だいぶ長くなっちゃったんですが、
最後までこの物語を見届けてくださると
ありがたいです!
< イロ
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8/23 (木)
イロ :かぐや、起きてる? 23:16
イロ :……"頼まれてた曲"、できたんだけど。
かぐや:え!?!?!?!?
イロ :あんまり期待しないでよね……
イロ :なんか気づいたら形になってただけだし
イロ :一応、送るね
(音声ファイル)
──5分後。
かぐや:……待って
かぐや:なにこれ!?!?!?
かぐや:天才すぎ────!!!!!!!
かぐや:サビの時、鳥肌やばかったんだけど!!!!
かぐや:ていうかこれ、絶対私のことめちゃくちゃ
考えて作ったでしょ!!!
イロ :べ、別に!?!? 考えてないし!?
イロ :ただかぐやの声質に合いそうかなって
思っただけだし……
かぐや:考えてるじゃん!!!
かぐや:愛じゃん!!!!!
イロ :愛ではない!!!!!
イロ :……でも、
イロ :ちょっと楽しかった……かも
かぐや:〜〜〜っ!!かわいい〜〜〜〜!!!!
かぐや:才能の塊すぎ!!
かぐや:ノーベル作曲賞あげる!!!!
イロ :そんな賞ないでしょ……
かぐや:でも、これ、"ヤチヨ"も聞いたら
絶対すごいって言うと思う!!
イロ :? なんで今、月見ヤチヨが出てくんの?
かぐや:あっ!部屋の明かりついてたから、
イロ :──は?
イロ :え、ちょ、ちょっと待って!?
イロ :どういうこと!?!?
イロ :なんでそんな知り合いみたいな
テンションなの!?
イロ :もしかして……
イロ :
かぐや:うん?
かぐや:
イロ :──は????? 既読
かぐや:じゃあ感想聞いてくるね〜! 既読
イロ :ちょっと待て!!まだ聞きたいことが──
イロ :ていうか、今、聞かせるって言った!?
この曲を!? 神にっ!?
イロ :や、やめろォォォォォォォ!!!!
────────────────────────
そうして、スマホを握りしめたまま、明かりのついた部屋の前に立つ。
(あの子、ヤチヨのこと大好きだからな〜!感想聞かせたら絶対喜ぶでしょ!!)←最後らへんのメッセージ見てない
そんなことを考えながら、そのままドアノブに手をかけて。
──ふと、部屋の中から聞こえた声に手が止まった。
「
ヤチヨの声だった。
でも、配信中の柔らかい調子でも、家でだらけながら気の抜けた声でミコトに甘えている時とも違う。もっと落ち着いていて、真剣な響きだった。
"ツクヨミ"……確か、前にも聞いたことがある名前だ。
(……また、二人ともこの部屋でなんかしてるんだ)
ここ2ヶ月くらい、二人とも様子が少し変だった。ミコトは何かを隠すように、この部屋へこもる時間が増えた。ヤチヨも、いつものようにふざけているようで、時々考え込むことが多くなった。
"何かある"……でも、それを聞いても「まだ秘密〜」と、毎回笑ってはぐらかされてしまうのだ。
だから──少しだけ。そう思って、私は息を潜めた。
「俺とFUSHIで取り組んでるけど……」
続いたのはミコトの声。
「広さで言ったら、前の10分の1も出来てないかな。途中から、スタジアムの作成とか、操作性の向上を優先してたから」
「というか、ほとんどジブンが部屋にこもって作ってるんだけどな」
呆れたような、FUSHIの声も聞こえる。
(FUSHIもゲーム?の作成してるんだ……まあ、でも別に普通か──柴犬だし)
「大変ご苦労さまです、FUSHIさま……でも、その甲斐あってなんとか形にはなったから、とりあえず第一段階はクリアだな。そもそもツクヨミがないと、交渉の席にすら座れなかったから……」
その声には、わずかな安堵が滲んでいた。
「それで、ヤチヨの方は?」
「ん〜……」
少し考えるような間が空く。
「こっちも同じで、いくら完成品を知ってるって言っても、
ヤチヨの言葉を聞いて、眉がぴくりと動く。
何十年もかかった……?一体、なにを作ってるんだろうか?
しかも、“完成品を知ってる”って。まるで、未来を見てきたみたいな言い方だった。
「頼むぞ。俺はそれ作れないし──どっちかっていうと、そっちの方が重要なんだから」
「わかってるってば〜〜、これに関しては"秘策"もあるからなんとかなると思うし」
いつもの軽い調子で返す。でも、その声の奥に、ほんの少しだけ張り詰めたものが混じっている気がした。
そして、次に続いたミコトの言葉で、胸の奥が小さくざわついた。
「秘策に関しては、こっちも用意してる。もう、
その言葉の後、部屋の向こうから音が消えた。さっきまで聞こえていたキーボードを打つ音も。機械の微かな駆動音も。
全部、止まってしまったみたいに。
「……うん。そうだね」
ヤチヨの返事は、まるで何かを押し殺すかのように小さかった。
扉一枚向こうにある空気だけが、ひどく重たく感じられた。
そして、
「……でも、大丈夫。最悪、私が一緒に──」
ヤチヨが何かを言いかけた、その時だった。
──ブルッ
突然、手の中のスマホが着信音とともに震え、"びくっ"と肩が跳ねた。反射的に、急いで音を抑えようとして、
「あ、やば──」
つるり、と嫌な感触がして、スローモーションみたいにスマホが手の中から滑り落ちていく。
そして──
ガタンッ!!
思っていた数倍、盛大な音を立ててスマホが廊下へ落ちた。
その瞬間──
「────」
ピタリ、と部屋の中の話し声が止んだ。
(やばっ……)
どうしよう……逃げる? いや、違う。私はたまたま通りかかっただけ!スマホを落としただけだから!
そんな言い訳を考えている間に。
がちゃり、と静かな音を立てて、扉が開いた。
「……かぐや?」
漏れ出した部屋の光とともに、ミコトが顔を出した。その後ろから、ひょこっとヤチヨも覗き込む。二人と、ばっちり目が合った。
「あ〜、いや、これはその……」
別に、そこまで悪いことをしたわけではないのに、なぜか頭が真っ白で何も言葉が出てこなかった。
「なんだ?部屋の前で盗み聞きでもしてたのか?」
「そっ、そんなわけないじゃん!?」
反射的に否定した瞬間、自分でもわかるくらい声が裏返った。
ミコトは何も言わず、「嘘だな」と言わんばかりにじっとこちらを見ている。
──誤魔化せない。
そう悟った瞬間、私は慌てて別の話題へ飛びついた。
「いや! 二人とも最近ずっと忙しそうだし、なんか大変そうだな〜って心配になって! あっ、そうだ! かぐや、こう見えてプログラミング結構得意なんだよ!? だから、その……」
二人のことを心配に思っているのは、紛れもない本心だった。だからこそ、少しでも負担を減らせたら、少しでも恩返しができたら。
そんな思いで、私は──
"かぐやちゃんも手伝ったげるよ!"
