ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
自己批判をしている。
自己に猛省を促し、では反省に対して為すべきことは何かを考える。
寝室で、キングサイズのベッドの中で必死に思考する。
その最中に眠りに落ち、目覚めれば朝である。
「歳を取ったもんだ」
そう思う。
鏡を見た。
自分の金壺眼の瞼には、薄暗いクマが出来ている。
歳を取った。
身体は疲れやすくなり、精神も弱くなった。
加齢と過労による自身の劣化は間違いない。
若い頃は全ての無理を、情熱で押しつぶして無理押しできた。
今はできない。
なれどだ。
「――ぐちぐち文句を垂れている暇など無いわ!」
もはや退路は断たれた。
エミリアは私との結婚を、絶対に諦めぬであろう。
そして仮に全てを受け入れるにしても、世の中はままならぬ。
世間が私の結婚を祝福するには、どうしてもエミリアが強くあらねばならんのだ。
そのために彼女は努力している。
だというのにだ。
いつまで経っても、その相手である私が情けないままではいかんのだ。
もう一度、あの頃の情熱を。
若き日の自分であれば、あの死すら恐れず、死こそが我から退いた時代の私であるならばだ。
このような問題は容易きことと鼻で笑ったではないか。
そして、歳を取ったからと。
そのツケを女に回すような真似が出来るか!
決意したならば、即座に行動だ。
「よろしい、ならば闘争だ」
今一度、若き頃の自分を取り戻そう。
そして全ての問題を、この握り拳の一撃にて取り除いてみせようではないか!
王にして我が弟子であるヴィルヘルムとジョバンニ枢機卿の電撃的和解を取り仕切り!
あちらからではなく、私からエミリアをこの手に抱きしめてやろうではないか!!
時間はただ一日限りあればよい。
それで完全解決をしてみせよう。
ベッドから立ち上がり、着替え、執事長を呼ぶ。
「執事長。馬車の準備をしておけ! 今日はエミリアを必ずや連れて帰るぞ! 正式な婚約者としてだ!!」
「承知しました、坊ちゃま」
執事長は瞠目することもなく。
私のやる気に対して、少しだけ微笑みを返した。
*****
枢機卿と互いに足を蹴っ飛ばしあいながら、観覧席に着こうとすると。
師は、朝早くから待っていたようだ。
なにやらオーラのようなものさえ感じる、堂々とした立ち振る舞いである。
「はて、今日は我が師の雰囲気が違うような? 若き頃の力強さを感じるが? その迫力は懐かしく、弟子としては嬉しいばかりだがな」
そう口にしつつも、私は弟子として素直に喜んだ。
我が師は珍しくもやる気を出し、十年ぶりの迫力を見せている。
誠にもって喜ばしい。
「今日はお二方に大事なお話があります。速やかに処理したいことが」
眉を顰めつつ、真剣な表情で。
反論は許さない、こちらは真剣にやっているのだからと。
有無を言わせぬ雰囲気で、ただただ結論を口にするのだ。
雰囲気だけで圧倒してくる。
「というと? 我が師よ」
この雰囲気は、全盛期の我が師だ。
まだ師が二十五歳で、私が五歳。
いよいよこの世から、帝国民の五割を絶命に追いやった病魔を駆逐せんとする圧倒的な迫力で、出会う有象無象何もかもを心服させていた。
あの頃の我が師で間違いない。
幼き頃は教壇に師が立つだけで、背筋に電流が走ったものだ。
今日はどんな世の不思議を教えてくれるのかと、期待で全身が震えたのだ。
「これ以上は遊んでいる暇が無いと言うことです。さっさと問題を進めさせていただきたい」
コロッセウムにて登場準備をしている二人。
オズヴァルド子爵とエルポトロはもはや眼中にさえない、と言った口ぶりである。
泥仕合になるだろう。
エルポトロは派手な空中殺法を演じては勝ち目が無いと判断し、早々にグラウンドに持ち込むはず。
互いの体力を削りあう、まるで男と女の睦みごとのような寝技の応酬。
消耗戦となるだろう。
そう誰もが予見できることを口にしそうになったが、止めた。
「男爵よ、試合を見る気は――」
少し、枢機卿も話を逸らそうとしたが。
無駄であることは枢機卿も分かったようである。
全盛期のルノワール男爵の本気に勝てるものなど、この世の何処にも存在しない。
「見るつもりではあります。ですがトーナメントはトーナメント、政治は政治。私たちは政治をやるべき人間です。こちらはこちらで片付けておかなければ、民が安心できますまい。為すべきことを壇上の二人が為したならば、それは勝者敗者問わず後で褒め称えておきますが――」
けんもほろろ。
話を逸らすな、とばかりに我が師は枢機卿を厳しく見据えた。
「私たちが今やるべきことは違うでしょう。この場は和解の席のはずです。私の認識不足ですか?」
確かにその認識はある。
此度はルノワール男爵が用意した、私と枢機卿の和解の席である。
それは勘違いしていない。
「お二方には責任ある立場に対し、臣民のため、信徒のため、責任ある行動をお願いしたいのですが?」
我が師は完全に全盛期に戻っている。
何があったのかは知らないが、全力を出さねばならないと決断したようだ。
やはり、我が師はやれば何処までも出来る男だと。
――そのような感想を抱いている場合ではない。
「……返事は? 何か不服でも?」
「はい、わかっております。我が師よ。こちらから枢機卿に謝罪を」
私はすみやかに立ち上がり、枢機卿に頭を下げた。
この期に及んでは、逆らって良いことなど何一つない。
「ジョバンニ枢機卿。数々の失礼、宗教界隈に暗部を放ったこと。また工作により内通や情報漏洩など、貴方の顔に泥を塗るような真似を多数行ったこと。誠に申し訳ない。ここにヴィルヘルム・フォン・ヴィルマイア個人として謝罪をさせて頂く」
素直に謝罪をする。
もちろん、誠意を込めてだ。
枢機卿は一瞬だけ躊躇いを見せたが――
「貴方個人の謝罪を受け入れましょう。ヴィルヘルム」
全盛期のルノワール男爵に逆らって良いことなど何一つないのは、枢機卿の方がよほどに分かっている。
素直に謝罪を受け入れた。
「これでよろしいか、男爵よ」
「はい、構いません。また、この機会に言っておきたいことが」
ここまで引き延ばした事への叱責か?
