???side
「……んぅ……」
ぼんやりと目を開けると、視界がまだ滲んでいた。
ゆっくり身体を起こすと、
肩までかけられていた毛布が膝へ滑り落ちた。
ソファの柔らかさと毛布の温もりが心地よくて、
意識が現実へ戻り切っていないのが自分でも分かった。
私はぼんやりした頭のまま周囲を見回す。
(確か、今日は夜ご飯を食べて、
そのあと少し2人と話して……)
それから──
眠くなって、そのままソファで寝てしまったみたいだ。
部屋の中は静かだった。
テーブルの方へ目を向けると、ミコトが椅子に座り、
片手でスマホを持ちながら、イヤホンを耳につけている。
画面の光が横顔を照らしていて、
その姿は妙に真剣そうに見えた。
「あれ……?」
小さく声が漏れる。
いつもなら近くにいるはずの人物が見当たらない。
私はミコトの方へ歩いていき、眠たげな声のまま尋ねた。
「ねぇ、ミコトー……"ヤチヨ"は?」
すると、ミコトはイヤホンを片方外して振り返った。
「おっ、起きたのか」
少しだけ笑いながら答える。
「ヤチヨなら今、"配信中"」
「
聞き慣れない言葉だった。
私が首を傾げると、ミコトは「あー……」
と困ったように頭を掻く。
「説明するより見た方が早いな。ほら」
そう言って、スマホをこちらへ向けた。
「……!」
画面の中には、一人の女の子がいた。
白くて長い髪。
胸にはメンダコのアクセサリーを付け、和服を思わせる衣装が、画面の中でひらりと揺れている。幻想的で、綺麗で、どこか現実じゃないみたいな姿だった。
「これが……ヤチヨ?」
「まぁそんな感じ。配信用の姿だけどな」
そして、画面の横では文字がものすごい速さで流れていた。
『最高!』
『今日も神』
『声良すぎる』
『月見ヤチヨ最強』
「わっ……!」
思わず声が漏れた。
まるで大勢の人が、一斉に喋っているみたいだった。
「ほら、イヤホン」
ミコトに渡され、私はそれを耳につける。
そして──。
音が流れ込んできた瞬間、私は息を止めた。
「……っ」
──
いや、“綺麗”なんて言葉だけじゃ足りない。
夜空みたいに広くて。
月明かりみたいに静かで。
なのに、すぐ耳元で囁かれているみたいに近い。
流れる旋律に重なるように、ヤチヨの声が響いた。
「…………」
……知らない。
こんなもの、月にはなかった。
音が感情になって、言葉より先に胸へ入ってくる。
嬉しい、寂しい、愛しい、苦しい……
そういう曖昧で、形のないものが、
音になって身体の中を満たしていく。
私は息をすることも忘れて、ただ画面を見つめ続けた。
歌っているヤチヨは、とても楽しそうだった。
ただ純粋に、歌うことを楽しんでいて、
その声だけで、何万人もの人を惹きつけている。
それが、画面越しなのに分かった。
「……綺麗……」
自然に言葉が漏れる。
誰に聞かせるでもなく、ただ零れ落ちた声だった。
やがて曲が終わる。
すると同時に、コメントが一気に流れた。
『泣いた』
『今日もやばい』
『感情ぐちゃぐちゃになった』
『YOASOBIの【ラブレター】マジ最高!』
『ありがとう』
「…………」
私は何も言えなかった。
ただ、画面を見つめ続ける。
そして、次の曲が始まる。
今度は明るい曲だった。
軽快なリズム、跳ねるみたいなメロディ。
さっきまでとは全然違うのに、
やっぱりまた胸を掴まれる。
気づけば、私の身体も小さく揺れていた。
「……すごい」
ぽつりと呟く。
「これ……ヤチヨが歌ってるの?」
彼の方を向いて尋ねると、ただ短く言葉が返ってくる。
「ああ」
「これを聞くために、みんな集まってるの?」
「そうだぞー。毎回大勢の人たちが、ヤチヨの歌を聴きたくて、こうして動画を見てるんだ」
……こんな世界があるなんて知らなかった。
音で、人を笑顔にできる。
人を泣かせられる。
人の心を動かせる。