いつも通り、そう──言おうとしたのに。
「──お前は知らなくていい」
ぴしゃり、と言葉を断ち切られる。
その声は、私が知っているミコトのものとは思えない、まるで、見えない線を引くみたいな冷たい声だった。
「……ぇ?」
思わず声が漏れる。
ミコトは、はっとしたように目を伏せた。
でも、次の瞬間には、もういつもの表情に戻っていて。
「……かぐやは自分のやりたいことだけやってればいいんだよ。これは、"俺たちの問題"なんだから」
どこか言い聞かせるように、少しだけ無理に笑っていた。
「そうそう!それに、まだまだバグだらけで遊べたもんじゃないからね〜!完成したらかぐやにも一番に遊ばせてあげるから!」
──嘘だ。
二人の言葉を聞いた瞬間、私はすぐに気づいた。
さっきは、もう"ある程度形になった"って言ってたのに……
やっぱり、二人は私に"何かを隠している"。
どうして……そんなに頑なに私を遠ざけようとするんだろう。
まるで、向かい合う二人との間に、見えない壁があるみたいで、胸の奥がちくりと痛んだ。
……でも。ここで問い詰めたところで、きっと答えてくれない。だったら今は、何も気づいていないふりをした方がいい。
「やったー!じゃあ、楽しみにしてるね!」
なるべく明るく、何も気づいていない顔を作る。
「夏休みだからってあんまり夜更かしし過ぎずに、はやく寝ろよ」
「うん……おやすみ!」
「「おやすみ」」
パタン、と扉が静かに閉まる。
廊下に一人取り残された私は、閉じられた扉をしばらく見つめた。
さっきから、胸の奥に引っかかった違和感が、どうしても消えない。
"知らなくていい"
“俺たちの問題”
その言葉が、ずっと頭の中をぐるぐると駆けめぐっていた。
自分だけ除け者みたいにされているのも嫌だったが、それ以上に、二人とも最近ずっと忙しそうだった。
夜遅くまで起きて、何かに追われるような顔をして。
(私、本当に……二人には感謝してるんだよ? ここまで、ずっとかぐやのために動いてくれて……いっぱい助けてもらって。それなのに、こっちが心配しても「大丈夫」の一言で誤魔化して……)
……少しくらい頼ってくれたっていいのに。
なのに、どこか隠し事をするみたいに笑う二人を見るたび、胸の奥がざわついた。
それに、さっき聞こえた話……どう考えても、ただのゲーム作りには聞こえなかった。
もし、本当に何か困っていることがあるなら。
──私も助けになりたい!
その瞬間、ふと一つの考えが頭をよぎる。
「そうだ……自分で調べればいいんだ」
こっそりログインして、中を見て、何を隠しているのか確かめる。
もし本当に困っているなら、勝手に手伝っちゃえばいいんだ!
「だって……
胸の前でぎゅっと手を握りしめながら、小さく呟いて。
私は、自分の部屋へ向かって歩き出した。
────────────────────
次の日。
二人も寝静まった深夜。
(よ〜し。FUSHIも寝てるね?)
布団の中で眠るFUSHIを見る。
普段あの部屋には常にFUSHIがいるため、今日は──
『FUSHI〜!たまには一緒に寝よ──!!』
と、半ば強引に自室へ連れ込んだ。
最初は「一人で寝ろガキンチョ!」と不満そうにはしていたけれど、最終的には観念したらしく、今はこうして熟睡中である。
そっと布団から抜け出し、足音を殺しながら廊下へ出る。
目指すのは、例の部屋。
部屋の前に立ち、ゆっくりとドアノブを回すと、中は真っ暗だった。聞こえるのは、PCの小さな駆動音だけ。
スマホの明かりを頼りに、デスクのモニターを起動させた。
◇ ◇ ◇
「このVRゴーグルを使えば"ツクヨミ"に入れるんだ……」
ごくり、と唾を飲み込む。
当然、ヤチヨのパソコンにはパスワードがかかっており、身近な人の苗字と名前の掛け合わせ、誕生日など思い当たる節は全て試してみたが、結果はダメだった。
(もうこうなったら、適当にあの子の名前でも入れてやる!『i・r・o・──』っと、まあ、さすがにこれで開くわけ……)
──ログイン成功。
『………え?入れちゃった。
なんで……これがパスワード?』
一抹の疑問は残ったが、とにかく無事にログインすることができた。
いざ事を起こそうとすると、少しだけ二人に悪いことをしている気分になった。
(でも……二人が私になにを隠しているのか、知りたい!)
私は意を決して、VRゴーグルを頭へ装着した。
「せ〜〜の……っ」
深呼吸をひとつ。
次の瞬間、視界がふっと暗転した。
暗闇に、無数の光が走った。線になって、粒になって……まるで星空を誰かが組み替えていくみたいに、景色が少しずつ形を持ち始める。
そして──
気づけば私は、広大なスタジアムの真ん中に立っていた。
「お、おぉ〜〜〜!! すっご〜〜〜い!!」
声が弾んでしまったけど、そんなこと気にしていられない。
だって──目の前に広がる景色は、現実と見分けがつかないほど鮮明だった!
巨大なミラーボールのような月が、無数の光を散らしながら夜空いっぱいに浮かんでいる。砕けた銀光はスタジアム全体へ降り注ぎ、現実では絶対にありえない幻想的な景色を作り出していた。
観客席には誰もいない……なのに、ステージだけが今にもライブが始まりそうな熱気を残している。その静けささえ、どこか非現実的だった。
これが──仮想空間ツクヨミ。
「ほんとにすごい……!」
思わず声が漏れる。
「こんなの作ってたんだ! みんな天才すぎでしょ〜〜〜っ!!」
思わずぴょんと飛び跳ねる。
(これ、配信とかもできるのかな!?ライブとか、イベントとか、絶対楽しいじゃん!というか、これ公開されたら世界ひっくり返るレベルじゃない?)
そんな想像を膨らませながら、私はせり出したステージへと駆け上がった。
「おぉ〜〜!!ここでいつかライブしたいな〜〜!!」
テンションのまま、その場でくるりと回る。
すると。
「……あれ?」
──違和感を感じた。
今、何かが一瞬──視界に映ったような……
「──え?」
ステージの端に、視線を向けると、そこには。
いつからそこにいたのか分からないのに、まるで最初からそこにいたような、妙な違和感。
真っ白な体。月明かりに溶け込むように立つその姿を見た瞬間、寒気が背筋を這い上がった。
「な、
ぞわり、と鳥肌が立つ。
反射的に一歩下がった、その瞬間。
白い月人が、一歩前へ出た。
「……っ」
歩いているはずなのに足音がない。ただ、ふわりと空間を滑るように距離だけが縮まっていく。まるで映像を早送りしたみたいに、気づけば近づいてきていた。
「ちょ、ちょっと待って!? なんか怖いんだけど!?」
冗談っぽく笑おうとして失敗した。
本能が告げていた──逃げろ、と。
私は反射的に駆け出した。
「え、無理無理無理!!
