ルノワール男爵の憂鬱 作:道造
『ルノワール男爵』という立場としてやるべき公務を済ませた。
後は私的なことである。
ごくごく身内のことである。
そして、私にとっては王と枢機卿の電撃的和解よりも難解な問題であった。
「坊ちゃま、花を用意して参りました」
「赤薔薇か」
「はい。数により花言葉は変わると聞いたことがありますが、花束でさえあれば構わないかと。エミリアお嬢様は喜んで受け取るでしょう」
執事長の言うとおりである。
彼に指示しておいた花束を受け取り、通路を歩いている。
歩きながらに考えている。
はて、どうするか。
私はこの段階でに至ってさえ悩んでいる。
ぴたりと、ドアの前で足を止めた。
「執事長、少し良いか?」
「なんなりと」
「プリンセスメーカーという言葉に聞き覚えはあるかね?」
執事長は一瞬だけ口ごもり、そして口を開く。
隠し事はしないとばかりに。
「先王陛下が企んだ計画でありますな。自分の手で育てた理想の女の子を娶る趣味が、その――坊ちゃまにあると見込んで」
「逆効果だったがな」
鼻で笑った。
私は保護下の女の子に手を出すような卑劣な趣味は持っていない。
立場の弱い相手につけ込むなど、やり方が汚いにも程があるとの倫理を持っているし。
それに、どうして幼い頃から可愛がってきた子供を性的な視線で見ることが出来よう。
そうだ。
本日この場に至ってすら、私はエミリアを子供のように思っているのだ。
だが。
先日、もう危ない真似をするぐらいなら私が引き取るからと。
そのようなことを口にしたのも、また本音。
「……私はエミリアの保護者にして、師であり、親として立ってきた」
「坊ちゃま。ですが」
執事長が言葉を濁しつつ、否定しようとするが。
私は確認では無く、覚悟とするための台詞を吐く。
「それも終わりだ。よろしい、それをあの娘が望むというならば悪漢にでもなろう」
ノック。
右手に花束、左手にドアノブ。
ドアを開いて部屋を覗くと、そこには師弟の二人が存在した。
「む? ルノワールか?」
「あら、お父様。試合は観覧なされないのですか? オズヴァルド子爵が拗ねてしまいますわよ」
二人が首を傾げるが、私が持つ花束を見て察する。
「……」
先王陛下は押し黙り。
我が娘エミリアは瞠目した。
「本日、私がすべきことを成そうと思い立ちまして」
静かに決意を告げる。
「ルノワール」
先王陛下が私の名前を呼び、何かを述べようとしたが。
視線だけでそれを止める。
そして、臣として謹んで申し上げた。
「此度、この部屋に訪れましたのは、ルノワール男爵という大仰な身の上を盾として、すべきことを成そうと思ったのではなく。ごくごく個人の。アリアン・フォン・ルノワールという男たっての願いからです。誠に申し訳ありませんが、今回に限り沈黙していただきたい」
「……」
先王陛下は押し黙った。
私が熱意を持って話せば、何もかも分かってくださる御方だった。
それは私が若いときから何も変わっていない。
さて。
エミリアに何を言おう。
ここまで大層な言葉を先王陛下に並べ、押し黙ってもらいたいと頼みながら。
実のところ、ここに至るまでに何も考えていやしないのだ。
それこそ何を言おうかとさえ。
「エミリア」
「はい、その――」
「私はお前の義理の父親だ。そして教師だ」
事実を述べた。
それだけは一生変わりはしない関係なのだ。
「エミリアを自分の娘と思い育ててきたし、欲情をしたこともない。保護下の子供だ。そう思っている。血が繋がっているかどうかではない。私にとって、お前は娘なんだ。今この時に至ってさえ、本音ではそうなんだ」
「わかっておりますわ」
そうだろう。
しかし、エミリアが私を好いてくれているのもまた事実。
「私はもしエミリアの愛に応えることがあるとすれば、真摯に答える術があるとすれば。どうすべきかと悩んでいる。そして、本日この場にて答えを出そうと思う」
「ええ、ええ。お父様はそういう男であること。どこまでも承知しております。だから――」
エミリアが、どこか感情が止まらなくなったように言葉を漏らす。
「だからこそ、私は一人の女として貴方に愛されたいと思うようになったのです。矛盾していますが、お父様が保護下の女の子に邪なことを考えるような男であるならば。私は惚れてなどいません」
「そうか」
エミリアの言葉は、私の心に棘を刺し込むようであった。
結局のところ、ここまで話がこじれたのは私の怯懦であり不始末である。
なんとか、真摯に答えてやりたい。
私は私の心に決着をつけねばならぬ。
「私はお前を庇護してやりたい。家族として守ってやりたい。例え私がどれだけ傷つこうとも自己犠牲を捧げ、お前が幸せになることを望んでいる」
正直に言葉を連ねる。
自己で心の整頓をする。
ああ、長々と考えるのはもうやめよう。
「では、エミリアにとって何をもって幸せとするのが正しいのか、それを問いたい。望みの全てを叶えよう」
結論は簡単なものだった。
願い事を言え。
なんでも望みを叶えてやろう。
それ以外にしてやれることなど、もはやないではないか。
「お父様にふさわしい女となって、ルノワール男爵家を差配する男爵夫人となる。それ以上の幸せなど、この世の何処にも存在しないわ。子供の頃からの夢だったの。私はそれだけ」
エミリアは自信満々で、そう口にした。
そうか。
「じゃあ、そうしようか」
私は胸を塞いでいた懊悩が、ようやくほぐれていった。
そんな気分になり、すっと彼女を受け入れる言葉が出た。
「うん。だから、もうちょっと待っていてね。すぐに枢機卿をぶっ飛ばしてくるから」
それは止めて欲しいが。
それだけはどうにもならないという説明は、すでに先王陛下から受けていた。
この私の力を以てしても、どうにもならないのだ。
さあて、枢機卿に泣きつくか?
私が必死に頼み込めば、必要以上の手加減さえしてくれるだろう。
それこそ、わざと負けることだって。
「工作はいらないわ。ねえ、お父様。女の子はいつだって惚れた男のためになら無敵になれるものよ。もう条件は十分に揃っているわ。私は本日よりお父様の保護下を離れ、一人の女として見て貰いたいの」
彼女は私の懊悩に口を挟んだ。
そして、両手を伸ばした。
聖母マリアのように、何もかも受け止めるような姿でありながら。
逆に私個人だけの愛を欲した。
「だから、その花束をくださらないかしら」
私は跪いて、両手で花束を捧げる。
これができる限りの告白だった。
「先ほども言ったように、私はまだお前を一人の女として見ることが出来ない。にもかかわらず花束を差し出すことは。愛する相手に不誠実なことをするのは、愛そのものへの冒涜かもしれないが――どうか私の妻になっておくれ」
口に出来る、精一杯の誠心である。
彼女はその花束を受け取り、こう告げた。
「ねえ、お父様。すぐに私を受け入れてくれとは言わないわ。ずっと私だけを見ていてとも言わない。だけどね、いつか振り向いて欲しいの。親としてでも教師としてでもなく、一人の女の子を見る目で」
「ああ、理解した」
恋愛ばかりは全盛期とはいかない。
そもそも恋愛経験など何一つ無いから、全盛期であったことなど一度もないのだ。
だから、これが私なりにできる精一杯のプロポーズであった。