そんなものが、"この世界にはある"……
私は胸元をぎゅっと押さえた。
ドクン、ドクンと心臓がうるさい。
歌を聞いただけなのに。
なのに、身体の奥が熱くてたまらない。
もっと聞きたい。
もっと知りたい。
もっと、"この感覚に触れたい"。
画面の向こうで歌うヤチヨを見つめながら、
私は小さく呟いた。
「……やりたい」
「ん?」
ミコトがこちらを見る。
私は画面から目を離さないまま、静かに言った。
「私も、これ……
あんな風に歌えたら、どんな景色が見えるんだろうって。
あんな風に、自分も誰かの心を震わせられたらって。
胸が、苦しくなるくらい強く願っていた。
月で退屈な毎日を繰り返していた私が、
生まれて初めて──
自分の“夢”を見つけた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
「いや〜、今日の配信もみんな喜んでくれてたな〜!」
リビングの扉が開くのと同時に、
ヤチヨの明るい声が部屋いっぱいに広がった。
その瞬間、私は反射みたいに立ち上がっていた。
「ヤチヨ!」
「うわっ!? なに!?どうしたの!?」
勢いのまま駆け寄ると、ヤチヨがびくっと肩を跳ねさせる。
でも、そんなの気にしていられなかった。
胸の奥が、まだずっと熱かったからだ。
さっき見た……あの、言葉にできない感覚を、
知らないままじゃいたくないと思った。
「私も……あれ、やりたい」
「あれ?」
「さっき、やってたやつ!」
ヤチヨがぱちぱちと瞬きをして、
それからミコトの方を見た。
「……見せたんだ」
責めるような声音ではなく、ただ、“やっぱりそうなるよね”と言いたげな響きだった。
「いや、ちょっとだけな」
「あ〜……なるほどね〜」
ヤチヨは納得したように何度か頷く。
そして、少し困ったように笑った。
「えっとね〜……"配信デビュー"はまだちょっと
早いかな〜って、ヤッチョは思うんだけど……」
「違う、そっちじゃなくって」
自分でも驚くくらい、言葉が止まらなかった。
「“音楽”のこと、もっと知りたいんだけど……
そういう場所ってないの?」
「──え?」
ヤチヨの声が、思わず漏れたように零れる。
「もっと音楽のこと知りたいの!歌とか、楽器とか、
なんか……ああいうの全部ッ!!」
けれど、一度溢れてしまった言葉は、
自分でも驚くほど止まらなかった。
胸の奥で生まれた熱が、そのまま言葉になって飛び出したみたいに真っ直ぐだった。そして、口にした瞬間、自分の中ではっきりした。
ああ、私は今、本気で興味を持っているんだ、と。
あの歌を聞いた瞬間から。ヤチヨが楽しそうに歌っていた、あの時間から。
胸の奥に、小さな火みたいなものが灯っていた。
ヤチヨとミコトが、静かに顔を見合わせた。
そうして、なんだか妙に落ち着に払った視線を私に向けると、ヤチヨがあまりにも自然に答えた。
「音楽を学べる場所なら、音楽科の高校とか、専門で勉強できる学校とか。結構いろいろあってね」
そのまま指をピンと立てたまま説明してくれる。
「……"高校"?」
この前行ったオープンキャンパスのことを思い出し、思わず聞き返す。
「大学じゃなくて?」
「大学でももちろん学べるけど、今の見た目的には高校かな〜。年齢設定的にもそっちの方が自然だし」
そう言いながら、ヤチヨは当たり前みたいな動作で棚の方へ向かった。
がさごそと何かを取り出す音がする。
次の瞬間。
『○○音楽高等学校』
『○○学園 音楽コース』
『○○高校 音楽科』
色とりどりのパンフレットや印刷した資料が、机の上へ次々と並べられていくのを見て、私は固まった。
「──え?」
間の抜けた声が漏れる。
いや、待って……
私、ついさっき“やりたい”って、
生まれて初めて決心したばっかりなんだけど?
なのに、なんで"音楽関係の高校の資料"が今ここにあるの?
