喪失が疼痛は消えず -弟子の性癖をぐっちゃぐちゃにして逝くTS師匠- 作:クソデカ感情好き
「あんまり強さに幻想を抱かない方がいい」
師匠はどこか寂しそうにそう語っていた。
「誰にも負けない力は何もとりこぼさない力じゃねえ。たとえ武の極みに辿り着いたとして、全てを救うことはできない。仮にできるなら、それはもう人じゃない。神や仙人の域だ。そして、全能ってのは存外窮屈なもんかもしれねえぞ」
自らを半仙であると名乗る彼女は、そう締めくくった。
◆
次の街までは思ったよりもスムーズに行けた。
途中で魔物に襲われる行商を助けるイベントはありつつも、それ以外は驚くほど平和だった。
ロザリアによれば、ボーモント家の追手は多くの場合人混みに紛れて襲ってくるそうだ。
平地のように死角のない場所では、奇襲の優位性も取りづらいのだろう。木を隠すなら森の中。人を隠しなら人混みの中だ。
けれど、襲撃を受ける側であるイザベラたちも、ずっと街の外で行動するわけにもいかない。野営は十分に体を休められない。食料をはじめとした物資の補充も必要だ。
さらに、街の外では魔物の襲撃のリスクが常に付きまとう。
この世界における魔物の強さはピンキリで、突然強力な個体に襲われることも珍しくない。
行商を襲っていたゾウの魔物などが典型例だった。周辺で目撃情報のなかった、超巨大個体。
全力を出したフェンリックが鎮圧したが、あれは本来上級の冒険者が何人も集まってようやく討伐できる上位の魔物だ。
彼があの場に居合わせなかったら、冒険者含む何人もが犠牲になっていただろう。
つまるところ、街に入った後も決して警戒は解けないのだ。
手際よく宿の一部屋を確保すると、ロザリアがさっそくこれからの方針を話し始めた。
滞在は5日程度、その間に物資の確保や情報収集、休息を済ませる。
「今までと同様に、私が買い出しなどを行ってきます。その間、お嬢様とフェンリック様は部屋で休んでいてください」
「待て、お前の護衛はどうなる?」
当たり前のように言ったフェンリックに対してロザリアは驚いたような目を向けると、少し顔を逸らした。
「狙われているのは私ではなくお嬢様です。問題ありません」
「詭弁だ。お前が人質にでも取られれば、イザベラは迷わず飛び出していくだろう」
「……私は大丈夫ですよ。あなたほどではないですが、それなりに戦えるので。私の心配は不要ですよ」
「──ねえロザリア」
やり取りを黙って見守っていたイザベラが口を開く。
「私もあなたとお買い物行ってみたい。元々、使用人じゃなくなったロザリアにばかり働いてもらうのもおかしな話だったと思う。 それに、三人で行動すれば一番安全じゃない?」
「……お嬢様」
イザベラの瞳は真っ直ぐに自分の主張を訴えかけていた。
「お嬢様」ではなくなった彼女が自分の主張をあまり言わなくなってから久しい。我儘が言えるような環境ではなくなったからだろう。
だから、その真っ直ぐな瞳はロザリアの胸を打った。
「……そうですね、それではフェンリック様、お願いできますか?」
「任せろ」
その言葉を聞いたフェンリックは、少し嬉しそうに自分の胸を叩いた。
◆
誰かと買い物に行くなどというイベントはフェンリックにとって久しぶりのことだった。
仲良さげに話しながら市場を歩くイザベラとロザリアの背中を見ながら歩く。
こうしていると、昔師匠と買い物に出た時のことを思いだす。
師匠は自分の生活に無頓着な人間だったので、家事周りは自分が積極的に引き受けたものだ。
フェンリックは少しばかり心地よい回想の世界に入り浸った。
「だから言ってるじゃないですか師匠! 酒だけじゃなく飯も食ってください!」
「だああ、うるせえうるせえ! 酒は百薬の長、万能薬だ! だいたいオレは半仙なんだから霞食って生きることだってできんだよ!」
「そんなん食ってるの見たことないですよ! いくら師匠の体が人間離れしてるからって飯を食わないのはよくないです! ああもう、貸してください! 俺が買う!」
師匠の財布(ボロ布)をひったくってフェンリックが言い放つ。
本気で抵抗する気があるなら師匠が財布を奪わせるわけがない。それを消極的な肯定と見たフェンリックは、市場の奥へとズンズン歩いて行った。
「なあフェン……お前の飯が手抜きでクソマズだったのは悪かったよ。だから、もうそれくらいでいいんじゃねえか?」
気合を入れて買い込むフェンリックにおずおずと言ってくる師。
マズいものを食わせている自覚はあったのか……!
