リビングに通されると、母さんはやたら上機嫌だった。
「ヤチヨちゃん、何か飲む? 紅茶? ジュース?
あ、ココアもあるわよ!」
「えっ、いいんですか!?」
「もちろん! 遠慮しないで〜!」
「わーい!じゃあココアで!」
元気よく返事をしたヤチヨが、当然のように椅子へ座る。
……いや、お前馴染むの早すぎない?
母さんも完全に歓迎モードだし……
というか──さっきから母さん、俺よりヤチヨに構ってない?
「……おい」
「ん?」
「なんでお前、もう実家みたいな顔してんだよ?」
「えへへ……コミュ力の差だね!」
どや顔でピースサインを向けてくる。
なんだこいつ。
そんなヤチヨを見て、母さんは楽しそうに笑っていた。
「ほんと明るい子ねぇ〜」
「よく言われます!」
胸を張って答える。
「自分で言わないやつだろ、それ」
「ミコトは失礼だなぁ」
むぅ、と頬を膨らませるヤチヨ。
その様子に、また母さんが笑う。
……なんだろう。──変な感じだった。
実家のことは全然覚えていない筈なのに。
ヤチヨがいるだけで……いつも通りな感じがする。
「はい、ココア」
テーブルに湯呑みが置かれる。
「ありがとうございます!」
「いいのいいの。ゆっくりしていってね」
そう言って母さんは向かいに座った。
そして──
じ──っ、と俺たちを見てくる。
「……な、なに?」
「いやぁ?」
なぜかやたらとにやにやしている。
……もう嫌な予感しかしないんだけど。
「まさか、ミコトが女の子連れてくる日が来るなんてねぇ」
「やめろ」
「しかもこんな可愛い子!」
「やめて」
「しかも
「やめ──ん?」
距離感……は別に普通じゃ……?
「だって、さっきからずっと隣にいるじゃない」
「──え?」
言われて気づく。
いつの間にかヤチヨがぴったり横に座っていた。
お前……椅子の位置、最初はこんな近くなかったろ。
「……お前、もうちょい離れろ」
「なんで〜?」
「なんでー、じゃない!」
「だってミコトの隣の方が落ち着くし」
悪びれもなくそんなことを言う。
こいつ、本当にこういうところだぞ……。
「ふふふっ」
母さんが微笑ましそうにこちらを見る。
「二人は仲良いのね〜」
その言葉に、一瞬だけ言葉に詰まった。
仲が良い……か。
……まあ、悪くはない。
というか、八千年も一緒にいた相手に対して、
“仲が良い”で済ませていいのかすら分からない。
「──そうなんです!!」
ヤチヨが勢いよく頷く。
髪がふわりと揺れ、満面の笑みが浮かぶ。
「私たち、すっごく仲良しなんですよ!」
そして、にこにこと笑いながらこちらを見る。
「ねー?」
同意を求める視線。
期待に満ちた目がじっとこっちを見てくる。
だが、
「………」
親の前で堂々と言うのが妙に気恥ずかしくて、
俺は無言を貫いた。
すると──
「っっ………!?」
突然、足に鋭い痛みが走った。
なんとか声を飲み込みながら視線だけ落とすと。
テーブルの下。
ギリギリギリ!
と、ヤチヨが足の指で器用に俺の足の甲をつねっていた。
「……ね〜〜?」
表情は笑顔のまま。
──だが、目だけが全然笑っていない。
(てめぇ……何しやがる……!?)
抗議の視線を送る。
するとヤチヨは、わずかに口角を上げた。
──ミコトが素直にならないからでしょ?
ほら、早く。
“仲良しです”って、
言え──
目が、そう語っていた。
この女……笑顔のまま脅迫してきやがる!
そして、痛みに負けた俺は絞り出すように
「……とても……仲良し、です……っ…」
「ふふふ〜♪」
ヤチヨは満足げに鼻歌混じりで笑った。
その瞬間、やっと足が解放される。
「あらあら〜!」
母さんが嬉しそうに手を合わせる。
あらあら〜、じゃないんだよ母さん!
俺無理やり言わされてるから!
見えないところで暴力と陰謀が渦巻いてたから!
