超かぐや姫! 星の降る音   作:サトウシュン

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ずっと構想はしていたやつなんですけど、出すんならこのタイミングかなーと思って急いで書いた話。

ミコトが彩葉を苗字から名前呼びになった 
きっかけの話。

エピローグもさっさとあげるようにするんで……

注意:31話読了後推奨。




風邪の日に約束を

 

 

 彩葉side

 

 

 2033年12月29日。

 

 

「げほっ、げほっ……」

 

 

 朝起きると、喉の奥が焼けるように痛かった。

 

 

 咳をするたび、細かなガラス片でも引っかかっているようにひりつき、その痛みが胸の奥まで響く。

 

 

 頭は重く、身体の節々も鈍く痛む。ベッドから起き上がるだけで、妙に疲れた。

 

 

「……体だる」

 

 

 誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。

 

 

 ……返事はない。

 

 

 一人暮らしの部屋は、こういう時だけ妙に静かだった。

 

 

 重たい身体を引きずるようにして救急箱を開ける。

 

 

 解熱剤、喉薬、体温計。

 

 

 こういう時、備えをしていた自分を少し褒めたくなる。

 

 

 ……いや、そもそも風邪を引かないのが一番なんだけど。

 

 

 体温計を脇に挟み、椅子へ体を預ける。

 

 

 数十秒が、妙に長かった。

 

 

 やがて電子音が鳴り、表示された数字を見て深く息を吐く。

 

 

「38.2度……」

 

 

 数秒、現実逃避をするように天井を見つめる。

 

 

 見間違いであってほしい……

 

 

 せめて37度台であってくれ!

 

 

 そんな淡い期待を込めて、

 もう一度数字を見直してみたが……

 

 

 現実は変わらなかった。

 

 

「……完全に風邪だなぁ」

 

 

 ぽつりと漏れた声に、いつもの元気はなかった。

 

 

 ──大学に入って、早一年と九ヶ月。

 

 

 別に、昔みたいに無茶を重ねたわけではない。

 

 

 徹夜続きだったとか、限界まで頑張って倒れたとか、そんな大袈裟な理由ではない。

 

 

 今回は本当に、ただ風邪を引いただけだ。

 

 

 講義中も何人か咳き込んでいたし、SNSでも『大学で風邪流行ってる』なんて投稿を見た記憶がある。

 

 

 きっと、その流れ弾だ。そう考えれば納得できる。

 

 

 できるけれど──

 

 

「……タイミング最悪すぎでしょ」

 

 

 年末。

 

 

 しかも、あと少しで実家へ帰る予定だった。

 

 

 最近、毎年31日は私も兄も帰省するようになり、それがなんとなく家族の中で決まった習慣になりつつあっていた。

 

 

 スマホを手に取り、見つめる。

 

 

 今年は体調不良で帰れないかもしれない、

 と母へ連絡するべきか。

 

 

『体調管理は全ての基本や。

 ここで躓くやつは、どんな阿呆よりも下や』

 

 

 脳内で、あまりにも鮮明に再生される声。

 低くて、妙に説得力のある京都弁。

 

 

「……絶対言うなー」

 

 

 断言できる。百パーセント言う。

 

 

 なんなら熱を出したと報告をした瞬間、

 心配より先に飛んでくるまである。

 

 

 ──いや、たぶん心配はしてるのだろう。

 

 

 あの人なりに。

 

 

 でも、それを表に出す前に説教が来るだけで。

 

 

 厳しかったし、正直、理不尽だと思ったこともある。

 

 

 けれど、そのおかげで自分が生き延びてきたことも分かっている。

 

 

 ……まあ、言い方はもう少し優しくしてほしいけど。

 

 

(連絡するのは、当日でいいかな……)

 

 

 今かけたら、電話が長引くのは火を見るより明らかであり、体調が悪い中それはちょっとしんどいため、少し先延ばしすることにした。

 

 

 ……というか。

 

 

(あの人が風邪ひいてるところ、

 見たことないんだけど……)

 

 

 本当に同じ人間なんだろうか?

 

 

 そんなことをぼんやり考えていた、その時──

 

 

『彩葉……大丈夫? 体調悪いの?』

 

 

 不安そうな声が聞こえた。

 

 

 顔を上げると目に入ったのは、

 机の上に立てかけていたスマホ。

 

 

 画面には、ヤチヨの姿が映っていた。

 

 

 眉を下げ、今にも泣き出しそうな顔で

 心配そうにこちらを見ている。

 

 

「あ〜……うん。ちょっと風邪引いちゃったみたい!」

 

 

 なるべく安心させるように、小さく笑う。

 

 

「けど、今回はちゃんと薬も飲むから。すぐ治るよ」

 

 

 本当は結構しんどい。頭も痛いし、身体も重い。

 

 

 年末で休診ばかりだったため、病院にも行けていない。

 

 

 でも。

 

 

 今のヤチヨに、それを全部正直に言ったら多分もっと心配する。

 

 

 だから少しだけ、平気なふりをした。

 

 

 ──しかし、その直後。

 

 

「うっ……げほっ、げほっ……!」

 

 

 また、激しく咳き込んでしまう。

 

 

『あぁっ、彩葉!?』

 

 

 ヤチヨが慌てて身を乗り出した。

 

 

 もちろんスマホ越しのため、本当に近づけるわけじゃない。背中をさすることも、水を持ってくることもできない。

 

 

 それでも、その必死さだけは、ちゃんと伝わってきた。

 

 

『ごめんね……』

 

 

 ぽつりとこぼしたヤチヨが目を伏せる。

 

 

『ヤチヨが、あの時みたいに……

 現実でも看病できればよかったのに……』

 

 

「………」

 

 

 その言葉に、私は少しだけ目を細めた。

 

 

 ──懐かしい。

 

 

 あの頃。

 

 

 色々なことがまだ落ち着いていなくて、

 自分自身も無理ばかりしていた時期。

 

 

 高熱を出して倒れた自分を、かぐやが半泣きになりながら必死に看病してくれていた。

 

 

『死なないでぇ……!』なんて、大袈裟なくらい泣いて。

 

 

 その必死さが、なんだか少し可笑しくて。

 

 

 でも同時に──嬉しかった。

 

 

 誰かが、自分のことをこんなに心配してくれる。

 それが、思った以上に救いだった。

 

 

「ありがとう……ヤチヨ」

 

 

 少しだけ笑う。

 

 

「気持ちだけで十分──げほっ、ごほっ!」

 

 

 また咳っ!もう嫌になるくらい止まらなかった。

 

 

(あ〜……くそ、しんどい……)

 

 

 弱音が心の中で漏れる。

 

 

『やっぱり、誰かに看病してもらった方がいいって! 