ステージを飛び降り、出口へ向かう。
けれど、視界の端にまた、白。
「……っ…!」
心臓が止まりそうになった。
行き先にまた月人がいた。
一人だけじゃない。観客席の上、ステージ脇、出口付近──いつの間に現れたのか、白い月人たちが静かに立っている。
その全員が、私だけを見ていた。
逃げ道を塞ぐように。囲い込むように。
一歩。また一歩。ゆっくりと、けれど確実に近づいてくる。
「や、ちょ……なにこれ……っ」
怖い……はやくこの世界から出ないと!
そう思い、現実でVRゴーグルを外そうとした瞬間──
「………っ!?」
いつの間にか、すぐ後ろに月人が立っていた。
白い腕が静かにゆっくりと持ち上がり、細い指先が何かを確かめるように私へ伸びてきた。
「や、やめ──」
反射的に身体を捻る。
けれど、
その瞬間。
「──っ!?」
頭の中へ何かが流れ込んできた。
冷たい水を無理やり注ぎ込まれるような感覚。
懐かしいような、泣きたくなるような奇妙な感覚が、意識の奥へ侵食してくる。
──帰らなくちゃ
「……えっ?」
頭の奥で、声が響いた。
耳から聞こえるんじゃなくて、もっと深い場所。脳に直接、誰かが囁いているみたいに。
──ここは違う
──帰る場所は、月
──私のいるべき場所じゃない
どくん、と心臓が脈打ち、視界がぐらりと揺れる。
──帰らなくちゃ
──私がいるべき場所へ
──月へ
「私の……いるべき、場所?」
何、言ってるの……?
私の帰る場所は──あの家で……
そう思うのに。
心のどこか、私じゃない何かが、小さく頷いていた。
懐かしい、と。
帰りたい、と。
「な、に……これ……っ」
頭が痛い。意識の奥を、指で無理やりかき混ぜられているみたいだった。胸が苦しい。膝が震える。
「ぅ、あ……」
そして、まるで誰かに電源を切られたみたいに。
がくん、と私はその場に膝から崩れ落ちた。
薄れていく意識の中。
何人もの月人が、静かに私を見下ろしていた。
まるで、"迎えに来た"とでも言うように。
そうして──
一人の月人が、静かに"羽衣"を掲げた。
淡く白銀に輝く薄衣がゆっくりと私に迫る。
ああ……あれを纏えば。
嬉しかったことも、楽しかったことも、大切だと思えた全部が。
まるで最初から存在しなかったみたいに、
(そっか……わたし、帰らなくちゃ、いけないんだ……)
月の仕事を放り出して逃げてきた、自分勝手なわたしを迎えに来た。
これはきっと、当たり前の結末。
迫り来る月人を、わたしはただ茫然と見つめることしかできない。
(せっかく、頑張って勉強したのになぁ……)
学校に入って、友達もできて。
いろんなことを学んで。
少しずつ、この世界のことを知れてきたのに。
(全部……忘れちゃうんだ……)
このまま──
友達と笑いあった日々も。
みんなと食べたご飯のことも。
くだらないことで騒いだ、かけがえのない時間も。
そして──
家に帰れば当たり前みたいに誰かがいて、
"おかえり"って言ってくれる……
騒がしくって、うるさくって……でも、
どうしようもなく温かい、"大切な家族"の……っ…ことも……
「……っ、全部……
視界がにじんで、何も見えなくなっていく。
(ミコト……ヤチヨ……っ)
二人の顔が、頭に思い浮かぶ。
月から突然現れた、得体の知れない自分。
本当なら、警戒されてもおかしくなかった。
怖がられて、不気味がられて、
追い出されても不思議じゃなかった。
それなのに──
二人は、そんな自分を少しの迷いもなく。
まるで最初からそうだったみたいに、
当たり前のように"家族"として迎え入れてくれた。
その優しさに、救われてばかりだったのに。
(ごめんなさい……わたしが、二人に黙って、こんなことをしたから……)
胸がきゅっと締め付けられる。
(まだ、お別れだって、きちんと言えてないのに……っ)
鼻の奥が熱くなって、言葉にならないものが込み上げる。
(まだ、“ありがとう”って……ちゃんと、言えてないのに……っ……)
気づけば、一筋の涙が頬を伝っていた。
それでも、もう戻れないことだけは分かっていた。
地球でのことは忘れて、月に帰る。
──これが、わたしのエンディング。
迫り来る月人を、
訪れる自分の運命を受け入れるように、
──私は、そっと、静かに目を閉じた。
────────────────────────
「──うちの娘に、気安く触んな」
その白い手が、私に届くより先に。
"声"が、割って入った。
そして──
──ドゴンッッッ!!
鈍く、重たい衝突音。
次いで、何かが地面を転がり、吹き飛ぶ音が響いた。
「──ぇ?」
静まり返った空気の中。
本来なら、
でも、聞き間違えるはずがない。
だって──
ゆっくりと目を開ける。
震える視界の向こう。
月光に染まった世界の中で、私を庇うように、一人の"青年"が立っていた。
宙に舞っていた羽衣が、"ザンッ"と剣で真っ二つに切り裂かれる。
その見た目はいつもと違ったけど、その安心する声で、すぐに誰だかわかった。
「……っ……
ミコトは肩越しに振り返り、いつもと変わらない優しい声で言った。
「悪い……遅くなっちゃったな」
その一言だけで、もう大丈夫だって思えて。
張り詰めていた何かが、ぷつりと切れそうになった。
「────!」
けれど、月人たちは止まらなかった。
白い影が、一斉にミコトへ襲いかかる。
だか、その直後。
「……ッ……!?」
見えない何かに弾かれるように、その身体が吹き飛んでいった。
何が起きたのか理解するより早く。
聞き慣れた声が響いた。
「そうそう☆ うちの娘には、悲しい顔なんて似合わないんだから♪」
いつもと同じ、どこまでも軽くて、私の大好きな声。
振り返れば、傘をさした銀髪の少女がにこりと笑っていた。
「……ヤチヨ…っ!」
「あーあー、こんなに泣いちゃって〜」
ヤチヨは困ったように笑いながら、そっと私の頬に手を伸ばす。
温かな指先が溢れ続ける涙を優しく拭った。
「まったく!一体──
どこの悪戯っ子に泣かされたのかな?」
ヤチヨは笑顔のまま、ゆっくりと月人たちへ視線を向ける。
その瞬間。
周囲の空気がひやりと冷えた気がした。
普段の彼女を知っているからこそ分かる──今、ヤチヨは本気で怒っている。
ミコトも剣を肩に担ぎながら、吹き飛ばされた月人たちを見渡した。
「お前らみたいな平社員じゃ人事権も持ってないだろ」
剣の切っ先を月へ向ける。
「もっと階級が上のやつ呼んでこい!」
ミコトがそう言った、その瞬間だった。
夜空に光が走った。
まるで巨大な花火のように、幾重もの光の花が咲き誇る。そして、月光で編まれたひときわ巨大な蕾が、ゆっくりと花弁を開いていく。
幻想的ですらある光景に、私は思わず息を呑む。