「……それにしても」
母さんがしみじみと言う。
「ミコト、ちょっと変わったわね」
「……え?」
「1ヶ月前より、なんていうか……」
少し考えるように視線を上げて。
「大人っぽくなった?」
ドクッ、と心臓が鳴った。
「……いや、別に」
反射的に目を逸らす。
変わった──か。
……そりゃ、変わる。
あんな時間を過ごして、
何も変わらない方がおかしい。
けど、それを説明できるはずもない。
「そう?」
母さんは不思議そうに首を傾げる。
「なんか前より、ちゃんと人を見るようになった気がする」
その言葉に。
今度はヤチヨが、静かに俺を見た。
まるで、その言葉の意味を誰より理解しているみたいに。
その視線が妙に落ち着かなくて、
俺は誤魔化すように湯呑みへ手を伸ばす。
まだ少し熱いココアの湯気が、ゆらゆらと立ち上っていた。
「……でも、ほんと良かった」
母さんがぽつりと呟く。
さっきまでのからかうような調子ではなく、
どこかほっとしたような声音だった。
「……何が……?」
俺が視線を落としたまま返すと、母さんは少しだけ眉を下げた。
「ミコト、昔はあんまり人に頼らなかったから」
不意に落ちてきた言葉に、胸がわずかに詰まる。
「一人で抱え込むタイプだったでしょ?この子」
母さんはヤチヨへ向かって話しかける。
ヤチヨは湯呑みを両手で包んだまま、小さく目を瞬かせる。
「……まあ、確かに私以外にはあんまり話しかけませんし、話しかけても敬語で壁作ったりしてますね」
言いながら、ヤチヨはちらりと俺を見る。
その視線はどこか呆れ半分で。
それ以上に、そうなるのも仕方がないと
“分かっている”人間の目だった。
まるで、本当に長い時間をかけて俺を見てきたみたいに。
……いや。
実際、そうなんだけど。
俺が誰にも心を開けなくなった時も。
壊れかけて無言で座り込んでいた夜も。
ヤチヨだけは、ずっと隣にいたのだから。
「でもね、今のミコト、前より柔らかい顔してる」
母さんがふっと笑う。
「柔らかい顔?」
思わず聞き返す。
「うん。ちゃんと、誰かと一緒にいる顔をしてるわ」
「……そうかなー?」
すると。
隣から、そっとぬくもりが触れた。
見ると、ヤチヨが軽く肩を寄せてきていた。
白い髪がさらりと俺の腕に触れる。
「……お前、だから近いって──」
「いいじゃん」
小さく笑う。
その声音はいつもの軽い調子なのに、どこか優しかった。
「ミコト、
「──っ」
一瞬、息が止まりかける。
母さんはその意味を知らない。
けれどヤチヨだけは知っている。
俺が積み重ねてきた時間も。
失ったものも。
抱えてきた痛みも。
「……何の話?」
母さんがきょとんとした顔で尋ねる。
ヤチヨは「あっ」と口を開き──
「えーっと……バイトです、バイト!」
あはは、と笑って誤魔化すヤチヨ。
危なっかしい。
こいつ、時々こういうところ本当に雑なんだよな……。
だが母さんは特に気にした様子もなく、
感心したように頷いていた。
「へぇ〜。ミコト、ちゃんと頑張ってるのねぇ」
「……まあ、一応」
不躾に答えると、不意に母さんがぽつりと呟いた。
「でも、安心した」
その声は、さっきまでより少し静かだった。
「ちゃんと、ミコトの隣にいてくれる子がいるんだなって」
──俺は何も言えなかった。
そんな俺の代わりみたいに。
ヤチヨがまっすぐ前を向く。
背筋を伸ばし、迷いなく母さんの目を見る。
「──もちろんです!」
その声は、驚くほどはっきりしていた。
冗談っぽさも、照れもなく。
「これからもずっと隣にいるって、決めてるので!」
きっぱりと言い切る。
「そう……」
母さんは、それ以上は追及してこなかった。
だから俺は、ようやくこの話題も終わったのだと思っていた。
だが──甘かった。
「ところで……」
不意に、母さんが意味深な声を出す。
嫌な予感がして顔を上げると、案の定。
母さんは両手を組み、こちらを見ながらにやにやしていた。
……あ、これ絶対ろくでもない流れだ。
「あなたたち、付き合うきっかけって何だったの!?」
もうこの母親、ほんと嫌……
俺は思わず顔をしかめる。
「どっちから告白したのかしら……!?」
身を乗り出してくる母さん。
完全に面白がってるな……これ。
告白って、そりゃ……
──ん?
「「……告白……?」」
俺とヤチヨの声が、ぴたりと重なる。
思わず二人で顔を見合わせた。
その瞬間、妙な沈黙が落ちた。
……そういえば。
改めて考えると、俺たちって。
ちゃんと「付き合おう」とか、
そういう話をしたことがあっただろうか。
気づけばずっと一緒にいて。
当たり前みたいに隣にいて。
離れたくないと思って。
守りたいと思って。
でも──。
“恋人になる瞬間”みたいなものは、
思い返しても存在しなかった。
俺がそんなことを考えていると、
隣でヤチヨがちらりとこちらを見た。
その瞳が、どこか悪戯っぽく細められる。
「それは……」
なぜか少し頬を染めながら、ヤチヨが口を開く。
「ミコトの方から、“好き”って告白されて……♡」
「おまっ──!?」
反射的に声が漏れる。
ヤチヨはしれっとした顔で、
けれど口元だけが楽しそうに緩んでいた。
「あらっ!? そうなの!?」
母さんが爆発的な勢いで食いついた。
やめろ、目を輝かせるな!