 一人は絶対ダメ!』

 

 

 ヤチヨが勢いよく声を上げた。

 

 

「でも……」

 

 

 少し言い淀んでしまう。

 

 

「他の人に移しちゃうのもまずいし……

 年末だし、みんな忙しいでしょ」

 

 

 友達を呼ぶのは気が引けた。

 

 

 ただの風邪とはいえ、感染ってしまう可能性があるからだ。

 

 

 それに、年末なのだから、みんなそれぞれ予定があるだろうし、わざわざ自分のために時間を割かせるのも申し訳ない。

 

 

「とにかく、薬飲んで寝てれば治るから大丈夫。ヤチヨも心配してくれてありがとうね」

 

 

 安心させるように、笑ってみせる。

 

 

 ……本当は、全然大丈夫ではない。

 

 

 でも、これ以上心配をかけたくなかった。

 

 

『………』

 

 

 返ってきたのは、予想していた「無理しないでね」でも、「ちゃんと水飲むんだよ」でもなかった。

 

 

 ヤチヨは何も言わなかった。

 

 

 ただ、画面越しにじっとこちらを見つめたまま、少しだけ眉を寄せる。

 

 

 何か言いたそうな顔。

 でも、言葉にならないまま。

 

 

 ──プツリ。

 

 

「あれ……?」

 

 

 突然、アプリが閉じ、ヤチヨはいなくなった。

 

 

(……怒らせちゃったかな)

 

 

 少しだけ胸がざわつく。

 

 

 心配してくれていたのに、突き放すようなことを言ってしまっただろうか。

 

 

 でも、だからといって誰かを呼ぶのは──

 

 

「……考えるの、後にしよう」

 

 

 熱で鈍った頭では、思考もまとまらない。

 

 

 スマホを握ったまま、小さく息を吐く。

 

 

 とにかく、寝よう。寝れば、きっと少しは良くなる。

 

 

 軽食を食べて、薬も飲んだし、ちゃんと水分も取った。

 

 

 大丈夫。明日には治ってる。

 

 

 ──そう、自分に言い聞かせるように目を閉じた。

 

 

────────────────────

 

 

 目が覚めると、部屋はまだ明るかった。

 

 

 (何時間寝た……?)

 

 

 熱でぼんやりする頭のまま枕元のスマホを手に取ると、画面に表示された時間は思ったより早かった。

 

 

 外はまだ昼で、カーテンの隙間から差し込む冬の日差しが、静かな部屋をぼんやり照らしていた。

 

 

 身体は相変わらず重い。ただ、それでも眠る前よりは少しだけ楽になった気がした。

 

 

「……お腹空いた」

 

 

 思わず漏れた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。

 

 

 でも、空腹を感じられるということは、少し回復しているのかもしれない。

 

 

 そういえば今日は薬を飲むために少し食べただけで、まともな食事なんて取れていなかった。

 

 

 ゆっくりと身体を起こし、ふらつく足でベッドを降りる。立ち上がった瞬間、少し視界が揺れて思わず壁に手をついた。

 

 

「うわ……まだふらふらするな……」

 

 

 喉が痛いし、できれば温かいものがいい。インスタントスープでもあっただろうか……ゼリーでもいいけど、今は何か温かいものが胃にほしい。

 

 

 そんなことをぼんやり考えながら、重たい足を引きずるようにリビングへ向かう。

 

 

 ──その途中で、ふと足が止まった。

 

 

「────……──」

 

 

 静かなはずの家の中に、何かが聞こえた。

 

 

(……話し声?)

 

 

 かすかな話し声。しかも、一人じゃない。

 

 

 一瞬で眠気が吹き飛んだ。

 

 

(……えっ、誰かいる!?)

 

 

 心臓が嫌な音を立てる。

 

 

 いやいや、落ち着いて……

 でも、私以外いないはずの家で話し声がするって普通に怖い。

 

 

(も、もしかして強盗……!?)

 

 

 熱で鈍った頭が、最悪の想像ばかり膨らませる。

 

 

 私はなるべく音を立てないように、そっと階段の陰からリビングの方を覗き込んだ。

 

 

 そして──

 

 

「Hey、Yachiyo! 

 病人におすすめのご飯のレシピを教えて?」

 

 

(……え?)

 

 

 そこで見えた光景に、私はしばらく固まった。

 

 

 キッチンに立っていたのは、包丁を片手にAIに質問するように話しかけているミコトさんだった。

 

 

(ミコトさん? な、なんでいるの!?)

 

 

 疑問で頭がいっぱいになっている中、質問から数秒が経ち、スマホから無機質な機械音声──ではなく。

 

 

『自分で調べろカス』

 

 

 私の推しにそっくりな綺麗で声で

 とんでもない暴言が聞こえてきた。

 

 

 (熱のせいで幻聴でも聞こえた?)

 

 

 ……いや、今のは絶対に現実だった。

 しかも、めちゃくちゃ聞き覚えのある声だった。

 

 

「──今なんて?」

 

 

 ミコトさんまで思わず聞き返している。

 

 

『あっ、ごめん☆ つい昔のくせで。そうだね〜、やっぱり風邪引いた時は“これ”がいいと思うな〜』

 

 

「……まあ、いいけど」

 

 

 いいんだ。ツッコまないんだ。

 

 

 あまりにも自然なやり取りに、逆に現実感がなくなる。

 

 

 そして、レシピを見ながら何かに気づいたらしいミコトさんが、再びスマホへ向かって口を開いた。

 

 

「……Hey、Yachiyo。これ材料練るの面倒くさいんだけど、なんかいい方法ない?」

 

 

『──自分の手で練ろカス』

 

 

 即答だった。

 

 

「この検索エンジンぶっ壊れてる?質問したらyachi8000が返してくるんだけど」

 

 

 真顔のままスマホを見つめて、

 

 

「叩けば直るかな?」とミートハンマーを持ち上げ始めたミコトさんに。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 思わず、小さく笑いが漏れてしまった。

 

 

 なんだろう。

 

 

 熱でしんどいはずなのに、変な光景すぎて面白い。

 

 

 その瞬間だった。

 

 

「──酒寄さん?」

 

 