混乱している私をよそに、ミコトが淡々と口を開いた。
「偏差値、試験内容、必要科目、学費、通学距離はある程度調べて、絞ってあるから。ここから好きなところを選ぶように」
「歌とか楽器ならヤチヨが基礎は教えられるから、
一般教科はミコトから教えてもらってね〜」
「もうあと3ヶ月くらいしかないけど頑張ればいけるだ──」
「待って待って待って待って」
淡々と話していく二人を見て、
私は思わず両手を前に出した遮った。
二人がきょとんとした顔でこちらを見る。
「ん?」
「どうした?」
「なんで……もう全部準備されてるの?」
シン──と、一瞬部屋が静かになる。
ヤチヨとミコトがまたも顔を見合わせた。
そして、本気で不思議そうな顔で言った。
「「いや……言うと思ってたし」」
二人の声が、ぴったり重なった。
「怖い怖い怖い怖い!!」
ぞわりと背筋に寒気が走り、思わず後ずさる。
「これはもう"理解のある親"とか通り越して、
もはや恐怖を感じるって!!」
普通の親なら、子供が突然「音楽やりたい!」
とか言い出したら驚くはずだ。
なのにこの二人ときたら……
まるで“未来から答えを見てきた人間”
みたいな余裕を醸し出していた。
「「えぇ……?」」
二人は捲し立てる私を見ても、特に慌てる様子もなく、むしろ「なんでそんな反応?」と言いたげな顔をしている。
「前から思ってたけど、なんで毎回私の思考ルートを先読みして待ち構えてるの!? 怖いんだけど!?」
私が叫ぶと、ヤチヨは「あはは〜」と
軽く笑いながら肩をすくめた。
「そんなことないって〜☆」
「あるよ!!」
私は机を勢いよく指差した。
「なんでこんなに資料あるの!?」
先回りの規模がおかしいでしょ!
今さっき“興味が湧いた”段階なんだけど!?
「私まだ『やりたい』しか言ってないよね!?」
そう言うと、ミコトはどこか得意げな顔で返してきた。
「だから、“やりたい”って言った瞬間に、
すぐに出せるように準備しといた」
「予測変換みたいなことしないで!?」
普通は子供の意思確認してから集めるんだよ!
……本当に意味が分からない。
なんでそんな当然みたいな顔してるのこの人たち?
すると、ヤチヨが優しく笑いながら言う。
「だって、音楽に興味示すって思ってたもん」
「その確信どっから来るの!?」
ミコトもうんうんと頷いていた。
「あと才能もピカイチだし」
「まだ何もしてないけど!?」
"いい親"って言葉で片付けていい範囲を、
とっくに突破してるんだけど?
本当に、初対面なんだよね?
でも──
机の上に並んだパンフレットを見る。
その中には、音楽科のない"普通の高校"のものも紛れていた。
(……たぶん、この二人は)
私が言い出すかどうかも分からない段階で、
もうすでに考えてくれていたのだ。
もし私が「やりたい」と言った時、すぐに動けるように。
その未来を、最初から想像してくれていた。
それを思うと、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
二人がそこまで想ってくれるのが嬉しい、と思った。
でも、それと同時に──
「戸籍とか中学の卒業認定とかの準備は?」
「バッチリ!海外の中学校卒業したことにしといたよ〜♪ほら、向こうって書類管理ガバい地域あるし」
「さすがヤチヨ。あとは、やっぱり実技科目は新曲試唱がいいか……"初めて見るメロディを、その場で正確に歌えるか"ってやつ。得意だろ?」
「めっちゃ得意だね!なんなら、即興で別の歌詞つけて歌ってみせるよ!」
──やっぱり怖かった。
(……なんで私を差し置いて、
本人より先に適性分析終わってるの…?)
そのまま私が困惑していると。
「でも、その"怖っ"て思う気持ちはよ〜くわかるぞ。俺も"直接会って間もないのに性格、行動パターン、過去の体験まで全部を把握されてた人"がいたからな」
そう話すミコトは、どこか遠い目をしていた。
『えっ?実験でなにされるかが怖い?いやいや、こんなの縄文時代にお腹に矢が刺さった時に比べたら全然ですって!すぐ終わりますから……"それよりも内容を教えて"、ですか……?とにかく、"大丈夫"ですから!さあ、実験を始めましょう!』
『……今、"逃げよう"って考えてますよね?……なんでわかるのか?だって、ほんの少しだけ声が上擦ってましたし、警戒してる時に左手だけ少し握る癖が出てましたし、そうだろうなって……あはは、そりゃわかりますよ!だって──』
『8000年間、ずっとミコトさんのことを
すぐ近くで見てきたんですから!』
「──ほんと……自分の全部を一方的に知られてるって、けっこう恐怖を感じるんだよな……」
ミコトは深いため息を吐いた。
それを見た隣のヤチヨが「あ〜……」と
なんとも言えない顔をした。
……なんの話だろうか?
