれて、侮蔑を受ける少女がいることを放置していたのは誠に不覚であったわ。この王の失態よ。報告してくれて助かった」

「まあ、王様がそこまで一々首を突っ込む事でもなかったのでは? と思いますが」

 

 偉い王様とて、貴族の家庭問題に首を突っ込む事はあろうが。

 それとて問題が表面化しなければ、どうしようもない。

 今回は表面化した際に、私がいて、止められた。

 それだけのことだ。

 

「少なくとも、私は私の目の届く範囲ではそういう不快な迫害を潰したい。それが農家の三男坊でも、自分の子でも何一つ変わらぬ。非常に不愉快である」

 

 なのだが、まあ若き王はその産まれゆえか、少し過激な思想に走っている。

 血の気が多い啓蒙思想?

 近いような、遠いような。

 ハゲ(マッチョイズムの辺境伯)、ヒゲ(馬鹿は全員首を刎ねれば、世の中が自然と良くなると思っている公爵)、童貞王(啓蒙思想にかぶれた君主)、ロクなのいないな。

 いや、これでも皆仕事はしていて、国家運営はちゃんと回っているのだよ。

 本当だよ。

 誰に言い訳するわけでもないけれど、そう心の中で呟く。

 少なくとも、周辺国と比較すればそこそこ良い国家なのだ、我が国は。

 

「すぐさま殺そうか?」

「まあ、シゼル嬢とも話をしたのですが、弟がいるらしいので。家督を奪って、弟に引き継がせるのが無難なのではと。少なくとも、死人は出ません。そうすれば王の慈悲深さも民に伝わろうというもの」

「ふむ」

 

 ここで童貞王は少し考えて。

 

「まあ、被害者であるシゼル嬢がそう言うなら、そうすべきであろうな。すぐに手筈をしよう」

「そうして頂けますと」

 

 これでシゼル嬢が抱いていた憎悪、復讐は完了。

 ミッションコンプリート。

 容易い仕事であった。

 さて、オウチに帰って自室で十三時間ぐらい惰眠をしようと考えて。

 

「それでだ、まあ、ルノワールのことだ。続きは分かっているぞ」

 

 ははあん、読めたぞ、と言いたげに。

 何故か理解者の口ぶりで、童貞王は口にした。

 

「シゼル嬢が『石ころ』と呼ばれている件についてもなんとかするのだろう? お前なら解決策を見いだせるはずだ。ふふ、期待しているぞ、ルノワール」

 

 期待で爛々とした瞳で、そう口にしたのだ。

 ええ、そんなの知らないよ。

 だって症例がルノワール家のカルテ(診療録)にないもの。

 前世で魔法だの魔力だのなかったのだから、もう私個人だって知るわけないではないのさ。

 そもそも私の仕事か、それって。

 とは、口に出来ないのが。

 

「まあ、なんとかしてみせますよ」

 

 悲しいかな、見栄を張らねばならぬのが貴族社会と、男爵に過ぎぬルノワール家の立ち位置であった。

 とりあえず、胸を張った。

 その私の姿を勘違いして、若き王はこう口にするのだ。

 まるで自分の身内が成果を上げたように誇らしく。

 

「さすがルノワール、我が師にも等しい男よ」

 

 と。

 童貞王は無責任に、高々と笑い声を上げた。

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