花の中心から現れたのは七つの影。
七福神を思わせる姿を纏った月人たち。
それを見たミコトは、まるで待ち合わせ相手でも見つけたみたいに。
「おー、管理職のお出ましだ」
そして、月人たちの視線が、一斉に私へ向けられる。
「……っ」
思わず身体が強張る私を守るように、ミコトが前へ出た。
「こっちは家出したお宅のお子さんを保護してやったんだから、手土産の一つでもあるんだろうな? 具体的には、“もと光る竹”とか!」
それに対して、七福神たちは無言のまま。
ヤチヨも「それ今言う?」みたいな顔をしていた。
「ま、冗談はさておき」
ミコトはゆっくりと私を振り返る
「かぐや」
優しい声だった。けれど同時に、背中を押すような力強さもあった。
「お前の口から言ってやれ」
ミコトは七福神を顎で示す。
そして、不敵な笑みを浮かべた。
「
言葉が出ない。
そんな私を見て、ミコトは静かに続けた。
「もし、かぐやが"帰りたい"って言うなら……俺はその選択を尊重する」
その言葉に、思わず目を見開く。
きっと二人なら、何があっても引き止めてくれると思っていたから。
でも違った……そうだ。
二人はいつだって、私の意思をなによりも尊重してくれていた。
「でも──!」
ミコトの声が、少し強くなる。
「お前が少しでも嫌だと思ってるなら」
「お前が、まだ、"ここにいたい"って言うなら──」
ミコトが、真っ直ぐ私を見る。
迷いのない目だった。
そして、次の瞬間。
ミコトの顔に血のように赤い紋様が浮かび上がり、空間そのものが僅かに軋み出す。
「俺達がどんな手を使ってでも──」
「絶対に──守ってやる!!」
その言葉が、胸の奥へ真っ直ぐ届く。
張り詰めていた何かが、音を立ててほどけていく。
唇を噛み締めながら、私は月人たちの方を向いた。
「……っ、わたし……」
声が震える。
──帰らなくちゃ。
頭の中では、まだその言葉が響いている。
きっと、本来なら、私は月に帰らなくてはならない。
けれど──
それが運命だとしても。
そんな結末なんて、私はいらないっ!
「──
これは誰かに言わされた言葉じゃない。
「もっと……ここにいたい……っ」
これが、私の気持ちだ。
「また……学校に行って、みんなに会いたいっ……!」
ぽろぽろと涙が零れる。
「また、FUSHIと散歩に行って、いろんな人に私の歌を聞いてもらいたい……っ」
声がぐしゃぐしゃになる。
「それに……っ……」
それでも止まらなかった。これだけは、ちゃんと伝えたかったから。
「ミコトとヤチヨと……っ」
一人では生きていけなかった私を迎えてくれた家族と!
「ずっと、一緒にいたいっっ……!!」
その瞬間。
ずっと待っていた答えを聞けたみたいに。
二人は少しだけ、笑った。
「だそうだよ?」
ヤチヨが軽く肩を竦める。
けれど、その瞳だけは真っ直ぐに月人たちを見据えていた。
「貴方たちが欲しいのは、かぐや本人じゃなくて、労働力なんでしょ?」
そして、にっこりと笑いながら続けた。
「だったら──
そう言って、ヤチヨは懐から一本の巻物を取り出した。
ひゅるり、とそれは弧を描きながら夜空を飛び、天女のような装束を纏った月人の手へ収まる。
月人は無言のまま巻物を開く。
「それが、
ヤチヨはさらりと言った。
「まだ完成はしてないけど、業務内容の引き継ぎと、仕事をしてくれる
そして、まるで会社の引き継ぎ資料でも説明するような気軽さで続ける。
「残りはその複製体にやらせれば問題ないはずだよ♪」
(──え?)
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
仕事のデータ?複製体?引き継ぎ?
頭の中で単語だけがぐるぐる回る。
いや、それ以前に、もっと根本的な疑問があった。
──なんで、
なんでヤチヨが、
思わずヤチヨを見る。
すると当の本人は、まるで種明かしを楽しむ子供みたいな顔で笑っていた。
その笑顔を見て、私はようやく思い出す。
最近ずっと、二人が何かを隠していたことを。夜遅くまで起きて、部屋に籠もって何かを作っていたことを。
まさか……あれって、全部。
──
「これで引き継ぎは問題ないよな?」
ミコトの声が静かに響く。
「もし、それでも。かぐやを連れ帰ろうって言うなら──」
パチンッ
ヤチヨが指を鳴らした、その瞬間。
まるで大地そのものから湧き出るよう、スタジアムを埋め尽くすほどの軍勢が現れた。
張り詰めた弦の音が夜空に響き、無数の矢が一斉に月人たちへ照準を合わせた。
七福神たちの表情が、初めて僅かに揺らいだ。
ミコトは無言のまま、剣の切っ先を月人たちへ向ける。
その隣で、ヤチヨもまた、閉じた傘を静かに持ち上げた。
二人の視線が真っ直ぐ月人たちを射抜く。
「「親を敵に回したことを、後悔させて
『──そうして、月人たちとの血で血を洗う熾烈なる戦いが繰り広げられ……』
『大地は砕け、空は裂け、幾度となく刃と刃がぶつかり合った……』
『幾千、幾万もの屍を越え……流された涙と叫びを背負いながら……』
『剣戟は夜空を裂き、その閃光は星々すら霞ませるほどに輝き……』
◇ ◇ ◇
「──二人は見事、月人たちを退けたのでした……」
「いや、話盛りすぎだろ」
「月人たち、あのあと普通に帰っていったじゃん」
ヤチヨがデータを渡すと、月人たちは驚くほどあっさりと撤退していった。
さすがというべきか……無駄を嫌い、効率だけを追い求める月人らしい。目的のものさえ手に入れば、それ以上この場に留まる理由などないのだろう。
かぐやのことだって、結局はもう、どうでもよかったのかもしれない。
──少なくとも、その時の俺はそう思った。
けれど。
去り際、最後にこちらを振り返った
感情なんて存在しないはずの無機質な瞳。
なのに……なぜだろう。
視線がこちらに向けられた瞬間、まるで。
──その子のことを、頼みました。
そう……言われたような気がした。
(それにしても、こっちは寝る間も惜しんで準備して、最悪戦闘になる覚悟まで決めてたんだけどな……)
結果として、月人たちは驚くほどあっさり帰っていき、"拍子抜け"という言葉がこれ以上なくしっくりくる。
(まあ……でも──)
肩の力を抜きながら、俺は小さく息を吐いた。
(かぐやが無事なら、それが一番か……)
そう思って、後ろにいるかぐやの方へ振り返る。
すると──
ピッカァァァァァァァ──ッ!!
うん、なんかめっちゃ発光してた。
「うわぁぁ──!?なんかブレスレットがめっちゃ光ってんだけど!?」
かぐやが驚きの声を上げる。
さっきまで普通だったはずのブレスレットは、今や完全に非常灯みたいな勢いで発光している。
というか眩しっ!直視できないレベルで眩しいんだが!?