ミコトが何を思い出したのかはわからないが……
音楽。
学校。
そして、未来。
さっきまで知らなかった世界が、
急に目の前へ広がった気がした。
見ず知らずの宇宙人である自分の、その全てを当たり前みたいに支えようとしてくれる二人。
そんな二人が、少し怖くって。
でも、それ以上に。
月では一度も感じたことのなかった、
“家族”というものの温かさを感じていた。
◇ ◇ ◇
ヤチヨside
「ごめんね〜、ちょっと飲み物取ってくるから席外すー」
配信画面に向かって軽く手を振り、ヘッドセットを首に掛けたまま部屋を出た。
廊下を歩きながら、ふとリビングの方を見る。
あの日から二週間が経ち。
わずか三ヶ月という短い期間で、高校入試合格を目指すための勉強会が日夜行われている。
普通なら無謀だと笑われてもおかしくない挑戦だけれど、あの子は本気だったし、私とミコトもまた本気で教えていた。
気が付けば、リビングの本棚は半分以上が参考書や問題集で占領されていた。
そして今日は、ミコトがあの子の勉強を見る日だった。
(……ちゃんとやってるかな〜♪)
少し気になって、静かにドアを開ける。
すると。
「できた──!!」
嬉しそうな声が部屋に響いた。
机の上には問題集とノート。
そのノートは、ほんの二週間前までまともに地球の教育を受けていなかったとは思えないほど綺麗に、計算過程や答えで埋まっていた。
「お〜〜」
ミコトがノートを覗き込みながら目を丸くした。
「マジで全部合ってんじゃん」
「えへへ〜、すごい〜?」
「すごいすごい。ちゃんと途中式も書けてるし」
褒められた瞬間、顔がぱっと明るくなる。
まるで太陽を浴びた花みたいに、
一気に表情が柔らかくなった。
「この調子ならすぐに他の科目も中学の範囲まで終わりそうだな」
ミコトが笑いながらそう言うと、
彼女は嬉しそうに椅子ごと近づいた。
「ねぇミコトー!私、頑張ったから頭撫でて〜?」
そう言いながら、ミコトの腕を軽く引っ張る。
(はぁ……まったく、ちょっと頑張ったからって調子に乗っちゃって……あの男のデレ期なんて八千年に一回のSSR排出率でしか来ないんだから、そんな簡単に褒めるわけ──)
「えらいぞー、よく頑張ったな!」
ミコトが頭に手を乗せ、優しく撫でる。
そして、あの子も撫でられた瞬間、
ふにゃっと笑った。
「えへへぇ……♪」
(………は?)
予想が、粉々に砕け散った。
それだけでは終わらず、気持ちよさそうに目を細め、もっと押し付けるように頭を寄せる。
「こら、撫でにくいだろ?」
頭をわしゃわしゃと撫でながら、
ミコトが苦笑混じりに言う。
「もっと〜〜!」
「調子乗んな〜」
「え〜〜」
口ではそう言いながらも、ミコトの手は止まらない。それどころか、さっきより撫で方が優しくなっている気さえする。
──なにこの空間?
「でも、ほんとすごい学習能力の高さだな。このままいけば、あっという間に俺より賢くなりそうだ」
「ふふーん!ミコトの教え方が良いからだよ〜!それに、そしたら今度は、私がミコトに勉強教えてあげるね!」
「ははっ、楽しみにしてるよ」
そうして、褒められるたびに機嫌がどんどん良くなっていく。
ミコトもそれを見て、優しい笑顔を浮かべていた。
完全に二人だけの空間がそこには出来上がっていた。
「…………」
──パタン
無言のまま、静かにドアを閉める。
そして、そのまま配信部屋へ戻った。
『おかえりー』
『なんか静かじゃない?』
『どうした?』
私は椅子に座り、
慣れた手つきでヘッドセットを付ける。
マイクアームを引き寄せ、
口元まで下ろした。
そして、笑顔を作りさっきまでとなんら変わらぬ声音で。
「別に〜〜?なんにもなかったけど〜〜?」
『なんか圧を感じる……』
『怖い怖い』
『飼ってる犬がなんかぶち撒けたとか?』
『“何もない人”のテンションじゃない』
『逆に何があったんだよ』
思い出した瞬間、
こめかみがぴくりと動いた。
(……は? 何あのクソ親バカ?)