 ぴたり、とミコトさんの動きが止まる。

 

 

 振り返った顔には驚きと、それからほんの少し安堵したような色が混ざっていた。

 

 

「起きたんですか。よかっ──」

 

『彩葉ぁぁぁ!!大丈夫!?まだしんどい!?食欲ある!?死んでない!?』

 

 

 ミコトさんの言葉を遮るように、

 スマホから大音量が聞こえてきた。

 

 

 最後だけやたら物騒だな。

 

 

(死んでないよ……)

 

 

 心の中で小さくツッコミながら、少しだけ笑ってしまった。

 

 

『ピッタリの人材呼んどいたから! この人なら風邪かかんないし、看病でこき使っても大丈夫だから!』

 

 

「お前、人のことなんだと思ってんだ!いきなり材料買ってここに来いって呼び出しやがって!」

 

 

 そんな二人の騒がしい会話を聞きながら、

 私は安心感を感じていた。

 

 

 起きたら、一人じゃなかった──

 

 

 たったそれだけのことなのに。

 

 

 どうしてこんなに、安心するんだろうと思った。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ミコトside

 

 

 テーブルに置かれた器から、ふわりと湯気が立ち上る。

 

 

「これって……」

 

 

『ネギ味噌しょうがと卵おじやだよ〜! あつあつだからふーふーして食べてね!』

 

 

 ヤチヨがいつもの調子で胸を張る。

 

 

 だけど、その声を聞いた瞬間。

 

 

 向かいに座っていた酒寄さんが、ぴたりと動きを止めた。

 

 

()()、食べれるなんてなぁ……」

 

 

 こぼれた声が、妙に静かだった。

 

 

(……また?)

 

 

 俺が酒寄さんを見ると、彼女は器をじっと見つめたまま、小さく息を吐いた。

 

 

「これ、私が三年前に風邪をひいた時にも……

 かぐやが作ってくれたんです」

 

 

 その声は、どこか遠いものを見るようだった。

 

 

 そうして酒寄さんが、少しだけ笑う。

 

 

 でも、その笑顔はすぐに揺れた。

 

 

「すごく、美味しくて……。もう、二度と食べられないと思ってた」

 

 

 器を持つ指先が、少しだけ強くなる。

 

 

 ヤチヨはそんな酒寄さんを見て、

 一瞬だけ言葉に詰まったあと。

 

 

『……えへへ。覚えててくれたんだ』

 

 

 珍しく、少しだけ照れくさそうに笑った。

 

 

『あの頃のレシピ、ちゃんと再現したんだから!

 味は変わってないはずだよ〜』

 

 

 やがて、彼女は小さく息を吸い込み。

 

 

 いただきます、と呟いた後、

 丁寧に冷ましたおじやを口に運ぶ。

 

 

 そして、次の瞬間。

 

 

 目尻に、じわりと涙が滲んだ。

 

 

「……っ、おいしい……」

 

 

 その声は、ひどく弱くて。

 

 

 でも──誰より、嬉しそうだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、机の上には、すっかり空になった器があった。

 

 

「……これ、本当に美味しかったです」

 

 

 ぽつり、と静かな声だった。

 

 

「懐かしかったし……すごく安心しました」

 

 

 そう言って、ゆっくり俺を見る。

 

 

「ミコトさん、作ってくれてありがとうございます」

 

 

 一瞬、言葉が止まった。

 

 

「あー……まあ、おじやくらいなら」

 

 

 なんとなく視線を逸らす。

 

 

 別に大したことはしてない。

 

 

 ヤチヨが「生姜多め!」「味噌あと少し!」とか口うるさく監修してきただけで、作ったのはただの病人飯だ。

 

 

 ……なのに。

 

 

 酒寄さんは、少し困ったみたいに笑って。

 

 

「それだけじゃないです」

 

 

 小さく首を振った。

 

 

「看病に来てくれたことも……すごく嬉しかったです」

 

 

「え?」

 

 

「一人で寝てたら、たぶんもっと不安だったと思うので」

 

 

 少しだけ視線を落とす。

 

 

「本当に、ありがとうございます」

 

 

 彼女はそう言って、ぺこりと頭を下げた。

 

 

「役に立てたならよかったです……でも!」

 

 

 少し真面目な話をしようと思い、口を開く。

 

 

「今回は緊急事態だったからいいとしても、あんまり男を簡単に家に上げたりしたらダメで──」

 

 

「寝てる間に勝手に入ったくせに何言ってるんですか?」

 

 

「すいません、自分が悪かったです」

 

 

 ぐうの音も出ない程のド正論で殴られた。

 

 

「……冗談です。私はミコトさんのことはめちゃくちゃ信頼してるので、そこはまったく気にしてません」

 

 

 えっ?どこでそんな信頼度カンストした?

 

 

 ……なんと言うか、ここ数年、酒寄さんとの互いの認識に、温度差のようなものを感じるんだよな。

 

 

 こっちはまだ「知り合いLv3」くらいの認識だったんだが。 

 

 

 そんなことを考えていると。

 

 

『もぉ〜〜!ミコトばっかりずるい〜〜!!

 ヤッチョも頑張ったのにー!』

 

 

 空気をぶち壊す勢いでヤチヨが騒ぎ出した。

 

 

「ふふっ、ヤチヨもありがとうね。美味しかったよ」

 

 

『えへへ〜』

 

 

 秒で機嫌が直った。相変わらず簡単なやつ。

 

 

 そうして、そのやり取りにどこか安心したように、酒寄さんがふにゃっと目を細める。

 

 

「なんか、お腹いっぱいになったら眠くなってきちゃった」

 

 

『そしたら、彩葉には特別にヤチヨおすすめの超安心ASMRを聞かせてあげるよ!』

 

 

 (なんだその胡散臭い宣伝文句は……)

 

 

「俺も気になるんだけど」

 

 

『ミコトはダメ!』

 

 

「即答!?」

 

 

『ミコトには意味がない……っていうか、

 たぶん私と彩葉にしか効果ないから』

 

 

 ………?

 

 なんだその限定コンテンツ。急に怪しくなったな。

 

 

 俺とは反対に、酒寄さんがくすっと笑う。

 

 

「ふふ……なんか気になるかも」

 

 

『でしょ! 彩葉、寝室行こ寝室! 