「はやく外せそんなの! 縁起悪い!!」
「なんで縁起で判断してるの!?」
ツッコミながらも、かぐやは慌ててブレスレットを引きちぎるように外した。そして。
「おらぁっ!!こんなものっ!!」
自分の故郷を感じられるものとは思えないほど、全力でぶん投げた。
ブレスレットは地面に落ち、カラカラカラ……と転がっていき、道幅の電柱に当たって止まった。
「ふぅ……」
突然、発光したから、月の奴らがまたなんかしてきたのかと思って心配したが。
(これで一安心だな……)
そう思った、その時だった。
ピカッ、と空が光った。
「「「「ん?」」」」
思わず全員が夜空を見上げる。
遥か上空に、小さな光の点が見えた。
……流れ星だろうか。
(願い事しないとな〜)
なんて呑気なことを考えていると、
「……ねぇ」
かぐやが引きつった声を出す。
「あれ、
「……気のせいだろ」
「いや、来てるって!!」
光は猛烈な勢いでこちらに向かって落下してきていた。
ゴォォォォォォォッ!!
大気を裂く轟音。尾を引く白い閃光。
その姿がはっきり見えた瞬間。
一斉に駆け出した。
後ろなんて振り返らずにとにかく逃げる。
そして、後ろでは流れ星が電柱に激突し、
ドゴォォォォォンッ!!!
凄まじい衝撃音が響き渡り、振動で窓ガラスが割れる……
ことはなく──
「……あれ?」
衝撃はまったく来なかった。
「……助かった?」
かぐやが恐る恐る呟く。
さっきまで肌を刺していた緊張感も、少しずつ薄れていく。
今回ばかりは本当に終わったと思ったため、胸の奥から安堵の息が漏れる。
だが──
「ん?」
流れ星が落ちてきた方を見てみると。
夜道の真ん中で。
電柱が。
めちゃくちゃゲーミングに光っていた。
「なんで?」
かぐやが真顔で呟く。
そうして、馴染みの音楽とともに扉がゆっくりと開いていく。
俺は、ゲーミング電柱に向かってスタスタと歩いていき。
ア〜♪……ア「──いいから早よ開けろ」アッ!?
なにスモークとか焚いて勿体ぶってんだ。
「こっちはもうこの光景2回目なんだよ……ゲーミング電柱なんてとっくに見飽きてんだよ」
「なんでゲーミング電柱を見飽きることがあるの?」
バンッ!
扉をこじ開けると、そこには──
「──ん? 空っぽじゃん……」
中には、人影どころか、物一つなかった。
「え〜? ほんとになんもないの〜?」
ヤチヨもひょこっと後ろから顔を出し、部屋の中を覗き込む。
「そうなんだよ。てっきり、かぐやの友達でも来たのかと思ったんだけど」
「かぐや、月では友達なんていないよ〜?」
後ろから聞こえてきたあまりにも悲しい自己申告に、
「……そうだよな」
俺は静かに頷いた。
「かぐや、月ではぼっちだったもんな」
「なんでそんな酷いこと言うの!?」
かぐやが即座に食いつく。
「違うし! ぼっちじゃないし! ただ周りの人たちが価値観合わなかっただけだもん!」
「それを世間ではぼっちって言うんだよ」
「精神的DVで訴えてやる!!」
「そんなんで訴えられるわけ「いいね〜!」」
騒ぐガキンチョを論破してやろうとすると、ヤチヨに言葉を遮られた。
「ヤッチョも証言しちゃう♪」
なんでヤチヨも乗り気に……あっ、やべ。今の発言ヤチヨにも流れ弾当たってたわ。
ヤチヨは、笑顔だが目だけが笑っていなかった。
このままだと、いつも通り後で面倒なことになる。
俺は咳払いを一つした。
「で、でもなんで突然ゲーミング電柱が現れたんだろうな?」
「……たしかに、なんでだろ?」
かぐやもすぐに乗ってきた。助かった。
「心当たりなんてないんだが──」
そんなことを言いながら、俺はふとあることを思い出した。
月人たちと対峙した時のこと。
『家出したお宅のお子さんを保護してやったんだから、手土産の一つでもあるんだろうな? 具体的には、“もと光る竹”とか!』
(……あ。もしかして……)
あの発言を気にして、本当に送ってきた?……いやいや、そんなわけ……だとしたら律儀すぎるだろ?
ただ、実際に中身のないもと光る竹がここにあるのも事実だった。
ことの原因がわかった俺は、ヤチヨの方をじっと見つめる。
「……?どうしたの、ミコト?そんなに見つめてきて……」
ヤチヨが首を傾げる。
そして、俺は無言のまま近づき、ヤチヨの腰に手を回した。
「きゃっ!ちょ、ちょっと……い、いくら周りに誰もいないからって……それに、かぐやもいるのに、そんな♡」
ヤチヨが抗議するような声を上げる。
だが、なぜか頬がを少し赤くして、その表情はどこか期待しているようにも見えた。
「まったくもう〜……ミコトったら。こういうことは、その、もう少し心の準備をしてからじゃないと……」
そんなことを言いながらも、なぜか逃げようとはしない。むしろ妙に大人しくしている。
だが、むしろ好都合だった。
俺は、そのまま──
ヤチヨを電柱に突っ込んだ。
「ふがっ!?」
ヤチヨは上半身を電柱に突っ込んだまま、出ている両手をばたばたさせて必死に抵抗する。
「ちょっと!? なんで押し込もうとしてるの!? 私そんな収納家具みたいな扱いされる覚えないんだけど!?」
くぐもった抗議の声が響くが、そんなことは気にしてられない。こんな場面を人に見られたら即通報案件であるため、はやく済ませないと。
「えっ!?ミコト!?なにしてんの!?」
かぐやが驚いたようにこえをあげる。
「かぐや!いいからFUSHIも一緒に突っ込め!」
「えぇっ!?わ、わかった!」
かぐやは反射的に頷く。
「おいっ!来るなっ!!あんな狭いところに入るわけないだろ!?」
かぐやが暴れるFUSHIを捕まえようとする中、俺もヤチヨを全力で電柱に詰め込もうとしていた。
「痛い痛い痛い!!引っかかってるから!!"このドア"狭すぎるでしょ!?入り口もっとでっかく出来なかったの!?」
「仕方ないだろ!"このドア"がそんな気が利くわけないんだから──「バシッ!バシッ!」……あいだだっ!痛い痛い!ごめんって!ドア開け閉めして腕叩かないでください!」
俺が木製の扉に腕を叩かれていると。
「ミコト〜、FUSHI捕まえてきた〜!」
暴れるFUSHIを胸に抱えながら、かぐやが無邪気な笑顔を浮かべる。