私が前に"撫でて?"って頼んだ時は、秒で拒否したくせに。
なんであの子相手だと、二秒で撫で始めてるの?
しかもめちゃくちゃ優しく。何あれ?
対応に温度差ありすぎて風邪引くんだけど?
私が風邪ひいたら責任取って、
隣でずっと看病してくれんの?
──いや、してくれるだろうけど……
そこじゃない、問題はそこじゃないのだ。
(しかも、あの子もあの子で……)
当然みたいな顔であまりにも自然に、
『ねぇミコトー、撫でて〜♪』って。
何あの甘え方?
あの厚顔無恥っぷり……
一体誰に似たんだろうか?
"親の顔"が見てみたいなぁ〜☆
……鏡?
何それ知らない。初耳ですが?
そんなことを考えていた、その瞬間。
バキッ
「……あっ」
妙に軽い感触。
視線を落とすと、右手には、
折れたコントローラーのスティック。
コメント欄が爆速で流れた。
『なんか壊れた!!』
『コントローラ────!?』
『今“バキッ”って聞こえたぞ!?』
『握力どうなってんの!?』
『スティックくんは尊い犠牲になったのだ……』
私は折れたスティックを見つめながら、
にこやかに笑った。
「コントローラーくんの耐久値が
限界迎えちゃったみたいだね☆」
『絶対違う』
『八つ当たりで草』
『コントローラー「解せぬ……」』
『壊れたのはコントローラーじゃなくて情緒定期』
────────────────────
???side
そして、迎えた合格発表当日。
リビングには、妙な緊張感が漂っており、時計の秒針の音だけがやけに大きく聞こえる。
まるで「その時」が近づいてくるのを、わざわざ知らせてくるみたいだった。
テーブルの上にはノートパソコン。
画面には高校の公式サイトが表示されていて、“合格発表はこちら”という文字が、やけに圧を放っていた。
……あと数分。
あと数分で、私の三ヶ月が結果になる。
「…………」
私はソファの端に座りながら、
膝の上でぎゅっと手を握りしめた。
落ち着かない。
心臓がうるさい。
本当に、たった三ヶ月で九年かけて学ぶ基礎科目と、それに加えて音楽関係の勉強も。普通なら無茶だって笑われてもおかしくない期間。
それでも私は毎日必死に頑張った。
分からない問題に頭を抱えて。
眠気で意識が飛びそうになりながら机に向かって。
それでも、音楽を知りたかった。ヤチヨが立っていた世界に、少しでも近づきたかった。
だから頑張れた。
でも……だからこそ怖い。
もし落ちていたらどうしよう。
そんな考えが、頭の中をぐるぐる回って離れなかった。
「大丈夫大丈夫〜!」
重くなりかけた空気を吹き飛ばすみたいに、ヤチヨがやたら明るい声を出した。
「あれだけ頑張ってたんだから!」
「……でも」
「ここまでやって落ちたら試験側が悪いよ」
「それは暴論すぎるだろ」
ミコトが呆れたように返す。
けれど、ミコトも落ち着いているようには全然見えなかった。その証拠に、さっきから何回も時計をチラチラと確認していた。
そして──
時刻が発表時間になった。
「──あっ」
ヤチヨが画面を見る。
サイトが更新され、
合格者一覧のPDFリンクが表示された。
その瞬間、
部屋の空気が一気に張り詰めた。
「……い、いくよ」
マウスへ手を伸ばす。ただクリックするだけなのに、妙に遠かく感じた。
カチッ。
小さな音とともにPDFが開かれる。
画面いっぱいに並ぶ受験番号。
無機質な数字の羅列。
その中に自分の未来がある。
スクロールされていく数字を、私は息を止めながら見つめた。
そして、次の瞬間──
「あ……」
思わず声が漏れた。
見覚えのある番号。
何回も確認した、自分の受験番号。
それが……確かに載っていた。
「う、受かってる────!!?」
気付けば叫んでいた。
勢いよく立ち上がったせいで、
ソファがガタンと揺れる。
「え、ほんと!?ほんとに!?夢じゃない!?」
「あるある!! ちゃんとある!!」
ヤチヨも画面を指差しながら大騒ぎしていた。
「やったぁぁぁ!!!」
そのまま勢いよくヤチヨに抱きつかれ、
私はソファへ押し倒される。
「ぶへっ!?」