 病人には睡眠が最強だから!』

 

 

「でも、食器洗わないと」

 

 

 空になった器へ視線を向けながら小さく言う。

 

 

「そんなもの、俺がやっときますから。病人は寝てください」

 

 

 そう言うと、酒寄さんは少し迷ったあと。

 

 

「……すみません。じゃあ、お言葉に甘えます」

 

 

 ぺこり、と小さく頭を下げた。

 

 

 その動きすら少しふらついていて、やっぱりまだ本調子じゃないのが分かる。

 

 

『よーし! 病人確保! 寝室へしゅっぱーつ!』

 

 

 そのまま、ヤチヨに急かされるようにして寝室へ向かっていく。

 

 

 その背中を見送りながら、ぼんやりと考える。

 

 

 

 (酒寄さんと出会って、もう三年半……か)

 

 

 長かったような、短かったような時間だった。

 

 

(大体、いつも……()()()()()()()()()()()()……)

 

 

 関係が落ち着き始めて。

 

 相手が遠慮なく笑うようになって。

 

 少しずつ距離が縮まって、信頼されて、気を許されて。

 

 

 そして──()()()()()()()()()

 

 

 最初は冗談みたいに笑う。

 

 けれど、違和感はやがて疑念になり、疑念は恐怖に変わる。

 

 そうして最後には、決まって同じ顔をする。

 

 

 ……酒寄さんには、好感を抱いているし、信頼されていることも素直に嬉しいとも思った。

 

 

 ……嬉しいからこそ。

 

 

 これ以上、深くなる前に。

 

 

 傷が浅いうちに──

 

 

「そろそろ、“潮時”かな……」

 

 

 自分の口から零れた声は、

 自分で思っていた以上に弱々しかった。

 

 

────────────────────

 

 

 彩葉side

 

 

 (あー……確かに、これは安心するかも……)

 

 

 イヤホンから流れてくる、ある音を聞いていると、だんだんとまぶたが重くなり、眠気が波みたいに押し寄せてきた。

 

 

(……少しだけ、寝よ…ぅ…)

 

 

 そう思った瞬間。

 

 

 意識が、ふっと暗闇へ沈んだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 次に目を開けた時──そこは、見覚えのない場所だった。

 

 

 風が草原を撫で、果ての見えない草の海が、波のようにゆっくりとうねっていた。

 

 

 そんな中を、一人の青年が歩いていた。

 

 

(これは……また、()()()()()()()()……)

 

 

 身体の感覚はなく、声を出そうとしても、誰にも届かない。

 

 

 かつてFUSHIに頼んで、かぐやの記憶を見て以来、私は時折こんな夢を見るようになった。

 

 

 人の夢は、自分の記憶をもとに作られるという。だとすれば、自分の人生とは比べものにならないほど膨大な、あの記憶が夢に現れるのも不思議ではないのかもしれない。

 

 

 夢ではいつも、私はただ少し離れた場所から、二人の時間を眺めることしかできなかった。

 

 

 かつて身を寄せていた集落が滅び、二人は再び人のいる場所を探して旅を続けていた。

 

 

 広い世界を歩くのは、一人の青年と、彼の胸元に身を寄せる小さなウミウシだった。

 

 

(……ミコトさん、かぐや)

 

 

「ミコト、見て!」

 

 

 先に声を上げたのは、かぐやだった。

 

 

 胸元から身を乗り出すようにして、空をふわりと舞う小さな蝶を見つめる。

 

 

「蝶々飛んでるよ! ほら、あれ!

 なんて名前なんだろうねー」

 

 

 蝶を追いかけるように視線を動かし、

 楽しげな声を弾ませる。

 

 

 その様子に、ミコトさんは少しだけ目を細めた。

 

 

 この時期、かぐやは以前にも増して、

 よく話しかけるようになっていた。

 

 

 空が綺麗だとか。

 

 花が咲いているとか。

 

 鳥が鳴いているとか。

 

 どんなに些細なことでも、沈黙を埋めるように言葉を探し続けていた。

 

 

 理由は明白だった。

 

 

 少し前、ミコトさんが自らを傷つけている場面を、かぐやが目撃してしまったのだ。

 

 

 あの日以来、かぐやはどこか必死だった。

 

 

 彼が暗い顔をしないように。沈んでしまわないように。

 

 

 まるで、壊れかけた何かを繋ぎ止めようとするかのように。

 

 

「……かぐや」

 

 

 ミコトさんは小さく笑い、

 指先で彼女の頭を軽く撫でた。

 

 

「そんな無理して話しかけなくてもいいんだぞ?」

 

 

「む、無理なんかしてないもん」

 

 

 そう返す声は、わずかに震えていた。

 

 

「俺が自分を傷つけてたのは、

 俺の心が弱かったせいなんだからさ」

 

 

 歩みを止めぬまま、視線を遠くへ向ける。

 

 

「だから……かぐやは悪くないんだから、

 責任なんか感じなくていいんだよ」

 

 

 その言葉に、かぐやの身体がぴくりと揺れた。

 

 

「違っ──!」

 

 

 珍しく、かぐやが強い声を上げる。

 

 

「ミコトは悪くないよ! だって……」

 

 

 だが、その言葉を遮るように、

 ミコトさんは笑ってみせた。

 

 

 自分だって、辛いはずなのに。

 

 

 それでも、かぐやを心配させないために。

 

 

「大丈夫だって……

 これからはもうあんな事しないって約束するから!」

 

 

 そして、励ますように頭をぐしぐしと撫でる。

 

 

「ありがとうな……

 かぐやがいてくれて、本当に良かったよ」

 

 

「・・・・・」

 

 

 その瞬間、かぐやは言葉を失った。

 

 

 小さな身体が、わずかに強張る。だが、それもほんの一瞬だった。

 

 

「……えへへ」

 

 

 彼女はすぐに笑みを作る。

 

 

 いつもの明るい声を、少しだけ無理に。

 

 

「そ、そうでしょー?

