忘れてると思うのでおさらい時系列
2026年
4月 元の世界へ帰還
2028年
10月 かぐや電柱から産まれる
2029年
4月2日 かぐや高校入学
8月24日 月人襲来
数日後 かぐやに8000年生きてきたことを話す
さらに数日後 ヤチヨ、FUSHI in 電柱洗濯機←今回の話
ゴウン、ゴウン、ゴウン……ガタッ!
……ピー、ピー、ピー!
「まんま洗濯が終わった時の音じゃねえか」
まるで洗濯機を回しているときのような音がしばらく響いた後。聞き覚えのありすぎる電子音が鳴ると同時に、目の前の扉が重々しい音を立てながらゆっくりと開いていく。
中の部屋には色とりどりのガラガラや積み木、小さなぬいぐるみ、ゆっくり回転するメリーゴーランドなどの玩具が所狭しと並べられていた。そして、その中央には一際目立つ大きなベビーベッド。俺とかぐやの視線は自然とそこへ吸い寄せられる。
その上には──
「すぅ〜…すぅ〜……」
「「……あ、
そこにいたのは、まだ首も据わっていないほど小さな赤ん坊。さらに、その赤ん坊を支えるように小さな子犬が丸くなって気持ちよさそうに眠っていた。
「……え? これ、
かぐやが半信半疑といった様子で俺を見る。
「た、たぶん……」
この部屋の状況を考えれば、おそらく間違いないだろう。てっきり意識だけ戻って普通に大人の姿になるもんだと思っていたのだが……
そうなると、今後もしばらくはまた"育児生活第2ラウンド"が始まることになるのだろうか?
(……いや、なんで俺子供1人も作ってないのに2回も育児しなきゃいけないの?)
しかも、「ゲーミング電柱から赤ん坊を拾う」なんていう宝くじの一等よりも縁のなさそうな出来事を俺は人生で二度も経験している。そう考えればとんでもなく運がいいはずなのだが……その結果が二度目の育児生活なのだから、もはやただの罰ゲームだろ。
「じゃあ、こっちの子犬は?」
かぐやが今度は隣で丸くなっている子犬を指差す。
「……くぅん……」
まだ耳も少し垂れていて、短い尻尾が時折ぴくりと動く。雪玉みたいにもふもふした毛並みは、普段のFUSHIとはまるで別の生き物のようだった。
「こっちは普通にFUSHIだろ」
「へぇ〜、FUSHIも犬なのに小っちゃくなってるんだ……
まあ、でも別に普通か──柴犬だし」
(納得すんな。柴犬にそんな特殊能力ねえよ)
喋ろうが突然小さくなろうが『柴犬だから』で納得するかぐやに呆れながらも、電柱から現れたその小さな身体を見つめていると、ふと今回の出来事と"あのときの光景"が重なり始める。
(……ああ、そういえば──)
「初めてかぐやに会った時も、こんな風に電柱から出てきたんだよなぁ」
当時のことを思い出すように、少しだけ目を細めた。
「大学から帰る途中に、道端に虹色に光る変な電柱があるなぁって思って近づいたら……まさか、その中から赤ん坊が出てくるとは思わなかったよ」
今思い返してもあまりにも現実離れした光景だが──例えどれだけ突拍子もない出会いだったとしても……今の俺にとっては、かぐやと出会うことができた大切な思い出だ。
「虹色に光る電柱から赤ちゃんが出てくるとか、はたから見たらだいぶイカれた光景だよね。かぐやならこんなの見かけたら、百パー見なかったことにして立ち去るね」
(お前も同じ電柱出身のくせしてなんで一番ドン引きしてんだよ)
俺とは対照的にずいぶんと冷めた感想を言うだけではなく、まるで危険なものから逃げるように電柱から距離を取る仕草まで見せていた。
「お前なぁ…… 一応、あの電柱がいなきゃ今ここにいないんだからな? "出身地"に対する敬意くらいちゃんと持っとけよ」
俺が呆れたように言うと、かぐやは一瞬きょとんと目を丸くする。
「そこはちゃんとしてるよ? その証拠にかぐや!この前の母の日に〇〇区〇〇〇番のお母さんゲーミング電柱にカーネーション添えてきたもん!」
「それだとその場所で事故があったみたいに見えるからやめろ?」
というか──
……『お母さんゲーミング電柱』って、なに??