二人まとめて崩れ落ちた。
一方で、ミコトは数秒ほど、
画面を見つめたまま固まっていた。
まるで、本当に受かったのか確認するように。
やがて、張っていた糸が切れたみたいに、ミコトの肩からふっと力が抜ける。
「……よかった〜」
ぽつりと零れた声は、安心しきったように小さく震えていた。
心の底から零れ落ちたみたいで、その声には驚きと安心と嬉しさが全部混ざっていた。
「ミコト!!」
私は慌てて起き上がる。
「受かった!! 私、受かったよ!!」
「見てたって……」
そう返しながらも、ミコトの口元は隠しきれないくらい緩んでいた。
そして、小さく息を吐いてから。
「本当に……よく頑張ったな」
ぽん、と頭に手を乗せた。
優しく撫でられる。
その瞬間だった。
「……っ、ぅ」
張り詰めていたものが、一気に緩んだ。
「ほんとに……受かったぁ……!」
震えた声が、自分でも情けないくらい泣きそうだった。
三ヶ月間の努力、その全てが無駄じゃなかった。
ヤチヨも隣で目を潤ませながら、満面の笑みを浮かべていた。
その表情を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
高校を受験できるようになったのも、諦めずに勉強できたのも、そして、こうして合格できたのも。
全部、二人がずっと隣にいてくれたからだ。
「……ありがとう」
気付けば、そんな言葉が零れていた。
「ん?」
「え?」
二人が同時にこちらを見る。
私は少しだけ照れくさくなって、
視線を逸らしかける。
でも、それでもちゃんと伝えたかった。
だから小さく笑って、言葉を続ける。
「私を"家族"として迎え入れてくれて、ありがとう!
二人が私の両親で、本当に良かった!」
そう言うと。
ヤチヨはぱちぱちと瞬きをし、ミコトも少し驚いたように目を見開いていた。
そして、次の瞬間──
「うわぁぁぁぁぁ!!いい子ぉぉぉ!!!」
「ぎゃっ!?」
勢いよくヤチヨが抱きついてくる。
そのまま再びソファへ押し倒され、視界がぐらりと揺れた。
「ミコト──!!私たちの娘、いい子すぎる──!!」
「お前はリアクションが大袈裟すぎるんだよ……」
呆れたように言いながらも、
ミコトの口元には笑みが浮かんでいた。
どこか照れくさそうで。でも、それ以上に嬉しそうだった。
やがてミコトは、小さく息を吐いてから私の隣へ腰を下ろす。
「……でもまあ」
そう呟きながら、くしゃっと頭を撫でた。
大きくて、温かい手だった。
「お前が頑張ってる姿を、ずっと見てたからな。
……俺も親として、本当に誇らしいよ」
その言葉は、静かだった。
なのに。
胸の奥へ、まっすぐ深く染み込んでくる。
「……っ」
また、涙が滲んだ。
でも今度の涙は、さっきまでとは違った。
不安がほどけた涙じゃない。
嬉しくて。
幸せで。
胸がいっぱいになってしまった涙だった。
そうして──
長かった冬が終わって。
ようやく、自分の夢へ続く春が始まった。
◇ ◇ ◇
高校に入学して一週間──
窓から差し込む春の陽射しが、部屋をやわらかく照らしていた。
「…………」
鏡の前に立ちながら、私は小さく息を呑む。
そこに映っているのは、
いまだに見慣れない自分の姿だった。
真新しい制服。
胸元には整えられたリボン。
まだ少し硬さの残るブレザー。
そして、ふわりと揺れる"金色の髪"。
せっかく、自分でわざわざ校風の自由な高校を選んだのだから──と。
私は思い切って、髪を金髪に“変えてみた”。
そう。"染めた"ではなく、文字通り"変えた"。
試しに二人の前へ行き、私は得意げに髪色を次々と変化させながら聞いてみた。
『ねえねえ、どの色がいいと思う〜?』
緑、青、ピンク、紫。
数秒ごとに髪色が変わっていくという、
わりと人類の常識を殴り捨てた光景。
普通なら絶対に驚く。
というか、軽く悲鳴くらい上がってもおかしくない。
しかし──
『『絶対金色!』』
二人の返答は綺麗にハモった。
『相変わらず無反応!? なんで驚かないの!?』
不発だった。
……なんなんだこの二人。もう何をすれば驚くの?