 かぐや、めちゃくちゃ頼れる相棒だからね!」

 

 

「ははっ、自分で言うかそれ」

 

 

 ミコトさんが吹き出す。

 

 

 風が草原を渡り、草の海が波のように揺れた。

 

 

 果てしない世界の中で。

 

 

 青年は、小さな相棒に支えられて歩いていた。

 

 

 けれど──

 

 

 その小さな相棒もまた、必死だった。

 

 

 彼を失わないために、真実を隠し。

 

 

 彼が壊れてしまわないように、自分の不安も恐怖も押し隠しながら、明るい声を作り続けていた。

 

 

「よーし!」

 

 

 ミコトさんがわざとらしく大きな声を出す。

 

 

「今日も集落目指して頑張って歩くぞー!」

 

 

「……うん」

 

 

 かぐやは小さく頷いた。

 

 

「……そう、だね」

 

 

 その声が少しだけ掠れていたことに、

 ミコトさんは気づかなかった。

 

 

 

 それから、少し場面は飛んで──

 

 

 二人はついに人の気配を見つけていた。

 

 

 草原の向こう。

 

 

 煙が立ち上り、小さな住居が並ぶ場所。

 

 

 人がいる。

 

 

 それを見つけた瞬間、ミコトさんの表情がぱっと明るくなる。

 

 

「ほら、見てみろよかぐや!!集落だ!!人がいるぞ!!」

 

 

 弾んだ声だった。

 

 

 その声を聞いて、かぐやもまた安堵していた。

 

 

「かぐやは何かあったらまずいからここにいてくれ。

 まずは俺が話してくる」

 

 

「えっ?でも、かぐやがいないと言葉わかんないよ?」

 

 

「大丈夫だって!ある程度ボディランゲージでコミュニケーション取れるだろ?」

 

 

 そうして、かぐやが止める間もなく、

 ウミウシのかぐやを少し離れた場所に置き。

 

 

 ミコトさんが、一人で集落に近づいった。

 

 

 それに気づいた集落の人々が、

 ざわめきながら"武器を手に"集まってくる。

 

 

 そして、一人の男が鋭く叫んだ。

 

 

「それ以上近づくな!!」

 

 

 続いて別の声が飛ぶ。

 

 

「よそ者が! すぐにここから出ていけ!!」

 

 

 その声に宿っていたのは、明確な拒絶だった。

 

 

 威嚇。恐怖。敵意。

 

 

 かぐやの小さな身体が強張る。

 

 

 危険だと、来るなと言っていると、

 ミコトさんに伝えようとする。

 

 

「ミコト、駄目!この人たち、来るなって言ってる!!」

 

 

 だが、その必死な声は、風の中に消えた。

 

 

 ……ミコトさんには、彼らが何を言っているのかが聞こえない。

 

 

 そのため、彼はただ、困ったように笑っていた。

 

 

 そして、ゆっくりと歩み寄る。

 

 

「ま、待ってください……」

 

 

 雰囲気から拒絶されているのはわかっていたはずだが。

 それでも、彼は縋った。

 

 

 当てもなく彷徨い続けた末、

 

 

 ようやく見つけた“人のいる場所”だったから。

 

 

「お願いだから……少しだけでも……

 一緒に、いさせて──」

 

 

 その瞬間だった。

 

 

 バキッ!!

 

 

 鈍い音が響く。

 

 

 集落の男が振るった木の棒が、ミコトさんの頭を強く打ち据えた。

 

 

 勢いよく吹き飛ばされ、地面へ倒れる。

 

 

「ミコト!!」

 

 

 それを見たかぐやが、必死にウミウシの体を引きずって彼のそばへ行こうとする。

 

 

 ルールも秩序もない縄文時代では、

 余所者を排除することになど、なんの躊躇いもなかった。

 

 

 頭部を切ったのか、彼の頭から鮮やかな血が勢いよく流れ落ちた。

 

 

 なのに──

 

 

 傷がなくなる。

 

 裂けた皮膚が、一瞬で元へ戻る。

 

 流れ落ちた血すら、存在しなかったかのように消えた。

 

 

 その光景を見た瞬間──

 

 

 人々の顔から血の気が引いた。

 

 

 ほんの数秒の静寂。

 

 

 そして次の瞬間、恐慌が広がった。

 

 

「う、うわぁぁぁぁっ!!」

 

「やめろ……こっち来るな……!」

 

「近づくな!!」

 

「呪われてる……!」

 

「神の怒りに触れた奴だ……!」

 

「皮が裂けたのに……なんで立てるんだ……?」

 

「村に入れるな! 災いを呼ぶ!」

 

「早く追い出せ!!」

 

 

 何人かが震えながら後ずさる。

 

 

 怯えた目が、倒れたままの青年を見つめる。

 

 

 (やめて……もうそれ以上……

 ミコトさんに、そんな酷いこと言わないで……)

 

 

 そんな思いも、誰にも届かない。

 

 

 そして。

 

 

 誰かが、決定的な言葉を口にした。

 

 

「あれは人の形をした“何か”だ……!」

 

 

「人じゃない……こんなの、“人”じゃない!」

 

 

 最後に。

 

 

 木の棒を握った男が、震える声で吐き捨てた。

 

 

 

「この…っ……"化け物"がっっっ!!!」

 

 

 

 その瞬間──

 

 

「──っっ!!」

 

 

 勢いよく飛び起きた。

 

 

「はぁっ……! はぁっ……!」

 

 

 肩で息をする。

 

 

 心臓が、うるさいほど鳴っていた。

 

 

 額にはじっとりと汗をかき、指先が、震えていた。

 

 

 夢は、もう終わったはずなのに。

 

 

 耳の奥には、まだ残っている。

 

 

 鋭く、鈍く、何度も心を抉るような言葉たちが。

 

 

 せめてもの救いは、彼が言葉を理解していなかったことだろう。

 

 

 それでも、あの人々の表情を見れば、

 ある程度察しはついてしまう……

 

 

「……ミコトさん」

 

 

 ぽつりと漏れた声。

 

 

 ……自分が恐怖を抱かれ、数々の罵声を浴びせらていることがわかった時。

 

 

 あの時……

 

 

 (彼は、一体どんな顔をしていたのだろう……)

 

 

 胸の奥がずきりと痛み、思わずぎゅっと布団を握る。

 

 

 でも……こんなものは、所詮"ほんの一部"に過ぎない。

 

 

 これから先、何度も何度も、ミコトさんは──

 

 

 

 そんなことを思っていた時だった。

 

 

 コンコン

 

 

 静かな部屋に、控えめなノックの音が響く。

 

 

「あっ……どうぞ」

 

 

 返事をすると、扉がゆっくり開いた。

 

 

 顔を覗かせたのは、ミコトさんだった。

 

 

「体調、大丈夫そうですか」

 

 

 静かな声でそう聞かれる。

 

 

「…っ……。はい、だいぶ楽になりました」

 

 

 いつも通りを装って、そう答える。

 

 

 ミコトさんは小さく頷いた。

 

 

「……ならよかったです」

 

 

 それだけ言って、少しだけ視線を逸らす。

 

 

 ……なんだろう。違和感を感じた。

 

 

 何か、言いにくそうにしているような……

 

 

「あっ、あと今日はヤチヨが開けてくれたとはいえ……勝手に家に入ってすいませんでした」

 

 

 そうしてぺこりと頭を下げる。

 

 

「いえ、むしろ看病に来てくれて助かりましたよ!」

 

 

 本当に、そう思っていた。

 

 

 一人は、思っていたよりも不安だった。

 

 

 熱で苦しい中、誰かがいてくれる安心感は想像以上に大きかった。

 

 

 だから。

 

 

 “気にしないでください”

 

 

 そう言おうと、口を開きかけた瞬間だった。

 

 

「あっ、あと安心してください。これからはこう言ったことがない限り……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「──は?」

 

 

 一瞬、意味が分からなかった。

 

 

 彼は……今なんて言った?