かぐやの口から飛び出したものすごいパワーワードに一瞬頭が埋め尽くされた、次の瞬間。
「………ふぇ?」
赤ん坊がゆっくりと目を開けた。ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返し、不思議そうな表情でこちらを見つめてくる。
「あっ、ヤチヨ起きた。おはよー」
かぐやも赤ん坊の様子に気づいたらしく、先ほどまでの会話をすっかり忘れたように呑気に挨拶をかける。
「おっ、FUSHIも起きたぞ」
そう言うと、かぐやの視線はヤチヨから子犬へと移り変わり、ぴたりと動きを止めた。子犬はその小さな尻尾をパタパタと振りながら、「くぅ〜〜ん……?」と甘えるような声を漏らした。
「っ……っっ……!」
かぐやは体をプルプルと震わせたまましばらくFUSHIを見つめると、徐々に口が開いていき──
「………か、かわいぃぃぃぃぃぃぃ──!!!」
次の瞬間、弾かれたように一直線でベビーベッドへ突撃した。
「ちょっ!? なにやってんだお前!?」
「ふわぁ~!ちっちゃくてふわふわでぬいぐるみみたい!……あぁぁぁぁぁぁ、カワイィぁぁぁ──!!」
完全に理性が蒸発したかぐやは、興奮のあまり勢いよくFUSHIを抱き上げる。突然持ち上げられたFUSHIは「きゅぅ!?」と短く鳴き、短い足をぱたぱたと動かしていた。
「お〜い、かぐや〜? FUSHIまだ生まれたてだからな? ぬいぐるみみたいなノリで振り回すなよ!?」
「わかってるって〜〜! FUSHI"の"遊び方ならかぐやの右に出るものはいないから!」
「『の』遊び方って時点でもう完全に玩具として認識してんだろ」
元気よく返事をしたかぐやは、そのままFUSHIを勢いよく自分の胸元へと抱き寄せる。
(う〜〜ん、ダメだな。子犬になったFUSHIを前にして完全に理性が蒸発している……まあ、でも──)
「はぁぁぁぁぁぁぁ〜〜!!」スリスリスリスリッ
「ゴルルルルゥゥゥゥ!!!」
(……FUSHIも満更でもなさそうにしてるし、放っておいても大丈夫か)
"相変わらずFUSHIはかぐやのことが大好きだな〜"と思いながら、その微笑ましい光景からスッと目を逸らす。そして、次にベビーベッドの中にいる丁度ミニヤチヨに少し似た姿をした赤ん坊へ視線を向ける。
「あぅ〜♪ あぅ〜♪」
ヤチヨは小さな手を一生懸命こちらへ伸ばしながら、きゃっきゃっと無邪気な笑みを浮かべる。
(……いや、マジで赤ちゃんだな)
見れば見るほど赤ちゃんだった。いつもの堂々とした態度も、どこか小悪魔じみた笑みも欠片もない。これがさっきまであのヤチヨだったと言われても、とても信じられる姿ではない。
「とりあえず抱っこしてみるか」
かぐやを育ててきた経験のおかげで、赤ん坊を抱き上げる手つきは以前よりずっと慣れたものだった。
「きゃ〜〜う♪」
首をしっかりと支えながら身体を持ち上げると、ヤチヨは嫌がるどころか嬉しそうに笑う。
「ヤチヨ、お前……意識あるのか?」
「たい♡」
問いかけてみると満面の笑みで返される……少なくとも、こちらの質問に答えている様子ではない。
「……う〜〜ん、分からん」
笑ってはいるが、その笑顔に”ヤチヨらしさ”があるかと言われると何とも言えなかった。もしかすると、本当に赤ん坊として一から意識が育っている途中なのかもしれない。
そんなことを考えていると──
「ズゴォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」
あたり一体の空気が一気に吸い込まれたような、とんでもない轟音が隣から響いた。
(この辺に滑走路あったっけ? なんか隣から離陸音が聞こえてくるんだけど?)
まるでジェット機が飛び立つような音に慌てて振り向けば、そこには──
「……っん゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!! はぁっ…はぁっ……か、可愛すぎるっ! なんで子犬ってこんなに可愛いの!?」
目を完全にハートマークにしたかぐやが、暴れるFUSHIの背中へ顔面をめり込ませながら全力で吸っていた。FUSHIは四本の足を必死にばたつかせ、「きゅぅぅぅ!?」と悲鳴のような鳴き声を上げている。
「……お前なにしてんの?」
「犬吸いだけど?」
あまりにも堂々と言い切るので一瞬こっちがおかしいのかと思ってしまうが、おかしいのはこいつだ。
「名称は知ってるよ。なんで急に犬吸いを始めたのかを聞いてるんだよ」
「そこに犬がいるなら吸うのが当たり前でしょ?」
「世間の一般常識みたいな顔で即答してくんな」
本人としては何もおかしなことをしているつもりはないらしい。その一方で、FUSHIは小さな身体をくねらせながら、なんとかかぐやの腕から逃れようとしていた。
「はぁ、めっちゃ嫌がってるからやめてあげなさい」
「でも見てよこれ!! ふわふわだよ!? こんなにちっちゃいんだよ!? こんなの此方も吸わねば無作法というものだよ!!」
そう言うなり、掃除機も職を失いかねない勢いで再びFUSHIを魂ごと吸い込むように思い切り息を吸い始めた。
(たぶん今脳内メーカーやったら、全部『犬』の文字で埋め尽くされてるな……)
「あ〜〜〜、なんか……ヤチヨがよく”これ”をやってた理由がわかった気がする……」
さっきまでジェットエンジン顔負けの吸引音を響かせていた張本人とは思えないほど、かぐやは悟りを開いたような満ち足りた笑みを浮かべていた。
「あいつ、俺の知らないところで同じようにFUSHIのこと吸ってたのか……」
(正直、あのFUSHIがそんな無防備に吸われ続ける姿は想像できないんだが……)