私は覚悟して身を竦めるが。
「ヴィルヘルム。我が弟子よ。男爵風情が、このようなことを言うのは恐れ多いにも程があると控えてきたが――私は貴方ほど優秀で、英明な弟子を育てられたことが誇らしくてならない」
その口から紡がれるのは叱責ではなく、まるで逆の優しい言葉である。
「我が師?」
「こんな時でしか、ろくに褒める言葉も言えない私を許して欲しい。私は結婚を忌避してきた。私の教えを受けた子供達が、沢山いるのだからと。ヴィルヘルムほどの優秀な弟子を持てたことは、自分の子を育てたことと、何一つ変わらぬのではないかと勘違いをしていたのだ」
いや、それは勘違いではないですよ、我が師よ。
なんなら貴方の子供も同然と考えてくれて何も問題ないですよ。
そう口にしそうになって、やめた。
厳しい師が珍しくも弟子を褒めるのだ、それを茶化す馬鹿がどこにいる。
むしろ、私は感動で泣きそうになっていた。
「私は本日、エミリアの誠実に対しての責任を果たす。貴族社会の一員として、優秀な婚約者を迎え、愛し、子孫を残すという責任を果たそう。弟子として見届けてくれ」
「わかりました」
「次に、ジョバンニ枢機卿」
我が師がジョバンニ枢機卿に向き直った。
「私は貴方と会う際には実務の話ばかりをして、自分の感情を誤魔化してきました。今日こそ好日。この機を逃せば次はないでしょう。だから自分の素直な感情を口にします。恐れ多い話ですが、私は亡くした父の代わりに、貴方を本当の父のように思って生きてきました。貴方の後援が、貴方が私の側に立っていてくれることでどれだけ私の人生が励まされてきたかに至っては、もはや言葉にできません」
「ルノワール男爵」
枢機卿の言葉に、震えが混じった。
素直な感動であろう。
「貴方に見ていて欲しい光景があります。私は貴方の後継者になるのも天命と思って生きて参りましたが、残念ながら現実はそれを許さず、その道を選ぶことが出来ませんでした。それでも私は貴方を自分の父のように慕っています。いずれ、教皇宮殿に参ります。そのときは自分の子を連れて。名付け親をお願いします。生まれた子への洗礼も。信仰教育を支える代父母も。是非、貴方に。私の息子が貴方にとっての孫であれば嬉しいのです」
「ええ、ええ。全て私に任せなさい。私も、貴方が自分の息子であればよいと、ずっと考えて二十五年間を過ごして参りました」
枢機卿は静かに泣いていた。
全て自分が欲しい言葉であったのだろう。
そこには茶化すことの出来ない感動が存在した。
「……私がお二人に言いたいことは全て終えました。これで政治の話は終わりです。そして今まで言えなかった本心も、全て言い終えました」
我が師は笑っている。
早々に我々の電撃的和解を済ませ、笑っている。
今日の我が師は、完全に若き頃の情熱を取り戻している!
「さて、後は――私が男としてエミリアに責任を取るだけだ」
だが師よ、貴方が一時的にでも全盛期を取り戻したのは良いが。
エミリア嬢はエミリア嬢で努力せねばなるまい。
やはり、貴方にふさわしい実力を周囲に示す必要が、彼女にはあるのだ。
「……」
じっと枢機卿を見る。
おそらく、エミリア嬢に全力は出せまい。
すでに名付け親になることまで決定している状況で、全力を出せるものか。
だが、それでも強敵であることに以前変わりはない。
はたして彼女の恋心がどういう結末を迎えるのか、王たる私にもわからなかった。