肝座りすぎだって……
そして、制服へ着替え終えた私は、
鞄を持ち上げようとして──
ふと、机の端へ視線を向ける。
そこには、小さな写真立て。中に入っているのは、入学式の日に撮った写真。
「…………」
写真の中の私は、少し照れくさそうに笑っていた。
あの日。
校門の前で、ヤチヨが「記念だから!」と大騒ぎしながら撮った一枚だった。
『見てみて、ミコト!
私たち親の中でもダントツで若いよ!』
『見た目だけならな……』
二人は相変わらずいつも通りだった。
入学式の日は、夢みたいだった。
本当に自分がこの学校へ通うのだと実感して。
嬉しくて、でも少しだけ怖くて。
胸がずっと落ち着かなかった。
けれど。
写真の中の自分は、ちゃんと笑っていた。
それも、隣に二人がいてくれたからだろう。
「……えへへ」
小さく笑いながら、指先でそっと写真立てに触れる。
すると、そのタイミングで部屋の外から声が聞こえた。
「まだ準備してるのー?そろそろ遅刻するよー!」
ヤチヨだった。
「はーい!」
返事をしながら、私はもう一度だけ写真を見る。
写真の中の三人は、とても楽しそうに笑っていた。
まるで、“これから”を祝福しているみたいに。
「行ってきまーす!」
二人にそう言って、私は鞄を持ち上げた。
────────────────────
授業中の音楽室には、午後の陽射しが斜めに差し込んでいた。
磨かれたグランドピアノの黒い艶が、その光を静かに反射し、音楽科の生徒たちが並ぶ教室は、どこか独特の緊張感に包まれていた。
「──では」
教師が先ほど授業で解説した楽譜を閉じ、教室を見渡した。
「誰か……前で演奏してくれる方はいらっしゃいますか?」
その瞬間。
空気がぴたりと止まる。
まだあまり打ち解けていないため、誰も手を挙げない。
その様子を、後ろの席から眺めていた。
(うわ〜、みんな様子見してる……う〜ん。でも、歌はともかくピアノはあんまり弾けないからな〜)
そんなことを考えながら、
私はなんとなく窓の外へ視線を向けた。
──その時。
「──はい」
静かな声が響く。
けれど、不思議とその声は、
教室の空気を真っ直ぐ貫いた。
私は反射的に顔を向けた。
見れば、一人の女子生徒がゆっくりと立ち上がっていた。
長い黒髪。
窓から差し込む光が、その髪を淡く照らしている。
姿勢はまっすぐで、妙な気負いがない。
自然と目を奪われる。
「私がやります」
ざわ、と空気が揺れた。
「あ……」
無意識に声を漏らしていた。
その女子生徒は、周囲の視線など気にした様子もなく、悠然とピアノへ歩いていく。
椅子にそっと腰を掛け、指先をそっと鍵盤に置く。
その瞬間、空気が変わった。
まだ音は鳴っていない。
なのに、“始まる”とわかった。
女子生徒が、静かに息を吸う。
そして──。
最初の一音が響いた。
「──♪」
「……!」
思わず、目を見開く。
柔らかい。なのに、芯がある。
一音が鳴っただけで、景色が変わる。
まるで透明な水が、静かに心へ流れ込んでくるみたいだった。
(なに……これ……)
次の音。
その次の音。
旋律が紡がれるたび、教室の空気が塗り替えられていく。
誰も動かない。
誰も息を立てない。
ただ、その音だけが世界を支配していた。
気づけば、頬杖をやめていた。
胸の奥が、妙にうるさい。
どくん、と心臓が跳ねる。
女子生徒の横顔が見える。
伏せられた睫毛。
流れるように動く指先。
感情をむき出しにしているわけではない。
なのに──音が、感情そのものだった。
切なくて。
優しくて。
どこか孤独で。
その全部が、胸に突き刺さってくる。
(……やっばぁ〜〜!)
私は無意識に制服の胸元を掴んでいた。
胸が苦しい……なのに、もっと聴きたい。
音が鳴るたび、その人のことをもっと知りたくなる。
こんなの──知らない。
演奏を聴いてるだけなのに。
どうしてこんなに。
──心を惹かれるのだろうか
「────……」
やがて、最後の一音が静かに消える。
余韻だけが、教室に漂った。
その沈黙すら、音楽の続きを聴いているみたいで。誰もすぐには拍手できなかった。
刹那の後。
パチパチパチパチパチパチ!!