脳裏には、顔面へ肉球を押し付けられ「ふげっ!?」と声を上げるヤチヨの姿が勝手に再生されていた。
「──ん?……あぁ、違うよ? ヤチヨが吸ってたのはFUSHIじゃなくて、“ミコトの──”」
かぐやが意味深なことを口にしかけた、その瞬間。
「おんぎゃああぁぁぁぁ〜〜!! おんぎゃぁぁぁぁ〜〜!!」
腕の中のヤチヨが、突然顔を真っ赤にして大きな口を開けて泣き始めた。
「うわっ、泣き出しちゃった! ……ほら、こんなところで赤ちゃんを泣かせっぱなしにしておくわけにもいかないし、早く家に連れて帰ろ!」
「いや、ちょっと待て。最後なんて言おうとした? なんかすごい聞き逃せないようなことが聞こえた気がしたんだけど!?」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! ほら早く早く!」
結局、俺は釈然としないものを抱えたまま、泣き続けるヤチヨを連れて家へ戻ることになった。
────────────────────────────
「……意外とすぐに泣き止んだな」
「うん……」
かぐやもほっとしたように胸を撫で下ろす。
あれから家に戻る途中。俺がかぐやへの追求をやめた途端、まるでそれまでの泣き方が嘘だったかのようにヤチヨはすっかり泣き止んでしまった。
(とりあえず、明日になったら赤ちゃん用品を買いに行かないとなぁ。オムツと粉ミルクと……哺乳瓶はレンタルでいいから──)
俺がヤチヨを抱えたまま、これからどうするかを考え始めたそのときだった。
「ねえ、ミコト」
「ん?」
視線を向けてみれば、かぐやが目をキラキラさせながら腕の中を覗き込んでいた。
「かぐやも、ヤチヨのこと抱っこしてみたいんだけど!」
「えぇ……お前この前スマホ落っことして画面バキバキにしてたじゃん。預けんの怖いんだけど」
「大丈夫だって! あんまり高く持ち上げないし、ちょっと抱っこするだけだから!」
どうやらヤチヨのことを抱っこしてみたくてしょうがないらしく、まるで「ほれほれ、早くちょうだい!」と催促するように期待に満ちた顔でねだってくる。
仕方ないので、俺は赤ちゃんの抱き方をかぐやへレクチャーしながら、そっとヤチヨをかぐやへ手渡した。
「わぁ……」
かぐやは嬉しそうに声を漏らしながら、ヤチヨの首を支えながらその身体を両腕でそっと抱き上げる。
「あったかい……! すごーい!
本当にちゃんと生きてるみたい!」
「それ赤ちゃん抱いた直後に出てくる感想じゃなくない?」
そう言いながら、かぐやはヤチヨの身体をゆっくりと揺らした──その直後。
「ふぇ……ぇ……、ふぇぇぇぇぇん!!」
「えっ!?」
突然、ヤチヨがまた大声で泣き始めてしまった。
「ちょ、ちょっと!? なんでぇ!?」
かぐやが驚いて目を丸くして、あたふたし出す。
「ヤチヨ!?どうしたの!? かぐやだよ〜!? ベロベロバ〜〜!」
慌てて背中をぽんぽんと叩いたり、抱き方を変えたりするものの、ヤチヨの泣き声は止まらない。
「えぇ……ど、ど、どうしよう……?」
かぐやが困り果てているのを見かねて、俺はそっと手を伸ばした。
「ほら、貸してみ」
「う、うん……」
かぐやからヤチヨを受け取ると、俺はそのまま胸元へ抱き寄せ、ゆっくりと背中を撫でてやる。すると、さっきまであれほど大声で泣いていたヤチヨが少しずつ泣き声を弱めていく。
「──……ふぇ……すぅ…」
やがて小さくしゃくり上げるだけになると、ヤチヨは俺の胸元に顔を埋めてそのまま大人しくなってしまった。
「…………」
あまりにも露骨な変化に、かぐやがぽかんと口を開ける。
「……なんで?」
「──ん?」
「なんでミコトだとすぐ泣き止むの!?」
納得いかないと言わんばかりに、かぐやが頬を膨らませる。
「かぐやだってちゃんと優しく抱っこしてたのに! 背中もぽんぽんしたし、いっぱい声もかけたよ!?」
「ふふ、はははっ」
「笑い事じゃないんだけど!」
むっとした顔で睨まれるが、それでも俺は思わず苦笑し続けてしまう。
「……?」
すると、かぐやが怪訝そうにこちらを見る。
「……いや、ごめんごめん。なんか……
「むかし〜〜?」
俺は笑いを堪えながら、腕の中で眠るヤチヨを見つめた。
「ああ……だって──かぐやも赤ちゃんだった頃は、ヤチヨに抱かれるとすぐに泣き出してたんだぞ?」
「……え?」
かぐやの表情が固まった。
「かぐやが? えっ、全然覚えてないや……」
「今のヤチヨと、まったく同じだったなぁ」
娘に抱かれて泣き出す赤ちゃんになった母親。それはまるで、かつての光景をそっくりそのまま反対にしたようで。
そう、あれはまだ──かぐやが赤ちゃんだった頃のことだ。
────────────────────────────
「ふぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!」
拾ってきたばかりのまだ赤ん坊だったころのかぐやをヤチヨが抱き上げた途端、それまで大人しくしていた赤ん坊が突然泣き始めた。
「えっ!? ちょ、ちょっと!? なんで!? 私、まだ何もしてないよ!?」
ヤチヨは困ったように赤ん坊をあやしているが、泣き声は一向に収まらない。むしろヤチヨが顔を覗き込むほど、赤ん坊はますます大きな声を上げている。
一方で……
「ほら、俺に貸してみ」
「え? あ、うん……」
俺がヤチヨから赤ん坊を受け取ると、さっきまでの泣き声が嘘みたいにぴたりと止まり、赤ん坊は何事もなかったかのように小さな身体を丸めている。
「……なんで?」
「──ん?」
「なんでミコトだとすぐ泣き止むの!? 納得いかないんだけど!?」