「よし、ナイス!そのまま隙間に捩じ込め!」
「はっ!?ふざけ──」
「アイアイサー!!」
そうして僅かに空いた隙間からFUSHIも無理やり中に詰め込む。
「ちょっと、FUSHI!狭いって!」
「狭いのはヤチヨが太いのが原因だろー!」
「……はぁ? FUSHI、今なんて──」
バンッ
扉を外から足で力一杯押して、なんとか締めることに成功する。
扉が閉まると、電柱はより一層光を放った。
「えぇ……これ、大丈夫なの?」
その光景を見たかぐやが若干引いた声を上げる。
「大丈夫だろ……多分」
手をパンパンと叩きながら答える。
「"多分"!?」
そんな話をしている間も電柱からは中で何かをしていると思われる音がしていた。
ゴウン、ゴウン、ゴウン……ガタッ……ゴウン、ゴウン、ゴウン、ゴウン……
規則的に響く低い音。けれど、途中で混ざる小さな振動音が妙に耳に残る。
「この音……どっかで聞いたことあるような」
初めて聞く音ではない。むしろ、かなり身近だ。日常のどこかで、何度も耳にしているはずなのに──肝心の正体が出てこない。
「あっ、かぐやも思った」
隣で、かぐやも腕を組みながら「うーん……」と唸る。
「ちょ、待って……目がまわる……!?」
「なんだろ……絶対知ってる音なんだけど……」
「わかる。知らない音じゃないんだよなー。言われたら絶対『あー、これね』ってなるのに……」
ゴウン、ゴウン……ガタッ。
二人そろって、音のする方をじっと見る。
「あ……やばい、これ、吐くかも…」
「はぁ!?ふざけるな!!こんな狭いところで絶対吐くなよ!?フリじゃないからな!?」
だが、見たところで答えは降ってこない。
「俺こういうの一回気になるとダメなんだよな……。頭の片隅にずっと居座っちゃって……」
「あー……なんか、モヤモヤして気持ち悪い〜!」
「うっ……ごめん、FUSHI…もう、限界……」
「やめろ!!今吐いたら一生恨むからな!!!」
すると突然、かぐやがハッと顔を上げた。
「──あっ!」
「え、なに!?思い出した!?」
かぐやは勢いよく指を差す。そして、
「わかった!洗濯機だ!!」
「あ〜、それだ!!!」
思わず指をパチンと鳴らす。
「あ〜〜〜!!スッキリした!!なんかずっと喉に魚の骨引っかかってるみたいだった!!」
二人で妙な達成感を共有しながら、満足げにうなずき合った。
すると、次の瞬間──
バンッと扉が開き。
中から、女の子と犬が飛び出してきた。
俺は慌てて女の子を受け止める。
犬の方はシュタッ、と華麗に着地したものの。
「ハァ……ハァ……危なかった。扉が開くのが、あと少し遅かったら……終わってた……」
その姿はまるで、人類滅亡の危機から帰還した英雄のようだった。
(なにを大袈裟な……)
呆れながら視線を戻すと、俺の腕の中でヤチヨが固まっていた。
「……ヤチヨ?」
返事はない。ただ、自分の手をじっと見つめていた。
震える指先をゆっくりと握り、開き、また握る。その仕草はまるで、生まれて初めて自分の身体に触れる子供のようだった。
「……あ」
小さな声が漏れた直後、ぽたり、と雫が頬を伝う。
ヤチヨ自身も驚いているようだった。頬を伝う涙に触れ、その感触を確かめるように指先を見つめる。
「……泣いてる」
呆然とした声だった。
「私……泣いてる……」
そう呟くと、今度は胸元へ手を当てる。鼓動。体温。呼吸。それらを、一つひとつ確かめるように。
「そっか……」
震える声が漏れる。
「私……もう……」
そこで言葉が詰まった。
唇が震え、涙が次から次へと溢れてくる。
ぐしゃぐしゃの顔で、それでも必死に笑おうとして。
「ミコトと、一緒に歳を取れるんだ……っ」
その言葉を口にした瞬間だった。
胸の奥に押し込めていたものまで、一緒に溢れ出してしまったように。
「ヤチヨ……」
「本当は、ずっと、怖かった……っ」
堰を切ったように言葉が溢れ出す。
「ミコトがおじいちゃんになって……かぐやが大人になって……みんなが変わっていくのに……私だけ、ずっと変わらないままなんだって……」
涙を零しながら、それでもヤチヨは続けた。
「置いていかれるんじゃないかって……っ」
その声には、今まで誰にも見せなかった不安が滲んでいた。
ヤチヨは再び自分の手を見つめる。
そして、そっと俺の頬に触れた。
温かい。
生きている人間の体温だった。
「でも、これなら……」
震える指先で確かめるように触れながら、ヤチヨは泣き笑いの顔を向ける。
「これなら、ミコトと一緒におばあちゃんになれる……っ」
そう言った瞬間、堪えきれなくなったように俺へしがみついた。
そして、子供みたいに、みっともないくらいに。
声を上げて泣いた。
俺はそんなヤチヨの頭にそっと手を置く。
「そうだな……」
俺もずっと考えていた。
自分だけが歳を取り、ヤチヨだけが変わらないまま、取り残される未来を。
「俺も、怖かったんだ。ヤチヨだけを置いていくことになるのが」
だって──
取り残されることが、どれほど辛いのか。
その痛みを、俺は誰よりも知っていたから。
「……っ」
「だから、本当によかった……っ」
未来のことなんて分からない。
けれど。
少なくとも今は。
同じ時間を歩いていける。
「これからは、二人でちゃんと……長生きしよう」
ヤチヨの顔を見て言う。
「……うんっ…!」
ヤチヨの瞳から、大粒の涙が溢れた。
それでも、その顔は──
今まで見たどんな笑顔よりも、幸せそうだった。
──────────────────────
かぐやside
それから、1年後──
「はぁ〜〜。まさか、ツクヨミで初開催される月見ヤチヨのライブに来れるなんて…… 私と友達になってくれてありがとうございます!かぐや様!」
狐耳を生やした和風のアバターが、深々と頭を下げる。
その大げさな仕草に、私は満足げに腕を組んだ。
「ふふ〜ん! くるしゅうない!」
私がヤチヨのライブチケットを特別に恵んであげたのだから、当然だろう。
何せ今日は、ツクヨミ初の大型ライブ。
しかも出演者は月見ヤチヨ。
ツクヨミの開発者であり、世界最高峰のVtuberであり、そして──私のお母さんだ!