恩人から施されている飯ゆえに文句をつけづらかったフェンリックは額に青筋を立てて振り返る。
「どうせ、山奥に籠ってしばらく帰ってこないんでしょう? それならまとめて買います。俺と、師匠のために」
「えー、早く帰ろうぜー」
女児みたいな声を出す師匠を放っておいて買い物を続ける。
山奥の穴倉暮らしと言えど、焼く、切る、煮る、くらいならできる。
保存の効く食糧を買いこめば、それなりの味のものができるはずだ。
家族と暮らしていた頃に少し料理の手伝いをしていたフェンリックは、そう計算していた。
彼が食事に拘ったのは自分のためというよりむしろ師匠のためだ。
彼女は健康的とは程遠い生活をしている。朝昼晩と酒を飲み、飯も不規則、眠くなったら眠るという有様だ。
それでいて肉体は最強クラスの強度なのだから、理不尽にも程がある。
おそらく、卓越した「気」の操作能力を持つ彼女は体の代謝能力などもある程度コントロールできるのだろう。
彼女には少しでも長生きして欲しかった。自称百歳である彼女がいつ寿命を迎えるかは定かではない。そもそも、肉体は常に十代のような若々しさを保ち続けている。老衰している様子はまったくない。
だからこれは自分勝手な我儘だ。少しでも長く、自分と一緒にいて欲しい。自分を見ていて欲しい。
その願いの行方は──
「──フェンリック! フェンリック?」
ふと視界前に向けると、イザベラが心配そうにこちらを見ていた。
「苦手なモノとかダメな食材がないかって……聞いてた?」
「悪い、少しボーっとしてた」
護衛として、あまりよくない態度だったな、と反省するフェンリック。
その様子を心配そうに見る二人の様子には気づかない。
「飯の好みはあまりない。俺のことは気にするな」
「そう……?」
思えば、人と一緒に料理なんて久しぶりだ。
知り合った冒険者と飲み屋で一緒に呑む程度ならあったが、それ以上深い関係になることはなかった。
入れ込み過ぎなのかもしれない。この二人相手だと、どうにも調子が狂う気がする。
フェンリックは人助けをしてもその後はあまり関わらないようにしていた。
たとえば魔物に襲われる人を助けたとしたら、街に送り届けるところまで。それ以降は関わらないようにする。
人助けは時に依存を生み出す。助けてくれたフェンリックにまた助けて欲しいと期待するようになる。彼に縋るようになる。
けれどそれは自立とは遠く離れた状態であり、「助けた」とは言い難い。
経験から、フェンリックはそんな風に考えていた。
彼は鍛錬を積んできた武人に過ぎず、メンタルケアができるような大層な人間でもない。
師匠が俗世に関わらないように、と言っていたのはこういったことも考えた上でのことなのかもしれない。
イザベラとロザリアの会話に時々相槌を混ぜながら、彼女らの楽しそうな買い物に付き合う。
入れ込んでしまう理由は何だろう、と彼女らの横顔を見ながら考える。
ルックスは師匠に似てるわけでもなく……性格もロクデナシってわけでもないし……。
様々な可能性を検討していてふと思い浮かんだのは、最初に襲撃を受けた時のイザベラの姿だった。
初対面の冒険者である自分を巻き込まないように自分の身を盾にする姿勢。命を狙われる恐怖にその手は震えていて、けれど一歩も退くことはなく。
その姿は泥中に咲く蓮の花のように美しかった。
そんな思考を経て、ふと腰に差した一振りの短剣に目をやる。その柄部分には、蓮の花が彩られていた。
拳法家たる彼がその剣を使うことはまずない。しかしいつまでもそれを身に着けているのは、師匠から贈られたものだからだ。
「ほれ、元服祝い……みたいなものだ」
「……元服?」
「あー、ちょっとは大人になったんじゃねえの、みたいな?」
「ほ、本当ですか!?」
師匠が自分を子ども扱いしてくるのが、フェンリックは常々不満だった。
彼女の元で鍛錬を続けて数年。自分はもう何もできない子どもではない。
強くなったし、家事能力に至っては既に師匠よりも上だ。
だからその贈り物を、短剣をもらったことを嬉しく思ったことをよく覚えている。
模様としてあしらわれた蓮の花は師匠の好物だ。
花より酒、満月より酒、芸術より酒というおよそ風情に欠ける彼女だったが、なぜか蓮の花だけはやけに気に入って、見つけるたびに持ち帰っていた。
「知ってるかフェン。伝説だと、仙人が生き返る時には蓮の花から還ってくるらしいぞ」
そんな伝説、彼女以外から聞いたことがなかった。東方の言い伝えだろうか。
しかしその話がいつまでも頭に残っているフェンリックは、まるで縋るようにこの蓮のあしらわれた短剣を身に着けていた。
「……フェンリック様、やはり心ここにあらずですね」
「ええ。……とりあえず、買い物を終わらせましょうか」