意味がわからないと言わんばかりに、ヤチヨが頬を膨らませる。
「ぐぬぬ、一体どうして……ヤチヨよりもミコトに懐く子供なんてこの世にいるわけがないのに……やっぱり、浮気相手との間にできた実の娘だから……?」
「神に誓って違うので真っ黒な目でこっちを睨みつけてくるのはやめてくださいお願いします」
本来なら今すぐ床に額を擦りつけてでも許しを乞うところなのだが、あいにく両腕は赤ん坊で塞がっているため、俺はその場で震えながらできる限りの誠意を込めて命乞いをするしかなかった。ヤチヨはしばらく黙ったまま赤ん坊を見つめる。
「いや、もしかして……」
ふと何かに気づいたように呟いた。
「この子、私から
「何かって?」
「たぶん……"月人の気配"」
赤ん坊を見つめたまま、少し真剣な顔になる。
「私もかぐやも同じ月から逃げてきた存在だから……私はもう機械の身体になったけど、微かに残ってる月人としての気配を本能的に感じ取ってるのかも」
俺の腕の中で大人しくしている赤ん坊を見つめながらつづける。
「私には月人の気配を感じるけど、ミコトには感じない。だから私が抱くと「月に連れ帰されるんじゃないか?」って思って、警戒して泣き出しちゃうんじゃないかな?」
「……なるほど」
確かに、言われてみれば筋は通ってるし、俺たち地上の人間には分からない月人特有の何かを感じ取っている可能性はある。あるのだが……
「つまりミコトが懐かれてるのはこの子が月人だからであって、普通の子だったら100%、いや、8000%ヤチヨのほうが好かれてるね。絶対。間違いなく。今回はたまたま月人補正、初対面での刷り込み、人特有の体温、匂い、その他諸々の条件が奇跡的に噛み合っただけ。つまり偶然ってこと。だから決してヤチヨが負けたわけじゃないから……そもそも一人の赤ちゃんに懐かれた程度で『ミコトのほうが子供に好かれる』なんて結論を出すのは早すぎるし、統計的にもサンプル数が少なすぎるからね? それにこの子は月人なんだから、一般的な赤ちゃんと同じ基準で考えること自体が間違ってるっていうかナンセンス。だから今回の結果は参考記録。ノーカン。無効試合だから」
別に誰も争ってなどいないのに、勝手にペラペラと言い訳を話し続ける醜いヤチヨ。
その姿をみていると、俺の頭にも"とある可能性"が浮かび上がってきた。
「いや……もしかしたら」
「……?」
ヤチヨが不思議そうにこちらを見つめた。
「単純に抱っこした人の心が穢れてるのを感じ取っただけじゃね? ほら、赤ちゃんってそういうのに敏感だっていうし」
「──は?」
そう言った瞬間、ヤチヨの表情がピシリと固まった。
「今──なんて言った?」
青い瞳だけがゆっくりと俺へ向けられる。
「つまり……私の心が穢れてるから赤ちゃんが泣いてるって言いたいわけ?…へぇ……」
口元に薄い笑みが浮かぶ。まるで、先ほどの言葉を頭の中でもう一度再生しているかのように、じっとこちらを見つめたまま、わずかに首を傾ける。
「いや、今のはほら……
じょ、冗談に決まってるだろ?」
「冗談?」
俺が慌てて取り繕おうとする一方で、ヤチヨは表情を崩さないままこちらの言い訳を吟味するように目を細めた。
「そうそう。ちょっとした軽口っていうか──」
「私が真面目に月人としての可能性を考えてた横で?」
ヤチヨは一切瞬きをしないまま、俺の言葉を待つようにこちらを見ていた。
「……はい」
「私の心が汚れてるから、赤ちゃんに泣かれたって?」
じり、とこちらへ近づいてくる。俺は反射的に後ずさりそうになったが、赤ん坊を抱いている手前それもできない。俺の顔を覗き込むように身を乗り出すと、青い瞳がすぐ目の前まで迫り、口元には先ほどと同じ薄い笑みが浮かんでいる。
「ねぇ、ミコト……私の心が──」
「なんだって?」
「っ………」プルプルプル
思わず身体が小刻みに震える。ここで何を答えても地雷なのは明らかだった。完全に追い詰められた俺を見て、ヤチヨはじっとこちらを見据えた。
「ミコト?」
「……はい」
観念して小さく頷く。
「ちょっと、そこに正座しよっか? あっ、赤ちゃんは抱いたままね♪」
にっこりと笑うヤチヨを前に、俺はもう何も言い返せなかった。
ちなみにかぐやはというと──
「すぅ……すぅ……すやぁ…//」
そんなやり取りなど知ったことではないらしく、俺がヤチヨに怒られている最中でも腕の中で実に気持ちよさそうに眠っていた。
────────────────────────────
「そんなことあったんだ……」
俺が話し合えると、かぐやがふと何かを思い出したように口を開いた。
「でも、確かに──ヤチヨのその説は、少し当たってるかもね」
「え?」
思わず俺が聞き返すと、かぐやは赤ん坊の寝顔を眺めながら懐かしそうに目を細めた。
「赤ちゃんの時のことは覚えてないけど、かぐやも最初はなんとなくヤチヨとはあんまり一緒にいたくなかったんだよね」
「そうだったのか?」
「うん……だから、あの時ミコトが大学に行くって聞いて、必死になって引き止めようとしてたんだ。まあ、一緒に遊んで欲しかったって言うのももちろんあるけど……その後、ちゃんと話してみたらすぐに悪い人じゃないってわかったし、
「ああ……なるほど」
当時の状況を思い出し、思わず苦笑する。あのときは、どうして大学に行く俺にそこまでしがみついて来るのかと思っていたが、そんな理由があったとは。
そして、かぐやが泣いていた理由についてわかった後、ふと一つの疑問が浮かび上がってきた。
(……あれ? じゃあヤチヨもかぐやから月人の気配を感じとったから、さっきは泣いてたのか?)