 

 

 ミコトさんの言葉に、胸の奥がじわりと痛んだ。

 

 

 ようやく少し、分かり合えてきたと思っていたのに。

 

 

 どうして……

 

 

 どうして、この人はまた──

 

 

「ツクヨミでとかならいいですけど、あんまり現実では自分とは関わらない方がいいと思うので」

 

 

 軽い調子で言っているように聞こえるのに、その声の奥にあるものが分かってしまう。

 

 

 諦め、遠慮……そして──

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 私は、その理由を知っている。

 

 

 知ってしまっている。

 

 

 この人の8000年を見てきたから。

 

 

「だって……」

 

 

 ミコトさんは少しだけ視線を逸らし、

 自嘲するように笑って、

 

 

「こんな普通じゃない、“化け物”と一緒にいたって……良いことなんかありませんから!」

 

 

 また……そんなことを言った。

 

 

 記憶の中でも。

 

 

 ヤチヨが自分をおばあちゃんと自虐するように、

 ミコトさんは自身をよく化け物と下卑していた。

 

 

 でも、それを責められなかった。

 

 

 その言葉が、ただの卑屈ではないことを知っていたから。

 

 

 人から恐れられてきた記憶。

 

 

 守ったはずの相手に怯えられたこと。

 

 

 利用され、裏切られ、化け物だと罵られたこと。

 

 

 気を許して仲良くなった相手にも、

 最後には恐怖や妬みの目を向けられてしまったこと。

 

 

 そんなものを何千年も積み重ねてきたら、

 きっと誰だって自分をそう呼んでしまうようになる。

 

 

 でも……それでも。

 

 

 この人は、ずっと誰かを助けることをやめなかった。

 

 

 そして──その“誰か”の中には、いつだってかぐやがいた。

 

 

 私にとって、何よりも大切な人。

 

 

 かぐやが泣いていた時も、壊れそうだった時も、孤独に沈んでいた時も、ミコトさんはずっと隣にいた。当たり前みたいにそばにいて、傷つきながらも守り続けていた。

 

 

 私は、その全部を知っている。

 

 

 だからこそ──そんなふうに、

 彼が自分自身のことを悪く言うのが嫌だった。

 

 

「これからは何かあったらメールを送ってもらえば……」

 

 

 なおも拒絶を続ける彼に対し。

 

 

 

「うるさいっ!!」

 

 

 

 気づけば、声をあげていた。

 

 

 自分でも驚くくらい大きな声だった。

 

 

 ミコトさんが、少し目を見開く。けれど、止まれなかった。今ここで止まったら、きっと私は後悔する。

 

 

「ミコトさんは、私のこと

 全然知らないかもしれないですけど……!」

 

 

 胸が熱い。喉が痛くて、言葉が詰まりそうになる。それでも止めたくなかった。

 

 

「こっちは8000年、ずっと!!

 あなたのことを見続けてきたんですよ!?」

 

 

 ミコトさんの表情が止まる。

 

 

 私は拳を握りしめた。泣きそうだったし、怒っていた。悲しかった。苦しかった。感情がぐちゃぐちゃだった。

 

 

「あなたが苦しんでるところも、不安を一人で抱え込んでるところも……誰とも深く関われなくて、それでも平気な顔して笑ってたところも、全部見てきたんです!!」

 

 

 息が切れる。でも、言葉は止まらなかった。

 

 

「何回も壊れそうになってたのに、自分のことなんか後回しにして……誰かを守って。傷ついても、苦しくても、また立ち上がって……!」

 

 

 どうして、そんなに自分を大事にしないんですか?

 

 どうして、そんな顔で全部終わったみたいに笑うんですか?

 

 

 言いたいことが溢れて止まらない。

 

 

「……それに」

 

 

 一度、息を吸う。

 

 

 ここだけは、ちゃんと言いたかった。

 

 

「かぐやをずっと守ってくれてたことも、知ってます」

 

 

 ミコトさんの目が、少しだけ揺れた。

 

 

 私は、その反応に構わず続ける。

 

 

「かぐやが苦しんでた時、泣いてた時、壊れそうだった時……いつも、ミコトさんが隣にいた」

 

 

 時には自分が傷つくことになっても。

 

 それでも、そばを離れなかった。

 

 

「私、見てたんです」

 

 

 喉の奥が、きゅっと締まる。

 

 

 うまく息が吸えない。

 

 

 それでも、言わなければいけないと思った。

 

 

「私にとって、かぐやは、すごく大切な人なんです」

 

 

 思い出が、胸の奥から溢れるように浮かんでくる。

 

 

 私が辛かった時に、何度も支えてくれたヤチヨのこと。

 

 私の生き方を変えてくれた、かぐやのこと。

 

 

「だから、あの子をずっと守ってくれた恩人に……

 今更、“普通の知り合い”みたいな距離なんて、

 無理ですっ……」

 

 

 言葉の最後が、少しだけ震えた。

 

 

 静まり返る部屋。

 

 

 ミコトさんは、何も言わなかった。

 

 

「……ミコトさん」

 

 

 一歩だけ近づく。

 

 

 逃げられないように、ではない。

 

 

 ちゃんと、届く距離で話したかった。

 

 

「もう、とっくに……

 ミコトさんも、"私の大切な人の一人"なんです」

 

 

 知っている。

 

 優しいところも。

 

 不器用なところも。

 

 傷つきやすいところも。

 

 全部。

 

 

 ──怖いと思ったことなんて、一度もなかった。

 

 

 むしろ、そんなふうに傷だらけになりながら、誰かを守ろうとする人を、一人にしてはいけないと思った。

 