倍率はとんでもないことになったらしく、そんなライブのチケットを確保してあげたのだから、もっと感謝してもいいだろう。
ちなみに今の私たちは、こうして仮想空間のライブ会場にいるけれど、現実では、同じ部屋に並んで座っている。
ゴーグルを付けてログインしているだけなので、本気を出せば肩を叩くことだってできる。
それなのに、目の前に広がる光景は、現実の部屋なんか忘れてしまうくらい壮大だった。
視界の先には、どこまでも広がる幻想的な会場。
空には巨大な月が浮かび、星々が流れ、無数の光が観客席を彩っている。
「すごい…… 本当に別世界みたい」
ぽつりとイロが呟く。
すると。
会場の照明がゆっくりと落ち始めた。
ざわめきが静まる。
さっきまであちこちから聞こえていた話し声も、歓声も、次第に消えていき、無数の観客が一斉にステージへ視線を向けた。
「あ……」
隣で息を呑む音が聞こえた。
私も自然と前を向く。
そして、巨大なステージへ光が集まり始めた。
いよいよだ。
ヤチヨが夢見て、ミコトと一緒に作り上げて。
何年もかけて準備してきた舞台。
その幕が、今まさに上がろうとしていた。
そして──
眩いスポットライトがステージを照らす。
光の中へ、一人の少女が歩み出た。
誰よりも輝いて見えるその姿。
月見ヤチヨが、ステージに立った。
「ヤオヨロ〜★」
いつものヤチヨの挨拶。
「みんな、生きるのどうですか〜?」
明るく弾む声が、まだ静かな会場に広がっていく。
「いいことあった?それとも、泣いちゃいそう?」
観客全員に向かって問いかけていく。
「ヤチヨもね──昔、泣いちゃいそうなくらい、辛い時期があったんだ」
「……っ!」
その言葉に、私はあの日のことを思い出す。
二人が、自分たちの秘密を初めて私に打ち明けてくれた日のことを。
「えぇっ!? ミコトとヤチヨって、別の世界で八千年以上も生きてきたの!?」
思わず大声が出た。
想像もできないくらい、途方もなく長い時間。私が生まれてから今までの時間なんて、その前では一瞬にも満たないだろう。
「そうだよ〜☆」
けらけらと笑うヤチヨ。
けれど、その笑顔を見ているうちに、ふと胸に引っかかるものがあった。
そんな長い時間の中……楽しいことばかりだったはずがない。
「……でも」
私は少しだけ声を落として尋ねた。
「そんなに長い間生きてたら、辛いことだってあったんじゃないの?」
その瞬間、ヤチヨの笑顔が少しだけ柔らかくなった。
「……そうだね」
ぽつりと呟く。
「もちろん、楽しいことだけじゃなかったよ」
その声はどこか遠くを見ていた。
「辛いこともあったし、苦しいこともあったし、泣きたくなるようなことも、い〜っぱいあった」
普段は明るく笑っているヤチヨが。
その言葉だけで、どれほどのものを背負ってきたのか少しだけ伝わってきた。
ヤチヨは隣に座るミコトを見て、ふっと微笑む。
「でもね」
その笑顔は、とても優しかった。
「その日々があったから、こうして今もミコトと一緒にいられる」
八千年という時間。
それはきっと、想像もできないくらい長くて、想像もできないくらい重い。
それでもヤチヨは、その全てを肯定するように笑った。
すると今度はミコトが口を開く。
「それに」
静かな声だった。
「あの日々を生きてきたから、かぐやとも出会えた」
私は思わず顔を上げる。
ミコトは真っ直ぐ私を見ていた。
「こうして、守ることもできた」
その言葉に胸が熱くなる。
「だから」
ミコトは穏やかに笑う。
「あの辛くて長かった日々も……」
「今は"あってよかった"って、心から思えるんだ」
「……うん」
私はそんな二人を見つめながら思う。
きっと、二人が歩いてきた八千年は、決して綺麗なものばかりじゃなかった。
逃げ出したくなるようなことも、数え切れないほどあったはずだ。
それでも。
この二人は、お互いが隣にいたから乗り越えてこられた。
──そんな二人を見ていると、一人の顔が頭に浮かんだ。
いつも私の隣にいて。
呆れながらも付き合ってくれて。
困っている時は助けてくれて。
私が笑うと、一緒に笑ってくれる人。
その顔が浮かぶと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
(私も、あの子と……)
自然と口元が緩む。
(いつか、こんな風になれたらいいなぁ……)
◇ ◇ ◇
ライブが終わった。
ヤチヨの歌も、会場を埋め尽くす歓声も、ステージから見えた景色も。
全部がキラキラしていて、胸の奥がまだじんわり熱い。
観客たちの興奮も冷めやらぬ中、私は隣を歩くイロの袖を、ちょんと引っ張った。
「ねぇ……いろh──」
「ちょっと!ここでは"イロ"でしょ!」
慌てたように周囲を見回す。
けれど私は首を横に振った。
「ううん。マイクミュートにしてるから、周りの人には聞こえてないよ」
聞こえてるのは、隣にいるあなたにだけ。
すると、彼女も慌ててマイクをミュートにする。
そして、まっすぐにその瞳を見つめる。
「今はイロじゃなくて、
「……え?」
一瞬だけ、彩葉の表情が固まった。
だから私は、にっこり笑って言ってやった。
「彩葉──大好き!」
「は、はぁっ!?!?」
現実で、彩葉が椅子から飛び上がる。
それに合わせて、アバターの顔が一瞬で真っ赤になった。
「な、な、何言ってんのよあんた!?こんな急に!!」
「いいじゃん!」
私はけろりと言い返す。
「だって伝えたくなっちゃったんだもん!」
「伝えたくなったからって普通こんなタイミングで言う!?」
「言う!!」
「言わないの!!」
彩葉が本気で困っている。
でも、そんな彩葉が可愛くて。
私はますます笑ってしまった。
すると彩葉は顔を逸らしながら、小さくため息を吐く。
「もう……ほんと、あんたって子は……」
けれど、その声は少しだけ嬉しそうだった。
「──彩葉は?」
「……へ?」
私は、現実とツクヨミの両方で、彩葉の手を掴む。
「彩葉は私のこと、どう思ってるの?」
彩葉の肩がびくりと震える。
その反応だけで、なんとなく答えはわかってしまったけど、それでも、ちゃんと彩葉の口から聞きたかった。
「そ、それは……」
しどろもどろになり、視線が泳ぐ。
耳まで真っ赤になっている。
しばらくして、彩葉は観念したように小さく息を吐いた。
そして、私の手をそっと握り返す。
「……私も」
小さな声。
「友達としてじゃなくて、一人の女の子として──」
どくん、と心臓が跳ねた。
「私も……かぐやのことが好き!」
その瞬間。
世界から音が消えた気がした。
「……っ……えへへ……!」
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
嬉しくて、幸せで、胸がいっぱいになる。
だって、大好きな人が。
私のことを好きだって言ってくれたんだから!
「……もう」
私を見た彩葉は、呆れたように笑う。
けれど。
握った手は離さなかった。
だから私も離さない。
熱狂と歓声が、少しずつ遠ざかっていく。
私はその温かさを胸に抱きながら、静かに思った。
今日という日は。
きっと、これからも"ずっと忘れない"って!
────────────────────
だそく〜
かぐやside
「じゃあ、そろそろ行ってくるね!」
パンパンになったキャリーバッグを持ち上げながら、声を上げる。
今日は彩葉の家にお泊まりだ。
家に行くのは初めてというわけじゃないけれど、それでも泊まるのは楽しみで、朝からずっとそわそわしていた。
「は〜い、彩葉ちゃんに手土産渡してね〜♪」
ヤチヨはそう言いながら、テーブルの上のグラスをミコトへ差し出した。
「ほらほら、今日はもっと飲も飲も〜!」
「……なんでこんな昼間からお酒飲んでるの?」
「いいじゃん別に〜」
そう言って笑うヤチヨは、すでに少し機嫌が良さそうだった。
ミコトも呆れながらグラスを受け取る。
珍しくミコトの頬が少しだけ赤くなっていた。
「それにしても……ヤチヨは」
ミコトはグラスを傾けながらヤチヨを見る。
「ほんとに、綺麗になったな……」
ぽつりと呟いた。
一瞬、部屋の空気が止まった。
「…………へ?」
ヤチヨが固まる。
私も固まる。
……今、なんて言った?