かぐやが泣いていた理由はヤチヨから感じ取った月人の気配だった。だとすれば、同じ月人であるヤチヨもかぐやから何かを感じ取っていてもおかしくはない。
(いや……でもかぐやと違って、ヤチヨはもう月人を恐れてなんかいないと思うんだが……)
今のヤチヨはもう連れ戻される心配もないため、俺の知る限り昔ほど月人を嫌悪しているわけではない。それにかぐやとももう長い間一緒に暮らしているのに、泣くほど怖がるのもおかしい気がする。
前に調べたことがあるが、確か赤ちゃんは
とはいえ、
「──ねぇ、ミコトってさぁ……」
そんなことを考えていると、俺の腕の中で気持ちよさそうに眠るヤチヨを見ながらかぐやが声をかけてきた。
「
……突然何を言い出すんだ、こいつは。
「いや、やっぱりって……その誤解を生みそうな言い方やめてくんない? 赤ん坊なんてみんな可愛いと思うだろ」
「……でも、かぐやが赤ちゃんだった頃も泣いたらすぐ抱っこしてくれたし、眠ったら起こさないようにずっと大事そうに抱えててくれてたわけでしょ? 今だって、ヤチヨのことすごい大事そうに抱いてるし……絶対小さい子大好きでしょ!」
かぐやは悪気なく言っているんだろうが、
「一応ないとは思うけど……お前、外では"絶対に"今みたいなこと言うなよ〜。今の時代にそんなこと言ったら、間違いなくロリコン認定されちゃうからな?」
「え”っ!?!?」
一応冗談みたいに言ったつもりなのだが、あまりにも大きな反応がかえってきたため思わず目を瞬かせる。
「……どうした? 急にニワトリが首絞められた時みたいな声出して……まるでなんか心当たりがあるような反応だったけど──」
「い、いいいいいやぁ……!?!? 別に、なんでもないしっ!?」
さっきまで笑っていたというのに、その顔は見る見るうちに青ざめていく。
「そもそも、かぐやがミコトの友達に会う機会なんてあるわけないじゃん!? ……あ、あるわけないけど、一応気をつけておくね!!……これからは」ボソッ
「ん? 最後なんか言ったか「なにも!!」
何かを誤魔化そうとするような言い方と、妙にしおらしい態度が少し気になるのだが……
すると、かぐやは露骨に慌てた様子で無理やり別の話題を探すように視線を泳がせると、突然ぱっと表情を明るくした。
「そ、そそそそんなことよりも、なんか……こうしてみると、かぐやとミコトが子育て真っ最中の夫婦になったみたいじゃない!?」
かぐやがあははと楽しそうに笑いながら、そんなことを言ってくる。
(さっきから何言ってんだこいつは……)
ただでさえ我が家の家系図は宇宙人が二人もいるとかいう、第三者に見せたら五分くらい沈黙されたあとに、「……え?」って聞き返される曰く付きの代物なんだから、これ以上ややこしくしないでほしい……
そんなことを考えていた、次の瞬間──
「ぺっっっ!!!」
やたらと力のこもった声とともに、かぐやの頬に“べちゃり”と粘着質な液体が付着した。
「………へっ?」
そして、呆然とした表情のまま声のした方へ顔を向ける。
「ケッッッ!!」
一体何が琴線に触れたのか……
そこには、「心底不快だ」と言わんばかりに喉を鳴らすヤチヨの姿があった。
「……っ! っ……っっっ……!」
それを見て事態を察したのか、かぐやの肩がぷるぷると震え始める。そして、ついに限界を迎えたかのようにガバッと立ち上がる。
「は、はぁぁぁぁぁぁっ!? 何この子!?」
勢いよく赤ん坊を指差すと、そのまま続けて──
「いくら赤ん坊とはいえ、いきなり人の顔面に唾吐くとか有り得なくないっ!?」
「お前が言うな?」
「ひぇっ…… え? なんで?」
同意を求めるような言葉を向けられるが──かぐやを拾ったときの光景が脳裏をよぎり、俺の喉からは思わず圧のこもった声が漏れていた。
◇ ◇ ◇
そんなかぐやとのやり取りを終えたところで。
「ごめん。俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」
流石にヤチヨを抱っこしたままトイレに行くわけにもいかないため、一度かぐやに預けようと思ったのだが、
「かぐやに預けると怖がって泣いちゃうんだよな……とりあえず、ベッドの上で寝かせておけばいいか。かぐや、落ちないようにちゃんと見といてくれ」
「わかったー」
そう返事をするかぐやに任せ、ベッドの上にそっと小さな身体を下ろそうとする。
──ぎゅう。
「……?」
しかし、下ろそうとすると服に妙な引っ掛かりを感じた。
見れば、ヤチヨの小さな手がまるで置いていかれるのを必死に拒むかのように、シワができるほど強く俺の服を掴んでいた。
「ごめんなぁ、ヤチヨ。すぐ戻ってくるからちょっと離してな〜」
俺は苦笑しながらヤチヨの手を優しく握り、指を一本ずつほどくようになんとか服から引き剥がすと、そのままポスンとベッドの上に寝かしつけた。