 

 だから──

 

 

「私は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その言葉に、迷いなんて少しもなかった。

 

 

「これから先、ミコトさんが何も変わらなくて、私だけがおばあちゃんになっていっても……」

 

 

 きっと、その未来は簡単じゃない。

 

 

 同じ時間を生きられないことに、

 苦しさや寂しさを感じることもあるだろう。

 

 

 それでも。

 

 

「それでも──私にとってミコトさんが大切な人であることは……絶対に変わりません!!」

 

 

「だから…っ…!」

 

 

 唇を噛む。

 

 

「一人で勝手に、離れようとしないでください……っ」

 

 

 情けないくらい、涙が滲んだ。

 

 

「勝手に、“もう関わらない方がいい”なんて決めないでください…っ…!」

 

 

「………」

 

 

 部屋に、静かな沈黙が落ちる。

 

 

 やがてミコトさんは、参ったみたいに息を吐いて、少しだけ困った顔で笑った。

 

 

「……そうですか」

 

 

 ぽつりと零れた声は、不思議なくらい穏やかだった。

 

 

 怒っているわけでも、困っているわけでもない。

 

 

 むしろ──どこか、少しだけ救われたような響きさえあった。 

 

 

「……今まで、長い間生きてきましたけど」

 

 

 そこで一度言葉を切り、どこか照れくさそうに目を細めた。

 

 

「こんなふうに、真正面から思いをぶつけられたのは……()()()()が初めてですよ」

 

 

「え……」

 

 

 ……今、名前で──

 

 

「普通はもっと怖がったり、引いたり、離れていくんです」

 

 

 淡々とした口調。

 

 

 なのに、その言葉の奥には、長い時間の重みが滲んでいた。

 

 

 何度も誰かと出会って、何度も別れを経験してきた人の声音だった。

 

 

「だから、正直……少し怖かったんですよ」

 

 

 そう言って苦く笑う。

 

 

「また誰かを巻き込むんじゃないか、とか。俺のせいで傷つけるんじゃないか、とか……そういうの、もう見たくなくて」

 

 

 だから距離を取ろうとした。

 

 

 これ以上近づかない方がいい、と。

 

 

 勝手に線を引いて、終わらせようとした。

 

 

「でも、」

 

 

 ミコトさんはゆっくり顔を上げる。

 

 

 その目は、もう迷っていなかった。

 

 

「そこまで言われたら……俺も、ちゃんと向き合わないと失礼ですね」

 

 

 少しだけ困ったように笑って、それから、どこか吹っ切れたような顔になる。

 

 

「だったら、約束してください」

 

 

「約束……?」

 

 

「彩葉さんも、今回みたいに体調崩した時とか、困った時とか……無茶しそうな時とか」

 

 

 一瞬だけ間を置いて、ミコトさんは小さく息を吐く。

 

 

 そして、どこか諦め半分、優しさ半分みたいな声で言った。

 

 

「──ちゃんと、俺を頼ってください」

 

 

「俺で役に立つなら、呼んでほしい」

 

 

「一人でどうにかしようとしないでください」

 

 

 その声音は静かだった。

 

 

 けれど、不思議なくらい真っ直ぐだった。

 

 

 今までずっと誰かを守る側に立ちながら、自分だけは距離を置いてきた人が。

 

 

 初めて、自分から一歩踏み出してくれた気がした。

 

 

「……ミコトさん」

 

 

 胸の奥が、じわりと熱くなる。

 

 

 嬉しいのに、泣きそうで。

 

 

 どうしてか、安心してしまって。

 

 

 彩葉はぎゅっと拳を握りしめながら、小さく頷いた。

 

 

「……はい!今度からは、ちゃんと頼らせてもらいます!」

 

 

 ──もう、彼との間にあった壁は、なくなっていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ミコトside

 

 

 ──とは言ったけどさあ〜〜〜!!

 

 

「離せぇぇぇぇ〜〜〜〜!! こんな人権を無視したような所業が許されると思ってるのかっ!!」

 

 

 ガタガタガタッ!!

 

 

 拘束具に固定された腕を必死に抜こうとする。

 

 

 腕を引き、脚をばたつかせ、まるで捕獲された野生動物のように暴れるが──当然、外れない。

 

 

 あれから、彩葉さんが大学を卒業して。

 

 

 今日は、彼女が働く研究室に呼ばれたと思ったら、

 

 

『あっ、今から実験の資料を持ってくるので。

 どうぞ椅子に座って待っててください!』

 

 

 笑顔でそう言われて、椅子に座った瞬間。

 

 

 ガチャッ

 

 

「──ガチャッ?」

 

 

 肘掛けの部分が急に締まり、腕を拘束された。

 

 

 そして、現在──

 

 

 俺は今、コードが何本も繋がった謎の機械を頭に装着されていた。

 

 

 目の前では、白衣姿の彩葉さんが無表情で淡々とタブレットを操作している。

 

 

 俺の長年生きてきた経験が、その状況に全力で警鐘を鳴らしていた。

 

 

 ──今すぐ逃げろ、と。

 

 

「誰か弁護士を呼べ!! 具体的には、自分の娘に容赦なく毒舌を吐くような敏腕弁護士を! 裁判の前にお母さん語録で説教してもらうから!!」

 

 

 あと、母親の方にも一言文句を言ってやる!

 

 

 どういう教育したら笑顔で人を無理やり拘束して実験体にするような娘が育つんだ!!

 

 

 まあ、娘なんて育てたことも

 今後育てる予定もないからわからないけど!

 

 

「……ミコトさん」

 

 

 ふいに、彩葉さんが静かに口を開く。

 

 

 先ほどまでとは違う、妙に真剣な声音。

 

 

「ヤチヨとミコトさん。それに過去の大勢の人たちの人生を見てきて……今まで自分が、いかに甘えていたのかが分かりました……」

 

 

 ぎゅっと拳を握る。

 

 

 どこか吹っ切れたような、決意に満ちた顔。

 

 

「あの時の──母親に向き合うことのできなかった、弱い私はもういません……」

 

 

 スッ、と顔を上げる。

 

 

 その目は、まるで覚醒した主人公のように輝いていた。

 

 

「今なら例え、母相手でも……逃げずに真正面から論破して見せます!」

 

 

「立ち向かわなくていいんだよ!あんたが100悪いんだから!大人しく法廷で裁かれろ!!」

 

 

 くそっ。前より確実に図太くなってやがる!