割れんばかりの拍手が起こる。
女子生徒は静かに立ち上がり、小さく一礼した。
そして、顔を上げた、その姿を見た瞬間──
胸が、また強く跳ねた。
──────────────────────
放課後──
夕暮れの光が、長い廊下を茜色に染めていた。
先ほどの女子生徒は鞄を抱えて、
静かな足取りで廊下を歩いていた。
「──ま、待って!」
反射的に声が出る。
女子生徒が足を止め、ゆっくりと振り返った。
静かな瞳が、私を見る。
その視線だけで、また心臓が騒ぎ出す。
「……なに?」
落ち着いた声。
勢いのまま、一歩前に出た。
「あ、あのさ! さっきの演奏、めちゃくちゃ良くて!」
「……そうなんだ。ありがとう」
淡々とした返事。
けれど、冷たいわけじゃない。
ただ、この人はきっと、なにか理由があって必要以上に感情を表に出さないだけなんだと。
そんな気がした。
「その……なんていうか……! えっと……」
ああ、だめだ……言葉が、上手くまとまらない。
けれど、このまま逃したくなかった。
だから、私は思い切って叫ぶ。
「──私と一緒に、音楽をやってほしい!」
瞬間。
窓の外から吹き込んだ風が、二人の髪を揺らした。
私の突然の言葉を聞いた女子生徒は、
女子生徒は一瞬目を見開く。
それから少し困ったように眉を下げて、
「えっと……ごめん。
そもそも、
一瞬、どこかの方言が出そうになりながら、
「私……あなたの名前知らないんだけど……」
彼女はそう言った。
そっか……そう言えばまだ話したことがなかったんだ。
「じゃあ自己紹介から! 私の名前はね……」
思い出すのは、生後間もない頃の記憶──
人間とは少し違う形でこの世界に現れた、小さな命。
だが、そんな自分を微塵も不気味がらずに。
私を抱きながら、二人は"名前"について話していた。
『う〜ん……そうとなったら名前をつけないとだけど……』
少し考えた後に。
『やっぱり……
困ったように笑う男性の声。
『うん……私たちにとって、大切な名前だからこそ
──この子には、
優しく、どこか懐かしむような女性の声。
『じゃあ!この子の名前は──』
「──
夕陽を背に、はっきりと言い切る。
その声には、誇らしさが滲んでいた。
当然だ。
だって、かぐやにとっては──
ミコトとヤチヨ。
自分の大切な家族が想いを込めてくれた──
"最初の宝物"なんだから!
「私が歌って、あなたが演奏すれば最強じゃん!
だから………ね?」
「なんで私がそんなこと……
"両親"と勉強も手を抜かないって、約束したし、
絶対イヤ!!」
ぷいっと顔を背けられた。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
私はヤチヨから直々に伝授された、
“対ミコト用・成功率100%交渉術”を解禁する。
「──お願ぁい……?」
少しだけ声を甘くして、
そっと上目遣いを向ける。
「うっ……、ちょ、ちょっとだけ……なら……」
落ちた。
びっくりするくらい綺麗に落ちた。
「しゃあぁ──!やったあぁぁ──!」
気づけば、私は拳を突き上げていた。
世界が私に微笑んでいるようだ。
女子生徒はその様子を見ながら、小さくため息をつく。
──けれど。
その口元は、これからの未来に期待して
ほんの少しだけ笑っていた。
こうして──
電柱から出てきて、
瞬く間に大きくなった(美)少女が!
同じ高校で出会った、
"京都出身のチョロいJK"と一緒に。
後にできる仮想空間で、
母を超えるトップライバーを目指していくんだけど
それはまた──別のお話!
???
京都出身のかぐやの友人。
幼少期からピアノを続けている天才ピアニスト。
音楽のことを学びたくて現在一人暮らし中。
仕送りは親から貰っている。
Vtuber『月見ヤチヨ』の重度のリスナーで
タレ目属性に4倍弱点を持っている。
家族構成は母、父、兄。
本来なら、かぐやと友人のちょっとした日常と
ミコトとヤチヨが友人の写真を見た時の反応も
書きたかったんですけど、長いので分けました。
あと、高校選びについてはかぐやが自分の意思で
選んだので、誘導とかはしてないです。
二人が出会ったのは運命なので。