「……?」
ヤチヨは離された自分の手を宙に浮かせたまま、何が起きたのか分からないようにぱちぱちと瞬きをした。
「…ふぇ…?……ふぇ……ふぇぇ…っ…!」
その小さな瞳が見る見るうちに潤んでいく。そして、次の瞬間。
「ふええぇぇぇぇぇん! ふぇぇぇぇぇん!!」
「えっ!?な、なんで!?」
さっきまで俺の腕の中で大人しくしていたのが嘘みたいに大声で泣き始めたのだ。
「ちょ、ちょっと待って! なんで急に泣きだすんだよ!?」
泣き止ませるために慌ててもう一度ヤチヨを抱き上げる。すると──
「ふぇ………」
ぴたり、と先ほどまでの泣きっぷりが嘘のようにヤチヨは大人しくなった。そのまましばらく俺の胸元に顔を埋めるようにしていたかと思えば、すんすんと鼻を鳴らしながら落ち着いていく。
「んん? これ、もしかしてなんだけど……」
それを見ていたかぐやが、眉をひそめながら話し始める。
「ヤチヨが泣いてた理由って、かぐやが抱っこしたからじゃなくって──
「……は? いやいや、そんなわけ……」
ないだろ……と、かぐやの言葉に反論しようとしたのだが、今までの状況を考えると妙に辻褄が合う。試しに、俺は確かめるようにもう一度ヤチヨをベッドの上へ置こうとしたのだが、
「………」ぎゅううぅぅぅ
どうやら、俺がまた離れようとしていることを察したらしい。
服を物凄い力で握りながら、「また置いていくの?」と訴えるように、じーっと俺の顔を見上げていた。
……どうやら、答えは出てしまったらしい。
「……マジかぁ」
俺はすでに、この先の生活に待ち受ける苦難の気配をひしひしと感じ始めていた。
「はい、ミコト……とりあえず使えそうなもの探してきたよ」
振り向けば、かぐやが二枚の長めのタオルをこちらへ差し出していた。どうやら『これを抱っこ紐のように体に結びつけて使え』ということらしい。
「………」
おそらく、これから俺がどのような生活をするかを悟ったのだろう……かぐやの目には俺に対する憐れみの色が浮かんでいた。
(これ……ひょっとしなくても、俺がずっと抱っこしてなきゃ駄目なやつか?)
「だ、大丈夫だよ!かぐやだってちゃんとサポートするし……大船に乗ったつもりで任せてよ!」
かぐやは、えっへん!とばかりに胸を張りながら、元気良くそう宣言したが……
(……あれ? もしかしてだけど、今回の子育てって──)
「とりあえずまずは"ミルク"だよね……かぐやに任せて!! 赤ちゃんって牛乳レンチンしてあげとけばいいんでしょ?」←まだ生後および地球生活歴1年未満のドロ舟
──かぐやの時よりも、だいぶハードモードかもしれない……
────────────────────────
翌朝
「おお……すごい。本当にちょっと大きくなってる……」
朝起きてすぐにヤチヨの姿を見たかぐやは、昨日撮ったであろうヤチヨの写真と今の姿を見比べると、驚いたように目を丸くした。
結局昨日は俺がヤチヨを抱いたまま寝たのだが、一晩中スヤスヤと眠ってくれていて、夜泣きがなかったことだけは不幸中の幸いだった。
「それにおねしょもなかったしな……かぐやの場合はあらかじめするのが確定してたからタオル何枚か巻いといたんだけど」
「ヤチヨの過去のせいでかぐやが漏らすって確信されてたの嫌すぎるんだけど……」
かぐやがなんとも言えない顔をしながら呟く。
ちなみに、FUSHIも順調に大きくなっていたが、まだ意識の方は戻ってきていなかった。
成長の早い犬であるFUSHIがまだ自我を取り戻していないということはよほど本人の自我が強くない限り、ヤチヨの意識もしばらくは表に出てこないだろう。
「よし。じゃあ俺、ちょっとヤチヨの赤ちゃん用品買いに行ってくるから」
起きたばかりのかぐやを横目に、俺は近所の専門店へ出かける準備を始めていた。
「えっ、かぐやも行く!」
「いや、今回は俺一人でいいよ。必要なもの買ってくるだけだし」
突然食いついてきたかぐやに、俺は思わず遠慮する。どうせ途中で余計なものを見つけては「あれ欲しい!」「これも気になる!」と始まるに決まっている。
……今はヤチヨの赤ちゃん用品を買いに行くんだから、頼むから一緒に大人しく留守番していてほしい。
「でも、ヤチヨはどうするの?」
「……」
その一言で、俺は腕の中にいるヤチヨへ視線を落とした。
「あぅぅ〜〜??」ぎゅう
今のヤチヨは俺が少しでも離れようとすると、すぐに泣き出してしまう。昨日も試しに少し離れようとしてたら、途端に顔をくしゃくしゃにして目に涙を溜め始めたばかりだ。
「……やっぱり連れていくしかないか」
「でも、そうなるとミコトが一人でヤチヨを抱っこしながら買い物するのは大変じゃない?」