 

 

 しかも、竹並みの成長速度で、常識とは別の方向に伸びていってるのがなおさら厄介だ。

 

 

「というか、呼んでもミコトさんが怖がっちゃうのでは?この前、私がお母さんにヤチヨを紹介しに行った時も全然役に立たなかったですし」

 

 

「行き先も告げずに無理やり連行したくせに、

 随分な言い草ですね(怒)」

 

 

「それは、ヤチヨが『私とミコトは運命共同体なんだから、ミコトだけ逃がすわけないでしょ? こうなれば死なば諸共だ!!』って言うから……」

 

 

 あいつ後でしばこ。

 

 

「それに、ミコトさんだって会う前は──

『彩葉さん、あなたの前にいるのは、8000年以上生きた不老不死だ。自分の160分の1も生きてない小娘なんぞ恐るるに足らない!』ってドヤ顔してたのに、お母さんとちょっと話しただけで萎縮してたじゃないですか」

 

 

 だって弁護士だったなんて聞いてなかったし。

 

 

「途中から、ヤチヨの映ったタブレットを胸に抱えて遺影写真みたいな持ち方しだすし、ヤチヨも悪ノリして笑顔の静止画のまま固まりだすしで。私とお母さんはなんの挨拶に来たんだって困惑してましたよ」

 

 

 はい。悪ふざけして二人からしっかり怒られました。

 とても怖かったです。

 

 

 ……でも、別にいいし!

 

 

 どうせもうあの人と、お付き合いの挨拶の場に

 立ち会う機会なんてもう"絶対"に来ないし!

 

 

 こうなれば──

 

 

「ヤチヨォォ! 助けてくれ──!」

 

 

 俺が一番頼りにしている相棒に助けを求めることにする。

 

 

「8000年来の愛しの相棒が、今、良心を母親の腹に置いてきた頭ハッピーセットな科学者にモルモットにされかけてるぞ!!」

 

 

 すると。

 

 

「……ミコト」

 

 

 タブレットからこの光景を見ていたヤチヨが、ふっと目元を緩めた。

 

 

 なぜか──ほんのり感動したような顔で。

 

 

「ありがとうね…っ……」

 

 

「──あ?」

 

 

「私のために、()()()()()()()──

 実験に協力してくれるなんて……」

 

 

 胸の前で手を組み、しみじみと頷き。

 

 

 本当に光が見えるほど、

 それはそれは輝くような笑顔で言い放った。

 

 

「こんな相棒をもって……

 ヤチヨは、家宝者なのです!」

 

 

 ──やだ、このAI。

 

 

 まるで俺が進んで被検体になったみたいに言った……

 

 

「なに勝手に美談化してんだ!! “自ら望んで”じゃねぇ!! 現在進行形で全力で拒否してるだろうが!!」

 

 

 拘束具をガシャガシャ鳴らしながら抗議するが、

 誰も取り合ってくれない。

 

 

「私からも本当にありがとうございます。本来なら味覚の実験と一緒に"真実にやってもらう"予定だったんですけど、ミコトさんが()()()()()引き受けてくれて良かったです!私も……できれば、友達にこんなことはさせたくないと思ってたので……」

 

 

「今、"こんなこと"って言いました?

 これから"こんなこと"をされる人間が目の前にいるのに?」

 

 

 あと、さらっと犠牲にされそうになっていた

 諫山さんが不憫でならないんだが?

 

 

「……じゃあ、せめて

 なんの実験をするのかだけ教えてほし──」

 

「──ごめんなさい、

 研究所の機密保持の関係で言えないです」

 

 

嘘をつくな!!彩葉さんは、被験者である俺に対して内容を話す"義務と責任"があるはずだ!!倫理委員会に言いつけるぞ!!」

 

 

「まあまあ☆ 機密保持なら仕方ないよ!

 ミコトもあんまり我儘言っちゃ、"メッ"だよ!」

 

 

「なんで俺が聞き分けのない子供みたいな扱いされてんの?絶対にこの状況がおかしいんだけど!?」

 

 

 そう言ってヤチヨを睨む。

 

 

 今は俺が被害に遭ってるけど……

 

 

 これはあくまでも義体を作るための実験のため、

 義体が完成した後は"ヤチヨが実験の対象"となる。

 

 

 つまり──

 

 

「もしお前の義体が完成して、このマッドサイエンティストに変な改造されそうになっても助けてやらねぇからな!!」

 

 

 俺はきっぱりと言い放つ。

 

 

 するとヤチヨは、呆れたように肩をすくめ──

 

 

「はいはい……」

 

 

 まるで駄々をこねる子どもでも見るような顔で、ひらひらと手を振る。

 

 

「まったく……そんなことあるわけないでしょ〜!」

 

 

 ヤチヨは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 

 

 だが──

 

 

(でも、これから私が歳をとっていくと、義体であるヤチヨとの年齢差は如実に問題になってくる……どうすれば自然に見える?……そうだ! 義体の顔面パーツを定期的に交換して、加齢を再現すれば……!)

 

 

 ──この時のヤチヨはまだ知らない。

 

 

 数年後、自分が"被験体二号”として拘束される未来を。

 

 

 そして、これが原因で、助けを求めた相棒から

 容赦なく見捨てられることを。

 

 

 

 おまけ

 

 

 風邪が治った後──

 

 

「あのさ、ヤチヨ……」

 

 

『ん?なんだいなんだい?』

 

 

「この前聞かせてくれた、"ミコトさんの心音ASMR動画"……私も欲しいんだけど」

 

 

 この前聞いた時に、驚くほど安心してぐっすり眠れたのでヤチヨに聞いてみると。

 

 

『絶対ダメ☆』

 

 

 即答で拒否された。

 

 

「えぇっ?なんで──」

 

 

『だって、あれはヤッチョだけの特別なものだから……

 

 

 なんだろう?最後が小さくて聞きとれなかった。

 

 

『それよりもさ、一体いつの間にミコトから名前呼びされるようになったの? ミコトが私以外に心を開くなんて、並大抵の出来事じゃないんだけど……』

 

 

 嬉しさと悔しさが混じったような複雑な顔で、

 そう続けるヤチヨに対して。

 

 

「えっ?……でも、別に大したことしてないよ?」

 

 

『はぁ〜〜〜……』

 

 

「えっ!?クソデカため息!?」

 

 

『彩葉……ほんとそういうところだからね?』

 

 

「だからなにがっ!?」

 

 

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