1-3後のココ視点のお話。
若干の曇らせ注意です。
魔女裁判が終わり、焦げ臭い匂いが裁判所の中に立ちこめていた。木が燃えた後の匂いに加えて、別のもの燃えた匂いも微かに感じていて。ほんの少しの吐き気と共に、ココはふらふらと裁判所を後にする。
大扉の前で、一度振り返ると、処刑台の前で呆然と立ち尽くすエマの姿があった。
ホールへと出る。牢屋敷の中は、静かだった。賑やかなキンキンとする声も、騒がしい弾む声も、どこからも響いてこない。ただ、静寂だけが牢屋敷の中にあった。
自由時間はまだ残っている。ココは体も心も疲弊しているのが分かっていたけれど、その足は監房へと繋がる地下への階段ではなく、正面の出入り口の方へと向かった。
外の空気を吸いたかった、というよりも。足が勝手に動くままに、歩く。そこに意志は存在せず、ただ、歩いて、歩いて――――。
「…………」
気がつけばココは、ゲストハウスの前に立っていた。
その内の一棟は、建物の上部が黒く焦げている。その扉だけがやけに真新しくなっている。あの時、ヤンキーが鍵を壊したから、きっと裁判をしているうちに看守とかが直したんだろう、と思えた。
鍵は、かかっていなかった。ドアノブを回す。扉を押し開く。
「――――――――ッ!」
ハンナが首を吊っている姿を、見た気がした。
瞬きをすると、その姿は幻のようにかき消える。もちろん、ハンナの死体はそこにはない。
中に足を踏み入れる。
つん、と、微かに焦げ臭い匂いが鼻をついた。
体の中の力という力が急になくなっていくような感覚も、はっきりと覚えている。
今、その死体はないはずなのに、ココの目に、その時の映像が目に焼き付いて離れない。
綺麗なままのドレスのような服も、一切乱れのない綺麗な金髪も、細すぎて心配になる身体も、あの日に触れて初めて分かった小さな手も。全部が綺麗なままだった、ハンナの死体。
首にロープさえなければ、【浮遊】の魔法で空中に浮いているんじゃないかと思えるくらいに、綺麗なものだった。
けれど、その目には光はなくて。その口は息をしてなくて。それが、生きている人のものではないということは、すぐに分かった。
そして、今。魔女裁判が終わって。犯人も分かって。犯人が処刑されて。自由に動けるようになって。それでも未だに、今が現実だとは思えなかった。
今居るのが夢じゃないことは、微かに残っている焦げた匂いと、膝に感じる床の冷たさで分かる。
床の、冷たさ。
気がついたらココは、膝立ちになって、上の方を見ていた。
俯いたハンナとまっすぐに視線が合うような位置に、その視線は固定されていた。
「…………なぁ、お嬢、さぁ」
出した声は、思った以上に、小さかった。
「なん、で……………………」
それ以上の言葉は、出なかった。
視界が歪んで見える気がした。鼻がつんと痛くなる感じがした。頬が冷たく感じられた。喉が勝手にひくっと音を立てた。
どうしてかは、分からない。のに、涙が、止まらなくなった。
「…………あてぃしさ、知ってたよ。お嬢のことは、さぁ…………」
異変を感じたのは、数日前からだった。下のベッドの方でなにやらうなり声が聞こえて、目が覚めたのがきっかけだった。何かハンナが悪夢にうなされているような寝言も聞こえて来て、何度も起きる音が聞こえた。
『まだ…………大丈夫。だいじょうぶ……。誰にも、見せちゃだめ。わたくしは、気高く、なきゃ、いけないの…………』
そう、呟いたのを聞いたのは、片手の指じゃ足りないくらい。
声をかけようと思ったのは、両手両足の指なんかじゃ足りないくらい。
それでも声をかけられなかったのは。
だから――言えなかった。
――わたくしは心配ですわ。ココさんがずっとベッドで寝てるんですから。ご飯はしっかり食べてますの? 外を出歩かないと体が鈍りますわよ?
うなされた夜が明けて、牢屋のロックが外れた後。監房を出るお嬢に『いってら』と声をかけたとき。ハンナが優しげな声で言っていた事が、今更になって頭を過ぎる。
ほんの何日か前の話だ。その声も、はっきりと覚えてる。
「あてぃしだって、心配だったよ……おじょう………………」
言ったところで、言葉が返ってこないことは分かってる。でも、言わないではいられなかったし、涙が、どうしようもなく出てくる。顎を伝って、ぽたりと床に落ちる音が聞こえた。
――もしもお嬢が、自分に弱いところを見せてくれてたら、何かできてたん?