確かにそこそこ買うものもたくさんあるため、ヤチヨを抱っこしたまま片手だけで必要なものを探すのはかなり厳しい。かといって、かぐや一人に任せるのも難しい。
昨日の段階で、赤ちゃんについてはほとんど何も分かっていないことが判明していたからだ。
「やっぱりかぐやも一緒に行くよ!」
そこまで言われると断る理由もなく、俺は少し考えてから頷いた。
「う〜〜ん……じゃあ悪いけど頼めるか?」
「もちろん! こういう時こそ"家族で協力"しないとね!」
そう言って嬉しそうに頷いたかぐやだったが──
「あっ、でもヤチヨの服は全部かぐやが選ぶからミコトは一切口出さないでね?」
「さっきまで協力とかほざいてたやつどこ行った?」
宣言からわずか数秒で我が家の家族会議は早くも独裁政権へと移行した。
◇ ◇ ◇
そして、三人でベビー用品売り場へ向かった俺たちだったのだが──
「……ん?」
店内に入り、かぐやと並んで商品を見ながら歩いていると、どうも妙に周囲の視線が集まっていることに気づいた。
ちょうど通りすがりの女性がちらりとこちらを見る。その視線が俺の顔から腕の中のヤチヨへ移り、さらに隣を歩くかぐやへと向かう。
そして、一瞬だけ目を見開く。
(……なんだ?)
女性は咄嗟に目を逸らすように前を向いたが、少し離れたところで一緒にいた友人へ小声で何かを話している。
「えっ……女の子の方、まだ高校生くらいじゃない?」
「じゃあ……もしかして高校在学中に?」
「うわ〜〜。男のほう、最低じゃない?」
「…………」ピタッ
聞こえてきた会話に、思わず足が止まった。
(……いや、ちょっと待て)
俺は思わず自分の姿を見下ろした。腕の中には赤ん坊。その隣には、どう見ても高校生くらいにしか見えないかぐや。
改めて客観的に見れば──
「…………」
確かに、誤解される要素しかない。しかも最悪なことに、周囲の人たちも同じ結論にたどり着いているらしく、すれ違う人がちらちらとこちらを見てくる。
(いや、そもそもこの子は八千歳で、かぐやも別に俺の娘を産んだ高校生とかじゃなくて、なんならこの子が娘で──)
そんな説明をしたところで余計に怪しくなることは疑うまでもなかった。
いや、でもまだ俺とかぐやが親戚の赤ん坊を預かっているだけの兄妹に見えている可能性だってある。めちゃくちゃ低い確率だけど。
「……俺、何も悪いことしてないんだけどな」
思わず小さく呟く。すると腕の中のヤチヨが、何も知らずに俺の胸元へ頬を寄せた。
「……そうだよな。俺、頑張ってるよな……?」
「ふへへぇ〜〜♪ あぅあ!」
返事の代わりに、ヤチヨは俺を励ますように満面の笑みでぎゅっと掴まり直した。
……なんか余計に周囲からの誤解が深まってそうな気がした。
◇ ◇ ◇
「よ〜し……ミルクの温度はこのくらいで大丈夫そうだな」
俺は結局買ってきた哺乳瓶を手に取り、少しだけ中身を確認してからヤチヨの前へ持っていく。
「ほ〜ら、ヤチヨ〜! ミルクだぞ〜〜」
口元へ哺乳瓶を近づけると、ヤチヨは小さな口でくわえながら、ちゅうちゅうと頬を動かしてミルクを飲み始めた。そのまましばらく俺が哺乳瓶を支えていると、
「……ん?」
その小さな手をこちらへ伸ばしてきた。何をするのかと思って見ていると、ヤチヨは俺が持っている哺乳瓶を両手でしっかりと掴む。
「……おお」
試しに俺が手を離してみると、そのまま自分で哺乳瓶を支えながらミルクを飲み始めた。
「すごいな、ヤチヨ。もう自分で飲めるのか、偉いぞぉ」
「ふへへぇ〜〜♪」
思わず頭を撫でてやると、ドヤァと言わんばかりの表情で得意げにミルクを飲み続ける。
(どうしよう、うちの子天才かもしれない……)
その姿を見ていると、本当に子供の成長を見守っている親みたいな気分になってきた。
「ミコト〜、ご飯できたよー!」
そんな時、キッチンから明るい声が聞こえてくる。振り返ると、かぐやが嬉しそうに料理を運んできていた。
「えへへ……ミコトはヤチヨから手が離せないから、せめてご飯くらいはかぐやが作らないとね!」
テーブルの上には、焼きたての卵焼きや味噌汁、それに焼き魚やご飯が並べられていた。
「へぇ、朝からちゃんと作ったのか。ありがとな」
「朝って言うにはちょっと遅いけど……でも、ミコトが美味しいって言ってくれるように頑張ったんだから!」
そう言って胸を張るかぐやを横目にヤチヨの方を見ると、相変わらず哺乳瓶を両手でしっかりと抱えている。それに、一日経って精神的にも成長したからか、俺がそばを離れてももう泣き出したりはしなくなっていた。
俺はそのままヤチヨの様子をしばらく眺めていたが、ミルクを飲むペースも安定しているのを確認すると、ようやく自分の朝食へと目を向けた。席に着き「いただきます」と言うと、まずは味噌汁を一口すする。
「……うん! すっごい美味い!」
「ほんと!?」