あのミコトが? ヤチヨに?
「な、なななっ!?ミコト!? 急になに言ってるの!?」
ヤチヨの顔がみるみる赤くなっていく。
「なにって……だって、事実だろ?」
「デレ期!?デレ期が来た!?」
「……?」
対するミコトは、少し酔っているせいか普段より反応が鈍い。
なんだろう、これ。
見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
「ねぇ〜かぐやちゃんもう出るよ〜?いってらっしゃいは〜?」
だが、二人は気づかない。
完全に二人だけの世界に入っていた。
……この光景を彩葉が見たらどんな反応をするんだろうか?
一応、ヤチヨとミコトの関係については、もう彩葉にも話してある。
その時の反応はというと──
『ぐっ……がっ、ごっ……脳が…っ…! でも……推しが幸せならオッケーです…っ…!』
私の信じた通り、目から血の涙を流しながらも快く二人を応援してくれた。
ただ、その後。
「一応聞くけど、その人と別れる気配ってないの?」
笑顔でなんてことを言うんだろうか?こいつ……どう考えても、推しの幸せを応援するって言った三秒後に確認することじゃなかった。
(でも……この二人が別れるところか……)
つい先日も軽い喧嘩はしていたが──
『うわあぁぁぁ〜〜〜ん!!ミコトのバカァ〜〜!!もう知らないっ!!私は出ていくから!!』
ヤチヨは泣き喚きながら、勢いよく立ち上がった。
原因は……確か、ヤチヨが髪を切ったことにミコトが気づかなかったとか、そんなはちゃめちゃにどうでもいい理由だった。
しかし、そんなしょうもないきっかけに反して、その剣幕はどう見ても人生最大の決別シーン。
なのだが。
『ちゃんと鍵持ったか? あと財布も。今時まだ現金だけの店あるからな? それと、モバイルバッテリーもレンタルすると高いからちゃんと持って……』
『なんで淡々と家出の準備整えるの!?なんで家出RTAみたいな速度で支度終わらせてるの!?』
着々と家出の準備を後助けするその態度に、ついに耐えきれなくなったのか、ヤチヨが半泣きのままミコトに飛び込む。
『そこは普通、『待て!俺が悪かったから行かないでくれ!』とか、『危ないから俺もついて行く!』とか言うところでしょっ!?なんでわかんないの〜〜!?』
『うわっ!?ちょっ、近づいて来んな!Tシャツに鼻水付くから!ごめんって!俺も一緒に行くから離れ『ズビぃぃぃ〜〜〜!!!』あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"──っ!!!なに人のTシャツで鼻噛んでんだテメェッ!!』
(これが、
結局、その後服を着替えたミコトは、ティッシュ代を浮かせたヤチヨと一緒に2人で出掛けて行った。
──う〜〜ん、全然想像できないかな〜?
「はぁ〜、もう本当に行ってくるからねー。あんまり飲みすぎちゃダメだよ」
呆れながらそう言うと。
「おー、気をつけてな」
ミコトが椅子から立ち上がって
そして、少し酔いの回った顔で続ける。
「お泊まりするのはいいけど、学生のうちはあんまりやましいことしちゃダメだぞ?そういうのはちゃんと大人になってからだからな」
その後ろで。
「そうそう!そういう事は、ちゃんと大人になってからじゃないと♪」
うんうんとヤチヨが深く頷いていた。
ただ、その視線はミコトから一瞬たりとも離れていない。
まるで獲物を狙う捕食者みたいな目でじ──っとミコトを見ていた。
「……はーい」
よくわからなかったが、とりあえず頷いておく。
そして、家を出た数十秒後。
「あ」
ポケットを探って固まる。
「鍵忘れちゃった」
仕方なく引き返し、玄関を開ける。
「ごめーん! 鍵忘れちゃっ──」
リビングへ足を踏み入れた瞬間。
私は固まった。
「あっ」
「えっ」
私とヤチヨの声が同時に上がった。
ソファの上。
ミコトが押し倒されており、その上にはヤチヨが馬乗りになっている。
さっきまできっちりしていた服も少し乱れていて、ミコトは酒が回っているせいか、ヤチヨを引き剥がそうとしているのだが、まるで抵抗になっていなかった。
「…………」
私は無言になる。
「…………し、失礼しました〜」
「ちょっと、待って!かぐ──」
助けを求めるように手を伸ばすミコトを横目に、そっとドアを閉じた。
(……これは近いうちに弟か、妹か……楽しみだな〜!)
こうして、地球に残ったかぐや姫は──
愛する者と、育て親の翁と嫗と一緒に──
いつまでも幸せに暮らしましたとさ──
めでたし、めでたし♪
というわけで「超かぐや姫!?」楽しんでいただけたでしょうか?(この読者につけてもらった名前、作者は結構気に入っています!)
とりあえず全員ハッピーエンドまで連れて行けたかな〜と思います。
エピローグについては、"もしも、かぐやが2周目?のつよつよ翁と嫗に拾われたら?"というコンセプトで書き上げました。
エピローグでは特に、「家族の絆」というテーマを強く意識しており、血の繋がりや出自ではなく、一緒に過ごした時間や積み重ねてきた思い出こそが家族を家族たらしめるのだと思いながら書いていました。
ミコトとヤチヨにとって、かぐやは突然現れた月の姫でしかありません。しかし、それでも二人は彼女を家族として迎え入れ、かぐやもまた二人を本当の家族として愛するようになります。
だからこそ最後は、「月へ帰るかぐや姫」の物語ではなく、「帰る場所を見つけたかぐや姫」の物語として締めくくりたいと考えていました。
正直、エピローグに関しては読む人も結構減ってしまったので、文字通り"蛇足"だったかな〜、あのまま終わらせておいた方が良かったかな〜、なんて思っていたのですが、あたたかい感想に支えられてなんとか完結させることができました。
作者は、ハーメルンへの投稿どころか、長い文章を書いた経験すらないド素人だったので、いざ投稿するときは「どうせ心ないコメントばかり来るんだろうな……」と内心かなりビビっていたのですが――
いざ蓋を開けてみれば、
「なんなのよ…優しいじゃないのよ…
あたたかいコメントばかりで……
心が喜びに満ちていくじゃないのよ…」
といった感じでしたw
長々と語ってしまいましたが、最後に、作中のツクヨミのように、この作品が少しでも、『超かぐや姫!』を好きな方達にとっての心の拠り所になれていたなら嬉しく思います。
この作品を読んでくださりありがとうございました!