頭の中で、自分が問う。
何もできなかったかもしれない。でも、そばにいてやることくらいは、できたかもしれない。お嬢のことを、見ているだけの状態からは脱却できていたかもしれない。
もう、全てが、遅すぎるけれど。
「あああ、ぁぁぁぁぁ……………………」
ココの慟哭だけが、火精の間に響いていた。
お嬢は、遠野ハンナという少女は、言葉こそお嬢さまのようだったけれど、話してみたら、まったくそんなことはなくて。
世話焼きで、心配性で、誰かを疑うようなことをしない優しい――甘いともいうけれど――人で。
だから。
放っておけない妹みたいなやつだと思ってた。
勝手に、親近感を覚えていた。
一緒の部屋で生活して、時々話して、お互いに心配して――少しだけ、家族のようだと思ってた。
いや、違う。
家族のようだと、思ってる。
今も。
そうじゃなきゃ――こんなに、胸が痛いわけがない。こんなに、涙が出ないわけがない。
大事な人を喪うのなら。もう誰も信じない方がいいかもしれない。誰も大事に思わない方がいいのかもしれない。
だって、辛いから。胸がこんなにも、しんどいのだから。
――ずっとそう思ってたし、そうやって生きてきた。
――だったら、お嬢とだって、関わらなければ――――。
「な、わけ、ないじゃん…………か、さぁ………………」
自分で自分を、否定する。それは絶対にない。ないったら、ない。
どれだけ自分がハンナに救われたか。ハンナがいなかったら、今ごろ自分がどうなっていたか。
時にはおかんみたいに無駄に関わってきて、時には手のかかる妹みたいなことを言ってきて、かと思ったら弱ったときには姉みたいに話に乗ってくれて――気兼ねなく、直接話せる相手がいることが、どれだけ救いになっていたか。怪力ゴリラへの愚痴と言う名の惚気話に付き合ってやって、『で? 怪力ゴリラのこと好きなん?』とからかったときのお嬢の恥ずかしがる顔に、どれだけ癒やしを貰っていたかわからない。あの騒がしい声が、どれだけ牢屋敷を照らしてくれていたか分からない。
自分がハンナの一番になれないことは知ってる。怪力ゴリラが、自分の命を使ってでも、ハンナの願いを叶えたのを知らされて、そんな相手と同じ場所に立てるだなんて思わない。
「………………でも、さ」
ただ――――お嬢の、ルームメイトとして。お嬢が、元気でいたら、それでよかった。お嬢のきゃんきゃんと鳴く声を聞けていれば、仲良くじゃれ合うのを見ていたら、それだけでよかった。
いてくれていたら、それだけ、で…………、よかった、のに………………。
スマホから、ホゥ、ホゥ、と音が鳴る。自由時間が終わる連絡だった。
「行か、なきゃ…………」
手を使って、立ち上がる。よっこらしょ、と、勝手に口から言葉が出る。おじいちゃんの口癖が移ったせいでお嬢にからかわれたのを思い出した。その時は思わず強く返してしまったけれど――もう少し優しく返してやってればよかったと、今更になって思う。今更すぎる。
外に出る。突然吹いてきた風に、体が震えた。
足早に監房に戻って、鉄格子を閉める。その数分後に、ロックがかかる音がした。
――おかえりなさい。遅かったですわね。
監房に戻る度にいつも返ってきた挨拶は、もう聞こえてくることはない。もう一生、聞こえてくることはない。
そう思うと。
「………………ッ」
急に、涙が出てきた。
あったものが、なくなる。それを実感した瞬間に、どうしようもなく、寂しさが、湧き上がってきた。
急いで上のベッドに戻――ろうとして、そのまま、下のベッドに入った。
ハンナがいた形跡は、もうどこにも残っていない。作っていたぬいぐるみは、どこかに行ってもう見当たらない。金色の髪も、ドレスのような服も、何も何も、もう、見えない。
枕に顔を埋める。微かに、ハンナの残り香を感じた気がした。
「………………おじょう…………」
ココは、静かに、今はもういない人物の愛称を呼ぶ。
「さび、しい………………」
言えばすぐに飛んで来た姉のような人物は、もう居ない。
あるのは。
ハンナがいたという思い出と、いずれ消えてしまう微かな匂いだけだった。