俺の言葉を聞いた瞬間、かぐやの顔がぱっと明るくなった。
「味の濃さも丁度いいし、卵焼きも綺麗にできてるし」
「そっかぁ! よかったぁ〜〜」
さっきまで少し不安そうだったかぐやは、途端に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「一応、普段ヤチヨが作ってくれる味に寄せてみたんだけど……やっぱり、ヤチヨに比べるとまだまだ上手くできないや」
「そんなことないって。よくできてると思うし……
「────」ちゅぱ、ちゅぱ
かぐやはしばらく黙って俺の顔を見つめていたが、やがてその口元がゆっくりと緩んでいく。
「いや〜、かぐやちゃん料理の才能もあるのかな〜!」
「あるある。このままいけば、そのうち
「そ、そうかな〜〜!? えへへへへっ……!」
「・・・・・」ちゅぽっ
その一言でかぐやは完全に上機嫌になり、料理の出来を心配していたのが嘘みたいに得意げな顔をしている。
そんなかぐやを見ていると、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなった。
正直に言ってしまえば、実際にはやはりヤチヨの料理の方がおいしいと思う。だが、娘が自分のために一生懸命料理を作ってくれた。しかも、少しでも美味しく食べてくれるようにとヤチヨの味まで思い出しながら作ってくれたのだ。味がどうこうという以前に、その気持ちが嬉しかった。
そんな穏やかな時間を噛みしめるようにもう一口料理を口へ運んだ、その時だった。
「けほっ……けほっ、けほっ!」
突然、後ろから苦しそうな咳き込む音が聞こえてきた。
「ヤチヨ!?」
慌てて椅子から立ち上がり、ヤチヨのところへ駆け寄る。見ると、ヤチヨは哺乳瓶を抱えて小さな身体を震わせながら咳き込んでいた。
「大丈夫か!?」
おそらくミルクが気管に入ってしまったのだろう。俺はすぐに哺乳瓶を取り上げ、ヤチヨの身体を抱き上げるとその小さな頭を肩口へ乗せる。そして、身体を支えながら背中に手を添え、落ち着かせるように優しく──とん、とん、と叩く。
「まだ一人にするのは危なかったか……やっぱり、俺がちゃんと見ててやらないと」
そう言いながら背中を優しくさすってやると、しばらくしてヤチヨの咳は少しずつ収まっていった。
「……ふぅ。よかった」
俺が安堵の息を吐いた、その直後だった。腕の中にいるヤチヨがもぞもぞと身体を動かし始める。何か気になるのかと思って顔を覗き込もうとした、その瞬間。
「ちゅうぅ……」
小さな口が、俺の首筋へ吸い付いた。
まるでミルクを飲むときと同じように、ヤチヨは俺の首を一心不乱に吸い始める。
「おい、そこはミルクじゃないぞ!?」
「ちゅぽっ……ぢゅう……」
俺が慌てて引き離そうとするものの、ヤチヨは小さな手で俺の服をがっしりと掴んだまま離れない。
そして数秒後──
「……ぷはっ……ふへへ〜☆」
ようやく口を離したヤチヨは、やけに満足気な顔を浮かべていた。恐る恐る首筋に手をやると、指先に妙にじんわりとした熱が触れる。
「うわ……完全に跡になってるな、これ」
鏡で確認してみると、そこにはまるで
「ヤチヨ、お前……俺の首になんてことしてくれんの……?」
問いかけても、本人は「あぅ〜〜?」と言葉を理解していなさそうな声を漏らすだけだった。
(はぁ……おおかた、特に理由もなくなんとなくで吸い付いたのだろう。赤ちゃんは口のまわりに触れたものに反射的に吸い付くらしいし)
そんなことを考えていると、ふと背後から妙な視線を感じた。
(……ん? かぐや?)
鏡には俺の後ろに立っているかぐやの姿が映っていた。だが、その視線は俺ではなく肩のヤチヨへと向けられており、ちょうど二人が向き合う形になっていた。
「……っっ…」
かぐやの顔には、戸惑いと僅かな怯えが浮かんでおり、まるで「なんで私にそんな顔すんの?」とでも言いたげな表情だ。
「かぐや? どうかしたか?」
「…………」
振り返りながら問いかけるが、かぐやはなにも答えない。ただ、何かを訝しむように目を細めながら俺の腕の中にいるヤチヨをじーっと見つめ続けていた。
「……今、ヤチヨがすんごい顔してかぐやを……」
「ヤチヨが?」
俺は腕の中へと視線を落とした。すると、ちょうどこちらを見上げていたヤチヨと目が合った。
「きゅぅぅん…?✨✨」
ヤチヨは潤んだ瞳で俺を見つめながら、こてん、と小さく首を傾げた。
さっきまで確かに何か妙なものを感じた気がしたのだが……こうして見る限り普通の赤ん坊そのものにしか見えなかった。
「……いや、やっぱり……なんでもない」
かぐやはポツリと呟いたきり、それ以上は何も言わなかった。
ただ、何か引っかかるものでもあるのか……かぐやはどこか呆れているようにも、困っているようにも見える顔でヤチヨを見つめていた。