「いや、違っ──」
慌てて否定しかけた、その瞬間──
すり……。
足に柔らかい感触が触れる。
ぴくりと肩を震わせる。
テーブルの下。
ヤチヨの足が、俺の足に絡みつくように擦られている。
おそるおそる横を見ると……
ヤチヨは、にこにこと笑っていた。
──肯定しろ?♡
無言なのに、圧がすごい。
「……そ、そうです」
恐怖に敗北した俺は乾いた声を漏らした。
「俺から……好きって、言いました……」
言いながら、自分で何を言わされてるんだと思う。
実家に帰って休まるどころか、
HPゲージがごりごりと削られていくんだが?
「えへへ♪」
ヤチヨは満足そうに微笑んでいた。
くっ……大ダメージを食らったが、
これで今度こそ解放される──そう思った。
だが──
そこで止まるような母さんではなかった。
「で!? その時なんて言ったの!?
シチュエーションは!? どこで!? 夜!?」
食いつき方が完全に週刊誌記者だった。
俺がげんなりしていると、
「私も……"もう一回"聞きたいな〜〜?」
隣でヤチヨが、わざとらしく頬杖をつきながらこちらを見る。
目が完全に期待していた。
(もう一回ってなんだ!?一回もしたことねーよ!)
「お母さんも聞きたーい!」とか乗っかってきてるし。
……なんなんだこの地獄。
「……いや、だから……」
言葉に詰まる。
けれど。
ヤチヨはじっと俺を見つめたまま、
逃がしてくれそうにない。
……くそ。
俺は深くため息を吐いて、頭をかいた。
「……その、なんだ」
喉が妙に熱い。
こんなの、面と向かって言うのなんて慣れてない。
というか、ほぼ初めてだ。
俺は視線を逸らしながら、小さく呟く。
「……俺は、お前といるのが一番落ち着くし」
ヤチヨがぴたりと動きを止める。
「一緒にいると楽しいし……」
母さんが「おお〜……!」と小声で盛り上がっているのが聞こえた。
うるさい。
「……離れたくないって、ずっと思ってる」
言葉にするたび、顔が熱くなっていく。
でも、一度口にしてしまうと、不思議と止まれなかった。
俺はちらりとヤチヨを見る。
ヤチヨは、さっきまでの余裕そうな顔を消していた。
目を丸くして、じっと俺を見ている。
だから俺は、覚悟を決めて最後まで言った。
「……だから、その」
一度息を飲む。
「俺は、ヤチヨのことが好きだ」
静かに。けれど、はっきりと告げた。
一瞬、部屋の空気が止まった。
次の瞬間──
ガタッ!
ヤチヨが勢いよく立ち上がった。
「──えっ」
「ちょっとお手洗い行ってくるね……」
「う、うん……廊下でてすぐだから……」
「ありがと……」
そう言って、ヤチヨがものすごい勢いで
リビングを飛び出していく。
バタバタバタッ!!
廊下の向こうへ消えていった。
残された沈黙。
(なんだあいつ……? 自分がしろって言ったくせに)
俺がクエスチョンマークを浮かべていると。
「……あら〜〜」
母さんは相変わらずにっこにこであった。
だが、その視線はヤチヨが消えていった
廊下へと向けられていた。
「……?」
「はぁ〜……この子はダメか〜」
今度は俺を見て、ため息を吐いていた。
なんか急に罵倒されたんだけど……
────────────────────────
ヤチヨside
──バタン。
トイレの扉を閉めた瞬間。
「っっ〜〜〜〜〜〜〜!!!」
私はその場にしゃがみこんだ。
顔が熱い。
おそらく、今自分は真っ赤な顔をしているだろう。
彩葉のつけてくれた、感情にリンクして顔色を変化させる機能が、まさかここで効いてくるなんて……
「な、なにあれ……っ!」
両手で口を押さえながら、足をばたばたさせる。
『俺は、ヤチヨのことが好きだ』
頭の中で、さっきの声が何度も再生される。
「〜〜〜〜っ!!」
思い出した瞬間、私は便座に突っ伏した。
あんな真剣な顔で。
真正面から言われるなんて思わないじゃん……!
「は、初めて……好きって言われた……!」
顔がにやける。
止まらない。
嬉しすぎる。
「もう……ミコトのくせに……」
ぽそっと呟きながら、自分の頬を押さえた。
胸の奥がふわふわして、幸せでいっぱいだった。
しばらくして。
ゆっくりと鏡を見上げる。
そこには、顔を真っ赤にして、
だらしなく笑っている自分が映っていた。
「……これじゃ、まだ戻れないなぁ……」
私は深呼吸を繰り返しながら、なんとか落ち着こうとした。
けれど。
『俺は、ヤチヨのことが好きだ』
「〜〜〜っ!!」
また思い出してしまい、私は再び便座に突っ伏したのだった。